だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

科学よりもオカルトが求められる時代

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先日参加させてもらったイベント、【青春あるでひど特別編!!魔術者から見た科学の今ここ!!】でいろいろな刺激を受け、色んな事をより深く考える日々が続いています。
kimniy8.hatenablog.com


このイベントの最初に言われたことは、疑う事の重要性。
今ある科学の基本は、疑う事。
しかし今の社会は、疑うことからかけ離れている状態にあります。

先日みたテレビ番組では、初めてあった人間の発言をすんなり信じる人間が、純粋無垢な存在。
疑うような人間は汚れていると断言していましたが…
信仰する事に何の疑いも持たないのは、手放しで良いことだといえるのでしょうか。

どこかの誰かが、『神が世界を創った』というのを信じ、それ以降、自分で考える行為を放棄する。
有名な科学者が、『宇宙の理はこうなっている』といったのを信じ、それ以降何も考えない。
信仰している対象は違っても、実際に行っている行為は思考停止だったりします。


しかし科学は元々、疑う事で発展してきました。
本当に地球は平らな大地なのか。
地球を中心にして宇宙が回っているのか。
過去の人々が思いつきで発した事を疑い、真実を追い求める過程で発展してきた。

しかし現状は、最前線で事実と戦っている科学者以外の一般人は、疑う事が少ない。
科学っぽい文法を使ってそれとなく説明されれば、それが真実なんだろうと何となく納得してしまう。
その結果として、一般常識と科学がかけ離れてしまっている。


わかり易い例がダイエット法。
炭水化物ダイエットと、どことなく科学っぽいワードを出して科学を装ってはいる。
しかし実際に起こっていることは栄養失調で、不健康な食事をとっているから痩せ細っているだけです。

ダイエット食品なんかも同じ。
食べるだけでお通じが良くなって、摂取したカロリーも減るという食品。
あれは、毒を飲んでお腹を壊しているだけなので、簡単かもしれないが健康的なダイエットには程遠い。

別に学者でなくても、これぐらいの事は疑うべき事だと想像できる。
しかし世の中では信じられる。

これは何故なのか。

おそらく、信じた方が楽だからだろう。
【信じる者は救われる】という言葉があるが、何も考えずにあるがままを信じていれば、少なくとも精神は救われる。

先程のダイエットの例でいえば、健康的なダイエット方法なんて遥か昔に既に確立されている。
適切な運動とバランスの取れた食事と休息。
これらのバランスを取りながら暮らしていけば、体型が大きく崩れることは無いと断言できる。

しかしその様な生活をするのは、多くの人にとって苦痛でしか無い。

それならば、科学的根拠が乏しい、民間療法にもなっていないようなオカルト的なダイエット方法を信じてすがった方が楽なんだろう。
炭水化物や脂質を抜いたり、リンゴやバナナのみを食べるという行動。
これも見方を変えれば、儀式に見えなくもない。
特に根拠の無い儀式を毎日行うことで、日々の堕落した生活が無かったことになると思い込む。
そして効果が無いと判明する頃には、別の教祖が創った新たな方法が発表される。

普通に学習能力があれば、1度や2度、騙されることはあっても、何度も騙され続けるということはない。
にも関わらずブームが起こり続けるのは、信じている方が楽だからなんだろう。

この他の例では、エコやロハス等。
人間が我が物顔で地球環境を作り変える事が悪で、人間はもっと地球と共存するように振る舞わなければならないといった思想。

しかし冷静に考えれば、人間が地球環境を作り替えたことによって、環境的に住みやすくなって増えた種もたくさんいる。
そもそも人間そのものが地球環境に適応して増えた種なので、その人間が地球の環境を変えることそのものが、自然な事という考え方も出来る。
その行動を悪と断言するのは、人間が暮らしていく上で都合の良い環境を維持しようという思想が根底にあるから。

にも関わらず、『地球にやさしい』というキャッチフレーズに飛びつくのは、そのストーリーを信じて制限された生き方をしている方が、精神的に楽だからなんでしょう。


人は自由と平等を求めているといいますが
自分で目標を設定し、目標に向かって計画を建てれる人間は多くはない。
大抵の人間は、完全な自由を手に入れても、何をして良いのか分からずに路頭に迷う。

また、触れる情報全てを疑い、何が本当で信用できるものなのかを考えられる人間は更に少ない。
実際の所は、分かりやすい目標を設定してくれて、生活を制限してくれるものにすがりつく。

その受け皿になるのが、オカルト的なものなのかもしれません。