だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

モテるとはどういうことかについて考えてみた

広告

私が愛聴しているネットラジオ『BS@もてもてラジ袋』にて、モテる方法といった感じのエピソードが公開されました。
このラジオを全く聴いたことがない方にとっては、『BS@もてもてラジ袋』なんて名前なんだから、モテ情報ばっかり更新してるんじゃないの?と思われるかもしれませんが、実際の放送内容は社会派な感じだったりします。
そんなラジオで語られる『モテ』についてなので、色々と考えさせられる内容となっていたりします。
http://moteradi.com/20170218amoteradi.com
という事で今回は、モテについて考えていきます。

『モテ』や『人を好きになる・好きになる』については、私自身も今までに何度も何度も考えたことは有ります。
ただ、自分で考えるというのは、あくまでも主観の問題。客観的な目線がかけるわけですが、他の人の意見も聴くことで、見えてくるものがあったりもしますよね。

単純なモテについて考えると、余程の事がない限り、異性からモテまくるなんてことはありません。
余程の事というのは、芸能人・有名人であったり、多額の金を持っている・生み出せることであったり、容姿がズバ抜けて良い。等々。
人は差異を求め続けるなんて言いますが、これらの存在はレアである為、世間から求められ続けます。
当然のように、これらの能力が高ければ高い程にレア度が上昇していく為、モテるようになります。

その一方で、私の様な一般人はどうかというと、基本的にモテることなんてありません。
当然といえば当然。一般的過ぎて差異が無い為、レア度も無い。
ではこんな私の様な一般人がモテようと思った場合はどうすれば良いかというと、差異をつけるしか無い。

差異の付け方は人それぞれで、一生懸命に努力する人もいるでしょうし、楽して差異をつけようとガラの悪い人間のように振る舞い、ある人は変なバイクで暴走するなんて人もいる。
世間一般から見て変わっている人などは、無意識に差異を求めて行動する。その先に何を求めているのかといえば、異性との交流なんでしょう。
フロイトという人は全ての行動を性欲に結びつけて考えたといわれていますが、差異が無いと異性を惹きつけられないのであれば、これらの行動も納得の行くものなんでしょう。

しかし、差異というのは世間からズレる行動を取る必要が有るため、社会性の有る人間の多くはそんな行動を取れるわけもない。
そこで、差異ではなくコミュニケーションを駆使して解決しようと考え出されたのが、『モテ術』なんて呼ばれているものなんでしょう。

モテ術には様々な方法がありますが、基本的な部分で共通しているのは、声をかけること。
先ほど紹介したラジオ内でも語られていますが、バッターボックスに入ってバットを振らなければ、ボールを打つことは出来ません。
バットを振ったからといって確実にボールを打ち返せるわけでは有りませんが、少なくとも、打ち返せる確率は0%ではなくなります。
どんな下手な人間でも、何万回もバットを振り続ければ、まぐれ当たりでバットに当たるかもしれない。
しかし、バッターボックスに入らずに様子見を決め込んでいる人は、バットを振る機会が無いんだかから確率は永遠にゼロというわけです。

ラジオ内では、『こんな男は持てない』という記事が紹介され、女の人が実際に受け取ったメールの返信を例に話されていました。
その内容は、気のない男とのメールのやり取りが終わらない状態で、女性が『今からご飯』といった内容を男性に送信した所『じゃぁ、ご飯を消費しに行こうか?』というメールが送られてきたという話。
女性にしてみれば、メールを打ち切りたいからと送ったメールなのに、男性側が空気を読まずに『今からご飯を食べに、家に行っても良い?』と返ってきたのが鬱陶しく、『こんな男はモテ無い』と判断し、その内容が記事になったようです。。

しかしラジオ内でのパーソナリティーのお二人の見解は違い、むしろこの男の行動こそがモテ術。
というのも、この男はバッターボックスに立っている状態なので、この女に愛想を尽かされたとしても、他の女に同じメールを送った場合は別の反応が返ってくるかもしれない。
仮に100人の知り合いにこんなメールを送れば、その内1人ぐらいは『じゃぁ、今から来る?』って返すかもしれない。

先日、NHKの『ねほりんぱほりん』という番組で、ナンパ塾に通っている人がゲストで話されていましたが、ここでも方法としては同じでした。


片っ端から声をかけ、ダメだったら次に行く。重要なことは拒絶されても折れない心で、拒否されることを前提で数を撃つのが基本。
重要なのは、拒否されても折れない心で、それを鍛えるのが授業内容のようです。

先程の差異の話を踏まえて考えると、基本的に人間は差異がなければ相手から振り向いてくれることはないし、異性を引きつけるために差異を見に付けたいと思って入るが、それは困難な道なので大半の人間が諦めている。
大半の人間には差異がない。しかし、差異のない一般人からすると、声をかけられるという事は特別な体験になりうるわけで、声をかけられる自分には自分には気がついていないだけの差異があるのかもしれない、と思える。
そして、『自分には気が付かない差異を発見してくれた【この人』は私にとって特別な人。』と思う人間は一定数存在する。『そんな人間が引っかかれいいなぁ』と思いながら、バットを振り続けるのは、異性を見つけるという点では正論なんでしょう。

しかし、ここで私のようにバッターボックスに入るかどうかを迷っている人間は考えてしまうわけです。
『誰でも良いのか?』と・・・
私のように、バッターボックスに入れない人間の大半は、好きな人と恋愛関係になりたいと思っているわけです。誰でも良いわけではありません。
一般人の私でも、繁華街に行って朝から晩まで目につく異性に片っ端から声をかけ続ければ、一緒に食事に行ってくれる人ぐらいはその日の内に見つかるでしょう。
声をかけている内に慣れてきて、精神的苦痛も少なくなってくるでしょうし、次に同じ事をしようと思えば、更に効率良く出来るでしょう。
ですが、ここで思うわけです。『追い求めていたものはこれなのか?』と。
ゴールが単に一緒に寝ることであれば、『誰でも良い』のかもしれません。しかし目的が、『一生を添い遂げること』だったとしたら?
たまたま振ったらボールが当たった様な人で良いのでしょうか。

こういうことを書くと、ナンパ術の実践者やリア充の人は、『そういうのはボールが当たってから精査すれば良い』なんて答えるのでしょう。
しかし重要なことは、そのナンパ術を実践する段階で、自分の中で価値観の変化が起こってしまうことです。。
先ほど紹介した『ねほりんぱほりん』の動画に登場したナンパ師は、運命の人と呼ばれる人間が登場したのにもかかわらず、自身の仕事で転勤になった際、その女性をアッサリと切り捨てて別れてしまったようです。
出会いを求めてナンパ塾にまで通った人が、何故、あっさりと別れたのかというと、『転勤先でまたナンパすれば良いか』と思ったからだそうです。
また、ナンパをして一晩寝るまでなら自分を演出できるが、長期間にわたって演じきるのはストレスが溜まる為、高速回転している方が気が楽といったニュアンスのことも仰ってました。

つまり、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる作戦は実用的だし、実際に出会いのチャンスも飛躍的に増えるのですが、その一方で、鉄砲から打ち出された弾の一発一発に想いは込められなくなるし、把握も難しくなるということです。
人間関係は表面的になりますし、不都合が生まれれば関係を切り、次に向かうような考えになってしまいます。

それを求めているのかという話です。

またこのように考えていくと、金持ち・容姿が良い・有名人等の差異を持った人間でも、最終的には同じような疑問にぶち当たります。。
自身のレア度を高めていく事で、確かにモテる事は飛躍的に多くなるでしょう。しかし寄ってくる人間が、自分という人間を求めて来ているのか、自分が持つ差異のレア度に引き寄せられているのかの判断がつかなくなります。
少なくとも私が求めているのは、色んな要素を差し引いた素でいる状態の時に、受け入れてくれる人間だったりします。
そして相手に求めることも、相手が素の時に受け入れられるかどうかを重要視します。

ただ、こういうスタンスの場合、結局はバッターボックスに入らずにボールの行方を見守る事になる為、良い球が来たとしてもバッターボックスに入って無いので打つことも出来ない。
ではどうすればよいのかというと、『妥協』するしか無いのでしょうね。
とりあえずバッターボックスに入り、全ての球を振るのではなく、見逃し三振まで想定した状態で良さそうな球が来たら振っていく。
来る球全部を振るよりかは確率は一気に下がりますが、バッターボックスに入ら無いよりかは遥かにマシという状態を作っていくしか無いのでしょう。