だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

文化レベルと自由の関係

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先日購入して読み始めた本(反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか)に、文化レベルと自由の関係が書かれていました。
その事が非常に興味深かったので、今回はこの事について書いていきます。




ここに書かれていたのが、文化レベルと自由の意外な相関関係。
考えて見れば当然ともいえるのですが、文化レベルが上昇すればする程、人から自由が奪われて行くというもの。

最初に誤解がないように書いておきますが、私は『人間が自由を求めるために、自然に帰るべきだ』なんて事を主張するつもりは有りません。
自由というのは響きは良いですが、それを実行・維持する為には力が必要なので、万人が求めているものではないと思うからです。
自由には常に責任がつきまといますが、抑制された行動の先には安全が待っている。
最近アニメ化したアルスラーン戦記のセリフに、『良い領主の下で奴隷として使われるのを良しとする者もいる』という台詞があります。
こういうセリフを紹介すると、『奴隷制を肯定するのか』という極論をいう人もいますが、あくまでもバランスの問題だと思います。

現代でいえば金で人を使う会社組織に当てはまりますが、ライフワークバランスが適切に保てていて、労働に見合った給料が貰えるのであれば、それで良しとする人は多いでしょう。
その一方で起業をすれば、自分の見立てが正しければ儲けることが出来るかもしれませんが、全ての責任は自身で負わなければなりません。
おそらく大半の人間は、多少の不自由と引き換えに、安定した生活を求めているともいえるでしょう。
(もっとも今現在はバランスが崩れ、多少の不自由ではなく、生活の大部分を奪われている人も結構な割合で存在しますけど、その話は今回は置いておきます。)

私自身の自由に対する考えは、あくまでバランスが重要であって、完全な自由こそ素晴らしいという考えは持ってなかったりします。


話が横道にそれてしまったので、戻しましょう。
文化レベルが進むと自由が制限されるというと、勘の良い人は『新しい技術が生まれる度にルールが生まれるんだから、当たり前でしょ。』と思われるかもしれません。
確かに、そういうケースは多いです。
自動車を創る技術が生まれれば、交通ルールが生れます。
インターネットが生まれれば、それに伴ってルールが整備されます。
法律的なルールだけでなく、マナーも生まれるので、技術発展する度に自由が奪われていきます。

しかしこの本で書かれていた事は、直接技術と関係がないところで、自由が奪われているという事です。

例えば食事マナー。
食事マナーは、出来た当初はそこまでは厳しくなかったようです。
初期に出来たテーブルマナーは
『調味料の容器に直接手を入れてはいけない』
『テーブルクロスで洟(はな)をかむのは見苦しい』
『食卓の上ではツバを吐いてはいけない』
といった、今ではマナー以前のものだったようです。
それが、文明が進むごとに次第に厳しくなってきて、今現在では勉強しないといけない程の作法になってしまっています。

今現在から考えると文明レベルが低かった中世ヨーロッパでは、排泄物がそこら中に捨てられていたといいます。
その糞尿を踏まない為に利用されたのが、ハイヒールという話もあります。
また、貴族の着用している膨れ上がったスカートは、何処でも排泄が出来るように作られたという話もあります。
中世の世界では、トイレではなく、何処ででも排泄して良い自由があったともいえます。

その他の例でも、道でツバや痰を吐かないというのは、今や当然となっています。
しかし一昔前の日本や欧米では、玄関先に痰壺があるのが当たり前だったようです。
これは、文明レベルが一定まで進むと、何らかの抑制効果が表れる様にも読み取れます。


文明レベルが上昇すると、自由が抑制されるという現象。
では、文明レベルが更に発展すると予想される未来の世界ではどうなるのか。
多くのSF作品が、管理者会のディストピアを描いていたりします。
そしてSFの様な物語では、社会の管理者と自由を求める人間たちとの戦い等が描かれたりします。

その一方で、自由を捨てて管理される事を受け入れる作品も有ったりします。
アニメの『サイコパス』がそうですよね。
この物語に登場する一部の人間は、完全管理者会に対して抵抗します。
しかし、大部分の庶民と呼ばれる人は、管理される事に依存し、管理者が生み出す安全な社会を受け入れているんですよね。

私達の未来は、どちらに当てはまるのでしょうか。
答えは、今現在の私たちの暮らしを観直してみれば、分かるかもしれません。
私達は、中世の時代よりは遥かに進んだ文明の中で、生きています。
当然、中世の時代よりも自由が抑制された世界に生きるわけですが、中世よりも今の方が生きやすそうに思えます。
その延長線上で未来を考えれば、今よりも不自由な生活を強いられそうですが、特に不自由とは考えないのかもしれませんね。