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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

現代には哲学が足りない

少し前に、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』の漫画版を読んだのですが、そこには、『経済学者は哲学者でなければならない』といった事が書かれていました。
この意見に激しく同意したので、今回は、今の世の中に足りない『哲学』について考えていこうと思います。

ちなみに、ケインズの本の要約と感想はこちら。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com

今の世の中に哲学は必要ないのだろうか

私自身は、哲学というものは現代に限らず、どの時代であっても重要な物だと考えています。
そんな思いもあって、哲学を1から勉強し直し、その過程をネットラジオという形で配信していたりもするのですが…
goo.gl

世の中には、そう考えていないような方がかなり多いようです。
まとめサイトなどを読んでも『哲学なんて、何の役に立つの?』といったスレが定期的に建ちますし、飲み屋などで哲学的な問い掛けをしてみても、次の瞬間に『で、答えは?』と言われて、議論すら成立しない状態。
中には、『そんな訳のわからないことを考えるよりも、もっと、生産的なことを考えろよ!』と説教する人まで出てくるします。

多くの人が必要ないと思いこんでいる『哲学』ですが、では本当に、必要ないものなのでしょうか。

哲学とは何なのか

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哲学と聞くと、馴染みのない方にとっては、小難しい学問のように思えますが、実際に勉強してみると、実はそんな事はありません。
具体的に、どういった事を考える学問なのかというと、一言で簡単に説明するのであれば、『ゴールを決める学問』といえるのかもしれません。

ラソンの様な競技でもプラモデル制作などの趣味でも、何にでも当てはまることですが、ゴールが明確に定まっていなければ、進むべき方向もペースもわかりません。
その状態で走り出したとしても、当然、目的地に到達する事も出来ません。
それと同じで、人生における目標が決まっていなければ、自分が進むべき方向もわかりませんし、向かうべき方向がわからないということは、今、何をすべきかという事もわかりません。

ここで定める目標は、単純に、『将来は医者になりたい』とか『弁護士になりたい!』『一生、遊んで暮らせる金がほしい!』といった浅はかなものではありません。
もっと、根源的なもので、答えがあるのかどうかも分からないものです。 それを、自分自身の経験や知識を総動員して考えてゆくのが、哲学といっても良いかもしれません。

自分の夢は本当の夢なのか

抽象的な事ばかり書いていても理解し難いと思うので、例を挙げて少し具体的に書いてみます。
例えば、夢はなんですか?と聞かれて、『ポルシェに乗ることが夢だ!』と語る青年がいたとします。
彼の夢は、本当にポルシェに乗ることなのでしょうか。

例えば、彼の目の前に大富豪が現れて、その青年にポルシェをプレゼントしたとします。 その青年は、自分の夢がかなったので、この世で思い残すことはなく、死を迎えることが出来るのでしょうか。
おそらく青年は、ポルシェを手に入れたら、次の願望を口にしだすでしょう。 では、そもそも何故、ポルシェに乗りたいのでしょうか。
ポルシェに乗りたいだけであれば、高級車専門のレンタカーを借りれば済む話ですが、青年は、それでは納得しないでしょう。 『ポルシェに乗りたい』というのは表面的な願望で、本当の願望は、ポルシェを購入して維持できるだけの経済力なのかもしれませんし、その経済力に群がってくる人々かもしれません。

ほんの少し願望を吟味しただけで、青年の本当の夢は、ポルシェに乗ること自体では無い事が解りましたね。では、青年の本当の夢は、ポルシェを維持できる経済力、そして、それに群がる人々という事に仮定しましょう。
青年の願望はポルシェから、『お金持ちになって、異性など多くの人からチヤホヤされたい』という事に置き換えられたわけですが、この願望も深く掘り下げてみましょう。

経済力とはイコールお金ですが、そのお金は、不正な手段で手に入れても良いものなのでしょうか。お金を手に入れる事だけが最終目的なのであれば、その手段は何でも良いことになります。
グレーな仕事や違法な手段を使ってお金を手に入れ、大金持ちになったとして、それが青年の願望なのでしょうか。それとも、お金は、正攻法で手に入れるべきものなのでしょうか。
不正な手段でお金を手に入れるのを良しとする場合、そうしてまでしてお金を手に入れても、寄ってくる人間が目当てにしているのは、青年自身ではなく、青年が持つお金そのもので、青年の背後に有るお金に対してチヤホヤする事でしょう。
何らかの原因で、青年が全財産を失うなんて事になれば、カネ目当てで集まってきた人は、蜘蛛の子を散らすように消えるでしょう。青年が夢にまで観た『手に入れたかったモノ』は、そんな人間関係なのでしょうか。
それとも、青年がどの様な状態であれ、付き合ってくれる人間関係なのでしょうか。

青年が『不正は駄目だ!正攻法で!』と答えたとして、では何故、不正は駄目なのでしょうか。 捕まって刑務所に入れられるからでしょうか? 仮にそうだとして、絶対に捕まらない方法が有るとすれば、青年は不正を許すのでしょうか。
捕まる、捕まらないが問題ではなく、不正そのものが駄目だとする場合、最終目的には『正攻法で成し遂げられなければならない』という条件がつくわけですが、何故、その条件を付けなければならないのでしょうか。

青年が『正攻法で手にしなければ、他人からの尊敬を手に入れることは出来ない。 私が欲しい人間関係は、私が無一文になったとしても、私の元を去らない様なものだ。』と答えたとしましょう。
では、その人間関係を構築するのに、多額の金は必要なのでしょうか?人から尊敬される手段は、正攻法で多額の金を稼ぐことだけなのでしょうか?
そもそも、何故、人から尊敬されたいのでしょうか? 人から尊敬されることで、『幸福』が得られるからでしょうか?

そもそも『幸福』とは、何なのでしょうか?

この様に、世界に対して興味を持ち始めた子供のように、『何故? 何故?』という疑問を問い続ける事で、自分が本当に求めているものを発見することが可能です。

今の世の中に『徳』はあるのか

この様な考え方は、古代ギリシャソクラテスが生み出したと言われています。
人は、自分の体の外側の世界に興味を持ちがちですが、そんな中でソクラテスは、自分自身の内面に焦点を当て、徳とは何なのかについて、生涯をかけて考え抜きました。
結果としては、万人に伝えられるような形で言語化された答えは出ず、その後を継いで考えている哲学者も答えには辿り着いていないので、『徳』といったものがどのようなものなのかは判りませんが…

多くの人が分かるように表現するのであれば、『正義』『節制』『善』『勇気』といった、それぞれ別の価値観が持つ、共通する概念の事です。
先程あげた4つの言葉は、それぞれは別々のものを指し占める言葉ですが、共通する概念を含んでいそうですよね。 そういったものが、『徳』と呼ばれるものに近いものだと思われます。

この、『徳』がなぜ必要なのかというと、どんなに優秀なシステムを作ったとしても、そのシステムを利用する人間に『徳』がなければ、そのシステムは上手く機能しないからです。

企業は、利益率を最高レベルに上げる為に、派遣社員を雇って必要な時期だけ雇います。 派遣業者は、そういう企業に人材を派遣してピンはねする事で、多額の利益を上げます。
大企業から発注を受ける中小零細企業は、脅しに近い値下げ要求によって利益を挙げられず、ブラック企業になっていく。 何故、こんな事になるのかというと、投資家が、目先の利益を求めて四半期決算ごとに、つまり、3ヶ月毎に高い収益を求めるからです。
これらのサイクルに関わっている人達に、はたして『徳』は有るのでしょうか?

企業の究極的な目標とは何でしょう? 直近3ヶ月間の高い利益なのでしょうか。 それとも、持続的に利益を稼ぎ出すことなのでしょうか?

経済というのは『循環』です。
大企業が生産供給した商品は、誰が買うのかといえば、さんざん搾取してきた労働者たちです。
しかし、その労働者に満足な対価が支払われていなければ、当然、労働者は消費活動を行うことが出来ません。 消費が行われないということは、当然、企業が生産した物やサービスも売れません。
物が売れない中で、企業が利益を得ようと思えば、仕入れや人件費を削減する以外ありません。 ですが、それらの金を削減してしまうと、消費は更に落ち込んで、企業の売上は更に落ちます。

企業が本来の目的である持続可能な売上増を求めるのであれば、生産に関わる人達には、それ相応の対価を支払わなければなりません。 
市場に潤沢な資金を投入し続けなければ、経済活動は縮小していき、結局は、自分の首を絞める事に繋がります。

『情けは人の為ならず』なんて諺がありますが、自分の利益を追求するのであれば、自分に関わる人達みんなの利益を考える事が、一番の近道です。
労働者や下請けから、恫喝まがいで搾取しても、その企業のファンは増えずに、恨まれるだけです。皆から恨まれている企業が、未来永劫、存在し続けることが出来るのでしょうか。

この様なサイクルは、主に資本主義の国で起こりがちですが、そもそも国が資本主義を採用しているのは、何故なのでしょうか?
資本主義を採用することが、国民の『幸福』に直結すると思ったからではないのでしょうか? では、その資本主義の国に住む私達は、幸福なのでしょうか?

国家運営にしても企業経営にしても、その根幹の部分から『徳』が失われれば、最終的には破綻します。そして現在、そうなりつつ有ります。
こんな時代だからこそ、もう一度、哲学を勉強すべきなのではないでしょうか。

ケインズの経済理論が現在で通用しないのは哲学が欠けているから

この記事は、前回からの続きとなっています。
まだ読まれていない方は、まずはそちらから読まれることをおすすめ致します。
kimniy8.hatenablog.com

前回は、ケインズが古典経済学を否定し、新たな経済学に着手するというところまで書きましたので、今回は、その新たに作られた経済学を、より具体的に観ていこうと思います。

『需要』と『供給』 不景気の原因はどちらなのか

前回にも少し書きましたが、古典経済学とケインズが生み出した経済学の決定的な違いは、古典経済学が原因を供給サイドに求めたのに対し、ケインズは需要サイドに求めた事でした。
ケインズ以前は、モノの生産設備を持っている供給側が、価値の有る商品を生み出せば生み出すほど、価値が創造されていることにあんるので、経済が上昇すると考えられていました。

ものが作りすぎて余った場合は、値下げをすれば良く、生産能力をひたすらに上げていけば、企業は儲かり、商品の値段も下がっていく。
商品の値段が下がれば、労働者の実質賃金が上昇するので、その上昇分を給料カットで調整すれば、企業は同じ人件費の出費で、より多くの人間が雇えるようになるので、失業率も低くなる。
景気は自身でバランスを取るので、上手くいくという考えでした。

しかし、そのまま放任主義を貫いても、大恐慌で悪化した景気は一向にバランスをとることもなく、失業者は25%まで上昇し、景気の悪化に拍車をかけている。
この状態に対してケインズは、今まあでの経済学の考え方が間違っているのではないかと、新たな経済学を生み出すことになりました。

不景気の鍵は金利

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ケインズは、今までの自由放任主義を否定し、経済に対して政府が介入すべきだと訴えました。
市場に自由な振る舞いをさせるのではなく、政府が経済に積極的に働きかけることによって、景気を誘導しようというが、今までの経済理論と大きく違う部分です。

では、何処に働きかけるのかというと、金利です。
確かに、高金利状態が維持されていれば、お金は積極的に貯蓄しようと思います。仮に、年に7.2%の金利が貰えれば、預け高値は福利計算で10年で倍になるわけで、この事が理解できている人間であれば、お金を使おうとは思いません。
また、預け入れ金利が高いということは、借りた際の金利はそれ以上に高いことになります。 仮に、お金を借りて新規事業や設備投資をしようと思った場合、その高利の貸付金利以上のリターンが得られなければ、借金の返済が出来ません。

つまり、金利が高すぎた場合は、消費者はお金を使わないし、企業は投資を行わない。
逆に金利を引き下げて低金利の状態にすれば、消費者は預金をするメリットが無くなりますし、企業にとっては、借金をするためのハードルが下がるため、設備投資の需要が伸びる。
消費者の行動は、貯蓄から消費に流れやすくなりますし、企業の設備投資は伸びやすくなる。 2つの要因によって需要が伸びやすい地合が生まれるわけです。

金利の下げ方

金利を引き下げることで、経済を刺激することが出来る事がわかったところで、では、どうすれば、金利を引き下げることが可能なのでしょうか。
結果から書くと、市場に出回っている債権を購入し続けて、債券価格を上昇させてしまえばよいのです。
例えば、10万円で販売されていて、10年後に15万円になって返ってくる債権が有ったとすると、この債権を購入した際の利率は5%です。

利率とは年計算なので、10万円の投資で5万円の利息が貰えるのであれば、1年あたりの利息は5000円になるので、10万円の5%という事になりますよね。
余談になりますが、金利は年計算というのを覚えておくと、銀行などが行うキャンペーン金利詐欺に引っかかることが無くなるので、便利です。

キャンペーン金利詐欺とは、『今、オーストラリアドルを購入すると、金利が30%付きますよ!(3ヶ月限定で)』という広告で預金を集める方法です。
3ヶ月限定で金利30%と聞くと、人によっては、3ヶ月で元金が倍ぐらいになるのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、先程も書きましたが、金利は年計算です。
つまり、30%を12で割っ2.5%の金利を3ヶ月貰えるだけです。 外貨預金の場合は、為替手数料なども取られる為、それを差し引くと、大した金額にはならなかったりします。

話を戻しましょう。 10万円で販売していて、10年後に15万円になる債権が有った場合の金利は、先程も書いた通り、5%となります。
この利率を下げようと思うと、債券価格そのものが上昇すると、利息は下がることになります。
例えば、10万円で販売されていた債権が、12万円に値上がりしたとしましょう。 12万円に値上がりしたとしても、10年後に返ってくるお金は15万円なので、投資額に対する利益は3万円となります。
12万円を投資して1年で3000円しか貰えないわけですから、利率は2.5%まで下落することになります。

逆に、債券価格が下落して9万円になったとしましょう。 9万円の投資で15万円が帰ってくるわけですから、1年あたりの受取利息は6000円になりますから、利率は6.6%程度まで上がることになります。

政府による市場介入

債権も市場で売られている以上、価格は需要と供給で成り立っています。 つまり、債権を買いたい人間と売りたい人間を天秤にかけた場合、買いたい人間の方が多ければ、債券価格は上昇することになります。
では、誰が買うのか。 ここで、ケインズの政府による市場介入の話が出てきます。
政府が、お金を刷って債権を購入することによって、債券価格を高騰させて利率を下げ、更に、市場に現金を供給するという事です。

現金というのも、市場で取引される『価値を持つモノ』である為、政府によって市場に大量供給されてしまうと、価値が下がります。
現金の価値が下がるという事は、今までと同じ量のお金を出したとしても、同じだけの量の品物が買えなくなることを意味します。 簡単にいえば、物価が上昇します。
物価を上げることが出来れば、企業の業績は上昇しますし、企業の業績が安定的に上昇するのであれば、労働者の給料も上昇しやすくなります

労働者の給料が上昇すれば、その上昇分の何割かは消費に当てられる為、更に需要が伸びることとなる。
需要が伸びれば、企業には生産能力を更に上昇させる動機が生まれ、設備投資が更に上昇し、需要が伸びて、社会全体の景気は更に上向きになる。

企業が儲かる → 労働者の給料が上がる → 需要が伸びる …

政府による市場介入によって、このサイクルに持ち込むことが出来れば、大恐慌を抜けて、好景気に持ち込むことが出来て、失業問題も解決する。

経済学の存在意義

この様に、ケインズの経済理論は、どの様にして需要を生み出すのかという部分に注力して生み出されました。
古典経済学の様な自由放任主義ではなく、政府が積極的に市場に介入することで、経済の舵取りをするという発想を生み出したのは、経済学の存在理由を明確にしたとも言えますよね。
というのも、昔ながらの自由放任主義で、『経済は勝手にバランスが取れるから、人間は何もしなくても良いよ』という意見は、経済学者の存在意義がありません。

だって、放って置くだけで何もせずに、ただ観てるだけの存在なんて、この世に必要がありませんよね。
仮に、あなたが病気になって病院に行った際に、医者から『人間の体は、勝手にバランスが取れるように出来てるから、何もせずに放っていおくといよ。 とりあえず、私が観察しておいてあげます』って言われたらどうでしょう?
あなたはきっと、『医者って、この世に必要な職業なの?』と思うはずです。 何もしなくても、時間が勝手に解決してくれて、それが一番良い方法なのであれば、専門家なんて必要ありません。

では、実際の経済はどうだったのかというと、自由放任主義で何もしなかった結果、大恐慌に突入してしまったわけです。
そんな状態に疑問をいだいたのがケインズで、『自然に身を委ねるのではなく、経済学を利用して、不景気を抜け出すために積極的に行動を起こしていくべきだ』と訴えたんです。

ケインズの経済学と現状

経済の仕組みを考え、積極的に行動を起こすことを訴え、行動の起こし方を発明したケインズですが、では、その経済学は現在でも通用するのでしょうか。
結果としては、現状の世界経済を観てみれば分かりますが、上手く機能しているとは言えません。

では何故、上手く機能していないのでしょうか
答えは簡単で、ケインズの経済学の基礎となっている哲学部分が無視されているからです。
ケインズの経済学では、多国間の貿易については深く語られることはありませんでしが、それは何故かというと、国境を超えた貿易というのは、最終的には奴隷貿易や戦争に発展してしまうからです。
貿易というのは、1つの国が黒字を出せば、相手国は赤字を出すことになります。 世界全体の赤字と黒字は全て足し合わせるとゼロになるゼロサムなので、最終的には、弱い国に負担を押し付ける結果となってしまいます。
ケインズは、その事を予測していた為に、無駄な争いを避けるため、貿易に関しては積極的には言及しなかったようです。

これは、別に貿易に限ったことではありません。
人々が、自分の利益のみを追求すると、どんな素晴らしい理論を組み立てたとしても、結局は上手くいきません。
ケインズが否定したアダム・スミスの自由放任主義も、その根底には、利益を独占するのではなく、得た利益は社会に還元することが前提となっていたわけですが、それが無視された為に、上手く機能しなくなりました。

有名な経済学者が口を揃えて主張するのは、利益の独占ではなく、社会に対しての還元が行わなければならない。
その為には、一人ひとりが経済の構造をしり、徳を高めて、社会全体の利益を考えなければならないわけですが、競争社会の資本主義社会の元では、そんな精神は鼻で笑われ、皆が他人よりも一歩先を進む事しか考えません。
結果として、企業が挙げた利益は労働者に還元されること無く、資本家や企業が貯め込む形で肥大していき、二極化が進んでいます。

ケインズが、自身が編み出した理論で本当に伝えたかったことは、その根底にある哲学だったわけですが、その部分が無視され、小手先の技術だけを参考にされた為、上手く機能しなかったのでしょう。
最近では、『哲学なんて、何の役に立つの』なんて意見も頻繁に聞くようになりましたが、そんな状態では、どんな理論を持ってしても、結局は行き詰まる様な気がしてしまいます。

『神の見えざる手』に対するカウンター ケインズとは

私は昔、株式投資をやっていた頃に、独学ではありますが、それなりに経済について勉強した時期がありました。
当時は、主に株式に寄せた勉強をしていた為、それぞれの経済学者が書いた本を読むといった事はしていなかったのですが…
先日、まんがで読破シリーズのセールが行われていて、Kindle版が1冊10円で販売されていたので、改めて読んでみたので、その内容紹介と考察を書いていきます。

ケインズとは

本名:ジョン・メイナード・ケインズ
少しでも経済を勉強したり経済系の番組などを見ていれば、一度は、目にしたり聴いたりしたことはある名前だと思います。
この方の主張を積極的に取り入れている人などを、『ケインズ主義』なんていったりもしますよね。

では、この方は、どんな主張をした事で有名になったのか。 その事を、1から10まで分かりやすく説明されているのが、先ほど紹介した本だったりします。
有名なものでは、株式投機を美人投票に例えたりして、分かりやすく説明したり…
『不況の時には、公共事業をすれば良い。事業のネタがないのであれば、穴を掘ってアナを埋めれば良い』といったものがありますよね。

様々な発言で有名になっているのですが、この方を表舞台に引っ張り出したキッカケというのは、古典経済学の否定と、新たな経済学の創設です。

古典経済学とは

古典経済学とは、その範囲も居広いのでしょうが、先程溶解した本で説明されているのは、主に、アダム・スミス国富論で主張した理論です。
おそらく最も有名な話として世に広まっているのは、『見えざる手』によって経済はバランスを保っているので、その経済に手を加える必要は無いという主張です。
自由放任主義ともいえる主張で、これが本当であれば、なんの為に経済学者が存在しているのかが理解出来ない様な理論ですが、ケインズが登場するまでは、この主張が王道でした。

では、『見えざる手』とは何なのかというのを簡単に説明してみましょう。
経済というのは、基本的には需要と供給で成り立っていて、『需要』と『供給』が合致したところで、『価格』が決まります。
商品の『価格』が安すぎれば、買いが殺到して、商品の供給が間に合わなくなる為、価格が上昇する。 価格が上昇すると、消費者の『買いたい気持ち』が減少していき、需要が減る。
価格の上昇と需要の減少が『丁度良い所』まで下がったところが、商品の適正価格という事。

つまり、商品価格というのは価格がついている時点でバランスが取れているという事になります。
この、バランスというのは全てにおいていえることで、誰かが『こんな商品が欲しい!』と思えば、そこに商機が生まれるわけだから、自ずとその商品を作る企業が生まれる。
逆に、世の中に必要ないと思われているモノやサービスは、取引が成立しない為、市場から無くなる。

経済は自然とバランスを取ろうとするものなのだから、仮に、不景気といったイレギュラーな事が有るとすれば、それは、国が余計な規制をしているせいだから、国は規制緩和を積極的にすべき。
といった感じの理論です。
民間が出来ることは民間に任せて、国は、文化を守るとか、青少年の教育。 直ぐに利益に直結しないような、科学技術の研究といった事に専念すべきだとしました。
これをそのまま実行したのが、日本でいうと小泉政権ですよね。 規制緩和をしまくって、派遣労働者を単純労働にも使える様にしましたが…

その結果、今現在はどうなったでしょうか?

世界恐慌

アダム・スミスが提唱した自由放任主義が、そのまま上手く機能していたのであれば、ケインズは新たな説など作る必要はありませんでした。
しかし実際には、ケインズが生きた時代に世界恐慌に突入してしまいます。 町は失業者で溢れ、失業率は25%まで上昇。 経済は、全くバランスを取ろうと頑張ってくれません。

そこでケインズの妻リディアは、ケインズに、こんな感じで質問します。『何故、町に失業者が溢れているの? 景気は良くなるの?』
ケインズは、そのリディアの問いに対し、『経済学上は、失業者なんか1人も居ないよ。』と答えます。
町に失業者が溢れているはずなのに、経済学上は1人も失業者が居ないとはどういうことなのでしょうか。
当時の失業者の定義では、『働きたくないと思っている人』と『別の職場に移るから、今仕事をやめている人』の2種類しか無いとされていて、そのどちらも『自己責任による失業』である為、失業で困っている人間などは居ないというのが、経済学での常識だったようです。
しかし、実際の町には、『働きたいけれども、職がない』という人達が溢れている…

学問としての経済学と、実際の経済とがあまりに乖離し過ぎていた為、今までの理論を一旦捨てて、新たに理論を構築し直さなければなりませんでした。

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古典経済学とケインズの主張の違い

古典経済学で重要視されていたのは、供給サイドの話でした。 
当時の考え方としては、モノを生産すればする程に、価値有るものが創造されるわけだから、企業はただ、生産性の上昇のみを追い求めていれば良いという考え方でした。

ただ、生産性を向上させて物を大量に生産すると、実際には大量の売れ残りが出てきます。 その売れ残りを捨てると、生み出した価値が無意味なものになる為、企業は値下げによって対応します。
価値の有るものを値下げするわけですから、その値下げに応じて需要が生まれ、企業は商品を売り切ることが出来、わずかならが、利益が出る。その利益を、さらなる生産性の上昇のために再投資し、売れ残れば値下げして…
という事を繰り返していきます。 すると、市場の全体い的な物価が下がっていくので、労働者の実質賃金は上昇することになります。 つまり、モノ全体が安くなっているので、相対的に観て、給料が高くなっているという事。
不況になると、実質賃金が上昇する事になるので、労働者の賃金をその分カットすれば、企業の採算は悪化しない。

それに対してケインズの主張は、需要サイドを中心に考えるという主張です。
企業がどれだけ生産性を上げてモノを生産したとしても、値下げを行ったとしても、人は要らない物まで買おうとは思いません。
家庭に必要な冷蔵庫の数は、1個。広い家だとしても、2個もあれば十分で、いくら値下げされたとしても、それ以上、買おうとは思いません。

また、不況によって実質賃金が上昇し、その上昇分をカットした場合、労働者の実質の手取りは同じだけれども、名目上の賃金は減少していることになり、労働者の不安を煽ることになる。
労働者はそのまま消費者となる為、消費者が経済状態に不安を持つと、財布の紐は固くなり、結果として、消費はより抑制されてしまい、ものが売れなくなる。
後は、デフレスパイラルの循環によって、景気はどんどん悪くなり、失業者が街にあふれてしまうという事です。

アダム・スミスの理論によれば、放っておけば経済はバランスを取るはずなのに、実際の経済では、そうはなっていない。
その机上の理論と実体経済とのミスマッチを埋める形で新たに生み出したのが、ケインズの経済理論だったようです。

結構長くなってきましたので、具体的な話については、また次回にすることにします。
kimniy8.hatenablog.com

資本主義と、お金と愛情

先日、マルクスが書いた『共産党宣言』を読みました。
kimniy8.hatenablog.com
その際、最後に書かれていた部分で、かなり共感できる部分が会ったので、今回は、その部分だけに焦点を当てて考えていこうと思います。

最初に注意として書いた置きますが、『共産』という言葉にアレルギーがあり、こういう言葉を聞くとすぐに、『ソビエトで失敗してるのにw』とかいう方は、社会主義共産主義を勘違いしていますので、一度、共産党宣言を読むことをお勧めします。
社会主義は、資本家の代わりに国が搾取するという構造で、『共産党宣言』の中でも否定されている考え方ですので、お間違えないようにお願い致します。


どの部分に共感をしたのか

『個人が個人を搾取することがなくなれば…
それに応じて、国民による搾取も無くなってゆき

国民内部の階級対立がなくなれば…
諸国民同士の敵対関係もまた 無くなってゆく

そして家族にも、金銭的な打算的キズナでなく、愛が取り戻される』

この文章の全般に共感したのですが、特に共感できた部分が、最後の一文です。
どういう事かを一言で言うと、資本主義の世の中では、愛情というものが欣然的な打算的キズナに劣化してしまい、本当の意味での愛情を育む事ができないという事です。

金銭的な打算的キズナ

資本主義というのは、言い換えれば、お金を稼ぐ為の競争社会のことです。では、その競争は平等に行われるのかというと、そうではありません。
資本を持つものと持たないもので、最初からスタートラインが違うのは勿論ですが、スタート後に引かれている道も違います。

金持ちの子供は、持って生まれた資本によって道が整備されているだけでなく、父親やその上の代から受け継いできた人脈といった人間関係という強い追い風が吹いている状態です。
一方で貧乏人は、資本がない為に、最初は絶対に搾取対象の労働者にならなければなりませんし、人脈なども当然ありません。
それどころか、家が貧乏だと学校にも通えなかったりする為、低学歴といった烙印も押され、マイナスからのスタートとなります。

マルクスが生きた時代は、現状の私達よりも搾取がキツイ時代だった為、夫だけでなく、妻も、そして子供も働かなくては暮らしていけない程の搾取っぷりで、そこまでの搾取をしている分、資本家たちは裕福な暮らしをしていました。
この様な状況では、貧乏人にとっての家族は、最低限の生活を維持する為に必要な、金を稼ぐコマと成り果ててしまいます。
夫は肉体労働で体を酷使し、妻は、働くだけでなく、資本家が求めれば体も売る。 子供も、学校などには行かせてもらえずに、下働きをさせられる…

生きていくだけで精一杯の状態では、金銭的にも精神的にも余裕はなくなり、家族に愛情を注ぐ事もできなくなる。

では、金を持つ資本家はどうなのでしょうか。
資本家にとっての子供は、自分の財産を次の世代につなげる為の手段となる為、幼い頃から、その資産を継ぐのに相応しい人間へと教育させられます。
『子供が本当になりたいもの』『やりたいこと』なんてのは二の次三の次で、第々受け継いだ資産を、最低でも維持、出来るなら増やして、次の世代に託す事のみを望まれて育てられます。

人間関係も限定され、財産を増やす為に必要な人材を紹介されて、付き合うことになる。
結婚も同様で、資産をより増やすために必要な人脈作りの一環として行われ、全てが道具で、家族を繋げるものは、金銭的な打算的キズナだけとなる。

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資本主義と愛情

つまり、資本主義社会に置いては、労働者も資本家も、真実の愛というものが何か、わからなくなってしまうという事です。
資本家にとっては、自分の財産を全て譲り渡すことが、最大の愛情なのだと思いこんでいるのかもしれませんが、それは本当に、真実の愛なのでしょうか。

貧困にあえぐ労働者階級は、最低限の生活を行うための金銭を稼ぐだけで、日々の生活は終わっていきます。
その様な疲れ果てた家庭では、相手を思いやるといった精神的な余裕もなくなり、些細な事で揉めてしまうという事も、頻繁に起こるでしょう。

では、『子供だけには、こんな思いはさせたくない』と、勉強や習い事を強制させる行為は良い行動なのかというと、そうでもない。
確かに、全ての金銭を子供の注ぎ込む事で、子供が労働者階級から抜け出る可能性はあるかもしれませんが、それは結局の所、資本家が我が子に対して行っている事と同じで、金銭的な打算的キズナでしかありません。

『お金を稼がなければならない』
『稼いだお金は維持しなければならない』
これらの事が強制される資本主義の世の中では、人々の行動は『お金を稼ぐ』という一点において強制される為、そこに発生するのは純粋な愛情では無く、金銭を得る手段という皮を被ったものとなる。

現代における金銭と愛情

先程書いた事は、マルクスが生きていたような搾取がキツイ状態だから成り立っていた事で、現状では大丈夫と思ってはいないでしょうか。
少し考えてみれば分かりますが、この状態は、搾取の度合いによって起こっているわけではなく、全ての価値がお金に換算される資本主義だから起こっている事なので、当然のように、現在でも起こっています。

例えば、最近では『婚活』という言葉が定着していましたが、婚活パーティーやアプリ、なんでも良いのですが、何故、『年収』を書く欄が有るのでしょうか。
システムによっては、年収で足切りを決めていて、年収◯◯以上じゃないと参加できない。もしくは、それ以下を非表示にする機能なんかが付いていたりしますが、何故、そんな機能が付いているのでしょうか。
これは簡単に言えば、人間性を金に換算できると思い込んでいる人が多いから、そういう機能を便利だと思うし、付いていても不思議とは思わないんでしょう。

低学歴と高学歴、どちらがモテるのかといえば、高学歴が持てますが、何故、高学歴がモテるのでしょうか?
高学歴の方が、高い年収を稼ぐ可能性が高いから、モテるんですよね。 仮に、東大卒の借金数千万円のホームレスがいたとして、その人はモテるのでしょうか?
医者・弁護士といった人がモテるのは、何故でしょうか? 困っている人を助けるような職についているから、人間的に優れていると思う人が多いから、モテるのでしょうか? それとも、年収が高いからでしょうか?

子供が生まれた際に、良い保育園や学校に入れたいと思うのは、何故でしょうか? そうすることで愛情が注げるからでしょうか? それとも、そうする事で高い年収が得られるからでしょうか?

人間関係と金

これは、家族といった間柄だけの話ではありません。
例えば私は、独りで呑みに行く事があり、10年以上に渡り、月に数回は呑みに行くという生活をしています。
月に数回なので、それ程、回数が多いというわけではありませんが、10年以上も続けていると、馴染みの店も出来ますし、そこで人間関係なども生まれたりもします。

ですが、例えば、店を経営している人と、本当の意味での人間関係が築けているのかというと、それはわかりません。
というのも、私は、特定の店に行って『お金を払って注文する』という行為を行っているわけです。 私の行動は、店側にとっては利益に直結する問題なので、そこで純粋な人間関係が築けていると思うのは、純粋過ぎるでしょう。

向こう側からすれば、私の機嫌を損ねると、売上が減る可能性があるわけですから、気分を害する用な事は極力言わないように気をつけるでしょう。
しかし、そんな関係が、本来の意味での人間関係なのでしょうか? 本来の人間関係であれば、私が傷つくような事で有っても、言わなければならない事も有るでしょう。
ですが、それが『営業』であるならば、そんな事は言わないでしょう。
こういう事は、一度、疑い出すとキリが無くなります。例えば、店側の人が、私と本当に人間関係を築きたいと思っていたとして、店が休みの日に、私を遊びに誘ったりしたとします。
ですが、そういった『営業』も有ります。 私はいった事がありませんが、キャバクラなどは、同伴やアフター、休日を使った『営業』を積極的に行っているわけで、ショットバーでそれがないとも言い切れない。

結局の所、疑おうと思えばいくらでも疑えるわけで、その真相は、相手が店をやめて、利害関係が無くなったとしても人間関係が切れていないという事実を持ってしかわかりません。

こういう意味合いでいうと、社会人になってからの交友関係というのは、『利害関係がない』事が重要になっていたりします。
『利害県警がなく、その人物と一緒にいても、金銭的なメリットがない。 けれども、一緒にいたいと思うから、その人の事を大切に思っているのだろう。』という事です。
ただこれも、資本主義的な人間関係に対するカウンターとしての考え方に過ぎないわけで、本来の意味で縛られない考え方をしようと思うのであれば、資本主義からの呪縛から開放されない限りは無理なんでしょう。

絆・愛情・信頼関係。
私は、幸福というものがどういうものかというのが、まだ、わかりませんが、幸福という状態になる為には、先程、挙げた3つは、欠かせないものだと思っています。
しかし、それすらも金銭に置き換えて考えてしまうというのは、『幸福』というものから、どんどんと遠ざかっているような気がしてならないんですよね。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第38回 神話の時代 (1) 後編

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現実世界に影響を与え始める『神』

神話そのものがメインになり、現実世界にも登場人物を祀る神殿などが作られるようになっていきます。
神殿が作られて、そこに聖地巡礼をしに来る観光客などが訪れるようになると、大都市と聖地を結ぶ道に飲食店や土産物店などが出来るようになって、経済的にも潤うようになってくる事もあるでしょう。
経済的に利益が得られるのであれば、辺鄙な場所にある地域なんかは、観光客を誘致するために、自分達の地域ゆかりの登場人物を神話に登場させて、観光収入を得ようと頑張る地域も出てくるでしょう。

また、神話は経済面だけでなく、人々のコミュニケーションも円滑にします。
今の私達もそうですが、日々、顔を合わすだけで、特に繋がりのない人間であったり、繋がりはあってコミュニケーションを取りたいけれども、何を話して良いのかわからないと言ったことはよくありますよね。
でも、そういった際でも、共通の話題があれば、話しかける際のハードルは一気に下がったりしますよね。

神話を共同体全体で共有するということは、共同体の中で価値観を共有するのに役立ちますし、コミュニケーションを円滑に進める為にも効率的です。

古代に生み出された神々を現代に置き換えると?

この神話の成り立ちがピンとこない場合は、この出来事を現代の出来事に当て嵌めてみると分かりやすいかもしれません。
例えば、数年前に『ゆるキャラブーム』というものがありましたが、あの時は、いろんな自治体がキャラクターを一斉に作って、地域を盛り上げようとしましたよね。

地域の宣伝としては、アニメなんかも貢献していたりします。
特定の地域を舞台としたアニメ作品が公開されると、そのアニメの舞台を聖地として、聖地巡礼などがファンの間で行われます。
名シーンに使われた場所などを特定し、その場所に行って同じ様なシチュエーションで写真を撮ったりといった行動を行う人達も少なからず存在します。
そういう人たちが増えていけば、一時的には、その地域の経済も潤うこともあるでしょう。

現代の神話

そして、2018年の今、現在進行形で作られている、世界レベルで有名な神話といえば、マーベル・シネマティック・ユニバースでしょう。
アイアンマンから始まったシリーズは、その後、新たに誕生した数々のヒーローが登場するようになり、アベンジャーズシリーズではそれぞれのヒーローが共演します。
ここで描かれる物語は、単純な勧善懲悪のストーリーではなく、それぞれの立場の違う人達に寄り添った物語となっています。

最初のアイアンマンこそ、事業家として成功したチョイ悪オヤジが、自分のやってきた事を反省することで、正義に目覚めたヒーローになるという分かりやすいストーリーとなっていますが…
それ以降、ストーリーが派生してきて新たに登場するキャラクターたちは、アイアンマンとは別の正義を掲げて戦っていたりします。
そして、それぞれの観点の元に出来上がった価値観が衝突したりもします。

マーベル・シネマティック・ユニバースに登場するキャラクターは、敵も味方も含めて、神話に登場する神レベルの能力を持っているので…
そんなキャラクター達が、全力を出してそれぞれの正義の元に戦うわけですから、無力な人類は、ただただ、逃げ惑うことしか出来ません。
この構成というのは、自然災害を巻き起こす神々から逃れることしか出来なかった人々を描いた、昔に生み出された神話そのものですよね。

強大な力を持ったキャラクターが大量に生み出されて、そのキャラクターはそれぞれの信じる正義を遂行する為に行動します。
映画を見た人たちは、純粋な人であっても、捻くれた人であっても、サイコパスだったとしても、登場人物の誰かに感情移入できるように作られています。
映画の中で取り上げられる問題は、世の中で実際に起こりそうな問題を、より派手に、ドラマティックにした内容で、その問題に対して、それぞれの正義を持つキャラクターが、自分の信念の元に行動をしていく。

この様な、映画の中で語られる神話の物語を共有している人の間では、会話をする際のハードルがかなり引き下げられますよね。
だって、合計で数十時間を超えるような時間を一つのシリーズに注ぎ込んでいる者同士なわけですから、その作品を観た感想を語り合うだけで、一気に打ち解けることが出来ます。
また、その登場人物の誰を支持するのかによって、その人の性格を短時間で深く知る事も可能になります。

これは、古代ギリシャで生み出された神話にも当てはまります。
星座から派生して生み出された神々というキャラクターは、ナイルの反乱や山火事、噴火など、人には不可能な天変地異を起こすことが可能だったりします。
神々には、それぞれに生い立ちがあって、それぞれの観点からみた正義を持っていて、そのように振る舞います。

これは、マーベル・シネマティック・ユニバースの構造と同じですよね。
また、神話という物語が発明されて、それが発展していって膨張していくと、神話を発展させる為のキャラ付けというのも生まれてきます。
ギリシャ神話でゼウスという最高神がやたらと浮気をして子供を作りまくるというキャラクターだったりするんですが、これも、物語としてのキャラ付けだったんでしょう。

膨張していく神話

既にある程度完成している神話に、新キャラを生み出して加えようと思うと、単独でいきなり出すよりも、何らかの有名キャラクターと紐づけて出す方が覚えてもらいやすいです。
有名なキャラクターであればある程、覚えてもらいやすくなる為、一番有名なゼウスの親族として登場させるという方法が多用されたんでしょう。
そして、それを正当化するように、ゼウスの性格も、そこら中で子供を作るキャラクターへと変貌していったんでしょう。

夫が浮気ばかりをすると、妻の性格もいじらざるを得なくなります。
物語というのは感情移入出来なければ面白さは半減してしまいますから、浮気をしまくるゼウスの妻のヘラは、嫉妬深いキャラクター像へと固定されていきます。
浮気グセがあるゼウスとヘラとの喧嘩は、現実世界で起こりうる何らかの不幸とリンクされて、神話というのは、より、具体性を増していき、物語として膨らんでいったのでしょう

これは、現代の神話であるマーベル・シネマティック・ユニバースでも同じですよね。
例えば、スパイダーマンですが、スパイダーマンは単体でも有名なキャラクターですが、改めて、マーベル・シネマティック・ユニバースという神話に組み込もうと思うと、何らかのキャラクターと紐付けなければ孤立してしまいます。
結果としてMCUでは、アイアンマンがスポンサーになって、アベンジャーズ内での父親の代わりをアイアンマンが演じることで、スパイダーマンが神話の中に自然と溶け込めるような環境が作られています。

神話は現実を取り込み リアリティーを増していく

また、世界大戦等の大きな事件も、その影にはヒーローに匹敵するような力を持ったヴィランが暗躍していたりしますし、そのヴィランとヒーローが対峙して対話することで、物語や現実の歴史が進んでくように描かれています。
今の時代は、この様なエンターテイメントがそのまま神話として定着することもないでしょうし、世界大戦の裏側にはヴィランが居たなんて本気で信じる人もあまり居ないとは思いますけれども…
今のように印刷技術も録画技術も無く、情報の伝達手段も限られている古代では、このようにして作られていった神話が、人の口によって伝えられて受け継がれていくことで、一般層を中心に信じられて、信仰対象になる事は十分考えられますよね。

まとめると、人は自然界で様々なものを観た際に、パターン認識によって、自然界に一定の法則を見出して、その知識を蓄積していきました。
そして、膨大な量に膨れ上がった情報を覚える為に、物語を作っていったということなんでしょう。

今回、語った神話の成り立ちについては、調べたり勉強した事を元にして、私の推測をかなり加えて話したものですが、古代には、多くの部族があって、その部族ごとに神話が有ったわけで、全ての神話がこの様にして生まれたわけではないでしょう。
ただ、大本を辿ると、人が持つパターン認識によって、現実世界の法則に物語が付け加えられることで、生まれていったんだと思います。
次回以降では、このようにして生まれた神話から、どのようにして哲学的な思想が生まれていったのかについて考えていきます。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】 第38回 神話の時代 (1) 前編

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注意点

前回までで、長く続いてきたヒッピー回が終了しましたので、今回から、新しいテーマに移っていこうと思います。
今回から取り扱うテーマは、もう一度基本に戻って、『ギリシャ哲学』を最初から勉強していこうと思います。

最初に言っておきますと、このコンテンツ全体について言えることなのですが、このコンテンツは、私自身が勉強して理解した範囲の事を話しているに過ぎません。
現在進行系で勉強しながらのコンテンツ制作なので、読んでいない本も知らない情報も多く、中には、私自身が誤解して理解していることも多数あると思います。
もし気になった点や、興味のある部分が見つかった際は、自分自身で情報を集めて勉強することをおすすめします。

話を戻しますと、このコンテンツでは、第2回からギリシャ哲学のソクラテスプラトンアリストテレスをテーマに取り上げましたが、その時は、もの凄く簡単にしか触れていませんでした。
その理由としましては、このコンテンツの立ち上げ当初は、文字で書いていたブログの延長としてやって行くつもりだったというのが大きいです。
文字で書くだけだと伝わらないようなニュアンスを、音声で読み上げることで伝えようとして始めたので、テーマも哲学や思想に関わるものだけではなく、日々思った事を話すようなコンテンツを想定して立ち上げたのですが…

アリストテレスをテーマに取り上げたくらいからですかね。
アリストテレスの主張を簡単に伝えることは難しいなと思い始めて、もっと詳しく丁寧に説明しようと思い、哲学や思想に限定したコンテンツに方向転換したんです。
その為、それ以前のソクラテスプラトンについては、本当に簡単に触れただけ…
というより、私自身が勉強不足で知らない事が多過ぎた為に、簡単にしか紹介できませんでした。

今回からの回は、その部分について、私自身も改めて勉強しながら、作り直していく回となります。
という事で今回は、哲学の祖とも呼ばれているソクラテス以前の話からしていこうと思います。

このコンテンツの第2回では、元々は世界のあり方は、神様が登場する神話などで説明していたという話をしました。
元々は小さな人々の集団が、それぞれの文化の中で神話を作り出していく。そして、時間の経過と共に共同体の人数が大きくなっていって、人が住む土地の広さが拡大していく。
そこら中に点在していた小さな集団が、同じように住む地域を拡大していくことで、違った神話を持つもの同士がふれあって、そこで違った価値観に出会う事で、相対主義が生まれたという話をしたんですが…

まず、その話は一旦、忘れてください。
完全に間違った話といったわけでは無いと思いますが、全体の話を大雑把に理解する為の話になるので、一旦忘れて、まっさらな気持ちで聴いてください。

神という概念は最初から有ったのだろうか

前に説明した際には、物事を神話によって説明していたと言いましたが、果たして本当にそうなのかという事について考えていきます。
人間が意識を持って、自分自身の頭で考えるという行動を取れるようになって、一番最初に考え出すことって、神様の存在なんでしょうか?

私達のように、現代に生まれてきた人間は、小さな頃から『神様』という存在について、親から教えられます。
これは、神様や仏様、お天道さま、なんでも良いのですが、躾の一環として、悪いことをした際などに、同じことを繰り返さないようにと、人間以外の上位の存在から『罰が当てられる』と刷り込まれます。
こうして育った人間が、何らかの超常的な現象を目にしたときや、奇跡のような事が重なった際に、『神』といった概念が頭を過る事は不思議でもなんでもないのですが…

なんの刷り込みもなく、前提とした知識もなく、ただ、大自然の前に放り出された、意識を持った人間が、目の前に起こっていることを理解する為に、神といった存在を持ち出すのでしょうか?
おそらく、持ち出さないでしょう。 仮に、いきなり神という存在を定義して、その神を中心とした神話を作り出せる人間がいたとしたら、その人間は、かなりの天才でしょう。

大部分の普通の人間は、太陽が登ってくるのを目にして『神が最初に『光りあれ!』と言ったから太陽が出来て、その後6日間で世界を作り上げた!』なんて思いません。
普通に、眩しい存在が定期的に光を照らすとしか思いません。
山火事などが起こって火を目撃したとしても、『火の神が!』なんて思わずに、単純に熱いと思うでしょうし、『夜でも明るいな』とか『熱いな』としか思わないでしょう。

『神』という存在は、その存在そのものが一種の発明で、その発明品である『神』という概念が無かった原始の世界では、あるがままをそのまま受け入れるという事しか行われていなかったと考えるのが自然でしょう。
つまり、あるがままをそのまま観察して、経験として蓄積していく、今で言う科学的な態度が最初に生まれたと考える方が自然という事です。

自然の観察とパターン認識

太陽と呼ばれる、光り輝く丸い物体が一定期間ごとに登る事で、昼という状態が生まれる。
それが沈んで暗くなると、その変わりに、月や星々と言った別の物体が夜空に浮かび上がる。
適当に散りばめられていると思いこんでいた星々は、よくよく観察すると、その配置は毎回同じもので、時間と共に場所を移動していく。

人が持つパターン認識によって、大自然の中に法則性を見つけ出していくという事が最初に行われ、その知識は時間の経過とともに蓄えられていったんでしょう。
知識というのは、ある一定以上の蓄積によって、演繹的に発展していきます。
演繹的とは、推測の様なものと捉えても良いと思います。
例えば数学の場合、足し算・引き算・掛け算・割り算を覚えると、頭の良い人であれば、そこから考えを応用して発展させて、方程式という概念を生み出せます。

このようにして、最初は周りの環境を観察して、パターン認識によって法則性を見出して、その情報を蓄積して応用して発展させていったんでしょう。
ちなみに、この科学という言葉ですが、昔は哲学と呼ばれていました。 哲学は『考える事』全般を指す言葉だったので、全ての学問は哲学と呼ばれていたようです。

データの蓄積と その応用

この様な行動が行われることで、古代エジプトでは、天体の動きから暦を発明して、ナイル川の反乱を予測する事に使われるようになりました。
また、ナイル川が反乱することで周囲の田畑が水浸しになり、土地の境界線も消えてしまう為に、土地の大きさを正確に測る計算方法も開発されます。
古代ギリシャ人は、古代エジプト人の平面の計測方法を学んでギリシャに持ち帰り、それを応用する事で、四角形以外の面積も測れることを発見したようです。

この計算方法の応用・発展によってギリシャの数学は飛躍的に進歩したようです。
ただ、この説明では、神話の誕生を説明できません。最初から、哲学や科学だけが存在していたということになります。
では、神という存在や神話は、どのようにして生まれたのでしょか。

生み出される神という概念

これは私自身の推測も多く含まれますが、哲学の始まりと同じように、パターン認識によって生み出されて発展した、一つの発明だったんだと思います。
先程も言いましたが、夜空に輝く星々の配置というのは決まっていて、それを覚える事で、季節や方角と言った情報を知ることが出来ます。
これをパターン認識によって法則化したものが占星術、そして天文学の起源なんでしょうけれども、無数にある星の配置をそのまま覚える事って、かなり難しいですよね。

では、人は、法則性がなく羅列するものを覚える場合は、どうするでしょう。
元素記号でも、ルートの計算でも、歴史の年号でもそうですが、何のつながりもない記号や数字を覚える場合は、単純に丸暗記するよりも、語呂合わせ等によって一つのストーリーにしてしまう方が覚えやすいです。
Hの後にHe、Hが水素で、次がヘリウムと覚えて行くよりも、『すいへーりーべーぼくのふね』と覚える方が楽ですし、順番も間違いにくいですよね。

星座の場合も同じで、単純に星の配置を丸暗記するというのは効率も悪いし、間違いも起こりやすい。
それよりも、数個の星を1グループにして、それぞれのグループに絵を当てはめていく事で星座にして、その星座を役者に見立てて物語を展開させれば、物語を覚えるだけで、星の配置を覚えられる上に、間違いが起こりにくいですよね。
こうして生み出された物語には、当然のように、パターン認識によって蓄えられた現実世界で起こる法則も、組み込まれていったんでしょう。
例えば、特定の星座が特定の位置に来る頃にナイル川が反乱するので、その星や星座の行動と、ナイル川の反乱と結びつけようといった具合にですね。
ナイル川の反乱という現実世界の出来事を物語に投影するわけですから、その星座が持つ役者としての性格も、そのように設定されて作られていきます。

こうして作られた物語は、印刷技術がまだない古代では、演劇などを通して、一般に娯楽として提供されて居たのでしょうし、親が子に語り継ぐなどして、代々と受け継がれていったんでしょう。
そして、代を重ねるごとに、科学や学問としての要素が徐々に削ぎ落とされていって、物語そのものに焦点が当たるようになり、最終的には神話として語り継がれていったんだと思います。
このようにして、一度、神話という概念が生まれると、科学と同じように、応用されて発展していきます。
(つづく)
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【ゲーム ネタバレ感想・考察】 HEAVY RAIN ~心の軋むとき

この投稿は、ゲーム『ヘビーレイン』をプレイしてのネタバレ感想です。

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まだプレイしておられない方は、注意してください。

物語の始まり

ゲームが始まると、優男風のイケメン、イーサンの操作を迫られることになる。
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最初ということで、チュートリアル的なものも含んでいるんでしょう。
髭をそったりシャーワーを浴びたりと言った事をさせられ、その後、自宅の仕事場に向かって仕事を済ませる。
しばらくすると、妻や子供が2人の子供と一緒に帰ってくる。 妻の家事の手伝いをしつつ、子供と遊んで…といった感じで、絵に描いたような幸せ家族を体験。

これを書いている私は、まだ、結婚はしていませんが、こういう映像を見せられると、『結婚も良さそうだな…』と、つい、思ってしまう。

その後、日を改めて、家族はショッピングモールに出かける。
妻が兄弟の片方と用事を済ませている間、旦那はもう片方の面倒を見る事になるが、遊びたいざかりの子供なのか、まぁ、親の言うことを聞かない。
そして、『風船が欲しい』なんて言い出すので、仕方なく購入してお金を払っていると、風船を手にした我が子が狂喜乱舞して、何処かに走り去ってしまう…
こういうのを観ると、『やっぱり、子供とかいいか・・・』と思ってしまう。

見事に子供を見失ったイーサンは、必死になって子供を探すが、なかなか見つからない。
先程買った風船を目印に必死に探すと、ショッピングモールを出て道路の方に向かっている。
急いで追いかけて声をかけると、子供が周りを見ずに道路に飛び出すものだから、見事に轢かれてお亡くなりに…

幸せだった夫婦は絶望のどん底に突き落とされて、この事がキッカケで離婚。
『やっぱ、結婚も止めといたほうが良いのかな・・・』なんて事が頭をよぎる。

独身生活

このゲーム、まぁ、よく雨が降る。
ヘビーレインなんて名前なので、常に雨を降らしているのか、それとも、主人公たちの真理を天候で表しているのかはわかりませんが、とにかく、よく雨が降る。

そんな中、イーサンはというと、子供が死んだ事で妻と分かれ、もう一人の子供は心を閉ざし、自分は仕事も手につかずにPTSDを抱えている状態。
まぁ、最愛の子供が亡くなったんだから、そうなるのも仕方がないですよね。

離婚してからは、子供は定期的に父親と母親のところに交互に泊まりに行くという生活をしている模様。
そして旦那のもとに子供が泊まりに来る番が来たらしく、子供を迎えに行って世話をする主人公。 でも、子供は全くしゃべらない。まぁ、目の前で兄弟を亡くしているので、そうなっても仕方のない事なのかもしれない。
そんな状態に痺れを切らしたのか、子供に『公園に行こう』と言って2人で遊びに行く。
一通り遊具で遊んだ後、子供がメリーゴーランドに乗りたいというので、お金を払いに行く主人公。

アメリカの公園て、メリーゴーランドとか有るのね。 日本だと、ボール遊びしただけで怒られるため、公園は黙って座っている場所になってるのに、アメリカは凄いですね

公園にあるからといって、ただで乗れるわけもなく、お金を払いに行くと、そこで主人公の記憶が飛び、誰もいない道路に経っている。
そして、手には、折り紙が握られている。。
何がなんだか分からずに、取り敢えず子供を探すために公園に向かうも、子供の姿はない。これで、イーサンが子供を見失うのは2度目です。
私自身は、結婚もしておらず子供もいないので、我が子を目の前で亡くすという経験をした事がないのでわかりませんが、この演出は、若干、納得がいかない。

折り紙殺人

どうやら、このゲーム内では、折り紙殺人という名の連続殺人事件が起こっているようです。
手口としては、まず、子供が拉致されて、その後、数日で、子供が溺死体で見つかるというもの。
拉致された家族のもとに折り紙が送られるという事で、折り紙殺人と名付けられた事件は、犯人がまだ捕まっておらず、今回のケースも、折り紙殺人なんじゃないかという疑いを主人公が持つ。

2人目の主人公 私立探偵 スコット

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主人公が、我が子を拉致されている一方で、もう一人の主人公である私立探偵のスコットも動き出す。
折り紙殺人事件の遺族に頼まれたという事で、折り紙殺人の手がかりを探すという役割を担っていると思われるスコットは、とにかく、遺族の元に行きまくって情報をかき集める。

とはいっても、被害者家族は家族を殺されている上に、警察の操作も中途半端で犯人も見つからず、その上、犯人が見つかったとしても自分の子供が戻ってくるわけではないということで、操作には協力的ではないが、信頼関係を築きつつ、一生懸命に証拠集めをする。
途中で、聞き込みにで合った被害者遺族の1人の女声とパートナーを組んだりしつつも、捜査はかなり進み、金持ちのボンボンが怪しいという所まで突き止める。
外見がそんなに良いわけでもないスコットなのに、紳士的な態度と、警察も突き止められなかった所まで操作を進めたことで、パートナーの女性もスコットにべた惚れ状態に。

3人目の主人公 FBI捜査官 ノーマン

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私立探偵のスコットが、事件の真相をドンドンと解いていってくれているのに、この役割は必要なのか?と思わせてくれる警察サイドの人物が3人目の主人公ノーマン。
一緒に組む事になった市警察の相棒は、犯人らしき人間を捕まえると拷問にかけてしまうようなダメ人間なのに、警察署長はそいつの方を持つというダメっぷり。
そんな気の荒い相棒なので、とにかく、いたるところでトラブルを起こし続ける。

でも、捜査は進み、イーサンが怪しいんじゃないのかという事になる。
というのも、被害者の旦那は、1人目の子供を眼の前で亡くしてしまった事で、心を病み、カウンセリングに通っている様な精神状態だったからです。
カウンセラーの話によると、子供が溺死する夢に苦しめられているといった感じの相談を受けていたようで、警察も容疑者として扱うようになります。

そういえば、子供がいなくなった時、主人公は何故か、誰もいない道路に立っていて、手に、折り紙を握っていましたよね。自分で拉致して、自分で折り紙を追ったと感が得れば、辻褄は合う。
ここまでで、容疑者は2人。 一人は、金持ちのボンボンで、もうひとりは被害者家族の旦那。
この時点で、プレイしている私も、『やったのは、イーサンじゃないのか?』なんて思わせていましたし、シナリオとしては、かなり、上手く出来ている感じで感心しました。

4人目の主人公 ジャーナリスト マディソン

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ここで、全く関係がなさそうな、女性のジャーナリストのマディソンが主人公になります。
不眠症に悩まされていて、定期的にモーテルに行くなどして環境を変えないと寝れないという事で、モーテルに行くと、1人目の主人公が傷だらけで立っているのを目撃。
何で傷だらけなのかというと、子供が拉致された直後に、郵送で数個の折り紙が送られてきたからです。
その折り紙を解いて紙に戻すと、そこに、『高速道路を逆走しろ』とか『指を切り落とせ』といった感じの司令が入っていて、それをクリアーすると、今現在の子供の様子が記録された動画と、暗号的な数字が報酬として得られるからです。

イーサンは、その司令をクリアーする度に傷だらけになっていたというわけです。
その様子を見たマディソンは、警察に通報することもなく、献身的に介護をする。 何かは分からないけれども、命をかけて一生懸命になっているイーサンに行為を持った様子。
その後も、イーサンが危険に陥ると助けに来てくれるマディソン。 ジャーナリストのスキルを生かして、自身も独自で操作をするマディソン。
これで、操作をする人が3人になってしまいましたよ。

意外な結末

3人がそれぞれ操作をする事で、徐々に、事件の全体像が見えてくる。
折り紙殺人の犯人は、どうやら、子供の頃に兄弟を失っているようで、その原因に、自身の父親が絡んでいるということが分かってきました。

雨の日に、2人の子供が工事現場で遊んでいたところ、一人の子供が足を滑らせて、溝に落ちてしまった。その時、うまい具合に底の方に足が挟まったので、自力での脱出は不可能。
雨によってその溝に雨水が大量に集まってきて、このままだと数分で溺れ死ぬ。 唯一助かる道は、近くにいる父親に頼んで、助けてもらう事。

子供は、急いで父親のもとに行くが、父親にとっては母親の連れ子で、愛情も特にない為、助けること無く酒を飲み続ける始末。
結果として、兄弟は溺死。 この悲惨な経験を、他の人間にも味わって欲しい。 そして、自分とは違って、子供のために命をかけて助けにくる父親がいるのかを確認したい。
そんな思いから、子供を拉致しては、折り紙に無理難題を書き、父親に送るという行為をしていたのが、犯人の動機だったんです。

決着

その兄弟の母親が生きているという事を掴んだマディソンは、母親に面会に。
認知症の進んだ母親に、キッカケとなるような情報を与えて、何とか記憶を掘り起こし、生き残った子供の名前を聞くマディソン。

そこで語られた、生き残った方の子供、そして、折り紙殺人の犯人の名前は…



スコット



マジか!!
あれだけ、一生懸命、事件に真摯に向かい合っていたスコットが犯人。
そうか、スコットが必死になって事件の証拠を集めていたのは、証拠隠滅の為…

これはね、完全にやられてしまいましたわ。
劇中で、スコットって一番いいやつだと思って操作してたし、その様な選択肢を選んでいたのに、こいつが犯人かよと…
でも、それじゃぁ、メリーゴーランドの支払い後に記憶をなくしたイーサンに、折り紙を握らせたのもスコット? 記憶をなくしているかどうかは、他人から見てわからないものだと思うけど、自分が犯人だとバレる危険を犯してまで、折り紙を握らせたかったの?

まぁ、イーサンのくだりは、プレイヤーにミスリードさせる為の演出だったのかもしれないですが、リアリティーに欠けるような気がしないでもない。
後、マディソンがイーサンに簡単に感情移入するのも、意味が分からない。
マディソン パートでは、最初に複数人の男性に襲われる夢を見るというところから始まるんですが、それの意味も分からない。。

この辺りの保管は、DLCでやるつもりだったらしいのですが、ソニーともめて、DLCがなかったコトにされている為、色々と意味不明な点も多かったですが、物語としては楽しめました。
このゲームはマルチエンディングなので、私がたどり着いたエンディングはその中の1つだけで、今回はその事について書いてみましたが、他のエンディングが気になる方は、実際にプレイしてみると良いと思います。

米中貿易戦争 一番困るのはアメリカ人?

今日は、ここ最近、経済界隈で話題になり、また、おさまるどころか白熱してきた貿易戦争について、考えていこうと思います。
事の発端としては、アメリカ大統領のトランプが、貿易赤字が嫌だと言って、アメリカと貿易をして利益が出ている国に対して文句を言い出したことが始まりです。

何故、グローバル化に反するような事を、いまさら言い出したのかというと、トランプ支持者が、白人の貧困層という事が大きく関係しているのでしょう。
アメリカといえば、ITに代表されるような頭脳労働が有名で、ダウの構成銘柄もIT化してきているわけですが…
みんなが皆、googleなんかに入れるわけではないし、頭脳労働に就けるわけでもない。

本来であれば、そういう人達は、単純労働の製造業などに行くわけですが、アメリカは製造業が弱い。
iPhoneなどで有名なアップルも、アメリカ国内では工場を持たず、外。主に、中国の生産メーカーに外注していたりします。

中国に外注する理由 その1 人件費

何故、こんな事になっているのでしょうか?理由はたくさん有るのでしょうが、一番大きな理由としては、人件費でしょう。
wikiによると、アメリカの最低時給は、連邦が定めているものが7.25ドルとなっています。
各国の最低賃金の一覧 - Wikipedia

この数字は、日本の最低時給とさほど変わらないようにも思われますが、アメリカは州という国が合わさって作られた合衆国という連邦制の国なので、州にも法律があり、そこでも最低時給が決められていたりします
多い州だと、最低賃金が日本円で1500円程になる州もあるようです。

その一方で中国の最低時給は、アメリカ連邦や日本が定めている金額の半額。アメリカの州と比べると4分の1程度(漏れ聞こえてくる話では、これより少ない可能性も?)の金額だというのが、大きな理由の一つでしょう。
この人件費ですが、これを読まれている多くの方はサラリーマンでしょうから、いまいちピン!とこないかもしれませんが、支払う立場になって考えてみれば、分かりやすいと思います。

仮に、最低時給1500円で1日8時間で月に20日働くと、企業が支払う金額は約290万円程になります。実際には、これに保険料や交通費なども含まれるでしょうから、300万を超える金額になります。
一方で、中国は最低時給が4分の1の金額なので、単純計算で1人あたりに支払う額が75万円になります。その差額は1人あたり225万円。100人だと2億を超える人件費の差となります。

製品に占める人件費の割合は、業種や何を作っているのかによっても変わってきますが、このサイトによると製造業の場合は、おおよそ人件費率が3割となっています。
www.syachou-blog.com

人件費率とは、売上と人件費の割合です。500万の製品を作るのに人件費が100万かかった場合は、人件費率20%となります。
人件費を売上で割ったものを%表示するだけなので、簡単ですよね。

商品を多くの人に販売するためには、販売価格を手頃な値段にするという事が必須ですが、その一番の方法が、人件費が安いところで作るということになります。

中国に外注する理由 その2 生産設備

先程も書いた通り、製品を製造するのに重要なのは人件費なのですが、理由はそれだけではありません。
単純な人件費だけを見れば、中国よりも安い国は探せばあるでしょう。 しかし、そんな国ではなく中国に発注するのは、中国に受注生産能力があるからです。

中国は、安い人件費を武器にして、世界中から製品の製造や組み立ての仕事を引き受けてきたので、製品製造や組み立てのノウハウがあり、生産設備も持っています。
このノウハウや製品製造の技術は、日本の大手製造会社がコスト削減のために、日本の中小企業の技術を恫喝まがいで奪い取って、中国に流した…なんて黒い噂もありますが、とにかく、安定した製品を出荷する体制というのが整っているんです。

最初は、他国から技術を教えてもらう形で発展しても、それが長年続くと、効率も良くなりますし、独自のノウハウも蓄積されていきます。
結果として、アメリカは国内で製造するよりも、中国に発注した方が話も速いし価格も安いという状態になっているので、中国に受注依頼をして、それを『輸入』する形で引き取っているので、アメリカは、対中国の貿易赤字が膨れ上がるという状態になってしまっているのでしょう。

関税競争で問題解決はするのか

日本の経済ニュースなどでは、米中の関税引き上げ競争は、輸入しているアメリカ側の方が関税をかけられる幅が大きいので、アメリカ側が有利…なんて話をしているところもありますが、実際にはそれ程単純ではありません。
先程書いた、理由の『1』と『2』を観てみれば分かりますが、単純に中国からの輸入に対して関税を上げれば、中国に発注していた企業がアメリカの企業に発注し直すという問題ではありません。

まず、理由『1』でも書いた通り、中国とアメリカの人件費が違いすぎる為に、関税を支払っても中国で作った方が、最終製品価格が安くなる可能性のほうが大きいです。
製造業の人件費率は30%前後と書きましたが、これが4倍になると120%になってしまい、それに応じて製品価格を引き上げると、アメリカ国内で作った方が高くなるという事ですね。
これは、アップルなども主張している事だったりします。
f:id:kimniy8:20180919221512j:plain
次に、アメリカ国内に、製造拠点やノウハウが有るのかという話です。
製造拠点がない場合、まず、工場を作るところから始めなければなりません。 工場を作って、製造機械を入れて…となると、膨大な量の出費となり、それを回収する為には、かなりの長い年月がかかります。
そして、ノウハウがない場合は、一からノウハウを作っていかなければなりません。 既にノウハウを持っている中国の技術者を引き抜いて教えてもらうという方法もありますが、そもそも、この関税競争の理由が、アメリカの貧困層に向けた政策なので、中国人技術者を呼んできて作ってもらうというのでは、意味がありません。
まて、中国そのものも、有能な技術者を簡単に手放すとも思えません。

そして最後の理由としては、そもそもトランプ政権が続くのか。 トランプの後任が、同じ様な制作を取るのかという問題です。
トランプ大統領が、思いつきのように言い出しただけで、関税引き上げが可能なのであれば、次の大統領の決断によって、関税が引き下げられる可能性が十分に有ります。
トランプが次の大統領選で受かったとしても、この政策が10年も続かない可能性がある中で、企業が大規模な投資をするのかというのは、かなり疑問です。

結局困るのはアメリカ国民

企業が、生産拠点を中国からアメリカに移すにせよ、そのまま中国に発注し続けるにせよ、確実に起こることは、アメリカ国内での物価の上昇です。
アメリカ企業が中国への発注を止めなかった場合は、関税の増税という形で、製品価格が大幅に上昇することになり、製造拠点をアメリカに移した場合は、製造コストの大幅増という形で、製品価格が引き上げられる事になります。

この関税引き上げ合戦によって、アメリカ国民の年収が、商品価格の上昇分よりも増えれば問題はありませんが、そうではない場合は、給料が上がらない状態で製品価格だけが大幅に引き上げられる事になります。
これは、貧困層にとっては大打撃ですよね…そして、ドランプ大統領の支持者が、この大打撃を受ける貧困層
世間一般では、『アメリカの攻勢が止まらない!!』なんて言われていますけれども、冷静に観たら、追い詰められてるのってアメリカの様な気がするんですよね。

もうすぐ年末になり、アメリカの消費の大半が行われるクリスマス商戦に突入しますが、その時までに関税引き上げが有った場合のトランプ大統領の支持率がどうなるのかが、非常に興味深いですね。

不況の今だからこそ マルクスの『共産党宣言』を知っておくべきではないだろうか

今回紹介する漫画は、経済学を学んだ哲学者、マルクスが書いた『共産党宣言』を漫画にして読みやすくした作品です。
前から少し気になっていたタイトルでしたが、Kindleで10円で売るというセールが行われていたので、それを機に購入してみました。

簡単なあらすじ

妖怪がやってくる… 『共産主義』という名の妖怪が…

産業革命からしばらく時が経ち、資本家が権力者となる資本主義経済になった後の世界。
資本を持たない工場労働者は、人権も剥奪され、劣悪な環境で機械の部品のように働かせ続けられている。

労働者は、そんな状態に耐えられず…だが、家族の生活の事を考えると、資本家に対して牙をむくこともできない。
搾取され続け、惨めな生活を受け入れるしか選択肢が無い状態が続く中、資本家は、さらなる『生産性の向上』を求めて、更にキツイ要求を労働者に対して突きつける。

労働者の環境は更に厳しくなり、資本家に全てを奪われた労働者は、逆に何も捨てるものがなくなり、革命へと向かっていく…
そんな労働者の行く末を、遠目からエンゲルスと共に観ているマルクス
労働者の不満や行動を踏まえた上で、社会の行く末を語ってゆく… という話です。

意外なマルクスの主張

私自身は、マルクスが書いた本は、『経済学・哲学草稿』の途中まで(後半部分はヘーゲル批判で、ヘーゲルに対する知識が必須の為)しか読んだことがなかったので、マルクス共産主義に対する意見というのを詳しく走りませんでした。

その為、経済系の話題になった際に、私が資本主義の欠点を主張したとして、『でも、共産主義国家は全部、潰れてるだろう!共産主義のほうが駄目』という反論が帰ってきた場合、『ぐぬぬ…』となってしまっていたんですよね。

しかし、この『共産党宣言』で書かれていたマルクスの主張は、ソビエト北朝鮮の様な、これまでや今現在に存在している、どの国とも違ったものでした。
というか、今までに存在して崩壊していった、共同体が実権を握るタイプの社会主義を否定すらしていたのです。
よく、『マルクスの主張は誤解されている』なんて言われていますが、この漫画を読むだけでも、それが十分に分かる内容となっていました。

マルクスの主張と実際の共産主義

この作品の中に出てくる労働者は、奴隷…というよりも、家畜同然の扱いを受けていて、尚且、その待遇は世襲され、末代まで同じ様な暮らしをする事を強制されています。
『資本主義国家は、頑張れば報われる世界でしょ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、その確率は限りなく低いのが資本主義です。
というのも、資本家になる為にはまず、資本を持っていなければなりません。 資本家の家に生まれた子供は生まれながらにして資本を手にしているわけですから、その意味では将来の資本家が約束されています。

また資本家は、有り余る資本を持っているわけですから、それを使って、自分たちの子供に最高の教育を受けさせる事ができる一方で、貧困層にそんな余裕はない為、教育格差が生まれます。
教育格差は、そのまま待遇の違いに直結する為、貧困層に生まれた家系は代々、貧困に苦しみ、富裕層の家系は、ずっと富裕層という状態になり、格差は固定されます。

この作品では、そんな労働者に対して有る人物が、『労働組合に入って、共産主義を実践している町に移住しないか?』と持ちかけるところから、共産主義の説明が始まります。
この町では、自治体が手動して計画的に生産を行い、賃金も全員同じで平等。 街で生産されたものは、町で消費する為、安くて品質の良いものが買える。
これにより、労働時間は短縮され、労働者は、より豊かな生活をおくることが出来る…

このモデルは、ソビエトや中国が採用していた計画経済ですが、マルクスは、このモデルその物を否定します。
つまり、マルクスが主張する共産主義国家というものは、既に崩壊したものではなく、まだ実現できていないものということになります。

共産主義を利用した勢力争い

真の共産主義が確立するまでには、様々な共産主義思想が生まれ、主張同士が争う事になるようです。
例えば、中世の社会は封建制度でした。 封建制度とは、王や将軍など、ピラミッドの頂点に君臨する人物が存在し、その人物が、自国の領土を収める貴族達に権限を与えているという社会です。
日本も昔は、将軍が実権を握り、それぞれの地域の殿様に自治をさせていましたよね。

この封建制度は、大抵の場合は貴族が搾取し過ぎる事によって市民が暴動を起こし、それが革命につながって終わりました。
では、封建制度が終わった後の世界ではどうなったのかというと、ブルジョア階級の資本家が労働者を家畜扱いして搾取することにより、私腹を肥やすという時代に突入しました。
つまり、労働者が搾取されているという事実そのものは、変わらないという事です。

労働者階級では何も変わりませんが、上層部の構造自体は変わります。
封建制度が革命で潰された貴族たちは、台頭してきたブルジョア階級に対抗意識を燃やし、再び実権を握るために、虎視眈々と機会を伺います。
形勢逆転をする為には何が必要かというと、社会を構成する為の人間です。 そして、自分たちの手足のように働き、尚且、一番、人口が多い労働者層を取り込もうとします。
その為に、労働者にとって聞こえの良い政策を打ち出して、労働者層の関心を惹こうとします。

そうして生まれるのが、『封建的社会主義』などです。 封建社会を復活させようと、社会主義の皮を被って人間を集め、実際には、自分が権力を握ろうということです。

共産主義社会主義の違い

権力闘争によって生まれる社会主義と、マルクスが提唱する共産主義は、全く違うと言ってもよいほどの差があります。
決定的な違いとしては、『所有』というものに対する考えが違います。

既に崩壊している社会主義国家は、全ての実権を『国』が所有していました。
土地は全て国有地で、工場などの生産拠点も国のもので、労働者は公務員。 国の財産は全て、国が『所有』している状態なのですが、これは、裏を返せば、国を治めているものが全てのものを所有している事と同じという事です。
つまり、社会主義国家の代表は『王』と同じということになり、その王につかえている労働者は、相変わらず搾取されるということです。

しかしマルクスは、所有その物を否定します。 この『所有の否定』は、労働者から財産を奪うということではなく、資本を持つ権利その物を認めないということです。
社会主義国家では、国民は全員が公務員で、同じ給料を貰うということになっているようで、それが平等とされている様ですが、マルクスはそんな主張はしていません。
労働者は、働きに見合った給料を貰うべきだし、その人達から、労働の対価であるお金を没収するなんて事は考えていない。

ただ、搾取の原因になる資本。 例えば、工場などの生産設備や、農地などの土地など、独占する事で不労所得を生む『資本』の独占を認めないと言っているんです。
独占を認めないということは、国による独占も認めないという事なので、従来の社会主義国家とは根本的に考え方が違います。

真の共産主義革命に必要なものは何か

マルクスが考える『共産主義』が実現するためには何が必要なのかというと、労働者階級という階級意識と、将来的な目標です。
将来的な目標を明確にしている為、封建制度下では、市民革命を起こすブルジョア階級の手助けもする。 将来的に敵になるブルジョア階級を手助けするのは、最終目標が決まっているからです。

革命は一足飛びで出来るものではなく、段階を踏まないと駄目なので、段階を踏むためにも、将来的に敵となるブルジョア階級を一時的に助けるということ。
最底辺の労働者は、常に搾取され続けるけれども、その都度革命を起こす事で、権限を持っている層が徐々に自分たちに近づいてくる。そして最後の革命によって、最底辺の労働者が権力を握り、その権力を放棄することで、共産主義革命は終わる。
これによって、人は本当の意味での幸福を掴み取ることが出来るというのが、マルクスの主張のようです。

つまり、ソビエトなどの共産圏の失敗を提示して、『共産主義は失敗してるでしょ』というのは、マルクスの主張を全く理解していない意見という事だったんですよね。
マルクスの主張がこのとおりであるのなら、この世にはまだ、真の共産主義というものは存在していないことになります。
言い換えれば、ソビエトの失敗云々でマルクス批判をしている人間というのは、マルクスの本を読んだ事がない人ということが、よく分かる1冊でした。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第37回 ヒッピーからの遺産 (後編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

すべてを飲み込む資本主義

この様に、主張が広がっていく過程で変わっていく理由は、先程も言ったように、主張を聞く側が聴きたいように聴いて捉えているからなんですが、その他の大きな原因があるとすれば、資本主義です。
資本主義は、欲望を原動力にして動くシステムなので、人が持つ欲望によって主張が捻じ曲げられると言い換えても良いかも知れません。

今回のヒッピーの例でいうと、この運動の根本的な部分では、お金や欲望というものとはそもそもが無縁です。
ですが、カウンターカルチャーとして有名になると、それが消費社会に取り込まれていく事になってしまいます。例えば、ヒッピーらしい服装が簡単に出来るようなアパレルショップが生まれたり、服飾ブランドが生まれるなんて言うのは分かりやすいですよね。
その他にも、LSDを入り口として様々なドラッグの販売網が構築されたり、ヘイト・アシュベリー地区そのものが観光地として栄えたりといった事などですね。

資本主義や、それにまつわるお金についての話は、ヒッピーでも中心的な役割を果たしたグレイトフル・デッドの例を見てみると分かりやすいかも知れません。
グレイトフル・デッドは、ケン・キージーが行っていたアシッドテストという集会でBGMを流すように依頼を受けて、そこから徐々に人気が出てきたバンドで、後にヒッピー・ムーブメントで中心的な役割を持つようになるのですが…
彼らが本来やりたかった事というのは、自分たちが好きな音楽を自分たちのペースで奏でる。そして、その音楽に興味を持つ人達が、それを聴いて楽しむという、たったこれだけのシンプルなことだったんです。

ですが、資本主義の世の中で活動していく為には、どうしても、資金が必要になってきます。
人気が出れば出るほど、彼らの曲を聞きたいという人間は増えていくわけで、その人達全員にライブを体験させようと思うと、ツアーを行わなければなりません。
ツアーを行うためには、設営のスタッフなども雇わなければなりませんし、そのスタッフに支払う給料も必要となってきます。

その金を稼ぐためには、レコード会社に所属しなければなりませんし、所属してしまうと、一部の自由は制限されてしまうことになってしまいます。
メジャーデビューして多くの人達が音楽を耳にするようになると、演奏している彼らに対して幻想を抱く人間も多数出てくる為、グレイトフル・デッドは、ファンが思い描く理想のグレイトフル・デッドを演じる必要が出てきます。
こうなってくると、本来やりたかった、自分たちの好きな音楽を自分たちのペースで奏でて、聴きたい人だけがそれを聴くという理想からはかけ離れていく事になってしまいます。

結局、彼らは、期待通りのグレイトフル・デッドを演じることに疲れてしまって、活動を辞めてしまうことになります。
ムーブメントというのは、盛り上がってブームになってしまうと、それを利用して一儲けしようという欲望にまみれた人まで引きつけてしまい、彼らの食い物になってしまい、結果として、いちばん大切な部分も変えられてしまうんです。

では、このようなことが原因で、ヒッピームーブメントというのは単なる一過性のブームとして消費されて、無意味なものとなってしまったのでしょうか。

サイバー空間に移住するヒッピー

答えからいうと、そんな事もなかったりします。
ヒッピー・ムーブメントが終焉し、ディガーズが葬儀を挙げた1970年以降、黎明期のヒッピー・ムーブメントに携わった人間は、当時、世に出始めた、コンピューターの世界にのめり込みます。サイバースペースに最後のフロンティアを求めたんですね。

今回、メインで取り扱ったティモシー・リアリーはもちろんですが、彼に影響を受けてLSDの製造を手がけたオーズリーや、ティム・スカリーや、その他の多くの人間が、それぞれの目的を持って、コンピューターに可能性を見出して、その世界に飛び込みます。
この中には、学生時代をヒッピーとして過ごした、スティーブ・ジョブズもいます。彼が、コンピューターを一般人の手にも届くように作り変え、ヒッピーの聖地として盛り上がった西海岸にはシリコンバレーが誕生します。
そして、彼らは、ヒッピー達が理想として掲げていた境界線の無い世界に限りなく近いものを、web技術をつかってサーバー空間に作ることになります。

ネットの世界は、自分から名乗らない限り、書き込んでいる人間が男か女かも分かりませんし、どこの国籍の人間なのかも簡単には分かりませんし、当然ですが、肌の色も分かりません。
ネットに書き込まれた意見は、何のフィルターにも通されない、ただの純粋なコメントで、同調や反論は、純粋にそのコメントに対して行われます。
また、web上で展開される数多くのサービスは、無料で開放されるものも多く、金持ちだからといって、グーグル検索が使いやすくなるわけでもありませんよね。

また、SNSが発達して自分の意見が簡単に発信できるようになってからは、LGBT問題やパワハラ、セクハラなど、多くの人達が今までスルーしていた問題なども、大きな問題として取り上げられるようになりました。
このハラスメント問題は、どこからがハラスメントなのかと言った議論もありますが、根本的な考え方としてあるのが、『相手の嫌がることはしない』ということですよね。
相手がどう思っているのかを想像するというのは、相手を自分自身と同様に考えるということで、共感性を高めていこうという問題です。

境界のない世界 中央集権から分散型社会へ

共感性を高めて、自分と他人とを同一視して考え、互いに不快な思いをしないようにすることで、世界を正しい方向に持っていこうという思想は、ヒッピーの根本思想と同じですよね。
その他にも、仮想通貨や暗号通貨と言ったものも登場しましたよね。
通貨というのは、今までは中央銀行の政策に基づいて、流通量などが決められていた、中央集権的なものでしたが、それとは違った分散型のシステムが生み出したのが、仮想通貨ですよね。

これらを見ても分かる通り、一度は消費社会に取り込まれて死んだはずのヒッピーの思想ですが、根本的な考え方というのは、形を変えた状態で今も残っていたりするんですよ。

理想社会と資本主義のイタチごっこ

とはいっても当然のことですが、今のネット社会もヒッピーの時と同様に、徐々に資本主義に侵食されていっています。
ブームが起こると、それを食い物にして儲けようと思うのは、資本家にとっては持って生まれた性のようなものでしょうから、この流れが止まることもないでしょうし、新たなブームが起これば、それも食い物にされていくのでしょう。

先程、例を挙げたgoogle検索の例でいうと、使うのは誰でも無料で行うことが出来ますが、資本主義の原動力となる欲望によって、そのサービスはドンドン使いにくい状態になっていってますよね。
検索上位に登ることが、アクセス数の増加にそのまま直結しますし、アクセス数が増えれば増える程、モノやサービス、アフェリエイトなどの広告収入の売上にも影響してきます。
その結果、人々は『どうやったら検索上位に上がれるのか』といったパターンを研究することに注力するようになっていって、本来しなければならないはずのコンテンツの質は『おざなり』になってしまっています。

結果として検索上位には、情報元が全く同じの『まとめサイト』の様なものしか上がってこない状況になってしまって、
今までは分からないことがあったら自分でgoogleで検索しようという風潮だったのが、今では検索してもロクな記事が上がってこないので、分からない事は知っている人に聞いたり本を読む方が良くなっていたりします。
ただ、この様に、資本主義によって形が変えられて、それが新たなメインカルチャーになったとしても、そのメインカルチャーに対して異論を唱える人というのが登場してきて、価値観というのは徐々に変化していくのでしょう。

カウンターカルチャーというのは、その性質上、メインカルチャーが無いと成り立たないものですからね。

という事で、長く続いてきたヒッピー回ですが、今回で終了とさせていただきます。
たった10年の間に、元の主張がドンドン変化していく様子が分かっていただけたのではないでしょうか。
10年間で全く違ったものにまで変化するわけですから、言い出しっぺの人が亡くなって数百年も経った主張が180度変わってたとしても、不思議な事ではありませんよね。

次回からですが、もう一度古代ギリシャに戻って、勉強し直していこうと思います。
kimniy8.hatenablog.com

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第37回 ヒッピーからの遺産 (前編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
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前回はこちら
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前回から、ヒッピー回のまとめを行っていますが、今回はその続きとなります。

ヒッピーとイッピーの違い

前回のエピソードでは、カウンターカルチャーの中での考え方の違いを中心に語っていきました。

一つは、このムーブメントの火付け役になったティモシー・リアリーを中心とする人々で、自分達の考え方を変える事で、世界の捉え方を変えようとした人達です。
もう一つは、盛り上がるヒッピームーブメントに便乗する形で参加してきた人達で、この人達の主張は、みんなが持つ価値観その物を、運動によって変えていこうという人達です。

両者の決定的な違いとしては、リアリー達が自分の価値観を変えることで世の中の受け止め方を変えたのに対し、イッピーやそれを生み出した新左翼と呼ばれる人達は、他人の価値観を塗り替える事で、世の中を変えようとしたという違いがあります。

リアリー達は、幻覚剤による神秘体験によって、世界と自分との境界線を曖昧にすることで、他人の事を自分のように考えることを目指しました。
そして、皆がその様な行動を取ることで、国や法といった境界線を明確にするシステムを無いことにしようとしました。
その為に、リアリーは望むもの全てにLSDを与え、神秘体験を行うのに必要な手順を探るために研究に没頭しましたし、この意見に共感したティム・スカリーは、世界中の人間に配布しようと、大量のLSDを製造しました。

その一方で、ヒューマン・ビーイン後に生まれたイッピー達は、世の中にある問題を取り上げて、それに対してデモなどで騒ぐ事で問題を大きくして社会問題化して、それを解決させていくという手法を取ります。
社会問題化する為には、注目を集めないといけません。そして注目を集めるためには、大胆で過激な事が不可欠です。
イッピー達はテレビで取り上げられるように、派手で極端なパフォーマンスを行い、とにかく目立つ事を心がけます。そして、その活動をTVを通して観た人達が感化されて運動に参加することで、運動は更に大きくなって目立つようになり、社会問題化しやすくなります。

世間一般ではイッピー達の取る行動こそがヒッピー的な行動と思われる方も多いとは思いますが、それは、マスコミやデモなどの目立つ行動を積極的に利用した結果なんでしょうね。

境界線をなくすヒッピーの主張

リアリー達とイッピー達。 この2つのアプローチ方法ですが、これはどちらが正しいのかはわかりません。
というのも、リアリー達が目指した理想的な社会を実現する為には、世界と自分とが一体となる経験をした人間が大量に必要となります。
自分と世界とが一体となる経験をした人間は、世界にとって害をなす行動を取りませんし、他人にとって不愉快な事も行いません。

リアリー達の理想が現実化すれば、国といった枠組みも必要なくなり、人間を縛る法律もいらなくなります。
何故なら、法とは、他人に対して害を与えようとする人間がいるから必要なわけで、そんな人間がいないのであれば、法律も必要なくなります。
法律が必要なくなって国という概念がなくなれば、国籍という線引もなくなりますし、いずれは人種という線引も無くなっていくことでしょう。

この様な世界が実現すれば、不愉快に思う人間がこの世から居なくなるという事になり、それが実現すれば本当の意味での平和が実現しますが…
実際問題として、それが可能なのかというと、難しいとかハードルが高いといったレベルの話ではなく、限りなく無理に近い夢物語ともいえますよね。

価値観を押し付けるイッピーの主張

では、イッピー達のように、これまでの価値観を別の価値観で塗り替える。つまり、自分が良いと思っている価値観で他の人間の価値観を塗り替える方が良いのかというと、それも疑問が残ります。
解りやすく、食べ物の例で考えてみましょうか。
ある国では、豚肉は食べてはダメだという決まりがある為、豚肉が食べれません。また他の国では、豚肉は食べれるけれども牛肉を禁止しているという国もあるでしょう。
豚肉も牛肉も食べるけれども、他の国がクジラを食べる行為に対して怒りを覚える国もあります。

特に食べ物に規制はないけれども、動物を殺して食べるのは野蛮だという思いから、ベジタリアンに転向する人もいますし、動物を殺すのはもちろん、労働させてもダメだと考える人は、ビーガンになったりもします。
イッピー達の考えは、自分たちの価値観を相手にも押し付けるという行為なので、世界をより良くしようと考える場合は、押し付ける価値観は良い価値観でなければなりませんが、この場合、客観的に観てどの価値観が良い価値観なのかが分かりませんよね。
どの様な価値観が良い価値観なのかが分からない状態で、自分の価値観を他人に押し付け合うと、当然ですが、意見の衝突が起こります。

意見の衝突が単なる言い争い程度で終わるのなら良いのですが、そこで終わらなければ、争いに発展します。
過去に起こった戦争も、元を辿れば、価値観の違う者同士が自分の価値観を相手に押し付け合うことで起こっていますよね。それは、宗教的な価値観なのかも知れないですし、共産主義や資本主義といった思想の違い。
いろんな価値観のズレが徐々に発展して、大きな戦争に拡大していっています。

格好良く真似したくなる価値観の創造

当時、運動に参加していた人達も、当然、この様な流れを分かっていたのでしょう、イッピー達は当初、様々な問題を社会問題として取り上げつつ、一方で、ラブ&ピースや非暴力を常に訴え続けてきました。
そして、アートやライフスタイルの提案などを行い、既存の価値観に比べて新しい価値観の方が格好が良いという風潮を創り出し、争いではなく、自らが価値観の塗替えを行うように持っていきました。
今までの文化に対して新しい文化をぶつける、カウンターカルチャーと呼ばれる手法ですね。

運動参加者増による質の低下

ただ、この動きも長くは続きません。
イッピー達は、社会から問題を見つけ出して、その問題を運動を通して社会問題化する為に、大量の人間を必要としました。
マスコミに取り上げられる為に、そして大規模なデモなどの運動に参加する人達を集めるために、なりふり構わずに、とにかく目立つという方法を実行した結果、運動の意味を理解していない人達が大量に集まり始めます。

単純に、働かずにドラッグだけやってたい人達や、反体制運動という名のもとに爆破テロなどの過激な行動を取る人間が出現し、ヒッピー達の印象はドンドンと悪くなっていきます。
この様な人達が、ヒッピーの聖地であるヘイト・アシュベリー地区に雪崩込み、元々いたヒッピー達は追い出されるように、他の場所にあるヒッピーコミューンへと退避していく事になります。
そして、当初の理念を知らない『ならず者』達に占拠されたヘイト・アシュベリー地区は、資本主義の波に呑み込まれて行くことになります。

資本主義に呑み込まれる聖地 ヒッピーの死

街には、『ヒッピー』と称される人達を見物する為の観光客で溢れ、ヒッピーっぽい商品がお土産物として販売され始めます。
また、街に住むジャンキー達を顧客としたドラッグ販売を手がけるマフィアも入り込み、ヘイト・アシュベリー地区は金を稼ぎ出す為の道具になり果ててしまいます。
目指すべき理想も、貫く信念もなくなり、ヘイト・アシュベリー地区は、欲望を満たすだけの街へと変貌していく事になります。
ヒッピーという名称は価値のない無意味なものとなってしまい、その現状に耐えられなくなったディガーズは、ヒッピーの死を決定的にする為に、葬儀を行います。

自分の主観を相手に伝えることは出来ない

ここまでの流れを見て分かる事は、自分が伝えていることを本当の意味で理解してくれる人間というのは、殆ど居ないということです。
多くの人間が、物事を自分たちにとって都合の良いように捉えます。 そこにある事実の一部分だけを観たいように観て、聴きたいように聴き、自分の意見を、より強化していきます。
これは皆さんも、ネット検索などをする際に、簡単に実感することが出来ると思います。

なにか自分の価値観と違った意見を聴いて、世間一般の考えを知ろうと検索した際に、出てきた検索結果が自分の意見や考えと違った場合
他の言葉で検索をかけて、自分の考えと似た意見が検索結果に出るまで検索し続けるというのは、結構な割合の人間がやったことがあると思います。
それと同じで、多くの人が、その場の物事や情報を、ありのままに受け入れようとせずに、自分自身の目というフィルターを通して物事を受け止めるので、『反体制運動』や『前提を覆す』『ドロップアウトさえすれば良い』というヒッピー達の言葉は、それぞれの立場の人間に都合の良いように解釈されます。

思想も宗教も正しく伝わらない

そして、これは当然の事ですが、人を介せば介すほどに思想の根本的な部分は曲解されて、ズレた状態で理解されて伝わっていくことになります。
ヒッピーの運動というのは、1960年~70年にかけての約10年程の間に生まれて収束していったムーブメントで、ムーブメントの起点となったティモシー・リアリーは1996年まで存命だったわけですが…これは、宗教で言うなら教祖が存命の間に教義が変わっていっているようなものですよね。
何故こうなってしまったのかは、経緯を見ていただくと分かると思いますが、意見が曲解される度に、その運動に携わる人達が増えていっている状態なので、本質を理解している人間は少数派になってしまい、その人間が何をいったところで、聞く耳を持たれないからです。

そして、この構造自体は、他の思想であったり宗教の教義、政治や国の運営などでも同じだったりします。
前の回で取り扱った仏教も、開祖と言われているブッダが主張したインド哲学からは大きくズレてしまって、ブッダが主張した『無』という概念は徐々に薄れていき、日本に渡った大乗仏教においては、その人物の生き方によって、死んだ後に地獄や極楽に振り分けられるという話に変わっています。
ブッダの主張というのは、死んだ後に意識が続くというのは否定していますし、輪廻転生といった生まれ変わりも否定しています。 死ぬと無になるわけで、更にいえば、私達が生きている世界そのものも『無』で有ることを主張していましたが…
その主張は語り継がれる度に変化していき、最終的には全く違ったものへと変化していってしまっています。

キリスト教なども同じで、元々のキリスト教の主張は隣人愛であったり博愛ですよね。それが、語り継がれる度に変化していき、キリスト教の世界観に余計な肉付けがされていき、最終的には、異教徒を殺すという名目で戦争の道具にまでなってしまいました。
これらと同じ様に、ヒッピーも、元々の主張の根本部分というのは、共感性を高めることによって、他人などの自分を取り囲む環境を自分の事の様に捉えて、自分がされて嫌な事は周りに対して行わないというものでした。
それが最終的には、自分たちの主張を通すために、反対勢力にたいして爆破テロを仕掛けるというところまで変化してしまいました。

【漫画 ネタバレ感想・考察】 かんかん橋をわたって

今回は、私が愛聴しているネットラジオ『BS@もてもてラジ袋』
moteradi.com
にて紹介されていた、『かんかん橋をわたって』を読んだ感想などを書いていきます。

ネタバレ全開で書いていきますので、まだ読まれていない方は、注意をしてください。
今現在(2018年9月)、Amazon Unlimitedにて、全巻読むことが可能です。

嫁姑ランキング

『かんかん橋』と呼ばれる、隣町とを結ぶ橋を渡って、川南に住む主人公の萌が川東に、嫁いできます。
この物語は、それから1年経ったところから始まります。

良い家族に恵まれて、何不自由ない暮らしをしていると思いこんでいた、主人公の萌。
ですが、生活の端々で、少し変だなと想う出来事が続きます。 自分が炊いたご飯は、水の量をしっかりと測っているにも関わらず、何故か固い。
自分の部屋の導線上に、濡れタオルが干してある… 些細なことですが、そういった事が積み重なって、生活の中に違和感を感じるようになっていく。

そんな日々が続く中、町内の人々から、自分の姑が『川東一のおこんじょう』だということが知らされる。『おこんじょう』とは、意地悪とかそういった意味合いで、今までに萌が感じてきた生活の中の違和感は、姑による意地悪だと気付かされる。
それが判明したぐらいの時期から、姑の嫁イジメが加速し始める。 そんな状態に、身も心も衰弱していく萌だが、その前に表れたのが、権藤木さやか という人物。
権藤木は萌に向かって、『あなたは、嫁姑ランキング4位よ!』と言い放つ。

この川東には、萌と同じ様に嫁姑問題に苦しんでいる人間が多く、その中でも上位10人には順位付けが行われている事を知らされる。
そして、『川東一のおこんじょう』と呼ばれる人間を義母に持つ自分が、1位ではなく4位だと知らされるところから、物語は始まります。

この最初の出だしを読んだ私の素直な印象は、『嫁姑問題を取り扱った作品なんだな…』といったものでした。
姑がどんな嫌がらせをしていくのか。そして、嫁は、それに対してどのように耐えるのか、仕返すのかといった内容が続くのかなと思いましたが、中盤、そして後半まで読み進めるに連れて、自分の認識の甘さを思い知らされる事になるとは、この頃は思いもよりませんでした。

団結していく嫁グループと姑グループ

序盤の大半は、姑である不二子が、嫁に対して微妙な嫌がらせを行うというのがメインになります。
この頃の萌は精神的には強くなく、情報通の権藤木を頼って他のランカーが達に会いに行き、嫁同士のネットワークを築いていき、不幸を皆で共有していく事で、団結力を強めていきます。
その一方で姑の方も、『山背のまむし』と呼ばれるようなアクの強い方々が団結していく… というより、萌の義母である不二子に心酔し、その配下へと加わっていく感じとなります。

ココら辺りまで読み進めて、少し、違和感が出てきます。
というのも、不二子という人物は、街一番の意地悪な人間なのに、何故か、カリスマ性を持っていて、みんなを引きつける魅力を持っているからです。
街中の人間が意地悪な人間と噂しているわけですから、みんなから嫌われていて当然なのですが、皆が一目を置いている…

不二子の人心掌握術

この、不思議な魅力を持つ不二子ですが、何故、ここまで魅力的なキャラクターなのかが、この物語の中盤以降、萌の変化によって描かれます。
萌は、嫁同士のネットワークを築いていく中で、自分たち高位ランカー達が、嫁たちから尊敬されている事に気が付き、その立場を利用して、川東の嫁たちの相談役になり、様々な嫁姑問題を解決していきます。
その解決の仕方が、単純な善意、つまり、『皆で仲良くしましょう!』といった感じの解決方法ではないんです。

例えば、嫁が作った料理を姑が食べずに、そのまま三角コーナーに目立つように捨てるという行為を行うことで、嫁が精神的なショックを受けるという相談を受けるのですが、その解決方法は、旦那を共通の敵に仕立て上げる事だったりします。
姑が三角コーナーに嫁が作った料理を捨てていたのは、息子が嫁が作った料理に対してだけ、『美味しいよ!』と賛辞を送っていたことに対する嫉妬でした。
しかし萌は、その褒め言葉が旦那の本心ではない事を見抜き、敢えて、嫁姑問題こじれる形での解決方法を提案します。 その方法が、リサイクル料理。
ハンバーグを作って捨てられた翌日に、パスタのミートソースを作る。貝のおすましを捨てられた翌日に、貝の炊き込みご飯を作るなど、三角コーナーの料理をリサイクルしている風を装った献立にする事で、嫁に姑を攻撃させます。
その攻撃に参った姑は、炎天下の元、自宅の物置に立てこもります。 それを確認した上で、萌はこの家族の旦那に連絡し、現場に来させて『何故、奥さんの作った料理だけ褒めるんですか?』と質問します。それに対して旦那は、『それは、嫁がいちいち聴いてくるからだよ。』と、本音をぶちまけます。
それを聴いた嫁は、姑に同情。 毎日、献立を考えてご飯を作ることがどれだけ大変かを旦那に訴え、共通の敵とすることで、嫁姑問題を解決させます。

その解決の手腕に、多くの人が、萌の背後に不二子の存在を感じてしまいます。
そう、効果的な意地悪とは、相手が何を最も嫌だと思っているのか、自分がどんな情報を与えれば、相手がどんな反応を起こすのかというのを知り尽くしていないとできない事。
つまり、『川東一のおこんじょう』は、川東の中で誰よりも人の心理を知り尽くし、最も効果的な手を打つことが出来る策士だったという事が分かってきます。
不二子は、長年に渡る観察によって、街中の人の心理を知り尽くし、自分が街中の人から嫌われないギリギリのラインで行動をし続けることで、『川東一のおこんじょう』と噂されながらも、不思議なカリスマ性を帯びる人物へとなっていったんです。

この辺りまで読み進めると、この物語が単純な嫁姑問題だと思っていた自分が恥ずかしく思ってしまう程、打ちのめされた感じになり、同時に、ページをめくる手が止まらなくなりました。

千尋の谷

不二子が、街中の人間を観察し、行動パターンや思考パターンに至るまで解析してまで、何故、意地悪なんて事をしているのか。 単なる趣味なのか。
それは、萌が嫁ネットワークを築き、相談役になった辺りで放たれた一言で、その片鱗がわかります。
『萌さん。 人を自分の思い通りに動かすのは楽しいでしょ?』

人の世話をやくのも意地悪をするのも紙一重で、それを効果的に行うためには、人の行動バターンの解析と、心理の解析が欠かせません。
不二子は、嫁の萌が人を疑うことを知らず、無垢な存在でいる事に対して不満を持っていました。その為、意地悪とギリギリできすくか気づかないかの嫌がらせを行い続け、萌に人の行動を疑う気持ちを植え付けました。
『おこんじょうの目』と呼ばれる、第一印象で物事を決めずに、真実を見抜く目をもたせる為、嫁を千尋の谷に突き落とし続けていたんです。

何故、そんな事をするのか。 それは、不二子の宿敵とも呼べる、この街を牛耳る『真の悪』が存在していたからです。
不二子は、自分自身でその悪と対峙するつもりだったのでしょうが、僅かな希望を嫁である萌に見出し、来るべき宿敵との対決の為に、鍛えていたんです。
とはいっても不二子のことなので、萌のことも完全には信用していなかったのでしょう。 あわよくば、戦力になってくれれば良いなという程度の期待でしか無かったんだと思います。

無垢な気持ちや信じる心は駄目なものなのか

ここで、『人を無垢な心で信じる事が悪いのか』と疑問を持つ人もおられるかもしれませんが… そうなんです。悪いことで駄目なことなんです。
私達は、小さな頃からの教育のせいか、無垢である事や無条件で信頼する事に、一種の美しさのようなものを感じてしまいますが、そういった行動は、一種の思考停止、無視と同じで、美しいことでも何でもない事なんです。
物事に対して真摯に向き合うという事は、眼の前にあることを徹底的に疑い、吟味し、本当に信用できると思ったものだけを、自分の判断で受け入れる事です。

これは、少し考えてみれば分かります。人の言う事を吟味もせずに、すんなり信じる人というのは、それが間違っていたり、騙されていたことが分かると、その原因を外部に求めます。
『貴方が言ったから信用したのに!!』 これは、相手の言う事に真摯に向き合っているのではなく、何かあった時には『他人のせいにすれば良い』という不誠実な態度であって、誠実に向き合おうとした場合は、自分が納得できるまで疑って吟味すべきなんです。
そして、自分自身の判断で、信じる信じないを決めるべきなんです。

相手の事を疑う。 その為に、相手の表情などの情報は、どこまでも細かく読み取る。
その事を、『おこんじょう』という行動を通して、嫁に教え続けていたのが、不二子だったんです。

読み終えた感想

この漫画、最初は、嫁アベンジャーズが、不二子率いる姑ヴィラン連合と総力戦を行う漫画?と思いきや、そんな底が浅い話ではありませんでした。
人というのは、見る観点や置かれている環境によって変わる。一番わかり易いのが、不二子に対する印象でしょう。
不二子が取る行動は、一貫して変わりませんが、序盤ではあれだけ嫌な奴だった不二子が、終盤では最も頼りになる人物に写ったりもします。

これは、姑軍団全ての置いて言える事です。
人は、社会性を持つ動物なので、自分にコミュニティに対して貢献できるものがなにもないと思いこんでいれば、卑屈な態度になりますし、卑屈になって皆から無視されれば、『私はここにいるよ!』と知らしめるために、迷惑行為に走ったりします。
しかし、コミュニティの中に『居場所』があれば、人は本来持っている優しさなどのプラス面を発揮できます。

ですが、第一印象だけで相手を決めつけて、その印象に引きずられてしまうと、人が持つ他の面を見ることができない。
では、どうすれば見ることが出来るのかというと、先入観を捨てること。 入ってくる情報を全て疑い、納得するまで吟味する『おこんじょうの目』が重要になってくるんですよね。

ネタバレ感想ということで、結構な部分まで書きましたが、本当のクライマックスを書くのは控えようと思うので、もし気になった方は、読んでみてください。
読み終えた感想としては、久しぶりに、良くまとまった、良い物語を読んだ気がします。 最後は涙なしでは読むことができませんでした。

経済指標は好景気 でも、それを実感できないのは何故だろう?

私は、家族で小さな工場を営んでいるのですが、ここ3年ぐらいの売上の落ち込みが、かなり酷い状態です。
でも世間では、安倍首相のアベノミクスのお蔭で、バブル期を超える景気回復で、企業の業績の伸びも凄まじい!!なんて言われていたりします。
『そんなに、世間では景気が良いの? うちの工場が廃業寸前なのは、単に、自分の経営能力がないだけ?』なんて思っていましたが…

先日、目にしたTBSによる世論調査によると、好景気の実感が有る人は11%に過ぎず、実感が無い方が84%になっているようです。
news.tbs.co.jp
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まぁ、そうですよね。
私が商品を納めている得意先の売上も下がっているから、ウチの工場の売上も下がってるわけですしね。
でも、指数だけ読み取ると、今の日本の景気は良いようです。何でこんな事になっているのか。この事について、今回は考えていきます。

給料の中央値は下がっている

テレビなどでは『アベノミクスのお蔭で好景気になり、仕事はあるけれども人が足りない、人手不足状態になって嬉しい悲鳴!』的な意見を聞くこともあります。
企業業績も右肩上がりで、バブル期を超える収益をはじき出しているなんて話も聞きます。

この資料によると
toukeidata.com
確かに、給料の平均値だけを見ると、2016年はバブル絶頂期の1990年と並ぶ程に回復しており、バブルの再来といっても良いのかもしれません。
しかし、中央値の方はどうなのかというと、回復しきれていないんです。

ここで、平均値と中央値の違いを説明します。 平均値というのは、データを全て足し合わせて、その数で割ったものが平均値です。
例えば、100人の平均年収を計算する場合は、100人の収入の合計値を100で割ったものが平均年収となります。
では、中央値とは何なのかというと、100人の人間を、年収の少ない者から多い者へと順番に並べていき、丁度、真ん中の人の年収を中央値とします。

この両者の場合、どちらが優れているのかというと、平均年収のような値の場合は、中央値の方が優れているんです。
『何故? 平均年収の方が数字として信頼できそうじゃない?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、平均値というのは、案外、信用出来ないんです。

これは例えば、99人の人間の年収が50万円で、残りの1人の年収が5000兆円のケースで考えてみると、分かりやすいかもしれません。
この場合、一人あたりの平均年収は約50兆円になるわけですが、99人の実際の年収は50万円です。
平均値というのは、たった一人の超大金持ちや、極貧の人が計算に加わるだけで、数値に大きな影響を与えてしまうんです。

つまり、中央値の上昇率が低い一方で、平均値の伸びが良いという事は、多くの人の給料が下がったままで、一分の人間の給料が上がっているという事になります。

どこにシワ寄せがいっているのか

これは、単純に労働者にシワ寄せがいっているんだと思いますよ。
読売新聞の記事によりますと、企業の内部留保は6年連続で上昇中で、17年度末の内部留保(金融・保険業を除く)は、446兆4844億円!前年度末より40兆円以上も増えたそうです。
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20180903-OYT1T50082.html?from=twwww.yomiuri.co.jp

40兆も増えたんだから、従業員にも相当、還元されているんだろうと思うかもしれませんが、先程の給料の中央値を観ても分かりますが、多くの従業員が手にしている給料は上がってないんですよ…
平均値が上昇しているわけですから、内部留保を溜め込めるような会社の幹部の給料は、上がっているのかもしれません。
しかし、こういう会社から受注をされて、現場で働いている人の給料は、上昇していない。 下手をすれば下がってたりするんです。

つまり、労働者から搾取して、企業がお金を溜め込んでいるという形。
収益の再分配が上手く行われていない事で、好景気を実感している人の数が極端に低い状態なんでしょう。
別のニュースでも、内部留保が積み上がる一方で、労働分配率は下がっていると記事にされていました。
https://www.excite.co.jp/News/world_g/20180904/Reuters_newsml_KCN1LK04M.htmlwww.excite.co.jp

労働分配率とは

労働分配率とは、wikiによると、『企業において生産された付加価値全体のうちの、どれだけが労働者に還元されているかを示す割合。これは「人件費/付加価値」で算出された%で表す。』とのこと。
付加価値とは、企業が新たに生んだ価値の事です。簡単に説明すると、例えば、部品A+部品Bで商品Cを作って売った場合、売って得たお金が売上で、売上から、部品の購入費用などを引いたものが、新たに創造された価値という事。
この、新しく生み出された価値が利益となるわけですが、その利益を生み出すためには、従業員の労働が必須です。 その従業員に対して、どれだけ利益を分配しているのかというのが、労働分配率という事ですね。

内部留保が上昇する一方で、労働分配率が下がっているという事は、言い換えれば、利益が増えたにも関わらず、その上昇分は労働者に還元されていないという事。
企業で働く社員が、同じ労働時間しか働いていないのに、何故か理由はわからないが、企業の業績が上がったというなら、原因不明の利益上昇分を溜め込んでおくというのも、少しは理解できるのですが…

しかし、実際には違いますよね。
ネット通販の広がりで大忙しの運送業ですが、昔は、仕事はキツイが、頑張って5年勤めれば、何らかの事業が起業できる程のまとまった金が稼げる事で有名でしたが、今は、ドライバーに支払われる荷物1つあたりの報酬が段階的に引き下げられて、ドライバーは身を粉にして働いているのに、生活するのがやっとという給料しか貰えない状態になっているようです。
その一方で、大手運送会社の本社で働く人達は、現場に出ることもなく、ホワイトな環境で働いて、平均給料が800万オーバー。 役員に至っては4000万オーバーの年収をもらってたりする。

これは、過去に私が書いた記事でバズったものがありますので、よければそちらに目を通してください。
kimniy8.hatenablog.com

運送業だけでなく、建設業でも現場監督が過労死するなんて話も聞きますよね。

まとめ

これまでに出てきた情報を書き出してみると
・給料の中央値の上昇率はイマイチ。
内部留保が上昇する一方で、労働分配率が下がっている。
・給料自体はバブル期頃の水準まで回復している。

これをまとめると、現場に近いところで働いている人達の職場環境は悪化。 つまり、労働時間が伸びる一方で、手取り給料が増えていない、もしくは減っている人が多い。
しかし、大手会社の業績は悪いわけではないので、本社努めや管理職の人たちの給料は伸びている。 が、これらの人は人口自体がかなり少ない。
ネットで上級市民と言われている人達に、企業業績の上昇分を分配し、余った分は、内部留保として積み上げる。

言い方を買えると、上級市民が一般大衆から搾取している構造になってしまっているので、この様な状況で『景気が回復している!』と実感する市民はいないという事でしょう。
それに加えて、消費税増税などで可処分所得が下がっていたり、売られている食品が小さくなっていたりと、普通に生活するだけで厳しい状態になっている。
また、年金支払額の増加、年金支払開始日の先送りの可能性や、給付額そのものの減額などの将来不安が上乗せされれば、楽観的になれる方が、どうかしてるじゃ… と、思ってしまいますよね。

この様な現状だと、『好景気の実感がない』とする人が大多数の世論調査結果になってしまうのも、仕方がないような気もします。

【ゲーム ネタバレ感想・考察】 メタルスラッグ 3 (完結編)

この投稿は、前回からの続きとなっております。
前回をまだお読みでない方は、先ず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

相棒 救出作戦

強大な敵を倒し、更に進んでいくと、宇宙船の内部構造が変わっている。
今までは、科学技術が進んだ感じが全面に出ていたのに対し、バイオテクノロジーが進んだ感じの、おぞましい内装へと変化。
恐る恐る進んでいくと、色が変色した、相棒のFioが登場し、こちらに向かって攻撃を仕掛けてくる! 洗脳? だが、変色したFioは何体も何体も、ワラワラと湧いて出てくる。
どうやら敵は、たった独りで部隊を壊滅できる程の実力を持ったFioをさらって、クローンを大量生産している様子。

高度に進んだ、バイオテクノロジー… そういえば、ファースト・ミッションでは、巨大化したカニやら、凶暴化した魚が相手だったことを思い出します。
この宇宙人は、野心を持つモーデンに技術提供をするという名目で近づいて、地球のデータをとっていたのでしょう。
そして、ある程度データが揃ったところでモーデンを裏切り、ついでにFioを拐ったのでしょう。 モーデンのカリスマ性や頭脳、そして、Fioの戦闘能力を解析できれば、もう地球に用は無いといった感じでしょうか。

Fioのクローンが出現したということは、Fioは何らかの人体実験を受けている可能性がある…
という事で、急いでFioの元に向かおうとするが、それを阻止するように大量の敵が湧いて出てくる。 しかし、そこにさっそうと登場する、モーデンの右腕!
モーデンは既に救出されたはずなのに、Fioの為に協力してくれるなんて… もしかして、モーデンが良いヤツで、クーデターを起こされた世界の方が、悪いやつなんじゃないか?とすら思わせてくれる演出に、少し泣きそうになる。

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そしてついに、Fio発見!
拐われた時に、船の内部構造を把握していたのか、Fioは開放されると同時に、行くべき方向を指し示してくれる。 流石、最強の戦士。

最終決戦

Fioを救出したことで、今までのクローンの肉体はドンドンと崩れていく。 どうやら、常にFioからの生体データを取っていなければ、クローンはその体を維持できない様子。
ただ、多くのクローンが崩れていく中、数体がギリギリで体を維持しながら向かってくる… この姿は… セカンドミッションで登場した、ゾンビ!
まさか、ここでセカンドミッションの伏線が回収されるとは! 
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ゾンビ化したFioは、命中すればヘリすら一撃で鎮めることが出来る『吐血攻撃』を連発してくる!
プレイヤーが使っている時は、画面半分をカバーする超使い勝手の良い攻撃手段だったが、まさか、それを複数体で連打されるとは…
さすが最終ステージ、単なるザコ敵のはずなのに、攻撃が凶悪すぎる!

そのゾンビの集団をなんとかやり過ごし、ようやく、最後の扉まで到着。
こっちが必死で、コンティニューを繰り返しながらゾンビアタックをして、なんとかここまで到達したというのに、Fioは涼しい顔をして既に到着している。
最強の戦士、半端ないっス。

何処から用意したのかわからない『メタルスラッグ』に乗り込むように指示され、乗り込むと、Fioがコンソールを操作して、扉を開ける。
え? Fioさん、生身で投げ出されているんですけれども??

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メタルスラッグは、高性能とはいえ、単なる戦車。 空を飛ぶ機能なんて付いていない。
このまま、地面に落下して死ぬのか?と思いきや、敵の親玉がここに来て登場! メタルスラッグをキャッチして、こちらに攻撃を仕掛けてくる。
脳みそが丸出しで、如何にも狙ってくださいと言わんばかりの脳みそを撃ちまくっていると、生身で外に投げ出されたFioさんが、落下中に敵のUFOを奪取してるじゃありませんか!
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あの状況で、敵からUFOを奪うって、化物ですね…
2人でなんとか協力し、撃破!

メタルスラッグには、浮き輪が搭載されているらしく、水につけるとボートの様に浮かぶ機能がついていたらしく、Fioさんの計算通り、メタルスラッグは海に落下し、2人は無事生還。
ついでに、モーデン達も脱出。
あそこまでの共同戦線をはって、いまさらモーデンを倒しに行く気にも慣れず、無限の弾を打ち出せるリボルバーをそっと海に投げ入れるEri

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よぅ出来た… よぅ出来た話ですね。
このゲームには、セリフが一切なく、キャラクターたちはジェスチャーのみでプレイヤーに語りかけてくる為、ここで書いたストーリーは、私が勝手に読み取ったストーリーに過ぎませんが、ドット絵だけでここまでのストーリーが描けるって、本当に凄いです。

クリアーまでに行ったコンテニュー数は33回!
1クレジット50円と考えても、250円は安すぎましたね。 セールをしてない状態の1000円でも安いぐらいです。
これを観て興味を持たれた方は、プレイしてみては如何でしょうか。

【ゲーム ネタバレ感想・考察】 メタルスラッグ 3 (中編)

この投稿は、前回からの続きとなっております。
前回をまだお読みでない方は、先ず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

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恥ずかしながら帰ってきました? 謎の日本兵出現

敵の基地と思わしき場所に向かうも、モーデンの姿も側近の姿もない。。 情報が漏れていたのか、既に基地からは逃げていたようなので、仕方なく追いかける。
徒歩で砂漠を歩くのは自殺行為なので、ラクダに乗って、砂漠地帯を一気に駆け抜ける。 しかし、追撃を阻止する部隊が必死になって、それを阻止する。
ヘリや戦車なども多数出動し、これでは駄目だという事で屋内に。丁度、敵も『何か』から逃れるように建物から逃げてるし。 それにしても、怪しげな『種』が風に待っているが、あれは一体何なんだろう。
そういえば、背景にはアステカのピラミッドらしきものも… セカンドミッションで表れた宇宙人といい、何か、超常的な力の存在を感じてしまう…
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ヘリや戦車を相手にラクダでは太刀打ち出来ないので、取り敢えず屋内に入る。 建物には地下があり、道がつながっている様なので、ヘリに集中砲火されながら進むよりは、このまま地下を進むほうが得策だろうと、地下の道を進んでいくが、それにしても薄気味悪い。
そう思いながら進んでいくと、先程から宙を舞っていた種が発芽し、食人植物となって襲ってくる。 先程、この建物から敵の兵士達が逃げてきたのは、コイツラのせいか!!
それにしても、巨大生物や宇宙人。そして今度は食人植物。 一体、何が起こっているんだろう?
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その街化を進むと、偶然にも、更に地下に進める道を発見。 エントリー部分には、日本語で『入口』と書いてある。 日本語??
中に入ると、和風っぽい建物が立っていて、その奥には、時代に取り残されたような日本兵が!
ろくに服も着ずに、日本刀を上端に構えて突進してくる様には、狂気を感じる。。 こんなのに近寄られたくないので、遠距離から射撃で対抗すると、死に際にダイナマイトで爆死…
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出てくる戦車や飛行機も、燃料がないのか、人力で動いている。。
もしかして彼らは、戦争が終わったことを知らされず、未だ、第二次世界大戦を戦っている、取り残された部隊なのだろうか?
最後は、これまたよくわからない超常的な兵器が登場し、こちらに襲ってくる。 これは、取り残された日本兵が崇めていた神なのだろうか?

決着!?

よくわからない日本人集落を抜け、密かに隠しておいた飛行機に乗り込む。
無理を押して行ったショートカットのおかげか、敵の主力部隊に追いついたようだ。 それにしてもこのゲーム、乗り物の操作が非常に辛い…
銃が固定方向ではなく、レバーを入れた方向に機関銃が向く為、なかなか敵を狙い撃ちにすることが出来ない上に、無駄にデカイい為に当たり判定もデカく、直ぐに期待を爆破されてしまう…

機体が爆破された後は、ジェットエンジンを直接背中に背負って敵を追撃。 こんな装備で、主人公単独で部隊を壊滅させられるって、何度考えても凄すぎ。
しばらくすると、敵の右腕っぽい人が攻撃を仕掛けてくる。 幹部ともなると、流石に手強い。 上半身裸なのに、無数の銃撃を受けても平気な辺りに、若干、恐怖を覚える。
しかし、どんなに手強くとも、こいつは幹部。ボスではない。 さっさと片付けて先に進むと、ようやく、宿敵モーデン登場!!

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ヘリに乗って、多彩な攻撃を仕掛けてくるが、ここまでの道のりを単独で乗り越えてきた主人公の敵ではない。
機関銃をぶっ放し、やっとの事で撃破! これで、ようやく家に帰れる…

…と思いきや まさかの展開に!!

宿敵モーデンを倒し、世界に仇なす者もいなくなり、主人公達のミッションも終わり。
ようやく、一息つけると思いきや、倒したはずのモーデンがおかしい… 様子を見守っていると!?

実は、今まで戦っていたモーデンは、宇宙人が変装した姿だった!! その事実には、敵の兵士も気づいていなかったらしく、驚いている様子。
では、本当のモーデンは?というと、既に宇宙人に捉えられていた! そして、最強の戦士である主人公も、宇宙からの来訪者によって捉えられてしまう!

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ここに来て、共通の敵が登場した為、『争っているときでは無い!』とばかりに、主人公たちに手を貸すモーデンの手下達!
仲間を追いかける為のロケットを借り、今まで戦ってきたライバルたちと共に、宇宙に旅立つ!!
正直、ここらへんの演出はベタなのかもしれませんが、個人的には大好きなんですよね。 まぁ、共通の敵が出てこないと手を結べないというのは、少し残念ですけれどもね。

宇宙大戦争

モーデンの部下の助けを借り、UFOや隕石をかいくぐり、ようやく母船に辿り着く。
ちなみにですが、ロケットに乗ったのはMarcoでしたが、母船にたどり着いているのはEriだったりします。 理由としては、仲間の独りが拐われた時に出てくるキャラクターは自分で選べず、勝手に決定されるからです。
私は何故か、操作キャラは女性にしたいという思いが強いので、死んでキャラ変更が出来るようになった直後に、Eriに変更しました。
拐われたキャラクターと似ていますが、拐われたのはメガネに帽子のFioで、今回の操作キャラはEriです。 よく観ると、頭につけているのが帽子ではなくバンダナなので、違いが分かると思います。
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というか、ドットでこの書き分けをするのって、凄いですよね…

モーデンの部下たちと共に母船に乗って、タコ型の宇宙人を殲滅しつつ、突き進んでいくと、拷問らしきものを受けているモーデンを発見!
宿敵でターゲットなので、本来なら、ここで殺しても良かったのかもしれないが、部下たちに助けられて、今現在ここにいるという状況で、そんな事もできるはずがない。
というか、強大な敵に拐われたのに、自らの命を顧みずに部下が助けに来るって、モーデンという人間のカリスマ性は凄いですね。

モーデンを救うと、瀕死の状態なのに、Eriに対して向かうべき方向を指し示す。 どうやら、真の敵、そして相棒のFioはそちらの方にいるようだ。。 モーデンを殺さなくてよかった。
そして、瀕死の状態でも手助けしてくれるようなやつだから、部下達も付いてくるのかもしれないと思いました。

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暫く進むと、『いかにも!』という感じの、物体なのか生命なのか、よくわからないモノを発見。
ちなみに、この『いかにも』な物体を見上げる姿は、このシーンにしか出てきません。 このシーンの為にドットを打つって、力の入り具合が凄いですね。。

(つづく)
kimniy8.hatenablog.com