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【Podcast原稿】第70回【ゴルギアス】『技術』と『迎合』 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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目次

『技術』を装う『迎合』

技術と迎合を理解するために、まずは肉体についての技術と迎合について考えていきましょう。

技術は肉体を善い方向へと導くものですが、迎合はというと、技術ではないために、体を善い方向へと導くことはできません。 しかし迎合は、技術を装って人間の習慣の中に入り込んできます。
例えば料理法は、納豆を食べると体に良いだとか、朝にココア飲むと良いだとか、無農薬の有機野菜が良いとか菜食主義が健康に良いなど、身体を良くする技術を装って、人の生活の中に入ってきます。
しかしそれらの主張は、何十年にも渡って特定の物を与え続けた人と、全く与えなかった人で比べてデータを取ったりしたんでしょうか。

食の専門家は、合成着色料や添加物が悪いと言って、自然由来の手間かかったものを勧めたりしますが、技術を使って作られた農薬や合成着色料や添加物が発明される前と現在で寿命を比べたら、添加物入りの食事を食べている現代人のほうが寿命は長いですよね。
当然ですが、寿命の長さは医学の進歩を外しては考えられません。  技術は、人間の寿命を伸ばすために貢献していますが、料理法を提案する人間は、これに貢献しているのでしょうか。
例えば、ほうれん草に含まれている特定の栄養素が健康に良いとわかったとして、ほうれん草を使った料理を提案する料理研究家は、その栄養素を活かすための最適な油の量や調味料の量を計算してだしているのでしょうか。

ほうれん草に含まれる栄養素を効率よく引き出すために調理した結果、その料理がクソまずかったとしても、料理研究科は、まずい料理をレシピ本に載せるのでしょうか。
しませんよね。料理法を身に着けた人が行うのは、特定の食材を使って美味しい料理を作る方法であって、不味いけれども、食べると確実に健康になる料理を提案する事ではありません。
料理人が提供するのは、第一に美味しいもの、そして奇抜なものや珍しいものなど見て楽しめるものなど、楽しむという快楽を追求する事を目指しているのであって、最終目的は善ではありません。

『技術』と『迎合』の違い

技術と呼ばれるものは、常に目標を『善』において、物事を善い方向へと導こうとするものです。
足の一部が壊死した人間が担ぎ込まれて来て、医者が、壊死した部分を切り離さなければならないと判断したら、患者が『私は陸上選手なので、切り離されると困るんです。』と懇願したとしても、命を助けるために壊死した部分を切り離すでしょう。
しかし、迎合の目的は快楽のみを追求する事です。 塩分のとりすぎは体に悪いと分かっていても、美味しい味を作り出すためには塩を多めに入れてしまうのが料理法です。

この様に、そもそも技術と迎合は目的が全く違うところに設定されているのですが、迎合は技術に偽装しているために、注意深い人間以外は、迎合も技術の一種だと勘違いをしてしまいます。
そして、人というのは辛い事というのは苦手で、楽なことや気持ちの良い事は好きだという特徴があります。 誰だって、辛く厳しいことしか言わない人よりも、優しい人を好みます。
この状態でもし、技術と迎合を代表するものが討論をした場合、無知な一般大衆はどちらの意見を聞き入れるのかというと、迎合の方に説得されてしまう可能性が高いでしょう。

もっともらしい『迎合』

例えば、迎合側代表の料理人がこの様にプレゼンをします。
『人間の体というのは、欲しているものを与えてやると、気持ちよくなる様に出来ています。
例えば、喉が渇いた時に水を飲んだら、美味しいと思いますよね。 同じ様に、お腹が減っている時にご飯を食べれば、美味しいと思う。
人間は、体が本当に求めているものを補給すると、気持ちよくなるように出来ているんです。

これは、人間個人のことだけに当てはまるのではなく、人類全体についても当てはまります。
人間には寿命がありますが、人は子供を生む事で種族全体として、長い期間を生き残ることが出来ます。 子供を生むことは非常に重要な行為なので、その為に必要な行為は快楽を生むように出来ています。
そういったものだけではなく、人類全体の為になる事をして褒められれれば、達成感や承認欲求が満たされて、気持ちよくなれるでしょう。

この様に人間は、自分自身の体や種族全体の為になる事を行った場合は、気持ちが良くなるように出来ています。
これを食事に当てはめればどうでしょうか。 当然の事ですが、人間の味覚は、体が本当に欲しているものを食べれば美味しいと感じます。逆に、欲していないものを食べても美味しいとは感じません。
水を飲んで美味しいと思うのは、喉が渇いているときだけで、喉が全く乾いておらず、お腹が水分でタプタプになっている時に水を飲んでも、苦痛でしか無いですよね。

この理屈を料理に当てはめると、人が食べるべき食品は、美味しいと思う食材だし、その食材をどの様に調理すればよいかというと、美味しく調理をすれば良い。
美味しいものを欲しいと思うだけ食べ続ければ、身体は健康になるし、病気にもならない。』と主張したとします。

一方で技術代表の医者が、美味しいものを自分が欲しいと思うだけ食べ続けると、栄養バランスも崩れるし、人によっては食べ過ぎになってしまうかもしれません。
ですから、身体を健康に保ちたいのであれば、食事の量は適切な量に抑えるべきです。 また、美味しくなくとも体に良いものはあるので、偏った食事はやめるべきです。と主張した場合、どちらの意見が支持されるでしょうか。

例えば、プレゼンする両者の格好が、料理研究家はカジュアルな格好をして、医者は白衣を着ていて、胸のところに料理研究家・医者というように名札がついていれば、医者という権威によって医者の意見を信じる人も多いでしょう。
しかし、迎合する側である料理研究家が、観客の信用を勝ち取るために白衣を着て医者の格好をしていたらどうでしょう。
一方が、プレゼンを聞いている人間の身体を心配して、厳しいことをいうのに対し、もう一方が、『無理をしなくてもよいのですよ。
好きなことを好きなだけする事が、アナタのためになるんですから。』といった場合、楽な方に流れる人間は割と多いと思います。

人間は信じたいものを信じる

何故なら、専門知識を持たない民衆は、正しいことではなく、自分に都合の良い信じたいことを信じるからです。

これは、炭水化物を抜けば、タンパク質はどれだけ食べても大丈夫という炭水化物抜きダイエットが流行ったりする現状を見れば分かりますよね。
単純に痩せるというのではなく、身体を健康で優れた状態にしようと思えば、適切な量の食事と運動と休息が必要だということは、既に分かりきっていることです。
ですが、この方法は辛い上に、続けるのが面倒です。 それなら、炭水化物さえ抜けば、食べたいだけ食べても痩せるといわれている方法の方を信じたいですよね。

何故なら、誰だって辛いことはしたくないし、心地よい状態を維持できるなら、それに越したことはないんですから。

身体についての技術は、医術とトレーニングの技術がありますが、医術の裏側には料理法という迎合が潜んでいて、迎合は技術に偽装していることが分かりました。
では、もう一つのトレーニング技術の方はどうなのでしょうか。 これについてはまた次回、話していきます。

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