だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【ネタバレ感想・考察】『哭声 ~コクソン』 疑う事そのものは悪い事ではないんだろう…

広告

少し前のことですが、全国的には分かりませんが、私の近辺で『コクソン』という映画が話題になりました。
少し気になっていた所、Amazonプライムで配信されていたので観てみました。 という事で今回は、コクソンのネタバレ感想&考察を書いていきます。

簡単なあらすじ

冒頭部分。 キリスト教の聖書の引用から始まり、その後、舞台は韓国の農村に移ります。

主人公は、山奥の村の警察官。その主人公が住む小さな村で、家族をめった刺しにして放火するという悲惨な事件が起こります。それも、1件ではなく、間をおいて複数件。
家族が家族を殺して自分の家を放火するという事件は、小さな田舎町であっという間に広がり、様々な噂が囁かれだします。
しかし、噂は噂。 警察は科学的な調査をし、事件の原因は幻覚キノコによって引き起こされたという結論が出ました。

当初は、この検証結果を信じていた主人公の警察官ですが、その主人公に向かって同僚が『本当に、幻覚キノコが原因だと思ってるんですか?』といった疑惑を投げかけます。
それと同時に、最近、近所に引っ越してきた日本人が怪しいという噂をします。
最初はその話を鼻で笑っていた主人公ですが、事件の一部始終を観ていたという白い服を来た女の話を聞いていくうちに、次第にその噂を信じるようになってゆく。

その内、警察とは別に独自で調査する主人公ですが、それと時期を同じくして、主人公の娘が具合を悪くし、皮膚病にかかってしまう。
最初は、ただの病気だと思っていた主人公だが、事件を調査してくうちに、被害家族には共通して、皮膚病患者がいることが分かってくる。

自分の娘が危険な目にあっているという事で、真相を確かめようと、悪い噂になっている日本人に会いに行くと、そこで、何らかの呪術に使う祭壇と、娘の靴を発見する。
犯行を自身で目にしたわけでも、手口の解明や証拠が出てきたわけではないのに、その瞬間に、日本人を犯人だと確信する主人公。
その後、娘の様態が良くならない事など、良くないことが立て続けに起こった為、家族が祈祷師を呼び、お祓いしてもらう。

それでも改善しないため、今度は祈祷師に頼んで日本人を呪い殺してもらうことにするが、その儀式の最中に娘の様態が更に悪化した為、儀式を中止させて、今度は自身の手で日本人を葬ろうとする。
仲間を集め、日本人を襲撃に行く主人公たち。 なんとか日本人を追い詰めるも、あと一歩のところで逃してしまうが、襲撃の帰り道によそ見をしている最中に人を轢き殺してしまい、轢いた人間を確認しに行くと、追っていた日本人だったことが分かる。
周りに誰もいないことを確認し、死体を崖の下に落として証拠を隠して帰路につくと、祈祷師から電話がかかってきて、日本人は自分と同じ祈祷師で、悪魔を退治しようとしていた。本当の悪魔は、白い女の姿をしていると告げられる。

家に帰ろうとする途中で、悪魔と言われた白い服を着た女と出会い、問い詰めると、白い服を着た女の方は、日本人が悪魔で、祈祷師はそいつの仲間だと訴える。
どちらを信じて良いのか分からなくなる主人公だが、女の事を信じきれなかった男は、女を無視して家に帰り、悲惨な最後を迎える…

考察

何が何だか分からない作品なのですが、それでも観れてしまうというのは、所々にメッセージは散りばめられているからでしょう。
という事で、この散りばめられたメッセージを独自に読み解いていこうと思います。

先程、わけのわからない作品と書きましたが、この映画を観ると、何かの物語に非常に似ている事が解ります。
それは、キリスト教の聖書。『ヨブ記』です。

ヨブ記の話を簡単に説明すると、ヨブという、富にも子供にも恵まれた人物がいて、この人物は、非常に強い神に対する信仰心を持っていました。
神はヨブの信仰心に満足し、サタンを呼び寄せて自慢しますが、サタンはその信仰心に疑念を持ちます。 サタンは、『ヨブが神に対して信仰心を抱いているのは、恵まれているから。 また、信仰心を抱くことで、何らかの見返りを期待しているからだ』と主張します。
その主張を聴いた神は、『ヨブは、例え満たされていなくとも、信仰心を途切れさせることはないし、何の見返りも求めていない。 何なら、試してみると良い。』と、神は、ヨブから命以外の全てを奪うことを許可します。

サタンはヨブの全財産を奪い子供を殺しますが、神の言う通り、ヨブは信仰心を絶やしません。
サタンは、『ヨブから奪い取るという行為をしても、信仰心を絶やすことはない。』と悟り、ヨブの体に呪いをかけて、酷い皮膚病にします。
神の指示によってサタンから全てを奪われ、自身もボロボロになりながらも、ヨブは信仰心を絶やすこと無く神を信仰し続け、その姿をみたサタンは神の主張に納得します。

サタンの屈服に神は大いに満足し、ヨブにサタンが奪い取った以上の財産を与え、失った子どもたちと同じ数の新たな子供を授けたという話です。

この映画には、疑惑の日本人に接触した人間は、酷い皮膚病に感染して苦しむことになりますし、祈祷師は呪いを解くという名目で、多額の金を奪い取ります。
白い服を着た女は、それらの事を全て知った上で、その行為に介入しようとは思いません。
最後の最後で、主人公が『私がなにか悪いことをしたのか!』といった言葉に対して、『疑って、罪を犯した。』と答え、家に帰ろうとする主人公に対して、『私を信じて、ここに留まれ』と試すだけです。

結果、主人公は白い服を着た女を信じ切ることが出来ずに、最悪の最後を迎えてしまうのですが、これは、信仰心を保てなかったヨブの成れの果てを描いているのでしょう。

これを読まれた方は、『キリスト教の神様って、酷いな』という感想を持たれる方も多いかもしれませんが、この『ヨブ記』のエピソードで聖書が何を伝えたいのかというと、人間は、極限状態で本性が現れる。その本性が『善』でなければならない。という事でしょう。
この映画の主人公は、日本人がすべての元凶という『噂』を聴いただけで、確認したわけでも証拠が有るわけでもないのに、その日本人を殺すという罪を犯します。
主人公は、何もかもが満たされている時は、スキあらば仕事をサボろうとするだけの、その辺りにいる普通の人ですが、極限状態に陥った時に、主人公自身が持つクズ性が露わになったわけです。

『主人公は、キリスト教徒じゃないでしょ。』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、元々、キリスト教の神という概念は、古代ギリシャ時代の哲学者、ソクラテスが訴えた絶対主義が派生して生まれたものです。
絶対主義とは、絶対的な『善』や『勇気』『美』『徳』といったものが有るという考えを元に、それらを研究するという考え方ですが、一神教の神という概念は、この『絶対的な概念』をイメージ化したものです。
神を信じないという人も、善や悪なんて存在も等しく無いなんて人は、少ないでしょう。 絶対的な善とは何なのか、勇気とは? それらの究極の形を統合したイメージが、『神』問いても良いのかもしれません。

絶対主義や相対主義なんて言葉に馴染みがない人でも、神といった存在をイメージする時、無意識的に絶対的な『善』や『美』というものをイメージしてしまいます。 それを、物語に落とし込んで、物語を通して様々な警告を行っているのが、聖書でしょう。

聖書に出てくる物語のように、絶対的な善を貫ける人間ばかりであれば、例えば、国同士が宣戦布告をして戦争になった場合、戦争は成り立ちません。
しかし、世の中の人間というのは、戦争を言い訳にして人殺し、身内を殺された事を言い訳にして仕返しする事が、『普通』とされています。

そういった『普通の人間』が世の中に溢れかえっている現状では、何かのキッカケが有るだけで、この世は簡単に地獄に変わってしまいます。
そういった事に対する戒め的な意味を込めたエピソードが、ヨブ記で、その影響を受けていると思われる『コクソン』も、そういったメッセージが込められているのかもしれませんね。

感想

この映画ですが、ジャンル的には、ミステリーとホラーを合体させたような話といえば良いのでしょうか…
舞台となっている村や主人公たちに対して害をなしている人物が、誰かというのが最後の最後まで全く分かりません。
最終的には、怪しい人物は『白い服を着た女』『日本人』『祈祷師』の3人に絞られるのですが、誰場嘘を付いているのかが、全く分かりません。

また、この話自体が、現実の話なのか夢の話なのか、何処から現実で何処から夢なのかが分からない様な作りになっています。
最初の部分で、主人公が同僚から初めて『怪しい日本人がいる』という話を聞いたときも、その話口調が怪談を話す様な感じになっており、その直後に、窓の外に裸の女がずぶ濡れで立っていて驚くというシーンが入った後に、主人公が悪夢から冷めた感じで自宅で目覚めるというシーンが挟まる。
この、『悪夢から目覚める演出』というのが2回ぐらい挟まり、どの部分が夢で、どの部分が現実なのかが全くわからない作りになっていて、かなり不思議な体験をさせられました。
もしかしたら、全編、夢の話なのかもしれないとも思ってしまったり。

そして、終盤。 疑惑の3人が出揃い、主人公に対し、それぞれ独自の主張をしだすのですが…
これが、誰が本当のことをいっているのか… というか、本当の事を話している人間が存在するのかも、誰が悪者なのかというのが全く分からない。

わからないもの尽くめなのに、何故か魅入ってしまう、不思議な作品でした。