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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第29回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(5) ~永遠の愛兄弟団

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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ここ最近は定型文のようになっていますけれども、この回から聴き始めた方の為に、一応、言っておきますと
第20回と21回で、ヒッピー・ムーブメントがどの様にして起こったのかという簡単な説明をし、22回と23回で、その運動に大きな影響を与えた幻覚剤、LSDについて、開発の経緯や使われ方について説明しました。
そして、24回からは、このムーブメントの中心的な人物であるティモシー・リアリーに焦点を当てて、より詳しく、この出来事を追っていっています。

その前に、当たり前の事では有るんですけれども、一応注意点として言っておきますと、ヒッピーを取り扱う回では、LSDなどの幻覚剤を始めとした禁止薬物が、頻繁に登場することになります。
それも、ネガティブな取り扱い方だけではなく、人間の可能性を伸ばすといった感じの取り上げ方をしますが、あくまでも、当時、そのように捉えられて研究されていたという解説をしているだけで
現在、使用することを推奨しているわけではありません。 現在は禁止薬物になっているものが大半なので、使用は行わないようにしてください。
法律で禁止されているだけではなく、中毒になって抜け出せなくなったり、最悪の場合は死ぬケースも有りますのでね。

という事で、本題に入る前に、前回の簡単な振り返りから始めていきます。
前回は、ティモシー・リアリーとケン・キージー達の活躍で、様々なヒッピーコミューンが登場したという話から、その一つのディガーズを取り上げてみました。

ディガーズは、資本主義とそれを前提とした社会システムに反抗し、共産主義な主張を自分達の行動で示したコミューンです。
名前の由来は、清教徒革命期に地主の搾取によって富裕層と貧民層が二極化した事に対して抵抗し、共有地とされていた荒れ地を自分達で掘って耕して、反抗する意思を態度で示した団体から取ったものです。
このディガーズを先導していた人物であるウィンスタンリーは、宗教的神秘体験によって啓示を受けて人々を扇動したとされています。
この、神秘的体験が元で考え方や物の見え方が変わり、それを行動に移すという事そのものが、ヒッピー達の行動と重なる部分が多いですよね。

このディガーズに限らず、ヒッピーコミューンは今までの価値観に対して疑問や反感を持つ物が多く、政府としては面白くなかったようです。
幻覚剤のLSDは、この動きの中心に位置していたわけですが、政府はこの薬物を1965年に禁止することになります。
政府としては、元々が冷戦時代に共産主義陣営との戦争に備えて研究開発していた薬が自国で出回り、それによって国民が反政府的な行動をする事が面白くなかったんでしょうね。

ですが、LSDが禁止されたとしても、ヒッピーはそもそもが反体制的な人達なので、そんな事を簡単に聞き入れるわけがありませんよね。
ただ、LSDを公に入手することは難しくなったのですが、禁止された年と同じ年の65年には、オーズリー・スタンリーという大学生が、大学を中退して、カリフォルニアでLSDの製法を独学で習得し、製造を始めます。
この人物の作るLSDですが、大学中退者が独学でつくった代物にもかかわらず、純度が高い最高級品として世界的に人気があったそうです。有名人では、ビートルズなんかもオーズリーの顧客だったようですね。

ヒッピーといえばカルフォルニアなどの西海岸が地域としては有名なイメージがありますが、オーズリーの拠点が西海岸だったことが、大きく影響していると考えても良いんでしょう。
オーズリーが製造するLSDを捌いていたのは、The Brotherhood of Eternal Loveという、『永遠なる愛の共同体』とか『永遠の愛兄弟団』呼ばれる団体です。

この団体は、元々がバイカーと呼ばれる日本で言うところの暴走族とか半グレとかになるんでしょうか。バイクを乗り回すアウトロー集団でした。
ですが、ある日のこと、リーダーのジョン・グリッグスが通行人に銃を突きつけて強盗をした際に、その被害者が所持品として持っていたLSDも奪い取り、それを試した事で神秘的体験をしてしまい、神秘主義にハマってしまいます。
神秘主義にのめり込んだグリッグスは、LSDが引き起こす神秘体験について研究を行っているリアリーを訪ねに、ニューヨークのミルブルックにまで会いに行き、その後、崇拝するようになったようです。これが、1966年のことです。

リアリーといえば、神話の中だけと思われていた神や天使との邂逅などの神秘体験を起こし、人間の思想や行動に影響を与える研究をしていたわけですが、その人物を崇拝しているという事で、グリッグスもその考えに傾倒していくことになります。
つまり、暴走族だった自分が変化したように、神やキリスト、ブッダは実在し、その存在を認識する経験を皆が体験する事で、世の中が本当に変わると思うようになっていったようですね。
そして同年にはカルト団体を立ち上げます。 それが、永遠の愛兄弟団です。

主な活動としては、西海岸のラグナ・ビーチに、健康食品や衣服、喫煙具の販売、そしてLSDの供給をする「ミスティック・アート・ワールド」というヒッピーショップを立ち上げたそうです。
この店は、ヒッピー文化に慣れ親しんでいたり興味がある若者たちや、芸術家を引きつけ、この店に訪れたものの多くがThe Brotherhood of Eternal Loveに共感し、入信したようです。
ラグナ・ビーチ周辺というのは、今でもアーティストに愛されている地域だそうですが、その理由の一つは、兄弟団がコミューンに引き入れたというのもあるんでしょう。

また、アートというものは神秘体験を前提としたヒッピーカルチャーと、相性が良いんですね。
近代芸術などを観てみればよくわかりますが、理解に苦しむ物が多いですよね。 何故、あのような理解がしにくい物が近代芸術に多いのかというと、アートそのもののあり方として、逸脱というものがあるからです。
まだ、誰もやっていない事であったり、既存のものに新たな解釈を与えるなど、前人未到の領域に自分がまっさきに入ることで、新たな価値観を見つけ出して、今やこれからの未来に大きな影響を与えるという事、そのものが一つのあり方だったりするんです。

その方法として一部で使われていたのが、LSDなどの幻覚剤なんですね。
幻覚剤を利用することで、今まで見たことがない景色を見れたり、今まで見ていた景色が違った解釈で見れるということがあるそうなんですが、それを利用すると、今までの常識から逸脱しやすくなるようなんですね。
まぁ、一度も観たことがなかったり感じたことがないものを、自分自身で考えた末に生み出すよりも、幻覚を使用して実際に目で見て感じるほうが早いし楽そうですもんね。

また、ヒッピー側も、アーティストという存在は必要だったんでしょう。
例えば、リアリーのように実験をし、それを元に仮説を重ねていってレポートを書いて、それを読んでもらって理解してもらうというのは、受け手側に一定以上の知識が無いと難しいです。
その一方で、アーティストに思想や考えをイメージ化して貰って、演出してもらえば、そこまで知識レベルの高くない層にも訴求効果がありますよね。

どの宗教でもそうですが、その世界観を伝えるためには、単純に文字や言葉で訴えるだけでなく、建設や絵画、そして音楽によって世界観を提示して、体験してもらうということを行っていますよね。
この様な感じで、考えを見た目で表現できるアーティストは、必要な存在だったんでしょう。

永遠なる愛の共同体は、このヒッピーショプを通じて信者を集めていって、その信者と共に共同生活を行う事でコミューンを形成していったわけですが、人数が多くなりすぎて、次第に土地が足りなくなってきます。
その土地の取得費用や共同体の運営費用を捻出する為に、麻薬販売に手を染めだします。最初はマリファナなどを取り扱っていたようですが、その後は、オーズリーがつくったLSDを取り扱うようになっていったみたいです
ただ、このオーズリーは、1967年には禁止薬物であるLSDの製造を行っていたということで、逮捕されてしまいます。

少し余談になりますが、このオーズリーさんですが、逮捕を機に、LSD製造からは完全に足を洗うことになります。
ではその後、ヒッピーカルチャーを捨てて普通の生活に戻ったのかというと、そういう事もなく、今までとは別の合法的な活動でヒッピーカルチャーに貢献することになります。
その活動が、音響システムの設計です。

オーズリーは、当時、ヒッピームーブメントの中心的存在だったアーティストであるグレイトフル・デッドと行動をともにして、彼らが目指す音を観客に提供する為に、音響システムを作り上げます。
そのシステムが、サウンドウォール、音の壁という意味を持つシステムです。どんなものなのかというのを簡単に説明すると、スピーカーを横だけではなく、縦方向に積み上げる事で、大音量と高音質を実現したようです。
これも単純に上方向に積み上げて、それを並べて壁のようにするのではなく、一列一列の高さを変えて、遠目から見ると波のように見えるよに積み上げていて、その波の形もベース音と同じ様な形になるようにしていたようですね。
この時の様子は、Amazonがオリジナル動画で『グレイトフル・デッドの長く奇妙な旅 』というのが有るんですが、そこで詳しく語られていたりします。プライム会員なら無料で見れるので、興味があったら見てみてください。

せっかくなので、ついでにグレイトフル・デッドについても軽く説明してみましょう。
よくバンドなんかでは、同じ音楽性の人達が集まってバンドを組んで、音楽性の違いによってバンドを解散するなんて事をしますが、このグレイトフル・デッドは、全く違った分野の人達が集まって組まれたバンドです。
メンバーの構成も、前衛クラシックの作曲家がベースをして、R&Bやマーチングバンドのドラマー達がいたそうです。他にも、ブルース出身のハーモニカ吹き、ブルーグラスバンジョー弾き、フォークのギターリストなど、
それぞれバラバラの道を進んでいた人間が集まって、グレイトフル・デッドというバンドを結成しました。

その音楽も、当時の音楽の常識から外れていたようですね。 
今の日本の環境からは想像しづらいですが、当時は…というか、今でもそうなんでしょうけれども、車社会のアメリカでは、ラジオというメディアが結構な存在感で地位を確立していたんですね。
それに加えて、今に比べると記録メディアなども、そんなには発達も普及もしていなかった時代なので、音楽を聞く場合はラジオを通して聞く場合が殆どだったようです。

その様な環境だと、音楽は当然、ラジオで流しやすい事を意識した形で作られることになります。つまり、イントロの長さや盛り上がり、最後の終わり方などを、ラジオ放送に迎合した形で作っていたんですね。
ですが、このグレイトフル・デッドは、当時の社会のあり方に疑問を持つビート世代であったり、これから育っていくヒッピー達の中で活動してきたバンドなので、当時としての普通の音楽は作らなかったようです。
ラジオ側としては、3~5分程度で解りやすく終わってくれる音楽の方が、番組作りがし易いために良かったそうですが、グレイトフル・デッドが作る音楽は、単調なリズムが延々と10数分続く様な音楽で、ラジオでは使われにくい音楽だったようです。

何故、この様な音楽を作ったのかというと、自分達はあくまでもカウンターカルチャー側だという意識が強かったからなんでしょうね。
音楽でメジャーになって、レコードを売って大金持ちになるよりも、ファンとのつながりを大切にする気持ちから、ライブを中心に置いた曲作りを行っていったからなんでしょう。
メンバーの構成や、その曲作りに至るまで、今までの常識にとらわれない行動を取ろうとしていたバンドだったようです。

こういった思想に傾いたのには、LSDの影響も大きかったようです。 LSDには、自分を客観視したり、他の人達を自分と同一視するような体験が出来る効果も有るようで、自分とは違った価値観を、まるで自分のモノの様に再認識出来るようなんですね。
この効果によって、仲間や自分達を支えてくれるファンたちと、より強い一体感を体験できたのも、大きな影響を与えたようです。

話を戻すと、この1967年という年に、このカルト集団がリアリーの拠点をカルフォルニアに用意することで、再びつながります。
というのも1965年にLSDは禁止薬物になた事で、違法薬物を摂取、投与して経過を見守るというリアリーの研究も、当然、違法のものとなるわけです。その為、ニューヨークのミルブルックの拠点はFBIなどからマークされていたんですね。
そして1966年には、先走った保安官、ゴードン・リディーによって、踏み荒らされる事になります。

ただ、この時は、令状も何もない状態で保安官が先走った形になったので、違法捜査という事で逮捕されたりはしなかったようなんですけれどもね。
ちなみにですが、このゴードン・リディーという人物は、愛国心が強い…というか、権力に対して物凄く忠誠が高いようで、現政権の敵とみなした者は、、方法を問わずに追い詰める為に行動する人物のようなんですね。
その為、後の1972年、ニクソン大統領時代になった際、大統領の敵になりうる者、これは、政治関係や反政府組織 問わずのようですが、大統領の足を引っ張りそうな人たちの情報収集を熱心にしまくって、その当時、違法だった盗聴器を仕掛けるなんて事まで行います。
そしてこの行動が、後に、ウォーターゲート事件へと発展し、大統領が辞任へと追い込まれていく事になるようなんですけどね。

話を戻すと、この警告なしの『がさ入れ』や、常時、政府などのシステム側から監視されるという状態に晒されることで、ミルブルックでの実験が難しくなってしまうんですね。
というのも、LSDというのは、摂取すれば いつでもどんな状態であっても、神秘体験が得られるという代物では無いからなんです。
グッドトリップする為には、精神状態を安定させて、特定の方向に持っていかなければならないようなんです。

リアリーは、その神秘的体験をより確実に起こす為に、トリップ中の人にヒアリングをしたりして情報を集めたり、空間づくりを行ったり、普段から瞑想を行ったり。
その他には、チベット死者の書という大昔に書かれた本を引っ張り出してきて翻訳を行う事で、歴史という説得力を持った物をベースにして特定の儀式を行うといった事まで行い、神秘体験が出来るように誘導していくセッションを開発し、改良を続けていました。

ここまで準備をしなければ、リアリーが目指す体験を得る事は難しいと考えられていたわけですけれども、その環境その物が、LSDの違法化や、それに伴う『がさ入れ』によって、大きく変わってしまったんです。
CIAやFBIといった権力側から、常時、犯罪者、またはその予備軍として監視され続けているわけで、リアリーが主催するコミューンの参加者は、絶えずストレスに晒され続ける状況に追い込まれたわけです。
この様な状態に置かれると、トリップによって神秘体験を行うことが難しくなる為、ニューヨークのミルブルックを拠点としたリアリーのコミューンは、次第に崩壊していくことになります。

崩壊した理由としては、この他にも、コミューン内の派閥争いなどもあったそうですね。
主観を前提としたリアリーの研究は、その性質上、意見が別れることも多かったのでしょう。 というのも、普通の物理現象の研究であれば、他の人間も客観的に観察することで確認することが出来ますが、リアリーの研究は、主観的なものですよね。
幻覚剤の投与によって、誰にでもヴィジョンが見えるといっても、そのヴィジョンが同じかどうかを確かめるすべはないですよね。 自分が体験した神秘体験と他人のそれとが同じとは限らないし、断言も出来ないわけです。

この様な性質上、様々な考えや憶測が発生したとしても、どちらの理論が優れているのか、または、正しいのかというのがわからない為、自分の考える理論こそが正しいと考える人達が、それぞれの派閥を作っていったんでしょう。
その派閥同士で、どちらの理論が正しいのかと行った闘いが続いていたらしく、その疲れと、常時、権力者側から監視されているというストレスから、崩壊していったようです。

様々な要因でコミューンは崩壊して常に監視対象となっているミルブルックにも居づらくなったリアリーに、救いの手を差し伸べたのが『永遠の愛の兄弟団』だったというわけです。
リーダーのジョン・グリッグスは、この前年にリアリーを訪問して対談した際に、神秘体験との向き合い方や考え方に対して心を打たれて崇拝していたようなので、手助けがしたかったんでしょうね。
その援助を受ける形で、リアリーは拠点を西海岸のカルフォルニアに移す事になります。

この頃ぐらいからなんでしょうかね。 西海岸のカルフォルニア州がヒッピー達の活動の場となっていくんですが、この続きは、また次回に。