来年はVR元年!?
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私は昔、据え置き型ゲーム機でゲームを楽しむのが趣味という時代が結構有りました。
時代でいうと、PS2が全盛期だった時までですかね。
PS3が出る頃には、据え置き型ゲームというものに対して次第に関心が無くなり、PC上で遊べるMMORPG等に移行していきました。
据え置き型ゲーム機は、基本的にゲームを購入して一人で遊ぶゲーム。
それに対してMMORPGは、一部のゲームは基本プレイが無料。
主な運営費は、課金アイテムの売り上げによって行われています。
ゲームをするのに、お金がかからないというのもビックリしたのですが、一番の衝撃は、他のプレイヤーが同じゲーム内の空間に存在していて、リアルタイムで遊んでいる点ですね。
また、目的が無いというのにも、驚かされました。
RPGというのは、大抵は目的が合って、その目的の為にキャラクターを鍛えて強くするというのが定番のゲーム。
しかし、MMORPGには、その考え自体がない。
強い敵はいるけれども、それを倒さなくても別に良い。
その為、強くなる必要性も特に無し。
では、何を目的にゲームをするのかというと、自分で目標を設定して、納得のいくまでその道を進むという…
人生と同じような事を、ゲーム内でも行って生活をするという状態を楽しみます。
例えば、私が遊んでいた【マビノギ】というゲームでは、生活部分も作りこまれていて、敵の蜘蛛が一定期間経つと落とす蜘蛛の糸を集め、それを撚り合わせて頑丈な糸に加工。
それを更に折機を利用して布にして、型紙を買ってきて服に仕立てる。
そうして出来た服を、フリーマーケットで販売するという事まで出来ました。
この様な一連の行動を行う度に、スキルの熟練度が上昇。
レベルが上がると、更に良い物がつくれるという感じですね。
ゲーム内には、この様な生活スキルを上げて販売業を楽しむ人や、単純にログインだけして会話を楽しむ人や、RPGらしく、ダンジョンに潜って敵を倒す人など、様々な人が存在しました。
いわば、一つの世界が出来上がっていたわけです。
これとは別に、今現在注目を浴びている技術に、VR技術があります。
開発者向けには既に発売されていて、少し前に話題になっていたものでいえば、Oculus Riftなどが有りますね。
これは、人間の視野角を完全に奪う程の巨大なディスプレイを搭載した、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)で、左右の眼それぞれ用のディスプレイが用意されているので、3D映像が違和感なく観ることが出来ます。
更に、ジャイロセンサーが組み込まれていて、首を左右に振れば左右の風景が、上下に振れば上下の景色を観ることが可能になります。
この技術は、TVの前でゲームをしていた状態から、ゲーム内に入り込んで楽しめる事を意味します。
今までは、どんなにCGを作りこんだとしても、所詮はモニターの前でのゲームプレイ。
リアルになったところで、『自分で操作できる映画』以上の事は無理でした。
それが、実際に世界に入り込むことが出来るようになるわけです。
この、『入り込む』という部分が、今までの常識では考えられないほど凄い。
簡単に表現するなら、一人の人間を一瞬にして全く別の空間に連れ去ってしまう事が可能なわけです。
具体例でいえば、一つの観光都市を3DCGで完全に表現してしまえば、家に居ながらにして都市を観光することが可能になります。
そんなことが可能なのかといえば、技術的には可能です。
先ほど紹介したゲーム動画のGTA5ですが、ロサンゼルスの簡易版を完成させています。
その広さは、126 平方 km。
ゲーム内では車で移動することが出来るのですが、車でマップを一周するのにも一苦労。
私はこのゲームを買って結構立ちますが、まだ見た事がない場所がたくさん存在します。
といっても実際に世界に入り込むと、まだまだ画像は粗いのでしょうけども。
しかしそれは、このまま技術が薦めば、時間が解決してくれる問題でしょう。
ちなみにこのVR技術ですが、かなり先の未来のSF的技術ではなく、来年にも楽しむことが可能な技術です。
http://www.4gamer.net/games/251/G025118/20150918168/
またこのVR技術の凄い点は、実際にある風景だけでなく、実際にないようなファンタジーの世界や、宇宙空間も旅できるという事です。
このVR技術と、最初に書いたMMORPGの様なゲーム空間をプラットフォームとして、他の人達と一緒に体験するという技術が組み合わされば…
視覚と聴覚だけで楽しむ分野のものは、家に居ながらにして行うことが可能になってしまうんですよね。
こういうことを書くと、『そんな妄想は、1度、セカンドライフで失敗してるでしょ』と言われそうですが…
一度衰退したセカンドライフも、VR技術と組み合わさる事で、復活する可能性すら有ると思うんですよね。
どちらにしても、来年が楽しみで仕方ありません。