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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第111回【ソクラテスの弁明】命をかけた教訓 後編

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真の裁判官たちへ

次にソクラテスは、無罪に票を投じた裁判官達に向けて、この様に話しを始めます。 呼び名が市民ではなく裁判官となっているのは、彼らこそが真っ当な仕事を行った立派な人達だからです。

私に無罪票を投じてくれた裁判官諸君。  私は、死刑囚として牢獄に投獄されるまでに、少し時間があるので、その時間を使って、君たちと語らい合いたいと思う。
裁判中にも語ったことですが、私には、小さな頃から不思議な声が、時折聞こえてきます。  その声は、私が悪い道に進みそうになったり、ある決断によって災難が降りかかるかもしれない時に聞こえてきて、警告をしてくれます。
その声は、例え、重要な討論の最中であったとしても、言ってはならない事を言おうとした際には警告してくれて、発言を事前に取りやめるという事もありました。

では今回の裁判に出向く前や、裁判中にその声が聞こえたのかといえば、私は一度も、その声を聞いてはいません。 裁判結果によって、私は殺されることが決定したのにも関わらずにです。
死ぬという、普通の人間が考えうる最悪の事態、最大の災難を突きつけられる状況にも関わらず、その声は、私の行動を一切、止めようとはしませんでした。
この事から分かることは、死ぬという事が、私達が考えているほど悪いものでは無く、むしろ、良いものかもしれないということです。

死の捉え方

もし、裁判官たちの中に、死が人生において最大の災いと考えているものがいるとするのなら、その考えは、改める必要があるのかもしれません。
この世の中に、一度死んで戻ってきた人間はいない為、冥府・あの世がどの様な存在なのかというのは、想像することしか出来ないが、思うに2通りの考え方ができると思う。
1つは、全くの無に帰する状態。 そしてもう一つが、肉体は死ぬけれども意識は残り、魂だけがハデスが収めるあの世に旅立つという考え方です。

仮に、死というものが前者、つまり、無に帰するものだとするのならば、これほど心地良いことはないでしょう。
人間というのは、日々、睡眠を取ります。この睡眠中に、夢なども一切、観ることがなく、熟睡できるときが、たまにあると思いますが、その時に人は、どの様な感想を得るでしょうか。
とても心地が良く、この様な質の高い眠りにずっと浸っていたいと思うのではないでしょうか。 中には思うだけでなく、もう一度、意識を失う為に寝ようと思うものすらいるでしょう。その様な状態が永遠に続くというのは、悪いことなのでしょうか。

次に、人は死んだ後に無に帰らず、魂になってハデスが治める【あの世】に行く場合のことを考えてみると、これもまた、これほど楽しみなことはないでしょう。
あの世では、今回のような人が行う不完全な裁判ではなく、人よりも優れている神々が直々にさばきを与えてくれるし、魂は不死で、あの世の世界にいくということは、既になくなっている者たちとも意見交換が出来るということです。
今回の私のように、不当な裁判で殺された人間もたくさんいるだろうから、どちらの裁判が不当で悪いものだったかという不幸自慢などをして楽しむなんてことも出来るでしょう。

それよりも、何よりも楽しみなことは、現世では絶対に出来ない、既に亡くなっている賢者との対話も行うことが出来るということです。
現世では伝説上の話や、吟遊詩人の歌のモデルになっているような偉人を探し出し、直に話すことで、彼らが本当に優れている人物かどうかを存分に吟味すると言った対話も楽しむことが出来る。
またあの世では、他人を吟味する過程で怒らせたとしても、現世のように不完全な人間による裁判で死刑に課せられることもないでしょう。 死んだ状態でもう一度、人を殺すことは出来ないのだから。

この2パターンのどちらになったとしても、これ程の幸福は無いと思う。
どちらの結果になったとしても、死ぬという結末が、絶対に避けなければならない最悪なものだとは思えない。

この世からの開放

もっとも、不正を行い、私に対して死刑判決を下した者たちは、私にこの様な状況を与えたくて死刑に票を投じたのではなく、単純に、憂さ晴らしの為に、危害を加えたかっただけだと思いますが。
彼らは、私に対して良からぬ感情を抱き、腹いせの為に死刑判決を下したんだろうが、私はこの様に、死に対して恐怖を抱いてはいないし、むしろ楽しみにすらしている。

そして、今回、この裁判によって、もたらされた死は、何かしらの偶然によってもたらされたものではなく、神の意志、運命のようなものだと思う。
そう思うのは、この世でこうして生きながらえるよりも、むしろ死ぬことで、この世から開放される方が幸せだと感じるからです。
だからこそ、私が間違った道に進もうとした際に聞こえてきたあの声は、今回の裁判に限っては、何の警告もしてこなかったんでしょう。

遺言

職務を全うしてくれた裁判官諸君には、最後に一つ、願い事を聞いてもらいたいと思います。
私には子供がいますが、もし、その子供が、物事について何も知らないにも関わらず、知ったふうな態度をとったとしたら、私が貴方達にしたように叱咤し、無知であることを気づかせて欲しいのです。
また、アレテーというものについて真剣に考えることもなく、『そうすることが幸せに近づけるから』という思い込みで、財産を溜め込むといった行動をとった際にも、その行動について責めて追求して欲しい。

もし、私の子供たちに、その様に接してくれるのであれば、その時初めて、私は、そして子供たちは、貴方方に正当な扱いを受けたことになるのですから。
もう、時間が迫ってきたので、話は終わりにしましょう。

私は死ぬ為に、貴方達は生きるために、この法定を去ることにしましょう。

ソクラテスの弁明

この言葉を最後に、ソクラテスは刑罰を受けるために、連行されていきます。
これまでに紹介してきた対話篇が、プラトンの創作色が強かったのに対し、今回取り扱った『ソクラテスの弁明』に関しては、プラトンが実際に裁判を傍聴し、その言葉を心に刻みつけて、書き上げたものだと言われていますが…
いかがだったでしょうか。

これまでの対話篇でも、ソクラテスは秩序を重要視して、その秩序を崩壊させようとする人たちに対して厳しい態度で接していましたが…
今回のソクラテスの弁明では、自分自身の命すらも道具にして、世の中を良くしようという気持ちが伝わって来なかったでしょうか。

ソクラテスの弁明』という作品に、初めて接した方は、もしかすると、ソクラテスが死刑になりたくないと、一生懸命に弁明をし、最後は強がった態度をしたという感想を抱く方もいらっしゃるかもしれません。
この配信をしている私自身も、はじめはその様に感じる部分もありました。
しかし、くり返し読んでいくうちに、ソクラテスは、そもそも最初から死ぬ前提で裁判に挑んでいる様子が読み取れます。

命をかけた教訓

どの様な部分で読み取れるのかというと、ソクラテスは、正論で持ってメレトスを完全に論破しているところです。
メレトスの主張には無理がある一方で、ソクラテスの主張には一貫性があるので、普通の態度で淡々と説明していれば、ソクラテスは無罪になっていた可能性のほうが高いです。
何故なら、最初の裁判は、総勢500人もいる裁判官の30人が意見を変えるだけで、無罪になっていたからです。

別に、泣き叫んだり、同情を買うための演技をしなくとも、裁判官に対して普通に敬意を払った喋り方をするだけで、高い確率で、無罪になる可能性があったわけです。
しかしソクラテスは、裁判開始の最初の段階で、裁判官のことを市民や諸君と言い、煽っています。
何故、わざわざ、自分の立場が不利になる様な態度をとったのかというと、態度に関わらず、事実だけを見て正しい判断を下せるのかどうかを見定めたかったのでしょう。

仮に裁判官たちが感情に流されて、無罪の者を腹いせで殺してしまうんなんて事になれば、殺した側は、一時の感情に負けて殺人を犯したことになるので、これほどの教訓を与える機会はそうないと思って、自分の命を使って、世の中に喝を入れたのでしょう。
無実の人間を、自分たちの手で、自分たちのシステムが殺したという罪悪感によって、人々が目を覚まして良い方向へ進むことを期待したのでしょう。

ということで、今回でソクラテスの弁明は終わります。 いつもなら、まとめ回へ映るのですが、今回はそのまま、対話篇のクリトンへ移ります。
といのもクリトンは、死刑が執行される直前の話となっていて、この話と続いているからです。 ということで、次回、『クリトン』をお楽しみください。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第39回【経営】製品ライフサイクル

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製品ライフサイクル

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前回、プロダクトポートフォリオマネジメントというツールについての話をしましたが、その説明の中で製品や事業のライフサイクルの話をしました。
その際にも少し説明したのですが、今回は、それだけを説明する回を行っていきたいと思います。
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製品や事業や市場の伸びをグラフにしてみてみると、アルファベットのSを横に寝かせたようなS字カーブを描きます。
これは、取り扱う製品や事業の質などによっても変わってくるため、全ての事業や製品がこれに当てはまるのかといえば、そんな事はありません。
しかし、多くの場合はS字カーブになります。

市場の最初期

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では何故、この様なカーブを描くのか。たとえ話をしながら観ていきたいと思います。
まず前提として、事業者が全く新しい市場を発見するとします。 つまり、元々市場がなかったところに、ある事業者が新たな製品を持ち込むことで、全く新しい市場を開拓したと仮定します。
つまり、製品も市場も生まれたばかりで、これから成長していく状態だと考えてください。

この様な市場で製品を売る場合は、もともと市場がなかったわけですから、そもそもその製品の需要はありません。
企業としては、その市場に参入するからには潜在的な需要があると思うから参入するわけですが、もともとなかった市場に製品を投入したところで、誰もその製品の存在を知らないわけですから、消費者側は買おうとする意識すら働きません。
しかし、その製品が画期的で、人が抱える何らかの悩みや不便な思いを解消してくれるようなものであれば、雑誌などのメディアに取り上げられるでしょうから、アンテナが高い敏感な人は知ることになります。

市場拡大の第一段階

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市場や製品が生まれたての頃は、この様な情報に敏感で、尚且、新しい物好きの人だけが買うため、販売数もそれほど伸びず、売上も伸びません。
ちなみに、この様な情報に敏感で新しい物好きの人のことを、イノベーターといったりします。
この人達は情報に敏感であるだけでなく、情報発信力がある場合も多いため、この層に気に入られる製品を作ることが第一段階となります。

どの様な人がイノベーターなのかというと、自身で雑誌やメディアなどを出していたり、そこまでいかなくとも、ブログやTwitterなどで情報発信をしているような方だと思ってください。
普通の人は、海のものとも山のものともわからない、初めて見るようなものにお金を投じるなんて度胸はない場合が多いからです。その為、誰かが買ってレビューをかいてくれるのを待っていたりします。
マーケティングで口コミが重要だと言われているのも、一般層のこの様な行動が理由になっていると思われます。

しかしイノベーターは、誰に頼まれるわけでもなく自ら進んで人柱になっていくような人たちです。 単に自分自身の好奇心だけでそこまでの行動を取れる人は少ないため、人柱になるにはそれなりの理由が必要となります。
その理由となるのが、人柱になった経験をネタにしようと思う心です。雑誌やブログのネタになって、そのブログにある程度の読者が付けば、それだけで一定の収益が手に入るため、爆死しても『記事を書くための投資だ』と割り切れます。
その為、イノベーター層の多くは、単に商品を嗅ぎつけて買うのが早いだけでなく、その人の持つメディアで紹介までしてくれるため、重要となります。

成長期前半に移行

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このイノベーターが行う紹介は、企業側から見れば宣伝となり、広告費をかけなくてもできる宣伝活動となり、マーケティングでもパブリシティとして名前がついていて、積極的に活用していくべきだとされています。
しかし気をつけなければならないのは、パブリシティは無料で行える宣伝活動ではありますが、それ故に、書き手がどの様な書き方をするのかを操作することは出来ません。
つまり、商品やサービスの出来が悪ければ、容赦なく低評価をつけられてしまう可能性があるということです。このあたりが普通の広告とは全く違うため、注意が必要です。

このイノベーター層の割合ですが、先程も言ったように市場によっても変わるのですが、だいたい3%前後ぐらいだとされています。

イノベーター層に製品が受け入れられて話題いなると、そのイノベーター層が発信する情報を参考にしているアーリーアダプターが、製品を購入し始めます。
アーリーアダプターとは、世間一般で言われているところのアンテナが高くて情報に敏感だとされている層です。
Twitterやインスタグラムでインフルエンサーと言われているような層や、その業界での有名人などがこれにあたります。

このインフルエンサー層に受け入れられて、好意的な評価を受けることが出来れば、そのインフルエンサーは積極的に商品を宣伝してくれるために一気に火がついて、次の顧客層であるアーリーマジョリティの購買に繋がります。
このアーリーマジョリティとアーリーアダプターとの間にキャズムと呼ばれる境界線があり、そのキャズムを超えるか超えないかで、市場や製品が一般に認知されるかされないかが変わってくるとされています。
キャズムを無事に乗り越えることが出来れば、俗に言う一般層の中でも少し情報感度が高いアーリーマジョリティが市場に押し寄せてきます。

パブリシティ

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客数が増えると、客同士の口コミによって商品の知名度が飛躍的に上昇するため、それに伴って製品の売上も飛躍的に上昇します。
何故、口コミによって飛躍的に上昇するのかというと、人というのは、知人からのお勧めというのを信用しやすいからです。
テレビや雑誌などで広告を出した場合、知名度の上昇にはつながるかも知れませんが、それよりも、身近な友達がそのサービスを使ったことがあるとか製品を持っているといった方が、人の心は動きやすいです。

というのも消費者側から見れば、広告というのはサービス提供者が一方的に自社製品の良いところを羅列しているだけのものです。
金をかけて宣伝広告をするわけですから、敢えて商品の欠点を大々的にいうなんてことはしませんし、他社製品と比べてどこが劣っているのか、どこが足りないのかなんてことは絶対に言いません。
その為、テレビなどで流れている広告を100%信用して購買行動につなげるという人は少ないと思います。

一方で、商品を実際に購入したことがある消費者の感想というのは、実際に購入した際の使用感などを率直に言っている場合が多いので、信用しやすいです。
これが単なる知り合いではなくて、自分の信頼している人の話であれば、尚更です。
これを聞かれているみなさんも、Amazonなどで購入する際は、星の数を見たりだとか、レビューを読んだりした経験はないでしょうか。

口コミ効果

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どのショッピングサイトであっても、メーカー側が発信する製品情報は一番目立つところに書かれていて、レビューというのは操作しないと見ずらいようになっていると思いますが、多くの方がレビューを読んで検討すると思います。
Amazonのレビューなどは、全く知らない人のネットの書き込みであるため、信頼関係もなにもないわけですが、それでも、参考になる意見はないかと探したりします。
これが数万を超えるような高い商品であれば尚更です。

全くの赤の他人のレビューですら気になるわけですから、身近な人であったり信頼できる人、親族などのレビューであれば、人は信じやすいでしょうし、購買行動に繋げやすいと考えられます。
ちなみに、この心理を利用したのがマルチ商法であったり、ステマと略されているステルスマーケティングと呼ばれるものです。
これらは、『人の口コミは信頼できる』という現状にフリーライドして行うため、個人的には非常に罪深い行動だと思います。

フリーライドというのはタダ乗りのことで、他の人達がコツコツと積み重ねてきた信用などの資産を何のコストもかけずに自分の利益のためだけに使う行為のことです。
これを行うと、単にフリーライドした人が利益を上げられるだけでなく、マルチやステマをしていない、純粋に商品を購入して良かったから知人に勧めている人まで同一視されて、その人の信用を失わせます。
マルチやステマをした人が信用を失うのは勝手ですが、そんなことをしていない人たちの信用させなくさせるという行動は非常に罪深い行動であると思います。

話がかなりそれてしまいましたが、キャズムを超えてアーリーマジョリティに商品が浸透しだすと、本格的に成長期に突入していきます。
この次の層はレイトマジョリティになるのですが、その話はまた次回にしていきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第111回【ソクラテスの弁明】命をかけた教訓 前編

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前回の振り返り

前回の話を振り返ると、ソクラテスはメレトスの主張をことごとく論破し、自身の行動には一切の非がない事を論理的に説明する一方で、裁判官たちを挑発するような事も言い続けるという試し行為を行いました。
何故、その様な試し行為を行ったのかといえば、アテナイという国の秩序が保たれているのかどうかを確認するためでしょう。
もし、500人の裁判官のうちの半数でも、感情に流されること無く、物事を冷静に見ることが出来るような良識を持ち合わせた人間であれば、ソクラテスがどの様に感情を煽ろうが、彼は無罪になったはずです。

しかしソクラテスは、有罪になってしまいました。 これは、裁判官の半数以上が、善悪の判断よりも感情を優先させたということです。
例え、その者が罪を犯していなかったとしても、『ムカつくから有罪にしよう。』といったレベルで判決を下す者が半数以上を締めたという事です。
こういった判断を下すものが少数ではなく、過半数存在するということは、この国の秩序が保たれていないことを意味します。

次にソクラテスは、有罪判決を受けた後にもう一度、罪状を決める際に裁判官たちを煽ると共に、追い詰めます。
それに腹を立てた裁判官たちは、彼に死刑判決を下すことになるのですが、その後で、ソクラテスは再び、彼らの目を覚まさせる為に語り始めます。

足りなかったもの

諸君、君たちは、僅かな辛抱が足りない為に、良識を持った人達から、賢者を殺したと責め立てられるでしょう。
何故なら、良識を持ち合わせた人達は、何よりも秩序を重視していますが、その秩序が『ムカついたから』といった軽い理由で ないがしろにされる状態を良しとはしないからです。
また、その様な輩を許さない人達は、実際にそうかどうかは置いておいて、私のことを賢者だと持ち上げているのですから。

私は既に高齢で、わざわざ手を下さなくとも、放って置いても勝手に死んだでしょう。
諸君らの中には、私が弁解する時間が足りなかった為に、皆を説得できなかったと言い訳をする人もいるでしょう。 もっと丁寧に、一人ひとりに対して言葉を尽くして説明していれば、結果は変わっていたと。
確かに、私が死刑判決を下された理由としては、なにかが足りなかったんだと思う。 しかしそれは、断じて時間などではなく、厚顔無恥な態度です。

どんな醜態を晒そうとも生き残るという確固たる意志がない為に、なりふり構わず命乞いをすることが出来なかっただけです。
私が単純に長生きだけを人生の目標にしていて、この裁判で死なない為だけに、誇りを捨てて惨めに泣き叫び、頭を地面にこすりつけながら懇願すれば、裁判官の席に座っているものの優越感を刺激できて、私は、無罪票を獲得出来たかもしれない。
例えば、命の取り合いをする戦場であったとしても、武器を捨てて降参し、惨めに命乞いをすれば、相手は見逃してくれるでしょう。

死よりも怖いもの

この様に、誰かから殺されようとしているときに、目先の死から逃れることは、それほど難しいことでは有りません。
ですが、死よりも回避することが困難なことは、不正に手を染めないことです。
自分が信じる者、尊敬する者の命令を無視し、自分の利益の為だけに不正を犯したいという誘惑に勝てる人間は、少なく有りません。

その誘惑に負ける様な弱い人間は、裁判官という役割を、他人の命を左右することが出来る程の高い身分だと錯覚しています。
だから、有罪となったものは、出来るだけ軽い刑罰を言い渡してくれるように懇願すべきだし、助かりたい一心で裁判官に媚びへつらってご機嫌取りをすべきだと思い込んでいます。
この裁判官という立場は、難関をくぐり抜けて勝ち取ったわけでも、人よりも優れていることを証明したからなれたわけでもなく、ただ単に、くじ引きで当たっただけで手に入れた地位なのに。

単なる運によって偶然にも、人の運命を左右できる立場を手に入れただけなのに、その立場になったことで、自分自身まで偉くなったと思いこむ。
そんな人間の前に、私のように媚びずに屈しない人間が現れて、堂々と答弁したとすれば、彼らはさぞ、面白くないことでしょう。
その腹いせに、彼らは『秩序を守る法律』ではなく、感情に任せて死刑宣告をするという不正行為を行ってしまいました。

不正行為の報い

私は、彼らによって不正行為を受けて死刑になってしまいましたが、彼らは彼らで、神の定める秩序を無視するという不正行為を行ったのだから、いずれ、その報いを受けなければならない時が来るでしょう。
その報いとは、真の幸福に到達する事が出来ないという事です。
何故なら、真の幸福に到達する為に必要なことは、不正を犯さないことだからです。善悪を見極められるように努力し、自分自身も周りの人も、良い方向へと導くことが必要だからです。

私は、この不正による死刑判決を受け入れましょう。 しかしそれは、そちら側にも当てはまることで、不正を犯した彼らは、それに伴う責任を取らなければなりません。
人は、人生が残り僅かになった際には、未来を予知する能力が高まるらしいので、これから死ぬ私が、不正行為を働いた君たちに一つ、予言を授けておきましょう。

君たちが私を殺そうとするのは、口やかましい老人と討論することによって、自分の無知を暴かれたくなかったからでしょう。
しかし、今回、行われた不正によって、君たちは更に多くの人たちから、今回の件についての弁明を求められるはずです。
何故なら、私を慕ってくれていた青年たちは、君たちの判断が本当に正しかったのかを問いただしに、必ず、君たちの元を訪れるからです。

たった一人の老人が口やかましいからと殺してしまう君たちは、より多くの人達から、その行動の善悪について問われます。
老人よりも遥かに体力で勝る青年たちによる責は、さぞかし、苦しいことでしょう。 その青年たちに、納得の行く論理的な説明が出来ないというのであれば、君たちは大勢の者たちの前で、無知を晒すことになるでしょう。
自分が無知であるという正体を暴かれたくないという思いから、人殺しをするような人間は、その行為によって生活がマシになったり、幸福になるなんて事はありえません。

最も立派で、且つ、簡単なことは、他人の行動を権力によって抑圧する事ではなく、自分自身が良くなるように、良い方向へとすすめるようにと努力することです。
この言葉を最後に、君たちとは別れを告げることにしましょう…

不正行為をした者達へ

ここまでのソクラテスの演説は、彼に死刑判決を下した者たちに向けた演説で、彼は最初に、自分を死刑に追いやった、不正を犯したものを責め立てたのですが、これは、単に恨み節を言ったというわけではありません。
ソクラテスは、自分の死刑が決定したとしても、不正を行った者達に、不正や悪事をしているという自覚を与えることで、良い方向へと導こうとしているのだと思われます。
彼に対して無罪票ではなく、有罪判決を出したものに対して最初に意見を言ったのは、不正行為によって有罪判決を下し、人の人生を自分たちの手で終わらせた彼らは、その場に留まって最後までソクラテスの言い分を聴くなんて事はしないからです。

裁判が終わると同時に、その場の空気に耐えられなくなって、逃げるように退散するはずです。
そういう行動を取る人達に対して主張をする為に、死刑判決が下った直後に、有罪に投票した人達に向かって演説をしたのでしょう。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第38回【経営】PPM(2)

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前回はこちら

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プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント

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前回からプロダクトポートフォリオマネジメント。略してPPMについて話していますが、今回はその続きとなっています。
前回の話を聞いていないと理解できない部分が多いと思いますので、まだ聞かれていない方は、そちらから聞くことをおすすめします。

前回の話を簡単に振り返ると、PPMとは、縦軸に市場の成長性を取り、横軸に市場シェアをとったマトリクス図です。
縦軸の下の方は市場の成長性が低い状態で、上の方が市場成長率が高い状態。
横軸は、左側が市場シェアが高い状態で、右に行くほど市場シェアは低くなると考えてください。

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そしてこれを、漢字でいうところの田んぼの田の字のように4つの領域に分けて、それぞれに名前をつけていきます。
市場成長率が高く、市場シェアが低い状態は『問題児』 同じく市場成長率は高いが、市場シェアも高い場合は『花形』
市場成長率は低いが、市場シェアが高いのは『金のなる木』 そして、市場成長率も市場シェアも低い状態が『負け犬』です。

基本的な考え方としては、新規投資をするのは市場成長率が高い事業のみとなります。つまり、PPMでいえば上のカテゴリーだけということです。
そして、事業が負け犬のカテゴリーは経営資源を振り分けず、撤退を考えます。
金のなる木についても同様に、利益が出ている間であっても、出費は生産を維持するための修繕費などに抑えて、新規の投資は積極的に行わないようにします。この理由は、後で話していきます。

問題児からスタート

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さて、新規事業として始める場合は、基本的には問題児から始まります。 何故なら、シェアについては今まで参入していなかった市場に新規参入しているために、市場シェアは握っていません。
また、せっかく新規参入をするのに、わざわざ衰退市場を選んで新規参入するなんてことは、基本的にはしないからです。
事業によっては、既存の製品を新市場に向けて販売しているので、負け犬から始まるという事業もあるかも知れませんが… この場合は既存製品の生産設備を流用するため、新規投資は必要ありません。

その他の例外としては、一部の市場でもの凄く名前の通った企業ブランドを持つ企業が関連分野に参入するため、最初からある程度のシェアを握っているという場合は、いきなり花形から始まりますが…
こういったケースは大企業に多く、この番組が想定している中小企業では少ないと思いますので、あまり考えなくて良いと思います。
つまり、新規投資が必要な事業を新たに始める場合は、大半が問題児から始まると考えて良いです。

黎明期はキャッシュがマイナス

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その問題児も、うまい具合に市場シェアを取ることが出来れば『花形』に成長しますが、この花形に入ったからと言って、安心できるわけではありません。
前回も言いましたが、製品や事業のライフサイクル的には、企業の生命線と言えるキャッシュは成長期の半ばまではマイナスで推移するため、売上は急激に伸びているのにお金がないという状態が続きます。
そこで体力が切れて倒れてしまうと元も子もないため、気を抜かずに注意し続ける必要があります。

この後、花形での投資がうまく行き、市場シェアを維持し続けることが出来たとしても、業績は無限には増えていかず、いずれ頭打ちとなります
前回、事業や製品のライフサイクルを表にするとS字型になると説明しましたが、S字型になるということは前半だけでなく後半も、業績は頭打ちになった後に落ちていくということです。
何故、市場シェアを維持し続けているのに売上が伸びずに下がっていくのかというと、市場の方に限界があるからです。

製品が売れる限界

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事業や製品だけでなく市場にもライフサイクルというものがあり、一つの市場は、昔は30年と言われ、今では数年で寿命が尽きて終わるといわれています。
何故、市場の寿命が尽きるのかというと、まず基本として、市場には需要量というものがある程度決まっていて、上限があるからです。
テレビであれ自動車であれ、欲しいと思っている人の割合はある程度決まっています。 宣伝や新たな価値観の提示によって、需要を少し増やすことはできるかも知れません。

例えばドラッガーは、著書の中で冷蔵庫をエスキモーに売る話を例にして、新たな価値観によって需要を増やせるといっています。
エスキモーの住む土地は寒く、表に出すだけで全てが凍ってしまうほどの気温であるため、本来であれば食品を冷やす機械なんてば必要ありません。
しかし、冷蔵庫を食品を冷やして保存する道具ではなく、凍結を防止するための道具として新たな価値を提案すれば、需要のないところに新たに需要を作り出すことが可能だということです。

このようにして新たな価値観を提示すれば新たな需要を生み出せるかも知れませんが、だからといって売り方を変え続ければ冷蔵庫が1兆台売れるのかといえば売れません。
冷蔵庫の必要量はある程度決まっているので、どこかで頭打ちとなります。 需要が満たされてしまえば、後は買い替え需要を狙うしかなくなります。
つまり、市場の成長率は最初は高いけれども、その後どんどん鈍化していって、最終的には減少に転じるということです。

製品ライフサイクル

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誰も冷蔵庫を持っていない状態と、買い替え需要を待つだけの状態。 どちらが勢いよく売れるのかといえば、当然、誰も冷蔵庫を持っていない状態です。

しかし、誰も冷蔵庫を持っていない状態は続きません。 メーカーとして経営を続けていき、需要を満たし続けていれば、いずれ商品は顧客に行き渡ってしまうため、販売量は頭打ちとなります。
この間も当然、新規参入は後を絶ちません。 ライバルが増える中でシェアを維持しようとすれば、顧客に選ばれるために製品の差別化をしていかなければなりませんが、その差別化にも限度があります。
差別化ができなくなると価格引き下げ競争に突入しますが、価格競争になってしまうと利幅が少なくなってしまうため、同じ量を売ったとしても利益は少なくなってしまい、市場の魅力は薄れていきます。

この他にも代替品の登場によって、市場そのものが急激に衰退してしまうケースもあります。
代替品については、過去に『5フォース分析』を取り扱った際にも説明しましたが、新たな製品の登場によって、既存の製品の意味が無くなってしまうことです。

例えばスマートフォンの誕生によって、カーナビやガラケーや安価なデジタルカメラなどの市場が荒らされて、それらの市場は縮小してしまいました。
新たに画期的な商品が誕生したことによって、それまで売れていたものが陳腐化してしまい、市場が大幅に縮小してしまうというのはよくあることです。

これは素材についても同じことがいえます。 例えば一時期、中国がレアメタルの輸出を渋った時期がありましたが、その動きによって代替品を探そうという事になりました。
こういったことがなくとも、企業は常にコストを意識しているわけですから、仕入れが簡単で安価で手に入る代替品を探し続けています。
これらの原因により、市場の成長率は徐々に低下していきます。

市場成長率の低下 『花形』から『金の成る木』へ

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問題児の企業が頑張って市場シェアを増やし、『花形』に移行しても、その後は市場の方の成長率が下がることで、花形だった事業は『金のなる木』に変わります。
市場の成長率が下がっているのに、何故、『金のなる木』になるのかというと、成長期に行った投資によってすでに設備があり、シェアも握っている状態であるため、その事業のために新たにコストがかからないからです。
コストが掛からないのに、市場シェアは高い状態を維持しているため、この事業では利益が出続けます。

何故、利益が出るのかというと、大部分のシェアを握っているからです。 先程、市場成長率の低下の原因の1つに価格競争を上げましたが、企業が作る価格は作る量に依存します。 つまり量が多ければ多いほど、コストは安くなります。
このことは、前にも紹介したかも知れませんが、規模の経済と言います。 規模が大きくなると、材料仕入れ値を下げたり、生産ラインの効率を上げたりすることで、コストが下げられるからです。
生産コストが一番安い上に販売量が一番多く、新規投資が必要がないのであれば、その強みを生かして更に市場シェアを伸ばすことも可能ですし、新規投資がないために利益は出ていかずに社内に残り続けます。

つまり、出費はないのに利益が出続けるために、『金のなる木』と呼ばれます。この『金のなる木』に分類された事業から生まれる利益ですが、どうするのかといえば、単に溜め込んでいても意味はないために新たな『問題児』に投資します。
その後、『金のなる木』の市場が採算側無いほどまでに縮小してしまったら、その事業からは撤退します。
この様に、市場成長率が低下してきた事業から上がった資金を新規事業に流用していくことで、会社を持続的に発展させていくことを目指すのが、PPMとなります。

これで、プロダクトポートフォリオマネジメントの話は終わりますが、次回は、PPMの説明をした際に話題に出した、ライフサイクルの話をしていきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第110回【ソクラテスの弁明】秩序を軽んじた罪 後編

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死とは

おそらくですが、ソクラテスが主張する刑罰として裁判官たちが予想していたのは、国外追放だと指摘します。
多くの人間は死にたくないと思っているし、死ぬということが悪いことだと思い込んでいます。
その最も悪いとされている『死』から逃れるために、そして、死刑に釣り合うほどの刑罰として、国外追放を提案するというのが、これまでの相場、常識とされていたんでしょう。

しかし、死ぬとは、本当に悪いことで、絶対に避けなければならないものなんでしょうか。
仮に、死という現象が最悪なものであるとするのなら、人の人生は最悪なもので閉じられる事となります。
また、この世の中には、一度死んで再びこの世に戻ってきた人間はいません。 その為、死という現象が本当に悪いものなのかを確かめる術がありません。

その為、ソクラテスは『死』という現象については、良いものか悪いものかは知らないというスタンスです。 知らないものに対して一方的な恐怖を感じ、悪だと決めつけるのは、ソクラテスの信条からは外れます。
何故なら、彼は『無知の知』を主張し、知らないものに対しては知らないものとして接することを信条としていたからです。
だとするのなら、その、『良いのか悪いのかも分からない死』というのを避けるために、有りもしない不正行為を認めて罪をでっち上げ、それに相応する刑罰を提案する行為には、意味はあるのでしょうか。

彼は当然、そんな事には意味がないと考えている為、迎賓館での食事を提案しました。
理由はそれだけでなく、国外追放の提案は、根本的な解決になっていないからです。

誰かの機嫌を損ねた罪

ソクラテスが訴えられた今回の裁判は、簡単に言えば、彼が多くの人の機嫌を損ねたという理由で訴えられて有罪判決を受けています。
仮に、ソクラテスが国外追放を提案し、アテナイから離れて別の国に移り住んだ場合、当然、ソクラテスを尊敬して仲間だとし、共に研究を続けていた仲間たちは、一緒に着いてくることになるでしょう。
そして、新たな地でも同じ様に研究を続けていたとすれば、その土地の人達の機嫌を損ねる事になり、同じ様に訴えられることになってしまいます。

それとも彼らは、アテナイの人達は、ソクラテスの態度に腹が立つから、有罪判決を下して国から追い出そうとするのに、ソクラテスが移住した先の人達は、腹を立てずに議論に付き合ってくれると思っているのでしょうか。
そんな事はないはずです。 相手が同じ人間であれば、返ってくる反応も同じ様になるでしょう。

また、ソクラテスが、同じ失敗を繰り返したくないという思いから、仲間との関係を絶って一人で研究を行う道を選んだとしても、次は、関係を絶った仲間たちから訴えられることになります。
何故なら、彼と共に研究をする道を選んだ仲間たちは、誰に強制されるわけでもなく、自分が好きでソクラテスについて行き、生活を共にしているからです。
彼らにとっては、ソクラテスと共に研究をすることが『生きがい』になるわけですが、ソクラテスが一方的に関係を絶ってしまった場合、彼らは機嫌を損ねてしまいます。

今回の裁判は、法を犯したとか、不正行為を働いたという理由で訴えられたのではなく、『誰かの機嫌を損ねた』という一点においてソクラテスが訴えられて、有罪判決を受けています。
ということは、もし、ソクラテスが独学の道を選ぶことで機嫌を損ねる人が出てくれば、その人によって訴えられてしまう事になります。
『誰かの機嫌を損ねた』程度で有罪判決が下るのであれば、どの様な行動をとったとしても、訴えられ、いずれ殺されてしまうことになるでしょう。

命の価値

それを避けるために、誰にも訴えられないように、一人でひっそりと暮らすという方法も、あるかもしれません。
しかしそれは、果たして生きていると呼べるのでしょうか。
ソクラテスにとっての生きがいは、最高善であるアレテーを追求することで、その為には、人々との関わり合いが欠かせません。

その最大の生きがいを禁じてまで、この世にしがみつく意味はあるのでしょうか。

この様に、ソクラテスの言い分は理屈が通っているのですが、罪が確定している状態で『迎賓館の食事』に投票するというのは、それはそれで、裁判官の職務を全うしているのか?という疑問も湧いてきます。
彼の有罪は満場一致で決まったわけではなく、僅差で決まっている為、彼に無罪を投票した人達もかなり存在します。
その人達に対しても、『自分の意志で人を殺させる』という重責を負わせるのは、また、選び辛い選択肢を提示するというのは酷だと思ったのか、彼は別の刑罰を提案します。

その罪は、罰金刑です。
ただソクラテスは、ソフィストたちのように授業を行ってお金を取ると言った活動はしておらず、極貧生活を送っていて、自身の生活の面倒を共に研究している人達に助けてもらっている状態です。
当然のことながら、多額のお金を支払うなんてことは出来ません。 ただ、もしかしたら、自分と共に研究していた人達が、彼のことを哀れに思って、お金を立て替えてくれるかもしれないとして、罰金刑を主張します。

この投票の結果、今度は更に80票の差が開いて、ソクラテスに死刑が言い渡されることになります。
この結果も、ソクラテスの思惑通りだったと思われます。

揺るがない基準

彼は、この裁判中もそうですが、過去の対話篇でも一貫して、感情に流されてはいけないと主張していました。
普段の生活でもそうですが、裁判中の裁判官ならなおさらです。何故なら、裁判とは、国の秩序を司るシステムで、裁判官は、その秩序の番人だからです。
その裁判官が感情的になり、裁判結果に私情を挟むというのは、それこそが秩序の崩壊と言えるでしょう。

対話篇のゴルギアスでも話されていましたが、人が判断を下す際には、感情ではなく、自分の感情の外にガイドラインを用意して、それに沿った判断を下していかなければ間違いを犯すと語られていました。
裁判でいうのであれば、そのガイドラインは法律です。 裁判官が法律を無視し、感情論で有罪無罪を判断し、刑罰を決めるとすれば、その基準は裁判官たちの機嫌によって揺れ動くことになります。
裁判官が機嫌が良いときには刑が軽くなり、逆に機嫌が悪い時には刑が重くなる…

この様な裁判が、正当な裁判と言えるでしょうか。
もし、この様な状態を許すというのであれば、裁判官に金品などを送ってご機嫌取りをすれば、どんな凶悪な犯罪を犯したとしても、その罪は裁かれない事になります。
そんな状態になれば、裁判官という立場その者が特権階級となり、既得権益へと変わっていきます。

そうなれば、富や権力を持つ一部も人間だけが好き勝手に振る舞える為、国家の秩序は崩壊し、国は乱れ、その国に属する人たちの大半は、不幸になってしまいます。
そうならない為にも、裁判には私情を挟まず、自分の感情がどの様な状態であれ、法律に則って判決を下さなければなりません。
それが秩序を守るということです。 不正行為を罰する機関で不正が行われるというのは、一番避けなければならないことです。

命をかけた訴え

ソクラテスは、自分が暮らすアテナイという国が、不正行為を認めない立派な国であるように、敢えて、裁判官を挑発し、感情的にさせたんでしょう。
もし仮に、それでもソクラテスが無罪になるというのであれば、この国の秩序が保たれている証拠となります。
しかし、仮に自分が有罪判決を受けて、ひどい刑罰を受けることになるとすれば、それは、この国のシステムが腐敗している証拠となるので、自らの命を生贄にすることで、彼らの目を覚まさせようとしたのでしょう。

ただ、先程も言いましたが、ソクラテスがとったこの様な態度で、ソクラテスの真意がわかるような人々であれば、そもそも、裁判は開かれていないでしょうし、開かれたとしても、冷静な裁判官達によって、彼は無罪になっているはずです。
そこでソクラテスは、自身の口から、この裁判の総括を行い、この裁判の何処に問題があったのかを語るのですが、その話は次回にしていこうと思います。

参考文献



【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第110回【ソクラテスの弁明】秩序を軽んじた罪 前編

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前回までの話を簡単に振り返ると、ソクラテスによって恥をかかされたと思った人達の思いを代弁する形で、政治的権力を持っているアニュトスが後ろ盾になり、メレトスが代表となってソクラテスを訴えました。
ただ、この訴えは、『ソクラテス憎し!』という感情だけが先走った訴えだった為、メレトスの主張はソクラテスによって全て論破されることになります。
普通であれば、ソクラテスの完全勝利で終わりそうな裁判だと思われますが、それでもソクラテスが劣勢に立たされているのは、ソクラテスが多くの人から恨まれているからです。

裁判官のアレテー

殆どの人々は、物事を良く知らないにも関わらず、知った気になっています。
そして、面白いことに、物事をよく知らない人であればあるほど、プライドが異常に高く、自分のことを優れた人間だと過大評価し、自分と違う意見を持つ人間を馬鹿にしがちです。
ソクラテスは、そういった人達に対して、『あなたは何も知らないのではないですか?』といったことを論理的に伝えるという活動を数十年もの間おこなっていた為、多くの人から憎まれていました。

そんな、ソクラテスに無知だと認定された人達が、少なくない割合で裁判官に選ばれていた為、事実うんぬんの話ではなく、感情論でソクラテスに対してギャフンと言わせたいという雰囲気が、彼の立場を悪くしたんだと思われます。
彼に無知だと認定された人達は、ソクラテスを死刑に出来る権利を手にしたことによって、これまでの恨みを晴らそうとしています。
出来ることなら、ソクラテスがなりふり構わずに泣きじゃくって、命乞いをする姿を見てみたいし、そうさせた上で、死刑をチラつかせて精神的優位な立場に立ちたいと思っています。

しかしソクラテスは、毅然とした態度で『そんなことはしない!』と言い放ちます。
何故なら、彼に言わせるなら、そのような行為そのものが不正行為であって、褒められた行動ではないからです。
裁判官の本分は、目の前の事実のみで、真偽を見極めて正しい判決を下すことです。 その立場には本来、権力はなく、裁判官は、国のシステムによって判決を下すという役割を与えられているだけに過ぎません。

裁判官に抽選で選ばれたからと言って、偉いわけでもなく、人よりも優れているわけではありません。
裁判官として優れている人物というのは、自分の感情を度外視して、自分に割り当てられた役割をまっとうする人間のことです。 それこそが、裁判官のアレテーです。
ソクラテスは、自分が置かれている立場や、裁判官たちの一定割合が自分にどの様な感情を抱いているのかを知った上で、敢えて、自分に良からぬ感情を持つ人達を挑発するような言い方で、『裁判官としての仕事を全うしろ!』と主張します。

軽視される秩序

そうした状況で、判決が下されることになります。
結果は、60票差でソクラテスの有罪が決まります。
差が60票ということは、30人の人間が心変わりをして無罪に投票していれば、ソクラテスは無罪になっていた可能性が有るということです。

裁判官が500人いることを考えれば、僅差と言える投票差と言えるでしょう。
ソクラテスは、もっと大差がついて負けると思っていたようですが、予想外の結果に、少し驚きます。
この描写からも、ソクラテスは端から助かる気はなく、この裁判で死ぬことを前提として行動していると思われます。

刑罰の判定

次に裁判は、刑罰を決める段階に入ります。
この当時の裁判は、裁判官が自分たちで話し合って、罪に応じた刑罰を決めるのではなく、訴えた人間と訴えられた人間が、それぞれ、自分が犯した罪にふさわしいと思う刑罰を主張し、それを裁判官による投票で決めるというシステムです。
今回の裁判でいえば、訴えたメレトスが妥当だと思う刑罰を提案し、ソクラテスの方も、同じく刑罰を提案し、どちらの刑罰がふさわしいのかを裁判官が投票で決めるというシステムです。

メレトスは当然のように、最も重い死刑を望みます。
メレトス側からすれば、裁判で自分が勝った為、目的の大半は達成済みです。 後は、ソクラテスに対して重すぎる刑罰を主張し、彼が怯える姿でも観て楽しもうと思ったのでしょう。
仮にソクラテスが、懲役刑や国外追放を主張し、それが採用されたとしても、文句はないと思われます。

目障りなソクラテスアテナイから出ていってくれるわけですし、彼を罪人に仕立て上げた事で、彼の発言の信用力を下げることが出来ました。
もし、誰かに、ソクラテスにバカにされた過去を指摘されたとしても、『罪人のソクラテスの意見を信じるのか?』と言い返すことが出来ます。
仮にメレトスの主張が通って、ソクラテスが死刑になったとしても、メレトスがソクラテスを殺すわけではありません。 最終判断を下したのは、あくまでも、裁判官であって、メレトスは提案をしただけです。

刑が執行されてソクラテスが死んだとしても、メレトスは『自分が殺したんじゃない、決断したのは裁判官たちだ』と思い込む事で、裁判官たちに責任を押し付けることが出来ます。

ソクラテスの反撃

メレトスにとっては、有罪判決が出た時点で、この先の展開がどの様に転ぼうがどうでも良い事ですし、彼の中での裁判は終わったという印象だったんでしょうが…
ここでソクラテスが予想外の行動に出ます。 行動というよりも、彼が提案した刑罰が、とんでもないものでした。
その、提案というのが『迎賓館での食事』という刑罰です。

ソクラテスに言わせるなら、自分で刑罰を提案して主張するということは、自分が不正行為をしたことを認めるということに他なりません。
しかし彼は、『自分はアテナイ人の為を思って、国の為に、良かれと思って行動している。』と一貫して主張しています。
自分が暮らしている国の先行きを心配し、そこで暮らしている人達の幸福を願って行動しているのに、何故、刑罰を受け入れなければならないのか、何故、国を追放されなければならないのか。その、理由がありません。

むしろ、私は国の為によく働いたんだから、国は迎賓館で食事でも振る舞うべきなんじゃないのかと主張します。
ここで困ってしまうのが、メレトスや裁判官たちです。

仮にソクラテスが、自分の命が助かりたい一心で、例えば、国外追放を提案してくれていれば、裁判官たちは国外追放を選べば裁判は終了です。
国外追放という罪はソクラテス自身が提案したわけですから、それを選んだとしても罪悪感はありません。 何故なら、ソクラテス自身が、自分の罪に釣り合う罪状は国外追放だと主張したわけですから。
裁判官たちは、メレトスの主張する死刑か、ソクラテスの主張する国外追放の2択を迫られているわけですから、その2つのうちの軽い方を選ぶのに精神的負担はありません。

しかし、ソクラテスが迎賓館での食事という、刑罰とは呼べないものを提案してしまった為に、裁判官たちは自らの意思で死刑を選択し、ソクラテスを殺すという決断をしなければならない状態に追い込まれました。
また、追い込まれたのは裁判官たちだけでなく、メレトスも同じです。 何故なら、メレトスが死刑を提案しなければ、ソクラテスは死なずに済む状況だったからです。
ソクラテスは、自分の主張が絶対に選ばれることのない様な内容にすることで、提案したメレトスと、その意見を採用する裁判官自身に、『罪を犯していない人間を、自らの意思で殺す。』という逃れられない責任を押し付けたことになります。

秩序を軽んじた罪

この責任から逃れるためには、ソクラテスが主張した迎賓館での食事という褒美を選ばなければなりませんが、それを選ぶと、先程、下した有罪判決の意味がなくなってしまいます。
仮に、メレトスや裁判官たちが、自分の感情に左右されずに、秩序を守るという行動を選択できるような人間であれば、この裁判はそもそも開かれてはないでしょうし、開かれていたとしても、判決は無罪になっていたでしょう。
しかし両者は、ソクラテスにギャフンと言わせたい一心で、感情を優先させて裁判を私物化してしまいました。

その結果として彼らは、自分たちの決断によって、一人の人間を、自分たちの決断によって殺さなければならない状況に追い込まれます。
ソクラテスは、この様な状況を作り上げた上で、この様な提案をした理由を語り始めます。


参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第37回 【経営】PPM(プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント)(1)

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プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント

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前回までで、多角化についての話をしてきたので、今回も、その流れで多角化戦略についての考え方を紹介します。
今回紹介するのはPPMと略されるプロダクト・ポートフォリオ・マネジメントです。

このプロダクトポートフォリオマネジメント、以下PPMと言いますが、これはそれぞれの事業が置かれている状態を整理し、どの様に資源配分をしていくのかというのを整理するためのツールです。
それぞれの事業の位置づけを行って資源配分を行うツールであるため、これを使うのはすでに複数の事業を抱えている場合です。
最初に注意としていっておきますと、このPPMでは前回に紹介したシナジー効果については考慮されていません。

そういったものを排除して、事業間の関係性を単純化して整理するのが目的のツールなので、その事業の声質であったり、事業同士の関係性などは考慮されていません。
その為、これだけを使って経営資源の再分配を行うのは避けたほうが良いと思います。
一つの目安として参考にする程度で、実際に判断を下すのは、その事業の特性であったりシナジー効果などの他の事業との関連性を見極めた上で行う必要があります。

PPM

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早速、PPMについて説明していくと、これは、縦軸に市場の成長性を取り、横軸に市場シェアをとったマトリクス図です。
縦軸の下の方は市場の成長性が低い状態で、上の方が市場成長率が高い状態。
横軸は、左側が市場シェアが高い状態で、右に行くほど自社の市場シェアは低くなると考えてください。

そしてこれを、漢字でいうところの田んぼの田の字のように4つの領域に分けて、それぞれに名前をつけていきます。
市場成長率が高く、市場シェアが低い状態は『問題児』 同じく市場成長率は高いが、市場シェアも高い場合は『花形』
市場成長率は低いが、市場シェアが高いのは『金のなる木』 そして、市場成長率も市場シェアも低い状態が『負け犬』です。

問題児

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まず、基本的に新規事業というのは、問題児から始まると考えて良いです。
何故なら、新規参入した直後というのはその市場での実績も信用力もないですし、参入直後なわけですから、当然のように市場でのシェアは低い状態です。
しかし、新規で事業参入するわけですから、市場成長率は高いはずです。 何故、市場成長率は高いのかというのは、前回までに説明してきた多角化戦略の回でも話しましたが、そもそも成長率の高い市場にしか進出しては駄目だからです。

全く設備投資も広告宣伝も必要がない状態なら話は変わってきますが、新規事業を立ち上げる場合には、それなりに費用がかかります。
費用をかけるからには、最低でもその費用を回収しなければならないわけですが、その参入先の市場が縮小し続けている真っ最中であるのなら、投資資金の回収見込みはなくなります。
何故なら、そんなシュリンクしている市場でいくらシェアを広げたところで売上の伸びは期待できないからです。 その為、新規参入をする場合、例えシェアが思うように取れなかったとしても売上が上がりやすい成長市場を狙うのが定石です。

その為、新規事業で立ち上げた場合は基本的には、市場成長率が高いがシェアが低い『問題児』から始まると考えてもらって良いです。

問題児の動き

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この問題児ですが、上手くいくと『花形』に昇進しますが、思ったように市場が成長しないままに衰退していくと、『負け犬』に落ちてしまいます。
負け犬に落ちたから、その事業は確実に赤字になるのかといえば、そういうわけではありませんが、事業としての旨味はない場合が多いです。

もし、そのまま事業を続けたところでシェアも握れず、市場の縮小も止まりそうにないのであれば、出来るだけ早期に撤退することを考えるべきです。

花形

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では、うまい具合に市場が成長し続けて、自社の市場シェアも伸びてきて『花形』になった場合は、それで万々歳なのかというと、そうでもありません。
というのも、『花形』という言葉のイメージからこのポジションの事業は儲かってそうなイメージがありますが、実際には儲けが出ていないことが多いからです。
事業というのは、成長期にものすごい出費が必要になるケースが多いです。 例えば、ある市場で製品を売って市場シェアを高めようと思うと、名前を売るために多額の宣伝広告費が必要になる場合も出てくるでしょう。

宣伝のかいがあって販売量が増えてば、生産設備を増強しなければならない場合もあるでしょう。
取引先企業が増えれば、機会損失を防ぐために在庫を積み上げなけれればならないことも出てくるでしょう。 ここで新たに出てきた機会損失を簡単に説明すると、注文があるのに商品がないから売れないという状態のことです。
商品を切らすと売上が立たないだけでなく信用も失うため、それを避けるためには在庫を貯めておく必要があります。

この積み上がった在庫はいずれ販売されるわけですが、現金化はされていないため、名目上は会社の資産扱いですが、実際には経営を圧迫する存在となります。
会計的にいえば、キャッシュが減って棚卸し商品が増える。つまり現金という使い勝手の良い資産が、すぐには現金化出来ない商品という資産に固定化されてしまいます。
そのカネを現金で用意できればよいですが、出来ていなければキャッシュを借り入れる必要があるため、会社の財務内容にも影響を及ぼします。

キャッシュのタイムラグ

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会社の資金繰りというのは、このキャッシュに依存するので、これが著しく減少するということは、会社的には厳しい局面に追い込まれるということです。
つまり、成長市場でシェアを伸ばし、得意先も増えて売上も順調に増えているのに、現金が足りないという状態に追い込まれる可能性が出てくるということです。
その為、事業が『花形』に移行した場合は、会社の資金配分に慎重にならなければならない場合も出てきます。

他の事業で余りある程の金があるのなら問題はないですが、そうではなく経営資源がカツカツの場合は、どんどんと投資をするのではなく、少し保守的になったほうが良いということもあるでしょう。
金融機関に本当に事業の将来性を見る目があるのなら、こんな心配はしなくてもよいのかも知れませんが、銀行などは事業の将来性ではなく財務面しかみていないため、負債が多くなって財務が悪くなれば、貸し剥がしをしてくる可能性も出てきます。
事業に将来性があり、このまま投資をすれば回収見込みがあるにも関わらず、金融機関から貸し剥がしを受けたがために撤退しなければならないという事態を避けるためにも、投資は慎重にすべきでしょう。

貸借対照表

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ここで、少しPPMとは話がずれますが、先程、話題に出てきた事業におけるキャッシュの動きについて、簡単に説明しておきます。まず、キャッシュというのは何なのかというと、簡単に言えばすぐに現金化出来る様な資産のことです。
財務について勉強したことがない方は、会社が持っている資産に違いなんてあるのかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、会社の持つ資産というのは、その特性ごとに違いがあるんです。
資産というのは、貸借対照表の左側に書かれているもののことですが、例えば、現金や銀行預金など直ぐに返済などに当てられる資産などを、基本的にはキャッシュと呼びます。

定期預金や受取手形など、数ヶ月待てば現金化されるものも、計算方法によってはキャッシュに入れる場合もあります。
しかし、会社で生産したけれども未だに売れていない在庫商品であったり、製品を作るための機械などの設備は、資産ではありますがキャッシュではありません。
何故なら、すぐに現金化出来ないからです。 在庫商品などは、大幅な値引きをすれば現金化出来るかも知れませんが、それをすると会社が帳面につけている簿価での販売はできないでしょう。

機械などの設備については、資産という名目で計上されてはいますが、減価償却によって毎年簿価の金額は下がっていきますし、それを売却した際の価格は、簿価の金額で売れるかどうかはわかりません。
それに、製造機械を売ってしまえば今後の経営ができなくなるため、廃業や事業を辞める決断をしない限り、そもそも売るという選択肢はありえません。
その為、会社が持つ資産の中でもキャッシュと呼ばれるものは、その中のほんの一部にしか過ぎません。 これを金額として分かりやすく示すものにキャッシュフロー計算書というものがありますが、それについては別の機会に話したいと思います。

キャッシュと売上の関係

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このキャッシュですが、事業を始めたばかりの頃は確実にマイナスとなります。 例えば製造業を例に出して考えると、工場建設や機械の購入は現金での出費になりますし、設備を購入すればキャッシュが固定資産に置き換わってしまいます。
置き換わるとは、キャッシュが減って固定資産が増えるということです。材料の仕入れも現金で行うため、開業の時点で、キャッシュは元あった額からかなり減少してしまいます。
では、事業が順調に進んでいけばキャッシュは増えるのかというと、増えません。 何故なら、作った製品には知名度がないため、最初は多額の宣伝広告費が必要だからです。

当然この経費もキャッシュの減少となります。 在庫が増えれば、キャシュは商品に置き換わってしまいますし、事業を発展させれば発展するほどキャッシュは減少していきます。
しかしこのキャッシュは下がり続けるわけではなく、売上が一定レベルを超えると途中で増え始め、最終的には失った分を取り返し、それ以上に増えていきます。 この増えるタイミングは、成長期の半ばといわれています。
これをグラフで表すとS字カーブとなります。 事業のライフサイクルもS字カーブとなるのですが、キャッシュフローのグラフの推移はそれとは若干ずれてしまうため、事業は絶好調だけれども現金不足という事態が起こりえます。

この時に舵取りをミスってしまうともったいないので、成長期ほど、慎重になるべきだと思います。
話をPPMに戻すと、花形事業の成長期はいずれ終わり、その事業の市場成長率は下がっていきますが、そうすると事業は、PPM的には『金のなる木』へと変わっていきます。
この金のなる木の説明ですが、これは次回に行っていきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第36回【経営】シナジー効果(2)

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前回はこちら

kimniy8.hatenablog.com

シナジー効果

f:id:kimniy8:20211018211339j:plain
前回は、関連多角化シナジー効果に焦点を当てて話してきましたが、今回は、その続きとなります。
前回をまだ聞かれていない方は、そちらから聞いていただけると、より話が分かりやすくなると思います。

本題に入る前に前回の話を簡単に振り返ると、シナジー効果とは日本語でいうと相乗効果で、複数の事業が互いに刺激しあって、業績が掛け算で上昇していく効果のことです。
つまり、会社の中に事業Aと事業Bがあり、この2つの事業にシナジー効果が働いている場合、Aの事業の業績が2倍になるとBの業績が変わらなかったとしても、会社の業績は2倍になるということです。
仮に、事業Bの方も業績が2倍になったとしたら、会社全体としての業績は4倍になります。 事業の業績を掛け合わせるため、互いの事業が成長していれば、その恩恵は凄いものとなります。

もし、互いの事業にシナジーが働いていない場合は、互いの業績は単純な足し算になるので、仮に事業Aと事業Bの売上や利益が同じ規模として、事業Aの売上だけが2倍になった場合は、会社全体としての業績は1.5倍にしかなりません。
違いとしては掛け算と足し算の関係なので、業績の伸びが大きくなればなる程、シナジー効果が働いているか働いていないかで大きな差が生まれてしまいます。
一応、誤解のないように注意としていっておきますが、シナジー効果は互いの業績をかけ合わせたような勢いで業績が伸びていくという例えであって、本当に互いの業績の伸び率をかけ合わせたものが会社としての最終利益になるわけではありません。

あくまでも、掛け算をしたような効果で業績が変化するということです。

シナジー効果のマイナス面

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この掛け算というのが曲者で、仮に、事業Aか事業Bのどちらかの業績がマイナスになった場合は、会社としての業績がマイナスになったりもします。
何故なら、掛け算で片方がプラスでもう片方がマイナスの場合、答えはマイナスになるからです。

例えば、事業Aで不祥事を起こし、会社としてのブランドを著しく傷つけてしまったとしましょう。
事業Aと事業Bに密接な関わりがあり、両者にシナジー効果が働いている場合、不祥事を起こした事業Aによるブランドイメージの低下により、事業Bで作っている製品イメージも低下してしまい、業績がマイナスになる可能性が高まります。
たとえ、事業Aの事業規模が小さくて、事業Bの規模が比べ物にならないほど大きかったとしても、シナジー効果は掛け算として考えるため、最終的な業績としてはマイナスの効果が出てしまいます。

マイナス効果は関連事業に波及する

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具体例を出すと、品質の高さを売りにした事業Aを営む会社が、信用を積み重ねることで消費者から信頼を獲得し、その信頼を元に事業Bを展開して大成功を収めたとしましょう。
事業規模としては事業Bの方が圧倒的に大きくなり、これらの事業を営んでいる会社もそれに応じて大きな会社へと成長したとします。
しかしそこで、事業Aの製品で品質の偽装問題が発覚したとします。

もともとこの会社の事業は、事業Aの品質の高さをベースにして展開していたわけですから、この品質偽装によって、この会社は消費者からの信頼を失ってしまうでしょう。
しかしここで信頼を失うのは、事業Aの製品品質やブランドだけではありません。 事業Aの信用を元にして展開した事業Bの方も疑われます。
『同じ会社なんだから、こちらの事業でも不正行為をしているんだろう?』といった具合にです。

つまり、シナジーが働く事業の1つが何らかの理由で業績が下振れしてしまえば、もう一つの事業にも多大な影響を与えてしまうということです。

マイナス同士の事業でもプラスにならない

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では、シナジー効果が掛け算であるのなら、事業Aも事業Bもマイナスになった場合は、マイナスとマイナスをかけ合わせてプラスになるのかというと、そうはなりません。
これは先程も注意として言いましたが、シナジー効果というのは、各事業間の実際の業績の伸び率をかけ合わせた数字が、そのまま会社の業績になるわけではありません。掛け算で考えた方が理解しやすいという概念です。

その為、仮に事業AとBの両方で業績が下振れしてしまえば、業績は加速度的に落ちていく可能性があります。

相補効果

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一方で、シナジー効果が働きにくい無関連多角化を行った場合は、各事業の業績は掛け算にはならず、単純な足し算となる為、1つの事業の業績が下振れしたとしても、マイナス分はその事業のマイナスだけでとどまります。
シナジー効果が発揮されていないため、互いの事業は切り離されているので、相乗効果によるプラスの効果が得られない代わりに、抱えている事業の1つの業績が大幅に悪化したとしても、その悪影響はは他の事業には波及しません。
前にアンゾフの成長ベクトルを紹介した際に、携わっている市場そのものが縮小している場合は多角化、それも無関連多角化を選んだ方が良いと説明しましたが、それにはこのことが関連してきます。

例えば、自分たちが長らく携わっていた市場が縮小し、将来、事業を打ち切らなければならない可能性が高くなったとしましょう。
この際に、事業展開した際の成功確率が高いからという理由で、既存のビジネスと関連性が高くシナジーが発揮できる事業を展開してしまった場合、その市場が崩壊すれば、その影響はせっかく新たに作った事業にまで波及してしまいます。
既存の事業がうまくイカないからと、せっかく新たな事業を展開したのに、既存事業が倒れた影響で全ての事業が連鎖的に倒れてしまえば、意味はなくなります。

そこで、既存事業が斜陽産業になってしまった場合は、それほどシナジーの働かない事業を敢えて展開することで、新事業に悪影響が及ばないようにするという選択肢があります。
つまり、敢えてシナジーが働かないようにすることで事業間の関係性を断ち切り、リスクの分散はかるという考え方も出来るわけです。

無関連事業のメリット

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例えば、写真を取るカメラと言えば、昔はフィルムが絶対に必要なものでしたが、デジタル化が進んでいく中で、フィルム市場はどんどんと縮小していきました。
この市場でシェアを握っていた富士フィルムという会社は、将来的にフィルム事業は衰退すると思い、新たに化粧品事業に進出します。
カメラのフィルムと化粧品は全く関連性がなく、カメラフィルムの品質が高いからと言って、化粧品の品質が高いと思われることはないでしょう。

当然のことながら、この2つの市場は重なっていないため、対象とする顧客も変わってきます。
2つの事業は製品も市場もかけ離れ過ぎているため、シナジー効果は得られませんが、富士フィルムのメイン事業であるフィルム事業の業績が下がったとしても、化粧品市場にはほとんど影響は与えないでしょう。
これがもし、フィルム事業と関連性があり、シナジー効果が得られる様なカメラやフィルム関係の新事業を行っていれば、最初の事業展開はしやすいかもしれませんが、フィルム市場の縮小に引きずられて新規事業の業績も悪くなっていたかもしれません。

しかし、全くの無関連市場に飛び込むのは、かなりリスクが高く、成功する可能性も低いです。 では何故、この様な現象が起こるのでしょうか。

無関連分野への進出のデメリット

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両者の違いを簡単に言ってしまえば、経営資源の流用ができているのか出来ていないのかにつきます。
経営資源とは、会社が持つヒト・モノ・カネ・情報のことです。

既存事業で得た経営資源を、新規事業でも流用できるのであれば、その新規事業は成功しやすく、シナジー効果も得られやすくなります。
逆に、自社が持つ経営資源を流用できない市場に挑戦するのであれば、その新規事業の成功率は低くなります。 何故なら、その市場に向けた経営資源を1から集める必要があるからです。
本業である程度の利益を稼げている状態で新規事業に参入するのであればカネは問題ないでしょうが、その市場で売るためのモノや、それを仕入れたり作るためのヒト、その市場の情報などを1から集めてくる必要があります。

これは、言ってみれば何もない状態で1から起業するのと等しいため、成功させるためには相当な準備や努力が必要となるでしょう。
一方で、自社で持っている情報を新市場でも流用できたり、すでに抱えている社員が新市場にも対応できる場合、今ある経営資源を流用することが出来るわけですから、初期投資を相当減らすことが出来ます。
そのうえで、すでに既存ビジネスで構築した得意先や仕入先、サプライチェーンなどを流用できたり、既存ビジネスのブランドを利用できたりすれば、事業の成功率は跳ね上がるでしょう。

このようにして新規事業が成功すると、そこで得た情報や人間関係、企業間の関係を既存ビジネスにも流用できたりするわけですから、相乗効果が働きやすくなります。

企業買収も考え方は同じ

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このシナジー効果ですが、何も新規事業に限った話ではありません。 事業買収や起業の統合、提携などでもシナジー効果は発揮されます。
企業買収や事業の統合・提携などは、基本的にはシナジー効果が働く相手を選ぶ必要があります。
この様な自社以外の勢力が加わる形でのシナジー効果は、両者が持つ経営資源間で相乗効果が得られやすいような相手を選ぶ必要があります。

単純な例えをするのなら、開発力のある企業と販売力のある企業が組めば、互いの強みを活かすことが可能となります。

長々と話してきましたが、基本的には新規事業を行う場合にはシナジー効果を狙うべきです。何故なら、その方が事業の成功確率が高く、新規市場の影響で既存事業の売上も伸びる可能性があるからです。
ただ、既存事業で関わっている市場が縮小していき、将来無くなってしまう可能性が高いのであれば、敢えてシナジー効果が薄い無関連多角化戦略を選ぶというのも、1つの手ではあります。
ということで、シナジー効果の話は今回で終わり、次回は多くの事業を抱えた際の戦略の考え方について話していきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第35回【経営】シナジー効果(1)

目次

注意

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無関連多角化

前回は、関連多角化について話していきました。 関連多角化とは、その前に取り扱った無関連多角化と対になるような概念です。
関連多角化と無関連多角化について簡単に振り返ると、まず戦略として多角化戦略というのがあります。
多角化戦略とは、前に紹介したアンゾフの成長ベクトルでいうところの、市場も製品も変える戦略です。つまり、今まで相手にしてこなかった市場に対して、今まで取り扱ってこなかった製品を売り出していく戦略のことです。

この多角化戦略ですが、大きく分けると2つに分けることが出来ます。1つが、今までの事業と全く関連のない事業に参入する無関連多角化です。
例えば、スポーツ用品店を営んでいた企業が居酒屋経営に乗り出すといった具合に、これまでにやってきた事業と全く関連性のない市場と製品で勝負を仕掛けるのが無関連多角化です。
この他にも、M&Aなどの企業買収を通して、全く関連のない企業を傘下に収めたり、事業を買収したりするのも含まれます。

関連多角化

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もう1つの関連多角化ですが、これについては前回に詳しく話しているので時間が有る方はそちらを聞いてもらいたいのですが、先程とは逆に、自分たちがこれまで携わってきた市場や製品と関連の有る事業を展開していくことです。
前回の話の流用になりますが、例えば、居酒屋経営をしていた人が多店舗展開していき、一定レベルの店舗数になったところでフランチャイズ展開をした場合、フランチャイズ事業は事業多角化になります。
何故なら、居酒屋経営が飲食を求める消費者という市場に対して料理や食事の場を提供しているのに対して、フランチャイズ展開は、加盟店に入りたいと思っているオーナー候補に対して、ノウハウを提供する事業だからです。

この業者が順調に加盟店を増やして大規模になってくると、加盟店全体として取り扱う食材の量も多くなるため、場合によっては自社で農場経営をして一次産品を生産するという選択肢も見えてきます。
仮に新規事業で農場を経営することになった場合、取り扱う製品は一次産品となり、それを飲食店に販売するわけですから、この場合も市場と製品が変わり、事業の多角化となります。

取り扱う食材の量が大きくなると、大量仕入れによるコスト削減も出来るようになりますし、卸売を通さずに一次産品を作っている企業からの直接仕入れも出来るようになるかも知れません。
この環境を利用し、新たに食料品卸を展開できるかも知れません。 つまり、大量仕入れをした食材を、自社のフランチャイズ加盟店だけでなく、他の飲食店に向けても販売していくということです。

この様に、自社のために作った設備や新規事業を、自社以外の外側に向けて開放するという観点で言えば、他にも事業が展開できそうです。
例えば、フランチャイズ加盟店で使う食材をいちいち店舗内で調理せずに、セントラルキッチン方式で1箇所で製造し、それを加盟店に配送するという状態にします。
このような設備を整えた上で、そこで作った調理済みの料理をスーパーなどに卸し、家庭に販売するという事業展開も出来ます。

新規事業は川上・川下へ

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この関連事業ですが、先程紹介した無関連多角化に比べると、圧倒的にリスクが低くなります。何故なら、事業の入口と出口がすでに確定しているからです。
仕事とは基本的に、素材を仕入れて製造し、それを販売する行為となりますが、一番大変なのは信用できる仕入先と、作った商品を販売する先の確保です。
生産する技術も大切だと思われる方も多いでしょうが、高い品質のものが確実に売れる保証はありません。その一方で生産技術は、仕事を回せてさえいればついてきます。つまり販売さえ上手くいって売上が建てば、技術も品質もなんとかなったりします。

関連多角化の場合、この仕入先と販売先がすでに確保できていることが多いために、リスクが低くなります。
先程出した例でいうなら、フランチャイズ展開が進んだ後で農場経営に進出した場合、その農場で作ったものはフランチャイズの加盟店で消費するわけですから、新規事業である農場経営は初年度から売上が確保できます。
その売上も、自社のチェーン店の業績が手元にあるわけですから、かなり正確にわかります。 つまり、作ったけれども売れないということがなく、作ったもの無駄なく販売することが出来ます。

セントラルキッチンの導入も同じです。 セントラルキッチンで作られた食材の殆どは、加盟店で消費されるわけですから、作ったけれども売れないなんてことはありません。
加盟店向けに作っているものを、パッケージのみ消費者向けに改良して業務用スーパーなどで販売すれば、大失敗するなんてことはないでしょう。
この様に関連多角化は、販売先が確保できているケースが多いため、多角化戦略でありながら、リスクを下げることが出来ます。

シナジー効果

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この関連多角化ですが、リスクを下げられて事業の見通しが良いだけでなく、シナジー効果によって事業間同士が刺激し合い、各事業の売上や効率がさらに上昇したりします。
シナジー効果とは、それぞれの事業の拡大が、その他の事業にも好影響を与えることで、日本語では相乗効果ともいわれている効果のことです。
つまり、事業間同士の売上の伸びが単純な足し算になるのではなく、掛け算になるということです。

先程の例え話でみていくと、フランチャイズ加盟店の増加によって大量仕入れや一次産品の生産が可能になり、食料品卸事業や農場事業に展開できたとして、フランチャイズ加盟店の量が増えてば、食料品卸や農場事業の売上も上昇します。
何故なら、卸売や一次産品の生産事業の販売先の大半は、自社が抱えている加盟店だからです。 加盟店の増加はそのまま食料品需要の増加となり、食品卸や食料品生産事業の業績にプラスとなります。
これは、一方的な効果ではありません。 扱う食品の量が増えるということは、さらなる大量購入が可能になるわけですから、卸売事業の方ではさらなる仕入れコストの低減を狙えます。
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食料品生産事業の方は、販売量が増えれば自動機械の導入などにより、生産性を上げることが可能となります。
生産性とは簡単に言えば、従業員1人がどれだけの売上や利益を上げることが出来るのかを測る指数として考えてもらっても良いと思います。
つまり、今までは機械が高くて手が出ないので手作業でコツコツやっていた作業が、大量に注文が来るようになったことで機械による自動化が出来るようになれば、人がかける手間が減るわけですから生産性は上がります。

機械は購入費こそ高いですが、一度購入すればメンテナンスと燃料費のみで動いてくれるため、長期で見れば安くなります。
一方で人件費は、年々安くなるどころか高くなっていきますし、日本では簡単に解雇することも出来ないため、コストとしては非常に高くなります。
これを機会に置き換えることが出来るようになれば、生産コストが安くなります。 生産コストが安くなれば、仮に同じ値段で商品を販売したとしても利益は上がるため、販売数が増えて利益率が上昇するため、利益は拡大します。

もし、利益率を一定に保つために製品の値下げをすれば、その製品を買っている大口客である自社が抱えるフランチャイズ加盟店の仕入れコストが下がるため、これまた利益ががります。
居酒屋の利益率を一定にするために、メニューの値段を下げたり値下げキャンペーンを売ったり、加盟店そのものの宣伝を経費を使って行えば、居酒屋の知名度上昇からの客足の増加も狙えるでしょう。
居酒屋の客足が増えると、当然のように仕入れも増えるわけですから、食料品生産事業と食品卸事業の売上は更に伸びることになります。

シナジー効果は掛け算

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まさに、1つの事業の業績の伸びが、互いの事業の業績に好影響を与えているため、売上や利益は掛け算で伸びていきます。
ここで注意して欲しいのが、売上は足し算ではなく掛け算で伸びるということです。
つまり、互いの業績が正の数字でプラスになっていれば、業績の伸びは凄まじいことになるのですが、仮に、片方の売上がゼロになった場合、業績はゼロとなります。

ゼロに何を掛けてもゼロになるので、これは当然ですよね。
逆に、片方の業績がマイナスになれば、グループ全体の業績は加速度的に減っていきます。

例えば、大きな事業を複数行っている大きな会社があったとして、この会社の1つの事業が不祥事を起こしたとした場合、そのマイナスの影響はその事業だけにとどまりません。
不祥事を起こしたという悪い噂や、グループ全体に波及して、すべての事業に悪影響を与えるため、グループ全体で見た業績の悪化は凄まじいこととなります。
これが、シナジー効果の怖いところです。 シナジー効果は、プラスに働けば業績の急激な伸びを可能にしますが、悪い方向に転んでしまえばマイナスの相乗効果が発揮されてしまうため、大ダメージを受けてしまいます。

ということで今回は、前回のたとえ話をもう一度話したため、シナジー効果に関しては少ししか話せなかったので、次回にもう少し詳しく話していこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第34回【経営】関連多角化(2)

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無関連多角化と関連多角化

前回は、無関連多角化と関連多角化の違いについて話していきました。
簡単に振り返ると、無関連多角化は自分たちの知らない市場に新商品を開発して参入するため、リスクが非常に高くなります。
また、全く無関係の事業に参入するため、既存事業とのシナジー効果も追求しにくい戦略と言って良いでしょう。自社が関わる既存の市場が衰退しているなど、余程、切羽詰まった状況でもない限り、積極的に選ぶような戦略ではありません。

逆に関連多角化は、既存事業と関連のある事業に進出していくため、新規事業のリスクを下げることが可能となります。
何故なら、市場も製品も違うとはいっても、既存事業と関連のある事業であるため、その分野の知識や経験や、その分野に強い人材を、すでに持っていることが多いからです。
その為、多角化戦略といっても、既存事業と完全に無関係な無関連多角化とは違い、リスクをかなり下げた状態で事業を始めることが出来ます。

関連多角化(新市場開拓)

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関連多角化について、具体例を上げて説明していきましょう。
前半部分は前回と少しカブる部分もあり、前回を聞かれている方は重複しますが、予めご了承ください。
前回と同じく、和風居酒屋を経営している会社を例に上げて説明していきます。

和風居酒屋だけを経営しているときは事業としては1つですが、この事業がうまく行って軌道に乗ってくると、次の事業を始めることが視野に入ってきます。
今まで行ってきた和風居酒屋を、別の地域にも出店していくというのも一つの手ですし、同じ地域に別の種類の店、例えば、イタリアンや中華を出すという選択肢もあります。
これらの選択肢は、どちらも関連多角化と考えることが出来ます。

まず、同じ和風居酒屋を別の地域に出す場合で考えてみると、これまで行ってきた事業を分析することで、自分たちの事業がどの層に受け入れられているのかが、ある程度わかります。
その市場に向けて同じ様な店舗を出すわけですから、たとえ別の地域で店舗展開したとしても、過去の経験を活かすことが出来るため、リスクは下げられます。
同じ地域で、イタリアンや中華などの別の形態の店舗を出す場合は、展開する地域が同じですから土地勘があるため、これもリスクが下げられることになります。

関連多角化

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同じ様な和風居酒屋を複数展開していく場合、新店舗をどの地域に出せばよいのかや、店をどの様に回していけば良いのかのノウハウが溜まっていくため、それをマニュアル化すれば、それ自体を商品にすることが出来たりします。
フランチャイズ展開などがこれにあたりますが、これにより、資金を持つ人を店舗オーナーとして募集し、その人の資金で自社ブランドの店舗数を増やしていく事が可能となります。
フランチャイズ展開が進み加盟店が増えてくると、当然のように、扱う食材も増えてくることになります。

新たな産業への進出

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扱う食材が増えてくれば、取引量が増えるわけですから、食材調達の選択肢も変わってきます。
小さな居酒屋1店舗しか経営していなかったときは、扱う食材の量が少ないために小売店で買うことしか出来なかったとしても、数十店、数百店と店舗数が増えていけば、生産者と直接取引できるようにもなるでしょう。
場合によっては、自分たちで農場などを経営するという選択肢も出てきます。

居酒屋経営と農場経営は全く別で無関連多角化のようにも思えますが、その農場で作った食材は自社の店舗で使うため、これも関連多角化となります。
何故なら、店舗から上がってくる情報を分析することで、どの様な食材が求められているのかが分かるからです。
商品の生産者としての大きな問題は、何が市場で求められているのかがわからないことや、販売先を見つけることですが、消費者が求めているものがわかり、すでに販売先が決まっている事業は、当然ですがリスクは低いです。

食料の生産事業に参入したり、卸売を通さずに生産者から直接購入する事が増えてくると、自社が生産したものや仕入れたものを、同業他社である飲食店に販売する、食料品卸事業を新たに始めるという事もできるでしょう。
この事業の場合、実際に事業展開して、新たな顧客が生まれなかったとしても、自分たちの店舗やチェーン展開した店では取扱商品を使うため、一定の販売量は確保されてるという状況です。
その為、事業展開して早々に売上が立たなくなって事業が失敗するという心配はありません。 その為この事業も、飲食に関係のない人が全くの新規から食料品卸業を始めるよりかは、リスクは低くなります。

事業拡大によるシナジー効果

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次の段階として、チェーン展開が進み、店舗数がそれなりに多くなってくると、料理を各店舗で作らずに、食品加工工場で作って全国の店舗に配送するという方法も考えられます。
セントラルキッチン方式と呼ばれる方式ですが、この方式を導入することにより、各店舗に料理人を雇い入れるという必要がなくなり、店舗を料理技術がないバイトのみで回すことが出来るようになったりします。
これにより、加入店オーナーにとっては開業するハードルが下がり、フランチャイズ本部としては事業を拡大しやすくなるわけですが、このセントラルキッチンの設備をそのまま流用すると、調理済みの食品販売事業に乗り出すことが出来ます。

セントラルキッチン方式で作られた料理は、食品加工工場からチェーン店に運ばれて、電子レンジで温められて客に出されるわけですが、その配送先をチェーン店から家庭に変えるだけで、新たな市場開拓が可能となります。
スーパーなどに営業をかけて新たな販売チャネルを獲得できれば、販売業務も代行してもらえるようになる為、更に生産量を拡大することが可能となります。
このようにして生産数がどんどんと増えていくと、規模の経済によって食品加工工場の効率も上昇しますし、より大量購入が可能となる為、材料コストの低減も狙うことが出来ます。

材料を大量に使うということは、当然、食料品卸業の方の仕入れコストも下げることが可能になるわけですから、食料品卸事業の方の業績にもプラスの影響を与えるようになります。

これまでの流れの整理

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これまでの流れを一旦整理してみると… 一番最初は居酒屋経営を通して、消費者に料理を提供するという事業を行っていた会社が、そのノウハウを生かして違う地域に同じ店舗を作っていく多店舗展開に乗り出します。
ここまでは、同じ製品を違う市場に対して売り込んでいるため、アンゾフの成長ベクトルで言うところの新市場開拓戦略となりますが、ここから先は話が変わってきます。

このたとえ話では、居酒屋経営をしていた会社はノウハウをマニュアル化し、そのマニュアルを実行するだけで誰でも店舗経営を出来るようにして、お金を持つオーナー候補に対してそのマニュアルを販売するチェーン展開を始めます。
これまでの事業展開としては、料理や宴会をする場所を求める消費者に対して、料理や場所を提供するという居酒屋経営をしていたわけですが、ここで顧客の対象が居酒屋を経営してみたいというオーナー候補に変わります。
そして販売するものは料理や場所ではなく、居酒屋経営を通して生み出されたノウハウが凝縮された経営マニュアルに変わります。

つまり、市場が食事や場所を求める顧客から、居酒屋経営をしたいという資金を持ったオーナー候補に変わり、販売する製品が料理から経営マニュアルに変わっているわけです。
アンゾフの成長ベクトルによると、市場が新たなものに変わり、製品も新たに開発したものに変わっているため、多角化戦略となります。
そしてここから先は、ずっと多角化戦略となっていきます。

これまでの流れの整理(2)

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この業者が次に展開する事業は、料理の原材料である食料の生産や、食料品卸の事業です。
この両者の事業は、販売先は飲食店で、販売しているものは食材なので、これまた、今までやってきた事業とは市場も製品も変わります。

次のセントラルキッチン導入からの食品加工や、加工食品販売は、家で食事する家庭向けの商品となっています。
料理を食べられる状況で提供するのではなく、スーパーなどで買ってきて、家でレンジで温めたり油で揚げたりするだけで食べられる製品を売るため、これも市場と製品が変わっています。
つまりこの事業者は、最初こそ、新市場開拓戦略で事業規模を広げていますが、その後はずっと、市場も製品も違う多角化戦略で事業を行っているわけです。

リスクの少ない関連多角化

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しかし、展開していく新事業は全て、今まで自社が行ってきた事業と何かしら関係の有る事業であるため、全く関係のない事業を行う無関連多角化とは違い、関連多角化となっています。
例えば、この市場には仕事がありそうだという理由だけで、自社の事業と全く関係のない介護事業に進出すると考えた場合と、今回紹介した関連多角化を比べた場合、どちらの方がリスクが少ないかは、比べるまでもないと思います。
以上が、関連多角化と無関連多角化との違いです。

このリスクに加えて、今回出した例ではシナジー効果も働いているため、各事業の業績の伸びが、他の事業にも波及して共に上昇していくのですが…
シナジー効果については、次回に少し掘り下げて話していきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第33回【経営】関連多角化(1)

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無関連多角化

前回は、多角化戦略の中でも無関連多角化について話していきました。
簡単に振り返ると無関連多角化戦略は、自分たちの本業とは縁がない他の市場に、今まで取り扱っていなかったような商品を持って参入していくという戦略です。
前回、説明する際に用いた例としては、業種を見定めずにM&Aを繰り返すことで事業を吸収していった結果、無関連多角化になってしまったという例を紹介しましたが…

この他にも、経営者が経営戦略をよく考えずに、儲かりそうな市場にすぐに飛びついて多角化していったがために、無関連多角化になってしまうということもあります。
これまでにも話してきたとおり、事業を始める際には拡大している市場に参入するというのが基本です。何故なら、市場が拡大していれば、その市場内でのシェアが拡大しなかったとしても、売上が伸びるからです。
自分たちの事業に関連する分野で成長市場が生まれた場合は、とりあえずそこに飛び込んでみるというのも一つの手ですが、なかなかこういった事はありません。

成長している市場が関連業界とは限らない

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新たに生まれる成長市場というのは、自分たちの行っている事業とあまり関係がないことも多いです。
その関係のない事業に対して経営資源が余っているからといって参入すると、それは無関連多角化となります。
誤解しないでほしいのですが、無関連多角化=『絶対に失敗する避けなければならない戦略』といっているわけではありません。リスクが高いといっているだけです。

このリスクというのは危険性ではなく、不確実性と捉えてください。 例えるなら、真っ暗な洞窟の中を明かりも持たず、何も装備しないで入っていくような状態が、リスクが高い状態です。
洞窟に入ったからといって確実に怪我をしたり死んでしまったりするわけではありませんが、前が見えない状態で進んでいくため、無事に出てこれるという保証もない不確実な状態のことをリスクが高いと表現しています。
逆に言えば、事前の調査やしっかりとした装備などの準備を行えば、同じ洞窟に入る場合でもリスクは減らせます。

ただ、しっかりと準備をしたとしても、普段歩き慣れている場所と比べれば、結果の予測は付きにくい。それが、無関連多角化です。

関連多角化

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一方で関連多角化は、自分たちがよく知っている分野を軸にして多角化を進めていく方法です。
前に紹介したアンゾフの成長ベクトルで言えば、新市場開拓戦略や新製品開発戦略寄りの戦略と考えても良いと思います。
新市場開拓戦略と新製品開発戦略については、詳しくはアンゾフの成長ベクトルの回を聞いてもらいたいのですが、簡単に説明すると、市場か製品のどちらかを既存の状態にしておく戦略です。

例えば新市場開拓戦略でいうと、市場に関しては新たな市場を追い求めて行動を起こしていくのですが、製品の方は既存の製品を扱い続けます。つまり、今まで売っていた商品を、他の市場に売っていくということになります。
このような戦略を取ると、製品の取り扱いや情報について熟知しているため、全く新しい市場に全く新しい製品を売っていく無関連多角化と比べると、リスクは低くなります。
何故なら、取り扱っている製品の特性を知り尽くしているからです。 製品の特徴が分かっているため、後はどの市場なら受け入れられるかを考えるだけで良くなり、行動を起こしやすくなります。

では、新たな市場とは何なのかというと、新たなターゲット層であったり販売方法であったり販売チャネルや売り場などです。

具体例

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具体例を挙げると、ジップロックという食品を保存するための製品を、製品はそのままで、食品ではなくタブレット端末を入れて、お風呂で読書や映画鑑賞が出来ると宣伝して売るなどです。
食品保存の用途で販売していた時のターゲットが、『スーパーに買物に来る自炊をしている人』だったものを、製品に新たな用途を付け加えることで、長風呂をする人もターゲットに含めることが出来るようになります。

ターゲットが増えると、売り場に関しても増やせる可能性があります。今まではスーパーなどで主に売っていたものが、家電量販店にも卸せる様になるかも知れません。
この他にも、今までスーパーなどの実店舗のみで取り扱っていた場合、ネット販売に参入するというのも、新たな市場開拓といえます。
この様に、製品をそのままに、新たなターゲットや販売方法、販売場所を模索することで販売増につなげていくのが、新市場開拓戦略でした。

新商品開発戦略はその逆で、市場はそのままで、今までターゲットにしていた客層に向けて新商品を提案していく戦略です。
この場合も、市場は今まで取引のあった市場であるわけですから、顧客の好みもある程度は分かっているため、新市場で全くのゼロから製品開発をすることに比べれば、既存市場向け製品は開発しやすいでしょう。

シナジー効果

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この新市場開拓戦略と新製品開発戦略と、前に紹介した無関連多角化とを比べた場合、難易度は当然、無関連多角化のほうが高くなります。
何故なら無関連多角化の場合は、製品についても市場についても、何も知識がないからです。 その為、手探りで事業を進めていかなければならなくなり、難易度が上がります。
ここで一つ注意点ですが、関連多角化とは、新市場開拓戦略と新製品開発戦略のことだけを指すわけではありません。既存事業に関連する分野に進出すること全般を指すので、もっと幅広い概念だと思ってください。

この様に、関連多角化の場合は新規事業のリスクを下げることが出来、無関連多角化の場合はリスクが高くなり、成功させる難易度も高くなるわけですが…
無関連多角化に関しては、この他にも、難易度を上昇させる原因があります。 それは、シナジー効果の有無です。

シナジー効果を簡単に説明すると、会社が持つそれぞれの事業の業績が、足し算ではなく掛け算で伸びていく効果と考えれば分かりやすいかも知れません。
例えば、事業Aと事業Bがあったとして、これらの事業に全く関連がない場合、会社の業績は各事業の利益を足し合わせたものにしかなりません。
しかしシナジー効果が働けば、事業Aと事業Bの業績は、互いが影響し合うことで伸びていき、結果として、両者を足し合わせたものよりも大きくなります。

シナジー効果は何故起こるのか

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何故、この様な現象が起こるのかというと、既存事業に関連している事業に参入することによって、今まで持っていた経営資源を新事業で活用できるようになるからです。
また、これに加えて、新規事業で得た客を既存サービスの顧客に引き入れることも可能になります。
つまり、新規事業を行う際のリスクを下げられて、なおかつ、それが成功した場合には既存事業の売上も上がりやすくなるということです。

このシナジー効果はかなり有効なので、新規事業を行う際には、既存事業とのシナジー効果を狙った事業を行うことがセオリーとなります。
抽象的な話ばかりだとわかりにくいと思うので、例を上げて簡単に説明していきます。

シナジー効果(具体例)

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飲食店を例にして説明していくと、まず1店舗目の営業を頑張り、それを起動に乗せて、資金的な余裕が出てきたところで新規事業を考えます。
既存事業が和風居酒屋だった場合、その店舗と同じ様な店舗を他の地域に出店していく場合、製品は同じで出店地域を変えているわけですから、戦略としては新市場開拓戦略となります。
この店舗がどんどん増えていき、名前も売れてきた場合は、自社で居酒屋を経営するだけでなく、ノウハウを売るというチェーン展開も視野に入ってきますが、これは居酒屋経営からノウハウの売買という別の事業への進出となります。

商品が料理の提供からノウハウの売買に変わり、顧客が一般の消費者から飲食店オーナーを目指す方に変わるため、アンゾフの成長ベクトルの観点から言えば、市場も製品も変わっているため多角化戦略となりますが…
居酒屋経営をしていた会社が、居酒屋経営のノウハウを販売しているため、完全な無関連多角化とはならず、関連多角化となります。
このチェーン展開が成功し、名前も売れてくいれば、自社で経営している居酒屋事業の方にも好影響が出るでしょうから、シナジーも生まれます。

この様に展開していくのが、関連多角化です。今回の説明では、関連多角化シナジーについての話が少ししか出来なかったため、この件については、次回にもう少し詳しく話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第109回【ソクラテスの弁明】不正のない裁判 後編

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ソクラテスの仲間たち

メレトスの訴えでは、青年を悪の道に引きずり込む、つまりは子供に良からぬことを吹き込んで堕落させたということなので、ソクラテスが子供を言いくるめて、親に相談させないようにさせていたということも考えられますが…
彼は、この活動を1年や2年という短期間だけ行っていたわけではなく、数十年に渡って続けています。
仮に、十代で弟子入りしていたとしても、最初に仲間になった青年は数十年の間に壮年になっています。

そこまでの人生経験を積めば、仮にソクラテスが悪意から人を騙して利用しようとしている場合、流石に気がつくでしょうし、自分で気が付かなかったとしても、自分が行っている活動や考えを親しいものに話すということもするでしょう。
そうすれば、仮に、ソクラテスが良からぬことを吹き込んでいたとすれば、その弟子の親や親しくしている友人が、洗脳を解こうと力を尽くすはずです。
しかし、実際にはどうかというと、ソクラテスと共に研究を続けている人物の親や親しい者達は、ソクラテスの極貧生活をなんとかしようと、手助けしてくれています。

ということは、少なくとも、ソクラテスの弟子と呼ばれる人達と、その友人、家族達は、ソクラテスの活動に好意的で、自分の大切な人間が彼のもとで学ぶことを推奨していたと考えられます。
ソクラテス自身が頼みもしていないのに、彼の衣食住の面倒を進んで引き受けてくれている。 そんな彼らであれば、ソクラテスが頼みさえすれば、この裁判の場に彼の無実を証明してくれる証人として駆けつけてくれるでしょう。
ソクラテスは、自らの意思で、自分を擁護して有利な証言をしてくれるであろう人物を、証人として呼ぶといったことはしていませんが、仮に彼が頭を下げていれば、喜んで法廷に出向く人は数多くいるでしょう。

ソクラテスの被害者

げんに弟子のプラトンは、ソクラテスを心配して裁判の傍聴に出向いていますし、その場で起こったことを、『ソクラテスの弁明』という形で書物に書き起こしています。
そして彼の死後も、ソクラテスの行動の正しさを証明するかのように、数多くの対話編を書き、世に発表しています。
プラトンだけでなく、今後の対話編に登場するクリトンなども、駆けつけていました。この二人に限らず、数多くの弟子・同僚たちが、ソクラテスのこの先の運命を心配して、裁判を傍聴しています。

その一方でメレトスは、ソクラテスから被害を受けたという人物を、誰一人として証人として呼ぶことが出来ていません。
罪をでっち上げ、なりふり構わずソクラテスを罪人に仕立て上げようとしているメレトス達ですから、そんな人物が本当にいるのであれば、強力な助っ人として呼ぶことが出来たでしょう。
そうすることが出来れば、確実な証拠が手に入るのですから、メレトスの言葉に信用力が宿り、彼の主張は決定的なものになるでしょう。 しかしメレトスは、それすら出来ていません。

では、ソクラテスは何故、自分の仲間たちを無罪を証明する為の証人として、呼ばなかったのでしょうか。
彼の言う通り、一言頼むだけで強力な証人が来てくれるのであれば、それを実行すれば、無罪が証明出来て濡れ衣を着せられずに済むはずです。
助かる見込みがあるのに、何故、その道を選ばなかったのか。 それは、ソクラテスが、自分の命よりも、自分たちが住んでいる国の方向性を重視したからです。

正しく生きること

前に取り扱った対話篇のゴルギアスでも紹介しましたが、ソクラテスは、人の人生に置いて寿命の長さに重要な意味を見出してはいません。
ソクラテスは、簡単に言えば人が幸福になれる道を人生をかけて探した人物とも言えますが、では、何をもって幸福と言えるのかという条件に、寿命は入れていません。
人は、金持ちであっても貧乏人であっても善人であっても悪人であっても、絶対に死を迎えます。 死というものの前では、どんな人間も平等です。

では、全ての人間が絶対に死ぬというのであれば、人にとっての価値というのは何なのかというと、善く生きることです。
それは、秩序を保つことであり、その為に必要なことは、正しく生きる事です。

では、この裁判の場に置いて、何が正しくて、どの様な行動が秩序に則った行動なのかというと、あらぬ罪をでっち上げたメレトスの言い分を却下して、裁判官自身が正しい判決を下すことです。
秩序の象徴である裁判官達が、自らの意思と能力で有罪か無罪かを見極めて判断をする。もし、正しい判断出来なければ、国の秩序を保つことは出来ず、秩序が保てないとするのなら、その国で暮らす人達に幸福が訪れることはありません。
ソクラテスが、自らを助けてくれるであろう友人たちを、あえて、裁判に証人として呼ばなかったのは、裁判官の判断を鈍らせないためです。

もし仮に、ソクラテスが友人たちを証人として呼び、自分に有利な証言をさせて、自らも、助かりたい一心で、裁判官たちの前で泣き叫んで助けを乞えば、彼は無罪になるかもしれません。
別にソクラテスは、不正をしているのに誤魔化そうとしているわけではなく、本当に何も悪いことは行っていないわけですから、証人を呼んだり、感情的に無罪を主張することは不正な行為ではなく、正当な行為です。
しかし、その余計な情報によって裁判官が有罪無罪を判定してしまう事、自体が、問題だと思ったのでしょう。

無罪を勝ち取る方法

何故なら、もし、ソクラテスの友人たちの証言や、ソクラテスが民衆の前で泣き叫んで無罪を主張するという印象操作によって無罪になれば、同じ様な環境さえ整えることが出来れば、誰でも無罪になれる可能性が生まれるからです。
これは、対話篇のゴルギアスでも指摘されていましたが、例えば大金持ちが自分の財産や人脈を使って、自分に有利な証言をしてくれる役者や部下を大量に利用して、自分の有利な証言をさせ、訴えられた本人も、泣き叫んで演技をしたとしたらどうでしょう。
この金持ちは、実際には不正行為に手を染めていたとしても、財力などを利用して、状況としては、ソクラテスが作り出すことが出来る環境と同じものを用意することが出来た場合、無罪を勝ち取れるということになってしまいます。

無罪判決が出た後で、その者が実際に罪を犯していたと分かっても、裁判官達は、『証人が証言していたから。』とか『本人が泣いて無罪を主張していたから。』といった感じで、責任転嫁するでしょう。
間違った判断を下した自分たちが悪いのではなく、自分たちを騙すために偽の証人を用意して、自分たちを騙した人間が悪い、自分たちは悪くなく、むしろ騙された被害者だといって逃げるはずです。
そういった事を避ける為に、ソクラテスは裁判官たちの責任でもって、判決を下せる状況を作りました。

また、この行動は、それだけでなく、裁判を利用してソクラテスに仕返しがしたいという者たちに対しての牽制も含まれていると思われます。

不正のない裁判

ソクラテスは、アテナイの少なくない割合の人達から恨まれるような事をしてきました。
これは犯罪ということではなく、『自分が賢い』と思い込んでいた人達の目を覚まさせるという活動の事ですが、ソクラテスによって無知だとされてしまい、恨みを持っている人間も、この裁判に裁判官として参加していると思われます。
前にも言いましたが、この時代の裁判官は500人程いますし、ソクラテスの活動も昨日今日始めた活動ではなく、数十年に渡って続けられてきた活動だからです。

彼に恥をかかされた経験を持つものは、この裁判を利用して、彼が情けない姿で命乞いをする姿を見たいと思っているかもしれません。
ソクラテスには2人の子供がいますが、その子供をダシにして同情をかい、泣き叫んで命乞いをすれば、彼らはスカッとすることでしょう。
また、過去に、みんなの前でソクラテスにバカにされた経験があったとしても、『ソクラテスって奴は、俺に泣き叫んで命乞いをしてたようなヤツだよ。』といえば、自分の名誉も回復するかもしれません。

しかしソクラテスは、堂々とした態度で、『そんなことはしない!』と断言することにより、そういった妄想を膨らませていた無知な人々に対して牽制したのでしょう。
彼に言わせるなら、裁判官と被告という上下関係を利用する事こそが不正行為ですし、この挑発にのせられて正しい判断が出来ないとするのなら、それもそれで問題だからです。
この裁判におけるソクラテスの弁明は、これで終わり、この後、判決がくだされることになるのですが、その話は次回にしていこうと思います。

参考文献



【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第32回【経営】無関連多角化

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アンゾフの成長ベクトル

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前回は、アンゾフの成長ベクトルというツールで、企業がどの様な戦略をとっていけば良いのかを考える方法を話していきました。
簡単に振り返ると、既存市場と新規市場のどちらに商品を投入するのか、投入する商品は既存製品か、それとも、新たに開発した新商品にするのかの組み合わせを考えることで、4つの戦略に分かれるという話でした。

既存市場に既存の製品を投入するのが『市場浸透化戦略』 新規市場に新商品を投入するのが『新市場開拓戦略』
既存市場に新商品を投入するのが『新製品開発戦略』 新規市場に新規商品を投入するのが『多角化戦略』で、一番リスクが小さいのが市場浸透化戦略で、逆にリスクが大きいのが多角化戦略でした。
今回は、この多角化戦略について少し掘り下げて考えていこうと思います。

『関連多角化』と『無関連多角化

多角化には、『関連多角化』と『無関連多角化』があります。
両者の違いとしては、本業に全く関係がない事業に進出するのが無関連多角化で、本業に関連性のある分野に進出していくのが関連多角化です。リスクについては、当然、無関連多角化の方が高くなります。
無関連多角化についてですが、右も左も分からない様な、本業と全く関係が無い市場にわざわざ新商品を開発してまで進出する企業があるのかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、これは実際にあるんです。

この市場開拓には大きく分けて2種類あり、その企業が独自で市場を開拓していく場合が1つで、もう1つは企業買収によって多角化を進めていく場合です。
このように多角化を重ねて膨れ上がった企業のことを、コングロマリットなんて呼んだりもしますが、このコングロマリット化は1960~1970年にアメリカで流行っていました。この時代は、皆がリスクの高いことを好んでやっていたわけです。

シナジー効果

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この時は、企業や事業を買収するM&Aによって、多数のコングロマリットが誕生したのですが、結論としては、この様な無関連多角化は最終的に失敗しています。
何故、失敗したのかというと、方向性が全く違う企業同士が無理やり一つになったところで、経営理念も共有できていないですし、方向性が違いすぎればシナジー効果も発揮することが出来ないからです。
シナジー効果とは、会社が持つそれぞれの事業の利益が、足し算ではなく掛け算で増えていく状態のことです。つまり、単独事業の利益を足し合わせたよりも大きな利益が得られる状態のことです。

事業同士に何らかの関連性があり、且つ、互いの事業に関わる者同士のコミュニケーションが円滑であれば、それぞれの事業が持つ強みや、事業活動で手に入った人脈や情報を共有できる様になります。
この様な状態になれば、単独で事業を行っているときよりも優位に事業を行うことが出来るため、ライバルに差をつけることが出来るのですが、事業同士の関連性が全くなければ、共有できる経営資源もなく、シナジー効果は得られません。
一方で、組織が大きくなるとコミュニケーションも取りにくくなり、意思決定のスピードも遅くなるというデメリットも発生します。

その為、無関連多角化はリスクが大きく、失敗する可能性も高いため、仮に合併によって会社を大きくしようと思う場合には、事前に戦略を練っておく必要があります。

大切なのは人

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ここで必要とされる戦略ですが、経営戦略や事業戦略ももちろん大切なのですが、それ以上に、人事や組織論的な考え方が重要になってきます。
何故なら多くの場合、会社というのは突き詰めていけば、『人』だからです。

経験を積み重ねるのも、人脈を持っているのも、ノウハウを持っているのも、基本的には人です。
企業は、人がある程度やめても良いように、これらの経営資源を人ではなく企業に蓄積させるようにして属人化を防ごうとしますが、それでも限界はあります。
仮に買収が完了したあとで、社員全員がやめてしまったとしたら、その会社の魅力の大部分は失われてしまうでしょう。

それを防ぐために会社にノウハウを貯めようとしても、全てのものを企業に蓄積できるわけではありませので、最終的には会社が持つ人材に能力を発揮してくれるように仕向けていかなければなりません。
しかしこれが、会社が大きくなればなるほど、より一層、難しくなっていきます。
給料一つとってもそうで、本社と買収先とで給料が違えば、それを放置していていれば給料の低い方の社員がやる気を無くしますし、高い方に合わせれば固定費が大幅に上昇してしまうことになります。

では、低い方に合わせればよいのかというと、そうした場合は高い給料をもらっていた会社の人に不満が募ることになり、下手をすれば辞めていくでしょう。
また、こうした機会にやめていくのは、就職先がすぐに見つかるような優秀な方たちばかりです。

風土と文化

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先程も言いましたが、会社とは突き詰めていけば人なわけで、その中でも優秀な人が辞めていくという状況は最悪です。
これを避けるために給与水準が同じ様な企業を探して合併したとしても、会社ごとに存在する風土や文化のギャップで、軋轢が生まれたりします。

会社というのは、構成されている人たちの性格によって大まかな風土が決まり、その風土の中で活動が行われることによって文化が生まれます。
社内行事なども文化の1つですが、これは共通のものがあるわけではなく、会社それぞれでバラバラであることが普通です。

例えば、日本に住む私達が、明日から急に日本以外の国に引っ越さなければならないとなれば、相当なストレスがかかると思います。
何故なら、風土も文化も一夜にして変わってしまうからです。 日本の文化は、日本人気質な人が集まることで生まれた風土をベースにして生まれていますが、海外は海外で、それぞれ別の風土をベースにした文化があります。
日本で常識だったことも、海外に行けば非常識になってしまうこともあるでしょうし、その逆もありえます。

文化の統合は難しい

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社内文化が変わるというのは、それが労働環境で起こることなので、人の精神にそれなりのショックを与えます。
数人の規模同士の小さい会社が集まって10人程度の会社になる場合は、直に全員とコミュニケーションをとるということも可能になる為、仲良くなったり摺合せを行うのにそれほど時間がかからないかも知れません。
しかし、買収を重ねてどんどん会社が拡大していくと、全員とコミュニケーションをとるなんてことは不可能になっていくため、会社の統合というのはかなり難しくなります。

人数が多い方に合わせればよいという意見もあるでしょうが、人数が多い会社が必ずしも好業績で、企業を買う側とは限りません。
少人数なのに大幅な利益を稼ぎ出す会社が、大きくて利益率も高くない会社を買う場合も多いでしょう。その場合、会社を買った側が人数が多いという理由だけで買い取った先の文化に合わせるというのは、無理があります。

この様に、企業買収というのは基本的に難しいものなんですが、それでも業種が同じであったり、関連業者であれば、意思疎通がしやすいと思われるので、コミュニケーションも取りやすいかも知れません。
元々、携わっている市場も近いでしょうし、関連している業界であれば、事業内容もある程度の推測ができます。
しかしこれが無関連多角化の場合は、そもそも他の事業部がどの様な市場を相手にどの様な製品やサービスを提供しているのかの理解すら難しくなります。

こうなれば当然、コミュニケーションも取りにくくなるわけですから、一つの会社としてまとまって行動するというのも難しくなっていくというわけです。

企業の投資商品としての側面

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この様に、無関連多角化というのは乗り越えるべき壁も多く、リスクが非常に高い戦略なのですが…

では何故、過去にこの様な経営手法が流行ったのでしょうか。
この理由に関しては推測も入るのですが、おそらくですが、経営という視点で企業買収を伴った合併を進めていたわけではなく、投資的な意味合いで企業買収を行っていたのでしょう。
投資的な意味合いとは、どういうことなのかというと、企業を事業を行って社会に何らかの影響を与えるものと捉えずに、単に金融商品として捉えているということです。

例えば、売上から経費を引いて利益を出し、その利益から税金を引いた税引き利益で1000万円を稼ぎ出す企業が1億円で売りに出ていたとします。
この企業の運営状態は安定していて、毎年1000万円の利益が得られるとするのであれば、この会社は利回り10%の投資商品としてみることが出来ます。
今のように銀行に預けていても金利がもらえないような環境では、銀行に預金しているよりも、この会社を購入して毎年のように10%の益回りを得るほうが、資金の使いみちとしては有効となります。

コングロマリット

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今のように借入金利も低い状態なら、、会社に余裕資金がなかったとしても、銀行から借りてきて企業買収をするだけで、約10%の益回りを得続けることが出来ます。
この利益を全て借り入れの返済に回せば、毎年1000万円の税引き利益を出す会社を10年後には実質無料で手に入れることもできるようになります。
この様な投資的な意味合いで企業買収が行われると、投資対象は安定的に高い利益を出す企業ということになり、その会社の事業内容は二の次になってしまいます

結果として、無関連多角化が進んだコングロマリットが出来上ったんだと思われます。
ということで今回は無関連多角化について話していきましたが、次回は、関連多角化について少し掘り下げていこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第31回【経営】アンゾフの成長ベクトル(3)

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市場浸透化戦略

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前回は、市場浸透化戦略と多角化戦略について話していきました。
簡単に振り返ると、市場浸透化戦略は既存の市場に既存の商品を投入していくもので、基本的には市場が生まれて発展していっている段階の市場や、市場が成長期に入っている時に取る戦略です。
自分たちがずっと携わっていて、情報も豊富にある市場に、既に販売実績があって製造のするためのノウハウもある商品を投入するわけですから、一番リスクの少ない戦略と言えます。

その為、ヒト・モノ・カネ・情報の経営資源に乏しい中小企業が、一番取りやすい戦略といえます。
具体例をあげると、20代~30代の女性をターゲットにしているアパレルメーカーが、一度その市場の消費者に受け入れられた事がある商品の色違いや柄違いなど、ヴァリエーション違いの服を新たに投入するような感じです。
売れ筋が分かっている市場に対して売れているものを提供するため、ある程度の販売予測も建てられて利益の計算もしやすいため、リスクは小さくなります。これにより、市場シェア拡大を目指します。

ですが先程もいったように、市場が成長していたり、少なくとも市場が維持できている時に取る戦略となります。

多角化戦略

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では、市場が縮小していっている状態のときはどうすれば良いのかというと、別の成長している市場に対して新たな商品を開発して投入する必要があります。
何故リスクを取ってまで、今まで参入してこなかった市場に参入しなければならないのかというと、そのまま市場に残っていたとしてもジリ貧になるからです。

市場自体が縮小している状態では、例え市場のシェアを自分たちが握っていたとしても、売上は縮小していきます。
その市場に対して新商品を投入したとしても、商品同士で食い合いを行うカニバリゼーションが起こってしまい、コストに対して売上が伴わなくなってしまいます。
それなら、多少リスクを取ったとしても、新たな成長市場に参入するために製品開発を行ったほうが良いでしょう。

前にマーケティング1.0~4.0というのを紹介しましたが、新たに生まれた成長の早い市場で、製品が需要に間に合っていないような場合では、消費者はメーカーの信頼性などを観ずに商品だけをみて購入してくれる可能性もあります。
その為、全く実績のない新規参入であったとしても、それなりに成功する可能性はあるので、衰退している市場にしがみついているよりは良いと思われます。
ただ注意としては、多角化はリスクも高いため、参入する場合は経営資源に余裕がある時に行うべきです。市場とともに会社も衰退し、余裕がない状態で参入した場合は、更にリスクが高まると考えたほうが良いです。

新市場開拓戦略

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今回取り扱う、新市場開拓戦略と新商品開発戦略は、リスク的には、市場浸透化戦略と多角化戦略との間の戦略といえます。
というのも、製品か市場のどちらか一方は既存のもので、自社に既に情報があるからです。その為、両方とも新たなものを取り扱う多角化に比べるとリスクは減少します。
しかし一方は新規のものを相手にしなければならないため、市場浸透化戦略と比べるとリスクは高まってしまいます。

それぞれの具体例としては、『新市場開拓戦略』ではその名の通り、扱う製品はそのままに、新たな市場を開拓します。
先程の20代~30代の女性をターゲットにしているアパレルメーカーの例で考えるなら、今まで小売中心で販売していたものをネット販売にも進出してみるとか、国内販売だけだったものを海外市場展開するとか…
他には、今までの商品と雰囲気はそのままに、ターゲットの年齢層を変えるとか、男性服市場に進出するなどです。

新商品開発戦略

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次に『新商品開発戦略』ですが、これは先ほどとは逆で、市場はそのままで商品自体を変えてることです。
例えば、ガラケーが主流だった時代に、携帯電話市場でスマートフォンを発売するといった代替品やヴァージョンアップした商品を発売するといった感じです。
機種の大きさを変えるとか、色を変えると言ったモデルチェンジなども含めます。

先程の新市場開拓戦略との違いがわかりにくい方もいらっしゃるかも知れませんが、基本となるのは市場はそのままに、既存製品のモデルチェンジや代替え品を販売するということです。。
何故なら、商品自体を大きく変えてしまうと、市場そのものが変わってしまうからです。
その為、商品の改良は市場が変わらない範囲で行われるのが特徴です。

2つの戦略の違い

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この新市場開拓戦略と新商品開発戦略ですが、結構、見分けがつきにくいと思います。理由としては、市場の捉え方があやふやだからです。
アパレル企業が服を作る場合は、服という一つの製品を作って販売しているとも考えられますが、それが、女性市場・男性市場・若者向け・シニア向けと市場が別れてしまえば、その市場間の移動は新市場開拓となってしまいます。
この市場の分け方は、考え方によってはどうとでも定義できてしまうため、新たに作った製品が新製品なのか、既存製品で対象とする市場が変わっているのかがわかりにくくなります。

コアとなる考え方

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ですが、実際の経営で使用する際には、コアとなる大体の考え方さえ覚えていれば大丈夫です。
これが経営学部の学生で、試験対策のために細かい部分まで覚えなければならないというのなら話は変わってきますが、実際の経営に活かす際には、重箱の隅をつつく様な細かいことは覚えなくても良いです。
何故なら、この分類が正確にできたからといって、コスト削減できるわけでも売上が伸ばせるわけでもないですし、選んだ戦略の成功確率が上がるわけでも無いからです。

コアとなる考え方としては、その市場に長く携わっていて、情報も豊富にあって人脈も構築できていて、利用できる経営資源が豊富にある場合は既存市場と考えます。
そこに対して、今まで自社が販売してこなかった新たな製品を開発して投入していく場合は、新商品開発と考えます。
逆に、その製品を製造するための経験やノウハウが豊富にある場合は、既存製品と考えます。その製品を今まで売ってこなかった市場に投入していく場合は、新市場開拓戦略となります。

市場か製品のどちらかの知識や経験が豊富で、それを利用して新たなものに挑戦していくのが、『新市場開拓戦略』と『新商品開発戦略』となります。
市場と製品の両方に対して知識も経験もノウハウもある場合は『市場浸透化戦略』となり、逆に両方に知識も経験もノウハウもない場合は、『多角化戦略』となります。

関連多角化と無関連多角化

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余談となりますが、ここで説明している多角化戦略とは、無関連多角化のことです。
多角化には、『関連多角化』と『無関連多角化』があります。
両者の違いとしては、本業に全く関係がない事業に進出するのが無関連多角化で、本業に関連性のある分野に進出していくのが関連多角化です。

無関連多角化のように、右も左も分からない様な、全く関係が無い市場に進出する企業があるのかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、これは実際にあるんです。
その企業が独自で市場を開拓していく場合もありますし、企業買収によって多角化を進めていく場合もあります。
こうして膨れ上がった企業のことをコングロマリットなんて呼んだりもしますが、このコングロマリット化は1960~1970年にアメリカで流行っていたりもしました。

この時は、主に企業や事業を買収するM&Aによって、多数のコングロマリットが誕生したようですが、結果としては上手くいっていません。
何故なら、方向性が全く違う企業同士が無理やり一つになったところで、経営理念も共有できないでしょうし、方向性が違いすぎればシナジー効果も発揮することが出来ません。
シナジー効果多角化の詳しいことについては、次回に話していこうと思いますが、どちらにしても多角化はリスクが高く、成功させるには入念に戦略を練る必要があります。

戦略はハッキリと4つに分かれるわけではない

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話をアンゾフの成長ベクトルに戻しますと、ここで取り上げた4つの戦略は、デジタル的に不連続な形で別れているわけではなく、実際にはつながっています。
アンゾフの成長ベクトルは4つの領域に分けてはいますが、マトリクス図なので、取ろうとしている戦略が、その図のどこに位置するのかというのは、事業ごとに違いが出ます。
新商品開発戦略を選んだとしても、商品自体を大きく変えすぎず、既存の市場にも販売できるようなものを開発すれば、限りなく市場浸透化戦略に近い新商品開発先着となります。

一方で、思い切って大幅に商品を切り替えてしまうと、対象とする市場も若干ずれてしまうため、多角化に近い新製品開発戦略となります。
市場浸透化戦略に近ければ近くなるほど、リスクは少なくなりますが、顧客を分散できないというデメリットもあります。
逆に、多角化に近くなればなるほど、顧客や市場の分散が可能になりますが、事業が成功する確率は低くなっていきます。

自分たちの携わる市場と製品の先行きをみた上で、どの様な戦略をとっていくのか、それを整理するためのツールが、アンゾフの成長ベクトルです。
この話は今回で終わり、次回は先程話に出た、関連多角化と無関連多角化について話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第109回【ソクラテスの弁明】不正のない裁判 前編

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今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

ソクラテスの使命

前回の話を簡単に振り返ると、ソクラテスは、自分が積極的に賢者を訪ね歩いては真理について尋ね歩いているのは、神によって与えられた試練だからだという主張を行ないました。
神が巫女を通して伝えた『この国で一番賢いのはソクラテスだ』という神託について考えた結果、彼は、自分だけが『自分は知らないものに対して知ったかぶりをせず、知らないものとして向き合っている。』と解釈しました。
そして彼は、それをわざわざ自分に伝えたという事は、神はソクラテスに対して何らかの使命を与えたのではないかと思うようになりました。

その使命とは何かというと、知った気になっている人達を正気に戻す事です。
ソクラテスが今まで行ってきた活動によって分かったことは、賢者と呼ばれて皆から持て囃されている人物であったとしても、最も根本的なことすら分かっていないという事です。
正義や美しさについても知らないし、欲望は放置すべきなのか抑えるべきなのかも分からない。

その様な根本的な事も理解せずに、優秀で卓越した立派な人になる方法は分かりませんし、幸福にたどり着ける方法も分かりません。
ですが、賢者と呼ばれている本人は、根本的なことも含めた全ての事を分かった気でいます。
この状態を例えるのであれば、無知で無力な人間が、自分がスーパーマンになった夢を見ている状態と同じです。

夢の中ではスーパーマン

彼等は、夢の中では、何でも出来るし何でも知ている『アテレーを宿した人間』だけれども、現実世界の彼等は、何も知らないし何も出来ない無知で無力な存在です。
この様な人達は、目が覚めて自分の本当の状態を確認するのが怖い為、夢の世界から出ようとせず、ずっと眠り続けている状態こそが気持ちが良くて幸せな状態だと信じ込んでいます。
しかしソクラテスは、その状態に意味がない無いことを知っているので、懸命に、その者を目覚めさせて、夢の世界から出そうとします。

この行為は、神からのメッセージを受けたというのもありますが、彼なりの親切心もあったのでしょう。
自分が無知である事さえ認めてしまえば、この世の中は分からないもので溢れている事を認識できるようになるわけですから、よく分からない世界を解明していくことで、知的好奇心を満たすことが出来るようになります。
わからない物を解明しようとした結果、善悪の見分け方が解明されて、真の幸福へと続く道を発見できる可能性もあります。

しかし、無理やり起こされた側は面白くありません。 さっきまで観ていた夢の世界であれば、皆がちやほやしてくれるし、自分が知っていることを授業で教えれば、皆がお金を払って聞きに来てくれる。
金銭欲も自己承認欲求も満たされて、幸福を味わっていたと思っていたのに、ソクラテスによってその夢は打ち砕かれて、『自分は何も知らない無知な者』という厳しい現実の世界に連れ戻されてしまう。
夢の中で賢者と呼ばれていた人達は、現実世界では無知な者だし、特別な力も持たない『ごく普通の人間』なので、誰かから尊敬されるわけでもなく、何も満たされない世界です。

公人になってはいけない

その為、彼等は、無知な自分を守る為に、ソクラテスを攻撃します。 しかしソクラテスは、眠り続けている人生には意味はないと思っているので、善意から行った事でしかありません。
では、もっと他に、人から恨まれること無く、人を良い方向へと導く道はなかったのでしょうか。 
例えば、政治の世界に飛び込んで、法改正を行ったり、絶対的な権力をこうしする事で皆を屈服させて、思い通りの行動をとらせて、人々を良い方向へと導いて、理想的な社会を実現させる事も可能でしょう。

しかしソクラテスは、政治への参加はしないと断言します。
何故かというと、政治家という公の立場は、自分の信念を貫くことで、自分自身を死に追いやってしまう可能性があるからです。
彼は、自分の死そのものを怖がったりはしないと主張しますが、神から与えられた試練を途中で投げ出して、『冥府』つまりあの世に旅立ってしまう事は避けたいようです。

では何故、政治家が自分が理想とする信念を貫き通すと死んでしまうのかというと、政治には忖度が求められるからです。
国の政策を変えたり法律を変えるという事は、国に大きな変化をもたらすだけでなく、政治家という自身の立場そのものの利益にも直接つながっています。
古代では、権力闘争が発展した結果、相手の派閥の人間を殺すという事も珍しいことではなかった為、政治の世界で生き残る為には、誰に付き従うのかといった嗅覚や忖度が必要になります。

ソクラテスのように、人の気持ちを考えずに正論を堂々と掲げる人間は、嫌われやすい為、直ぐにでも命を奪われる可能性があります。
国民を導くという点においては、指導者という立場は便利なものかもしれませんが、そこに到達する為に、そしてその地位を維持する為には信念を曲げなければならない為、公人では自分の成し遂げたいことが達成できないと主張します。
つまり、自分の信念を貫く為には、公人ではなく私人でなければならないという事です。

ソクラテスの弟子たち

この様な感じでソクラテスは、自分は正しいことをしているという信念に従って行動してきたと主張します。
彼の使命は、『人間とは無知な存在である』という事を皆に気づかせることなので、当然のことながら、弟子などはとっていません。
何故なら、無知な自分には、弟子に教えることなど一つもないからです。

しかし、賢者を言い負かすソクラテスを前にして、『それでも、行動を共にしたい!』と言いよる者も多かった為、その行動を止める事はせずに、共に真理を追求し、善い道を追い求める仲間として行動を共にしていました。
仮に、メレトスの主張する通り、ソクラテスが仲間を悪の道に引きずり込んでいたとすれば、彼は仲間から大いに恨まれたでしょうし、悪に染まった仲間は、ソクラテスに対して悪事を働く為、彼は酷い人生を歩むことになっているはずです。
しかし実際には、ソクラテスは彼等から、何の被害も受けてはいません。 ソクラテスの方が、仲間に一方的に害悪を与えているとすれば、彼が被害者にならない説明にはなりますが、仲間の方からの被害の訴えもありません。

洗脳

被害の訴えがないのは、ソクラテスの巧妙な手口によって、仲間たちが洗脳されている可能性もあります。
例えば、新興宗教や結婚詐欺などは、はまり込んでいる間は、被害者は自分の事を被害者などとは思っていません。
自分が信仰する者や好意を寄せている対象を信じ込んでしまっている為に、相手が何を言おうとも疑うことをせずに、無茶な要求であったとしても、喜んで聞き入れます。

仮に、被害者がその様な状態に陥っているのであれば、彼等には正常な判断が出来ない為、被害の訴えがないのも納得がいきます。
しかし、その場合は、その被害者の親友や親族から、不満の声が上がるはずです。
彼等の親友や親は、ソクラテスとの関係を当人よりも一歩離れた位置で冷静に観察できる為、ソクラテスを信じ切ってしまうということはありません。

もし、自分の大切な人が騙されていると分かれば、彼等が当人に成り代わって被害を訴えるはずです。
日本ではその昔、オウム真理教事件がありましたが、自分の子供が、その組織に入信して信者になってしまった場合は、親が周りの人たちを巻き込む形で、我が子を洗脳から解こうと必死になって行動していました。
仮にソクラテスが、自分に近寄ってくる者を悪い道に導いたり、財産を搾取しようとしていたら、その周りにいる人達から文句が出るはずです。


参考文献