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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第123回【饗宴】世界を支配するエロス 前編

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目次

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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kimniy8.hatenablog.com

劇作家 アガトン

今回も前回と同じ様に、プラトンの対話篇『饗宴』の読み解きを行っていきます。今回は、アガトンの主張です。
この人物ですが、アリストファネスが喜劇作家だったのに対し、こちらのアガトンは悲劇作家です。
彼の作品は断片的にしか残っておらず、どの様なものだったのかはわかりませんが、伝えられている話によると、当時の演劇界では革新的な考えを取り入れて演劇界に影響も与えたようです。

どのようなことを実践したかというと、当時の演劇というのはギリシャ神話を題材にした物が多かったようです。 悲劇で言えば、例えば前に紹介したオルフェウスの物語を題材に劇を作ったりというのが普通のことでした。
しかしこのアガトンは完全オリジナルで悲劇を作るなど、前例がないことを行って、尚且、評価された人物のようです。
ちなみにですが、この対話篇『饗宴』は簡単に言い直すと宴会なのですが、このアガトンがはじめて悲劇で賞をとった際に祝として開かれた宴会が舞台になっています。

前置きはこのぐらいにして、アガトンの主張に入っていきたいと思います。

神そのものの評価

彼がいうには、これまでに話をしてきた者達は、『神そのもの』を褒め称えたのではなく、神が与える祝福を受けた人間について話してきたのであって、神そのものを賛美した者はいないといいます。

これまでに出された主張を簡単に振り返ってみると、パイドロスの主張は、エロスという概念は早い段階で生まれたから尊く、人がエロスのために代償を支払って行動をすれば神様から祝福されるから、エロスを伴う行動は尊いと主張しています。
パウサニアスの主張は、エロスには天のアフロディーテと俗のアフロディーテの2種類あり、それは目的によって分かれ、人の目標の善し悪しによって手段の良し悪しが決定されるというもので…
それに対しエリュクシマコスは、人間が行う手段そのものに善悪があり、人が起こす行動の延長線上に目的があって、良い行動を積み重ねれば良い方向へと到達するという主張でした。

この手段というのは、様々なもの同士の間で働く欲求を適切に操作して調和を生み出す技術のことで、これを幅広く捉えると、あらゆる学問になります。
人が他の動物に比べて優れているのは知性で、その知性を高めるための手段が学問であり、その根源となるのがエロスと考えられるために、偉大だと主張します。

そして前回のアリストファネスの主張では、人間がパートナーに惹かれる理由は、元々1つの完全な生物だった人間が、神に挑戦したことで怒りをかってしまい、2つに引き裂かれてしまった。
2つに引き裂かれた人間は、無意識のうちに再び1つの完全な状態に戻ろうすることで、パートナーと惹かれ合うというものでした。

評価者の能力

確かにこれまでの主張を振り返ってみると、人間の目的であるとか手段。人が持つ知識やそれを磨くための学問といったものが褒め称えられているだけで、神そのものが讃えられてはいません。
一番最初のパイドロスの説では、人間の精神を司る概念としては一番最初に生まれたので尊いと主張されていますが、先に生まれたから尊いと言われても、余り讃えられているようには思えません。

そこでアガトンは、エロスそのものの存在について賛美しようとします。
そうしなければならない理由は、『何故、称える対象であるのか。』の根本原因を明確にしなければならないからです。 これは、どのようなものを褒める場合でも同じです。
例えば、ある美術品がAさんによって評価されたとしましょう。 この美術品は優れていて、大変価値のあるものと評価が下されたわけですが、この美術品が本当に評価すべき価値があるのかどうかは、評価を下したAさんに依存します。

つまり、Aさんに美術品の評価ができるほどの審美眼がある場合には、その美術品には本当に価値があるといえますが、Aさんにモノの美しさを見分ける能力がない場合は、その評価は無意味なものになってしまうということです。
これまでに出てきた主張というのは、『エロスが称えるような行動だから凄い。』といった形で紹介されていましたが、評価を下したエロスそのものの評価を正しく行わなければ、それらの行動が本当に凄いかどうかは分からないということです。
神が称賛するものは素晴らしいと定義するのであれば、まず、神がどの様に優れているのかを示す必要があります。

永遠に若いエロス

では、神はどの様に優れているのでしょうか。 先程も言いましたが、パイドロスは『エロスは最も古い神であるがゆえに偉く、尊い。』と主張しました。
しかしアガトンに言わせればこの主張は間違っていて、エロスは神々の中で最も若く、故に美しいと言います。
ではエロスは、神々の中でも最後に生まれたということになるのでしょうか。

これはそういうことではなく、彼がいうには、エロスは年老いることを嫌い、これと意図的に距離をとっているために年を取ることもなく、永遠に若いそうです。
人のように物質的なものであれば、時間という概念からは逃れることが出来ずに、必ず年老いていきます。これは生物に限らず物も同じで、時間とともに経年劣化していきます。
しかし、美しさという概念であれば、時間と同じ概念であるため、時間から逃れることも可能だと考えられるので、一番最初に生まれながらも一番若いということもあり得るのでしょう。

神の地位の変化

次にアガトンは、神々の争いについて話し始めます。 ギリシャ神話において神々は、親子間で結構な争いを行っています。
例えば、一番最初にカオスから生まれたガイアとウラヌスは、多くの子供を作りますが、最初に生まれたものが化け物のような姿かたちをしていたため、ウラヌスはタルタロスという奥深い穴に子供を封じ込めます。
このタルタロスですが、ガイア自身が大地の化身であり、穴というのは大地に開くものなので、ガイアの体内に戻したという説もあるようです。

これに怒ったガイアが、子供の一人クロノスと手を組んで、ウラヌスを撃退します。 この時に、男性神ウラヌスのアソコが切り落とされて遠くへ飛んでいき、エロスと同一視される美と愛の化身アフロディーテが生まれたとされています。
神々の戦いはこれで終わらず、クロノスと子どもたちとの間でも、同じようなことが起こります。 簡単に説明すると、子どもたちによって王座が奪われると予言を受けたクロノスが、次々に子どもたちを丸呑みにしていきます。
この時にクロノスの妻は、1人でも子供を守ろうと、生まれたばかりのゼウスの代わりに子供と同じ様な大きさの石を身代わりに差し出して、最後の子供であるゼウスを守り抜きます。

その後ゼウスは成長し、クロノスが寝ているスキに神の酒であるネクタルを飲ませて、飲み込んだ子どもたちを吐き出させます。
この際にクロノスは飲み込んだ順と逆順に子どもたちを吐き出していくため、兄弟の順番が入れ替わります。 この順番の入れ替わりは、パイドロスの主張の際にも出てきた様に、概念の重要度が変化したと考えるべきでしょう。
結果として末っ子だったけれどもクロノスに飲み込まれなかったゼウスが長男となって一番偉くなり、クロノスに変わって権力を得ます。

では、ここで争いが終わったのかというと、そんなことはなく、ゼウスも『子供に権力を奪われる』という予言を受けてしまい、親と同じ様に子供を丸呑みにしてしまいます。
しかしその後、ゼウスは頭痛に襲われます。ゼウスはその原因を解明するために、プロメテウスに頭を割って調べてもらった所、ゼウスの頭から完全武装したアテナが誕生します。
アテナは、知性の象徴であるゼウスの頭から生まれたため、ゼウスの知性を引き継いで生まれます。

エロス不在中の神々

この様に、神々は事あるごとに争うのですが、この争い事にエロスは登場しません。理由は明確に語られていませんが、先程も言ったとおり、アフロディーテはウラヌスの男性のシンボルが切り落とされ、それが海に落ちて誕生します。
海の上で誕生したアフロディーテ、またの名をビーナスは、絵画で描かれている様に貝殻の船に乗って、トルコの近くにあるキプロスに流れ着きます。
つまり、エロスと同一視されているアフロディーテは、神々が争いを起こしていた時には、ギリシャにはいなかったとも考えられます。

アガトンはこの事を重要視し、もし仮にエロスがギリシャにいれば、争いは起こっていなかったであろう。
神々の間で争いが起こったのは、アナンケという神が原因。愛と平和の象徴であるエロスが争いの中にいれば、争いは解決していたはずで、実際に平和が実現したのは、エロスが神々の王になってからだと主張します。
ちなみにアナンケとは、必然や宿命といった概念を神格化したもので、愛や平和という概念がなければ、神々でさえも争い殺し合う運命にあるということなんでしょう。

エロスが神々の王…という下りは、正直わからないですが、エロスとアフロディーテが同一のものとするのなら、アフロディーテはその後、鍛冶の神様である職人のヘパイストスと結婚することになる為、彼女がギリシャに戻ってきたということかもしれません。
人間の世界は別として、神々の世界ではアフロディーテが帰ってきてからは、大掛かりな争いは起こってないようですしね。

参考文献