だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第37回 ヒッピーからの遺産 (後編)

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回はこちら
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すべてを飲み込む資本主義

この様に、主張が広がっていく過程で変わっていく理由は、先程も言ったように、主張を聞く側が聴きたいように聴いて捉えているからなんですが、その他の大きな原因があるとすれば、資本主義です。
資本主義は、欲望を原動力にして動くシステムなので、人が持つ欲望によって主張が捻じ曲げられると言い換えても良いかも知れません。

今回のヒッピーの例でいうと、この運動の根本的な部分では、お金や欲望というものとはそもそもが無縁です。
ですが、カウンターカルチャーとして有名になると、それが消費社会に取り込まれていく事になってしまいます。例えば、ヒッピーらしい服装が簡単に出来るようなアパレルショップが生まれたり、服飾ブランドが生まれるなんて言うのは分かりやすいですよね。
その他にも、LSDを入り口として様々なドラッグの販売網が構築されたり、ヘイト・アシュベリー地区そのものが観光地として栄えたりといった事などですね。

資本主義や、それにまつわるお金についての話は、ヒッピーでも中心的な役割を果たしたグレイトフル・デッドの例を見てみると分かりやすいかも知れません。
グレイトフル・デッドは、ケン・キージーが行っていたアシッドテストという集会でBGMを流すように依頼を受けて、そこから徐々に人気が出てきたバンドで、後にヒッピー・ムーブメントで中心的な役割を持つようになるのですが…
彼らが本来やりたかった事というのは、自分たちが好きな音楽を自分たちのペースで奏でる。そして、その音楽に興味を持つ人達が、それを聴いて楽しむという、たったこれだけのシンプルなことだったんです。

ですが、資本主義の世の中で活動していく為には、どうしても、資金が必要になってきます。
人気が出れば出るほど、彼らの曲を聞きたいという人間は増えていくわけで、その人達全員にライブを体験させようと思うと、ツアーを行わなければなりません。
ツアーを行うためには、設営のスタッフなども雇わなければなりませんし、そのスタッフに支払う給料も必要となってきます。

その金を稼ぐためには、レコード会社に所属しなければなりませんし、所属してしまうと、一部の自由は制限されてしまうことになってしまいます。
メジャーデビューして多くの人達が音楽を耳にするようになると、演奏している彼らに対して幻想を抱く人間も多数出てくる為、グレイトフル・デッドは、ファンが思い描く理想のグレイトフル・デッドを演じる必要が出てきます。
こうなってくると、本来やりたかった、自分たちの好きな音楽を自分たちのペースで奏でて、聴きたい人だけがそれを聴くという理想からはかけ離れていく事になってしまいます。

結局、彼らは、期待通りのグレイトフル・デッドを演じることに疲れてしまって、活動を辞めてしまうことになります。
ムーブメントというのは、盛り上がってブームになってしまうと、それを利用して一儲けしようという欲望にまみれた人まで引きつけてしまい、彼らの食い物になってしまい、結果として、いちばん大切な部分も変えられてしまうんです。

では、このようなことが原因で、ヒッピームーブメントというのは単なる一過性のブームとして消費されて、無意味なものとなってしまったのでしょうか。

サイバー空間に移住するヒッピー

答えからいうと、そんな事もなかったりします。
ヒッピー・ムーブメントが終焉し、ディガーズが葬儀を挙げた1970年以降、黎明期のヒッピー・ムーブメントに携わった人間は、当時、世に出始めた、コンピューターの世界にのめり込みます。サイバースペースに最後のフロンティアを求めたんですね。

今回、メインで取り扱ったティモシー・リアリーはもちろんですが、彼に影響を受けてLSDの製造を手がけたオーズリーや、ティム・スカリーや、その他の多くの人間が、それぞれの目的を持って、コンピューターに可能性を見出して、その世界に飛び込みます。
この中には、学生時代をヒッピーとして過ごした、スティーブ・ジョブズもいます。彼が、コンピューターを一般人の手にも届くように作り変え、ヒッピーの聖地として盛り上がった西海岸にはシリコンバレーが誕生します。
そして、彼らは、ヒッピー達が理想として掲げていた境界線の無い世界に限りなく近いものを、web技術をつかってサーバー空間に作ることになります。

ネットの世界は、自分から名乗らない限り、書き込んでいる人間が男か女かも分かりませんし、どこの国籍の人間なのかも簡単には分かりませんし、当然ですが、肌の色も分かりません。
ネットに書き込まれた意見は、何のフィルターにも通されない、ただの純粋なコメントで、同調や反論は、純粋にそのコメントに対して行われます。
また、web上で展開される数多くのサービスは、無料で開放されるものも多く、金持ちだからといって、グーグル検索が使いやすくなるわけでもありませんよね。

また、SNSが発達して自分の意見が簡単に発信できるようになってからは、LGBT問題やパワハラ、セクハラなど、多くの人達が今までスルーしていた問題なども、大きな問題として取り上げられるようになりました。
このハラスメント問題は、どこからがハラスメントなのかと言った議論もありますが、根本的な考え方としてあるのが、『相手の嫌がることはしない』ということですよね。
相手がどう思っているのかを想像するというのは、相手を自分自身と同様に考えるということで、共感性を高めていこうという問題です。

境界のない世界 中央集権から分散型社会へ

共感性を高めて、自分と他人とを同一視して考え、互いに不快な思いをしないようにすることで、世界を正しい方向に持っていこうという思想は、ヒッピーの根本思想と同じですよね。
その他にも、仮想通貨や暗号通貨と言ったものも登場しましたよね。
通貨というのは、今までは中央銀行の政策に基づいて、流通量などが決められていた、中央集権的なものでしたが、それとは違った分散型のシステムが生み出したのが、仮想通貨ですよね。

これらを見ても分かる通り、一度は消費社会に取り込まれて死んだはずのヒッピーの思想ですが、根本的な考え方というのは、形を変えた状態で今も残っていたりするんですよ。

理想社会と資本主義のイタチごっこ

とはいっても当然のことですが、今のネット社会もヒッピーの時と同様に、徐々に資本主義に侵食されていっています。
ブームが起こると、それを食い物にして儲けようと思うのは、資本家にとっては持って生まれた性のようなものでしょうから、この流れが止まることもないでしょうし、新たなブームが起これば、それも食い物にされていくのでしょう。

先程、例を挙げたgoogle検索の例でいうと、使うのは誰でも無料で行うことが出来ますが、資本主義の原動力となる欲望によって、そのサービスはドンドン使いにくい状態になっていってますよね。
検索上位に登ることが、アクセス数の増加にそのまま直結しますし、アクセス数が増えれば増える程、モノやサービス、アフェリエイトなどの広告収入の売上にも影響してきます。
その結果、人々は『どうやったら検索上位に上がれるのか』といったパターンを研究することに注力するようになっていって、本来しなければならないはずのコンテンツの質は『おざなり』になってしまっています。

結果として検索上位には、情報元が全く同じの『まとめサイト』の様なものしか上がってこない状況になってしまって、
今までは分からないことがあったら自分でgoogleで検索しようという風潮だったのが、今では検索してもロクな記事が上がってこないので、分からない事は知っている人に聞いたり本を読む方が良くなっていたりします。
ただ、この様に、資本主義によって形が変えられて、それが新たなメインカルチャーになったとしても、そのメインカルチャーに対して異論を唱える人というのが登場してきて、価値観というのは徐々に変化していくのでしょう。

カウンターカルチャーというのは、その性質上、メインカルチャーが無いと成り立たないものですからね。

という事で、長く続いてきたヒッピー回ですが、今回で終了とさせていただきます。
たった10年の間に、元の主張がドンドン変化していく様子が分かっていただけたのではないでしょうか。
10年間で全く違ったものにまで変化するわけですから、言い出しっぺの人が亡くなって数百年も経った主張が180度変わってたとしても、不思議な事ではありませんよね。

次回からですが、もう一度古代ギリシャに戻って、勉強し直していこうと思います。
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