だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第33回 【ヒッピー】ティモシー・リアリー(9) ~オレンジ・サンシャイン

広告

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com


前回の放送では、ヘイト・アシュベリー地区で活動するサンフランシスコ・オラクル誌が開催した音楽フェス、ヒューマン・ビーイン後に、ヒッピームーブメントに関わる人達の関係がどの様になっていったかについて、簡単に説明していきました。
ヒッピーというのは、もともと様々な思想を持った人達がLSDという幻覚剤によって、つながりを持っていただけだったのですが、そのバラバラの思想を一つにまとめあげようとして、音楽フェスが行われたわけですが…
結果としては、自分達に確固たる主張がある人達の間では、意思の疎通が行われることはなく、
その一方で、社会に対して漠然と不満を持ってはいるけれども、自分の主張がない人たちは新左翼の思想に触れ、何となく漠然とした思想の元にまとまることになります。

そしてこの流れがキッカケとなって、反政府的な政治活動がブームになったんですね。これは、アメリカに限ったことではなく、日本でもそうですよね。
日本でも、反政府的な学生運動がブーム化しましたし、政治的な主張を持たない人達は、主張を持つ人達からノンポリなんて呼ばれてましたよね。
自分達の置かれている立場に対して、漠然とした不満を持っている、そして、その原因を作っているのは政府側に原因が有るという考え方によって、反政府的な考え方が一部で流行し始めたんです。

このあたりから、ヒッピームーブメントが、徐々におかしな方向に動き出してしまいます。
ヒッピームーブメントは、元々の出発点としては、皆が当然と思い込まされていた前提をぶち壊そうという活動を、文化面から行う事がメインの活動でしたよね。
前進となったビート・ジェネレーションは、ポエムを通して高度管理社会に対して抵抗していましたし、ヒッピー達は、LSDが見せる幻覚によって、現実を前提とした価値観に異議を唱えてきました。

そして、その活動から、サイケデリック文化が生まれました。 芸術が生まれ、音楽が生まれ、ファッションが生まれ、新たなライフスタイルが提唱されました。
過去から継続している価値観に縛られて、頭を押さえつけられてきた若者たちは、そのサイケデリックカルチャーに可能性を見出して、一部の意識が高い若者たちがヒッピーコミューンに流れていったわけです。
繰り返すようですが、元々の活動としては、今までにない考え方や新たな文化を提唱する、または実践する事で、人々の考え方やライフスタイルそのものに変化を与えようという趣旨で始まった事なのですが、
ヒューマン・ビーイン以降、ヒッピー達の質が変わってくるんです。

これは、流入してくる人達の質が変わってきたからというのが、大きな理由なんだと思います。
ヒューマン・ビーインそのものが、マスコミを利用して多くの人に存在を知らしめて、メンバーを増やすという目的が有った為、幅広い層に訴えた結果、志を持たないような人まで呼び寄せてしまう事になったんです。
これは、私の偏見も入っていますけれども、主張を持たずに、何となく集まる人達というのは、自分自身で考えたり調べたりといった事はあまりせずに、都合の良い意見を鵜呑みにしたりしがちです。

そんな人達の前に、『今、自分達が社会的弱者に追い込まれて打ちひしがれているのは、自分達が悪いのではなく、システムを牛耳っている奴らが悪いからだ!』って感じの意見いう人が現れると、つい、その流れに乗ってしまったりしがちじゃないですか。
その他には、単純にヒッピー思想を誤解する人達ですよね。 ヒッピーの生活が、単純に働かなくて良いとか、ドラッグをやって自由に行動すれば良いといった感じで、働かずに楽が出来ると思い込んで集まってきた人達も、一定数いました。
そういう人達がコミュニティーの中に大量に流入してくる事によって、コミュニティーの質そのものが下がっていって、それに引きずれる様な形で、今まであったコミューンの方向性も、変わってきます。

この影響は大きく、ティモシー・リアリーの周辺にも影響を及ぼし始めます。例えば、永遠の愛・兄弟団と、リアリーのパトロンであるヒッチコックもそうです。
では、どの様に変化していったのかというのを、当時の流れを少し詳しく追ってみていきましょう。

この永遠の愛・兄弟団は、ティモシー・リアリーの主張に共感し、西海岸で活動をしていたカルト集団で、東海岸を追われたティモシー・リアリーに対して、西海岸で生活が出来るように援助したという話を以前にしたと思います。
このカルト集団は、教祖がLSDによって人生を大きく変えられたということで、LSDを信仰して、オーズリーという人物からLSDを仕入れて市場に流すという活動を行って、団体の維持活動費を捻出したいたのですが…
前にも話した通り、オーズリーは67年に逮捕されてしまいます。

この後を継ぐ形で、ティム・スカリーという人物が手を上げて、LSDの研究と製造を引き受けようとするのですが… スカリーはまだ若いため、研究設備も費用もないんですよ。
そこで、資産家であるヒッチコックに出資を求めるのですが、その際に、スカリーは一人の人物と引き合わされることになります。その人物が、ニコラス・サンドです。
2人は協力する形で、純度の高いLSDである『オレンジサンシャイン』を生み出すのですが、ここで、意見が別れます。

というのも、ティム・スカリーは、LSDによる神秘体験によって獲得できる悟りの境地と言うものを心の底から信じていて、世界中の人間がLSDを服用して悟りを開く事で、本当の平和というものが訪れると信じている様な、純粋な人間だったんです。
スタンスとしてはリアリーと同じで、純粋に世の中を良い方向に改革したいと思っていましたし、LSDがその有効な手段であるなら、それを積極的に使っていこうという考えの持ち主ですね。
その為、スカリーは、自分たちが製造したLSDは、欲しいと思う人であれば無料で配布すべきだし、それだけではなく、積極的に広めていくべきだと考えていました。

その一方でニコラス・サンドは、自身が研究して製造したLSDをモーターサイクルギャングと呼ばれているヘルズ・エンジェルズに販売委託する様な人物でした。
サンドにとってはLSDはもっと現実的なもので、簡単に言えば金儲けの道具だったんでしょうね。

とはいってもサンドは、心理学や東洋思想と言うものに理解を示し、自身もそれに没頭した経験があり、LSDの神秘体験が起こす奇跡を全く信じていなかったわけではありませんでした。
というのもサンドは、リアリーがまだ東海岸のミルブルックで研究をしている時代に、ヒッチコックに誘われて、リアリーに会い、共に研究を行っていた人物だったからです。
その為、LSDによって得られる神秘体験は理解していましたし、それが人間にとって重要な事だという理解はしていたんでしょう。

ただ、スカリーのように少年のような気持ちを持つ純粋な人間ではなく、もう少し大人だったという事なんでしょう。
その為、LSDを無料配布するというスカリーの提案に対しては、『人間は、無料で貰ったものに対しては敬意を払わない』というもっともらしい理由をつけてあっさり却下しました。
これは、サンドだけの意見ではなく、投資家であるであるヒッチコックも同じだったようです。 スカリーに研究費という名目で資金提供をしましたが、その目的は世界の改革ではなく、LSDの売却益というリターンを求めてだったからでしょう。

この辺りの出来事なんですが、サンシャイン・メイカーズというタイトルで映画化されています。
実際のスカリーとサンド本人が出演し、当時の古い映像なども交えながらインタビューに答えるという映画で、当時、何を考えて行動をしていたのかといった事を話していたりもするので、興味の有る方は見てみてください。
Netflixも見れたと思います。

ここで、スカリーと後の二人の意見は割れるわけですが、研究費がなくて独立することが出来ないスカリーには選択の余地はなかったのか、スカリーとサンドは共同で生産体制を確立し、オレンジサンシャインの大量生産と安定供給を行います。
安定供給されたLSDは兄弟団が流通させ、この薬物は瞬く間に世界へ広がります。 そして、この薬物は、ヒッピー思想に没頭している若者たちだけでなく、単純に現実逃避したい層にまで広まっていくことになります。
その現実逃避したい層というのが、ベトナム戦争に駆り出された軍人たちです。 彼らは、直接恨みもない現地の人間を殺しに行かなければなりません。そしてその内、自分の仲間が相手に殺される。
そして、自分も殺されるかもしれないという恐怖と、仲間を殺されたという恨みから、殺し合いにのめり込んでいく。 これも、一時的な衝動で殺し合うのではなく、その状態で長期間過ごさないといけない。

こんな状態では、正気を保つ事そのものが難しいですし、正気を維持し続ける事で壊れてしまうという事もあるでしょう。 文字通り、現実逃避する事で、兵士たちは地獄のような毎日をやり過ごしていたようです。
これは、漫画のバナナフィッシュの冒頭を読むと分かりやすいかもしれませんね。
ただ、兵士というのは戦場に行ったっきりではなく、戻ってきます。 映画、ランボーの主人公もそうですよね。 ベトナムからの帰還兵は、戦場で覚えてしまったドラッグを、帰国したからといって忘れられるのかといえば、そうではありません。

アメリカに帰還してからも、ドラッグを使った時の高揚感などが忘れられない人間は少なくなく、帰還兵の何割かはその後もドラッグを買い続けます。
スカリーやサンド達によってドラッグの生産体制が完成し、永遠の愛兄弟団によって流通網が確立する。そこに、ビーインで膨れ上がったヒッピーやベトナム帰還兵といった大量の顧客が流れ込むことで、
ドラッグは一つの産業になり、巨大なビジネスへと変わっていきます。
これらの流れを簡単に言うなら、目指すべき理想として始まった運動を、徐々に資本主義が蝕み始めたと言った感じなんでしょうかね。 
精神の開示であったり、今までの認識を根本的に変えることで、世界の感じ方を変えるという理想を現実が侵食し始めていったんでしょう。
政府や警察は、これらの動きに対して兄弟団を、構成員750人からなるドラッグで稼ぐヒッピーマフィアとして、警戒しだす事になります。

ちなみにですが、この、警察や政府の動きなんですけれども、単純にドラッグが蔓延するのを防ぐ為とか、そういった純粋な正義から行動したのではないようにも思えます。
というのも、この1967年という年は、反政府運動がかなり活発になってきている時代なんですね。 この様な動きが、より活発化しないためにも規制したかったというのが、一番大きな理由だったんでしょう。

活発化する反政府運動について、もう少し詳しく説明していきますと、この当時は、ビーインによって集まった不満を持つ若者たちが新左翼達と結びついて、その中間的な存在が生まれています。

つまり、新左翼のように、改革を早めるためであれば暴力も辞さないと言った過激思想と、ヒッピー達が唱えているラブ・アンド・ピースという平和思想を合わせたような人達で、デモ活動のような運動を積極的に行う人達ですね。
イッピーとも呼ばれる人達なんですが、政治的で反体制的な活動をするけれども、暴力沙汰は起こしたくないという人達が台頭してくるんです。
ヒッピーとの大きな違いというのは、ヒッピーが意識拡張によって、人間の内面的な改革を行うことで、自分自身の世界に対する味方を変えようとしたのに対して、イッピーは、自分たちの内面ではなく、
外側を取り囲む世界を、意識改革によって改革しようと考える人達です。
そして、その手段として、政治的で反体制的な活動というのを、目立つ形で行うことで、民衆の注目を浴びるというというのを目的として活動していました。

ヒューマンビーインの活動がそうであったように、目立つ行動を行って、民衆の目を引く事によって、政治的なメッセージをより多くの人間に伝えたり、自分たちを支持するサポーターであったり、
一緒に活動してくれる同士を増やしていくという戦略を積極的に取っていく団体ということです。
真面目に主張を行うだけではなく、時には羽目を外して突拍子もない事を行ったり、馬鹿馬鹿しいことや悪ふざけを行うことで、メディアの注目を得ようとする。
そして、メディアが半ばおちょくる形でテレビなどを通して紹介する事によって、存在を知らしめて、活動に参加する人達を増やして、活動を大きくしていくという事を狙っていくって感じですね。

ここで、バカげたことや悪ふざけをして、支持者や同士が集まるのかと疑問を持つ人もいらっしゃると思いますが、この件に関しては、今の私達の生活を注意深く観てもらえば理解できると思いますが…集まるんです。
今の状態の例を上げてみると、例えば、馬鹿な行動を取るyoutuberは、バカにされているだけなのかというと、そうでもないですよね。 馬鹿な行動を取って一時的にでも有名になれば、フォロワーを増やすことが出来ます。
そしてフォロワーの一部はファンになり、SNSなどを通して積極的に拡散していきます。この構造では、フォロワーが増えれば増えるほど、影響力も増せることになります。

炎上芸と呼ばれているものも、これに当たりますよね。 一見すると暴論のようにしか見えないタイトルを付けた本を出版したりだとか、Twitterでつぶやくなどの行動をを行って、人の注目を集めて、表面的にしか理解していない人達から、あえて批判を受ける。
これによって有名になって拡散していくと、物事を表面的にしか読み取れない人達に対して、読解力が人並みにある人達や、信者と呼ばれる発信者に強く共感している人達が、発信者の気持ちを代弁する形で、文章の本質部分に焦点を当てて反論をしだします。
こうなることで、信者とアンチと呼ばれる批判しかしない人達の間で論争が起こり、問題が大きくなっていき、今までは、その問題や発信者に興味がなく、知らなかった人達まで、問題や発信した人に対して興味をもつようになる。

これが本の場合であれば、直接、売上につながるでしょうし、Twitterの場合だと、フォロワー数を稼ぐことが出来、次に問題発言をした際に炎上させやすくなります。
そして、一定数のフォロワーを稼ぐことに成功すれば、インフルエンサーとして有名になり、仕事にも直結するようになっていきます。
ただ、これはネット環境が有る現在の話であって、ヒッピーが活躍した時代というのは、主なメディアが新聞や雑誌、テレビぐらいしかありません。
その中でも、テレビというのは一番観られることが多く、影響力も高いと考えられるので、行動を取る際に一番優先する事は、テレビ受けする事になったのでしょう。

テレビが発達しだした時期に目立つことを行って、テレビに取材させる事で、自分たちの活動をデフォルメして世間に幅広く伝える事で、世の中に対して漠然と不満を持つ層を集める。
そして、膨れ上がった人員を導入して、更に目立つことを行う事で、ニュースに飢えたマスコミは食いつく。この連鎖によって、反政府運動というのが社会現象化していくんですね。

そして、この67年の10月には、イッピーにとって象徴的な出来事である、ペンタゴンの包囲作戦というのが行われます。
このペンタゴンの包囲作戦というのは、ベトナム戦争に対する反対運動・反戦運動の一つで、アメリカが起こす戦争の象徴的な場所である国防総省ペンタゴンを、反対派の人達が結集し、大人数でペンタゴンその物を手を繋いで取り囲むという作戦です。
取り囲んだ後に、ペンタゴンに向かって1万本の花を上空からばら撒くといった儀式的なもので、主催者のアビー・ホフマンは、この儀式によってペンタゴンを浮上させ、悪い魂を浄化させようとしたそうです

イッピーらしい言い回しですが、暴力の象徴であるペンタゴンを平和の象徴である花に塗り替えようというメッセージを込めた計画だったんでしょうね。

ただ実際には、その動きを事前に察知していた軍関係者によって、花を上空からばら撒く為の飛行機のパイロットを抑えられてしまった為に、この試みは失敗し、その現場に大量の花だけが届けられるという状態になってしまいました。
まぁ、当然といえば当然ですよね。 飛行機でバラ撒かれるのが花ではなく、爆薬などの危険物であれば、ペンタゴンが破壊されてしまう可能性が有ります。 あらゆる危険を排除する為にも阻止するというのは、当然の行動といえます。
ただその結果として、反戦運動としては歴史的に見ても象徴的な出来事が起こってしまう事になります。 有名な、フラワーパワーだとかフラワーチルドレンといった言葉を生み出した、あの出来事です。

ペンタゴン包囲作戦は、ペンタゴンを取り囲むデモ隊に対し、ペンタゴンを護衛する軍人が銃を向けて威嚇し続けるという状態に陥るわけですが、一人のヒッピーが、計画通りバラ撒かれることなく現地に届けられた花束の花を拾い上げ、軍人が構える銃口に差し込みます。
このシーンは、ウォッチメンという映画の冒頭部分でも、象徴的に描かれていますよね。 この瞬間をとらえた写真は、新聞や印刷報道、文学や作曲に与えられる権威としての賞であるピューリッツァー賞に『フラワー・パワー』と名付けられてノミネートされるまでになります。
そして参加者はフラワーチルドレンと呼ばれ、花のイメージと平和が強く結び付けられることになります。

日本のロックでも、やたらと『花』という単語が登場したり、CDジャケットやPVに花を登場させたりもしますよね。 世界の果てに花束をとかね。
ロックといえば、反抗であったりアウトロー的な格好良さなんかを全面に押し出しているイメージがありますが、そのロックミュージックが何故、花というアイテムを使いたがるのかというのが、このエピソードを知ると、理解しやすいと思います。

この出来事が各メディアで取り上げられる事で、イッピー達の思惑通り、反体制運動は多くの人を吸収して加熱していくことになります。
これによって、ヒッピーを取り囲む環境は更に変化していくわけですが、その話はまた、次回にしようと思います。