だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿】第37回 ヒッピーからの遺産 (前編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com
前回から、ヒッピー回のまとめを行っていますが、今回はその続きとなります。

ヒッピーとイッピーの違い

前回のエピソードでは、カウンターカルチャーの中での考え方の違いを中心に語っていきました。

一つは、このムーブメントの火付け役になったティモシー・リアリーを中心とする人々で、自分達の考え方を変える事で、世界の捉え方を変えようとした人達です。
もう一つは、盛り上がるヒッピームーブメントに便乗する形で参加してきた人達で、この人達の主張は、みんなが持つ価値観その物を、運動によって変えていこうという人達です。

両者の決定的な違いとしては、リアリー達が自分の価値観を変えることで世の中の受け止め方を変えたのに対し、イッピーやそれを生み出した新左翼と呼ばれる人達は、他人の価値観を塗り替える事で、世の中を変えようとしたという違いがあります。

リアリー達は、幻覚剤による神秘体験によって、世界と自分との境界線を曖昧にすることで、他人の事を自分のように考えることを目指しました。
そして、皆がその様な行動を取ることで、国や法といった境界線を明確にするシステムを無いことにしようとしました。
その為に、リアリーは望むもの全てにLSDを与え、神秘体験を行うのに必要な手順を探るために研究に没頭しましたし、この意見に共感したティム・スカリーは、世界中の人間に配布しようと、大量のLSDを製造しました。

その一方で、ヒューマン・ビーイン後に生まれたイッピー達は、世の中にある問題を取り上げて、それに対してデモなどで騒ぐ事で問題を大きくして社会問題化して、それを解決させていくという手法を取ります。
社会問題化する為には、注目を集めないといけません。そして注目を集めるためには、大胆で過激な事が不可欠です。
イッピー達はテレビで取り上げられるように、派手で極端なパフォーマンスを行い、とにかく目立つ事を心がけます。そして、その活動をTVを通して観た人達が感化されて運動に参加することで、運動は更に大きくなって目立つようになり、社会問題化しやすくなります。

世間一般ではイッピー達の取る行動こそがヒッピー的な行動と思われる方も多いとは思いますが、それは、マスコミやデモなどの目立つ行動を積極的に利用した結果なんでしょうね。

境界線をなくすヒッピーの主張

リアリー達とイッピー達。 この2つのアプローチ方法ですが、これはどちらが正しいのかはわかりません。
というのも、リアリー達が目指した理想的な社会を実現する為には、世界と自分とが一体となる経験をした人間が大量に必要となります。
自分と世界とが一体となる経験をした人間は、世界にとって害をなす行動を取りませんし、他人にとって不愉快な事も行いません。

リアリー達の理想が現実化すれば、国といった枠組みも必要なくなり、人間を縛る法律もいらなくなります。
何故なら、法とは、他人に対して害を与えようとする人間がいるから必要なわけで、そんな人間がいないのであれば、法律も必要なくなります。
法律が必要なくなって国という概念がなくなれば、国籍という線引もなくなりますし、いずれは人種という線引も無くなっていくことでしょう。

この様な世界が実現すれば、不愉快に思う人間がこの世から居なくなるという事になり、それが実現すれば本当の意味での平和が実現しますが…
実際問題として、それが可能なのかというと、難しいとかハードルが高いといったレベルの話ではなく、限りなく無理に近い夢物語ともいえますよね。

価値観を押し付けるイッピーの主張

では、イッピー達のように、これまでの価値観を別の価値観で塗り替える。つまり、自分が良いと思っている価値観で他の人間の価値観を塗り替える方が良いのかというと、それも疑問が残ります。
解りやすく、食べ物の例で考えてみましょうか。
ある国では、豚肉は食べてはダメだという決まりがある為、豚肉が食べれません。また他の国では、豚肉は食べれるけれども牛肉を禁止しているという国もあるでしょう。
豚肉も牛肉も食べるけれども、他の国がクジラを食べる行為に対して怒りを覚える国もあります。

特に食べ物に規制はないけれども、動物を殺して食べるのは野蛮だという思いから、ベジタリアンに転向する人もいますし、動物を殺すのはもちろん、労働させてもダメだと考える人は、ビーガンになったりもします。
イッピー達の考えは、自分たちの価値観を相手にも押し付けるという行為なので、世界をより良くしようと考える場合は、押し付ける価値観は良い価値観でなければなりませんが、この場合、客観的に観てどの価値観が良い価値観なのかが分かりませんよね。
どの様な価値観が良い価値観なのかが分からない状態で、自分の価値観を他人に押し付け合うと、当然ですが、意見の衝突が起こります。

意見の衝突が単なる言い争い程度で終わるのなら良いのですが、そこで終わらなければ、争いに発展します。
過去に起こった戦争も、元を辿れば、価値観の違う者同士が自分の価値観を相手に押し付け合うことで起こっていますよね。それは、宗教的な価値観なのかも知れないですし、共産主義や資本主義といった思想の違い。
いろんな価値観のズレが徐々に発展して、大きな戦争に拡大していっています。

格好良く真似したくなる価値観の創造

当時、運動に参加していた人達も、当然、この様な流れを分かっていたのでしょう、イッピー達は当初、様々な問題を社会問題として取り上げつつ、一方で、ラブ&ピースや非暴力を常に訴え続けてきました。
そして、アートやライフスタイルの提案などを行い、既存の価値観に比べて新しい価値観の方が格好が良いという風潮を創り出し、争いではなく、自らが価値観の塗替えを行うように持っていきました。
今までの文化に対して新しい文化をぶつける、カウンターカルチャーと呼ばれる手法ですね。

運動参加者増による質の低下

ただ、この動きも長くは続きません。
イッピー達は、社会から問題を見つけ出して、その問題を運動を通して社会問題化する為に、大量の人間を必要としました。
マスコミに取り上げられる為に、そして大規模なデモなどの運動に参加する人達を集めるために、なりふり構わずに、とにかく目立つという方法を実行した結果、運動の意味を理解していない人達が大量に集まり始めます。

単純に、働かずにドラッグだけやってたい人達や、反体制運動という名のもとに爆破テロなどの過激な行動を取る人間が出現し、ヒッピー達の印象はドンドンと悪くなっていきます。
この様な人達が、ヒッピーの聖地であるヘイト・アシュベリー地区に雪崩込み、元々いたヒッピー達は追い出されるように、他の場所にあるヒッピーコミューンへと退避していく事になります。
そして、当初の理念を知らない『ならず者』達に占拠されたヘイト・アシュベリー地区は、資本主義の波に呑み込まれて行くことになります。

資本主義に呑み込まれる聖地 ヒッピーの死

街には、『ヒッピー』と称される人達を見物する為の観光客で溢れ、ヒッピーっぽい商品がお土産物として販売され始めます。
また、街に住むジャンキー達を顧客としたドラッグ販売を手がけるマフィアも入り込み、ヘイト・アシュベリー地区は金を稼ぎ出す為の道具になり果ててしまいます。
目指すべき理想も、貫く信念もなくなり、ヘイト・アシュベリー地区は、欲望を満たすだけの街へと変貌していく事になります。
ヒッピーという名称は価値のない無意味なものとなってしまい、その現状に耐えられなくなったディガーズは、ヒッピーの死を決定的にする為に、葬儀を行います。

自分の主観を相手に伝えることは出来ない

ここまでの流れを見て分かる事は、自分が伝えていることを本当の意味で理解してくれる人間というのは、殆ど居ないということです。
多くの人間が、物事を自分たちにとって都合の良いように捉えます。 そこにある事実の一部分だけを観たいように観て、聴きたいように聴き、自分の意見を、より強化していきます。
これは皆さんも、ネット検索などをする際に、簡単に実感することが出来ると思います。

なにか自分の価値観と違った意見を聴いて、世間一般の考えを知ろうと検索した際に、出てきた検索結果が自分の意見や考えと違った場合
他の言葉で検索をかけて、自分の考えと似た意見が検索結果に出るまで検索し続けるというのは、結構な割合の人間がやったことがあると思います。
それと同じで、多くの人が、その場の物事や情報を、ありのままに受け入れようとせずに、自分自身の目というフィルターを通して物事を受け止めるので、『反体制運動』や『前提を覆す』『ドロップアウトさえすれば良い』というヒッピー達の言葉は、それぞれの立場の人間に都合の良いように解釈されます。

思想も宗教も正しく伝わらない

そして、これは当然の事ですが、人を介せば介すほどに思想の根本的な部分は曲解されて、ズレた状態で理解されて伝わっていくことになります。
ヒッピーの運動というのは、1960年~70年にかけての約10年程の間に生まれて収束していったムーブメントで、ムーブメントの起点となったティモシー・リアリーは1996年まで存命だったわけですが…これは、宗教で言うなら教祖が存命の間に教義が変わっていっているようなものですよね。
何故こうなってしまったのかは、経緯を見ていただくと分かると思いますが、意見が曲解される度に、その運動に携わる人達が増えていっている状態なので、本質を理解している人間は少数派になってしまい、その人間が何をいったところで、聞く耳を持たれないからです。

そして、この構造自体は、他の思想であったり宗教の教義、政治や国の運営などでも同じだったりします。
前の回で取り扱った仏教も、開祖と言われているブッダが主張したインド哲学からは大きくズレてしまって、ブッダが主張した『無』という概念は徐々に薄れていき、日本に渡った大乗仏教においては、その人物の生き方によって、死んだ後に地獄や極楽に振り分けられるという話に変わっています。
ブッダの主張というのは、死んだ後に意識が続くというのは否定していますし、輪廻転生といった生まれ変わりも否定しています。 死ぬと無になるわけで、更にいえば、私達が生きている世界そのものも『無』で有ることを主張していましたが…
その主張は語り継がれる度に変化していき、最終的には全く違ったものへと変化していってしまっています。

キリスト教なども同じで、元々のキリスト教の主張は隣人愛であったり博愛ですよね。それが、語り継がれる度に変化していき、キリスト教の世界観に余計な肉付けがされていき、最終的には、異教徒を殺すという名目で戦争の道具にまでなってしまいました。
これらと同じ様に、ヒッピーも、元々の主張の根本部分というのは、共感性を高めることによって、他人などの自分を取り囲む環境を自分の事の様に捉えて、自分がされて嫌な事は周りに対して行わないというものでした。
それが最終的には、自分たちの主張を通すために、反対勢力にたいして爆破テロを仕掛けるというところまで変化してしまいました。

【漫画 ネタバレ感想・考察】 かんかん橋をわたって

今回は、私が愛聴しているネットラジオ『BS@もてもてラジ袋』
moteradi.com
にて紹介されていた、『かんかん橋をわたって』を読んだ感想などを書いていきます。

ネタバレ全開で書いていきますので、まだ読まれていない方は、注意をしてください。
今現在(2018年9月)、Amazon Unlimitedにて、全巻読むことが可能です。

嫁姑ランキング

『かんかん橋』と呼ばれる、隣町とを結ぶ橋を渡って、川南に住む主人公の萌が川東に、嫁いできます。
この物語は、それから1年経ったところから始まります。

良い家族に恵まれて、何不自由ない暮らしをしていると思いこんでいた、主人公の萌。
ですが、生活の端々で、少し変だなと想う出来事が続きます。 自分が炊いたご飯は、水の量をしっかりと測っているにも関わらず、何故か固い。
自分の部屋の導線上に、濡れタオルが干してある… 些細なことですが、そういった事が積み重なって、生活の中に違和感を感じるようになっていく。

そんな日々が続く中、町内の人々から、自分の姑が『川東一のおこんじょう』だということが知らされる。『おこんじょう』とは、意地悪とかそういった意味合いで、今までに萌が感じてきた生活の中の違和感は、姑による意地悪だと気付かされる。
それが判明したぐらいの時期から、姑の嫁イジメが加速し始める。 そんな状態に、身も心も衰弱していく萌だが、その前に表れたのが、権藤木さやか という人物。
権藤木は萌に向かって、『あなたは、嫁姑ランキング4位よ!』と言い放つ。

この川東には、萌と同じ様に嫁姑問題に苦しんでいる人間が多く、その中でも上位10人には順位付けが行われている事を知らされる。
そして、『川東一のおこんじょう』と呼ばれる人間を義母に持つ自分が、1位ではなく4位だと知らされるところから、物語は始まります。

この最初の出だしを読んだ私の素直な印象は、『嫁姑問題を取り扱った作品なんだな…』といったものでした。
姑がどんな嫌がらせをしていくのか。そして、嫁は、それに対してどのように耐えるのか、仕返すのかといった内容が続くのかなと思いましたが、中盤、そして後半まで読み進めるに連れて、自分の認識の甘さを思い知らされる事になるとは、この頃は思いもよりませんでした。

団結していく嫁グループと姑グループ

序盤の大半は、姑である不二子が、嫁に対して微妙な嫌がらせを行うというのがメインになります。
この頃の萌は精神的には強くなく、情報通の権藤木を頼って他のランカーが達に会いに行き、嫁同士のネットワークを築いていき、不幸を皆で共有していく事で、団結力を強めていきます。
その一方で姑の方も、『山背のまむし』と呼ばれるようなアクの強い方々が団結していく… というより、萌の義母である不二子に心酔し、その配下へと加わっていく感じとなります。

ココら辺りまで読み進めて、少し、違和感が出てきます。
というのも、不二子という人物は、街一番の意地悪な人間なのに、何故か、カリスマ性を持っていて、みんなを引きつける魅力を持っているからです。
街中の人間が意地悪な人間と噂しているわけですから、みんなから嫌われていて当然なのですが、皆が一目を置いている…

不二子の人心掌握術

この、不思議な魅力を持つ不二子ですが、何故、ここまで魅力的なキャラクターなのかが、この物語の中盤以降、萌の変化によって描かれます。
萌は、嫁同士のネットワークを築いていく中で、自分たち高位ランカー達が、嫁たちから尊敬されている事に気が付き、その立場を利用して、川東の嫁たちの相談役になり、様々な嫁姑問題を解決していきます。
その解決の仕方が、単純な善意、つまり、『皆で仲良くしましょう!』といった感じの解決方法ではないんです。

例えば、嫁が作った料理を姑が食べずに、そのまま三角コーナーに目立つように捨てるという行為を行うことで、嫁が精神的なショックを受けるという相談を受けるのですが、その解決方法は、旦那を共通の敵に仕立て上げる事だったりします。
姑が三角コーナーに嫁が作った料理を捨てていたのは、息子が嫁が作った料理に対してだけ、『美味しいよ!』と賛辞を送っていたことに対する嫉妬でした。
しかし萌は、その褒め言葉が旦那の本心ではない事を見抜き、敢えて、嫁姑問題こじれる形での解決方法を提案します。 その方法が、リサイクル料理。
ハンバーグを作って捨てられた翌日に、パスタのミートソースを作る。貝のおすましを捨てられた翌日に、貝の炊き込みご飯を作るなど、三角コーナーの料理をリサイクルしている風を装った献立にする事で、嫁に姑を攻撃させます。
その攻撃に参った姑は、炎天下の元、自宅の物置に立てこもります。 それを確認した上で、萌はこの家族の旦那に連絡し、現場に来させて『何故、奥さんの作った料理だけ褒めるんですか?』と質問します。それに対して旦那は、『それは、嫁がいちいち聴いてくるからだよ。』と、本音をぶちまけます。
それを聴いた嫁は、姑に同情。 毎日、献立を考えてご飯を作ることがどれだけ大変かを旦那に訴え、共通の敵とすることで、嫁姑問題を解決させます。

その解決の手腕に、多くの人が、萌の背後に不二子の存在を感じてしまいます。
そう、効果的な意地悪とは、相手が何を最も嫌だと思っているのか、自分がどんな情報を与えれば、相手がどんな反応を起こすのかというのを知り尽くしていないとできない事。
つまり、『川東一のおこんじょう』は、川東の中で誰よりも人の心理を知り尽くし、最も効果的な手を打つことが出来る策士だったという事が分かってきます。
不二子は、長年に渡る観察によって、街中の人の心理を知り尽くし、自分が街中の人から嫌われないギリギリのラインで行動をし続けることで、『川東一のおこんじょう』と噂されながらも、不思議なカリスマ性を帯びる人物へとなっていったんです。

この辺りまで読み進めると、この物語が単純な嫁姑問題だと思っていた自分が恥ずかしく思ってしまう程、打ちのめされた感じになり、同時に、ページをめくる手が止まらなくなりました。

千尋の谷

不二子が、街中の人間を観察し、行動パターンや思考パターンに至るまで解析してまで、何故、意地悪なんて事をしているのか。 単なる趣味なのか。
それは、萌が嫁ネットワークを築き、相談役になった辺りで放たれた一言で、その片鱗がわかります。
『萌さん。 人を自分の思い通りに動かすのは楽しいでしょ?』

人の世話をやくのも意地悪をするのも紙一重で、それを効果的に行うためには、人の行動バターンの解析と、心理の解析が欠かせません。
不二子は、嫁の萌が人を疑うことを知らず、無垢な存在でいる事に対して不満を持っていました。その為、意地悪とギリギリできすくか気づかないかの嫌がらせを行い続け、萌に人の行動を疑う気持ちを植え付けました。
『おこんじょうの目』と呼ばれる、第一印象で物事を決めずに、真実を見抜く目をもたせる為、嫁を千尋の谷に突き落とし続けていたんです。

何故、そんな事をするのか。 それは、不二子の宿敵とも呼べる、この街を牛耳る『真の悪』が存在していたからです。
不二子は、自分自身でその悪と対峙するつもりだったのでしょうが、僅かな希望を嫁である萌に見出し、来るべき宿敵との対決の為に、鍛えていたんです。
とはいっても不二子のことなので、萌のことも完全には信用していなかったのでしょう。 あわよくば、戦力になってくれれば良いなという程度の期待でしか無かったんだと思います。

無垢な気持ちや信じる心は駄目なものなのか

ここで、『人を無垢な心で信じる事が悪いのか』と疑問を持つ人もおられるかもしれませんが… そうなんです。悪いことで駄目なことなんです。
私達は、小さな頃からの教育のせいか、無垢である事や無条件で信頼する事に、一種の美しさのようなものを感じてしまいますが、そういった行動は、一種の思考停止、無視と同じで、美しいことでも何でもない事なんです。
物事に対して真摯に向き合うという事は、眼の前にあることを徹底的に疑い、吟味し、本当に信用できると思ったものだけを、自分の判断で受け入れる事です。

これは、少し考えてみれば分かります。人の言う事を吟味もせずに、すんなり信じる人というのは、それが間違っていたり、騙されていたことが分かると、その原因を外部に求めます。
『貴方が言ったから信用したのに!!』 これは、相手の言う事に真摯に向き合っているのではなく、何かあった時には『他人のせいにすれば良い』という不誠実な態度であって、誠実に向き合おうとした場合は、自分が納得できるまで疑って吟味すべきなんです。
そして、自分自身の判断で、信じる信じないを決めるべきなんです。

相手の事を疑う。 その為に、相手の表情などの情報は、どこまでも細かく読み取る。
その事を、『おこんじょう』という行動を通して、嫁に教え続けていたのが、不二子だったんです。

読み終えた感想

この漫画、最初は、嫁アベンジャーズが、不二子率いる姑ヴィラン連合と総力戦を行う漫画?と思いきや、そんな底が浅い話ではありませんでした。
人というのは、見る観点や置かれている環境によって変わる。一番わかり易いのが、不二子に対する印象でしょう。
不二子が取る行動は、一貫して変わりませんが、序盤ではあれだけ嫌な奴だった不二子が、終盤では最も頼りになる人物に写ったりもします。

これは、姑軍団全ての置いて言える事です。
人は、社会性を持つ動物なので、自分にコミュニティに対して貢献できるものがなにもないと思いこんでいれば、卑屈な態度になりますし、卑屈になって皆から無視されれば、『私はここにいるよ!』と知らしめるために、迷惑行為に走ったりします。
しかし、コミュニティの中に『居場所』があれば、人は本来持っている優しさなどのプラス面を発揮できます。

ですが、第一印象だけで相手を決めつけて、その印象に引きずられてしまうと、人が持つ他の面を見ることができない。
では、どうすれば見ることが出来るのかというと、先入観を捨てること。 入ってくる情報を全て疑い、納得するまで吟味する『おこんじょうの目』が重要になってくるんですよね。

ネタバレ感想ということで、結構な部分まで書きましたが、本当のクライマックスを書くのは控えようと思うので、もし気になった方は、読んでみてください。
読み終えた感想としては、久しぶりに、良くまとまった、良い物語を読んだ気がします。 最後は涙なしでは読むことができませんでした。

経済指標は好景気 でも、それを実感できないのは何故だろう?

私は、家族で小さな工場を営んでいるのですが、ここ3年ぐらいの売上の落ち込みが、かなり酷い状態です。
でも世間では、安倍首相のアベノミクスのお蔭で、バブル期を超える景気回復で、企業の業績の伸びも凄まじい!!なんて言われていたりします。
『そんなに、世間では景気が良いの? うちの工場が廃業寸前なのは、単に、自分の経営能力がないだけ?』なんて思っていましたが…

先日、目にしたTBSによる世論調査によると、好景気の実感が有る人は11%に過ぎず、実感が無い方が84%になっているようです。
news.tbs.co.jp
f:id:kimniy8:20180910215018j:plain
まぁ、そうですよね。
私が商品を納めている得意先の売上も下がっているから、ウチの工場の売上も下がってるわけですしね。
でも、指数だけ読み取ると、今の日本の景気は良いようです。何でこんな事になっているのか。この事について、今回は考えていきます。

給料の中央値は下がっている

テレビなどでは『アベノミクスのお蔭で好景気になり、仕事はあるけれども人が足りない、人手不足状態になって嬉しい悲鳴!』的な意見を聞くこともあります。
企業業績も右肩上がりで、バブル期を超える収益をはじき出しているなんて話も聞きます。

この資料によると
toukeidata.com
確かに、給料の平均値だけを見ると、2016年はバブル絶頂期の1990年と並ぶ程に回復しており、バブルの再来といっても良いのかもしれません。
しかし、中央値の方はどうなのかというと、回復しきれていないんです。

ここで、平均値と中央値の違いを説明します。 平均値というのは、データを全て足し合わせて、その数で割ったものが平均値です。
例えば、100人の平均年収を計算する場合は、100人の収入の合計値を100で割ったものが平均年収となります。
では、中央値とは何なのかというと、100人の人間を、年収の少ない者から多い者へと順番に並べていき、丁度、真ん中の人の年収を中央値とします。

この両者の場合、どちらが優れているのかというと、平均年収のような値の場合は、中央値の方が優れているんです。
『何故? 平均年収の方が数字として信頼できそうじゃない?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、平均値というのは、案外、信用出来ないんです。

これは例えば、99人の人間の年収が50万円で、残りの1人の年収が5000兆円のケースで考えてみると、分かりやすいかもしれません。
この場合、一人あたりの平均年収は約50兆円になるわけですが、99人の実際の年収は50万円です。
平均値というのは、たった一人の超大金持ちや、極貧の人が計算に加わるだけで、数値に大きな影響を与えてしまうんです。

つまり、中央値の上昇率が低い一方で、平均値の伸びが良いという事は、多くの人の給料が下がったままで、一分の人間の給料が上がっているという事になります。

どこにシワ寄せがいっているのか

これは、単純に労働者にシワ寄せがいっているんだと思いますよ。
読売新聞の記事によりますと、企業の内部留保は6年連続で上昇中で、17年度末の内部留保(金融・保険業を除く)は、446兆4844億円!前年度末より40兆円以上も増えたそうです。
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20180903-OYT1T50082.html?from=twwww.yomiuri.co.jp

40兆も増えたんだから、従業員にも相当、還元されているんだろうと思うかもしれませんが、先程の給料の中央値を観ても分かりますが、多くの従業員が手にしている給料は上がってないんですよ…
平均値が上昇しているわけですから、内部留保を溜め込めるような会社の幹部の給料は、上がっているのかもしれません。
しかし、こういう会社から受注をされて、現場で働いている人の給料は、上昇していない。 下手をすれば下がってたりするんです。

つまり、労働者から搾取して、企業がお金を溜め込んでいるという形。
収益の再分配が上手く行われていない事で、好景気を実感している人の数が極端に低い状態なんでしょう。
別のニュースでも、内部留保が積み上がる一方で、労働分配率は下がっていると記事にされていました。
https://www.excite.co.jp/News/world_g/20180904/Reuters_newsml_KCN1LK04M.htmlwww.excite.co.jp

労働分配率とは

労働分配率とは、wikiによると、『企業において生産された付加価値全体のうちの、どれだけが労働者に還元されているかを示す割合。これは「人件費/付加価値」で算出された%で表す。』とのこと。
付加価値とは、企業が新たに生んだ価値の事です。簡単に説明すると、例えば、部品A+部品Bで商品Cを作って売った場合、売って得たお金が売上で、売上から、部品の購入費用などを引いたものが、新たに創造された価値という事。
この、新しく生み出された価値が利益となるわけですが、その利益を生み出すためには、従業員の労働が必須です。 その従業員に対して、どれだけ利益を分配しているのかというのが、労働分配率という事ですね。

内部留保が上昇する一方で、労働分配率が下がっているという事は、言い換えれば、利益が増えたにも関わらず、その上昇分は労働者に還元されていないという事。
企業で働く社員が、同じ労働時間しか働いていないのに、何故か理由はわからないが、企業の業績が上がったというなら、原因不明の利益上昇分を溜め込んでおくというのも、少しは理解できるのですが…

しかし、実際には違いますよね。
ネット通販の広がりで大忙しの運送業ですが、昔は、仕事はキツイが、頑張って5年勤めれば、何らかの事業が起業できる程のまとまった金が稼げる事で有名でしたが、今は、ドライバーに支払われる荷物1つあたりの報酬が段階的に引き下げられて、ドライバーは身を粉にして働いているのに、生活するのがやっとという給料しか貰えない状態になっているようです。
その一方で、大手運送会社の本社で働く人達は、現場に出ることもなく、ホワイトな環境で働いて、平均給料が800万オーバー。 役員に至っては4000万オーバーの年収をもらってたりする。

これは、過去に私が書いた記事でバズったものがありますので、よければそちらに目を通してください。
kimniy8.hatenablog.com

運送業だけでなく、建設業でも現場監督が過労死するなんて話も聞きますよね。

まとめ

これまでに出てきた情報を書き出してみると
・給料の中央値の上昇率はイマイチ。
内部留保が上昇する一方で、労働分配率が下がっている。
・給料自体はバブル期頃の水準まで回復している。

これをまとめると、現場に近いところで働いている人達の職場環境は悪化。 つまり、労働時間が伸びる一方で、手取り給料が増えていない、もしくは減っている人が多い。
しかし、大手会社の業績は悪いわけではないので、本社努めや管理職の人たちの給料は伸びている。 が、これらの人は人口自体がかなり少ない。
ネットで上級市民と言われている人達に、企業業績の上昇分を分配し、余った分は、内部留保として積み上げる。

言い方を買えると、上級市民が一般大衆から搾取している構造になってしまっているので、この様な状況で『景気が回復している!』と実感する市民はいないという事でしょう。
それに加えて、消費税増税などで可処分所得が下がっていたり、売られている食品が小さくなっていたりと、普通に生活するだけで厳しい状態になっている。
また、年金支払額の増加、年金支払開始日の先送りの可能性や、給付額そのものの減額などの将来不安が上乗せされれば、楽観的になれる方が、どうかしてるじゃ… と、思ってしまいますよね。

この様な現状だと、『好景気の実感がない』とする人が大多数の世論調査結果になってしまうのも、仕方がないような気もします。

【ゲーム ネタバレ感想・考察】 メタルスラッグ 3 (完結編)

この投稿は、前回からの続きとなっております。
前回をまだお読みでない方は、先ず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

相棒 救出作戦

強大な敵を倒し、更に進んでいくと、宇宙船の内部構造が変わっている。
今までは、科学技術が進んだ感じが全面に出ていたのに対し、バイオテクノロジーが進んだ感じの、おぞましい内装へと変化。
恐る恐る進んでいくと、色が変色した、相棒のFioが登場し、こちらに向かって攻撃を仕掛けてくる! 洗脳? だが、変色したFioは何体も何体も、ワラワラと湧いて出てくる。
どうやら敵は、たった独りで部隊を壊滅できる程の実力を持ったFioをさらって、クローンを大量生産している様子。

高度に進んだ、バイオテクノロジー… そういえば、ファースト・ミッションでは、巨大化したカニやら、凶暴化した魚が相手だったことを思い出します。
この宇宙人は、野心を持つモーデンに技術提供をするという名目で近づいて、地球のデータをとっていたのでしょう。
そして、ある程度データが揃ったところでモーデンを裏切り、ついでにFioを拐ったのでしょう。 モーデンのカリスマ性や頭脳、そして、Fioの戦闘能力を解析できれば、もう地球に用は無いといった感じでしょうか。

Fioのクローンが出現したということは、Fioは何らかの人体実験を受けている可能性がある…
という事で、急いでFioの元に向かおうとするが、それを阻止するように大量の敵が湧いて出てくる。 しかし、そこにさっそうと登場する、モーデンの右腕!
モーデンは既に救出されたはずなのに、Fioの為に協力してくれるなんて… もしかして、モーデンが良いヤツで、クーデターを起こされた世界の方が、悪いやつなんじゃないか?とすら思わせてくれる演出に、少し泣きそうになる。

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そしてついに、Fio発見!
拐われた時に、船の内部構造を把握していたのか、Fioは開放されると同時に、行くべき方向を指し示してくれる。 流石、最強の戦士。

最終決戦

Fioを救出したことで、今までのクローンの肉体はドンドンと崩れていく。 どうやら、常にFioからの生体データを取っていなければ、クローンはその体を維持できない様子。
ただ、多くのクローンが崩れていく中、数体がギリギリで体を維持しながら向かってくる… この姿は… セカンドミッションで登場した、ゾンビ!
まさか、ここでセカンドミッションの伏線が回収されるとは! 
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ゾンビ化したFioは、命中すればヘリすら一撃で鎮めることが出来る『吐血攻撃』を連発してくる!
プレイヤーが使っている時は、画面半分をカバーする超使い勝手の良い攻撃手段だったが、まさか、それを複数体で連打されるとは…
さすが最終ステージ、単なるザコ敵のはずなのに、攻撃が凶悪すぎる!

そのゾンビの集団をなんとかやり過ごし、ようやく、最後の扉まで到着。
こっちが必死で、コンティニューを繰り返しながらゾンビアタックをして、なんとかここまで到達したというのに、Fioは涼しい顔をして既に到着している。
最強の戦士、半端ないっス。

何処から用意したのかわからない『メタルスラッグ』に乗り込むように指示され、乗り込むと、Fioがコンソールを操作して、扉を開ける。
え? Fioさん、生身で投げ出されているんですけれども??

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メタルスラッグは、高性能とはいえ、単なる戦車。 空を飛ぶ機能なんて付いていない。
このまま、地面に落下して死ぬのか?と思いきや、敵の親玉がここに来て登場! メタルスラッグをキャッチして、こちらに攻撃を仕掛けてくる。
脳みそが丸出しで、如何にも狙ってくださいと言わんばかりの脳みそを撃ちまくっていると、生身で外に投げ出されたFioさんが、落下中に敵のUFOを奪取してるじゃありませんか!
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あの状況で、敵からUFOを奪うって、化物ですね…
2人でなんとか協力し、撃破!

メタルスラッグには、浮き輪が搭載されているらしく、水につけるとボートの様に浮かぶ機能がついていたらしく、Fioさんの計算通り、メタルスラッグは海に落下し、2人は無事生還。
ついでに、モーデン達も脱出。
あそこまでの共同戦線をはって、いまさらモーデンを倒しに行く気にも慣れず、無限の弾を打ち出せるリボルバーをそっと海に投げ入れるEri

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よぅ出来た… よぅ出来た話ですね。
このゲームには、セリフが一切なく、キャラクターたちはジェスチャーのみでプレイヤーに語りかけてくる為、ここで書いたストーリーは、私が勝手に読み取ったストーリーに過ぎませんが、ドット絵だけでここまでのストーリーが描けるって、本当に凄いです。

クリアーまでに行ったコンテニュー数は33回!
1クレジット50円と考えても、250円は安すぎましたね。 セールをしてない状態の1000円でも安いぐらいです。
これを観て興味を持たれた方は、プレイしてみては如何でしょうか。

【ゲーム ネタバレ感想・考察】 メタルスラッグ 3 (中編)

この投稿は、前回からの続きとなっております。
前回をまだお読みでない方は、先ず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com

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恥ずかしながら帰ってきました? 謎の日本兵出現

敵の基地と思わしき場所に向かうも、モーデンの姿も側近の姿もない。。 情報が漏れていたのか、既に基地からは逃げていたようなので、仕方なく追いかける。
徒歩で砂漠を歩くのは自殺行為なので、ラクダに乗って、砂漠地帯を一気に駆け抜ける。 しかし、追撃を阻止する部隊が必死になって、それを阻止する。
ヘリや戦車なども多数出動し、これでは駄目だという事で屋内に。丁度、敵も『何か』から逃れるように建物から逃げてるし。 それにしても、怪しげな『種』が風に待っているが、あれは一体何なんだろう。
そういえば、背景にはアステカのピラミッドらしきものも… セカンドミッションで表れた宇宙人といい、何か、超常的な力の存在を感じてしまう…
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ヘリや戦車を相手にラクダでは太刀打ち出来ないので、取り敢えず屋内に入る。 建物には地下があり、道がつながっている様なので、ヘリに集中砲火されながら進むよりは、このまま地下を進むほうが得策だろうと、地下の道を進んでいくが、それにしても薄気味悪い。
そう思いながら進んでいくと、先程から宙を舞っていた種が発芽し、食人植物となって襲ってくる。 先程、この建物から敵の兵士達が逃げてきたのは、コイツラのせいか!!
それにしても、巨大生物や宇宙人。そして今度は食人植物。 一体、何が起こっているんだろう?
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その街化を進むと、偶然にも、更に地下に進める道を発見。 エントリー部分には、日本語で『入口』と書いてある。 日本語??
中に入ると、和風っぽい建物が立っていて、その奥には、時代に取り残されたような日本兵が!
ろくに服も着ずに、日本刀を上端に構えて突進してくる様には、狂気を感じる。。 こんなのに近寄られたくないので、遠距離から射撃で対抗すると、死に際にダイナマイトで爆死…
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出てくる戦車や飛行機も、燃料がないのか、人力で動いている。。
もしかして彼らは、戦争が終わったことを知らされず、未だ、第二次世界大戦を戦っている、取り残された部隊なのだろうか?
最後は、これまたよくわからない超常的な兵器が登場し、こちらに襲ってくる。 これは、取り残された日本兵が崇めていた神なのだろうか?

決着!?

よくわからない日本人集落を抜け、密かに隠しておいた飛行機に乗り込む。
無理を押して行ったショートカットのおかげか、敵の主力部隊に追いついたようだ。 それにしてもこのゲーム、乗り物の操作が非常に辛い…
銃が固定方向ではなく、レバーを入れた方向に機関銃が向く為、なかなか敵を狙い撃ちにすることが出来ない上に、無駄にデカイい為に当たり判定もデカく、直ぐに期待を爆破されてしまう…

機体が爆破された後は、ジェットエンジンを直接背中に背負って敵を追撃。 こんな装備で、主人公単独で部隊を壊滅させられるって、何度考えても凄すぎ。
しばらくすると、敵の右腕っぽい人が攻撃を仕掛けてくる。 幹部ともなると、流石に手強い。 上半身裸なのに、無数の銃撃を受けても平気な辺りに、若干、恐怖を覚える。
しかし、どんなに手強くとも、こいつは幹部。ボスではない。 さっさと片付けて先に進むと、ようやく、宿敵モーデン登場!!

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ヘリに乗って、多彩な攻撃を仕掛けてくるが、ここまでの道のりを単独で乗り越えてきた主人公の敵ではない。
機関銃をぶっ放し、やっとの事で撃破! これで、ようやく家に帰れる…

…と思いきや まさかの展開に!!

宿敵モーデンを倒し、世界に仇なす者もいなくなり、主人公達のミッションも終わり。
ようやく、一息つけると思いきや、倒したはずのモーデンがおかしい… 様子を見守っていると!?

実は、今まで戦っていたモーデンは、宇宙人が変装した姿だった!! その事実には、敵の兵士も気づいていなかったらしく、驚いている様子。
では、本当のモーデンは?というと、既に宇宙人に捉えられていた! そして、最強の戦士である主人公も、宇宙からの来訪者によって捉えられてしまう!

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ここに来て、共通の敵が登場した為、『争っているときでは無い!』とばかりに、主人公たちに手を貸すモーデンの手下達!
仲間を追いかける為のロケットを借り、今まで戦ってきたライバルたちと共に、宇宙に旅立つ!!
正直、ここらへんの演出はベタなのかもしれませんが、個人的には大好きなんですよね。 まぁ、共通の敵が出てこないと手を結べないというのは、少し残念ですけれどもね。

宇宙大戦争

モーデンの部下の助けを借り、UFOや隕石をかいくぐり、ようやく母船に辿り着く。
ちなみにですが、ロケットに乗ったのはMarcoでしたが、母船にたどり着いているのはEriだったりします。 理由としては、仲間の独りが拐われた時に出てくるキャラクターは自分で選べず、勝手に決定されるからです。
私は何故か、操作キャラは女性にしたいという思いが強いので、死んでキャラ変更が出来るようになった直後に、Eriに変更しました。
拐われたキャラクターと似ていますが、拐われたのはメガネに帽子のFioで、今回の操作キャラはEriです。 よく観ると、頭につけているのが帽子ではなくバンダナなので、違いが分かると思います。
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というか、ドットでこの書き分けをするのって、凄いですよね…

モーデンの部下たちと共に母船に乗って、タコ型の宇宙人を殲滅しつつ、突き進んでいくと、拷問らしきものを受けているモーデンを発見!
宿敵でターゲットなので、本来なら、ここで殺しても良かったのかもしれないが、部下たちに助けられて、今現在ここにいるという状況で、そんな事もできるはずがない。
というか、強大な敵に拐われたのに、自らの命を顧みずに部下が助けに来るって、モーデンという人間のカリスマ性は凄いですね。

モーデンを救うと、瀕死の状態なのに、Eriに対して向かうべき方向を指し示す。 どうやら、真の敵、そして相棒のFioはそちらの方にいるようだ。。 モーデンを殺さなくてよかった。
そして、瀕死の状態でも手助けしてくれるようなやつだから、部下達も付いてくるのかもしれないと思いました。

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暫く進むと、『いかにも!』という感じの、物体なのか生命なのか、よくわからないモノを発見。
ちなみに、この『いかにも』な物体を見上げる姿は、このシーンにしか出てきません。 このシーンの為にドットを打つって、力の入り具合が凄いですね。。

(つづく)
kimniy8.hatenablog.com

【ゲーム ネタバレ感想・考察】 メタルスラッグ 3 (前編)

先日、PS storeでセールが行われていて、メタルスラッグ3 通称メタスラ3がセールを行っていたので、購入してプレイしてみました
今回の投稿は、そのプレイ感想をネタバレ前回で書いていく予定ですので、ネタバレ警察の方は、読むのをおやめください。

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メタルスラッグ 通称メタスラとは

私がこのゲームに最初に触れたのは、20年以上前のゲームセンターでの事なので、記憶がおぼろげですが、『メタルスラッグ』というのは、この作品内に登場する一人乗りの超高性能戦車の名前。
これが敵側に奪われたので、それを奪う、もしくは機密が漏れる前に破壊するという使命を負った主人公が、単独で、戦場に乗り込んでいくというアクションシューティングゲームです。

当時は、これぐらいしか知らなかったのですが、この記事を書く為にストーリーを調べたところ、反逆軍を率いるモーデン総帥が世界的な軍事クーデターに成功するというのが、このゲームが始まる前に起こった出来事。
メタルスラッグ』もモーデンに奪われてしまった為、それの回収、もしくは破壊と、反逆軍の殲滅。そして、モーデンの撃破が、特殊工作部隊の隊員である、マルコとターマに命じられるというのが、メタスラ1のストーリー。

『1』で、宿敵モーデンを倒したが、そのモーデンがまた復活したので倒しに行くというのが『2』。
そして今作。 またもや復活したモーデンを倒すというのは当然ですが、それと同時に起こった、超常的な現象を調べるというのが、今作で追加された任務のようです。

巨大生物

最初のミッションで訪れたのは、とある島? 人の体ほどに巨大化したカニなど、超常的な風景が広がっている。
先に進んでいくと、巨大生物や凶暴化した生物に混ざって、モーデンの手下と思われる兵士の姿もチラホラ。
この超常的な出来事と、モーデン達の行動はつながっているのか? 途中で囚われている捕虜や補給兵を助けつつ、出てくる得点アップアイテムの食料を食べすぎて大柄になるも、ファースト・ミッションの最後では、兵器とかした超巨大生物と戦い、無事、撃破!
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最初のミッションから驚かされるのは、緻密に描かれた背景と、ドット絵でありながら、細かな動きを見せてくれるキャラクター
聞いた話では、ドッド職人が、自己を発狂寸前まで追い込んで作り上げた代物らしく、3DのCGが主流になっている今観ても、飽きさせる事が無いのは、凄いと言わざるを得ませんね。

バイオハザード

のどか… ではなかったが、南国風、もしくは熱帯雨林の様なステージを抜けた後は、打って変わって夜の世界。
冒頭では、いきなり科学者達す演出から始まるのが第2ミッション。

少し進むと、逃げている理由がわかった。 兵器開発の失敗なのかバイオハザードが起こり、町の住民が次々にゾンビ化している。
このゾンビは相当打たれ強く、銃で頭をぶっ飛ばしたとしても、少し気絶しただけで蘇ってくる。ただ、どれだけ打たれ強くても、足を狙って機動力を下げてしまえば問題ないのか、しゃがんで撃ちまくると倒しやすかったりする。

このステージも演出が凝っていて、待ちに背景のように配置されている一般人にゾンビの攻撃が当たると、その一般人もゾンビ化してしまう。
カップルらしき男女も配置されているのだが、男性がゾンビ化したものを倒すと、宝石のようなものをおとし、次に、ゾンビ化した彼女を倒すと、ラブレターらしき手紙をおとしたりする演出が、ちょっと切なかったり…
また、道中では金持ちも捉えられていて、こいつを助けると、高額な謝礼と共に新兵器までくれたりする。この辺りの細かい演出は、さすがと言わざるをえない。

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ちなみにこのステージでは、ゾンビの攻撃を1回食らうと、こちらもゾンビ化してしまう。
ゾンビ化すると、爆弾や銃などの物理攻撃が無効になり、手榴弾が派手な吐血になって画面の半分にダメージが与えられるが、、もう一度ゾンビの攻撃を食らうと死んでしまう。 ゾンビになった際のデメリットは、しゃがむことが出来ないのと、移動が遅いのとジャンプが低い事。
つまり、ゾンビを飛び越えたり、しゃがんで足を打つという行動が取れなくなり、ゾンビに殺されやすくなる。

ステージ最後まで進むと、何故か、宇宙人が襲ってくる…そいつらを倒すと、謎の遺跡のようなものが出現。。どうなってるの? この世界観。

潜入作戦

謎の宇宙人や遺跡など、不思議な事はいろいろと有ったが、取り敢えずは、復活したモーデンを追い詰めなくてはいけない。
敵の基地に潜入する為に、正面からは責めずに、裏口?から忍び込む戦略に出たようだ。 とはいっても、一度はクーデターに成功したモーデン。裏口だからと警備に手を抜いておらず、潜水艦などを多数配置していたりする。
それを、ハンドガンと手榴弾だけで仕留めていく主人公は、範馬勇次郎よりも強いのかもしれない…
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多数の潜水艦を爆破し、ようやく、敵の拠点に辿り着く。
流石のモーデンも、あの潜水艦群を抜けてくる人間がいるとは思っていなかったのか、侵入した先は無人で、無人ドローンのみが警備している状態。
その警備を切り抜けて中心部?に侵入すると、大量の敵が! ただ、不意をつかれたのか、主力メンバーはいないらしく、基本的には一般兵とロボットのみ。
警備ロボットの親玉みたいなのを潰し、ミッションコンプリート!!
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(つづく)

【プログラミング】 独学に飽きて paizaのスキルチェックやってみた (後編)

前回は、『独学ではモチベーションが上がらないし、勉強もはかどらない』といった不満を、書き連ねてみました。
kimniy8.hatenablog.com

プログラミングを勉強するキッカケって、人それぞれで沢山あるとは思いますが、その中でも『今直ぐ作りたいものが有る!』『自分の夢を叶えるために、どうしても必要!』といった感じで勉強をされている方は、モチベーションの維持が比較的楽で、勉強も進むと思うんです。
実現したいものが具体的に頭の中に有るわけですから、後は、それを実現する方法を調べて実践していけば、自然と覚えていくことでしょう。
私が、htmlやcssを覚えたときがそうでしたし。

しかし、作りたいものが特に無く、なんとなく始めた人間にとっては、文法を一通りやってしまうと、その後、何をして良いのかわからない…
今勉強している文法を、その様に応用すれば、どんな事ができるのかが全く分からない。
そもそも、何の為に勉強してるの? って感じになってしまい、やる気が削がれていくんですよね。

スキルチェックとは

paizaが提供しているスキルチェックは、簡単にいうと、今の自分のプログラミングの能力を知ることが出来るテストです。
最高ランクがSランクで、一番下がEランク。
それぞれのランク毎に、ランクに合わせた難易度のテストが出題されています。
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このスキルチェックが、私のような人間に、程よいハードルを用意してくれる感じで、モチベーションの維持に丁度よいんですよね。
実際の難易度はというと、初心者用に書かれた入門書や、このpaizaで受けられる入門講座を観て理解できる状態であれば、取り敢えずCランクには上がれるという感じ。
EやDの場合は、数分で解ける簡単なものですが、Cになると、私ぐらいのレベルだと、2~30分かかる感じでしょうか。
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Cだと、1時間の制限時間が設けられていて、その時間以内に解かなければならないのは勿論、時間がかかればかかる程、減点対象になっていきます。
20分ぐらいで正確に動くプログラムを書けば、100点が取れる感じでしょうか。
Bランクになると、制限時間が2時間になり、問題も難しくなります。 ちなみに私は、このランクでつまづきました。

プログラマーの方が書いたブログによると、転職などをする際には、最低限、Bランクはないと駄目で、それ以下なら足切りにされるというレベルのようです。
複数のテストがありますが、それぞれのランクの問題を1問でも解けるとランクアップ出来る仕様になっていて、同ランクの他の問題が解けなかったとしても、ランクが下がることはないので、ドンドンと挑戦していける感じでしょうかね。
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現状で、これだけの問題数が有るので、全てこなせば、プログラミングにかなり慣れる事が出来そうです。

問題を解いてみて思ったこと

どんな問題が出題されるのかというのは、ここでは申し上げる事はできません。
というのも、問題を解く前に、いちいち、こんな感じの警告文が出るからです。
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『問題内容を晒さないでね』とか『答えを他の人に聞かないでね』といった感じで、これに承諾しないとテストが受けられないようになっているので、問題内容を教えることは出来ないのですが…
私が解いているレベルの試験では、本当に基本的な事の繰り返しの様な感じなので、解くだけで、基礎力が上る感じがします。
for文 と if文 listの使い方とかね。 

後、paizaのスキルチェックには、標準入力という入力方法で入力されたデータを加工するというのが殆なので、標準入力の受け取り方を学んでおく必要があると思います。
標準入力でのデータの受け取り方については、paizaで無料の講座が開設されてるので、それを観てみると良いと思います。

何故 このサービスは無料なんだろう

このpaizaのサービスですが、入門講座やスキルチェックは、アカウントさえ作ってしまえば、基本的に無料で行うことが出来ます。
アカウントを作るのにも、お金はかからないので、勉強にお金をかけたくないという人には、もってこいのサービスなのですが…

何故、無料で使えるのでしょうか?

これは、会社側にインタビューをしたわけではないので、私の憶測ですが、paizaの本業部分は、プログラミング育成ではなく、転職サービスが主力なんだと思います。
『スキルチェック』で回答する際に、会社側に答案を送るといった感じの表示がされるので、会員のスキルレベルを、提携している会社に売っているんだと思います。
これによって、会社は、どの人物がどれぐらいのスキルレベルを持っているかがひと目で分かるようになる。

また、paizaでは、プロフィールの設定で、転職希望かどうか、希望の場合、どれぐらいの年収を望んでいるのかを、必須で書き込まなければなりません。
paizaと提携している企業は、それらの情報とスキルレベルを観て、自分の会社の条件に合うのであれば、スカウトをし、人材が確保できれば、それに見合った報酬をpaiza側に渡しているんでしょう。
提携企業がpaizaにお金を払ってくれているおかげで、結構なサービスが無料で受けられるのではないでしょうか。

また、無料で入門講座を受講できるようにし、スキルチェックも無料で提供することで、プログラミングの世界に入る人を増やそうという思惑も有るのかもしれません。
嘘か本当かはわかりませんが、プログラマーという職業は、今後、日本で足りなくなる業種のようなので、今のうちに、興味のある人を増やしておきたい。 出来ることなら、その人材を囲い込んでおきたいという思いから、無料サービスが多くなっているのかもしれませんね。
どの様な理由にせよ、お金をかけずに勉強できる環境を整えてくれているというのは、私のような人間からすると『ありがたい』の一言なので、今後も、この方針でやっていってもらいたいですね。

鬱陶しいメールが頻繁に来ない?

転職サービスが主力ということで、プログラミング技術を既に持っている方が、更に勉強を進めたい。でも、現在、特に、転職しようと思っていない人の場合、企業側から頻繁に、お誘いメールが来ないか心配という方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、その心配は無用だと思います。

というのも、アカウントを作る際に、企業からのスカウトメールを受け取るか受け取らないかを選択できるので、転職をしたくないのであれば、メールの受け取りを拒否しておけば、義業側からのメールは来ません。
ただ、paizaに登録するのにメールアドレスが必須で、その登録アドレスに対して、paiza側が、『こんな企業が人材を探していますよ』といった感じのメールマガジンを送ってくることはあります。
まぁこれも、1日に何通も来るわけではないので、無料でサービスを使わせてもらっているので、それぐらいは構わないですよね。

使ってみた感想

私自身は、まだ、使い始めて日の浅いサービスですが、このレベルの学習サイトが無料で使えるというのは、結構、ありがたいと思いました。
前にも書きましたが、特に目標のない独学の場合、『何がしたい』といったことがない為、モチベーションも維持できずに勉強に身が入らないんですが、小テストのような感じでハードルを設けてくれる事で、取り敢えず、目先の問題を解いてみようという動機で勉強が続けられるのが良いですね。

既に、何か作りたいものが有る方にはひつ余のないサービスかもしれませんが、私のように、『なんとなく、プログラミングが出来たら良いな』レベルで勉強を始める人にとっては、便利なサービスだと思いました。
無料の範囲でも、結構な勉強が出来るので、独学に生きづまた方は、是非、試してみては如何でしょうか。

【プログラミング】独学に飽きて paizaのスキルチェックやってみた

このブログを継続的に読まれている方は、既にご存知かもしれませんが、私は、プログラムの勉強をしていたりします。
別にプログラムで作りたいものが有るとか、そういった前向きな理由ではなく、本業の仕事が開店休業状態で、いつ、廃業に追い込まれるかわからない…
という事で、暇な時間を見つけて、ちょこちょこと勉強を始めている次第であります。

全くの初心者として勉強を始める

勉強してみようと決めてみたは良いものの、数ある言語の中から、どれを選んで良いのかも分からず、その疑問を取り敢えずTwitterに投げてみたところ、『python が良いですよ!』という返答を頂いたので、そのアドバイスに従う形で、pythonの勉強をしてみました。

勉強を始めるとは言っても、プログラミングに詳しい知り合いが近くにいるわけでもなく、安価で通える教室が有るわけでも無い。
そうすると選択肢は限られてくるもので、本を購入して読むというところから入りました。

プログラミングの本は、大体が2000円前後で、専門分野の本になると、3~5000円といった感じで、結構根の張る代物。
最初から、詳しめの専門書を購入しても理解できないと思い、取り敢えずは、タイトルに『初心者』と銘打ってある本を購入してみました。

行き詰まる独学

先ほど紹介した本以外にも、他に数冊購入し、取り敢えず読み込むという感じで勉強していたのですが…
どうも、モチベーションが上がらない。

書いてる内容が理解できないわけではありません。
初心者と銘打ってある為、書かれていることも基本中の基本しか書かれていません。
例えば、変数に値を代入するであったり、条件分子であったり、繰り返し処理などといった、基本中の基本が丁寧に書かれていて、書かれていること実践してみると、その通りになる。

しかし、『だからどうした?』としか思えない自分がいる。
これが、プログラミングが大好きで、自分自身で作りたいものがある人であれば、状況は変わっていたのかもしれません。
ですが、私のように後ろ向きな理由で、特に作りたいものもないのに勉強をし始めると、基礎を習ったところで、それを、どの様に応用して発展させていけば良いのかが全くわからない。

結果、本を読んでの独学は、数ヶ月程でやる気をなくしてしまう事になりました。

プログラム学習サイト

本を読んでの独学は、数ヶ月でやる気が無くなってしまったわけですが…
だからといって、せっかく本を読んで身につけた知識を無駄にする気にもなれず、『どうにかならんもんかな。。』と思ってネットを検索したところ、ネットでプログラム学習をしているサイトが有ることが分かりました。
近くに教室などがなくても、このサイトにアクセスするだけで、プログラムの学習環境が手に入る。

ブラウザーに打ち込みタイプのもので、自身のパソコンにpythonをダウンロードすることすら不要で、『こんなのが有るなら、最初から、こっちで勉強しておけばよかった…』と思わせる程の出来でした。
これを読まれている方で、本当に1から勉強をしようと思っておられる方は、私のように合計で1万円程の本を購入して読むよりも、学習サイトを利用した方がハードルも低いし、何より安いので、良いと思います。

学習サイトは、検索するとそれなりに出てくるのですが、その中でも有名とされているサイトを2つほど選んで、試してみました。
一つは、月学課金制で、月に1000円程のお金を出すと、結構な言語の口座が受けられるようになるというもの。
渡しの場合は、python1つの為に1万円分程の本を購入しているので、それを考えると、約10ほどの言語の口座が受け放題で1000円程度というのは、お得かもしれません。
月学課金制の為、まとまった時間がある人ほど、同じ料金で沢山の受講が出来るので、時間が取れる人は、この様なサービスが良いのかもしれません。

もう一つのサービスは、複数個に分かれた講座を買い取るタイプのサイトです。
例えば、機械学習講座などを2~3000円で買い取り、それを自分のペースでこなしていくというタイプ。
一度買い取ってしまえば、利用期限などは無かったような気がするので、まとまった時間が取れない人などは、こちらの方がコスパ的に良いかもしれません。

両サービス共に、入門講座を無料で開放していたので、両方、試してみましたが、わかり易さなどに違いは無い感じです。

プログラム学習 & 転職支援サービス paiza

先程の項目で、サービス名を出さなかったのは、結局、私自身がお金を払って入会しなかったからです。
両サービス共に、テキストを読んで内容を理解し、その後、演習問題で実際に手を動かしてコードを書かなければ次に進めないという内容なので、本を読むよりは頭に入るような気はしますが…
結局、本を読んで勉強しているときと同じで、学習しても、それを使って何かを作ろうと思えない為、長続きしそうになかったんですよね。

そんな中、偶然、見つけ出したのが『paiza』というサービスです。

このサービスは、数多くのプログラム言語を取り扱っていて、尚且、入門編はほぼ無料で公開されています。
前の項目で紹介した2つのサイトは、左にテキストが出て来るのを自分で読んで、右の解答欄に黙々と回答を書いていくというスタイルなのですが…
paiza では、実際にプログラムを打ち込む作業を映像化し、それを声優が解説するというスタイルの動画を観て、演習問題を解いていくというスタイル。

微妙な違いですが、動画の方が『独りで』勉強をしている感が薄れる為、結構、良い。

それだけなら、先程、紹介したサービスと殆ど変化がないようですが…
実は、paiza 独自のサービスの『スキルチェック』というのが、凄いんです。

本での独学や、先程までに紹介したサイトでは、知識を身に着けても使う機会がない為、モチベーションが保てなかったわけですが、paiza では、スキルチェックというテストを自分のタイミングで受ける事が可能。
書いたプログラムを採点してくれて、難しい問題を解くとランクアップするという、ゲーム感覚でプログラム学習が出来てしまうんです。

先程も書きましたが、プログラミングは『何かを作ろう』という意思が無いと、なかなか続かないし成長もしない。
その為、私の様に、特に目的などもなくなんとなく始めた人間にとっては、モチベーション維持が大変なんですが、この様に、ハードルを設けてくれると、『取り敢えず、このハードルを超えてみよう』って気になるので、勉強も続けられて良い感じですね。

結構長くなってきましたので、実際にスキルチェックを体験した詳しい感想は、次回に書いていきます。
kimniy8.hatenablog.com

第36回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(12) ~ヒッピー回まとめ (後編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

前回はこちら
kimniy8.hatenablog.com

ヒューマン・ビーインにより質が変化するヒッピー

ですが、オラクルという雑誌が企画した、ヒューマン・ビーインによって、その状況は更に変化していきます。
このイベントには、特に主張などが無い人間が大量に流れ込み、意識拡張からの意識改革の意味を取り違えた新左翼も参加しだし、それらが出会って化学反応を起こす事で、イッピーという新たな層が誕生しだします。
イッピー達は、ムーブメントをより大きくする為に、また、自分たちに注目の目が集まるように、派手なパフォーマンスや悪ふざけを積極的に行って行くことになります。

イッピー達は、管理社会や資本主義、現状の政治によって生み出された問題をピックアップし、その問題を掲げて、街のいたるところで反体制デモを行っていきます。
マスコミ達は視聴率の為に、イッピー達が行うデモの様子や派手なパフォーマンス、時には悪ふざけを取り上げます。 そして、この様子をテレビを通して観た若者が感化されて合流し、より大きな動きになっていく。
この繰り返しによって、社会に対して漠然とした怒りや納得できない事柄を持つものがドンドン集まってきて、社会現象になっていくのですが・・・

この動きは、当初、ティモシー・リアリーやビート・ジェネレーションが訴えかけて目指してきたものとは全く違ったもので、180度 方向を変えたもになってしまったといっても良いのかもしれません。

この部分で、ティモシー・リアリー達が訴えた意識拡張からの意識改革と、イッピー達が行う反政府運動との違いがわからないという方もいらっしゃるかも知れませんね。
というのも、リアリーもイッピー達も、民衆に向かって主張している事というのは、今までの社会の前提を疑えという事だからです。
今までの前提を疑って、自分達を縛り付けていた常識を打ち破り、本当の意味で自由になる。 その為に行動を起こそうと言っているので、少し聴いただけでは、両者の言い分は同じものに聞こえてしまいます。

しかし実際には、この両者の主張は全く違ったものです。 ビーイン後に開かれたサイケデリック会議でも、周りの人達が反体制で盛り上がる中、リアリーだけがその行動に同調せず、『ドロップアウトさえ行えば、改革は成された』と主張しています。
では、両者の主張は、どのように違うのでしょうか。

ヒッピーとイッピーの違い

簡単に言ってしまうと、両者の意見の違いというのは、世界と自分の捉え方が違います。
ティモシー・リアリーの主張の前提となっているのは、唯我論的な世界観です。 これは、自分という人間が考えるから、世界が存在するという考え方なので、自分自身が世界の捉え方を変えることができれば、世界も変わるという考え方です。
高度管理社会によって生み出された、人間を縛り付ける鎖というのは、本来は存在しないはずのものなのに、自分がその鎖の存在を認めてしまっているから存在してしまっていて、それによって自分が縛られているという考え方です。

ですが、実際には自分を縛る鎖は無いので、それを再認識しようというのがメインの主張です。その再認識のために必要なのが、幻覚剤による意識拡張で、自分自身と世界の認識を全く違ったものに変換した世界を体験することで、それを促そうとしました。

それに対して、ビーイン後に集まってきたイッピーやフラワーチルドレンと呼ばれている人達は、根本的に考え方が違います。
この人達の考え方は、まず、私達が暮らしている世界というものが存在し、その世界に環境が存在し、その環境の中に人間が暮らしていて、社会を構築しているという世界観です。
この考えでは、まず世界が存在するわけですから、私達が暮らす世界を良くしようと考えるなら、行動を起こすことによって、世界の方を良くしないといけないという事になります。

世界や環境の中に存在する様々な問題を見つけ出して、それを掲げて大第的に宣伝して、社会問題化していく。そして問題意識を皆で持つことで、その社会問題を解決していく。
これは、ティモシー・リアリーの考え方とは真逆の考え方なんです。

どの様に逆なのかというと、イッピーやフラワーチルドレンと呼ばれた人達が行っていることは、価値観の押しつけなんです。
社会の中から問題を見つけ出してきて、今までの価値観を持つ人達に『今までの価値観は間違っているんだから、新たな価値観に変えるべきだ』と迫って、新たな価値観を押し付けていくわけです。

その一方でティモシー・リアリーの考えは、自分の価値観を変えることを推奨しています。
ジョン・レノンがイマジンという曲で訴えた事も同じで、この曲内では、この世にある様々な境界線を無くした世界を想像しようというものですよね。
では、境界線とは何なのかというと社会問題で、境界線のない世界というのは社会問題が存在しない世界を意味します。

真逆ですよね。
イッピー達は、世界の中から問題を見つけ出して、それを大々的に宣伝することで、他人の価値観を塗り替えようとします。問題を見つけ出すというのは、新たに境界線を引く行為です。
つまり、イッピー達が社会を良くしようとして行うデモ行進などは、行えば行うほどに境界線がハッキリしていき、個別の問題として社会問題化すると、それが元で更に問題、つまり境界線が生まれるということです。

境界線のない世界

例えば、企業が人員を募集した際に、採用比率が9:1で男性の方が多くなった場合、『男女差別だ!』という声が上がってしまうというケースがあります。
会社側としては、男女で区別して取ったのではなく、採用試験をして上から順番に採用した結果に過ぎなかったとしても、偏りが有って『差別だ!』と言われてしまう。
それを解消するために、男女比を半分半分位なるように採用するように変更すると、本来は入社できていたはずの成績を収めた男性が落とされて、従来のテスト結果では落ちていたはずの女性が合格するというケースも出てきます。

今回は一例として出しただけなので、当然、会社の事業内容によっては、男女比が逆のケースもあるでしょうが、ともかく、この様に採用が偏るケースで無理やり男女比合わせた場合にこの様な事は起こってしまいますが、これは本当に、差別のない社会なのかということです。 
『男女差別だ!』と声を上げる人達は、男女平等な社会を実現させる為に運動をして声を上げているわけですが、この運動によって、男女の境界線というのもはより深くなりますし、男女というものはこの運動によって、明確に別れてしまいます。
先程のケースでいうと、成績が高かったのに男だから落とされた人と、成績は低かったけれども女だから受かったという人が出てきてしまいます。 これは、逆のケースでも同じです。

この様に、明確に境界線が引かれた場合は、それによって更に、問題が生まれてしまいます。これに対してリアリー達の言っていることというのは、境界線の無視です。
男とか女とか人種の違いとか国籍とか、そういったものに意味なんて無いよねという事です。
1人の人間を目の前にした際に、『この人は、男性で白人でアメリカ人で、ハーバードの出身で、年収はこれぐらいで…』といったあらゆる境界線を無視して、更にいえば、
その人間と自分という人間の境界線すらもなくして、相手と自分とを同一視しようと言うことを主張しているわけです。

全ての境界線を亡くした状態で、相手と自分を同一視すれば、当然ですが、自分が嫌だと思うことは相手に行わないですし、自分が発する言葉が相手にはどう聞こえているのかを考えながら話します。
この様な価値観を世界中の皆が共有すれば、戦争や貧困も起こりようがないですし、世界はより平和で暮らしやすい方向に進んでいきますよね。
この価値観の中で、仮に一部の企業が採用試験をした結果、9:1で女性が採用される事になったとしても、リアリーが主張する世界には、そもそも前提として男性や女性という境界線が無い世界なんですから、これを問題視しようとしう運動も起こりません。

そもそも性別という境界線が無いわけですから、当然、BTLGのような問題も起こりようがないという事なんです。
そして当然ですけれども、この様な価値観は押し付けるのではなく、自分自身で理解する事を重要としていました。
そのために必要なのが、LSDによる神秘体験で、世界と個人との一体感を体験する事で、悟りを開く事を推奨していました。

理想だけでは駄目な事もある

この、イッピーとリアリーの主張の違いですが、どちらが良いのかというのは、一概には言えません。
世の中に埋もれている問題を取り上げて、それを共通認識として持たなければ解決しない事も多いでしょう。 
弱者が団結して声を上げなければ、大抵の場合は権力者の都合の良いように世の中は作り変えられていきますし、搾取の構造も、それによる二極化も進むばかりです。

リアリーの主張では、それらの事を全て無いものとして無視すれば良いという事ですが、実際問題として社会環境によって被害をうける場合は、どうしようもないですよね。
例えば、アメリカでは黒人差別が根強く残っているようですが、黒人の人が前提を無視して自由に振る舞ったとしても、黒人差別をする白人警官に不当逮捕されてしまう可能性もありますよね。
偏見・レッテル、色んな言い方はありますが、自分自身がそれらを捨て去ったとしても、相手が自分に貼り付けているレッテルが消えるわけではありません。

リアリーの主張している事は、理想的ではあるんでしょうけれども、関わる全ての人が悟りを開いて、その様な考え方をしなくては成り立ちませんが、それは、かなりハードルが高いですよね。
また、幻覚剤による神秘体験や、シャーマニズムの復活というのは、かなり誤解を受けやすい主張です。
現に、ヒッピーと呼ばれる人達が目立った行動を取り、世間一般にとっても有名になり始めた1970年前後には、様々なカルト集団が誕生しています。

ここで誕生したカルト集団の多くは、主に神智学と呼ばれる、キリスト教と東洋思想や科学などを混ぜて作られた概念が主流だったのですが、幻覚剤による神秘体験と相性が良かったのか、乱立するようになります。
このカルト集団も、リアリーの主張を誤解して、もしくは意図的に曲解して生まれた組織です。
というのも、リアリーの主張は、人間を縛り付けている鎖を断ち切るというものですが、宗教というものは、宗教が持つ物語や信仰対象の神によって行動を縛られてしまいます。

管理者が人の作ったシステムなのか神なのかという違いでしか無く、結局は、管理された社会で暮らしていく事になってしまいますよね。
リアリーが主張する境地というのは、結局は主観的なものなので、他人には本当の意味で理解されることもなく、リアリーの主張に反し、ヒッピーというものの方向性は大きく変わっていくことになります。
結構長くなってきましたので、まとめと、それ以降の動きについては、また次回にしていきます。

第36回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(12) ~ヒッピー回まとめ (前編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回はこちら
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幻覚剤と結びつくビート・ジェネレーション

第25回から前回の35回までのエピソードで、ティモシー・リアリーという人物を中心にして、ヒッピー・ムーブメントの始まりから終わりまでの流れを追っていきました。
少し詳しめに流れを追っていった為に、全体を通して、結構、長めのコンテンツになってしまったので、今回からは、一連の流れを簡単に振り返りつつ、このムーブメントが現在にどの様な影響を与えているのかについて、観ていこうと思います。

このムーブメントは、一人の心理学を生業とする男が、シロシビンという幻覚剤と出会うところから始まります。
シロシビンによる幻覚に魅せられた心理学者、ティモシー・リアリーは、幻覚剤による神秘体験を調べていくうちに、『知覚の扉』という本にいきつき、その本の作者オルダス・ハクスリーを通して、ビート・ジェネレーションの大物達と知り合うことになります。

ビート・ジェネレーションとは、高度管理社会に対して異論を唱えて、詩や、その朗読を行うポエトリーリーディングなど、文化的な活動によって意識を変えようとする人たちの事です。
高度管理社会とは、国や社会のシステムの為に、人間の行動が管理されて制限されている社会のことです。

高度管理社会とは

社会は、テクノロジーの進化によって効率化を求められるようになりました。
元々、それぞれの地域でそれぞれ作られていた製品は、より効率を求められることによって、組織化され、人々の仕事はより細分化されて、一定の動きを一定時間内に繰り返すという反復運動を強いられるように変わっていきました。
そして組織同士は生存競争にさらされ、生き残った組織はより大きくなり、より大きくなった組織では、さらに仕事が細分化されて、人の仕事はより機械的になっていきます。

この環境では、人々は生活を安定させる為に、より大きな組織に属する事を目標とし、その為に、よりよい学校に入り、その学校内での競争を生き残ろうとします。
人は生まれてから死ぬまでの間、常に生存競争に勝つことを強いられて、勝ち残る為の行動を強いられます。
それぞれのステージで、上に行くために競争を強いられて、競争を勝ち残る為に、行動が制限されてしまう。この様な管理社会に対して、文学面から異論を唱えた世代がビート世代です。

ティモシー・リアリーは、世の中の前提に対して異議を唱えるビート世代と意気投合し、文学面ではなく、幻覚剤の効果によって、高度管理社会に打ち勝とうとします。
幻覚剤がもたらす、強烈な神秘体験によって、今現在、見えている世界が、そのままの世界だという確かな実感を打ち消してしまう。その感覚を持って、自分たちが存在している世界の前提を疑う。
その体験を通して、常識とされていた前提を疑い、高度管理社会が定める決められた人生に抵抗しようという事なんでしょうね。

管理社会による現実を破壊する幻覚剤

リアリーは、世の中の前提をぶち壊すために必要なのは、幻覚剤による神秘体験だと信じ、神秘体験を高確率で起こす方法を研究することになります。
その研究の末に行き着いたのが、古代のシャーマン信仰です。 神の啓示を受けて人々に知らせるという役目を持つシャーマンが、神と交信する方法に着目し、古代シャーマニズムを現代に復活させます。
チベット死者の書』という本を掘り返して英訳し、それを儀式に使用することで、人々を神秘体験へと導いていきます。 この辺りの行動が、ティモシー・リアリーサイケデリックの高僧 つまり、位の高い僧侶と呼ばれる所以なんでしょう。
神秘体験を経験した人間は、自我と宇宙が一体化したような体験を得て、他人と自分とを同一視し、悟りを開いたように、前提や過去にとらわれない行動や考え方が出来るようになったようです。

その後、この動きに賛同する形で、様々な人達が名乗りを上げて集まってきたり、団体を立ち上げ始めます。
理想的な共産主義を目指すディガーズや、メリー・プランクターズを率いて、アシッドテストを行った、『格好の巣の上で』という小説で有名なケン・キージー
他にも、多くの人達が集まり、新たな価値観を作っていくことになります。

一応言っておきますと、新たな価値観をつくっていくとはいっても、皆が一丸となって、一つの文化を作ったわけではありません。
それぞれの集団は、今までの前提を覆すという共通の認識は持ちつつも、それぞれは別々の道を歩んでいきますし、それぞれのコミューンの最終目的も違ったままです。
ただ、それぞれのコミューンの考え方やアプローチの方法が、別のコミューンに刺激を与え合ったということです。

シャーマニズムなどの今までの常識を打ち破るカウンターカルチャー

リアリーやビート・ジェネレーションが訴えかけていた事は意識革命なんですが、派生したこれらの団体は、意識を変える事によって現実の捉え方を変えるというものだけではなく、参加者に、現実の行動やライフスタイルの変化を求めるようになりました。
とはいっても、この頃はムーブメントの規模も小さく、コミュニケーションも密に取りやすい状態だったので、意見交換等はそれなりに行われていたようなんですけれどもね。

リアリーが研究していたLSDのレポートや、グッドトリップに到達する為のセッションは、新に生まようとしているカルチャーに大きな影響を与えましたし、リアリーも、ケン・キージーの影響を受けて、自分探しの為に世界に飛び出しました。
程度の差はあれ、それぞれの集団が他の集団の考え方に触れたり、一部取り入れたり、その為に交流する事で、この文化は拡大していって影響力を増していき、当時の若者たちの間に浸透して行くことになります。

この新たな文化は、精神を開示するという意味を持つサイケデリックと名付けられ、このサイケデリックを冠した文化が、生み出されていくようになります。例えば、音楽であったりアートであったりですね。
その後、管理社会に馴染めずに押しつぶされそうになる状態から逃げ出した若者達が、ヘイト・アシュベリー地区に集まるようになり、この地域はヒッピー達の聖地へと変わっていき、サイケデリック文化の中心地になっていきます。
多くの若者達が、この地区で、似たような考え方をする仲間とシェアハウスを行い、共同生活を行う。 そして、その新たな価値観を発信する為に、サンフランシスコ・オラクルというタブロイド誌を発行する人達も誕生します。

ここまでの流れをまとめると、先ず前提として高度管理社会というものが存在し、人々は枠の中に捕らわれて行動を制限されているという状態だったわけですが…
それにビート・ジェネレーションが反発し、前提を覆すための意識改革をポエムによって行おうとしました。
詩やその朗読を行うことによって、文化面から意識改革を促そうと頑張るのですが、それだけでは一定の成果しか出ません。 まぁ、詩を読むとか朗読会に参加するということ自体が、意識高い人しかしないでしょうしね。
そこに登場したのが、幻覚剤です。 幻覚剤は、ポエムを読み解く学力がなかったとしても、簡単に、主観としての実感を伴った体験を通して、世の中の前提が壊れた世界を体験することが出来ます。

ハーバードで研究を行っていたティモシー・リアリーは、幻覚剤によって得られる経験を制御する為の方法を研究し、その過程で幻覚剤使用前の被験者の精神状態に注目し、精神を安定させる為の方法を考えていくうちに、古代シャーマニズムに行き着きます。
そして、『チベット死者の書』の英訳版を出し、それを利用した儀式を行うことで、高い確率でグッドトリップを誘発して神秘体験が出来る方法を編み出していきます。
神秘体験をした人間は、世の中の前提に縛られない考え方ができるようになるようで、これは、高度管理社会という社会が決めた枠組みからドロップアウト出来る事を意味します。
社会から抑圧されていた若者たちは、この救いに群がるように集まってきて、勢いを増していったという事ですね。

(つづく)
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【漫画紹介】 ウメハラ FIGHTING GAMERS!

今回紹介する漫画は、『ウメハラ FIGHTING GAMERS!』です。

作品の簡単なあらすじ

この物語は、去年(2017年)ぐらいから急に言われだしたeスポーツの、原点を探る物語といっても良いかもしれません。

物語の主人公は、日本で最初のプロゲーマとなり、その活動に伴ってギネス記録を3つも持つ、ウメハラという格闘ゲームの選手。
その中学生時代を描いたのが、本作となります。

物語の出だしは、『ヌキさん』という相性で親しまれている、大貫晋也さんが、格闘ゲームのヴァンパイアシリーズで地元で敵なし状態で、天狗になっていたろころに、ウメハラという少年と出会うところから始まります。
今まで、特に苦労することもなく誰にも負けない状態を保っていた大貫さんは、ゲーム一筋というわけではなく、カラオケに行ったりと他の遊びもする、いわゆるウェーイ系。
そんな状態だったので、一人で黙々とゲームをしているウメハラさんを、若干、見下す感じの印象を抱いていたのですが、実際にプレイしてみると、実力差が段違い。

そこから先は、ウメハラさんに追いつく為に、友達の誘いを断ったりし、皆でお金を出し合って基盤を買ってまで猛特訓し、何とかウメハラに追いつく為に頑張る!ッといった感じで、生活を一気に変える。
今まで一緒に遊んでいた人達からは、『最近、付き合い悪くなったな。』とか、『ゲームばっかりやってるな』なんて言われだし、疎遠になるも、ウメハラを打ち負かしたい一心で、初めて努力をするといった感じで始まります。

まぁ、この部分はホンの序章で、大会の決勝戦ウメハラ vs ヌキ が実現した後に、本編の『ストリートファイター編』に入っていきます。
ストリートファイター編でのウメハラのライバルは、奈良県の『ナラケン』こと『クラハシ』さん。
社会人になってもストリートファイターが辞められず、ガイルを極めた男。

前半部分が、ウメハラに追いつく為に大貫さんが頑張るという展開だったのに対し、クラハシという絶対的な存在に、ウメハラがどうやって追いつくのかというのがメインの物語です。

感想

この作品は、最近、話題になってきたeスポーツを知る上では、読んでおいたほうが良い作品だとは思いますが…
あらすじ紹介でも書いた『ストリートファイター』という作品に思い入れが無いと、本当の意味では楽しめない… というか、意味のわからない作品だと思います。
というのも、メインの話である『ストⅡ』の説明以前に、格闘ゲームの説明すらなく、このジャンルのゲームを知っている前提で書かれているからです。
ただ、逆にいえば、ストリートファイターに思い入れがある人間が読めば、相当、楽しめる作品だと思います。

私自身の過去の話をすると、ストリートファイターⅡという作品がゲームセンターに出現したのは、中学生の頃だったと記憶してます。
中学生になると、月々、少額ではありましたがお小遣いが貰えるようになるわけで、私は、そのお金を使って、ゲームセンターに入り浸る生活を続けていました。
まぁ、入り浸ると入っても、当時のストⅡ人気は凄いもので、ゲームをプレイするのに順番待ちするのなんて当たり前、ゲームセンターにいる時間の殆どは、筐体の後ろに並んで、他人のゲームを見ているという状態だったので、滞在時間に比べてお金は減らなかった訳ですけれども。

北の方に、100円入れるとメダルが3枚出てきて、そのメダルでプレイできる格安ゲーセンがあると聞けば、少し遠くても自転車で向かい、東に50円で2プレイのゲーセンがあると聞けば、また、自転車で向かう…
少ない小遣いで、出来る限り長時間遊ぶための手間は惜しまない。 そんな生活を続けていました。
そんな少年時代を送っていたわけですから、ここで描かれている様なゲームセンターの雰囲気もよく理解でき、私自身は、かなり楽しむことが出来ました。

ですが、先程もいった通り、ゲームセンターという文化に慣れ親しんでいない人にとっては、かなりファンタジーな世界観かもしれません。
ゲームセンターでしか合わず、軽い挨拶はする間柄だけど、名前も知らない間柄とか…
対戦ゲームなのに、リアルな人間同士が殺気を出し合って、険悪な雰囲気になったりとか…
ただ、実際に行っていた人間からみると、かなりリアルな描写がされていて、私などは、この作品を読むだけでタイムスリップ出来る様な感じにさせてくれる作品でしたね。

そして、次にオモシロイと思ったのが、題材にされているのがストリートファイターを始めとしたカプコン作品で構成されているというところですね。
作品内でも描かれていますが、ストⅡ発表時こそ、カプコンの格闘アクションは圧倒的な人気を誇っていましたが、その後、SNKが餓狼伝説を出した辺りから、徐々に人気がSNKに移りだし、ストリートファイターシリーズは、徐々に人気が薄れていったんですよね。
私のようなミーハーは、当然のように、SNKのKOFやリアルバウト餓狼伝説サムライスピリッツなどに流れていました。

また当時は、格闘ゲームブームだった為、数ヶ月おきには新ゲームが発表されるという状態。
私などは、次々に発表される新ゲームに目がくらみ、新しいのが出ればプレイし、一つのゲームをやり込むということはしていなかったのですが…

このゲームでは、ミーハー層が新ゲームに流れる中、ストリートファイターに拘って腕を磨き続ける人達が描写されていて、結構、刺激を受けましたね。
因みに、当時、流行していたSNKのゲームなどを知りたい方は、こちらの作品を読むと良いですよ。

少しネタバレ感想

この作品ですが、最初は、ウメハラ vs ヌキ という感じで始まるのですが、それは本当の序盤だけで、それ以降は、クラハシさんとの勝負が中心になってくるのですが…
このクラハシさんのキャラクターが凄い! もう完全に、ウメハラさんをくってる感じで、クラハシさんが主人公なんじゃないかと思わせる程に、強烈なキャラクターに仕上がっています。

そのクラハシさんですが、ゲームに掛ける情熱が凄い。
ゲームセンターで練習する為の金を稼ぐために、肉体労働で必死になって仕事をし、食事は、150円の菓子パンと100円のアンパンの二択で散々迷った挙げ句、アンパンを選択。
その理由は、差額の50円でストⅡがⅠプレイできるからというだけの理由。 しかも、アンパン1個の購入で、店にある無料で持ち帰っても良いとされているパンの耳をすべて持ち帰り!

そこまでして食費を削るのは、お金を全てストⅡに捧げる為。
家には家具もほぼなく、ベットなどの必要最低限の物が置いてあるだけで、生活に必要ないものは、アケコンと呼ばれるコントローラーだけ。


しかも、アケコンは有るけれども、テレビもゲーム機も無い。 では、アケコンで何をやってるのかというと、目をつぶってイメージトレーニングをしているという…
ここまでストイックな姿を見せられると、ただただ関心させられてしまいますね。

また、自分のゲームに対する姿勢というのを、相手にも求めるというのが、また凄い。
対戦ゲームなのに、弱い人間が入ってくると怒ったりと、場の空気を読まずにただただ、ゲームに専念する。
一歩間違うと、ただの変人で、身近にそんな人がいれば、関わり合いたくないと思ってしまう人物ですが、何故か、主人公のウメハラよりもクラハシさんを応援したくなってしまいたくなる程、強烈なキャラクターとして描かれています。

そして、この作品の凄いところは、ここまでストイックなクラハシさんを描いていながら、ゲーセンに通っていない人達、例えば、学校の先生や親などに、『ゲームなんてやってて、何の意味があるの?』という、ゲームを見下してないと言えないような如何にもな質問を言わせているところです。
野球やテニスなどの運動部に入って、真剣に練習に打ち込んでいれば、周りからは褒められる。 勉強を真面目にすれば、更に褒められる。
しかし、ゲームを真剣にやれば、『そんなのを真剣にやって、何の意味があるの?』皆から嫌味を言われる…

じゃぁ、野球を真剣にやることに何の意味があるんだろうか? 野球をやってる人間の99.99%はプロ野球選手になるわけでもなく辞めていくわけですが、何の為にやってるんでしょうか?
勉強をやって成績を上げれば、確かに、有名な企業に入れるかもしれませんが、その有名な企業は、人々の生活に本当に役に立つ仕事をしているのでしょうか?
単純に、名前が売れていて、社会システムに組み込まれているが故に金回りもよく、給料も出るが、その会社が無くなったとしても誰も困らない会社って結構あると思いますが、そういう会社にステータスの為に入って、誰からも感謝されずに生きていく事に、意味はあるのでしょうか?

ゲームに打ち込んでいる少年は、少なくとも、その瞬間は自分の好きな事をしていますし、生きている意義もその中に見出してしますが、それを捨てて手に入れるものに、本当に勝ちがあるのでしょうか。
そういった事を、作品を通して問いかけてくるような構造になっていて、単純なゲーム漫画以上に、楽しんで読むことが出来ました。

人生は、常に選択を迫られるものですが、私達は、本当に進みたい道を進んでいるのか。 そんな事を考えさせられる作品。
興味があれば、目を通してみては如何でしょうか。

【映画紹介・感想】 ゲットアウト

今回紹介する作品は、『ゲットアウト』です。



観ようと思ったキッカケ

この作品は、劇場公開が2017年の1月という事で、この記事を書いている1年半前に公開された作品なのですが、公開直後から、結構な話題となっていたので、ずっと気になっていた作品だったんですよね。
何故、気になったのかというと、ホラー作品なんだけれども、普通のホラー作品ではないといった話が漏れ聞こえてきたからです。

私は、それほど映画などを観ているわけではないのですが、ホラーと聞くと、殺人鬼が出てきたり、化物や幽霊的なものが大きな音と共に急に画面に映し出されたりといった感じの、オーソドックスなホラーか、パニックホラー。後は、最近人気のゾンビものぐらいしか観たことがなかったので、『今までにない感じ』と言われると、なんとなく興味がそそられたんですよね。
ただ、気にはなっていたんですが、劇場に足を運んでみようという気は起こらず、なんとなく時間が過ぎていき、1年半以上が経ったわけですが…
ココ最近になって、Amazonでプライム会員なら無料で見れる状態になったので『無料で、尚且、家で見れるなら!』と思い、観てみた次第であります。

ホラー? この作品のテーマ

この作品には、知ってしまうと台無しになるような致命的なネタバレが有るので、取り敢えずは、その部分だけを隠した状態での感想を書こうと思います。
ネタバレ無しとはいっても、全く無いように触れずに感想を書けるほど、私は文章を作るのは上手くない為、私が見る前から知っていた程度の、多少のネタバレは含みます。

という事で、早速、軽いネタバレから始めるわけですが、この作品は、ホラー作品といっても、ゾンビやパニック、怪物や幽霊が登場する様な、ごく普通のホラー作品ではありません。
人種差別問題を多く含んだ… というよりも、それをメインテーマに掲げているような作品です。

人種差別。 特にアメリカで酷く、今でも根強く残っている差別として、黒人差別問題があります。
この作品では、その差別問題を色んな面から捉えて可視化している感じの作品です。
その為、私の様な日本人が観ても、ほんとうの意味で理解はできないのかもしれません。一方で、これは予測に過ぎませんが、アメリカに住む黒人の方が観た場合は、かなり感情移入できる作品なのかもしれません。

簡単なあらすじ

この物語の始まりは、夜中に閑静な住宅街の道を、1人の黒人の方が歩いているところから始まります。
歩いている黒人男性自身が、『場違いなところを歩いている?』『泥棒と間違えられないかな…』なんて思いながら歩いている点を取っても、今だに根強い差別が有る事を感じさせられます。
だって、この男性は、何もやましいことはしていないんですよ? にも関わらず、自分が周りからはどのように観られているのかとか等、見ず知らずの誰かを想定して、気を使い続けなければ、道も歩けない状態に押しやられているわけですから。

そんな状態に追い込まれているので、足早に住宅街を抜けようとしていた男性ですが、後ろから、大きな音楽をかけた車が煽ってきます。
暴力事件に巻き込まれそうだと感じた男性は、面倒事に巻き込まれないようにと、やり過ごそうと、車の進行方向と逆の方向に方向転換し…
って感じの始まり方なんですが… 何度もいうようですが、このシーンだけを観ても、黒人の立場がどれほど弱いかが分かりますよね。

仮に、その場に警官がいたとしたら、その黒人男性は職務質問されていたでしょうし、車で煽ってきた人間と喧嘩になれば、黒人男性だけが逮捕されたりするのでしょう。
日本に住む私達にとっては、何かあれば警官にいえば良いと考えるでしょうし、その場にいてくれたら心強いとすら思う状態なのかもしれないですが、黒人男性にとっては、誰も信用できないので、自分の身は自分で守る意識が強い。
というか、そういう自覚がないと、生きていけない程に大変な環境なのかもしれません。

この様なシーンは、この映画のいたるところに出てきます。
冒頭のシーンが終わると、1組の黒人男性と白人女性のカップルの話に移り、白人女性の両親に彼を紹介しに実家に戻るという話になるのですが、その際のやり取りも、人種問題を連想させるようなやり取りだったりします。
『両親には、彼氏は黒人だと伝えている?』とか、『伝えていない状態で、いきなり家に行って驚かれない?』といった感じの質問が続き、人種差別の被害者である黒人男性の方が気を使っている演出がされます。

その一方で、白人女性の彼女の方はというと、人種差別なんて事は一切、連想させないような振る舞いをしています。
黒人だからとか、白人だからといった固定観念は一切ない感じで、同じ人間で何の違いもないのに、何故、そんな事を気にするの?といった感じで彼氏に接します。
その為、『両親に、彼氏は黒人とかいう必要有るの?』といったド正論で返答してきたり、その他には、彼女の家に、彼女の運転で向かう最中に鹿との接触事故を起こすのですが、その際に警官から、隣りに座っていただけの彼氏の身元確認を求められるのですが、『何の必要があるの? 彼は、ただ隣で座ってただけで、何の関係もありませんが?』と毅然と抗議をしてくれます。

彼女の徹底した態度に、観ている側も、『差別しないって、そういう事だよね。』と思わず思ってしまう程に、【人種】という区別を感じさせない自然な接し方で、彼氏の自虐的な態度の方が目立ってしまう程。
このあたりの演出は、かなり上手いなと思わされました。

そして彼女の家に到着。物語は、ここから本編に入る感じです。
黒人に対する差別が全く無い彼女の両親という事で、彼女の家族の方も、人種差別はしないのですが…

その一方で、黒人の持つ肉体的特徴を、褒めまくるんです。
貶しているのではなく、褒めているんだから差別じゃないだろ!?と言わんばかりの褒め方で、それを言われている黒人男性は、褒められているにも関わらず、逆に萎縮してしまう程。

そうこうしているうちに、近々、彼女の実家で、親戚獣が集まるパーティーが有る事を聞かされます。
両親は、『来る人間は、みんな良い人だから、一緒に楽しもう!』と言ってくるのですが、彼女は帰りたそう…
しかし主人公は彼女の両親に気を使って、パーティーに参加をする事を決めるのですが、そのパーティーが、彼女の両親に輪をかけた様な感じで、黒人男性を褒めちぎってくるんです。

パーティー参加者は白人ばかり。その中で、好奇の目にさらされて褒められている主人公は、『動物園で見世物にされている感じで不愉快だ』と感情をあらわにする程、苛立っている様子。
このあたりは、非常に考えさせられますよね。

『善意』で偽装した『悪意』

このような事って、人種差別に関わらず、他のことでもありがちですよね。
例えば、自身は大金持ちなのに『私は自分の事を金持ちだとも、優秀だとも思ってない! 休日は安い居酒屋などに通って、庶民の話を聞いたりする事が楽しみなんだ!』とか言っちゃう人っているじゃないですか。
でもね、本当に自分を特別だと思っておらず、安い居酒屋に通う人間を見下してない人間は、わざわざ、他人にそんな事を自分から言ったりしませんよね。

聞かれてもいないのに、わざわざ自分から、そんな事を発信している人間は、実際には自分は優秀だから金持ちになれた特別な人間だと思っていて、安い居酒屋にいる人間を見下し、その中で楽しんでいる自分に酔っていて、優越感に浸ってますよね。
でも、態度としては、高圧的な態度も取らないし、『こういう居酒屋で呑むのが楽しいし、こういう場に集まる人と話すのが有意義だ。』と言われれば、言われた側は悪口を言われているわけではないので、怒ることもない。
ただ、どことなく、嫌な感情は抱いてしまう。

誤解しないで欲しいのは、ストレートにヘイトスピーチをして人種差別をするほうが良いと言っているわけではありません。
人が嫌がる事をあえて言うのは駄目に決まっているわけですが、では、それを偽装した形で表現するのは良いのでしょうか。
『褒める』という偽装した形の主張は、読解力の低い人が聞けくと、まるで良い行いをしているようにも取れてしまう。

世の中には、相手の意図を読み取る能力が高い人ばかりではないので、この様に偽装した形で主張する人は、なんなら人々から尊敬されたりしてしまう。
何らかの形で差別をしているのに、その被害者は反論することも出来ず、何ならその主張によって、差別をしている人間が地位を高めてしまう。
差別されている側は、嫌な思いをした上に、相手のセルフブランディングにも手を貸すことを共用されてしまう… とも考えられますよね。

『一人呑み』は『課金ガチャ』

私は、20代半ばぐらいから、週末になると一人で呑みに行くという行動をとっていました。
別に、お酒が特別好きだからとか、酔っ払う感覚が好きといったわけではなく、基本的に家ではお酒を飲まない生活を送っている為、お酒を呑むのは呑みに出かけたときだけ。
その為、20代の頃は毎週土曜日に欠かさず呑みに行くという生活を送っていたにも関わらず、呑んでいるのは月に4日程度。

現在に至っては、月に1~2回しか呑みに出かけることがないので、呑む回数自体が減っているわけですが…
間隔は空いても、『一人で呑みに行く』という習慣は続けていました。

しかし、最近になって、この私の『一人で呑みに行く』という行為そのものが、スマホゲーの課金ガチャと変わりがないんじゃないかと思い始めました。
何故、そう思ったのかについて、今回は書いていこうと思います。

そもそも何故 呑みに行っていたのか

今現在では、『一人で呑みに行く行為』そのものを、課金ガチャと同じとまで思ってしまっている状態なわけですが、そもそも何故、そんな行動をとっていたのかという事について考えてみます。
結果からいえば、寂しさが紛れるとか、リア充っぽく振る舞えるといった事が目的で、通っていました。

では何故、寂しさが紛れたり、リア充っぽく振る舞えたりするのでしょうか。
私が毎週のように呑みに行っていた店は、キャバクラとかクラブといった、女性がもてなしてくれる様な店ではありません。
チャージ無し~1000円までのショットバーがメインで、バーテンダーも、女性の店よりも男性が切り盛りしている店の方に頻繁に通っていました。

この様な経験をあまりしていない方にとっては、男性が切り盛りしているショットバーやパブに男性客が1人で行って、ストレス発散が出来るのかと不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかし、そういう店って、意外と私のような男性の一人客が多かったりします。何なら、女性客が入ってきたら、その場にいた客がみんな、浮足立つなんて事もあるぐらいだったりするんです。
では、こういう店に来る男性客は、何を目的にして、店に通っているのかというと…

店員と話したり、同じ様に一人で来た男性客と話したりして、時間を潰す為に行ってるんです。

男性が一人で切り盛りしている様なこじんまりとした雰囲気の店は、新規客がほとんど来ることはありません。
その為、定期的に店に通っていれば、その店での馴染みの顔になりやすく、それ程時間をかけずに、店員や常連客から声をかけられる、なんて事が結構あります。
そうすると、店や客が主催する遊び(バーベキューやスポーツイベントなど)にも誘われる事もあり、寂しさも紛れ、リア充っぽく振る舞う事が出来るようになるわけです。

普通にサラリーマン生活をして、人と知り合う機会が多い方にとっては、何故、この様な回りくどい事をしなければならないのか理解に苦しむという方もいらっしゃるでしょう。
しかし、私のような家族経営の製造業などをやっていると、家族以外とそうそう知り合う事もなく、人間関係が広がらない。
そういった人間が避難するように行うのが、一人呑みだったりするんです。

一人呑みは博打

ここまでの話を聞いて、一人呑みに興味を持って、自分もやってみたい!と思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、この一人呑み。結構、博打要素がデカかったりします。
というのも、友だちを連れて誰かと呑みに行く場合は、店に期待するのは、金額に見合った商品やサービスと、席が空いていることぐらいです。
しかし、単独で行くとなると、それに加えて、『その日に呑みに来ているメンツ』も、重要な要素になってきます。

同じ店に顔を出しているからといって、その客の全員と気が合うわけでも、仲良く慣れるわけでもありません。
中には当然、鬱陶しい客も結構います。 例えば、自分が話題の中心にならずにいられない人だったり、他の人同士が会話している中に強引に入ってきて、自分の話題に持っていったりする人達など。

こちらは、お金をもらって接待しているホストでは無いんですから、そういった客に気を使う義理もありません。
義理はないのですが、こういう人達は周りの人間に関心がなく、自分の欲求を満たせればそれでいいと思っているのか、その店の中心人物のように振る舞ったりします。

こういった人や、その人の太鼓持ちの様な人が数人いるだけで、その輪に入っていない他の人間にとっては最悪の時間に成り果てます。
目が合うと話しかけられ、よくわからない理論でマウントを取られてしまう為、目を合わせては駄目。かといって、お酒を一気飲みして直ぐに帰るのも変だし、何よりも、その客に負けたような気になってしまう。。
結果として、その場に居合わせた人間の取れる行動は、スマホニュースを見るという一択になってしまい、騒ぎ立ててる数人を覗いて、全員がスマホを凝視するなんて事もしばしば…

結果、スマホを観て2000円払って帰ってくるという現象が起こってしまいます。

店側は、そういった人間を出入り禁止にしないのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、別に、その人達が全員から嫌われているわけではありません。
人の観点はそれぞれなので、そういう賑やかな人が好きな人もいるでしょうし、私のようにスマホをガン見して関わらないようにしている人間を観て、気分を悪くする人もいるでしょう。
これは、人の性格と組み合わせの問題なので、誰が悪いというよりも、組み合わせの良し悪し、つまり運としか言えないようなものなんです。

一人呑みは課金ガチャ

ここまでの話を読んでもらえれば分かりますが、一人呑みは、その場に居合わせている人間によって、当たり外れが非常に大きな遊びとなっています
自分と気が合い、話が弾む客が来ていれば、その場は至福のひと時となりますが、そうでなければ、一人で1時間ほどスマホを凝視して2000円払って帰るという…
ストレス発散をしに行ってストレスを貯めて、お金払って帰ってくるという苦行に成り果てます。

これは、2000円で10連ガチャを回して、SRやレジェンドが出れば報われるが、ゴミみたいなHRしか出なかったらドブに捨てたのと一緒という課金ガチャと同じです。
しかも、その活動を辞めたら今までの投資が無駄になるという所まで同じです。
スマホゲーは、どれだけ課金しても、ゲームに飽きたりサービス終了したら終わりなのと同じで、一人呑みも、店が潰れたり、その店から足が遠のいた時点で終了です。

『一人呑みは、今までに築き上げてきた、人間関係は残るんじゃ?』と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、大抵は残りません。
毎週の様に通って、店のスタッフとタメ口同士で話すような中になったとしても、会うのは店にいる時だけ。 店に行く間隔が空いたとしても、大抵は心配して連絡してくるなんて事もありません。
客も同じで、アルコールが入っている上に、いつでも好きなときに来て好きな時に帰れるという独特の空間だから、一緒に飲んで騒いでいただけなので、個別で連絡をとって呑みに行くなんて事も、無い事は無いですが少ないです。
スマホゲーで、たまたまチャットが盛り上がり、『ID教えあって、次のゲームに移っても一緒にやろう!』って事が起こるぐらいの低確率です。

店の店主にとっては、呑みに行く人の出費がイコール売上に直結するので、足が遠のいた人に気を使うより、現状で金を使ってくれている人を優先するのは、仕事として当然。
人間的に余程気が合うなんて事が無い限り、店にいかなくなる=縁が切れると考えても良いのでしょう。

課金は計画的に

ここまで、一人呑みと課金ガチャには共通点が有るということを書いてきました。
読む人にとっては、一人呑みにネガティブなイメージを持たれた方もいらっしゃるかもしれませんが、誤解しないで欲しいのは、『一人呑みは無駄なのでやめましょう。』と主張しているわけではないということです。

スマホゲーも、イラストを書く人やプログラムする人、ゲームバランスを考える人やシナリオを考える人、サーバーメンテナンスをする人など、様々な人の手によって、運営されています。
その為、ユーザーが全員、無課金だと、システム的に成り立ちません。 その為、ゲームを楽しんだと思っている人の中には、御布施と称して月に数千円づつ課金すると決めている人もいらっしゃいます。
これは個人的な意見になりますが、スマホゲーは、これぐらいの課金の方が健全ですし、長く続けられるような気がするんですよね。

一人呑みも同じで、居心地が良く、楽しめる確率が高い店を見つけたら、その場所を維持する為にも、月に数千円は課金するぐらいの気持ちで行く方が、健全な気がします。
これが、『せっかく店に来たんだから、楽しんで元を取らないと!』とか『頑張って粘れば、面白い状態に遭遇できるかもしれない…』と思って頑張るのは、あまり得策では無いということです。
課金ガチャでも『今回のイベントで上位50位に入りたいから、絶対に特攻付いたSR以上を引き当てる!』なんて回し方をしていたら、続かないし、ゲームに冷めた時に後悔すると思うんですよね。

『一人呑みは課金ガチャ』『楽しめる場所を守るために、御布施の意味を込めて課金する。』これぐらいのスタンスが、後悔もしない丁度よいスタンスのような気がします。

【アニメ・映画紹介】 イヴの時間

今回紹介する作品は、『イヴの時間』です。



作品を観ようと思ったキッカケ

私は、この作品自体は知らなかったのですが、この作品とは別に、少し前に個別でディープラーニングについて調べていた事がありました。
pythonというプログラム言語を勉強する過程で興味を持ったのですが、関連書籍を購入していると、Kindleのおすすめの欄に『人工知能は人間を超えるか』という本が、頻繁に出てくるようになったんです。

この本の表紙を頻繁に目にするようになり、表紙の絵が、なんとなく印象に残っていたところに、Twitterのタイムラインに、この様な つぶやき が流れてきました。

なんとなく印象に残っていた絵とほぼ同じ雰囲気のTOP絵に興味を持ち、先ほど紹介した本と関連があるのかなと思い、ツイート投稿者に聞いてみたところ、内容的に関連がありそうだったので、早速、観てみました。
プライム会員は無料で見れますしね。

簡単なあらすじ

物語の簡単なあらすじとしては、今よりも少し技術が進んだ未来の日本が舞台。
今よりも科学技術が進み、人間の身の回りの世話をするアンドロイドが実用化された社会の、日常を描いた作品です。

アンドロイドは、見た目がほぼ人間と同じで、頭の上にリングと呼ばれる目印がなければ、人間とは見分けがつかないほどに精巧に作られている為、アンドロイドを人間扱いする人達も増えている。
この様な人達を『ドリ系』と呼び、倫理委員会という一部の人達が問題視し、それに対して警告するというテレビCMを放送していたり…

そんな感じの世界観で、主人公の少年が所有するアンドロイドが、命令以外の場所に立ち寄っていることが分かるところから、物語は始まります。
主人公はGPSで正確な場所を割り出すと、そこには裏路地でドアだけが有る変な場所。 勇気を振り絞って中に入ってみると、そこはオシャレな喫茶店
でも、ただの喫茶店ではなく、入り口には立て看板が立ててあり、そこには店のルールとして、『人間とロボットを区別しない』と書かれている。

この作品は、この喫茶店を中心とした、人間とアンドロイドの関係を描いていく物語です。

観てみた感想

ホラーカテゴリーという枠組みで紹介されていたので、結構、シリアスな展開を予想していたのですが…
実際に見た感想としては、『簡単なあらすじ』でも書いた通り、日常系のほのぼのとした感じの雰囲気の作品でした。

まぁ、ところどころ、ホラーっぽい演出も有るにはあるのですが、その演出も、ほんの数秒間行われた後には、コミカルシーンが挟まって…といった感じで進んでいくので、ホラーが苦手という人でも大丈夫に出来ています。
というか、Amazonがホラーカテゴリーに入れてるだけで、もともとはホラー作品として作られていないと思われるので、その点は安心して観ることが出来ると思います。

アンドロイド系といえば、結構、ディストピア系が多く、殺伐としているものが目につくと思います。
例えば、ブレードランナーであったり、攻殻機動隊であったり、最近発売された、『Detroit Become human』であったり、フォールアウトであったり。
kimniy8.hatenablog.com
この手の作品は、『アンドロイドに感情が芽生えたとしたら?』といった感じの切り口で、アンドロイドを引き合いに出して、『人間とは何なんだろう…』と考えさせることがメインである場合が多い。
また、アンドロイドと人間との対立、そこから発展しての争いや戦争も描かれる場合が多く、殺伐とした雰囲気のものが多いイメージなのですが…

この作品は、終始、日常系を貫いている感じで、結構、不思議な印象を持った作品です。
また、先程あげた多くの作品のように、『人間とは何なんだろう?』という疑問は湧き出てこず、逆に『アンドロイドとは何なんだろう?』という思わせてくれた点も印象的でした。

その他に印象的だったのが、他のアンドロイド作品に比べて、アンドロイド=機械というイメージ付が強烈な印象でした。
主人公は、アンドロイドにコーヒーを入れてもらったことに対して、『ありがとう』といった感じでお礼をいうというシーンがあるのですが、そのやり取りを隣で聞いている姉は『なにそれ? 相手は機械だよ? キモい!』って感じで、もの凄い嫌悪感をいだきます。
また、主人公が下校時に雨が降ってきた際に、アンドロイドが傘を持ってきてくれるのですが、その際に、1本の傘を、人間とアンドロイドとで指しているという事だけで、主人公が弓を刺されて笑われたり…

ここまで徹底して、機械と人間とを区別し、機会に対して人間のように接している人間=異常者とイメージ付ける作品も、結構珍しいなと思ってしまいました。
例えば、雨の中を相合い傘で帰るというのは、アンドロイドを濡らさないという点で、そこまで変なシーンでも無いはずです。
仮に、完全防水であったとしても、アンドロイドは服を来ているわけですから、傘をささないとびしょ濡れになる。 その状態で家に入られるよりは、傘を指してもらったほうが効率的だと思うのですが…
その行為すらも異常としている点で、徹底しているなという印象でした。

ネタバレ感想

先程は、出来るだけ、ネタバレをしない形で感想を書きましたが、ここからは、ネタバレも含んだ形での感想を書いていきます。
ネタバレを嫌う方は、此処から先は読まずに、作品を見てから読んでみてくださいね。



この物語ですが、ネタバレ無しの感想では、ホラー要素はないと書きましたが、確かに演出上のホラーは少ないですが、よくよく考えると怖い要素も含まれた作品だったりします。
というのも、この作品に登場するアンドロイドは、人間の前では、『自分は機械ですよ。』とアピールする為なのか、必要なこと以外は一切話しませんし、話し方も、いかにも機械的な話し方をします。

しかし、それは人間の前でだけです。
メインの舞台となる『イヴの時間』という喫茶店に入ると、アンドロイド特有のリングも消え、途端に仕草が人間らしくなり、興味のあることを積極的に聞いてきたり、悩みを相談するといった事を行います。
表情も感情豊かになり…というか、実際に感情を持っているかのように振る舞うようになります。

このあたりが、非常に怖いといえば怖いですよね。
というのも、人間がアンドロイドと徹底的に線引をし、道具のように扱っているのは、『アンドロイドは機械で、人間の命令がなければ何も出来ない不完全なもの』と見下しているからです。
人間であり、アンドロイドの上に立つ自分という存在に優越感を抱いているから、徹底した道具扱いも出来るし、差別も出来る。

しかしアンドロイドたちは、『イヴの時間』の様な特定の空間では、自分で判断もするし、感情も持っているように振る舞える。
どのように振る舞えば、主人の機嫌を良く出来るのかといった事を真剣に悩み、相談するという知性や共感性も持ち合わせている。
アンドロイドと相合い傘をしているだけで、指を指して笑ってしまう人類よりも、明らかに上位の存在なわけですが、そんなアンドロイドが、アホな人類の前では、知性のないロボットのように振る舞ってくれているんですよ。

そんな事は一切、分からずに人類は、低レベルの自分達の位置までレベルを下げてくれているアンドロイドに対して、高圧的な態度を取り続ける。。
なんか、色んな意味でホラーですよね。
人類に生まれた自分たちは、それだけで、賢くて優秀だと思い込んで、自由に振る舞うわけですが、その自由なふるまいも、人類よりも遥かに優秀で共感性が高く、懐も深いアンドロイドが合わせてくれているから成り立つだけ。

アンドロイドに愛想を尽かされた時点で、おそらく人間は、彼らに対して怒りを持って壊すことぐらいしか出来ないのでしょう。
そして、この作品から離れて現実に目を向けてみると、同じ様な光景が広がっていることに気が付きます。

たまたま時代が良くて、大企業に苦もなく入れて、終身雇用、年功序列で偉くなった気になった、勘違いした人達が威張り散らしている一方で、知識と技術を持った若者が、建前上、理解を示すふりをして合わせてくれているのが現状。
そしてそんな大人達が築き上げてきた、『大人たちが暮らしやすい社会』から、若者たちが一定の距離を置き始めているのが現代だったりします。

アンドロイドに完全に依存した人類に、アンドロイドが愛想を尽かしてしまった場合、この作品で描かれる社会はどうなってしまうのでしょうか。
漠然と、『自分たちが偉い』と思い込み、そこに何の疑問も持たないことが、いかに愚かなことなのか、その事に気がつくと、結構、怖い思いを箚せられてしまうのが、この作品だったりします。

そこそこ楽しめた作品ですが… ただ、一つ思うところがあるとすれば、物語の根底を流れるストーリーが完結してないっぽく、色んな謎が残ったままだったりするんですよね。
続編を作る気満々って感じで終わってるのに、その後、続編が発表されてないって感じの終わり方が、なんとなく消化不良を起こしそうではありましたが… まぁ、無料で観れた作品にそこまでいうのは酷ですよね。
プライム会員であれば、まだ無料で見れると思いますので、興味のある方は、是非、観てみては如何でしょうか。

【本の紹介】 「量子論」を楽しむ本

今回紹介する本は『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! 』です。


購入したキッカケ

この本を購入したキッカケとしましては、私は趣味で、哲学や思想を取り扱うPodcastをやってまして、その原稿を書いている中で、量子論の内容を簡単に知りたいと思ったからです。
ちなみに、私がやっているPodcastはこちら
goo.gl
youtubeチャンネルも有るので、興味の有る方はチャンネル登録して観てみてくださいね。
www.youtube.com

読んだ感想

量子論と聞くと、『理解するのが、もの凄く難しい』とか『理系の人じゃないとついていけなさそう…』という印象を持つと思いますが…
この本は、理系や文系の区別がない様な高校出身で高卒の私でも最後まで読み切れる様に書かれている、分かりやすい本でした。

では、私はこの本を読んで、量子論を理解できたのかというと…
結論からいうと、全く理解は出来ていません。
『最初に言ったことと矛盾しない?』と思われる方も多いでしょうが、この本は、量子論というものを使って、世の中は思っているよりも複雑ですよというのを表現しているような本なので、この本を読んで『世の中って分からないことだらけで、不思議』と思えれば、それだけで、この本は役割を果たしているのだと思います。

それに、量子論という分野は、専門の学者でもよく分かってない分野なので、素人が簡単に『わかった!』なんて言えるものでも無かったりします。
その事について、分かりやすく丁寧に説明しているといった感じでしょうか。

とはいっても、現状で分かっている事や、有力な仮説などはわかり易い言葉を使って説明してあるので、読んで知識が増えないというわけではありません。
また、有力な仮説は、議論が分かれている部分について説明する際には、数式などは使わずに、出来るだけ言葉を使って、誰にでも分かりやすく説明されているので、数式アレルギーの人にも読みやすく書かれています。

量子論とは何なのか

量子論とは何なのかという事を、簡単に説明すると、ミクロの世界で起こっている事を解明していこうという分野の事です。
この世にある全てのもの、あらゆる大きさのものも、元を辿ればミクロの世界に辿り着きます。
どんな大きさの物質であったとしても、最小単位のモノの集合に過ぎないので、ミクロの世界を解き明かせれば、真理がえられるかも?といった感じの学問という捉え方で良いと思います。

ちなみに、この量子論を、数学的に解き明かそうとし、難しい計算式などで表そうとしているのが、『量子力学』と呼ばれるモノのようです。

光は粒子なのか波なのか

この量子論ですが、発表された時期がアインシュタイン相対性理論と同じ様な時期で、なおかつ、相対性理論と相容れないところがある為、アインシュタインからかなりの批判を受けていることでも有名な理論のようです。
そして、発表された時期が被るだけでなく、この理論が生まれた経緯も、どことなく相対性理論と似ていたりします。

相対性理論は、光の観察から始まったようですが、この量子論も、光の観察から始まっているようです。
光といえば、私達は毎日にように目にしてしますし、光がないと物が見えない為、かなり重要なものなのですが、その光そのものが何なのかという事については、分かっていなかったようなんです。

そして調べた結果…光は、粒子という証拠と波という証拠が出てきたんです。
アインシュタイン相対性理論が、光速度不変の原理に辻褄を合わせるように、空間と時間の解釈を買えたのと同じ様に、量子論では、光は『粒子』であり『波』であるという前提に立って作られた理論のようです。

今までの常識を覆す量子論

一つのものが『粒子』という物質であり、尚且『波』であるというのは、従来の常識では受け入れられないものだったようです。
というか、今でも、完全に受け入れられているかどうか…といった感じで、反論している人もかなり居る解釈だったりします。

何故、『粒子』と『波』の性質を併せ持つことが受け入れられないのかは、考えてみれば解ります。
例えば、ライヴ会場のステージに自分が立って、観客席の沢山の人達に向かって、野球ボールを投げた場合、そのボールを受け取るのは1人です。
この野球ボールというのは、1つの粒である為、粒子と考えると、粒子1つを投げると受け取れるのは1人という事になります。

その一方で、ステージの上にスピーカーを用意して、そのスピーカーから音を出すとします。
音は空気の振動、つまりは『波』ですが、その波を受け取るのは1人だけでしょうか? そんなことはなく観客席全員が音の『波』を聞くことが出来ます。

粒子は特定の位置に存在するものですが、波は、広い範囲に同時に存在できるわけですが…
その相反する特性を同時に持っているというのは、人間が持つ想像力では、なかなかイメージできません。
しかし、それが観測されて『事実』だったりするんです。

物質は確率の波

先程、光は『粒子』であり『波』であると書きましたが、話はこれだけでは終わりません。
光という、もともとが『波』と思われていたものに『粒子』の性質が見つかったという事で、その逆も研究も進み、物質と思われていたものにも、『波』の性質が見つかることになります。
しかも、その波は、確率的な波という、更に意味不明なものだという事が分かってきました。

更に重要なのが、ここでいう確率とは、計算上の仮の確率ではないという事です。
例えば、中が見えないコップの中にサイコロを入れて、少し振った後に地面に蓋をするようにして置いたとします。
この際に、中のサイコロの目は、確認できないだけで、実際には確定しているはずですよね? でも、確認できないから、6分の1という確率で答えているだけで、現実の世界では、出目は確定しているというのが、常識です。

しかし、量子論で出てくる確率の波の『確率』は、物質を観測して初めて確定するというもので、観測するまでは、確定したものは無いという、意味不明なものだったりします。
この『確率』という考え方をアインシュタインは批判し、『神はサイコロ遊びを好まない』という有名な言葉を残した程です。

また、この『確率』を掘り下げた上で、素直に解釈すると、多世界解釈、つまり、パラレルワールドが実際にあるという理論にまでつながるらしく、『現実は小説よりも奇なり』と本気で思わせてくれますね。

量子論は机上の空論?

簡単に説明しただけなので、『粒子』と『波』の両方を併せ持つという観測結果が出たから、つじつまを合わせた机上の空論でしょ?と思われる方も多いかもしれませんが…
この量子論を研究した結果、半導体を作ることに成功したようなんですよね。

半導体といえば、PCやスマホに絶対に入っている素材なので、このブログ読む為には必要不可欠といって良い物なのですが、そんな実用的なものが、量子論の理論の延長線上にある為、机上の空論でもなかったりします。

今回は、ほんの紹介という事で、本の一部だけを紹介しましたので、これを読んで興味が有る方は是非、購入して読んでみては如何でしょうか。