だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【本の紹介・感想】(後編) 反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

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前回の続きです。
まだ読まれていない方は、先にそちらをお読みください。
kimniy8.hatenablog.com



この本の中盤から後半にかけては、基本的に既存のカウンターカルチャーに対する反論が書かれています。
基本的な流れとしては、それぞれのカウンターカルチャーの主張の揚げ足を取る。
いろんな経緯を辿り、最終的には消費社会に組み込まれて、今現在のシステムをより強固にアップグレードする役割しかなっていないと結論づけます。

例えば、カウンターカルチャーとして生まれたマイナーな音楽。
これらの音楽は、カウンターカルチャーとして存在する為には、マイナーでい続けなければなりません。
しかし、マイナーな独自の拘りを追求していくと、いつしかそれが一つのジャンルとなり、ファンが付くようになってしまう。

メインカルチャーに牙をむく反逆者を演じるのであれば、それらのファンが理解できないような物を提供する必要が出てきます。
しかし、理解出来ない新しい音楽は、誰も聴いた言葉ない斬新な音楽として捉えられ、それが既存の音楽との間に差異を生み出すことになり、更に人気が出てしまう。
ロックやパンクといったジャンルは、既存の体制に対するカウンターとして生まれたけれども、その精神が生み出した差異が格好良いと判断され、次第に人気が出てきて、消費社会に組み込まれる。
そして大衆に受け入れられたカウンターカルチャーは、いつしかメインカルチャーとなり、打倒すべき目標に成り果てる。
これらの流れを繰り返すことにより、音楽市場はより選択肢の多い魅力的な市場となり、消費社会をより強固なものとしてしまう。

この流れは、絵であったりファッションであったりとジャンルは問わず、今の社会で起こっていることの大半は、これらのサイクルの中にある。
このような事が、約300ページほどに渡って書かれています。

これらの反論を読んで思うのが、前半の冒頭で書いた疑問です。
・誰に向けて書いているのか
・著者のスタンス
・本を通して何を訴えたいのか

一つづず、何故、疑問に思ったのかを書いていきましょう。

私が読んだ印象ですが、この本をぜひとも読んで欲しいターゲットとしては、アウトローや深く考えていないタイプの浅はかなアナーキスト
ドラッグを常用して反逆者を気取っているレベルのヒッピー等に読んで欲しいと思うのですが、それらの人が読めるような文章では有りません。

学術書というのは、同じ教授陣からダメ出しがこないように、また、自分の意思がより伝わりやすい様に極端に書くものだとは思うのですが、そのせいか、本を読破するためのハードルがそれなりに高くなってしまっています。
その為、本当に読んで欲しいタイプの人には手にすら取ってもらえず、この本を手にとって読破できるレベルの人は、そもそもカウンターカルチャーに対して一定の距離を取れている人になるでしょう。
本当に読んで欲しいと思う人には読まれないんだろうなという事は、結果、誰に向けて書いているのかがわからない。


次に、著者のスタンスです。
この本は、あらゆるカウンターカルチャーに対して牙を向きます。
その結果として、著者が何を言いたいのかがぼやけてしまっています。

例えば本の中で、個性の話が出てきます。
グローバル化が進んで文化が均一化することによって、考え方やセンスが統一されていき、個性のないものになっていく。
それは服装も同じで、皆が同じような服を来て、外見的にも個性が失われるという意見に対し、『今の服なんて、殆ど制服のようなものだ』と反論します。
特に男性衣料に関しては殆どが決まった形で、違いは素材や模様程度、『男性は全員が制服を着ていると言っても良い。』ということが書かれています。

そして、制服を着ている中でも不自由さを感じていないし、そのシステムによる恩恵を受けているということが解説されているのですが…

その次の話で、制服化した衣服の中でもカウンターカルチャーによって差異が生み出され、その差異が希少性を産み、より高値で取引される。
結果として、消費社会をより強固にしたという話になります。
差異は、より希少性を高める為に進化し、結果として服飾市場はバラエティ豊かな市場になり、マーケットを拡大させたと主張。

この一連の話を読むと、作者の捉えている世界がどの様なものなのかが解らなくなります。
今の社会では皆、制服を着ているのか、それとも、個性的な服を着ているのか、作者がどう捉えているのかが曖昧です。


そして最期に、本を通して何を訴えたいのかがわからない。
先ほどの、作者のスタンスが分からないという話にも通ずるのですが、目につくカウンターカルチャーを全て批判しているので、最終的に作者の言いたいことが伝わってきません。
冒頭部分で『カウンターカルチャー』と『異議申し立て』を分けているので、この分け方のルールが解りやすく明記してあれば良いのですが、それが有りません。

本の中では、秩序を崩壊させる様な主張に対して、より強めに批判しているようにも思えます。
では、そういうものをカウンターカルチャーと位置づけているのかといえば、そうでも無い。
先ほど挙げた、世間の人の服に対する考え方といった、特に害のないものまで取り上げて批判されています。
特に頻繁に取り上げられていたのが『ブランドなんか、いらない』という本。

この本については私は概要しか知りませんが、ブランド製品にまつわる構造を批判した本だと思います。
販売力のあるブランドを構築し、集客力を強め、その一方で生産工程や流通の過程では搾取構造を生み出して、最終的に企業本部が儲けを独り占めしている事についての問題提起。
この問題提起自体は、システムを破壊して無法地帯を生み出すようなものでは有りません。
一つの切り口から問題を発展させて考える事は悪いことでは有りませんし、改善できる可能性を考えて発表すること自体は、世の中の破壊にも繋がりません。

にも関わらず、『ブランドなんか、いらない』という本は、何度も名前を出されて批判されています。
では、今のシステムに満足し、これ以上変えるところがないのかと考えているのかというと、そうでも無い様子。
カウンターカルチャーによって更に強化された消費社会は、より格差を増大させているということも書かれています。
つまり、消費社会によって引き起こされている格差等の歪みは、問題視されているんですよね。
その一方で、システムの歪みを是正する自分なりの対案が示される事は有りません。

結果として、本を通してどのような行動を促したいのかが分かりません。
どんな問題提起をしても、どんな行動をしても、結果的には消費社会に取り込まれてシステムをより強固にするのだから、何もしない方が良いとも読み取れます。

じゃぁ何もしなくても良いのかというと、システムを改善する為の『異議申し立て』は必要みたいなんですよね。
そして先程も書きましたが、何が異議申し立てに該当するのかは書かれていません。

この本を読んだ個人的な印象としては、カウンターカルチャーメインカルチャーに対するカウンターなのに対し、この著者はカウンターカルチャーに対するカウンターを行っているだけのように思えてしまいました。


…と、長々と批判的なことを書いてきましたが、本を読まなかったほうが良かったのかというと、そうでも有りません。
前半の投稿でも書きましたが、ルールによって生み出される秩序の重要性の部分等は、興味深いことがたくさん書かれていました。
後半部分のカウンターカルチャーに対するカウンターも、対案そこ書かれていませんが、既存のカウンターカルチャーと呼ばれるものに、どんな問題点があるのかが結構なページを割いて書かれています。

この本を読む事で新たな視点を身につけて、カウンターカルチャーに対する距離のとり方や、自分自身の考えに対して再考する切っ掛けを与えてくれる本だと思います。
そういった意味では、私にとっては読む価値のある本でした。

カウンターカルチャーに対し、過剰な期待や希望を持っている人は、一度読んでみることをお勧めします。