だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

待機児童問題と一億総活躍社会

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今世間では、安倍首相が『一億総活躍社会』を提案。
それに対し、『保育園落ちた。日本死ね』というタイトルのブログで問題提起され、活躍したくても待機児童問題で活躍できない女性達が、怒りをぶつけていますね。
今現在流れている報道などを聴くと、この対処法として、一刻も早く待機児童問題を解決し、働きやすい社会を!といった改善を求める声を聴いたりするのですが…

個人的には、これらの流れや主張に対しては、違和感を感じてしまうんですよね。
気を付けて欲しいのは、この冒頭部分だけを読んで安倍擁護というレッテルを貼ってしまうのだけは、やめてもらいたい。
というのも、個人的な違和感の中には、安倍首相が打ち出した『一億総活躍社会』も含まれているからです。

ということで今回は、私がどの部分に違和感を感じるのかについて、順を追って書いていきます。

まず待機児童問題ですが、この問題は昔から存在していたのかもしれないのですが、私がまだ小さかった頃は、そんなに耳にしなかったんですよね。
印象としては、ここ数年で、問題化していったように思えます。

では今、子供の数が施設が足りない程、増えているのでしょうか。
そんなことはありません。
日本では少子化といわれ、子供の数はどんどん減ってきています。

私が子供の頃に通っていた小学校は、少ないとはいえ、1学年3クラスありました。
しかし今その学校は、1クラスになっています。
中学校は、1学年7組までありましたが、今は3組程だそうです。
これは私の近所だけで起こっている現象ではなく、全国でも観てもそうでしょう。
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では、保育園や幼稚園は同じように減っているのかといえば、実はそうではない。
数は増えているし、受け入れ人数も増えている。
にもかかわらず、入園を待つ子供がそれに伴って増えているせいで、待機児童問題が全く改善されていないように見えているのが、現状です。
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では何故、昔はここまで大きな問題になっていなかったのでしょうか。
私が子供の頃の環境を思い出すと、今との一番大きな違いとしては、共働き世代が少なかった印象があります。
友達の家に遊びに行っても、父親は仕事でいないけれども、母親は家にいるという状態が非常に多く、両親ともに共働きで、家には誰もいないという状態は稀でした。

親たちが保育園等について話をしているのを聞いても、コミュニケーション能力を高める為にも、小学校からいきなり集団活動させるよりも、幼稚園や保育園に預けた方が良いのではないかという意見を耳にする程度。
『仕事があるかあら、どうしても預けなければならない!』といった切羽詰まったものではありませんでした。
しかし現在は、この環境が大きく変わってしまったように思えます。

誤解しないでほしいのは、『女は外に出ずに、家を守れ』ということが言いたいわけではありません。
働くのが男でも女でも、どちらであってもかまいません。
専業主婦でも主夫でも、関係はありません。
重要なのは、両親のうち1人でも外に働きに出れば家計を支えられたという事です。
それが今では、どうでしょうか。

最近ではワーキングプアー・非正規社員といった言葉をよく聞くようになりましたが、両方とも、低所得者の代名詞のように使われています。
年収200万以下の世代も増えてきているようで、両親ともにワープアの場合、世帯所得で400万円以下なんてこともあります。

つまり最も大きな変化は、両親共に働かなければ家計を支えられない経済状態になってしまった事です。

では何故、こんな状態になってしまったのかというと、何か特別な事が起こったわけではなく、資本主義が進めば当然のように起こってしまう事なんですよね。

資本主義の世の中では、ライバル会社を出し抜くために、新たな技術や効率化によって、利益を伸ばそうとします。
機械や技術が進歩して一人当たりの生産性が増えれば、より少ない人数で大量のものが作れるようになります。
もし、製品が世間から絶えず求められ続けているのであれば、生産をどんどん増やしていけば良い。
しかし大抵の製品は、一定レベルまで普及すれば売れなくなり、買い替え需要がメインの消費になります。

販売量が鈍化してくる一方で、生産効率の上昇によって少人数で作れるという事は、販売量を維持する為に値下げをせざるを得なくなる。
また、利益率が少なくなると、会社を維持するために給料をカットするか人員を削減する必要も出てきます。

人員が削減されると、解雇された人たちは生活をしなければならない為、職を求めて活動します。
労働市場に、人員が供給されるわけですね。
職に対して求職者が増えると、職の争奪戦になる為、給料は減少します。

どちらにしろ、給料は引き下げられるわけです。
給料が引き下げられると、一人分の稼ぎだけでは家族を養えなくなり、結果として共働きになる。
ここで問題なのが、今まで家庭の仕事をしていた人が労働市場になだれ込むと、さらに労働市場で人が余ることになり、職の争奪戦はより激しさを増し、給料は減ることになります。

結果として、普通の生活レベルを保つ為に共働きになったのに、一人当たりの給料が減ってしまって生活が楽にならないという、不思議な現象が起きてしまいます。
安倍首相の『一億総活躍社会』というのは、この状態に拍車をかけるようなものなの。

更に貧困層を増やす可能性もあります。

で、今現在の問題の難しいところは、働く人が増える事で待遇が悪くなるとわかっていても、最低限の生活を維持する為には働かなければならないという点です。
働くことが常識という今の社会では、働かないという選択肢は実質、選べない状態。
結果として、大部分の人間がますます貧しくなり、効率化の恩恵を受ける事が出来る極々一部の人だけが豊かになる。

二極化社会の完成ですね。

…で、冒頭の話に戻るわけですが、私が待機児童問題の騒ぎ方に違和感があるのは、単純な、目先の保育園を増やせという話に終始している点なんですよね。
この問題の根本原因は、今までのシステムに限界が来ているからです。
ここから目をそらすと、結果として何も解決しない気がするのですよね。