だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第104回【ソクラテスの弁明】無知の知 前編

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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目次

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』の読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

この作品は、ソクラテスが訴えられて裁判にかけられた様子を書き写した作品となっています。
前回は、当時の裁判がどの様に行われていたのかや、ソクラテスが何故、訴えられることになったのか、その前提となる状況について、簡単に説明していきました。
今回からは、本題に入って行くことにします。

2種類の自分を避難する人達

前回、ソクラテスは、自分が訴えられることになったのは、世間の人達がアニュトスの一方的な主張を聞いたことで、多くの人達が、私が不正行為を働いていると思い込んだからだと言いました。
そして、私のことを悪い人間だと思い込んでいる人は、大きく分けると2種類いて、1つは、ソクラテスのことをよく知らないけれども、『皆が彼を悪人だと思っているから、自分も、そう思う』と漠然と思っている人。

もう1つは、ソクラテスの事をよく知り、個人的にも敵意を持っているアンチの存在だと主張します。
アンチである彼らは、『ソクラテスは不正を行ない、神々を信仰せずに科学に没頭し、事実を曲げて嘘を真実のように演出して広めている。』と言いふらして、悪評を高めようとしています。

ソクラテスは、前者に対しては、彼らを一人ずつ法定に呼んで説得するわけにも行かないので、弁明のしようもないけれども、彼らが私を非難する理由を放置しておくのも良くないので、何故、ここまで事が大きくなったかを、説明する必要があるとし…
後者に対しては、彼らの主張に対して一つ一つ、しっかりと、反論をしなければならないと主張します。

ソクラテスの評価

まず、前者についてですが、ソクラテスは、アニュトスたちの活動によって愚か者だという烙印を押されていました。
その噂はアテナイ中に広まっていて有名だった為か、有名な劇作家であるアリストファネスが、ソクラテスをバカにする喜劇を作って劇場公開までしていました。
しかしその一方で、ソクラテスは賢者だという噂も同じ様に広まっていて、ソクラテスの評価は国内で2分されていました。

現状の日本を見てみてもわかりますが、単純に『あの人物が悪い』という話は、一瞬は盛り上がりますが、その話題が長続きすることはありません。
ワイドショーなどでも、凶悪犯罪者や許せない不正行為をする人間のニュースは数多く取り扱われますが、よほどの大きな事件でもない限り、それが長期間に渡って報じられることはありません。
ですが、そんな中でも、長期間取り扱われる話題があります。 それは、一概にどちらが良いと言い切る事が出来ない問題です。

例えば政治の問題では、右系と左系の思想の人達は、ずっと言い争いをしていますし、それ自体がテレビ番組になったりします。
また、それを観ている視聴者が両陣営に分かれて議論するという事が日常生活の中で起これば、それ自体が社会現象になったりして、論争が巻き起こります。
そういったネタは、コンテンツ制作をする上で恰好のネタになる為、取り上げやすいです。

誇張される悪評

ソクラテスの置かれている立場も同じで、全員がソクラテスは悪人だと決めつけていれば、そもそも大きな問題には発展しません。
人気作家が喜劇作品として取り上げる程に大きな問題となったのは、ソクラテスは愚か者でも悪人でもなく、むしろ賢者だと思う人達がそれなりの割合で存在していたからです。
両者の意見が、それなりに拮抗しているからこそ、相手陣営を侮辱したり挑発するコンテンツが作られるというのは、いつの時代でも同じです。

アリストファネスが作った劇では、ソクラテスは『空を飛べる』だとか『水の上を歩ける』といった感じの事をいっては、屁理屈を捏ねて見当違いのことをするといった行動を起こしています。
そうして、彼を信じる人達をバカにすることで、アリストファネスはアンチの人達から称賛を得ていたのでしょう。

しかしこれに対して、ソクラテスは反論をします。
ソクラテスは今まで、閉鎖された特殊な環境で自分の意見を主張し続けてきたわけではありません、 街角など、皆が討論を見物できるような開かれた場所で、自分の主張をし続けていました。
つまり、誰でも彼が対話している現場を見ることが出来ましたし、その内容を聞くことができました。

ソクラテスの生活

この前提の上で、ソクラテスは裁判に出席している人たちに問いかけます、『私の行っている対話を聴いた人の中で、一人でも、私が『空を飛べる』なんて事を主張している所を目撃した人がいるのか』と。
ソクラテスは他にも、物事を知らない若い人に近づいて、適当なことを言って授業料を巻き上げているという噂が広がっていました。
これに対しても、今まで、対話を行ったりだとか、誰かにモノを教えることで授業料を取ったことなどは一度もないと断言します。

今現在もそうですが、古代ギリシャの時代でも、人にモノを教えることで授業料をとって、裕福な生活を送っていた人達は存在しました。
これまでに取り扱ってきた、プロタゴラスゴルギアスがそれに当たります。 彼らは、教えを請いに来た弟子たちから授業料を取って生活していました。
物であれ、知識であれ、何かを他人に受け渡すことで賃金をもらうというのは不正行為ではなく、正当な報酬ですが、ソクラテスは、自分には、伝えることで人を良く変えることが出来るような知識は持ち合わせていないので、教える事が出来ないと言います。

では彼は、何を生業として生きてきたのでしょうか。 彼は、哲学に没頭してきたことは事実ですが、研究成果を販売することでお金を得てはいません。
奴隷を使って商売をしていたというわけでもない為、生活費などはどうしていたのでしょうか。  また、対話以外は何もしていないにも関わらず、何故、ここまで悪評が立っているのでしょうか。
火のないところに煙は立たないと言いますが、誰にも損害を負わせていないのであれば、何故、アテナイの少なくない割合の人達が、ソクラテスを悪くいうのでしょうか。

一番の賢者『ソクラテス

疑問は尽きませんが、それに対してソクラテスは、自身の活動の内容が関係しているのではないかと推測します。
そして、その活動を行うきっかけになった出来事を話し始めます。

先程も言いましたが、ソクラテス自身は、人に教えられるような知識は持ち合わせてはいません。 その為、必死になって日々研究し、賢者を見つけては、真理について訪ね歩くという日々を送っていました。
そんな彼を日頃見ていた親友のカイレフォンが、デルフォイの神殿に、神の言葉を聞きに行きました。 デルフォイは、アポロンを祀っている神殿で、そこに仕えている巫女が神と交信し、神々の知恵を授けてくれる場所です。
神を祀る神殿は至るところにありましたが、その中でも『デルフォイの神託』は重要視されていました。 どこよりも信用できる神託が得られる場所と思われていたんでしょう。

カイレフォンは、デルフォイの巫女に『この世で一番知識があるのは誰か?』と聞きます。
ソクラテスの苦悩を身近で観ていた彼は、それを少しでも和らげようと、賢者の名前を聞きに行ったのでしょう。 神託によって賢者が分かれば、その人物に真理を聞きに行けば、苦悩は解消されるはずだからです。
しかし、このお告げが、ソクラテスを更に苦しめることになってしまいます。

何故なら、その巫女は『一番の賢者はソクラテスだ』と答えたからです。

『神の間違い』の証明

ソクラテスは日々、自分の無知を克服するために、真理を研究し続けていますが、その知恵を他人に教えるどころか、どの方向へ研究を進めてよいのかすら見えていない状況です。
もし、神々の代弁者である巫女が、真理に到達した賢者の名前を告げてくれていれば、ソクラテスは苦悩から開放され、その賢者の元へ駆けつけて、教えを請えば良いだけです。
その賢者の理論が理解できなかったとしても、既に師匠がいるわけですから、自分ひとりで思い悩んでいるよりかは遥かにマシな状況と言えます。

そういった事を期待して、カイレフォンはデルフォイの神託を受けに行ったわけですが、得られた答えは、自分自身のことを無知だと思っているソクラテスが一番賢いという、謎掛けにも似た答えでした。
ソクラテスは、この答えに納得がいかず、『このお告げは、間違っているのではないか。』と思うようになり、それを証明するためにも、自分よりも賢いと思う賢者の元を訪れては対話を行うという活動を、より積極的に行いました。
もし、この活動の結果として、自分よりも賢いと思えるものを見つけることができれば、神の主張は間違っていて、自分は今までそう思っていたとおりに『無知』だということが証明できるし、その上、師匠まで手に入れることが出来る。

そうした思いから、ソクラテスは様々な人達に会いに行き、対話を重ねていきました。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第18回【経営】参入障壁

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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

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5フォース分析

前回は、5フォース分析について話していきました。
5フォース分析を簡単に振り返ると、自社を取り囲む外部環境について整理するフレームワークのことです。
イメージとしては、まず中心に自分の『同業他社』を置き、その周りに、『買い手』と『売り手』と『代替品』と『新規参入』といった外部勢力が有ると考えてもらえば良いです。

この様な外部の環境を整理し、それに自社の強みや弱みを付け加えながら分析することで、SWOT分析でいうところの『驚異』となる部分や『機会』となる部分が洗い出せたりします。
SWOT分析について気になる方で、まだ第14回~16回を聞かれていない方は、そちらで少し詳しく話しているので、そちらも聞いてみてください。
話を戻すと、5フォース分析の中には『新規参入』という外部勢力が有ります。 この新規参入に対抗するために必要となるのが参入障壁なのですが、今回は、この参入障壁について話していきます。

参入障壁

これを聞かれている方の中には、参入障壁という言葉を初めて聞いたという方もいらっしゃるかもしれませんので、まず、この言葉の説明からすると…
参入障壁とは、ある業界や市場で新たに事業を始めようとする場合に、それを妨げるような障害のことです。
この障害というのは、国や地域などの公的な機関によって設定されている場合もありますが、既に参入している企業によって設定されている場合も有ります。

言葉の使い方としては、参入障壁が高い、低いといった感じで使われます。
具体例を出して、参入障壁の高さについて観てみると、俗に参入障壁が低い業界として言われているのが、小売業界です。この小売には、飲食店も含みます。
何故、これらの業界が参入障壁が低いのかというと、特別なノウハウや知識がなかったとしても、店を開くことが出来るからです。

開業の難易度と経営の難易度は違う

ここで誤解しないで欲しいのは、参入障壁が低くて開業しやすいことと、事業運営を安定して行えることは、全く別のことです。
気軽に開店できるからといっても、安定的に事業運営が出来る保証はありませんし、実際問題として廃業率も高い業界です。
では、参入障壁が高い業界とはどの様な業界かというと、特別な資格が必要な職業であったり、創業するのに多額の設備投資が必要であったりする業界です。

この参入障壁をものすごく簡単に説明するなら、その市場や業界に簡単に参入することが出来るのであれば、その業界には参入障壁はなく、入っていくのば難しい業界であれば、参入障壁は高いということになります。
この参入障壁ですが、ではどの様に経営に活かしていくのかというと、先程も少し触れましたが、新規参入への対抗手段として使います。
つまり、自分が携わっている業界や市場の参入障壁を上げることで、ライバルになる可能性のある企業を、そもそも参入させないということです。

『おいしい市場』は独占したい

例えば、経済規模で100億円の市場があるとします。 その市場を自分たちが見つけ出し、実際にその市場で商売をはじめて儲けが出たとすれば、多くの人は、他の人が参入してくることを嫌がります。
何故なら、自分と同じ規模の会社がもう1社増えるだけで、売上が半分になってしまう可能性もありますし、相手の方が高品質で低価格なものの開発に成功して市場シェアを奪われれば、自分たちが市場から追い出されてしまう可能性もあります。
その様な事を無くすためにも、追随してくるものを排除するために入口部分に壁を設けて、その市場に他人が入ってこないようしたいと思うのは、当然の考えだと思います。

誰も手を付けていない魅力的な市場のことをブルーオーシャンといい、多くの新規参入によって血で血を洗う争いに発展している市場のことをレッドオーシャンなんて言います。
事業の基本としては、ブルーオーシャンを見つけ出してそこで儲けを出すことが鉄則であって、そのブルーオーシャンをわざわざ他人に紹介して、レッドオーシャンにしようなんて人間はいません。
もし仮に、『この市場は儲かるから、ぜひ、入ってきてください!入り方もノウハウも商売の仕方も全部教えますよ!』なんて言う人がいたとすれば、詐欺を疑ったほうが良いです。

自分が見つけた宝の山の場所を、わざわざ他人に教える様な人はおらず、人が他人に儲け話をする場合は、その情報を他人に教えた方が自分の儲けが大きくなるときだけです。

『参入障壁』構築の条件

この様に、事業を安定的に運営するためには、強力なライバルの参入を阻止する必要があり、そのためにも参入障壁を築いていく必要があるわけですが…
では、参入障壁はどの様にして築いていくのでしょうか。

この参入障壁ですが、全ての市場で構築できるわけではありません。構築するためには、その市場が特定の条件を満たしている必要が有ります。
その条件とは、『規模の経済性が働くか』『商品の差別化が出来るか』『投資金額の大きさ』『取引先を変更する際のコストの大きさ』『取引先を変更する際のコストの大きさ』『政府や自治体による参入の制限や規制は有るのか』と言ったものです。
条件の中には、初めて聞くような難しい言葉も出てきたかもしれませんので、それぞれ簡単に観ていきましょう。

『規模の経済』が働くか

まず、『規模の経済性が働くか』ですが、規模の経済性について簡単に説明をすると、要は大量生産によってコストが下げられるかどうかという話です。
例えば材料を買うにしても、製品10個分の材料を買う場合と10万個分の材料を一度の納品で買う場合とでは、材料の単価が変わってきたりします。
大量生産する場合、多くの業界では、安定的に大量に買う方が仕入れ値は安くなりますので、大量生産の体制を整えることで、材料費を引き下げることが出来ます。

次に生産に関わる職人の能力ですが、1日10個しか作らない人間と、1日に1000個の商品を作る人間とでは、後者の方が、同じ商品を作るにしても、短時間で商品を作れたりします。
この様に生産数に差がつく原因として、経験曲線効果というものがあります。。これを少し難しく説明をすると、商品の累積生産数の増加に伴って、製品1つ当たりの生産効率が上がることです。しかしこの効率の上昇幅は、逓減して行きます。
噛み砕いた言い方で説明し直すと、毎日のように大量に仕事をこなすことで、作業に慣れて、効率が上がっていくということです。しかし、作業効率は製品の製造数に比例して上がっていくわけではなく、上昇幅は徐々に縮小していきます。

経験曲線効果

これは、職人の方なら理解しやすいと思いますが、初めてモノを製造する場合は、経験がないために、どうしても時間がかかってしまいます。
しかし2個めになると、先程1回作っているので、1回目よりかは早く、上手に作ることが出来ます。3回目になると、あやふやだった手順もそれなりに身につき、更に早く、上手に作ることが出来るでしょう。
ですが、3つ目の商品の製造効率の上昇幅は、1つ目を製造してから2つ目を作った際の伸び率よりは、小さくなるはずです。

何故、伸び率が小さくなるのかを、極端な例を使って説明しましょう。 この職人が毎日のように作業を進め、1万個の製品を作ったとします。
その職人が更にもう1つ製品を作り、1万個目の商品と1万1個目の商品とを比べたとして、効率や製品品質は、初めて製品を作ったときと2個めの製造をした際の伸び率と同じ上昇幅で伸びてるとは思えないですよね。
つまり、効率は製品の製造を重ねれば重ねるほどに上昇してはいきますが、その伸び率は徐々に減少していって、最終的にはそれ以上の伸びなくなってしまうということです。これを、逓減するといいます。

話を戻すと、大量生産をする場合、材料の大量仕入れと労働者の経験曲線効果によって、生産コストが引き下がります。

投資金額の大きさ

また、この他にも、多額の設備投資をすることで、生産が自動化出来て、少ない人数で大量生産することが出来るという場合もあるでしょう。
企業に一定規模の販売力がある場合、この様な機械を購入して大量生産に乗り出すことも出来るわけですから、これも規模の経済といえるでしょう。

規模の経済については、実際には他の要素も絡んでくるのですが、今回の話ではこの理解で良いと思います。

次に、『投資金額の大きさ』ですが、先程例に出した大量生産できる機械が非常に高額である場合、この設備投資金額の高さというのは参入障壁になります。
投資金額が10万円で参入できるのか、参入するのに10億かかるのかでは、新規参入のしやすさは変わって当然ですよね。

『商品の差別化』はできるのか

次に、『商品の差別化が出来るのか』ということです。 商品には、企業が頑張って研究開発をすれば、差別化が出来るものと、差別化が出来ないものとが有ります。
例えば本屋は、取り扱っている商品の差別化が出来るのかといえば、出来ませんよね。何故なら、本屋は出版社が作った商品を取次を通して購入して消費者に販売しているだけだからです。
『本』自体はものすごい数が有るので、取り扱うジャンルによって差別化をすることは出来ますが、商品の『本』自体の差別化を本屋が行うことは出来ません。

商品の差別化が出来ないということは、その商品は誰でも仕入れることが出来るということで、参入障壁にはなりえません。
しかし、特定の人脈を持つものしか商品を仕入れることが出来ないとなると、これは参入障壁になりえます。 何故なら、同じ商品を新規参入事業者は仕入れることが出来ないからです。

流通チャネルの確保の難易度

次に『流通チャネルの確保の難易度』ですが、例えば店舗を構えて、直接消費者に向けて販売する形態であれば、流通チャネルの確保の難易度は低いかもしれません。
しかし、特定の産業やメーカーに向けた商品を企業に向けて販売する場合や、卸売を通して販売する場合、販売先が確保できていなければ、いくら商品を製造したとしても、その商品を売ることは出来ません。
売ることが出来なければ売上は立たずに、設備投資やコストの支払いができなくなるわけですから、事業としては成り立ちません。 その為、流通チャネルの確保の難易度を上げてしまえば、新規参入は抑えられます。

最期の『政府や自治体による参入の制限や規制は有るのか』ですが、これは、参入障壁そのものを公的な機関が作っているかどうかというものです。
ここに関しては、事業者の努力でどうにかなるものでもないので、割愛します。

『参入障壁』の捉え方

この参入障壁ですが、新規参入を防ぐための防壁として機能するため、可能であるのなら、構築したほうが自社を有利な立場に置くことが出来ます。
一方で、こちらが新規参入しようと思っている業界に参入障壁がある場合は、その業界に参入しづらくなりますが、もし、自社にその障壁を乗り越える力がある場合は、乗り越えることで、自社も参入障壁を利用することが出来るようになります。

ということで、今回は参入障壁について話していきましたが、業界によっては、あえて参入障壁を低くしているところもあったりします。
何故、低くしているのかというと、ネットワーク外部性を利用するためなんですが、その話は次回に話していこうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第103回【ソクラテスの弁明】被告人 ソクラテス 後編

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被告人 ソクラテス

先程も言いましたが、物語は、ソクラテスを訴えた側が、彼がどの様な罪を犯してきたのかを裁判官たちに訴え終えて、それに対してソクラテスが自分自身を弁明するところから始まります。

先ずソクラテスは、自身を訴えたものが如何に嘘つきか、そして、自分は何も不正をしていないにも関わらず、この場に引きずり出されてきたことを主張する前に、裁判官達に向けて注意を促します。
どの様な注意かというと、ソクラテスがこれから取る態度についての注意です。
彼は、この裁判内で話す事柄については嘘偽りない言葉を話すけれども、その態度も、同じ様に偽りのない態度を取るつもりだと言います。

これがどういう事かというと、よく裁判では、自分の印象を良くすることで、自分の言葉を信じてもらいやすくしたりだとか、仮に有罪になった場合も、叙情酌量による減刑を求めるために、演技をする人がいます。
これは今現在の裁判でもそうですが、2500年前の裁判でもそうで、裁判官たちに人に媚びへつらうことで、裁判の進行を自分に有利に進めようとするものは少なくありません。
ですがソクラテスは、この状態が気に入っていません。

何故なら、本来、裁判における有罪無罪は、法定に上げられた事実のみで決めるべきだからです。
テーブルの上の情報だけを観ると、どう見ても有罪にも関わらず、容疑者が低姿勢で裁判官に対して媚びへつらったというだけで減刑されたり無罪になったとしたら、それは不正行為であって、それこそが犯罪行為です。
逆も同じで、情報だけをみると無罪にしか思えないのに、容疑者の態度が横柄で気に入らないという理由だけで有罪になるとすれば、それは不正行為です。

裁判官は、その様な上辺だけの態度には誤魔化されないという前提で、その職務についているはずなので、裁判官達に対して媚びへつらったりはしないと宣言します。
その為、必要以上に丁寧な言葉づかいもしないし、言葉に真実味を持たせるために、過度な演出も演技もしないと、最初に断言します。
これは、仮にもし、この態度のせいで有罪になったとすれば、それは、裁判官たちの方に職務を全うできるだけの資質がないと言っているのに等しいので、聞き様によっては挑発とも取れます。

つまり、裁判官として卓越して優れていて、裁判官のアテレーを宿しているのであれば、こちらがどんな態度で裁判に挑んだとしても、確実に正しい判断をしてみせろというわけです。
その上で、裁判官たちに『アテナイ人諸君!』と呼びかけて、自身の弁明を行います。
本来であれば、裁判官という職業に対して敬意を払うためにも、『裁判官の方々』といった感じで話しかけるところを、『アテナイ人諸君!』と言っているところに、先ほどの発言の本気度が伝わってきます。

アニュトス

ソクラテスは先ず、この裁判が起こされるに至った経緯を話し始めます。  この裁判は、メレトスという若い吟遊詩人によって訴えられて起こされます。
ただ、メレトス単独で裁判を起こしたというわけではなく、弁論家のリュコンという人物と、政治家のアニュトスが後ろ盾になって援助しています。
一番影響力があるのが、アニュトスという政治家で、この人物は、前に取り扱ったプラトンが書いた対話篇の『メノン』にも登場しました。

アニュトスは、アテナイがスパルタに負けて、三十人僭主制になった際に、民主政を支持する者たちを集めて他国に亡命しました。
ですが、その後、アテナイ市民が僭主制という政治体制に対して徐々に不満をつのらせて、1年後に不満が爆発したタイミングで戻ってきて、民主政に戻す運動に加わった人です。
その間、ソクラテスはというと、三十人僭主制の元で、政治に関する仕事を与えられて、アテナイで暮らし続けていました。

つまり、この裁判制度自体が、アニュトスたちの運動によって勝ち取られたシステムなので、かなりの影響力を持っている人物と言えます。
そのアニュトスは、過去にソクラテスに恥をかかされたことで彼を嫌っていたという事もあって、人々に対して彼の悪口を言い続けました。
それを聞き続けた一般市民達の多くは、『あのアニュトスが、あそこまで主張するのだから、ソクラテスは悪い人では?』と思うようになり、ソクラテスを有罪に出来る下準備が出来たとして、訴えたのでは無いかとされています。

科学と信仰

アニュトスの主張を、より具体的いうと『ソクラテスという人物は、自然学を始めとした科学や論理学に没頭し、そこで培った知識を使って、嘘を真実のようにして広めている。
また、神々が作ったこの世界を、全く別の定義に当てはめて考える、科学に没頭するという行為は、神々を信仰していない証拠だ。 神に対して敬意を払わないような人間は、平気で不正を行う。』
ソクラテスは、アニュトスがこの様な感じで噂をばら撒き、人々を洗脳していったと主張します。

ソクラテスが神を信じていたのか、それとも信じていなかったのかは別として、彼はアナクサゴラスを師匠として尊敬していましたし、一時期は教えを受けていました。
そのアナクサゴラスの主張はというと、『太陽は灼熱する岩だし、月は土の塊に過ぎない。』という主張でした。
当時はギリシャ神話が一種の宗教のように信仰されていましたが、そこでは、太陽や月はアポロンやアルテミスといった神の化身として扱われていた為に、アナクサゴラスは不敬罪で国外追放されています。

その様な人物を師匠とし、同じ様に科学… 当時は考えることの総称として哲学と言われていましたが、それに没頭していたので、この事実だけを観ると、ソクラテスは信仰心が低いかもしれないとも思えます。
この前提が先ずあって、先程の話を民主政権を取り戻す運動の一員として動いたアニュトスが積極的に主張したということで、一般市民の間では、ある程度の信憑性を持って受け入れられたんでしょう。
このアニュトスの働きによって、ソクラテスは悪い人物ではないのかと漠然と感じる人達が多くなってきた事が、今回、この訴えが起こされる原因になったと思われます。

ソクラテスを恨む人達

ソクラテスがいうには、私を悪い人物だと主張する人達は、大きく分けて2種類いると言います。
先ず1つは、私のことをよく知らないし興味もないけれども、皆が『彼は悪者だ』と噂をしているからと、その一方的な意見を信じ込んでしまっている人達。
今現在でもそうですが、何かの事件や不正行為が行われた場合、それがSNSやワイドショーなどで連日のように取り上げられて、皆で叩くという行為が行われたりします。

これと同じような事が、当時も起こっていたわけです。
当時は、ネットもスマホもない為に、SNSで拡散という事はありませんでしたが、ソクラテスのように有名な人物の場合は、彼が如何にバカバカしいことを主張していたのかというのが喜劇の題材となっていました。
他人を馬鹿にするという行為は、本来であれば褒められた行為ではありませんが、対象となっている人物が悪い人間とされている場合は、それも暗黙のうちに認められたりします。

ただ、この様な人達は、ソクラテスという悪い人物を皆で叩くという、一つのコンテンツとして消費しているだけなので、彼らを説得するのは無駄な行為です。
何故なら、確固たる信念があって批判しているわけではなく、なんとなく、ノリで皆でバカにして楽しんでいるだけだからです。
そんな彼らを一人ずつ法定に呼んで、反論していくという作業は労力がかかるだけなので、相手にするだけ無駄です。

熱心なアンチ

残りのもう一つは、ソクラテスの事をよく知っている熱心なアンチです。
今回の裁判は、そのアンチの代表である3人が訴えたので、彼らに対しては、自分は不正行為を行っていないと証明する必要があるとして、弁明を行わなければならない。
それと同時に、限られた時間内で、500人の聴衆が持つ疑念も晴らして、納得させる必要がある。

そうする事こそが、私自身の為だけでなく、説得される人達にとっても良いことだと思うから、不正は犯さず、法律に則った形で弁明を行うと、ソクラテスは宣言します。
彼が弁明を行うのは、自分の容疑を晴らすためだけでなく、それを聴く聴衆にとっても良いことだとしたのは、アニュトスたちの嘘によって騙されている状態というのは、彼らにとっても良い事とは思えなかったからでしょう。
ソクラテスは、善を追求する為には妥協を許さない男なので、目の前に悪によって洗脳されている人達が大量にいるのなら、目を覚まさせてあげなければならないと思ったのでしょう

ここで誤解しないで欲しいのは、ソクラテスは自分が助かりたいからという理由だけで弁明しようとはしていない点です。
自分の命が助かりたいだけなら、わざわざ裁判官を挑発する必要もなく、自分は陥れられた哀れな存在だとして同情を買うという方法もあったはずです。
それをせずに、裁判官達に向かって『アテナイ人』や『聴衆』といった言葉を使って、へりくだらない態度をとっているのは、裁判官たちもまた、アニュトスの洗脳によって悪い状態になっている。
それを、自分の力で助けたいと思っているからでしょう。

という事で、今回は導入部分だけを話していきましたが、次回から、本題に入っていこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第17回【経営】5フォース分析

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5フォース分析

前回は、5フォース分析について話していきました。
5フォース分析について前回話したことを簡単に振り返ると、5フォース分析とは外部環境について整理して分析するフレームワークです。
まず中心に、自分の業界を置き、その業界の競争業者ついて分析します。 簡単に説明すると、飲食店であれば周りにどの様な店があって、自分の立ち位置はどういうものかを考えます。

この競争業者市場を中心に据えて、周りに『売り手』『買い手』『代替品』『新規参入』を配置し、それぞれのパワーバランスを考えていきます。

買い手の脅威

『買い手』は、自分たちの顧客です。 ここで問題になるのは、特定顧客に対する依存度です。依存度が高くなれば高くなるほど、その依存先の力が強くなっていきます。
例えば、特定の自動車会社の自動車部品のみを製造している場合。俗に言う下請け会社の場合は、親会社の力が非常に強くなります。何故なら、販売先が親会社1社になるからです。

この様な関係の場合、親会社が他の会社から商品を購入すると決めた時点で、自社の売上はゼロになる為、『買い手』の力が非常に強くなり、販売単価は下がり利益が出なくなる可能性が高くなります。
何故なら、似たような製造技術を持つ業者に見積もりを求めるだけで、相手はこちらに対して牽制が出来るからです。その見積もりが今の買取価格よりも安ければ、得意先を変えるという選択肢も有ります。
これに対抗するには、他社には真似できない技術やノウハウを習得して企業秘密にするとか、新製品を出して他社に向けて販売し、得意先の依存度を下げていくなどの戦略が必要になります。

売り手の脅威

次の『売り手』は、仕入先の持つ力です。
自分が仕入れている商品や材料や素材が、物凄く希少価値があり、仕入れられる場所や企業が限定されている場合、その仕入先は物凄い交渉力を持つことになります。
更にいえば、その素材がなければ自分たちの商品が作れない場合、自分たちの事業の命運は、仕入先にかかっているといっても過言ではありません。

これを解消するためには、変わりの材料でも作れるようにするとか、他の仕入先も見つけるとか、自分自身で新たな素材を開発するといった戦略が必要になってきます。
この努力を怠れば、仕入れ業者に材料価格をどんどん引き上げられてしまうことになります。
その価格上昇に伴って最終製品の価格を引き上げられるのであれば、利益的な損害は少ないかもしれませんが、それが出来ない場合は、利益が減ることになります。

何故なら、利益は売上からコストを引いたものだからです。これは単純な引き算なので、コストが上昇して売上が変わらなければ、利益は減ることになります。
こうなると事業としては成り立たないので、このパワーバランスには気を使う必要が有ります。
ここまでが前回の話で、今回からは、その続きを話していきます。

代替品

この他の外部環境の要素としては『代替品』と『新規参入』があります。
この2つは、一見すると似ているようにも思えますが、実は全く違ったものです。
『代替品』は、既存の製品の価値観を覆すようなもののことです。

例えば、音楽市場でいえば、昔は販売する媒体としてはレコードでしたが、その後テープになり、CD、MDと変化していき、最終的にはダウンロード販売に変わってきています。
レコードを製造していた会社は、テープという代替品が登場したことで打撃を受けたでしょうし、テープの販売店はCDやMDの登場で大きな影響を受けたでしょう。
そして、最近のダウンロード販売に至っては、実物の商品が無いわけですから、多くの製造業や関節業者が影響を受けているでしょう。

この様な技術革新によって、今まで流通していた商品の価値が相対的に下がってしまい、新たに別の商品が覇権を握ってしまうのが『代替品』です。
この代替品の脅威に対抗するためには、理想論でいえば、自分たちで代替品となる新商品を作るのが理想ですが、これはなかなか難しいです。
既存製品の定期的なグレードアップなどは、出来ると思います。 例えば、毎年のように新作が発表されるiPhoneなどがこれにあたります。

このような戦略は、計画的陳腐化戦略といって、定期的に後継機を出すことで買い替え需要を掘り起こして売上とシェアの維持を保つという戦略なのですが、今回、取り扱う『代替品』はこれとは異なります。
携帯電話市場でいえば、みんながガラケーを作っている中で、スマートフォンを発表するようなものなので、計画的陳腐化戦略をとっていたとしても、代替品が登場すれば、その土台からひっくり返されることになります。
大企業の場合は、経営資源も豊富で開発費も潤沢でしょうから、既存製品を作りながら代替品を開発することも出来るかもしれませんが、中小企業では、難しいと思います。

コンティンジェンシープラン

この代替品の驚異に対しては、もし、そのような商品が開発されて、他社から発売されたらという前提で、予め計画を立てておくことで対応したほうが良いかもしれません。
こういった不測の事態に備えたプランのことを、コンティンジェンシープランといったりしますが、自分の携わっている市場が崩壊するほどの商品が出た場合の事は、常に想定しておいた方が良いでしょう。
例えば、零細企業で従業員も少なくて固定費が少ない場合は、代替品が出たとしても、既存の製品を作り続けるというのは一つの戦略です。

先程のレコードの例で言えば、ダウンロード全盛期であっても、レコード市場はしぶとく生き残り、一定のシェアを維持し続けています。
代替品が出て市場が壊れると、大手を中心に市場を去っていく企業が出てくるわけですから、残存者利益という市場に残り続けることで得られる利益を取れる可能性は有ります。
その他には、代替品が出てすぐに、その代替品を著作権に引っかからない範囲で模倣して、自社の事業を切り替えるという戦略もあるでしょう。

どちらにしても、決断は早い方が良いため、代替品が登場して市場が壊れた際の事を考えておく必要は有ります。

新規参入

最後に、新規参入ですが、これは、既存の市場に新勢力が入ってくるという脅威です。
新規参入者が市場に入ってくると、『買い手』である顧客は選択肢が広がるため、力を増すことになります。何故なら、『この品質でこの値段なら、他の店のほうがコスパが良いから。』といった理由で圧力をかけられるからです。
その為、新規参入者が増えれば増えるほど脅威になりますし、利益が低下するリスクも高まってきます。

もちろん、これには例外が有ります。例えば、その市場自体が小さすぎる上に、顧客の誰にも認知されていないような状態であれば、同業他社がある程度増えてくれたほうが、市場の拡大スピードが増すといったことも有ります。
しかしこれは、市場の黎明期という限られた期間だけで、大半の新規参入者は脅威でしかありません。
その為、youtubeやSNSなどで、『ここは儲かる市場だから、新規参入したほうが良い!今なら、手取り足取り教えてあげますから』といった感じの宣伝を見かけたら、全て詐欺だと思ったほうが良いです。

そこまで儲かる市場であれば、新規参入は脅威でしかありませんし、それを防ぐために、参入障壁を構築しようと心掛けます。
自分から市場に引き入れようとする人は、参入させることで自分が儲かるからやっている場合が殆どです。
少し本筋からズレてしまいましたが、個人の方であっても、この事を知っておくだけで、金銭的なリスクはかなり下げられると思います。

参入障壁

話を戻して、新規参入の脅威に対抗する戦略ですが、これは先程も少し触れましたが、参入障壁を構築することです。
参入障壁とは、簡単に説明をすると、その市場に参入する際のハードルを上げることです。新規で参入するとは、言い換えれば新規で事業を立ち上げることになります。
新規事業の立ち上げには、知識であったりノウハウであったり資金といった様々なものが必要になりますが、それらが多ければ多いほど、参入するのは難しくなります。

それらの必要量を多くすることで、その市場に新規参入することが難しくなるため、結果として、参入障壁は高くなります。
この参入障壁についてはもう少し時間をとって詳しく話した方が良いと思うので、それは次回に話していこうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第103回【ソクラテスの弁明】被告人 ソクラテス 前編

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ソクラテスの弁明

今回からは、プラトンが書いた『ソクラテスの弁明』とう本を読み解いていこうと思います。 この作品は、プラトンが一番最初に書いたものだと言われています。
これまでに紹介したプラトンの対話篇ですが、実際に起った出来事や対話内容を忠実に記録したものではなく、殆どがプラトンの創作です。
この事は、彼とソクラテスは、年齢が50歳近く年が離れている一方で、彼の対話篇には、ソクラテスが若い頃に、有名な賢者と対話した内容が描かれていたりする事からも分かります。

これらの作品は、彼が、ソクラテスの弟子の中でも自分よりも年上の先輩などに話を聞いて、それをベースにして書き起こしたとされています。
ただこの際に、実際に起った出来事をできるだけ忠実に書き起こすのではなく、読み手にメッセージをより分かりやすく伝えるために、元にあった出来事を大幅に加工していると思われます。
その為、これまでに紹介してきた『プロタゴラス』『ゴルギアス』『メノン』といった対話篇では、テーマがしっかりとしていて、盛り上がるポイントも有り、哲学に接点がない人に対しても、伝わりやすい表現で書かれていたりします。

ソクラテスの対話相手とされる人達の主張も、その人物の元々のキャラクター性というのも考慮はされた発言内容になっているとは思いますが、その発言内容は、本人がそのまま主張していた内容というわけでもないようです。
プラトンの初期の対話篇は、哲学に興味が無い人にもわかり易い内容となっていますが、その様な作品に仕上げるためにも、登場人物は、世間一般の人が普段から疑問に思っているような事を代弁するようなキャラクターになっていたりします。
その為、モデルとなっている哲学者や政治家が、対話で実際に発言した内容では無いと思われます。

哲学者同士の小難しい対話内容を対話劇のように書いたとしても、哲学に興味のない一般市民は読もうと思わないからでしょう。
庶民が疑問に思っていることを代弁させて、それに対して反論をするという内容にすることで、庶民が興味を引いて、手に取りやすい内容にしたと想像できます。
当然ですが、ソクラテス自身の発言も、彼だけの主張というわけではなく、プラトンが解釈をしたソクラテスの主張だったり、プラトンが独自で考えた思想をソクラテスに代弁させていたりもしているようです。

ですが、今回紹介する『ソクラテスの弁明』に限っては、プラトンが実際に裁判を見た上で、ソクラテスの主張をそのまま書き留めていると言われています。
その為、ソクラテスの素の言葉が聞ける貴重な作品となっています。

作品の流れ

この作品ですが、これまでのプラトンの作品のように、ひとつの出来事を1から説明する形式にはなっていませんので、相手が裁判を起こすに至った経緯を説明することもなく、裁判の途中から始まります。
具体的には、『ソクラテスが起訴されて、相手側が起訴内容を裁判官達に伝える。』という所は省かれていて、起訴内容にソクラテス自身が弁論をするというところから始まります。
他の違いとしては、ほぼ、ソクラテスによる単独の演説のみで構成されている事です。

これまでに紹介してきた『プロタゴラス』『ゴルギアス』『メノン』ですが、これらの作品は『対話篇』という名前の通り、誰かと対話する事でテーマを深堀りする作りとなっています。
しかし、この作品については、ソクラテスが単独で話し続けます。 途中で、ソクラテスを訴えた人物であるメレトスに対して2~3質問することはありますが、それを除いては、ほぼ、一人で話し続けるだけです。
また内容の方も、これまでの作品とは、少し違っています。

先程も言いましたが、これまでの作品には、話すべきテーマというものがありました。
プロタゴラスでは、アテレーの教師であるソフィストに、『アテレーとは何か。』というのを質問し、ゴルギアスでは、弁論家に対して『弁論家とは何か。』という質問をし、その本質を探っていきました。
メノンでは、アテレーを知らないもの同士で話し合うことで、アテレーを理解できるのかと行った根本的な事を探っていったわけですが…

この作品では、何かを探求するという事ではなく、ソクラテスが自分にかけられた容疑に対して弁明をするという内容になっています。

当時の裁判

次に、当時の裁判についての補足情報を最初に言っておきますと、古代ギリシャの裁判では、抽選によって選ばれた裁判員500人の多数決によって、判決が行われます。
一説によると、500人だと割り切れてしまって判決が出ない可能性があるという理由で、501人だったという説もありますが、とにかく、それ程の人数による多数決によって判断が行われていました。

この、抽選によって国の公職を決めるというシステムは、ペリクレスが考え出しましたが、その後、スパルタ率いるペロポネソス同盟とアテナイ率いるデロス同盟が戦争を行ない、スパルタがアテナイに勝利することで、システムを変えてしまいます。
しかし、民主政を維持したい派閥の人達は虎視眈々と反撃の機会をうかがっていて、結果的に、そのシステムは1年で崩壊し、民主政に戻った為、裁判のシステムも『くじ引き』によって選ばれた裁判官達に戻りました。

裁判の流れですが、先ず、訴えた側が裁判員に対して起訴内容を説明して、相手が如何に重大な不正を犯したのかを訴えます。
この訴えですが、今の犯罪のように、先ず、警察などの治安を維持する機関に相談して、犯罪性があれば逮捕して起訴するという感じではなく、裁判所に訴えれば裁判が開けるというシステムのようです。
ただ、いつでも誰でも手軽に裁判が開けるとなると、イタズラや嫌がらせ目的で裁判を開くという人間も出てきますので、訴える側が裁判費用を先に支払って、相手を有罪に出来なければ没収されるという形式をとっていたようです。

ですが、この形式の場合、貧乏人は裁判を開いて訴えることが出来ないのに対し、金持ちは気軽に裁判を出来てしまう為、公平かと言われると、そうでもないような気もしますけれどもね。
裁判を開いた側が相手の不正を訴えた後は、訴えられた側である被告人が、それに対して、『自分は不正行為を行っていない。』というのを証明するために、弁明を行ないます。
この弁明ですが、時間が設定されています。 この作品は漫画にもなっているのですが、それによると、底に穴が空いている壺を水で満たして、その水が全て流れ出るまでの時間に、自分の弁明を行わなくてはならないようです。

裁判の流れ

原告と被告の双方の言い分が出揃うと、500人の裁判官達によって、判決が下されて、有罪か無罪かが決定します。
仮に無罪であれば、裁判はそこで終了し、あらぬ罪で訴えた原告は罰金を取られて終わりです。
しかし有罪になった場合は、原告と被告の双方が、自分の罪に相応しいと思う刑罰を主張し合い、再度、投票によって判決が下ります。

大抵の場合、訴えた側は重い刑罰を提案し、訴えられた側は軽い刑罰を提案します。
例えば、原告が死刑を求刑した場合、被告が『死にたくない』と思えば、国外追放などを提案するでしょう。
この時、被告側が軽すぎる罪を主張すると、相手の提案が採用されてしまう可能性が高くなる為、罪を実際に受ける側は、罪の重さに対して妥当だと思われる提案をしなければなりません。

この、刑罰の提案ですが、提案した際には、何故、その刑罰が妥当なのかを主張する為の時間が与えられます。
そして、双方の主張を聴いた後に、再度、500人の裁判官によって多数決が行われて、それが最終決定となります。

以上の前提条件を踏まえた上で聞いてもらえると、理解がしやすいと思います。
という事で前口上が長くなりましたが、本編に入っていくことにします。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第102回【メノン】まとめ回 4/4

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良くなる方法

例えば、仕事が肌に合わなかったとして、退職して無職になった場合、失業手当が出ている期間はとりあえず遊ぶという人は、大勢います。
自分の生活を改善して、より暮らしやすい環境にしようと思えば、その失業期間中に新たな知識や技術を身に着けたり、資格をとったりして自分自身をグレードアップさせれば、前よりも良い職場を選べる可能性は高まります。
仕事自体を辞める前でも、仕事が終わった後に自分で勉強をしたりする事で、自分の能力を高めると、周りの見る目変えられたりするでしょう。

でも、私も含めて大半の人間が、そんな事はしないでしょう。 仕事が終わった後の自由な時間は、動画を見たり本を読んだりと、自由に楽しむ時間として使ってしまいます。
アニュトスに言わせれば、大半の人間は改善しなければならない点が沢山ある様な生活をしていて、それは誰の目から見ても一目瞭然なのだから、その指摘を素直に受け入れて生活を改善すれば、誰でも優れた人になれるということなのでしょう。

この主張には、納得できる部分があります。 この世の中の問題は、全てが努力で解決できるといった単純なものではありませんが、努力で解決できる事も、それなりにはあります。
努力をしているにも関わらず、全く報われていない人であれば、幸福に向かうためにはソクラテス達の様に深い考察が必要になるかもしれませんが、努力を全くしていない人に対しては、『とりあえず努力してみたら』というのは、正論です。
ただアニュトスは、この主張で終わってしまっていて、細かい部分についての考察が不十分です。

その為、彼の主張では、十分に努力しているけれども幸福になれていない人に対しても、『もっと頑張れよ。』としか言えません。
逆に、特に努力もしていないけれども幸福な環境にいる人に対しては、『頑張ったからあの地位にいる』と言ってしまうかもしれません。

この、努力至上主義的な考え方は、『努力すれば報われる』『報われていない人間は努力していない』という単純な決めつけでしかありませんし、幸福に努力は必須と断言しているのに等しく、そこで思考停止しています。
幸福になる為には、本当に努力が必須なのか。 努力せずに、生まれながらの環境で幸福になっている人などはいないのか?と言ったことは、考えてません。

アレテーを教えられているはずの人達

その他には、人が直感として正しいと思うアドバイスは、本当に正しいのかや、それを聞き入れた結果として、本当に幸福と成れているのかといった検証もされていません。
ソクラテスは、アニュトスの主張が本当に正しいのかを吟味する為に、アテナイ人、その中でも一般市民よりも優れているとされている偉人の子供達の人生を追うことにします。
その結果として分かった事は、偉人の息子たちは、親や金で雇われた教師たちから、アテレーを教えてもらっているはずなのに、偉大な人物になっていないという事です。

これは、逆の見方もできると思います。 それは、世間から『優れた人』『卓越した人』と呼ばれている人達の親は、みんな優れた優秀な人物で、親から『優秀さ』を教えてもらったのかという事です。
偉人とされている人の親が、それほど優れているというわけでもなく、凡人の粋を出なかったのにも関わらず、子供の方が優秀になったとしたら、その子供は、どこから優秀さを学んだのかという疑問も生まれます。

これらの事実だけを観ると、『優秀さ』や『卓越性』といったものは、人から人へと単純に伝えられるようなものではない事が分かります。
しかし、そうなってしまうと、困ってしまうのはソクラテス達です。
ソクラテス達は、アテレーがどの様なものかが分からないなりに、仮説を立てて一生懸命に推測した結果、『アテレーとは知識のようなもの』だという一応の結論にたどり着いたわけですが、それを吟味した結果、間違っていることが分かってしまいました。

知識と推測

そこでソクラテスは、前提条件が間違っていたのではないかという事で、アテレーから『知識』を差し引き、『知識』の代わりに『推測』を入れてもアテレーは成り立つのではないかと意見を変えます。
例えとして合っているかどうかが分からない、先程の『アンパンの例え』でいうなら、アンパンから『つぶあん』を抜いたら、ただのパンになる為に、アンパンのコアになる部分は『つぶあん』という事が分かったわけですが…
その餡は、『つぶあん』じゃなければ絶対に駄目なのか、それとも、代わりに『こしあん』を入れても『アンパン』という概念は通用するのかを考えるようなものです。 『こしあん』でも代用できるのであれば、前提条件は変えられるということになります。

この答えを聞いたメノンは、『アテレーを宿したものが取る行動は、知識に先導されるものだけでなく、推測によって出た答えを元にしても良いのなら、偉人たちが間違った事も行ってしまう理由になる。』と納得しますが…
ソクラテスはそれに対して、『正しい考えによって導き出された答えが間違うということは、絶対にない。』と、それを否定してしまいます。

この両者の意見の違いが、何故、起こったのかと言うと、『推測』の捉え方が両者で違うからです。
メノンの捉え方としては、周辺情報など集めることによって、正しいと思われる答えを想像する事を『推測』だと認識しているので、当然のことながら、集めた情報に重要なピースが欠けていたりすると、その推測は間違える可能性が出てきます。
そして、メノンがこの様に勘違いをしたのは、ソクラテスがその様に説明をしたからです。

推測と閃き

一方で、ソクラテスが主張する『考え』とは、一種の『閃き』のことです。
ソクラテスは、『探求のパラドクス』が話題に登った際に、反論として『想起説』を主張しています。
『想起説』は、簡単にいえば、人間は絶対に正しいとされる答えを既に知っているけれども、生まれた時に記憶を失ってしまっている。 しかしその記憶は忘れているだけなので、呼び水があれば思い出すという説です。

ソクラテスに言わせれば、周辺情報を集めれば、それらの情報が呼び水となって答えを思い出す事が『推測』なのだから、絶対に間違うことはないと言いたいのかもしれません。
そして、その後に続く『ダイダロスの彫像』の例え話では、『閃き』というのは『求めている答え』だけがどこかから飛んでくると言うよりも、『閃く時』というのは、自分の中にある真理と自分の理性がつながっている状態だと説明しています。

漫画の例でいえば、鋼の錬金術師という漫画がありますが、その漫画の設定では、全ての人間が自分の精神の奥深くに、真理の扉と呼ばる扉を持っていて、その扉の向こう側には、全ての知識である心理があるとされています。
その扉は、何らかの代償を払うことで、支払った対価に応じた時間の間だけ開かれて、そこから膨大な知識を取り出すことが出来ます。
ソクラテスの例え話で言うのなら、その『真理の扉が開いている状態』が、『ダイダロスの彫像が目の前に現れた時』というわけです。

鋼の錬金術師という漫画の世界では、代償を払わなければ扉は開きませんが、ソクラテスの考えでは、扉を開く為には代償は必要ないという考え方です。
真理の扉を開いてアテレーを手にするのに必要なのは鍵で、その鍵となるのが何かを探る為にも、扉が開かれるタイミングや開かれた状態を分析する必要があると主張しているのでしょう。
真理の扉が開かれている状態では、自分が忘れていた知識を取り放題の状態になるので、今、直面している問題を解決する為の答えを、いつでも扉の向こう側に取りに行くことが出来る。

真理の扉の向う側にある答えは絶対に間違っていない正解のものしか無いので、その答えが間違っているはずがありません。 常に正解の道を選ぶことが出来れば、失敗することがないわけですから、その様な状態は『神がかりの状態』といえます。
しかしその扉は、何の前触れもなく閉ざされてしまうので、扉が開いている間に、重要だと思われる情報はできるだけ、引き出して置かなければならないということです。
何故なら、ソクラテスの考えによると、『神がかりの状態』になる鍵は、知識だからです。 知識が呼び水になって、新たな知識を得ることが出来る。 この連鎖によって、人は高みを目指す事が出来ると言っているからです。

アレテーは体得しているもの

ただ、真理の扉の向う側にある知識ですが、『想起説』によれば、これは誰かから教えてもらった知識ではなく、自分の魂が地球のカオス的なものと融合した際に獲得したものです。
その為、その知識をアウトプットして他人に教える事は困難です。 何故なら、その知識は、誰かがアウトプットしたものをインプットしたわけではなく、いつの間にか自分と融合していたものだからです。
アテレーを宿す状態とは、真理の扉が開き、この世の真理と自分の理性とがつながっている状態の事を指し、その扉は、自分の意志で自由に開けるものではなく、何らかの偶然性によって開かれるという事なんでしょう。

まとめると、アテレーというのは、人から教えられて学ぶようなものではなく、既に体験として得ているけれども忘れてしまっている存在。 そして、知識を蓄えておけば、何らかのタイミングでそれが呼び水となり、それを宿した存在になれる。
分かったような分からないような説明ですし、想起説の説明では、確認がしようもない死後の世界の話なんてものも出て来るので、納得が出来ないという方も大勢いらっしゃるとは思いますが…
そういったものを持ち出さないと説明がつかないものが、アテレーというのは、興味深かったりもしますよね。

という事で、今回でメノンの読み解きは終わり、次回からは、『ソクラテスの弁明』を読み解いていこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第16回【経営】5フォース分析(1)

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SWOT分析の復習

前回までの3回で、SWOT分析について話していきました。
SWOT分析を簡単に振り返ると、会社の『強み』や『弱み』であったり、外部環境である『機会』や『脅威』を整理することで、戦略を立てやすくするというものでした。
具体的な戦略の立て方としては、『強みを機会にぶつける』『強みを伸ばす』『脅威を避ける』というのを基本にして、整理した情報をもとに戦略を立てていきます。

脅威に挑んだり、弱みを克服するといったことが戦略にないのは、そういった事をするとリスクが高まるからです。
脅威とは、自然災害で例えれば大型台風や火山噴火のようなものなので、こんな物に人類が立ち向かっていくという戦略はありません。
脅威が迫っていること分かれば距離を取り、近くに来るまで気が付かなければ、気づいた段階で安全な場所を探して立てこもるのが定石となります。

企業の戦略も同じで、小売店イオンモールに正面から喧嘩を売るなんて行動はしません。
脅威から逃れて、自分の得意分野でかつ、大手が真似できないような分野で対抗すべきです。

強味と弱味

弱みの克服については、強みと弱みは表裏一体であるため、弱みを克服することが、必ずしも企業を強くすることにつながらないからです。
以前、ターゲティングの重要性について話しましたが、特定のセグメントに対してターゲットを設定すれば、ターゲットに対しては魅力のある強い企業になりますが、それ以外については魅力のない弱い企業となります。
例えば、スポーツ用品店を例に出して考えてみると、野球少年をターゲットにして野球用品に絞って商品を置けば、それは一種の強みとなります。

例え店舗面積が狭くても、野球用品のみに絞り込んで置く商品を選別すれば、自分より大きな店舗面積を持つ店相手でも、野球用品だけで見れば品揃えや店員の知識で勝つことが出来るでしょう。
この様にターゲットを狭い範囲に絞り込んで品揃えを充実させる小売店は少ないでしょうから、この戦略によって、このスポーツ用品店は『商圏』という商売の範囲を広げることが出来ます。
このスポーツ用品店をSWOT分析で整理すると、『野球用品に強い』という強みが挙げられる一方で、『野球用品以外の品揃えが無い』という弱みが浮上します。

この『野球用品以外の品揃えが無い』という弱みを克服するために、サッカーやバレーボール用品を扱い出すと、店の大きさには限度があるわけですから、野球用品の品揃えを減らさないといけなくなります。
すると、このスポーツ用品店からは『野球用品に強い』という強みが消えてしまうことになります。つまり、弱みの克服が強みを消し去る事に繋がってしまう可能性が出てきてしまうということです。
この様な、弱みが無い代わりに強みもない店は、特色が無く、ターゲットも明確にならないため、結果として、誰からも覚えてもらえない店になる可能性があります。

その為、弱みの克服は戦略としては行いません。
以上が、SWOT分析の簡単な説明でした。
今回、紹介する5フォース分析は、このSWOT分析にも関係してくる理論です。

5フォース分析

5フォース分析とは、簡単に言えば、企業の外部環境を分析するフレームワークです。
SWOT分析では、外部環境と内部環境に分けて、それぞれのプラス要因とマイナス要因について考えていくと言いましたが、この説明ではザックリとし過ぎていて、分析が行いにくいです。
その為、5フォース分析を使って、自社と外部環境の関係性を観るための手助けをしてもらいます。

5フォース分析と聞くと難しそうなイメージを受けますが、外部環境を5つに分けて、それぞれについて考えていきましょうというだけの理論です。
この理論は、マイケル・E・ポーター氏が1979年に発表したものです。
内容としては、先程も言いましたが、外部環境を分析するツールで、外部環境を大きく5つに分けて分析していきます。

5つの外部環境

まず1つ目は、一番わかり易い同業他社です。 先程例に上げたスポーツ用品店で言えば、同じスポーツ用品店を営む店舗が近くにあれば、それは同業他社で、場合によってはライバル会社となります。
この世で唯一のサービスを提供している企業の場合は、この項目は関係がありませんが、その様な企業はほぼ無いと思われますので、全ての会社が同業他社を意識しながら営業しているはずです。
例えばAppleは、OS事業ではマイクロソフトと争っていますし、スマフォ市場ではアンドロイドと争っています。企業が複数の事業をしている場合は、その事業ごとに同業者は存在します。

これらのライバルを競争業者と言います。 5フォース分析のイメージとしてはこの競争業者を中心に据えて、その周りに4つの外部勢力を置いて分析していきます。
周りの4つの外部勢力とは、『買い手』『売り手』『新規参入』『代替品』です。

買い手

一つ一つ説明していくと、まず『買い手』ですが、これは自分の顧客のことです。
例えば、スーパーマーケットを経営している人にとっては、買い手とは毎日買いに来てくれるお客さんとなります。
この顧客が、なぜ外部勢力になるのかというと、この顧客によって自社の経営が影響を受けるからです。

先程、例に挙げたスーパーマーケットの場合は、BtoCの事業となりますが、世の中の事業は直接消費者を相手にする事業だけでなく、事業者相手に販売する職業も多いでしょう。
私が行っている紙箱の製造販売も、基本的には直接消費者に向けて販売せずに、メーカーに対して販売するBtoBです。
このBtoBの取引の場合、『買い手』の勢力が自社の営業に大きく影響を与えます。

例えば、自動車メーカーT社に対して部品を作って納める仕事をしている自動車部品メーカーがあったとします。
この自動車部品メーカーの商品の販売先が、T社1社しかない場合、この自動車部品メーカーの立場は物凄く弱くなってしまいます。
何故なら、このT社が他の仕入先から商品を仕入れることを決めた時点で、この自動車部品メーカーの売上はゼロになるからです。

この様な状態を『買い手の交渉力が強い』なんて言いますが、この様な取引構造になった時点で、自分の立場は買い手よりも非常に弱くなってしまいます。

『買い手』の分散によってリスクを下げる

しかしこれが、T社を含めて4社と取引があり、売上構成でみるとT社は25%しか占めていない場合は、こちらの立場は先程と比べて、そこまで弱くなりません。
何故なら、T社が他社と取引を始めたとしても、売上は25%しか落ちず、売上の75%はキープできるからです。

25%売上が落ちるのは厳しいですが、75%の売上があれば、即倒産することはありません。
これが、更に多くの取引先を持っていれば、1社当たりの重要度は更に下がるわけですから、価格交渉の面でも不利になることは少なくなります。
つまり、特定の取引先への依存度が高くなれば高くなるほど、買い手の交渉力は強くなり、依存度が下がれば下がるほど、買い手の交渉力は弱くなるということです。

『売り手』の交渉力

次の外部勢力である『売り手』は、この『買い手』と真逆で、仕入先とのパワーバランスのことです。
わかりやすさを優先して極端な例で説明すれば、自分が行っている事業でどうしても必要な材料が有るとして、その材料を取り扱っている業者が世界に1社しかない場合、その仕入先の交渉力は極端に高くなります。
何故なら、自社製品を作るためには、その材料を仕入れないと作れないのに、その仕入先が世界に1つしか無いわけですから、そこが材料を売らないと言い出せば、自社製品を作れなくなってしまうからです。

結果として、どうしても必要なその材料の仕入れ値は、相手に足元を見られて高くなる可能性が高いです。
材料を安定して仕入れて、自社製品の製造を安定的にするためには、仕入先との人間関係を築くとか、材料を他の物で代替出来ないのか。
資金に余裕がある場合、その仕入先を買収することは出来ないのかや、材料自体を自社で採掘したり製造したり出来ないのかといった事を考える必要が出てきます。

例えば、今は少し環境が変わってきたようですが、少し前まではダイアモンド市場はデビアスという会社1社が販売を独占していたようなので、価格はその会社によって決められていたと言われています。
いくら宝石商やアクセサリーメーカーが、ダイアモンドが売れ筋だから安く仕入れて製品を製造したいと思ったとしても、販売を1社が独占している状態では、販売価格はその1社によって決められてしまいます。
仕入れ会社は、ダイアモンドを仕入れたいと思えば、相手の言い値で買うしかなくなりますし、『アナタには販売しない』と言われてしまうと、商売そのものができなくなってしまいます

今回はわかりやすさを優先するために、極端過ぎる例で説明しましたが、この様に、材料の供給を握られてしまうと、立場は売り手よりも弱くなってしまうため、それを避けるための戦略が必要になってきます。
次は代替品ですが… それについては次回に説明していこうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第102回【メノン】まとめ回 3/4

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目次

今回も、プラトンが書いたメノンの『まとめ』の続きを行っていきます。
前回や、メノン回そのものを聞かれていない方は、まず、そちらから聞くことをお薦めいたします。

前回は、『探求のパラドクス』や、それに対する『想起説』。その他には、概念の説明の仕方などについて、振り返っていきました。
今回は、『アテレーは知識のようなものなのか』また、『アレテーとは教えられるのか』といった部分を中心に振り返っていきます。

アレテーは幸福へと至る道

メノンはソクラテスが提唱する想起説を受け入れて、共にアテレーについて解明しようと対話に応じます。
二人は先ず、『アテレーの属性』について考えます。 アテレーには属性が有るのか無いのか、有るとすれば、どのようなものなのか?と言った感じにです。
アテレーとは、皆が追い求めているものですが、概念として漠然としすぎていて、誰もその詳細が分かりません。 その為、良いものか、悪いものかも分からない為に、この部分から仮説を立てて考えていきます。

対話をしている2人は、アテレーについての知識はないのですが、一つだけわかっていることがあります。 それは、アテレーを宿した結果、到達する境地です。
その境地は何かと言うと、『幸福』です。 人々は皆、幸福になる為の方法を探していて、その手段が、アテレーを宿す事です。 皆が求めているのは、アテレーを宿すという行為そのものではなく、その先に有る幸福です。
つまり、『アテレー』とは幸福になる為の手段と言い変えることが出来ます。

対話篇の『ゴルギアス』では、手段は目的によって良くも悪くもなると言われているので、アテレーが『良いものか』、『悪いものか』、それとも、『どちらでもないもの』かは、幸福の善悪を考えれば分かります。
ソクラテスの主張としては、幸福とは秩序の中にあり、秩序とは不正を行わないことで達成できると考えているので、幸福とは良いものとなります。
メノンも、これに同意します。 対話篇のゴルギアスでは、カリクレスと激戦を繰り広げることになった、この話題ですが、メノンは青年で純粋さを残しているからか、従来の考えにとらわれず、直感で良いものだと同意します。

アレテーは教えられるのか

次に2人は、アテレーを『教えられるもの』か、それとも『教えられないものか』のどちらかを考えます。
もし、『アテレーとは教えられるもの』であるのなら、2人は自分たちが知らないアテレーを1から考える必要がなく、知っている人を見つけ出して答えを聞けば良いことになります。
逆に『教えることが出来ないようなもの』であるのなら、アテレーとは後から身につける事が出来ないような代物である可能性が有るので、頑張って勉強しても意味がないことになります。

ちなみにですが、ここで言う『教える事が出来る』という意味の中には、『想起させることが出来る』つまり、『忘れているものを思い出させることが出来る』という意味も含んでいます。
というのも、ソクラテスが主張する『想起説』では、アテレーを教えてもらって理解する行為と、類似する答えを聞く事で、アテレーの意味を思い出す行為は同じだからです。

では、アテレーは教えられるのか、それとも、教えられないのかを見極めるためには、どうすれば良いのかというと、ソクラテスは、アテレーと思われているものから『知識』を差し引いてみれば分かると言います。
『人に教える為』に必要なのは、知識です。 そして、先程の同意で、『アテレーとは良いもの』という事は分かっているわけですから…
アテレーと思われるものから『知識』を差し引いて、それでも『良さ』が残るか残らないかを見てみれば、アテレーの本質がどちらに有るのかが分かるかもしれないという事です。

アレテーには知識が必要

これは、例えとして合っているのかどうかは分かりませんが…
例えば、アンパンという概念が有って、そのアンパンの概念を決定づけているのは何かを探る際に、アンパンという概念から色んなものを引いてみて、アンパンという概念が残るかどうかで考えていくといった感じでしょうか。
アンパンから、上にふりかけてある『ゴマ』を差し引いても、アンパンの概念は変わりませんが、中に入っている『つぶあん』を差し引いてしまうと、それはアンパンではなくてパンになります。
そのパンに、餡の代わりにクリームを入れると、それはクリームパンになる為、概念そのものが変わってしまいます。 という事は、アンパンの概念のコアになる部分は、『つぶあん』に有ると考えられます。

アテレーで言えば、アテレーのコアは、『良いものである』という点です。 アテレーを構成しているもの、例えば『美しさ』等は手段でしか無く、良くも悪くも無いものですが、それが『アテレー』と呼ばれるのは、幸福という良い目標の為の手段だからです。
アテレーは、『勇気』や『節制』など、様々なものから構成されているとされますが、これらのものから『知識』を差し引いてみて、それでも『良い』というコアが残っているのであれば、アテレーは知識ではなく…
逆に、知識を差し引いた事で、『良い』というコアまで無くなってしまえば、アテレーという手段に『良い』という概念を付加しているものは『知識』という事になります。

この仮設を元に考えてみると、アテレーが良いという概念を宿すために絶対に必要なのが、知識ということが分かりました。
目の前に強大な敵が立ちはだかったとして、その敵に対する知識が全く無く、相手の力量もわからないままに突っ込んでいくのは勇気では無く、単に大胆か蛮勇ですし、善悪を見極める知識がなければ、分別も節制も機能しません。
これにより、アテレーにとって知識は必要不可欠であることが分かり、知識は他人に伝達が可能なので、アテレーは教えられるという結果が出ました。

知識なら教えられるはず

ただ、ここで問題が発生しました。 アテレーが教えられるものとするのなら、既にアテレーを教えてお金儲けをしている教師という職業が有って然るべきです。
しかし実際には、自称『アテレーの教師』と呼ば得れるソフィストはいますが、それ以外のアテレーの教師の存在が見当たりません。
では、ソフィストはアテレーの教師なのかというと、そうではありません。 ソクラテスは過去にプロタゴラスと対話した際に、彼がアテレーの意味を理解していないことを確認しています。

この当時、最も有名で実力があると言われていたプロタゴラスが、アテレーについてわからないわけですから、彼よりも格下と思われる他のソフィストがアテレーを理解しているはずがありません。
もし、プロタゴラスが知らなかったアテレーを知っているソフィストがいれば、その人物の方が実力が上になるわけですから、プロタゴラスを凌ぐほどの名声が轟いているはずだし、金も稼げているはずだからです。
何故なら、アテレーを宿すとはそういう事だからです。

では、弁論家の方はというと、この対話篇の冒頭部分で、メノンがゴルギアスの意見を代弁し、それをソクラテスが論破し、メノンは間違いを認めているので、弁論家もアテレーの教師とは言えません。
ソフィストと弁論家が『アテレーの教師』では無いとするなら、他に誰が、アテレーを教える事が出来るのか。 二人は考えてみるもわからないので、近くにいたアニュトスに訪ねる事にしました。

アレテーは既に皆が知っているもの

ここから先は、アニュトスとソクラテスとの対話になります。 会話のキッカケとしては、『アテレーの教師はいるのか』というものでしたが、会話の大半は『そもそもアテレーは教える事が出来るのか。』という内容です。
アニュトスの主張としては、『アテレーは、アテナイ人であれば誰でも知っているものだから、誰にでも教える事が出来る。 忠告を素直に聞く姿勢があれば、誰でも優秀になれる』というものでした。
敢えて、『アテナイ人』とつけているということは、敵対しているスパルタ人には分からないと強調したかったのかもしれません。

そんな彼は、ソフィストも毛嫌いしていましたが、その理由は、誰でも知っている事を大層に勿体つけて、価値の有るもののように演出をして大金を稼いでいると思い込んでいたからでしょう。
善悪の基準なんて、考えるまでもなく分かることだし、優れた人間になる方法は大金を支払わないとわからないような代物ではなく、良い方向に努力すれば誰だって実現できるという事なのかもしれません。
例えば、毎日、朝早く起きて仕事の準備を整えて、一生懸命に仕事をして技術や知識を身に着けている人と、毎朝、適当な時間に起きて、とりあえず酒を飲んでパチンコ屋に行く人を比べた場合、どちらが良いか悪いかは、考えるまでもなく分かりそうです。

自分の身近に、毎日、特に努力すること無く遊び歩いている為に、ギリギリの生活をしている人がいたとして、その人が自分で一切の努力をすること無く『自分の生活が惨めなのは、国の政策や環境が悪いからだ。』と不平不満をいっているとしたら…
とりあえず、その人に対して、真面目な生活を送ることをアドバイスしないでしょうか。
私も含めて、大抵の人間は、生きることに真剣に向き合って必死に頑張っているわけではなく、なんとなくその日を乗り切っているだけです。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第101回【メノン】まとめ回 2/4

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『色』と『形』の説明

同じ様に、『アレテー』の説明をする際に、『アレテーという概念の中には、知識や美しさといった要素が入っている。』と答えたとしても、何も説明していないのと同じです。
先程も言いましたが、『アレテー』は日本語訳にすると『徳』という言葉になります。 では美しさはどの様に分類されているかというと、徳を構成するものの1つとして『徳目』とされています。
色が分からない人間に対して『赤色を含む概念』と言っても理解できないのと同じ様に、『徳とは、徳目を含む概念』と説明しても、そもそも『徳』が分からない人は『徳目』も理解出来ない為に、理解は得られません。

では、どの様に説明すればよいのかというと、『色』の説明をする時には、『色』という概念を使わずに説明する。 『形』も同じ様に『形』という概念を使わずに説明することで、『形』という概念を知らない人でも理解できる説明が可能です。
具体的に、どの様に説明するのかというと、『形』の説明をする際には、『色を伴って現れるもの』と説明することが出来ますし、『色』の説明をする際には、身体の『目』という部分を通って入ってきた情報として説明することが出来ます。
どちらの場合も、説明文の中に自分自身と同じ概念を含んでいないため、『形』を知らない人でも『形』を知ることが出来ます。

アレテーに関してもこれと同じ様に、説明をする際には、その説明文の中に『アレテー』や、それを含む要素を使用してはいけない事になります。

アレテーの説明

正しい説明の仕方が分かったところで、早速、『アレテー』とは何かの説明をメノンにしてもらう事になり、そこで彼が出した答えは『美しく立派なものを欲しいと思い、それを手に入れる力』というものでした。
この答えは、アレテーそのものの概念も要素も入っていない為に、説明の仕方としては良いですが、形式が合っている事と答えが正しいことは別のことなので、ソクラテスは吟味していくことにします。

メノンの答えは、『美しく立派なものを欲しいと思い』という部分と、『それを手に入れる力』に分けることが出来ますが、前半部分の『美しく立派なものを欲しいと思う』のは特別なことではなく誰でも思うことです。
だれも『醜くて悪いものを欲しい』とは思わないので、次は、答えの後半部分である『それを手に入れる力』の方だけに焦点を当てて考えてみます。
欲しい物を手に入れるというのは漠然としすぎている為、ソクラテスはメノンに、具体的に何が美しくて立派なのかを聴いてみると、彼は『金と権力』だと答えます。

金と権力を手に入れる方法としては、正攻法意外にも、汚い手段を使うという方法もありますが、金と権力を手に入れる為に、不正を行っても良いのかと問いただすと、メノンはそれを否定します。
これによって、『金と権力』は正攻法で手に入れなければならないという条件が付きましたが、では、『金と権力』と、『不正に手を染めない』という2つの事柄を比べた場合、どちらをより優先すべきなのでしょうか。
不正を行えば金も権力も手に入るけれども、それを拒否すれば両方が手に入らない場合、『たった1度の不正なら』と不正行為を行うのか、それとも拒否するのか、どちらの行為にアレテーは宿るのでしょうか。

メノンは、不正によって『金と権力』を手に入れたとしても、それはアレテーとは呼ばないので、不正行為はしてはいけないという主張をします。
となると、メノンが考える本当の『アレテー』とは、不正行為を行わなず、『正義』や『節制』を宿すという事になり、この説明は破綻してしまいます。
何故なら、『正義』も『節制』も徳目の一つで、アレテーの要素の一つだからです。 ある概念を説明する際には、その概念そのものや要素を使ってはいけないとしましたが、この答えは、そのルールを破っています。

こうして、メノンはアレテーの説明に失敗してしまい、アレテーを知っていると思い込んでいた状態から、無知な状態へと引き戻されてしまいます。
ここでソクラテスは、メノンに対して『共にアレテーについて考えていこう』と誘いますが、メノンの方は『探求のパラドクス』を掲げて、それが不可能ではないかと指摘します。

探求のパラドクス

『探求のパラドクス』とは、知らない者同士で話し合って、一応の答えを導き出したとしても、両者が無知である為に、その答えが正しいのかどうかが判断できない。
その一方で、既にその事柄について知っているものは、わざわざ探求することはない。 つまり、知らない分野への探求という行為は、無意味なのではないかというパラドクスです。

この探求のパラドクスに対して、ソクラテスは『想起説』で迎え撃ちます。
想起説とは、人間は生まれながらに全ての知識を持っているけれども、それを忘れているだけだという意見で…
一度、記憶としては得ている知識を忘れているだけなので、順を追って情報を入れていけば、芋づる式に答えを思い出していくというものです。

この理論の説明ですが、死んだ後の魂の行く末が出てきたり、生まれ変わりと言った話が出てきたりして、かなりぶっ飛んだ話となっています。
ソクラテスといえば、自分自身が一生懸命に考えて導き出した答えすらも疑って、吟味するような慎重な人間なのに、何故、この様な説を主張しだしたのかというと、この様な説明をしなければ成り立たないような事が頻繁に起こるからでしょう。

例えば、好奇心があるとか地頭が良い子供に、算数の足し算と引き算だけを教えるとします。
そして、その子供には、算数の教科書などを与えずに、何も書かれていない真っ白のノートと鉛筆だけを与えて自習させたところ、独学で中学生レベルにまで到達したという話があります。
もっと身近な話で言えば、仕事場に新人が派遣された際に、1を説明されて10を理解する人がたまにいます。 その人は、何処から2・3・4・・・の知識を手に入れることが出来たのでしょうか。

想起説

知識というのが、既に知識を持っている他人から教えられなければ絶対に身につかない場合には、先程の例えのような現象は起こりえません。
しかし実際問題として、このような事は低確率ながら起こります。 では彼らは、どこから知識を得たのかと考えると、既に持っていたとしか考えられません。
一度、知識として得たものを忘れているだけだとすれば、何らかのキッカケで全てを思い出すことはあります。

例えば、昔よく聞いていて歌詞を暗記していた歌があるけれども、数年間、歌っていなかった為に、歌詞を忘れてしまったという事があったとして…
誰かが最初の一言をメロディーに乗せて歌い出すと、自然とそのフレーズを思い出し、その後、立て続けに歌詞を思い出して行き、最後まで歌えたという経験はないでしょうか。
この様に、一度、記憶したけれども、その後、その知識を長時間使用していなかったとか、ど忘れとか、何らかのショックで記憶をなくしてしまった場合は、呼び水さえあれば、それをキッカケに思い出すという事はよくあります。

しかし、全く知らないし聴いたこともない歌の最初のフレーズを聞いたとしても、そのフレーズを呼び水として歌を最後まで歌えるということはないでしょう。
ソクラテスは、人は死んだ後に肉体から抜け出た魂が、この世の全てと一体になる事で、真理を知る事が出来ると主張しています。
数学のような法則は、真理の一部と思われる為、生まれる前からすでに知識として持っているけれども、忘れているだけだとすれば、最初の呼び水さえ与えてやれば、思い出すと言いたいのでしょう。

現にソクラテスは、教育を全く受けていないメノンの付き人の少年に対して、何も教えること無く質問をするだけで、数学の問題の答えを引き出しています。
正方形の辺の長さをどの様に変化させれば、正方形という形を保ったままで面積だけを2倍にすることが出来るのかという知識を、従者の少年は誰からも教えられること無く、自身で考えるだけで答えています。
知識というのが、教えられなければ絶対に身につかないものであるのなら、生まれてから一度も教育を受けたことのない、この少年は、どのようにして、その知識を得たのでしょうか。

『知識』は生まれながらに持っているもの

もっと身近な例で言えば、私達は、『美しさ』であるとか『勇気』といった概念を、言葉によって説明されて知識として得る前から、その概念を知っています。
『美しい』という概念を言葉として知らない子供でも、美しい花そ見れば好意を示すでしょう。
想起説によれば、人は生まれる前から真理を知っていることになる為、ソクラテス達が散々テーマにしてきたアレテーや、その要素についても知識としては持っているけれども、それを忘れているだけだと考えられます。

その為、『美しい』ものを観た時には、それが美しいという条件を備えていることを直感的に思い出すけれども、何を備えていれば美しいと定義するのかと言った細かい部分までは思い出せないままなので、知識としては知らない状態だという事かもしれません。
ただ、その知識は全く知らないわけではなく、一度、世界と一体になる事で知ることは出来たけれども、忘れているだけなので、忘れた者同士が話し合ったとしても、答えに近いところまで行けば、それが呼び水となって答えを思い出すだろうと言うことです。

これに納得したメノンは、ソクラテスと共に答えを探す道を選び、再び対話を行うことにしました。
その後、『アレテーは知識のようなもの』という一応の結論には達したのですが、その結果が本当に正しいのかを吟味したところ、二人は壁にぶち当たってしまいまい、アニュトスに意見を求めました。
この後は、アニュトスとの対話が始まるのですが、この続きの『まとめ』は、次回に話していこうと思います。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第15回【経営】SWOT分析(3)

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前回はこちら

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目次

SWOT分析

前回、前々回と、SWOT分析について話していきましたが、今回もその続きとなります。
前回までの話を簡単に振り返ってSWOT分析についてみていくと、これは自社の立ち位置を整理して、今後の戦略を立てるために役立てるフレームワークです。
やり方としては、紙やホワイトボードなどを用意して、上下に二分する形で横線を引き、上の方を内部環境、下の方を外部環境とし、次に左右を二分する形で縦に線を引き、左側をプラス要因、右側をマイナス要因とします。

この分け方は、別に決まっているわけではないので、左右どちらにプラス要因を置いてもらっても良いですし、上下のどちらに内部環境を置いてもらっても良いですが、とにかく領域を4分割します。
そしてその4つの領域に、それぞれ名前をつけていきます。 内部環境のプラス要因を『強み』。内部環境のマイナス要因は『弱み』。外部環境のプラス要因は『機会』。外部環境のマイナス要因は『脅威』です。
次にこの4つの領域を埋めていきます。 埋めていく作業は1人でやっても良いのですが、多くの観点から自社の立ち位置を確認するためにも、複数の立場の違う人と一緒に考えた方が良いと思います。

4つの領域を埋めれば、次に戦略を考えていきます。戦略の基本は、強みを機会にぶつける。強みを強化する。脅威から逃げるです。
脅威から逃げる理由については、前回に詳しく話しましたが、相手の土俵で戦ったとしても勝ち目がないからです。
例えば、将棋の達人がいたとして、その達人がプロボクサー相手にボクシング勝負を挑んだとしても、勝てる可能性は限りなく低いでしょう。

『驚異』への対処

それよりも、自分の得意な分野に相手を引き込んで勝負をする方が、勝てる可能性が高いです。先程の例で言えば、将棋の勝負に持ち込んだ方が、勝てる可能性は格段に上がるでしょう。
そもそも脅威というのは、立ち向かって行っても勝ち目が薄いから脅威なんですから、こんなモノにわざわざ自分から立ち向かって行く必要はありません。
脅威はやり過ごせるのならやり過ごす方が良いです。

『強み』と『弱み』は裏表一体

では次に、『弱み』を克服しなくても良いのかという話ですが、これについて考えていくには、『強み』も絡んでくるので、『弱み』と『強み』を一緒に考えていきます。
弱みと強みというのは、表裏一体といいますか… 観点の違いによって言い方やカテゴリーが違うだけで、全く別のものというわけではなかったりします。
抽象的な言い方だと伝わりにくいと思うので、具体的な例を上げて説明していくと…

飲食店を例に上げると、繁華街の通りに面している路面店に店を構えているというのは、一般的に考えると強みと言えるでしょう。
京都でいうと、木屋町通りや先斗町なんかがそれに当たりますが、これらの通りは飲食目的で訪れる人が多いため、通りに面した路面店に店舗を構えるだけで、特に集客をしなくても、客は入ってきます。
先斗町でいえば、東側の店だと更に東側が鴨川で、夏には床が出せるため、一年を通して集客できる為、このテナントを借りることができれば、強みになるでしょう。

その一方で、先斗町木屋町通に面していない路地の奥にある飲食ビルの5階に店舗がある場合、この店の立地は弱みになるでしょう。
何故なら、先斗町木屋町通りの路面店が一見客に発見されやすいのに対し、路地の奥のビルの5階なんて、余程のことがない限り行くことがないからです。
その為、店の存在をアピールするのが大変ですし、そのために広告費も必要になってくる可能性も有ります。

物事は見る観点によって見え方が変わる

しかしこの『強み』『弱み』は、一見客の集客に限定した話であって、別の観点から見れば、『強み』『弱み』は逆転します。
例えば、家賃という観点で見てみると、この2軒の店の立地は、『強み』『弱み』が逆転します。
飲食街のメインストリートの路面店なんて好立地の店の場合は、当然ながら、家賃の相場が相当高くなるため、家賃支払いという固定費の為に、損益分岐点売上高は相当上昇します。

逆に、路地の奥のビルの5階なんて立地では、借りたい人間がいないため、家賃相場は低いでしょう。その為、先程とは逆に損益分岐点売上高は低くて良いことになります。
売上が低くて良いということは、来客人数も客単価も低くて良いということになるわけですから、低価格路線で攻めるとか、ターゲットを絞りまくって少ない顧客に高品質のサービスをするなど、様々な戦略が選べます。
この様に、家賃や、それに伴う損益分岐点売上高といった観点から立地をみると、必ずしもメインストリートの路面店で有ることが『強み』になるとは限りません。

この他の観点でいうと、メインストリートの路面店は、当然、誰でも知っている店として認識されています。
これは『強み』と捉えることが出来ますが、誰でも知っているため、特別な店とは思われないため、その点でいえば『弱み』ともいえます。
逆に、路地の奥のビルの5階の店は、その存在を誰も知りません。これは『弱み』ともいえますが、客さえ引き込めれば『隠れ家的な店』として贔屓にされて口コミで客が広がる可能性もあるため、『強み』ともいえます。

つまり、『弱み』を克服しようと行動した結果、それが『強み』を打ち消す行動になっていたり、別の『弱み』を生み出す原因になってしまったりするということです。

『強み』と『弱み』の関係性

別の例で言えば、例えば焼酎に特化した酒屋があったとすると、その酒屋の『強み』は焼酎の品揃えや店員の焼酎に関する知識ということになり、『弱み』は焼酎以外の酒がないことになります。
この酒屋が、自身の『弱み』を克服するために、ワインやビールや日本酒やウィスキーを置き出すと、商品の幅は広がって、先程あげた『弱み』は消えることになります。

しかし、店のスペースが限られていて、棚の広さにも限りが有る以上、焼酎以外の商品を並べると焼酎の種類や在庫を減らす必要が出てきます。
こうなると、今までの『焼酎に特化した専門店』というスコアコンセプトが崩れ、根幹部分の『強み』が無くなってしまい、品揃えが中途半端な特徴のない酒屋になってしまいます。
その為、基本的には弱みの克服は考えません。

この弱みが、例えば『従業員の接客態度が悪い』といった、直すことで強みが無くならならず、サービスが改善することであれば、研修などを通して改善するのは問題ないですが…
先程あげた例のように、直すことで元々あった強みが無くなってしまうような改善には、慎重になるべきです。

『強み』を『機会』にぶつける

次に、取るべき戦略として挙げた『機会に強みをぶつける』についてですが、これは、説明の必要もないと思います。
外部環境を調査した結果、市場にどの様なニーズが有るのが分かったとして、自社の強みを活かせばそのニーズを満たすことが出来るとするのなら、その市場に参入すれば、成功する確率は高いでしょう。
何故なら、そもそも仕事とは、社会に転がっている問題を見つけ出し、それを解決することだからです。

社会に転がっている問題とは、それがそのまま消費者のニーズとなりますし、そのニーズを自社の強みを使って満たすことが出来るのであれば、それは事業として成り立ちます。
また、既に自社が『強み』として所持している経営資源を流用するわけですから、新たな投資も必要がないため、リスクが非常に低いです。
その為、『機会』に対して『強み』をぶつけるのは、鉄板の戦略となります。

『強み』の強化

次に行うのが、『強み』の強化です。
今現在の経営で、事業運営が順調であるのなら、無理な方向転換をせずに、強みを伸ばして行く方が良いでしょう。
例えば、先ほど例として出した、焼酎の専門店の話で言うのなら、ビールやワインなどを取り扱わずに、焼酎メーカーの新規開拓をするほうが良いでしょう。

焼酎メーカーを訪れて知見を広めたり、メーカーと親睦を深めて、その業界内で顔を広めるのも良いでしょう。
関係性が深まればそのメーカーとコラボや共同開発などを通して、自社のみの特注品を作るなんてことも出来るかもしれません。
そうすれば、その商品は他の小売店では購入することが出来ないわけですから、その商品自体が新たな自社の強みとなることもあるでしょう。

自分が携わっている業界の人達と仲良くなるとか、その業界で顔を売る。自分たちが取り扱っている商品や素材に対して詳しくなるというのは、費用や労力も少なくて住みますし、行ったとしてもデメリットがありません。
デメリットがほぼ無いにも関わらず、強みが強化され、場合によってはそれが売上や事業拡大に繋がるわけですから、強みを強化するという戦略は基本戦略にすべきでしょう。

まとめると、SWOT分析によってそれぞれの項目を分析した後は、脅威からは逃げ、機会には強みをぶつけ、強みは更に強化するという戦略を立てるのが、定石となります。
今回でSWOT分析の説明は終わり、次回は、5フォース分析について説明していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第101回【メノン】まとめ回 1/4

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目次

第88回から前回の100回までの13回に渡って、メノンの読み解きを行っていきました。
注意として言っておきますと、この読み解きには、私個人の解釈が結構入っているので、興味を持たれた方は、是非、本を手にとって読まれることをお勧めします。

という事で、早速、本題に移って、今回は、メノンの『まとめ回』をしていきます。

入門書『メノン』

このメノンですが、位置づけとしては入門書として推薦されていることが多い作品となっています。
テーマも、ソクラテスがずっとメインテーマとして掲げている『アレテーについて』ですし、それに付随するテーマとしても、根本的な事柄が書かれていたりします。
例えば、『探求のパラドクス』であったり、それに対抗するように主張された『想起説』、その他には、概念の説明の仕方などがそれに当たります。

ソクラテスが登場する対話篇で定番となっているやり取りに、一つの質問をした際に、複数の答えが帰ってきて、それに対してソクラテスが苦言を呈するというやり取りがあります。
例えば、『アレテーとは何なのか。』『どのようなものか』といった質問をして、それに対して、回答者が、『勇気』『節制』『分別』『美しさ』など複数のもので答えると…
ソクラテスは、『1つの概念の質問をしているのに、何故、複数の答えが出てくるのか』といった指摘や、『たった一つのシンプルな回答をしてくれ』といった要望を出してきます。

しかし、この対話篇で、ソクラテスの相手として登場する人達は、アレテーについては知っていると思い込んでいるだけで、実際には深く考えたことがない人たちです。
その為、アレテーを上手く表現することが出来ずに、アレテーを構成するものを挙げていくことでしか、説明が出来ません。
この様な質問が、複数の作品で繰り返し行われるのですが、読み手としては、『どの様に答えればよいのか』といった見本がない為に、ソクラテスの指摘そのものが議論に勝つための屁理屈にしか聞こえなかったりします。

ですが、この作品の中では、その概念の説明の仕方がサンプルとして提示されている為、ソクラテスが繰り返し主張する『全てに当てはまる、たった一つのシンプルな答え』が想像しやすくなっています。
この理屈を聴いた後で『アレテーとは何か』という質問に対して『勇気』や『節制』や『美しさ』や… といった感じの説明を聞いてしまうと、その答えそのものが滑稽に思えてきます。
というのも、『勇気』や『節制』や『美しさ』といったものは、アレテーを構成しているものには違いはないのですが、それを挙げていったとしても、答えにはならないというのが、しっかりと理解できるからです。

アレテーとは、日本語でいうと『徳』であったり、『優れている』とか『卓越している』といったニュアンスを含む言葉ですが…
優れている人や卓越している人、それ故に、皆から尊敬される人というのは、何故、優れているのか、何を持って卓越しているというのかという質問に対して、それを構成しているものを挙げていくだけでは、答えになりません。

優れている人

例えば、様々な知識を持っていて、それ故に難問にも立ち向かえるような人というのは、普通の人よりも優れているし、卓越している人とも言えます。
一方で、強靭な肉体を持っていて、向かってくる敵を次々となぎ倒せるような人も、優れているし卓越しています。
また、知識や強靭な肉体を持たなくても、造形美のみで人の注目を引くことで、優れた卓越している人物と認識されている人もいるでしょう。

例えば、Instagramという写真中心のSNSがありますが、フォロワー数が多い人気のアカウントの中には、単に『造形が優れているから』といった理由で、人気が出ている人も多数存在します。
今の時代は、SNSで有名になってフォロワー数が増えると、それ自体が商品価値を生み、お金を稼ぐ手段にもなったりするので、優れた造形美は卓越していると言っても良いでしょう。。
その人達自身は、自分たちは外見の他にも努力していると主張するかもしれませんが、仮に、その人達の顔が、その辺りにありふれている様な顔に変わったとして、同じ様に投稿して人気を維持し続けることが出来るのかといえば、疑問です。

古代ギリシャ時代にアレテーを求めて行動していた人達は、自分が成功して幸福になりたいが為に、ソフィストの元へアレテーを習いに行ったりしていました。
では、幸福とは何かというと、少なくない割合の人達が、自分自身に湧き起こる欲望を満たし続けるだとか、財産を築き上げるといった事が幸福だと信じでいました。
その当時の価値観に照らし合わせるのであれば、顔や見た目が良いだけの人がInstagramで有名になり、そのフォロワーを使って大金を稼ぐという状態は幸福と呼べますし、幸福に導いてくれた『見た目の美しさ』はアレテーと呼べるでしょう。

『美しさ』とは

では、『美しさ』とは、単純に外見の良さだけの事かというと、必ずしもそうとは言えません。
外見的な魅力が乏しいとしても、知識や勇気を持っている様な尊敬できる人であれば、皆から好意を寄せられるでしょうし、憧れる存在へとなります。
憧れの対象となったその人物は、造形美としては優れていなくとも、尊敬している人からは『格好良い』と思われることも増えるでしょうし、『あの人の様になりたい!』という人が増えれば、その人物を真似する人達も出てくるでしょう。

そのようにして、『知識』や『勇気』を宿した特定の人物がもてはやされるようになると、その特定の個人の造形が『美しい』と思われるような事もあるかもしれません。
例えば、ソクラテスは、自身が無知であることを知り、その状況を改善する為に、多くの賢者と呼ばれる人達に会いに行きましたが、その結果として、プロタゴラスに辿り着きました。
ソクラテスは、自身の性格上、彼の主張をそのまま鵜呑みにすることはなく、吟味して納得しようとする為に対話を行い、論争のようなものにまで発展しますが、では、彼を否定しているのかというと、そうではありません。

ソクラテスは、プロタゴラス以上に『美しい』存在はギリシャ内にはいないと褒め称えています。
つまり『美しさ』とは、単純な造形美のことだけではなく、『勇気』や『知恵』や『分別』といった、他のアレテーの要素とも複雑に絡み合った概念とも考えられるわけです。

概念の説明の仕方

では、美しさとは、それ単独でアレテーとなりうるのでしょうか。 それとも、他の要素と絡み合って初めて、アレテーとなるのでしょうか。
美しさがだけが宿った人のことをアレテーを宿した人といって良いのでしょうか。 それとも、アレテーを宿した人の事を美しい人と呼ぶのでしょうか。

『美しさ』に限らず、『正義』や『節制』『勇気』『分別』といったものは、アレテーを宿していそうな人が持っていそうなものといえますが、それを答えたからと言って答えにはなりません。
何故なら、この答えの出し方は、アレテーを宿していそうな人の特徴を挙げ連ねているだけで、『アレテー』そのものについては、何一つ、説明がされていないからです。

この部分の説明は、対話篇の中では『色』と『形』という概念を例に上げて解説されています。
『色』も『形』も、それぞれの概念の中に数え切れない程の要素が含まれていますが、これらの概念の説明を、先程のアレテーの説明のように、要素を挙げ連ねるという方法で説明しようとしても、出来ません。
例えば『色』を説明する場合、色の中には赤色や白色やピンクや…といった感じで、『色』という概念に何色が含まれているのかを挙げていってもキリが無いですし、仮に全ての色を例として挙げたとしても、それは色の説明にはなりません。

何故なら、『色』の説明で『赤色』という『色』の概念を含んだ例としてあげたとしても、そもそも、『色』が分からない為に、結局は、『で、赤色の色って何?』と聞くしかありません。
『形』という概念も同じで、『形』の説明をする際に、『三角形』や『円形』などの『形』という概念を含むものと説明したとしても、そもそも説明になりません。
何故なら、『形』という概念が分からない者に対して、『三角形』という『三角』の『形』の概念を含むものと説明しても、理解は得られないからです

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第14回【経営】SWOT分析(2)

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目次

SWOT分析

前回は、SWOT分析の仕方を簡単に説明していきました。
簡単に復習すると、SWOT分析は、まず、会社の立ち位置を把握するために、4つの項目に分けて情報を整理していきます。
4項目の分け方は、自社の環境を内部環境と外部環境に分けて、それを更に、プラス要因とマイナス要因に分けていきます。

すると、内部要因のプラス要因。 内部要因のマイナス要因。 外部環境のプラス要因。 外部環境のマイナス要因の4項目に別れます。
この4項目にそれぞれ名前をつけていくと、内部要因のプラス要因が『強み』。内部要因のマイナス要因が『弱み』。
外部要因のプラス要因が『機会』。外部要因のマイナス要因が『脅威』となり、この『強み』『弱み』『機会』『脅威』を英語にして頭文字をとっていくと、SWOTとなります。

この使い方としては、ホワイトボードなどに上下を二分する形で横に線を引き、上を内部環境、下を外部環境に割り当てます。
次に、左右を二分する形で縦に線を引き、左をプラス要因、右をマイナス要因に割り当てると、左上が『強み』右上が『弱み』左下が『機会』右下が『脅威』となります。
後は、複数の人たちで、この表を埋めていきます。

企業の内外分析

自社の強みは何なのか、弱みは何なのか。 外部環境での機会は何か、脅威は何かを、複数の人と話し合いながら書き込んでいきます。
この作業は、人がいなければ1人で行っても良いのですが、何故、複数の人でやった方が良いと勧めているのかというと、その方が真実に近づくからです。
人間は、様々なバイアスに支配されていているので、今置かれている状態を錯覚した状態で受け入れています。

これは、色眼鏡をかけて世の中や自分の会社をみているような状態と同じです。
例えば、赤い色のレンズが入ったメガネをかけると、赤い色で書かれた文字や絵は見えなくなります。
実際には青い色で書かれているものは、赤いレンズを通してみれば紫に見えてしまいます。

この様な状態で、いくら真剣に自社の強みや弱みや外部環境の分析を行ったとしても、正確な分析はできません。
バイアスをなくせば良いと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは無駄な努力です。 何故なら、バイアスとは、自分の常識を書き換えてしまうものだからです。
しかし、これが複数の人になったとすれば、話は変わってきます。何故なら、人それぞれが持つバイアスは違うからです。

先程の色眼鏡の例で言うなら、あなたが赤いレンズのメガネを掛けていたとして、一緒に分析する協力者が青いレンズを掛けていたとすれば、同じものを観たとしても、観察している対象は、同じようには見えないということです。
観察しているものに赤い字で何かが書かれていたとしても、赤いレンズのメガネを掛けているアナタには、その字を読むことは出来ませんが、青いレンズをメガネをかけている協力者は赤い文字が見えているため、指摘してくれます。
逆に、青い色で何かが描かれていたとした場合、青いレンズのメガネをかけている協力者には読めませんが、アナタにはそれを観ることが出来ます。

人それぞれが持つバイアスが違うということは、それぞれの人がかけている色眼鏡が違うということですから、多くの人と一緒に分析することで、観察しているものの本当の姿が見えやすくなります。
そういった観点で言えば、自社の社員の意見だけでなく、得意先の意見にも耳を傾ける方が、より正確な分析ができると思います。

SWOT分析を使った戦略

このSWOT分析ですが、4項目を埋めるだけで終了ではなく、ここまでは準備段階です。これを埋めてから、戦略を考えていくようになります。
基本的な戦略としては、自社の『強み』を『機会』にぶつける。『強み』を磨いて強化する。『脅威』からは距離を取ります。

何事にも前向きな経営者の方は、『弱み』を克服すべき!だとか、脅威に打ち勝ってこその勝利だ!なんて思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、基本的にはそんな危険なことはしません。
何故なら、このコンテンツを通して繰り返し主張していますが、経営学は、基本的には事業を大成功に導くための学問ではなく、経営におけるリスクを減らす学問だからです。
その為、脅威に向かって立ち向かっていくなんてことはしません。

例えば、史上最大の台風という脅威が来ている時に、それに立ち向かっていくのは賢い者のすることではありませんよね。
脅威が来ると事前に分かっている場合は、そこからできるだけ距離を取るのが身を守るために必要なことであるはずですし、距離が取れないのなら、頑丈な建物に立てこもるのが正解です。
どれほど危険かを確かめるために、増水している川や用水路を見に行くというのは、自分の身を危険に晒すだけです。

驚異に対して真正面から戦わない

この脅威の説明を会社経営の具体例でいうと、自分で個人の小売店を行っている状態で、家の近所に大きなショッピングセンターが出来るとします。
そのショッピングセンターには、同業他社もテナントとして入ることが予定されている場合、このショッピングセンター建設は、自分にとっては脅威になるといえます。
この驚異に対して、真正面からぶつかっていったとしたら、どうなるでしょうか。

例えば、品揃えや商品の品質を同じようなものにして、営業時間も同じにして、真っ向勝負を仕掛けた場合、果たして相手に勝てるでしょうか。
相手は新規参入なので、これまでの常連との付き合いを強化したり、多額の宣伝広告費をかけたりすれば、もしかすれば勝てるかもしれません。
しかし、ショッピングセンターのテナントで入るということは、集客力や利便性の面で負ける可能性も大いにあるため、経営のリスクとしては非常に高くなります。

であるのなら、経営戦略としては、この驚異から逃げるというのも、選択肢の一つです。
誤解しないでほしいのは、逃げるというのは、店を畳んで廃業するということではありません。相手と同じ土俵で戦わないということです。

差別化

では、どの様に戦えばよいのかというと、ターゲット層を少しずらすのです。ターゲット層をずらすとは、その地域における自分の店の役割を、変えるということです。

例えば、自分の店が酒屋だったとします。そして、ショッピングセンターのテナントにも酒屋が入っているとしましょう。
相手のテナントの広さの方が広く、相手がその広さを生かして幅広い品揃えで展開している場合、この店に対して品揃えで対抗したところで、勝つのは難しいでしょう。
何故なら、リアル店舗の場合は場所の制約があり、おける在庫数には限りがあるからです。

この様な制約がある状態で、敷地面積が狭い店が広い店に対して品揃えで対抗しても、勝ち目は薄いでしょう。
この場合は、相手の出方を見た上で、ターゲット層をずらす方が生き残れる可能性も、相手に勝てる可能性も高くなります。
どの様にターゲット層をずらすかといえば、差別化です。

例えば、置くお酒の種類を蒸留酒に絞るとか、日本酒のみ取り扱う。 焼酎だけ取り扱うといった感じで、更に細分化させることで、差別化が可能になります。
いくら店舗面積が負けているといっても、相手が全ての酒の種類を取り揃えていて、こちらが焼酎しか置いていないのであれば、焼酎の品揃えだけで見れば相手には勝てます。
つまり、相手の店舗に置いていないような珍しい焼酎も置いて置けるということです。

差別化のデメリット

この様な戦略を取れば、ショッピングセンターに焼酎を探しにいったけれども、好みのものが置いていなかったというお客さんを取り込むことができるようになります。
しかし、デメリットとしては、普段飲むビールを定期的に買いに来ていたお客さんを取りこぼすことになります。
この様な差別化は一長一短で、『この戦略を選べば相手をだしぬけて、確実に売上が増える!』なんてものはありません。その為、当然、失敗することもあるでしょう。

ですが、相手の得意な土俵で戦ってジリ貧になることに比べれば、まだマシともいえます。
ということで、今回はSWOT分析の中の脅威を取り上げて話してみましたが、このSWOT分析は、全ての要素は繋がっていたりします。
そのためにも、脅威以外の要素についても観ていく必要があるのですが、その話はまた次回にしていきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第100回【メノン】賢者と占い師 後編

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一時的な賢者

戦場に置いて、『戦う』『逃げる』『撤退する』などの行為は、目標を達成する為の手段にしか過ぎません。
これらの手段は、目的が良いものかどうかで、その手段そのものの善悪も変化します。
つまり、全く同じ行動であったとしても、良い目的のために行われる手段であれば、その手段は良いものとして肯定されるし、悪い目的の為の手段であれば、否定されるべきという事です。

この目標の善悪を判断するのが、『善悪を見極める為の技術』であり、それを知る『知識』です。ただ、これまでの考察によって、『知識』によって正しい選択を行える者というのは、いないだろうという事が分かりました。
これは、今現在はその様な人物がいないのか、それとも、これから先も『知識』によってアレテーを宿す人は現れないのかは分かりませんが、少なくとも今までの歴史の中では現れていないので、いないものとします。
しかし、『善悪を見極める技術』を持っていなかったとしても、『神がかりの状態』における『考え』でも、同じ様に正しい判断をすることが可能です。

という事は、今までの歴史の中でアレテーを宿しているかもしれないとされている人は、『知識』によってアレテーを宿したのではなく、正しい『考え』が宿ったことで一時的に優れた人になったと考えられます。
つまり、今まで偉人とされてきた人は、偶然にも目の前に『ダイダロスの彫像』が現れたことによって、正しい目標が設定できて、その目標を達成するのに最適な手段を選ぶことが出来たというわけです。
そして、一時的にはアレテーを宿して『優れて卓越した人』と認識されたけれども、その期間は長く続かず、多くの者が『ダイダロスの彫像』をつなぎとめておく努力をしなかった為に、凡人に戻ってしまったという事なのでしょう。

知識を持たない賢者

この理屈で考えると、アレテーが教えられない理由も分かります。
ソクラテスは、『神がかりの状態』に入るタイミングを『ダイダロスの彫像』に例えましたが、勝手気ままに自由に動き回る『ダイダロスの彫像』が、いつ、どの様な場面で自分の前に現れるのかを説明できる者はいません。
また、『ダイダロスの彫像』が現れて、『神がかりの状態』になってアレテーを宿した人間になり、常に正しい答えを閃く状態になったとしても、その閃きを意図的に起こす方法を、『神がかりの状態』にある人間は説明できません。

例えば、この時代では神々の声を聞くとされている巫女が、神殿などにいましたが、巫女達は『神がかりの状態』になって神の声を地上の人々に送り届けることが仕事ですが、その言葉がどの様に思考されて出されたかは分かりません。
巫女は、神の言葉を伝言ゲームのように『聞いて話している』だけの存在なので、巫女が口にする託宣の意味を、巫女自体は理解していません。

これと同じ様に、『神がかりの状態』にある指導者が閃きによって下す決断は、その閃きのプロセスを他人に伝えることは出来ません。
もし、正しい結論の導き方を論理的に説明できるのであれば、それは『閃き』ではなく『知識』になってしまいます。
正しい結論を出すのに必要なものは、『善悪を正しく見極める技術』ですが、これを論理的に言葉によって説明できるのであれば、その知識こそがアレテーとなります。

その『善悪を正しく見極める技術』が、人に説明できる形式で本当に存在するなら、その様な人類にとって有益な情報は、もっと世間に広まっていても良いでしょうし、金をとって教えるという職業が現れても不思議ではありません。
しかし、実際には、そのような『アレテーの教師』は存在しないので、『神がかりの状態』にあるものは、自分が何故、そのような決断を下したのかを論理的に説明する事は出来ない事が分かります。
『神がかりの状態』になったものは、自分が何故、良いアイデアを閃いたのかを説明することは出来ませんが、アレテーを宿している状態である為に、自分の出した答えが正しい事は確信を持っているということです。

賢者と占い師

偉人とされている優秀な指導者は、その任期中に数多くの決断をしなければならなかったと思います。 結果として『偉人』や『賢者』と呼ばれているのは、彼らの選んだ選択肢が正しかったからです。
間違った選択肢を選ばなかったからこそ、一時的であれ、国は良い方向へと進んでいく事が出来たわけですが、では彼らは、正しい決断を選ぶ為の『知識』を持っていたのかというと、そんな物は持っていません。
もし彼らが、『良い方向へと進む方法』を知識として持っているのであれば、彼らの息子はその知識を教えてもらっているはずなので、『正しい道』を選べる力を持っていることになります。

しかし実際には、そんな事はなく、彼らの息子も、そして彼ら自身も、そんな知識は持っていません。
偉人とされている指導者は、何らかのタイミングで『神がかりの状態』となり、何処からともなくやって来た『閃き』によって正しい行動を確信し、実行しているに過ぎません。
この行動は、何処からともなく告げられる神の言葉を聞き、それをそのまま伝える巫女や、何処からともなくやってくる対象の運命のヴィジョンをみて助言を行う占い師たちと同じです。

アレテーは宿るもの?

巫女も、占い師も、そして優れた指導者も、自分たちの主張する答えがどのようにして導き出されたのかは、何一つ理解してはいません。
最善へと向かう道を選択する知識を持ち合わせていないのに、それでも、何処からともなくやって来たアイデアによって正解を選び続けることが出来るというのは、神からのお告げを聞いているのとなんら、違いはありません。
古代ギリシャ時代では、優れた人間や人知を超えた存在のことを神と呼んでいましたし、卓越した人間以上の能力を持つ人を『神のような人』と呼んだりもしました。

また、自分自身が優れた能力を持っているというのを宣伝するためにも、自分は『神の子』だと主張するものも沢山存在しましたが…
彼らは正に、自分自身の知識や能力ではなく、それ抜きで、神的な運命のようなものによる『閃き』によって、卓越した状態を体現しているとも言えます。

以上の事をまとめると、『アレテーを宿す』とは、運動の才能のように生まれつき備わっているものではなく、かといって、学習によって後から学ぶものでもありません。
『アレテーを宿す』状態とは、何らかの偶然や運命によって、神的なものがその身に宿っている状態で、それを宿している状態の時に下す決断は、全てが正しい『神がかりの状態』だと推理することが出来ます。

そしてソクラテスは、メノンが今回の対話で納得した内容を、アニュトスに伝えて説得してみてはどうだろうかと勧めます。
今回、二人の対話によって明らかになったことは、アニュトスが漠然と『アレテーとはこんなモノ』と思い込んでいる答えよりも、良い優れた答えだと思われます。
その良い考えをアニュトスに伝えて彼を説得することが出来れば、それがアテナイを良くする1歩になるのではないかとして、対話を終えます。

これで、メノンの対話篇は終わりますが、次回から2回ほどで、メノン全体を振り返るまとめ回をしていきます。

【Podcast #カミバコラジオ 原稿】第13回【経営】SWOT分析(1)

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前回はこちら
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目次

企業の戦略

前回は、経営戦略について考えていきました。
簡単に振り返ると、経営戦略は3段階から構成されていて、一番上が企業戦略、次が事業戦略、最後が機能戦略という構造になっています。
この様な構造になっているのは、そもそも、企業がこの様な構造になっているからです。

企業の構造というのは、まず大枠として企業があり、その企業の中に事業があり、その事業を行うための部署が存在します。
部署とは、経理部や購買部、営業部といった実働部隊のことです。
中小零細企業の場合は、1人の人が複数の業務をこなすことも珍しくありませんが、経営学の考え方としては、概念としてそれぞれの業務が独立していると考えてください。

理由は、経営学は学問なので、理論を構築するために、経営の要素を細分化して単純化し、それによってそれぞれの部署が独立しているというモデルを作り、そのモデルで理論を考えているからです。
これを実際の仕事に落とし込むためには、机上の空論を、それぞれの企業で実際に使えるようにカスタマイズしていく必要があります。
一番良いのは、最初からそれぞれの会社にカスタマイズされた理論を作るのが良いのでしょうが…

数多ある会社それぞれにカスタマイズされた理論を経営学者が1つ1つ作るのは非効率なので、経営学では大半の会社に当てはまる様にモデルが作られれています。
そのモデルでは、経理や営業や購買は分かれている事になっているので、例え1人で3つの業務を抱えていたとしても、業務は分かれていて、その業務ごとに戦略があると理解してください。

話を戻すと、まず企業の方向性を決めるための企業戦略があり、企業が持つ事業の方向性を決める事業戦略があり、その事業戦略を順調に進めるための機能戦略が存在します。
会社の規模が小さくて、事業が1つしかない場合は、事業の方向性が企業の方向性を決めることになる為、この2つは同じものとなります。
ここまでが、前回の話でした。

事業が1つではリスクが高い

これだけを聞くと、規模が小さく事業が1つしか無い企業にとっては、企業戦略と事業戦略の2つも必要なく、戦略は1つで良いようにも思えてきますが、実際にそうなのかを考えていくと… 実はそうでもなかったりします。
というのも、1つの事業だけを行っていると、リスクが非常に高くなるからです。
このエピソードをアップロードした2021年はコロナ禍の真っ只中ですが、このせいで、メインの事業に大打撃を受けて苦しい事業者の方も多いのではないでしょうか。 ウチもその中の1社です。

今回のコロナの場合は、数十年、もしくは数百年に1度ぐらいの頻度でしか来ないでしょうかれども、もっと小さな目線でいえば、こういった危機は頻発しています。
例えば、自分が携わってる市場が縮小していくなどですね。 前回出した例で言うのなら、デジカメが登場したことによってフィルム市場が壊滅的なダメージを受けるなんてことは、結構あったりします。
そういった危機からダメージを少なくするためは、事業戦略よりも1つ上の目線に立った戦略が必要になりますが、それが企業戦略です。

外部環境

企業戦略によって、複数の事業を行うことによるリスク分散などの対策を打たなければならないのですが、その為に必要になるのが、SWOT分析です。
この、SWOT分析ですが、何が出来るのかというと、自社の立ち位置がわかるようになります。
『分析』なんて言葉がついているので、一見難しそうな印象を受けるかもしれませんが、実際にやることはシンプルだったりします。

やり方としては、まず、自社の置かれている環境を2つに分けます。内部環境と外部環境です。
内部環境とは、自分の会社内のことです。外部環境とは会社の外の環境のことで、基本的には自社の行動でどうにも出来ないことだと理解してください。
例えば、市場規模が大きくなっているのか、それとも縮小しているのかなどです。

具体的な例を挙げると、今の日本政府はハンコをなくして手続きの簡略化を目指すことを国策としていますので、書類に捺印する類のハンコの市場は、縮小していくことが予測できます。
この流れは、基本的には1社のハンコ屋だけでは止めることは到底出来ないでしょう。こういった環境は、外部環境となります。
一方で、自社で製造設備を持っているとか、腕の良い職人がいるといったことは、自社内の要因といえます。

設備投資をすれば製造設備は増強されますし、それによって品質が上がったり生産量が増えたりするでしょう。
逆に、投資を縮小すれば、老朽化により生産量が減ったり品質に問題が出るかもしれません。
これらの要因は経営者の意思決定によってどちらにも転ぶため、内部要因といえます。

この他にも、会社が持つ経営資源も内部要因となります。
経営資源とは、企業が持つヒト・モノ・カネ・情報のことでしたね。
例えば、長年1つの業界で事業を行ってきたので、その業界で事業者同士の繋がりができたとか、その市場についての情報が社内で蓄積されているといった事も、内部要因となります。

内外要因を2分割する

次に、この内部要因と外部要因を、それぞれ、プラス要因とマイナス要因で分けます。
つまり、内部要因のプラス要因・マイナス要因と、外部要因のプラス要因・マイナス要因の4つに分けるということです。
そして、この4つにそれぞれ名前をつけていきます。

内部要因のプラス要因の事を『強み』。内部要因のマイナス要因の事を『弱み』。
外部要因のプラス要因の事を『機会』。内部要因のマイナス要因の事を『脅威』とそれぞれ名付けます。
これをそれぞれ英語でいうと、『Strength』『Weakness』『Opportunity』『Threat』となり、それぞれの頭文字を取ると『S』『W』『O』『T』となり、続けて読むと『SWOT』となります。

このSWOT分析ですが、使い方としては、ホワイトボードでも紙でもなんでも良いのですが、まず、上下に二分するように横線を1本引きます。
そして、上の領域を内部環境に割り当てて、下の領域を外部環境に割り当てます。
次に、左右を二分する形で縦に線を引き、左をプラス要因、右をマイナス要因に割り当てます。すると、4つの領域に分割されることになります。

この4つの領域はそれぞれ、左上が『強み』で、右上が『弱み』。左下が『機会』で右下が『脅威』となります。
このそれぞれの領域に、自分たちの強みや弱み、外部環境の機会や脅威を書き込んでいくことで、自分たちが置かれている環境が浮き彫りになります。

分析する際の注意点

この作業ですが、基本的には1人で行わない方が良いと思います。

というのも、1人で行うと、様々な観点からの分析ができなくなるからです。
人間というのは、様々なバイアスによって世の中の見え方が歪んでいたりします。 つまり、正常な判断ができないわけです。
例えば、自分が一生懸命に考え出したアイデアは、良いアイデアのように思えますし、自分が作り出した商品は、素晴らしい商品のように思えてしまいます。

料理一つとっても、自分で苦労して作った場合と、誰かに作って出された場合とで味は変わるでしょうし、誰かに作ってもらった場合でも、親に作ってもらったのか好きな人に作ってもらったのかで味は変わるでしょう。
これは、バイアスがかかっているから悪いとか良いという問題ではありません。
人間は、自分が置かれている立場によって、状況の感じ方や見え方が歪んでしまうということです。

レンズが歪んで正しく見えないメガネを掛けた状態で正確な分析は到底できませんので、いろんな立場の人を集めて行うほうが良いと思います。
いろんな立場の人は、それぞれの立場によって認知が歪んでいるわけですが、その別々の世界が見えている人達が集まってディスカッションすることで、1人で分析するよりかは正確な分析ができたりします。
可能であれば、得意先にヒアリングなどをしても良いかもしれません。

自分たちは普通のコトだと思って当然のように行っていた行動が、実は他社では行っていない優れたサービスということもあるかもしれませんからね。
このようにして各項目を産めていけば、次は、これをもとに戦略を考えていくことになるのですが、それはまた次回に話していきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第100回【メノン】賢者と占い師 前編

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目次

今回も前回と同じ様に、プラトンが書いたメノンの読み解きを行っていきます。
著作権の関係から、本を朗読するわけではなく、私が読んで重要だと思った部分を取り上げて考察する形式になっていますので、興味のある方は、ご自身で本を読まれることをお勧めします。

アレテーの教師

前回までの話を簡単に振り返ってみると、ソクラテスとメノンが仮説を立てて推測した結果、『アレテーとは知識のようなもの』という一応の結論が出ました。
『アレテーが知識のようなもの』であるのなら、知識は他人に教え伝えることが可能なのだから、アレテーも同じ様に教えられるはず。
そして、アレテーは皆が教えて欲しいと思っているようなものなので、それを教える能力のある人には、沢山の弟子や生徒志望の人が集まる事で、アレテーの教師という職業が生まれるはずです。

この時代は、現代のようにネットが進んでいるわけではないので、有名な教師で有っても、教える事が出来る人数には限界があります。
皆が優秀な教師から学びたいと思えば、当然、授業を受ける権利をお金で競り落とす必要が出てくるので、優秀とされる教師の給料は高いはずです。
メノンとソクラテスが推測によって出した結論が正しいかどうかは、高い授業料を取っているアレテーの教師がいるかどうかを確認すれば良いだけです。

教師はお金をもらって人に教えるのが仕事なので、彼らは自分たちで一生懸命に宣伝をしているはずです。 その中でも特に人気で高い授業料を取っている教師は、既に名が知れ渡っている事でしょう。
この様な人達であれば、簡単に探せそうだし、探す以前に既に知っていても不思議ではないのですが、メノンもソクラテスも、そんな人達を見たことがありません。 答えを見失いつつあった二人ですが、偶然にも、彼らの近くにアニュトスがいました。
アニュトスには、アレテーを宿しているかもしれない優れた父親と、使い切れないほどの財産を持つ人物なので、もし仮に、アレテーの教師なるものがいるのであれば、出会っている可能性が高いです。

教師不在

そこで早速、アニュトスに『アレテーの教師という存在』について訪ねてみると、『アレテーはアテナイ人であれば誰でも知っているし、教えられるような存在なので、教師なんて居ない。』という意外な答えを聞くことが出来ました。
ソクラテスを尋ねてきたメノンはともかく、少なくともソクラテスアテナイで暮らしているわけですが、そのソクラテス自身が『アレテーの存在について分からない』と主張し、それを知るために藻掻き苦しんでいるわけですが…
アニュトスによれば、アテナイ人なら誰でも知っているそうです。

ただ、この意見を鵜呑みには出来ないため、吟味の為にアニュトスに質問しながら考察していくと、結局は、アテナイで偉人とされている人達でさえ、『優秀さ』を他人に伝える事は無理だということが分かりました。
この結末が面白くなかったのか、アニュトスは捨て台詞を吐いて去っていき、再びメノンとの対話に戻りました。

ダイダロスの彫像

ソクラテスは、『アレテーが知識のようなものであるなら、知識と同じ様に他人に伝えられても不思議ではないのに、実際には、それを伝えられる者はいない…』という問題に対して、『アレテーは知識』という答えに辿り着く事になった仮説の前提を疑います。
そして、アレテーに不可欠と思われていた知識は、推測に置き換えても成り立つのではないのかという意見にたどり着きました。
これを聴いたメノンは、アレテーを伴った行動に、推測による行動も入れて良いのなら、推測は外れることもあるわけだから、過去の偉人達が失敗していたことにも頷けると納得するのですが…

それに対してソクラテスは、『正しい道筋を通って行われた考えは、絶対に間違うことがないので、その意見はおかしい』と、メノンの納得に対して指摘します。
しかしメノンは、『推測が絶対に間違うこと無く、常に正しい答えに辿り着くのなら、知識とどの様な違いがあるのかが分からない』と困惑してしまいます。  
これに対してソクラテスは、そもそもメノンは『考え』の捉え方が違うとして、『ダイダロスの彫像』に例えて解説します。

『知識』と『考え』

ソクラテスのいう『考え』というのは、周辺情報を集めて仮説を立てて…といった感じの論理的な『推測』のことではなく、何の予兆もなく、ある時に突然宿るような『考え』『アイデア』『閃き』のようなものです。
体の例でいうなら、反復練習中に突如として入る『ゾーン』の様なもので、人間が意識的にその境地に入るのではなく、何らかの偶然によって、ある一定の短い間だけ、卓越して優れた状態にクラスアップするようなものです。
ソクラテスはこの状態の事を『神がかりの状態』と言い、これはどんな人間であっても、偶然にこの様な状態になりうると言います。

そして、人が良い方向へと進もうと思うのであれば、この『神がかりの状態』に入った時に自分を客観視することで、『アレテーが宿るとはどの様な状態なのか』を観察し、その感覚を徐々に自分のものにしていく必要があると主張しました。
このソクラテスの主張を踏まえて、先程のメノンの疑問である、『考え』と『知識』の明確な違いについて考えると、両者の決定的な違いは、アレテーを宿している時間ということになります。

何かしらの問題が起こった場合、それを解決するためには、その問題が起こる仕組みを本当の意味で理解し、知識として知っておく必要があります。 そうする事で、常に問題に対して正しい対応をする事が出来ます。
そしてアレテーを宿した人とは、あらゆる問題に常に対応できる人間と言い変える事が出来るので、あらゆる問題に対する知識を持っている人と言い変えることが出来ます。
問題というのは、数限りなく存在するわけですから、あらゆる問題に対応しようと思えば、それらに共通して当てはまる対処法を知っている必要があります。 つまり、真理を知識として会得している必要があります。

神がかりの状態

全てのものに当てはまる、この宇宙を貫く法則である『真理』を知識として理解して知ることが出来れば、どんな物事にも適切に対応できて、自分自身だけでなく、その他の人間であっても、絶対的な幸福に導くことが出来ます。
しかし、そのような『真理』を教えている教師というのは、この世にはいません。 ソフィストの様に、自称『アレテーの教師』と言っている人達はそれなりにいますが、彼らがアレテーを知らないことは、プロタゴラスとの対話でも明らかになりました。
つまり、この世には真理を知識として会得して、それを伝えられるような人間はいないということになります。 この理屈で言えば、アレテーを宿した人は『この世には一人もいない』とも言えます。

しかし、ソクラテスの推測によれば、あらゆる問題に対応できるような知識を持っていなかったとしても、偶然にも『神がかりの状態』になって、あらゆる問題に対応できる状態になるタイミングは訪れます。
『真理を知ってアレテーを宿した人間』も『神がかりの状態になった人間』も、どちらの者が下す決断も絶対に正しく、間違うことはないので、この両者に違いはないのですが、『神がかりの状態』は長くは続きません。
大抵の場合は、僅かな時間で『神がかりの状態』が解けて普通の状態に戻ってしまう一方で、真理を知識として会得している人間は、常に正しい判断を行い続けることが出来る為、この両者では、『アレテーを宿している時間』が違うことになります。

重要なのは結果ではなくプロセス

つまり、何らかの法則を身に着ける事によって、常に正解を選び続けることが出来る人間の事を、『アレテーを宿した人』とするならば…
何らかの偶然によって、一時的にその様な思考方法が宿る『神がかりの状態』も、その瞬間だけを切り取ればアレテーを宿している事になるので、それもアレテーを宿す人と呼んでも良いだろうということです。
そして、ソクラテスがいう『ダイダロスの彫像』が目の前に現れた時、つまり『神がかりの状態』になった際には、自分自身のその状態を注意深く観察することで、徐々に自分のものにしていく努力が必要だと言うことです。

そして、アレテーに関してもう一つ重要な点としては、人が起こす結果としての行動ではなく、思考プロセスの方を重要視するということです。

これまでの対話篇でも勇気を取り扱った際に討論されましたが、臆病者と勇者がいたとして、彼らは正反対の存在ですが、では、彼らの取る行動は常に正反対なのかというと、そんな事はありません。
絶対に勝てない相手が目の前に現れて、戦ったとしても無駄死にする事が確定している場合は、アレテーを宿した勇気を持つ勇者は、無謀な戦いを行わずに撤退するでしょう。
では、臆病者の態度はどうかというと、当然のことですが、自分の命おしさに撤退するでしょう。

両者が取る行動は『撤退』という全く同じ行動ですが、では、同じ行動をとったのだから、両方が勇者、または臆病者に成るのかといえば、そうはなりません。
彼らが取る行動そのものに、『正しい知識』や『正しい考え・閃き』といったものが宿ったときにだけ、彼らの取る行動は勇気ある行動となります。
つまり、何の考えもなしに、『敵が現れたから逃げる』または、『戦いを挑む』というのは、仮に、偶然にも勇者と同じ選択肢を選んでいたとしても、彼らの行動には何の『知識』も『考え』も無いため、アレテーも宿らないという事です。