だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

欲望の源泉と【さとり世代】

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最近の事ですが、様々なメディアで『若者の○○離れ』『さとり世代』なんて言葉をよく聴きます。
この現象を単純にいえば、若者の欲望が薄れていっているとも読み取れますよね。
現在の資本主義は、欲望を中心にして組まれているシステムなので、欲望というエネルギーがなければ、正常に動きません。

現代社会にとって人の欲望は、無くてはならないものなのですが、これが徐々に薄れていっている。
この原因を探るためには、先ず欲望というものが何なのかを考えればなりませんね。

私が考える欲望とは、満たされない心の表れなんだと思います。

例えば、後進国の貧しい人達は、先進国に比べて経済的にも物質的にも満たされていないケースが多いです。
そういう人達は、満たされていないものを何かの形で満たそうとして、それが欲望という形で表れる。

分かりやすい例が飢餓。
食料が無く飢えている状態で生まれる精神として、【ハングリー精神】なんて言葉があります。
食欲が満たされない状態が解消されないことが、他の欲望に変化して、行動を起こすための原動力になっている現象にみえますよね。
ハングリー精神は、物質的・肉体的に満たされていない状態が、他の欲望転嫁されているだけの現象。
エネルギーが良い方向へと転嫁されればよいですが、悪い方向へ転嫁されると、犯罪にはしってしまうという事もあるのでしょう。

では、物質的に満たされれば、欲望はおさまるのでしょうか。
世間を見渡すと、必ずしもそうとはいえないと思います。

例えば世の中には、一生かかっても使い切れない程の金を持つ人間が存在します。
世界の蝶や番付を見ると、個人資産が兆円超えなんて人も存在しますよね。
金持ちだからって、一日10食食べるわけでもなければ、一日が2400時間あるわけでもない。
普通に何不自由の無い生活をするには、余りあるお金ですが、彼らはそれでも稼ぎ続けます。

こういう人達は、大きく分けると2つのタイプに分けられるでしょう。

一つは、お金コレクター。
お金は単純にツールなので、所有しているだけでは意味が有りません。
消費して初めて効力を発するもので、ただ持っているだけなら、紙や数字でしか有りません。
でも世の中には、ただの紙や数字を集めたいだけの人も存在するんです。

私は実際に会ったことはないので、インタビュー映像や本を読む事で想像することしか出来ませんが…
おそらく、ウォーレン・バフェットさんなどは、このタイプなのでしょう。
彼は、お金を得たからといって、その金を使いません。
長期投資家の神様と呼ばれる彼の日常は、世界中の株式会社の財務と経営方針の確認をする事だけに費やされています。

お金を増やすゲームに、のめり込んでいると表現すればよいでしょうか。
そのゲームに参加する為には参加費が必要で、ゲームを優位に進める為には資金が必要なので、どれだけ稼いでもお金は使えないというわけです。
欲望を叶える為にお金稼ぎをしているのではなく、お金という数字を増やすゲームに夢中になっているだけなので、欲望とは少し違うようにも思えます。


では、もう一つは何かというと、精神的に満たされていないから。
先程も少し書きましたが、お金というのはツールでしか有りません。
値段が付いていて、お金を支払えば手に入る物を買うことが出来るだけのツールです。
言い換えれば、値段が付いていないものには、使用できない道具です。

精神的に満たされていない人が、その状態に気づくことが出来ない場合、精神的に満たされたいという欲求が物質的な欲求に転嫁され、お金を集め続けるという事が起こります。

『金持ちで、物質的に満たされている人が精神的に満たされないのか?』という疑問を持つ方も居らっしゃると思います。
確かに、裕福な人の元には、人が集まりそうですよね。
実際に、人が群がっている現場を目撃したことも有ります。
しかし、考えてみてください。
人が群がるのは、その人自身に魅力が有るからなのでしょうか。
それとも、その人が所有するお金や地位に対して、群がっているのでしょうか。

もし一度でも、『こいつらは、金を払ってるから頭を下げるんだ』と認識してしまったら、その瞬間から、世の中はひどく色あせて見える様になってしまいます。
そして悲しいことに、この事を疑い出すと、精神的に満たされる事は無くなります。
何故なら、人の心は目に見えないからです。
例え、純粋に自分の事を好意的に思ってくれる人物が現れたとしても、その行為を純粋には受け取れず、疑心暗鬼を生じてしまう。
しかし、本心では精神的な繋がりを求めているので、その欲求が、金儲けの方に転嫁されてしまう。
世間一般から観れば、結構羨ましい状況ではあるが、本人にとっては、ただの蟻地獄という事もあり得るわけですね。


こうして考えると、本人が本当に求めているものが手に入らない状態が続き、欲求は高まるけども手に入れるのが不可能になった時に、別の形に転嫁されて表れるのが、物欲なのでしょう。
では、最近の若者に物欲がないのは何故なのかというと、物質的にも精神的にも満たされているからと考えられます。
発展途上だった日本では、兄弟が5~6人というのは珍しい状態では有りませんでした。
当然、子供の数が増えると、親が一人あたりの子供にかけられる手間も、与えるものも減ってしまいます。

しかし現在は、子供は1~2人が多い。
少子化によって、子供1人に割かれる親の時間は多くなります。
祖父母にとっても同様で、数少ない孫に対して愛情を注ぐ為、昔に比べ、子供は精神的に満たされるケースが多いでしょう。
世界平均で観れば、日本の平均的な家庭では、物質的に満たされている。
欲望が満たされている状態なので、転嫁される欲求もない。
結果として、【悟った】様な人間が急増したのではないでしょうか。