だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第39回 神話の時代 (2) 後編

広告

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

厳しい環境が 神話を身近にする

その他にも、大昔というのは現代に比べて、大自然というものが脅威でした。
大自然のちょっとした変化によって人は簡単に死にますし、生きていく事そのものが大変な状態でした。
この様に追い詰められた環境では、人は簡単に幻覚や幻聴を体験してしまいますから、苦しい環境下で、神や悪魔といった人間以外のものを目撃するといった事もあったんでしょう。
幻覚などの症状は、満たされている状態では起こりにくく、追い詰められた極限状態で見やすいため、何らかの危機的状況と幻覚として見える何らかのモノに相関関係を見出して、宗教を作るというケースも有ったんでしょう。

この様な感じで、元々は、大自然というカオスの中から、パターン認識によって法則性を見出す事で、人類は生存率をあげようと頑張ってきたわけですが、その過程で、様々なものが生まれて発展していくことになります。
当時は、今のようにネットで繋がっているわけではない為、それぞれの地域に住む部族は環境的に隔離された状態に有ったわけで、その閉鎖された社会の中で、独自に作られた科学的思考や神話、宗教が発展していったんでしょうね。

パターン認識によって生まれたものが組み合わさり文化が生まれる

文化の成長スピードも人の考え方も、今のような早いスピードではなかったでしょうから、長い年月をかけて作られることになる為、様々な法則が複合的に合わさることで、各部族の文化が生まれていったんでしょう。
例えば、最初は星を観察してパターンを解析するという科学的な手法によって、1年の気候変動のリズムを解析する事で、農作物を育てる為に必要な作業の指示を行えるようになるという所から、文化が始まったとします。
ただ、星の配置を見て法則を見出すというのは、万人が行える事ではありませんし、知識というのは、それそのものが武器になったり部族を統治する道具にもなったりするので、一般人に広く伝えられる事はなかったでしょう。

知識を持たない一般人からすれば、占星術師は未来を予知できる能力者に思えてしまいますから、無知な人々は、天候以外のその他の予言も占星術師に求めるといったことも有ったでしょう。
追い詰められた占星術師が、ある日、幻覚をみて、その幻覚を元に予言を行うと、科学から発生したその文化は、シャーマニズムへと変化していくでしょう。
そして、その予言が見事に的中すれば、その占星術師は神と交信できる人物として部族の中での地位を確立できます。

仮に、その予言がハズレた場合は、神が怒っているとか適当な言い訳を並べれば、当時の人は納得したかもしれませんし、納得しなかったとしても、対案を出せば、時間稼ぎはできます。
どの様な対案を出すのかというと、例えば、生贄とかです。

現代でもそうですが、古代から、何らかのモノを得るためには犠牲を払わなければならないという考え方が受け入れられやすいです。
現代で言うなら、自己責任論がそれに当たりますよね。
成功者は、自分が若い頃、他人が遊んでいる間に自分は苦しみぬいたんだから、成功して当然だと言いますし、逆に、今現在苦しんでいる人を指さして、『努力してこなかったんだから仕方がない』と言い放ちますよね。

苦労と成功というパターン認識

努力したから報われる。 苦痛を受け入れたんだから、それ相応の見返りが有って当然と考える思考の根本的な部分は、古代の生贄の風習と同じです。
苦痛を受け入れたんだから報われるのであれば、言い換えれば、受け入れがたい苦痛を先に体験することで、後の安定を得られるという事になります。
食料が得られなくて死にそうな時に、残りの僅かな食料を、神への供物として食べずに燃やしてしまう事は苦痛です。しかし、その苦痛を実感することで、後にそれ以上のリターンが得られるという考え方もできます。

小動物や農作物を燃やしても効果がなかった場合は、最後の手段になります。
大自然の中で生き抜きたいと思っている人間にとって、最大の苦痛とは、死ぬ事ですよね。 数日の間、食いつなぐ事が出来る食料を燃やしたのも、そうする事で生き残る可能性が増えると考えての行動です。
そんな人間が死を受け入れるという事は、最大の苦痛となります。

なら、誰かを生贄にすることで、最大の苦痛を押し付けてしまえば、事態が好転して、生贄以外の人間が生き残れるとも考えられますよね。
仮に、この決断を実行して、思惑通り、事態が好転なんてしてしまったら、パターン認識によって『効果がある』と思われてしまうわけですから、文化の一つとして組み込まれて行くことになります。
この様な感じで、カオスの中から手探りの状態で法則を見つけ出そうとする行為は、様々な思想や習慣を生み出していく事になり、多くの神話が作られていくことになります。

文化は より 複雑化していく

一度作られた物語は、時間が経つに連れて、そして、文化を作ってきた人間の代替わりが起こったり解釈する人が増えていく事で、儀式や教義といったものはより複雑に変化して壮大になっていきます。
これは、なんでもそうですよね。
現代でいうと、最初はショートストーリーで始まった物語が、爆発的に人気が出て、ファンそれぞれが考察や深読みした結果を発表していくといった感じで盛り上がる。そして、その作品のファンだった人が監督になり…
ファンが肥大化させたイメージを踏まえて、映画化するとかですね。
こういった事が世代をまたいで繰り返されていくことによって、物語はより壮大になり、儀式はより複雑化して、一つの文化が生まれていきます。

つまり、神話の時代というのは、科学や神話・宗教といった区別は特に無く、パターン認識によって見出された法則が、世代を超えて伝えられていったという点では、むしろ同じ様なものとして捉えられていたんだと思います。
ただ、物語が発展するのと同じ様に、科学的な視点も時代を超えて発展していきます。
元々、パターン認識という同じところから出発した文化は、長い年月をかけて成長していき、全く別のものへと進化していく事になります。

派生する思想と文化

これは、生物の進化と似たような感じになるんでしょうかね。
生物も元々は、単細胞生物として最低限の機能しか持たずに生まれたものが、長い年月をかけて環境に適応した結果、複雑な機能を持つようになって、無数の種族に枝分かれしていきましたよね。
一本の大木のシルエットのように、元々は同じものだったものが枝分かれしていくことで、それぞれの枝の末端部分のものは、独自のアイデンティティを確立するようになります。

それと同じ様に、元々、パターン認識によって法則を見つけ出すという行為も、長い年月を書けることで、それぞれの考え方は全く別々のものへと進化していって、次第に、思想そのものがアイデンティティを確立していって、個性を強めていくことになります。
次回以降では、全く違った考え方になっていった思想のその後を、追っていこうと思います。