だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

1000年後の未来から今を考える

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先日、東京以外で放送している【そこまで言って委員会】という番組を観た所、前提条件付きアンケートという企画が行われていました。
どんなアンケートかというと、政治経済についてのアンケートを取るのですが、そこに前提条件をつけてみようという試み。

例えば、『憲法九条の改正に反対ですか?賛成ですか?』という質問に、『賛成の場合には徴兵制が復活します』という前提条件を。
原発の新設に賛成ですか?反対ですか?』という質問には、『建てる場合には貴方の住む街に建てます』という条件をつけてみる。

憲法九条改正については、反対派は『そんなに戦争がしたいのか。大事な子供を国に差し出すのか!』という極論を出しますし、賛成派は『今の時代に戦争になんか成らないし、なったとしても徴兵制に成ることはない』と主張。
結果、議論が平行線をたどる事は多々あります。
これは賛成派・反対派共に、目の前の議論に勝つ為に理論武装しているから、都合の悪い部分は矛先をずらして答えないからでしょう。
しかし前提条件を付けてしまえば、今までの武装が意味を成さなくなる。
結果として、普段考えないような部分に目が生き、考え方に変化が起こります。

この結果云々という話になると、今回のテーマからずれてしまうので書きませんが、普段考えないような視点で考えるというのは、結構面白い企画だと思います。


今現在、私達は普通の平和な暮らしをしていると思っています。
世界を見渡すと別ですが、日本で【普通】と呼ばれる暮らしをしている分には、命の危険にさらされる事もありません。

ですが、今現在暮らしている自分の環境という前提を取っ払って、視点を変えてみてみるとどうでしょうか。
例えば、1000年後の未来の視点から、今を観てみる。
今の時代から過去を観てみると、昔は戦争ばかりで、とても野蛮な人達の様に思えます。
同じように、1000年後の未来から今の時代をみると、同じように愚かで野蛮な人達の創った社会構造に見えるかもしれません。

例えば、今の先進国では、働くことが当たり前と思われています。
皆、学校を出れば就職活動をし、当たり前の様に企業に入って仕事をする。
自分の生活の為、そして、自分の属している組織の社会的地位が上昇するために、身を粉にして働く。

この行動は、今の社会から見れば普通の事です。
しかし別の視点で見てみると、今の世界も戦争状態に有るという見方も出来ます。
どんな戦争かというと、【経済戦争】

そもそも戦争とは、他人から何かを奪い取って、自分の属している組織がより支配圏を拡大する事です。
その奪いあうものと手段が変化しただけで、会社の営業も戦争も、大した違いはない。
武力で奪うのか、金で買うのかの差しか無いわけです。

『武力と金では随分違う』と思う方も居らっしゃるでしょう。
しかし私には、さほど違いが解らない。

例えば、日本の様に経済的に恵まれていて、様々なインフラが整備し終えている国に生まれた人は、ある程度の努力で上に登ることが可能でしょう。
しかし、何のインフラもない後進国に生まれたとしたらどうでしょう。
血の滲む様な努力をしたとしても、生きるだけで精一杯。
先進国の金持ち連中は、その様な人達の足元を見て、タダ同然で働かせて人件費を浮かせる。

これは昔の奴隷制度とさほど変わりません。
『ちゃんと契約が行われたから。』『お金を払っているから』という言い訳が出来ただけで、やってる事は、金(力)を持つものが、持たざる者から労働力を搾取している構造は変わらない。

こう考えると、コアの技術を握った状態で世界展開するのは、帝国主義と同じ様な感じです。
その戦争に参加する兵士を労働者と例えるなら、学校を卒業した人は全て働かなければならないというのは、徴兵制と同じようなものにも見える。


『でも経済戦争なら、人が死なない分マシじゃないか』という反論もあるでしょう。
しかし実際には、経済戦争で人は死んでいますよね。
技術が進み、人の行ってきた仕事が機械で行える様に変化してきてから、労働市場では人が余りがちです。
労働市場で人が余るということは、労働者側から見れば需給関係が悪化するわけですから、労働者の環境は悪化する。

結果、ブラック企業と呼ばれる組織が幅を利かせる様になり、労働者は肉体的・精神的に追い詰められる。

仕事で過労に追い込まれ、過労死する人達や、精神を病み、自殺に追い込まれる人達を殉職者と捉えると、経済戦争でも会社に雇われている兵士は死んでいる。
また、劣悪な環境で人を雇って働かせる会社が大きくなり、シェアを取り始めると、その会社に負けた会社は倒産に追い込まれ、社員は路頭に迷うことに成る。
結局、権力者が自分の支配圏を広げる為に、力を持たない人間を利用するという構図は変わっていないわけです。


もし、1000年先の未来で、お金以外の進んだ価値観が生まれたとしたら、未来の人達は、『昔の人は人間同士で支配しあう、愚かな行動をしてきた』と思うかもしれない。

視点を変えることで、自分達がなんとなく抱いてきた『普通』という感覚を疑ってみる。
そうする事で、世界を違った形で捉えることも出来るって事は、結構面白いですよね。