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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第84回【ゴルギアス】子供の裁判 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

子供の王国

この例を、裁判という閉じた空間だけに留めずに、もっと広い世界を想定した場合。例えば、子供の裁判ではなく、子供の王国を想定した場合で考えてみると、どうでしょうか。
その王国には子供しか住んでおらず、王様も政治家も警察官も全て無知な子供で、アナタだけが知識を持つ大人だという状況を想定して、考えてみましょう。
アナタは、自分の命を生きながらえさせる為だけに、そして、国の中で大きな権限を持ち、自由に欲望を満たせる状態になる為に、無知な子供の王様のご機嫌取りを行うのでしょうか。 それが、人として正しい道なんでしょうか。

子供である王様や国民が、自らの無知ゆえに間違った方向へ進もうとしている事がわかったとしても、子供の王様の機嫌を損なうからと、正しいことを言わずに自分の中で押し殺すべきなんでしょうか。
アナタは自分の知識によって、国がこのまま進んで行くと破滅しか待ってない事が分かっていたとしても、王様に逆らうと自分が殺されてしまう可能性が有るからと、自分の人生の長さだけを気にして、その間違いを放置すべきなんでしょうか。
自分が所属する共同体や、そこに携わる人達がどの様になろうが関心を持たずに、処刑されずに寿命を全うすることや、生きている間にどれだけの快楽が味わえるのかだけに関心を持ち、それのみを優先して生きていくべきなんでしょうか。

それとも、その国に住む自分の大切な人の事を考えて、自分が理不尽な目にあってしまう可能性があったとしても、国や国民の為を思って、国を善い方向へと導くための意見を進言すべきなんでしょうか。
無知な子供からすれば、アナタが主張する『快楽を求める行為を抑制し、時には辛い思いをしなければならない』ような意見は、理解されないですし、大人のアナタは、無知な子供たちによってバカにされたりもするでしょう。
それでも国の為を思って、自分の知識や技術をフル活用して、正しい行いを伝えるべきなんでしょうか。

秩序の維持

ソクラテスはこの疑問に対して、『もし、この国のことを大切に思っているのであれば、そして、そこに住む子供たちを可愛いと思っているのであれば、例え理解されなかったとしても、正論を言うべきだ。』と答えます。
子供たちは無知であるが故に、傷を追った場所を、熱した針で縫い合わせるといった、更に傷口を痛めつけるような行動を、理解することは出来ません。
また、欲望を抑えなければならない理由や、今現在『やりたくない』と思っている行為を『自ら進んでやらなければならない場合もある』ということを、理解することも難しいでしょう。

子供たちは無知であるが故に欲望に対して素直で、欲望に従った行動を取りがちです。 しかし、欲望に流される生き方は、大抵の場合は、人や共同体そのものを悪い方向へと向かわせてしまいます。 
欲望に従って食べ物を大量に食べたいと思えば、食べ物の対価としてのお金が必要になりますが、そのお金を稼ぐために労働はしたくないという欲望に従えば、不正に手を染める必要が出てきます。
不正で手に入れたお金によって大量に食べ物を購入して、好き勝手に食べ続ければ、その体はドンドンと太っていき、成人病や足腰に不具合等が出てくるでしょう。

人々の幸福を本当に願うのあれば、彼らを肉体的にも精神的にも優れた存在にして、社会に秩序をもたらす必要があります。
それを実現する為にも、愚かな者に迎合するのではなく、正しい知識と技術を使って、人々を正しい方向へと導くべきです。 例えその結果、愚かな者から恨みをかって自分が死ぬことになったとしても、そうする事が重要だとソクラテスは主張します。

堕落するなら死んだほうがマシ

この話を聞いたカリクレスは、『仮にその様に行動して、本当に死んでしまったとしても、その人物は立派に生きたことになるんだろうか?』と、ソクラテスに尋ねると、ソクラテスは『その生き方こそが立派な生き方だ。』と即答します。
そして、『この世で最も恐れなければならないことは、悪に続く道だと分かっている道に自ら突き進んでいき、不正を行う事で、それこそが避けなければならない事だ』と念を押します。

仮に、子供の裁判官や国王の説得に失敗した場合、最悪の状態を想定したとしても、自分が死ぬ程度のことしか起こりません。
そして、物の道理が分かっている者は、自分が死ぬという行為をそこまで重要視せずに受け入れます。 自分の死に対して恐怖を抱き、受け入れることが出来ない人間は、生や死について深く考えたことがない人間です。
何故なら、人は絶対に死ぬからです。 人は絶対に死ぬからこそ、人の価値は寿命の長さで決まるのではなく、その質によって決まるのです。 この基準でいうなら、みっともない行動をとって長生きするぐらいなら、死んだほうがマシと言う事になります。

では何故ソクラテスは、この様な主張までして、自分が不正に手を染めることを恐れるのかというと、人の人生は死ぬことで終わらないと考えているからです。
そしてこの事を、神話を引用して説明しだします。

神々の裁き

ソクラテスによると、この世界は元々、神々と人間とが共存していた世界でした。 そして人々は、生きている間に神々によって善悪を裁かれていました。
しかし、生きている人間を裁くというのは、神々の能力を持ってしても至難の業で、適切な判決を下すことは相当に難しかったようです。
それは何故かというと、裁かれるものがこの世に生きていて存在していると、この世で手に入れたあらゆるものを利用して、自分の罪を軽くしようとしてくるからです。

様々な汚い手を使い、不正を行うことで手に入れた金や人脈を駆使し、自分の弁護をしてくれる口が上手い弁論家を雇い、有利な証言をしてくれる人間を金で買うなど、あらゆる手を使って善人を装おうとします。
ギリシャ神話に登場する神は、一神教の神のような絶対者ではないので、人間側が金や権力を駆使して演出をしてくると、その演出に惑わされて判断を鈍らせてしまいます。
この様な状態を快く思わない神々は、人間が生きている状態で裁くのを止めて、人間が死んでから裁くようにしました。

人は死ぬと、生前に持っていた権力や財産や肉体などの全てを現世に残して、魂だけで、あの世に旅立ちます。 この状態であれば、金や権力によって自分を養護してくれる人間を買収することが出来ませんから、公正な判断がしやすいというわけです。
では神々は、何を基準に善悪を見極めるのかというと、魂の痕跡によってです。

魂の痕跡

例えば人間の肉体は、暴飲暴食を重ねていれば肥え太り、何らかの失敗をして怪我をすれば傷になり、その傷が深ければ深いほど、肉体には消えることのない傷跡が残されます。
この様に、人間の肉体というのは、今までどのようにして生きてきたのかという痕跡が刻み込まれていて、肉体を観ただけで、そのものが歩んできた人生をある程度は見通すことが出来ます。

これは魂にも当てはまることで、快楽のみを追求して、それを貪っていた魂は醜く肥え太る。 何らかの原因で精神的なショックを受ければ、それは魂へのダメージとして傷になり、その傷が大きければ傷跡として残ります。
魂は、その人間が生きている間の意思決定や行動に関わるものを全て痕跡として残しているので、魂の形を観ることで、大まかな見当は付けられるということです。
不正行為は、魂を最も醜く歪ませる行為で、不正をし続けることによって、魂は醜い形へと変化していき、その様な魂が裁かれる際は、罪人として裁かれる。

罪人は、現世の刑務所と同じ様に、苦痛によって罪を清められ、罪が浄化された後に開放されるけれども、修復不可能なまでに歪みきった魂は、他のものの見せしめとなる為に、永遠の責め苦を味わうことになってしまう。
ソクラテスは、この話を信じていると言って、そして、『人は他人から良い人と思われるのではなく、実際に良い人にならなければならない。』と主張します。

『人を堕落させる快楽や、その快楽を相手に与えることで支持を取り付ける迎合は良いものとはいえず、もし、弁論術を身に着けたのであれば、それは正しいことに使用しなければならない。
常に『善』に目標を定めることによって、生きている間も、そして死んでからも、人は幸福でい続けることが出来る。
もし、この理屈が理解できるものがいるのであれば、一緒に善を追求する道を進もう。 そして、理解できないものにも、共に道を進めるように尽力しよう』 このようにして、この対話篇は締めくくられます。

ゴルギアスの読み解きは、18回の長い期間に渡ったので、次回は、これをまとめた上で、考察などをしていこうと思います。