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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第82回【ゴルギアス】人が欲するものを与えるのは良い事なのか 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

目次

善導者

ペリクレスは、対ペルシャ用に作ったデロス同盟の参加国が積み立てていた軍事費用を横領して、アテナイの為だけにパルテノン神殿を作ります。
また、ペリクレスは妻との間に2人の子供をもうけますが、高い金を払って教育を施したのに、子供の教育に失敗した為、2人の息子はグレて、将軍である親の名前を使って借金をして遊び回るといった事までしています。
そして最終的には、ペリクレス自身が公金使い込みの容疑をかけられて死刑になりかけています。 もう一度言いますが、この様な人間が、歴史に残る立派な人間といえるのでしょうか。

例えば、ペットとして犬を購入したり貰ってきた飼い主が、子犬の間に躾をしてもらおうと施設に入れたとします。
調教師は生まれたばかりの大人しい子犬を預かって、一定期間 調教して飼い主に戻した所、その子犬は飼い主を見るなり、噛み殺す勢いで襲いかかってきたとしましょう。
犬を迎えに行った飼い主は、子犬を調教師に預けて良かったと思うでしょうか。 子犬は、調教師の手によって立派で優秀な犬になったと思うでしょうか。

では、この例の犬と調教師を、ペリクレスと国民に当て嵌めて考えてみましょう。
ペリクレスは、国の指導者として数多くの演説を行って、市民はその演説に耳を傾けています。 前にも言いましたが、善い指導者とは、国民に対して耳障りの善いことだけを言わずに、時には耳の痛いことも言って、国民の精神を善い方へ導く指導者です。
これを、犬と調教師の関係に当てはまれば、ペリクレスが演説によって国民を調教するとも言い変えることができます。

では、ペリクレスの演説を聞き続けた結果、国民はどの様な行動を起こしたのでしょうか。
結果は先ほども言いましたが、ペリクレスに公金の使い込みの容疑をかけて、死刑判決を下そうとします。
つまりペリクレスは、自分自身が国民を良い方向へと導こうと思って演説を行い、それを聞き続けた国民の手によって、殺されかけているわけです。

良い方向へと導けなかった善道者

仮にカリクレスの言う通り、ペリクレスが立派な優れた人であるとするなら、この結果はかなり矛盾していることになります。
もし、ペリクレスの演説を聞き続けた国民の精神が善い方向へと修正されて、国民が立派で優れた国民になったとするならば、立派で優れた国民によって吊るし上げられたペリクレスは、悪人ということになります。

逆に、悪いとされている国民が、ペリクレスの演説を聞き続けても全く態度を変えずに、悪い状態を維持し続けていたとすると、ペリクレスの演説は、国民を良い方向へと導くのに全く役に立っていないことになります。
ペリクレスの演説が人を良い方向に導くためには何の訳にも立ってない、にも関わらず、ペリクレスの演説は国民に人気があり、ペリクレス自身も国民からの支持を一時的に得ていたということは…
ペリクレスの演説は、国民にとって耳障りの良いだけの演説だったということになり、彼の弁論術は国民を良い方向へと導く為の技術ではなく、耳障りが良いという快楽のみを追求した迎合でしか無いことを意味します。

結果を見ると一目瞭然ですが、ペリクレスはカリクレスのいうような、優れた立派な人ではないという事になります。
だからといって、悪人というわけでもないのでしょうけれどもね。
前にもソクラテス自身が考察しましたが、人は、善人か悪人かのどちらかに分けられるようなものではなく、『善い』という概念が宿っている時に善人になり、『悪い』という概念が宿っている時に悪くなるものです。

生きている間中、ずっと良い状態を維持し続ける人間はおらず、大抵の人間は善と悪の間を揺れ動いている存在です。 ペリクレスも、一般人と同じ様に、その様な存在だったというだけでしょう。
そして彼が身に着けていた弁論術は、聞く人を正しい方向へと導いてくれるような技術ではなく、人気を得るために国民に迎合した演説でしかなかったということです。

ペリクレスは国の忠実な召使い

これにより、カリクレスは自分が生きている間に出会った人物だけでなく、過去に遡って偉人とされている人を含めたとしても、優れた政治家を知らないという事になってしまいました。
ただソクラテスがいうには、ペリクレスは優れた政治家ではないけれども、国にとっては善い召使いではあったと言います。
これはどういう事かというと、カリクレスが善い指導者と思い込んでいたのは、国を良い方向へと導いていくような指導者ではなく、国の動向に注意をはらいながら、国が求めているものを与えているだけの召使いだということです。

国の動向を観て、国が求めているものを提供するのは、善いことではないかと思われる方も多いかもしれません。
しかし、国が求めているものが、国が良くなる為に本当に必要なものなのか、それとも不必要なものなのかを考えることなく、国が求めるがままに差し出すことは、善い事だとは言いません。

これまでも散々、言ってきましたが、相手が求めるものを何も考えずに与えるというのは、相手の快楽のみを満たそうとする迎合的な考えです。
国の動向を観ながら、相手が求めるものを何も考えずに差し出すというのは、指導者が主導権を握って国を運営しているというよりも、国の召使いになって仕えている状態とも言えます。

つまりペリクレスは、国や国民を良い方向へと導いたわけではなく、国や国民が求めていそうな事。 そして、実行することで国民に支持されて、人気が得られるような事をやっていたということです。
国や国民が求める快楽を満たしていただけなので、都合が悪くなれば国民からは見放されて非難されますし、彼が導いた国はスパルタに敗北してしまいました。

借金経済

これは、現代の政治などにも当てはめることが出来ます。例えば田中角栄という政治家は、日本列島改造論というのを打ち出して、日本中に高速道路などを張り巡らせて交通と通信をより便利にし、日本全体を活発にしようとしました。
これまでは全てが都市部に集中している状態だったものを、交通の便を良くし、工場などを地方に誘致することで、都市一極集中だった流れを逆流させて、地方を活気づかせようという目的で始められた計画のようでした。
実現する為には莫大な資金が必要ですが、交通網や通信網が整備された暁には、それを上回る利益がでて、それによって税収が増えると試算されて、借金によってそれが実行されることになります。

この計画は、実行された当初は実際に経済効果も大きかったと思われます。
高速道路や通信設備の建築費用だけでもかなりの経済効果があるでしょうから、GDPを押し上げるには十分な効果があったでしょう。
そして、実際に高速道路や通信網が整備された地域では、その道路や通信設備が使われることによって、経済発展したんだと思います。

例えば、都心から高速道路で1時間程度の安い土地に工場を立てて、田舎町の工場から都心に物を運ぶというモデルを作ってしまえば、工場が誘致された地方では労働者が求められますし、土地が安くて仕事があれば、人は移り住んでくる事でしょう。
人が流入してくれば、その人達を相手にする商売も盛り上がってきます。 食料品や生活雑貨の販売や、ストレス発散の為の娯楽施設なども建てられるでしょう。
このような事が日本各地で行われれば、高速道路の建築費以上に経済が盛り上がることになるわけですから、国や国民にとって良い事だと思われます。

政策の選別

ですが、このインフラ整備というのは、無闇矢鱈と行って善いものではありません。
というのも、高速道路や通信網というのは、一度作ってしまえば永久に利益を生み続けるものではなく、老朽化するために、定期的にメンテナンスを行う必要があるからです。
当然ですが、メンテナンスには費用がかかりますが、その補修工事には、経済を爆発的に発展させる効果はありません。

何もないところに道路を作るという行為は、利便性の高い地域を作り出すという事につながる為に、その土地が有効活用されれば、経済発展に大いに貢献します。
しかし、作った道路をメンテナンスするという行為には、経済を発展させる効果はありません。 何なら、一時的に車線や道路そのものを封鎖しなければならないわけですから、経済効果としてはマイナスになる可能性もあります。
ですが、だからといってメンテナンスを行わなければ、大きな事故などにつながってしまうわけですから、しないわけにはいきません。

交通網や通信網は、作った瞬間は爆発的に経済効果を高める資産としての効果がありますが、一度作ってしまえば、後は定期的に発生するメンテナンス費用を支払い続けなければならない負債へと変化します。
もし、政治の目的を、国が良い方向に向かうためと定めているのであれば、都市計画をしっかりと立てて、経済効果が高く、メンテナンス費用を払い続けても採算が合うような道路や橋を選んで作ることが重要となってくるわけです。

召使いが主人を滅ぼす

しかし政治家の目的が、地元に道路を敷いて、自分の名前をもっと広めたいといった売名行為や、建設会社との癒着、または、道路建設予定地の近くの土地を予め購入しておいて、転売して儲けると言った自身の利益を得る為だったりすると、どうでしょうか。
予算やメンテナンス費用を一切考えていない民衆の意見を政策に取り入れて、手段でしか無い道路建設自体を目的に据えてしまっていたりすると、話がおかしな方向へと進んでいきます。
国のことではなく、自分自身の事しか考えていない政治家は、どう考えても採算が取れないインフラを、地元民が欲しがっているからという理由だけで、整備しようとします。

その結果として、インフラ維持に多額の費用が必要になり、国の借金は返済されて減るどころか、増えていくことになります。
これは、ペリクレスが政治を行った古代ギリシャでも同じで、アテナイを敵から守るために街の周りに防壁を張り巡らせたり、文化の象徴としてのパルテノン神殿を建てたりと、国民の支持が得られるようなことをドンドンしていきますが…
結果として、建設費や維持費が足りなくなって、そのツケが国民へと回ってしまい、それに腹を立てた国民によって、指導者が訴えられてしまったということです。

ソクラテスは、ここまで説明した後に、カリクレスに対して『私は、国を良い方向へと導くために頑張るべきなのか、それとも、国の召使いになるべきなのか、どちらが良いのだろうか。』と尋ねます。
この問いに対してカリクレスは、ここまでの話の流れを読まずに『国の召使いになれ』とソクラテスに対して勧めます。
では何故、カリクレスはこの様な事を主張するのでしょうか。 この事については、次回、話していこうと思います。