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【Podcast原稿】第69回【ゴルギアス】討論で負ける弁論家 後編

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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目次

弁論家はアレテーの教師か

言い換えれば、弁論術を学ぶものは皆、アレテーがどのようなものであるのかを知っている事になります。
では、弁論家は弟子をとって教育をする際には、弁論術と同時にアレテーも教え込むのでしょうか。 それとも、アレテーを既に理解しているものだけを弟子にとって教育をするのでしょうか。

というのもアレテーというものは、前に勉強をしたプロタゴラスの中でも語られてしましたが、ギリシャの中でもトップレベルの賢者であるプロタゴラスですらも、それが伝えられるものなのか伝えられないものなのか分からない存在でした。
それでも、プロタゴラスはアレテー教師と名乗っていたのは、自分自身がアレテーについて理解していると信じ込んでいたからですが、ソクラテスとの対話を続ける中で、自分が本当に理解できているのかがか分からなくなっしまってました。

ゴルギアスたち弁論家も同じ様に、自分たちはアレテーを知っていると信じ込んで、それを教えられると思い込んでいるのでしょうか。
アレテーについて自分自身は知らないと自覚しているから、弟子たちの前では自分たちはアレテーを宿していると装って、弁論家たちがアレテーを知っていると信じ込ませているのでしょうか。
それとも、アレテーは教えられないから、既に理解しているものだけを弟子に取るのでしょうか。

このソクラテスの疑問に対してゴルギアスは、入門してきた人間にはアレテーを教えていると言ってしまいます。
ギリシャでトップレベルの賢者であり、自分自身をアレテーの教師と言っていたプロタゴラスですら、最終的にはアレテーは教えられないかもしれないと言った、あのアレテーを、弁論家であるゴルギアスが教えられると言ってしまいました。
しかし、この発言によって、先ほどのゴルギアスの主張に矛盾点が生まれてしまいました。 その矛盾とは、アレテーを身に着けたものが不正に手を染める可能性を示してしまったことです。

アレテーを伝えた生徒は不正を犯すのか

先ほどゴルギアスは、弁論術を習いに来た人間に対しては、同時にアレテーも教えていると主張していました。 アレテーという卓越性を知らなければ、自分が紹介するものが卓越していると演出することが出来ませんからね。
そしてアレテーとは、それを身につけることで卓越した人間になれると言われているものです。卓越している人間とは、知識があり、勇気があり、善悪を見極める分別があり、勇気を持つため、美しいとされている人間のことです。
では、自分の欲望をコントロールできて、善悪の分別がつくような人間が、自分の欲望を満たすためだけに不正に手を染めるのでしょうか。

アレテーを備えるものは、正義の心を持ち、善悪を見極める能力を持っているわけですから、本当の意味でアレテーを学んで自分の身に宿すことが出来るような人間なら、そもそも不正は行わないはずです。
これがもし、弁論家はアレテーを教えているのではなく、アレテーが宿っている雰囲気だけを伝えているというのであれば、矛盾はありません。

例えば、ジョジョの奇妙な冒険という漫画作品にはDIOというキャラクターがでてきますが、このキャラクターは生まれついての悪党でゲロ以下の匂いがプンプンするとゴロツキに言われてしまうような人間です。
しかしこのキャラクターは、貴族の家に養子として迎え入れられることになるのですが、その貴族の家の財産を乗っ取るために、紳士のマナーを身に着けて、見かけ上ではイギリス紳士になりすまします。
DIOは、イギリス紳士のマナーを身に着けたことで精神まで紳士になったわけではなく、あくまでも、財産を乗っ取るために演技をして、紳士のような立ち振舞を身に着けているだけなので、本性は変わらずに、悪党のままです。

紳士の立ち振舞だけを身に着けて、イギリス紳士を演じているDIOの様に、実際にはアレテーを身に着けているわけではないけれども、アレテーを宿した人間のフリをしているだけだというのであれば、不正を行うことに何の疑問もありません。
現実世界にいる詐欺師も同じで、最終目的が金を奪い取るという不正行為だったとしても、相手の信用を勝ち取らないとお金を奪えないので、自分自身を善人で信頼の置ける人間だと演出して近づいてきます。
この人達は、誠実なわけでも親切なわけでも信頼できるわけでもなく、むしろその逆ですが、親切で誠実で信頼出来る人を観察することで表面的な上辺の部分だけを取り入れて、演技をする能力は持っている人達です。

弁論家の場合も同じ様に、自分たちがアレテーを宿しているわけではないけれども、アレテーを宿しているんじゃないかと思われる人を観察し、その人達の仕草や言動を研究して、演技しているだけだというのであれば、矛盾点はなくなります。
何故なら、そもそも悪党だったものが、優れている人の表面的な部分を真似しているだけなので、本質的な部分では変わっていないというのはありうることだからです。
この事を考慮して、ソクラテスは質問する際には、『アレテーを宿している演技をしているだけなのか?』といった選択肢を入れていました。

しかしゴルギアスは、弁論家はアレテーを身に着けているし、アレテーを宿していないものが弟子になった場合は、それも一緒に教えていると主張する一方で、卒業生の中には弁論術を悪用して不正を働くものがいると言ってます。
これは、明らかに矛盾ですよね。 本当に弁論家がアレテーを宿した卓越した人間で、その優秀さを弟子にも正確に伝えているのであれば、弟子は、不正を行わない正義と勇気を宿した尊敬すべき人間になっているはずです。
正義を宿した尊敬すべき人間が、自分の欲のために不正を働くことは絶対に無いので、仮に、弟子が不正を働いたとするならば、師匠である弁論家がアレテーを正しく弟子に伝えられていなかったことになります。

アレテーを正しく伝えきれていないのにも関わらず、アレテーを宿した一人前の弁論家として卒業させてしまったのであれば、それは師匠である弁論家に落ち度がありますよね。
にも関わらず、師匠側に全くの落ち度がないという主張は、矛盾しています。
ゴルギアスは、自分の立場を守るための保険として付け加えた余計な一言によって、自身の理論を破綻させてしまい、自分の過ちを受け入れなければ先に進まないような状態になってしまいました。

しかしここで、弟子のポロスが議論に割って入り、これ以降はソクラテスとポロスとの間で対話が行われます。

討論で負けてしまう弁論家

ポロスの主張によると、ゴルギアスは場の雰囲気を読んで、ソクラテスに調子を合わせて気にいるような答えを選んであげたまで、弁論家がアレテーを身に着けているとは、ゴルギアスは本心では思っていないと言い出します。
そして、そんな事もわからないままに、揚げ足を取って矛盾点を挙げて攻め立てるのは、卑怯なやり方だと非難しだします。
しかし、この理屈も少しおかしいような気がします。

というのも、ゴルギアスの職業は何なんでしょうか。 弁論家ですよね。 しかも、ただの弁論家ではなく、様々なところから弟子入りを志願してくる人が集まってくるほどの、有名な弁論家です。
弁論術とは、ゴルギアス自身が主張しているように、相手を説得する技術です。 その技術が凄いことで有名になり、その弁論術を教えることを生業としている人間がゴルギアスです。
なら、ソクラテスとの対話の際にも、その弁論術を使ってソクラテスを説得すればよいだけなのに、その対話の中で空気を読んで答えた事が矛盾していて、揚げ足と取られるというのは、弁論家としてどうなんだという気がしないでしょうか。

先ほどから何度も言ってますけれども、弁論家は、話術によって自分の意見が素晴らしいような演出をして、相手を説得する技術です。
その技術に長けたものが、素人相手の対話で口車に乗ってしまって墓穴を掘るというのは、色んな意味で駄目ですよね。
その上で、相手のやり方が卑怯だと罵る行為は、むしろ、自分の師匠の立場を惨めにしているような気持ちにすらなってきます。

例えば、最近話題のeスポーツの教義でストリートファイターVというのがありますが、このストVのプロで、世界で活躍しているプロゲーマーが、素人のガチャプレイ相手に負けてしまったら、どんな言い訳も虚しくなりますよね。
この上、『何の戦略性もなく、ただレバーをガチャガチャされると、動きが読めないから負けるよね。』なんて言い訳をしてしまえば、惨めどころじゃなくなりますよね。
恥の上塗りも良いところなんですが、唯一の救いは、ゴルギアス自身が言い訳をしたわけではなく、ゴルギアスよりも遥かに劣る弟子のポロスが、強引に対話に割り込んで主張したという点でしょうね。

自分が尊敬している師匠が、素人相手に負けるかもしれないというのが許せなくなって、感情に任せて乱入してきたと思えば、ポロスの行動も理解できなくはありません。
という事でポロスが乱入し、ソクラテス 対 ポロスの対話が始まるのですが、この続きは次回に話していこうと思います。
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