魔法にかけられて (後編)
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前回の投稿では、現代の魔法がどの様に使われているかについて考えていきました。
kimniy8.hatenablog.com
野菜や食品などに、『オーガニック』『無添加』『遺伝子組み換え』などのワード(呪文)を付け加えるだけで、モノの価値が変化するといったような話でしたね。
オカルト的にいえば魔法になりますが、この価値の変化がプラスになるものを、経済的には付加価値と呼ぶのでしょう。
この話は食品に限った話ではなく、あらゆるものに使われています。
というか、先進国のGDPの成長などは、この様な魔法抜きでは考えられないといっても良いです。
という事で今回は、現代社会における魔法について、もう少し掘り下げて考えていきます。
今の資本主義社会では、お金が中心となって社会を形成しています。
この社会では絶えず経済成長が求められ、GDP成長率の変化に非常に敏感になっています。
ではGDPとは何なのかというと、付加価値の合計。
付加価値とは何なのかというと、既にあるものに価値を付け加える事です。
例えば、既に販売されている材料を購入してきて、製品を造って売りだしたとします。
この時、原材料の合計と製品との間に価格差が生じますよね。
製品を生み出すには手間がかかるので、当然です。
この最終販売価格から経費を差し引いいた価格が、新たに付け加えられた価値分の値段。つまりは付加価値の額となります。
この付加価値ですが、実は値段が決まっていません。
ではどの様にして決まるのか。
単純に品質や作り出す時間で決まるのであれば分かりやすいのですが、実はそうでもないんです。
この価格の決まり方に、魔法が大きく関わってくるんですね。
例えば、この製品に超有名ブランドのロゴが付いていた場合、それだけで価格は跳ね上がります。
ブランドは『弊社では、熟練の職人によって一つ一つ手作りしており…』『我が社は300年間守り続けていた製法を使い…』といった裏付けっぽいものを全面に出し、価値が有ることを主張します。。
このブランドの宣伝文句を聴いて、『ちゃんとした裏付けがあるから当然では?』と思われる人の良い方もいらっしゃるかもしれませんが、書かれている文言がが事実であったとしても、製品が良いという証にはなりません。
熟練の職人を使用するより機械を導入している方が良質な製品を作ることが出来るかもしれないですし、大昔の製法を頑なに守るよりも、現在の科学や最新の知識を投入して最善の方法に改良している方が良いかもしれない。
これらの文言は良品の裏付けにはならないのですが、聴いた人の多くは『私が購入しようとしているものは価値が有るものだ。』と安心感が得られる為、購入してしまう。
この様な企業の行動を、『マーケティング』だとか『ブランディング』というのでしょうが、オカルト的に見てみると、呪文・魔法と言い換えることが出来ます。
先程の例でいえば、『熟練の職人』や『昔から守り続けている製法』といったものは、呪文と言い換えることが出来るでしょう。
商品や梱包のデザインは、魔法陣などの儀式と捉えることが出来ます。
製品を身につけ、優雅な生活を映像や写真によって人々に広める広告塔の芸能人は、巫女の様な存在なのかもしれません。
『キャッチコピー』や『マーケティング』『ブランド力』などの用語を、呪文・魔法陣・魔力といったオカルティックなものに置き換えているだけの言葉遊びのように感じられるかもしれません。
しかし、そもそも前者の用語そのものも、よく分からない現象にそれっぽい名前をつけているだけなんですよね。
現象に名前をつけることで、現象を理解した気になっている。そして、それに何の疑問も持っていないだけで、根本的な部分で働いている『力』については実際には理解できていない。
それなら、わからないということを前提において、『呪文』『魔力』『魔法』といった抽象的な言葉を当てはめて、オカルト的な考え方を受け入れる方が、逆に世の中が見やすくなるのではないでしょうか。
オカルト的な価値観を受け入れた状態で世の中を観ると、製品の本質がより見えやすくなります。
服飾系などの商品は、ふんだんに魔法がかけられているわけですが、『魔法がかけられている』という前提で商品をみることによって、魔法を除外して物の本質が見えやすくなります。
逆に、自分が持っている世間では認知度が低い商品を、魔法をかけることによってワンランク上に魅せることも出来るかもしれません。
これは、人に対しても当てはまります。
カリスマ性が有る人というのは自分に自信を持っていて、堂々と立ち振舞う人が多いわけですが、これもただの雰囲気のようなもので、何かしらの根拠があるわけではありません。
自分に自信を持っていて堂々と振る舞う人を前にすると、人は無意識に、目の前の人物は優秀で過去に成功を積み重ねてきたと勝手に思い、その成功にあやりたい!近づきたい!と思って行動し、結果としてそれが相手のカリスマ性を高めることになっているケースは多いと思います。
しかし、この世には根拠の無い自身を振りかざす人って、数えきれない程いるんですよね。
安っぽい自己啓発本でも、根拠の無い自身を持つことを勧めている内容のものも結構あるようですし。
しかし、このカリスマ性という名前が付いているだけの『あやふや』な物も、魅了の魔法と割りきってしまえば、違った見方が出来るようになります。
そもそもカリスマ性には根拠が無いわけですから、その部分を外し、人物の言動にだけ焦点を当てれば、その人の本当の人となりが解りやすくなります。
テレビには人気者がたくさん出てますが、番組なので当然、演出されて普段よりも多重の魔法がかけられています。
それらの魔法を外して観てみると、案外大したことのない人達が多かったりします。
こうしてみてみると、国の経済から生活の身近なところまで、魔法という『よく分からない力』によって動いていることが分かります。
その『よく分からない力』に対して名前をつけて分かった気になっているのが、今の社会なんですよね。
しかし、そもそもが解らない現象に対して言葉を当てはめて理解した気になっているだけで、根本部分での理解をしていないので、いろんな迷いが生じたり、その隙をついて他者を利用しようとするものが現れてきます。
それならば、いっそのこと、『解らない』事を受け入れてしまうことで、今までとは違ったシンプルな目線で世の中を見直すことが出来るのではないでしょうか。