だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【本の紹介】 「量子論」を楽しむ本

今回紹介する本は『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! 』です。


購入したキッカケ

この本を購入したキッカケとしましては、私は趣味で、哲学や思想を取り扱うPodcastをやってまして、その原稿を書いている中で、量子論の内容を簡単に知りたいと思ったからです。
ちなみに、私がやっているPodcastはこちら
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youtubeチャンネルも有るので、興味の有る方はチャンネル登録して観てみてくださいね。
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読んだ感想

量子論と聞くと、『理解するのが、もの凄く難しい』とか『理系の人じゃないとついていけなさそう…』という印象を持つと思いますが…
この本は、理系や文系の区別がない様な高校出身で高卒の私でも最後まで読み切れる様に書かれている、分かりやすい本でした。

では、私はこの本を読んで、量子論を理解できたのかというと…
結論からいうと、全く理解は出来ていません。
『最初に言ったことと矛盾しない?』と思われる方も多いでしょうが、この本は、量子論というものを使って、世の中は思っているよりも複雑ですよというのを表現しているような本なので、この本を読んで『世の中って分からないことだらけで、不思議』と思えれば、それだけで、この本は役割を果たしているのだと思います。

それに、量子論という分野は、専門の学者でもよく分かってない分野なので、素人が簡単に『わかった!』なんて言えるものでも無かったりします。
その事について、分かりやすく丁寧に説明しているといった感じでしょうか。

とはいっても、現状で分かっている事や、有力な仮説などはわかり易い言葉を使って説明してあるので、読んで知識が増えないというわけではありません。
また、有力な仮説は、議論が分かれている部分について説明する際には、数式などは使わずに、出来るだけ言葉を使って、誰にでも分かりやすく説明されているので、数式アレルギーの人にも読みやすく書かれています。

量子論とは何なのか

量子論とは何なのかという事を、簡単に説明すると、ミクロの世界で起こっている事を解明していこうという分野の事です。
この世にある全てのもの、あらゆる大きさのものも、元を辿ればミクロの世界に辿り着きます。
どんな大きさの物質であったとしても、最小単位のモノの集合に過ぎないので、ミクロの世界を解き明かせれば、真理がえられるかも?といった感じの学問という捉え方で良いと思います。

ちなみに、この量子論を、数学的に解き明かそうとし、難しい計算式などで表そうとしているのが、『量子力学』と呼ばれるモノのようです。

光は粒子なのか波なのか

この量子論ですが、発表された時期がアインシュタイン相対性理論と同じ様な時期で、なおかつ、相対性理論と相容れないところがある為、アインシュタインからかなりの批判を受けていることでも有名な理論のようです。
そして、発表された時期が被るだけでなく、この理論が生まれた経緯も、どことなく相対性理論と似ていたりします。

相対性理論は、光の観察から始まったようですが、この量子論も、光の観察から始まっているようです。
光といえば、私達は毎日にように目にしてしますし、光がないと物が見えない為、かなり重要なものなのですが、その光そのものが何なのかという事については、分かっていなかったようなんです。

そして調べた結果…光は、粒子という証拠と波という証拠が出てきたんです。
アインシュタイン相対性理論が、光速度不変の原理に辻褄を合わせるように、空間と時間の解釈を買えたのと同じ様に、量子論では、光は『粒子』であり『波』であるという前提に立って作られた理論のようです。

今までの常識を覆す量子論

一つのものが『粒子』という物質であり、尚且『波』であるというのは、従来の常識では受け入れられないものだったようです。
というか、今でも、完全に受け入れられているかどうか…といった感じで、反論している人もかなり居る解釈だったりします。

何故、『粒子』と『波』の性質を併せ持つことが受け入れられないのかは、考えてみれば解ります。
例えば、ライヴ会場のステージに自分が立って、観客席の沢山の人達に向かって、野球ボールを投げた場合、そのボールを受け取るのは1人です。
この野球ボールというのは、1つの粒である為、粒子と考えると、粒子1つを投げると受け取れるのは1人という事になります。

その一方で、ステージの上にスピーカーを用意して、そのスピーカーから音を出すとします。
音は空気の振動、つまりは『波』ですが、その波を受け取るのは1人だけでしょうか? そんなことはなく観客席全員が音の『波』を聞くことが出来ます。

粒子は特定の位置に存在するものですが、波は、広い範囲に同時に存在できるわけですが…
その相反する特性を同時に持っているというのは、人間が持つ想像力では、なかなかイメージできません。
しかし、それが観測されて『事実』だったりするんです。

物質は確率の波

先程、光は『粒子』であり『波』であると書きましたが、話はこれだけでは終わりません。
光という、もともとが『波』と思われていたものに『粒子』の性質が見つかったという事で、その逆も研究も進み、物質と思われていたものにも、『波』の性質が見つかることになります。
しかも、その波は、確率的な波という、更に意味不明なものだという事が分かってきました。

更に重要なのが、ここでいう確率とは、計算上の仮の確率ではないという事です。
例えば、中が見えないコップの中にサイコロを入れて、少し振った後に地面に蓋をするようにして置いたとします。
この際に、中のサイコロの目は、確認できないだけで、実際には確定しているはずですよね? でも、確認できないから、6分の1という確率で答えているだけで、現実の世界では、出目は確定しているというのが、常識です。

しかし、量子論で出てくる確率の波の『確率』は、物質を観測して初めて確定するというもので、観測するまでは、確定したものは無いという、意味不明なものだったりします。
この『確率』という考え方をアインシュタインは批判し、『神はサイコロ遊びを好まない』という有名な言葉を残した程です。

また、この『確率』を掘り下げた上で、素直に解釈すると、多世界解釈、つまり、パラレルワールドが実際にあるという理論にまでつながるらしく、『現実は小説よりも奇なり』と本気で思わせてくれますね。

量子論は机上の空論?

簡単に説明しただけなので、『粒子』と『波』の両方を併せ持つという観測結果が出たから、つじつまを合わせた机上の空論でしょ?と思われる方も多いかもしれませんが…
この量子論を研究した結果、半導体を作ることに成功したようなんですよね。

半導体といえば、PCやスマホに絶対に入っている素材なので、このブログ読む為には必要不可欠といって良い物なのですが、そんな実用的なものが、量子論の理論の延長線上にある為、机上の空論でもなかったりします。

今回は、ほんの紹介という事で、本の一部だけを紹介しましたので、これを読んで興味が有る方は是非、購入して読んでみては如何でしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第35回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(11) ~ムーブメントの終わり (後編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回分はこちら
kimniy8.hatenablog.com

解体される反体制運動グループ

新左翼と呼ばれる人達や、その中でも更に過激思想をもつテロ集団のウェザーマンと呼ばれる団体と、非武装、非暴力、平和主義を訴えるヒッピーやイッピー達との中は悪くなり、それぞれのグループは分断されていきます。
この、反体制運動グループの解体は、自然発生的に起こっただけではなく、政府側のスパイが紛れ込んでいたという話もありますね。
反体制グループは、身元調査をするわけではなく、集まってくる人間なら誰でも受け入れるグループが多く、CIAの諜報員などが紛れ込みやすい状態にありました。

こういうグループでは、前に出て積極的に行動を取るタイプは重宝される為、仕事として入り込んでいる優秀なCIA職員にとっては、グループ内での昇進も楽だったのでしょう。
そして、ある程度上り詰めてグループ内である程度の地位を確保した上で、その立場を利用して、別グループに対する不平不満や罵声を投げかけます。
この様なスパイは、当然ですけれども、相手側のグループにも紛れ込んでいるので、その職員同士で派手に喧嘩を演じる事で、それぞれのグループをバラバラにするような活動も行っていたようです。

この様な状況に耐えられなかったのか、サイケデリック文化の黎明期から活動しているヒッピー達は、ヘイト・アシュベリー地区から逃げ出すようにして、他の地域に散らばっている、考え方が似通っているヒッピーコミューンへと移っていきます。
サイケデリック文化を担ってきた、中心的な人々がヘイト・アシュベリー地区から出ていく事で、この地区は、ニートやジャンキーだけが残され、それを、自称『普通の人』が観光バスから見下すという、異様な町へと変化していきます。
そして、どこの組織にも属していないLSDの売人が、縄張り争いによって殺されるようになります。

元々は、人間が持つ可能性を知る為の意識拡張が重要視され、その体験を促すためのLSDは、求めるものには無料で配布されていた代物だったのですが、
ヘイト・アシュベリー地区の資本主義化によって流れ込んできたマフィアによって、LSDは金儲けの道具と成り果てました。
LSDも、神秘体験を得ることによって、従来の考え方を変えるという目的から、単なる現実逃避や娯楽の一つとして消費されるようになっていきました。
中心となる人がいなくなり、ヒッピーが生み出した文化が金儲けの道具と成り果てることで、この地区でのヒッピーの活動は終わりを告げる事となります。
この様な状況を受けて、黎明期から活動していたディガーズは、『ヒッピーの死』を大々的に演出する為に、ビーズの装飾品など、ヒッピーを象徴するモノを埋葬する葬儀イベントを行い、一つの時代の終わりを決定的なものとします。

資本主義に飲み込まれていくカウンターカルチャー

ここら辺までの流れを、簡単に説明しておくと、最初のヒューマン・ビーインが行われたのが、1967年の1月の話です。
この時期を境に、ヒッピーコミューンに新たな層が大量に流入してくるようになります。 そして約半年後の同じ年の夏には、
モントレー・ポップ・フェスティバルが開催されて、この夏は『サマー・オブ・ラブ』と呼ばれて、ヒッピーにとって象徴的な年となります。
そして、ここから半月も経たずに、同じ年、1967年の10月には、イッピー達によるペンタゴン包囲作戦が行われて、この参加者の一人が、国防総省を護衛する兵士の銃口に、花を挿します。

その一方で、この年は、文化の中心に有ったLSDが規制されて禁止薬物となり、製造を一手に引き受けていたオーズリー・スタンレーが逮捕された時期でもあります。
この逮捕がキッカケとなって、LSDの製造は、資産家のビリー・ヒッチコックが出資者となり、ニコラス・サンドとティム・スカリーの手によって製造され、永遠の愛兄弟団によって市場に流通するようになり、
LSDが資本主義に利用されるようになっていきます。

1967年は、ヒッピーにとって飛躍の年であると同時に、ピークを付けた年ともいえますね。
これ以降は、今回のエピソードでも説明したように、聖地であるヘイト・アシュベリー地区の観光化が進み、時を同じくして街を構成する人間が入れ替わっていき、世間からの評判も悪化していく事になります。
そして1969年1月には、ヒッピーの活動に批判的なサイレントマジョリティーによって、ニクソン大統領が誕生します。
この政権下では、麻薬撲滅キャンペーンが一部地域で行われ、麻薬中毒患者とヒッピーが結びつけら得ることになり、ヒッピーの地位は更に落ちる事となり、黎明期から存在するコミューンのディガーズによって、ヒッピーの葬儀が行われることになります。

ヤケを起こして泥沼化するカウンターカルチャー

1960年はじめから始まったLSDを中心とする活動は、1967年にはピークを迎え、1969年には崩壊に向かっていったということですね。
ここから先の転落っぷりは、結構凄いものがあります。 まず、ヘイト・アシュベリー地区でそこそこ有名人だったチャールズ・マンソンという人物の逮捕です。
この人物はカルトの教祖で、家出少女にLSDを使って洗脳し、男性を誘惑させて自身の元へ引き込む事で、自身の教団を大きくしていった人物なのですが、1969年には、メンバーに無差別殺人を強要して、実際に5人の女性が殺される事となります。

政府やマスコミは、ヘイト・アシュベリー地区の住人という事や、LSDを常用している事から、マンソンとヒッピーを結びつけて避難し、これによって反政府活動を行っているヒッピーも、大きな打撃を受ける事となります。
この事件を受けて反政府活動をしている人達が、マンソンと自分たち活動グループとの関係の否定や思想の違いを強調すればよかったんですが…
何を思ったか、一部のグループは、『マンソンこそが、サイケデリックの聖人だ』といった具合に、偉人扱いをして持ち上げてしまったんですね。

反政府活動を行うグループもマンソンも両方、世間一般や政府、マスコミから敵視されているという事で、敵の敵は味方とでも思ったんでしょうかね。
結果として、無差別殺人者を英雄のように祀り上げる反政府グループは、更に評判を落とす事となります。
そして、その中でも、より過激で行動的と言われている『ウェザーマン』と呼ばれる団体。 これは、SDSと呼ばれる革命を目指す学生による反政府グループというのが元々有ったんですが、そこから更に、過激な思想を持つ人間が集まる事で出来た毛沢東思想を掲げるグループなんですが…

このグループが、反政府活動の一環として爆破テロなどを行って、世間から危険団体として認識されるようになります。
そして、テロが報道に取り上げられると、全国で模倣犯が現れだし、1969年の1月から翌70年の4月までで、4300件を超える爆破事件が起こるまでになったようです。

こういった事実が積み重なると、ヒッピー=ジャンキーであったり、犯罪者であったり、落伍者で有るが故に世間を批判するクズといったイメージは決定的となって、固定されていきますので、評判は地に落ちます。
ラブ&ピースや世界平和を掲げていた時代からすると、えらい変わりようですよね。
そんな中で起こるのが、ティモシー・リアリーの逮捕です。 マリファナ所持で逮捕されて有罪判決が出て投獄されるわけですけれども、リアリーは、永遠の愛兄弟団や、
そこから依頼された反政府組織でテロ集団のウェザーマンのちからを借りて、脱獄する事に成功します。
世間からすると、サイケデリック文化の中心人物が、過激派の手を借りて脱獄したという状態になるわけで、世間の目はより冷ややかなものとなるわけですが…
リアリーはその後、脱獄の手助けをしてくれて、その後も面倒を見てくれたウェザーマンの活動を認めて、応援するようになってしまいます。

この影響は、世間一般よりも、サイケデリックの住人たちにとって、大きなショックを与えます。
これは当然ですよね。 リアリーの意識拡張から出発した文化は、その後、大本の主軸とは違ったものに変わって行くわけですが、そんな彼らが訴えかけてきたものは、平和であり、非武装
Love & Peaceがメインだったわけですが、その元祖ともいえる人物が、実力行使である爆破テロを認めてしまったわけですから、その衝撃は凄いものだったんでしょうね。

また、マリファナ所持の逮捕から投獄までの間に時間が有ったんですが、リアリーはその間に、カルフォルニア州知事に立候補しようと活動してたんですね。
サイケデリックの高僧と呼ばれたリアリーの立候補ですから、ヒッピー界隈から手助けをしたいという声も続々と集まります。
そして、その活動の一環で、ジミー・ヘンドリックス、ジョン・レノンオノ・ヨーコなどが動くことで、リアリー自身の知名度も上がっている状態だったんですが、
その状態で、テロ行為を認める発言をしてしまったことで、元々のヒッピーとテロ集団が同一視されてしまいます。

ムーブメントの終わり

つまり一般人から見れば、ラブ&ピースを掲げる集団が、自分たちの主張を受け入れてもらう為に爆破テロを行っていると言った認識になるんです。
この状況は、批判対象となっている政府側にとっては好都合ですよね。 政府にとって痛いところを付かれていたとしても『それを主張しているのは、犯罪集団ですよ?』と言い返すだけで、世間は納得してしまいます。
そして、活動家=犯罪者という構図が決定的になると、警察側にとっても、反政府運動の取締が楽になっていきます。

そんな中で、再びリアリーが再び逮捕されます。 そして司法取引が持ちかけられ、リアリーは結果として仲間を売る結果となります。
パトロンのビリー・ヒッチコックが逮捕され、ここにも司法取引が持ちかけられて、オレンジサンシャインの製造者の2人が逮捕されます。 捜査の手は、ウェザーマンや兄弟団にも伸びていき、ムーブメントに関わった人物が芋づる式に逮捕されていきます。
脱獄の手伝いをしてもらったウェザーマンを警察に売った事で、リアリーは反政府活動家から信頼を失い、その反政府活動家は、世間一般から犯罪者集団として認定されることとなり、この一連のムーブメントは終焉を迎える事になります。

長く続けてきた、ヒッピー・ムーブメントの一連の流れの解説はこれで終わるわけですが、かなり長いコンテンツになってしまったので、次回は、簡単なまとめと、ヒッピー・ムーブメントがその後の社会にどの様な影響を与えたのかについて、
簡単に語っていこうと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第35回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(11) ~ムーブメントの終わり (前編)

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前回分はこちら
kimniy8.hatenablog.com

イッピーの誕生

前回の放送では、ムーブメントに新たに誕生した新しい層であるイッピー達の出現で、ムーブメントが変化しつつ、盛り上がっっていったという話を中心に行っていきました。
イッピーとは、ムーブメントが盛り上がった事で新たに流入した層で、ムーブメントをファッションやお祭りの様に捉えているともいえる層の事です。
盛り上がっているムーブメントの炎をより大きくする為に、悪ふざけや派手な行動を積極的に行って、メディアなどに積極的に露出することで、自分たちの存在を世の中に知らしめる。
そして、潜在化していた問題を浮き彫りにする事で、それを元にして反体制運動を行っていく。

過熱する反体制運動

この層の出現によって、運動はより大きくなり、現状の社会に対して不満を持っている人達や団体が、このムーブメントに乗る形で存在感を大きくしていきます。
例えば、黒人差別や男女差別、この当時も現在でも、様々な問題が有るわけですが、そのそれぞれの問題を、デモなどを通して社会に対して目立つ形で提示していくという運動が盛んになっていきます。
そして、これらの組織は、この当時のアメリカで最も大きな社会問題とされていた、ベトナム戦争に対する反対運動で集結する事で、元々は小さな炎でしか無かったものが、寄り集まることで勢いを増していく事になります。

反体制運動に対抗する体制と支持者

ですが、この運動に対して面白く思わないのが、批判されている体制側です。
この状態を放置しておけば、この勢いはより拡大し、取り返しのつかない状態へと発展していく可能性が合った為、政府は、急いで対策を取り始めます。
まず、反体制運動に対して強気の姿勢を見せている人物、ニクソン大統領を候補に立てて、大統領選を行いました。

この当時は、反体制運動が盛り上がっていたとはいっても、全体的な人数的には少数派でした。
その為、反体制運動やデモなどの運動にウンザリしていたサイレントマジョリティーは、ニクソン大統領に投票し、ニクソン政権が生まれました。

当選したニクソン大統領は、麻薬取締りを徹底的に行って、反体制運動に少しでも加担しているものを徹底的に逮捕する事で、反体制運動をしている人間=ならず者というイメージを世間に対して植え付け始めます。
そして多くの国民は、この政府の戦略に見事に乗る形で、反体制運動に対するイメージを悪化させていくことになります。
政府のこういったプロパガンダ的な政策が国民に受け入れられやすかったのは、実際に、運動参加者の質が下がっていた事も、大きな要因としてあったんだと思います。

というのも、この運動の火付け役となったイッピー達は、悪ふざけや派手な行動を積極的に行って、メディアに取り上げてもらう事で、自分たちの存在を世の中に知らしめるという戦略を取っていました。
この活動によって集まってくる人達というのは、信念だとか主張といったものを持つわけではなく、単純に、面白そうだとか格好いいといったファッション感覚で集まってくる人間が大多数なので、質そのものが低下してしまいます。
中には、社会問題や主張そっちのけで、悪ふざけや目立つことに重点を置き、仲間同士で競い合うように、悪ふざけやをエスカレートさせる人間も少なくなかったんでしょう。

そんなイッピーの行き着く先は、ハメを外しすぎて刑務所に行くか、有名人になってハリウッドに行くかと言われていたそうです。今でいうと、youtuberと同じ様なポジションと考えてもよいのかも知れません。
そんな人達なわけですから、それなりに多くの人達から既に反感をかっていた状態だったんです。その状態で、政府が活動家と犯罪者を結びつけた為、すんなり信じる人や信じたい人が多かったんでしょうね。

観光地化するヘイト・アシュベリー地区

またこの頃には、イッピー達の取った戦略のデメリット部分の存在感も増していきます。一つは、ヒッピーの聖地と言われている、ヘイト・アシュベリー地区の観光地化です。
イッピー達がメディアに向かって馬鹿騒ぎする事で、主張などはそっちのけで、ヒッピーという名称だけが有名になった結果、馬鹿騒ぎするヒッピー見たさに、彼らの聖地とされているヘイト・アシュベリー地区にも、観光客が集まりだします。
ヒッピー観光ツアーが組まれ、反政府運動に参加していない、『普通の人間』自称する人達が大型バスで訪れて、馬鹿騒ぎするヒッピーの総本山を観光する。 一般人にとってはサファリパークにでも行く感覚で、ヒッピーは見世物にされだします。

人が集まりだすと、その観光客目当てに商売する人間が生まれだし、この地区は、徐々に資本主義に呑み込まれていく事になります。
この地区に集まったヒッピー達の、元々の考えとしては、意識改革によって世の中の捉え方を変えていくというもので、ここに金は介在せず、行動や思想がメインとなっていたわけですが、この観光化によって、物事の基準がお金になり始めます。

この環境の変化の他にも、ヒッピーとして流入してくる層にも変化が出始めます。
イッピー達は、派手な行動や悪ふざけを行う事でメディアの注目を集めて、人を集めるという戦略を取ってきたわけですが、そんな戦略でマトモな人間が集まるわけはありません。
マスコミがピックアップするのは、悪ふざけやお祭り騒ぎだけですからね。
その結果、自分では何も行動を起こさず、考えることもなく、努力もしたくない。全ての原因を自分以外の外側に求めて、働かずに遊んで暮らしたいと思っている様な人間が、大量に集まってきたんです。

そういう人達には、志や目標などもない為、この地区の雰囲気も徐々に代わりだし、評判も落ちていく事となります。
そして、ヘイト・アシュベリー地区の環境が変わり、自分たちを見る周りの目が変わりだすと、LSDを常用しているこの地区の住人達にも変化が現れてきます。その変化とは、バッドトリップの急増です。

LSDでどの様なトリップをするのかというのは、ドラッグを服用する人間の精神状態に大きく関わってきます。
このコンテンツでメインで紹介しているティモシー・リアリーは、グッドトリップを誘発しやすいように、チベット死者の書を翻訳し、それを使用して儀式を行うセッションを開発しました。
ドラッグ服用者の精神をどれだけ安定させられるのか、そして、トリップに対してどのように向き合うのかというのは、トリップで神秘体験を得るのに重要な要素だったわけですけれども…その環境そのものが根本的に変化してしまいました。

政府は自分たちを敵対視していますし、周りの人間は、自分たちを犯罪者を見るような目で見ます。この様な環境で幻覚剤を使用すると、かなりの高確率でバッドトリップをしてしまうようです。
LSDのトリップは基本的に長く、数時間はトリップしっぱなしの状態になってしまうようです。 
幻覚剤によるバッドトリップによって、何時間も恐怖や不安といった感情に支配された人間は、大抵、周囲の人間にとって良くない行動を取ってしまいます。
こういう人達が急増する事で、街の治安は悪化し、評判は地に落ち、状況は、更に悪い方向へと変わっていきます。

反体制運動の参加者の質の低下

町には、バッドトリップから抜け出す為か、他の薬にも手を出した麻薬中毒患者で溢れる一方で、そのジャンキーを客とする、マフィアが大量に流入してくるようになります。
観光地化で、自分たちが動物園の動物のように扱われ、マフィアの流入によって、表も裏も資本主義に支配されてしまう。
こんな状況に耐えられなかったのか、元からいたヒッピーの人達は、ヘイト・アシュベリー地区から逃げ出し、町には、言い方は悪いですが、クズのような人間だけが残されます。

ヒッピーの聖地、ヘイトアシュベリーが崩壊しだして状況が悪化しだすと、今まで共闘していた反体制グループにも、綻(ほころ)びが出始めます。
まぁ元々が、取り扱う社会問題も考え方も違うもの同士だったものが、反体制運動を社会現象下する為に集まっただけに過ぎませんでしたからね。
勢いを増すイッピーや、それを生んだ母体となっているヒッピーに相乗りすれば、自分たちも勢いづくだろうと思って、勢いにタダ乗りしていただけだったので、その評判が悪くなると、一緒に活動する意味もなくなったんでしょう。

(つづく)
Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第35回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(11) ~ムーブメントの終わり (前編)

【プログラミング】 python奮闘記 その18 ~重複部分をまとめる

無駄な部分を手直し

前回で、ようやく、思っていたとおりのツールが出来上がりました。
kimniy8.hatenablog.com
ただ、前回のコードを見直すと、結構、無駄な部分があったりするんですよね。。
という事で今回は、もう少しだけ短くなるように書き直そうと思います。

素人目に見ても『無駄だなぁ』と思う部分は、この部分でしょうか。

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p = cp[0]
            if radio1 == 0:
               p_p = pp[0][0]
            elif radio1 == 1:
               p_p = pp[0][1]
            elif radio1 == 2:               
               p_p = pp[0][2]
            elif radio1 == 3:
               p_p = pp[0][3]

        elif cardboard_b:
            c_p = cp[1]
            if radio1 == 0:
                p_p = pp[1][0]

if文の中にif文を入れて、条件を細かく絞っているわけですが、この部分、よく見ると、無駄なんですよね。
というのも、cp[0]の場合は、ppリストの最初に指定する1つ目のリストも[0]となり、ラジオボタンの選択によって得られる値と、ppリストの2つ目の数字が合致している。
それなら、わざわざif文の中にif文を書かなくても、2つの変数を利用するだけで、紙の価格であるppリストは呼び出せそうですし、もし呼び出せるのなら、ifの中のifは完全に無駄ということになります。

重複部分をまとめる

では、具体的にどんな感じにすれば、cpのリスト番号とラジオボタンの戻り値であるradio1を利用できるんでしょうか。
ここで生きてくるのが、代入の知識です。
変数というのは基本的に、何らかの値が代入された値なので、どんな名前がついていようと、その中身は『値』なんですよ。
ということは、ラジオボタンのアクションによる戻り値が格納されている『radio1』は、ラジオボタンのアクションによって数値が変わる変数である為、わざわざ、『radio1』の値が0と同じ時は、ppリストの2番目の数字は『0』なんて記述はしてくても言い。
直接pp[0][radio1]と、リスト番号を指定する際に、変数である『radio1』を打ち込んでやれば良いわけです。

このように、『リスト呼び出しに変数を利用』すれば、先程のコードはこんな感じで短縮できます。

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p = cp[0]
            p_p = pp[0][radio1]
        elif cardboard_b:
            c_p = cp[1]
            p_p = pp[1][radio1]

ifの中のifが無くなったことで、かなりのダイエットが出来て随分と短くなりましたが、まだ、無駄な部分がありそうです。
というのも、cpの数字とppの1つ目のリストの呼出番号が同じなので、同じ数字を共有できるようにするだけで、p_p…の部分も削除できそうです。
ではどうすれば良いのかというと、先程の応用で、cpとppの1つ目のリスト呼出番号を変数に代入し、その変数を使い回せばよいだけです。
早速書いてみましょう。

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p_v = 0
        elif cardboard_b:
            c_p_v = 1
        elif cardboard_c:
            c_p_v = 2
        elif cardboard_d:
            c_p_v = 3
           
        # 蓋のボール紙の価格
        if cardboard_a_f:
            c_p_f_v = 0
        elif cardboard_b_f:
            c_p_f_v = 1
        elif cardboard_c_f:
            c_p_f_v = 2
        elif cardboard_d_f:
            c_p_f_v = 3
        
        c_p = cp[c_p_v]
        c_p_f = cp[c_p_f_v]
        p_p = pp[c_p_v][radio1]
        p_p_f = pp_f[c_p_f_v][radio2]

新たにc_p_vといった変数を作り、それぞれの変数を使って価格リストから値を呼び出せるようにしてみました。
2つのコードの最終行を見てみると、書き直す前が244行だったのに対して、書き直した後は179行と、かなりのダイエットに成功しました。
全く同じ動作をするツールでも、変数をうまく使う事で、かなり効率的に書ける事がわかりますよね。

では、これで完璧なプログラムなのかというと…
実は全くそんなことは無かったりします。
というのも、今回の書き方は、その都度その都度で必要な変数を新たに作って対処していった為、最終的にはかなり適当な感じの変数の名付け方になっていました。

また、オブジェクト指向というのは、一つのオブジェクトに対して様々なデータを付加していく事で、より複雑なプログラムも簡単にかけるようになる言語だと思うのですが、今回、その強みを全く活かせていません。
次回は、この反省を活かした形で、同じソフトをもう一度作り直してみようと思います。


最終的なコード

import tkinter

# ウィンドウ作成
root = tkinter.Tk()
root.title("見積もり")

# テキスト表示
frame1 = tkinter.Frame(root)
heading = tkinter.Label(frame1, text="お見積り")
heading.pack()

# テキストボックス表示
frame2 = tkinter.Frame(root)
box_width = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_width.grid(column=0,row=0, padx=5)

box_length = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_length.grid(column=1,row=0, padx=5)

box_height = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_height.grid(column=2,row=0, padx=5)

box_height_f = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_height_f.grid(column=2,row=1, padx=5)
# ボタン表示
askbutton = tkinter.Button(frame2, text="見積開始")
askbutton.grid(column=3,row=0, padx=5)

# ラジオボタン 紙の選択
frame5 = tkinter.Frame(root)

radio1_val = tkinter.IntVar()
radio1_val.set(0)
paper_a = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【a】", variable = radio1_val, value = 0)
paper_a.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_b = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【b】", variable = radio1_val, value = 1)
paper_b.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_c = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【c】", variable = radio1_val, value = 2)
paper_c.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_d = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【d】", variable = radio1_val, value = 3)
paper_d.pack(side = tkinter.LEFT)

frame6 = tkinter.Frame(root)
radio2_val = tkinter.IntVar()
radio2_val.set(0)
paper_a_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【a】", variable = radio2_val, value = 0)
paper_a_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_b_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【b】", variable = radio2_val, value = 1)
paper_b_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_c_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【c】", variable = radio2_val, value = 2)
paper_c_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_d_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【d】", variable = radio2_val, value = 3)
paper_d_f.pack(side = tkinter.LEFT)


# 答え表示
frame3 = tkinter.Frame(root)
ans_titl = tkinter.Label(frame3, text="一箱あたりの価格(税抜き)")
ans_titl.pack(side = tkinter.LEFT)
answer = tkinter.Label(frame3, text="円")
answer.pack(side = tkinter.LEFT)

# 内訳表示
frame4 = tkinter.Frame(root)
b_areax = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の身の横幅")
b_areax.grid(column=0,row=0, padx=5)
b_areay = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の身の縦幅")
b_areay.grid(column=1,row=0, padx=5)

b_areax_f = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の蓋の横幅")
b_areax_f.grid(column=0,row=1, padx=5)
b_areay_f = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の蓋の縦幅")
b_areay_f.grid(column=1,row=1, padx=5)

cardboard = tkinter.Label(frame4, text="【身】ボール紙の価格")
cardboard.grid(column=0,row=2, padx=5)
cardboard_price = tkinter.Label(frame4)
cardboard_price.grid(column=1,row=2, padx=5)

cardboard_f = tkinter.Label(frame4, text="【蓋】ボール紙の価格")
cardboard_f.grid(column=0,row=3, padx=5)
cardboard_price_f = tkinter.Label(frame4)
cardboard_price_f.grid(column=1,row=3, padx=5)

paper = tkinter.Label(frame4, text="【身】の紙の価格")
paper.grid(column=0,row=4, padx=5)
paperprice = tkinter.Label(frame4)
paperprice.grid(column=1,row=4, padx=5)

paper_f = tkinter.Label(frame4, text="【蓋】の紙の価格")
paper_f.grid(column=0,row=5, padx=5)
paperprice_f = tkinter.Label(frame4)
paperprice_f.grid(column=1,row=5, padx=5)

# Frame配置
frame1.pack()
frame3.pack()
frame2.pack()
frame5.pack()
frame6.pack()
frame4.pack()
# ボール紙の大きさ
def ask_click():
    b_hi = int(box_height.get()) # 箱の高さ
    b_hi_f = int(box_height_f.get()) # 箱の高さ
    b_wid = int(box_width.get()) # 箱の幅
    b_long = int(box_length.get()) # 箱の長さ
    b_tate = b_long + b_hi*2 # ボール紙の長さ
    b_yoko = b_wid + b_hi*2 # ボール紙の幅
    b_tate_f = b_long + 5 + b_hi_f*2 # ボール紙の蓋の縦
    b_yoko_f = b_wid + 5 + b_hi_f*2 # ボール紙の蓋の横
    
    # ラジオボタンの値取得
    radio1 = radio1_val.get()
    radio2 = radio2_val.get()

    # 紙の価格 paper plice
    pp=[[50, 65, 60, 70],[70, 100, 90, 110],[100, 135, 120, 160],[160, 235, 220, 280]]
    pp_f=[[50, 65, 75, 90],[70, 100, 115, 140],[100, 135, 160, 200],[160, 235, 285, 360]]
    
    # ボール紙の価格 cardboard plice
    cp=[40, 50, 70, 100]

    # 身のボール紙の種類
    cardboard_a = max(b_tate, b_yoko) <= 232 and min(b_tate, b_yoko) <= 222
    cardboard_b = max(b_tate, b_yoko) <= 354 and min(b_tate, b_yoko) <= 323
    cardboard_c = max(b_tate, b_yoko) <= 505 and min(b_tate, b_yoko) <= 354
    cardboard_d = max(b_tate, b_yoko) <= 748 and min(b_tate, b_yoko) <= 505

    # 蓋のボール紙の種類
    cardboard_a_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 232 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 222
    cardboard_b_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 354 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 323
    cardboard_c_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 505 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 354
    cardboard_d_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 748 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 505
    
    # NG要項
    if b_hi > 100 or b_hi < 20 or b_wid < 70 or b_long < 70 \
       or not(max(b_tate, b_yoko) <= 600 or min(b_tate, b_yoko) <= 450):
        answer["text"] = "申し訳ございませんが、弊社の設備では製造できません"
        
    else:                
        b_areay["text"] = "身のボール紙の身の縦" + str(b_tate) + "mm"
        b_areax["text"] = "身のボール紙の身の横" + str(b_yoko) + "mm"
        b_areax_f["text"] = "身のボール紙の蓋の縦" + str(b_tate_f) + "mm"
        b_areay_f["text"] = "身のボール紙の蓋の横" + str(b_yoko_f) + "mm"

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p_v = 0
        elif cardboard_b:
            c_p_v = 1
        elif cardboard_c:
            c_p_v = 2
        elif cardboard_d:
            c_p_v = 3
           
        # 蓋のボール紙の価格
        if cardboard_a_f:
            c_p_f_v = 0
        elif cardboard_b_f:
            c_p_f_v = 1
        elif cardboard_c_f:
            c_p_f_v = 2
        elif cardboard_d_f:
            c_p_f_v = 3
        
        c_p = cp[c_p_v]
        c_p_f = cp[c_p_f_v]
        p_p = pp[c_p_v][radio1]
        p_p_f = pp_f[c_p_f_v][radio2]

        cardboard_price["text"] = str(c_p) + "円"
        cardboard_price_f["text"] = str(c_p_f) + "円"
        paperprice["text"] = str(p_p) + "円"
        paperprice_f["text"] = str(p_p_f) + "円"
        answer["text"] =str(c_p + c_p_f + p_p + p_p_f) + "円"
askbutton["command"] = ask_click            
# メインループ
root.mainloop()

【ゲーム紹介】 UNDERTALE

作品との出会い

ここ最近の動画配信サービスの充実によって、私は最近、テレビを観る機会が大幅に減っているのですが、そんな中でも観続けている番組の一つに、『勇者ああああ』という番組があります。
TVerなどでも観ることが出来るので、テレビアンテナを引いていない方でも観ることが出来る番組なので、観たことがない方で興味のある方は、観てみて欲しいのですが、その番組の中で、ゲーム紹介のコーナーがあります。

ここ数回は、ヤクザの親分と舎弟というキャラで漫才をしているペンギンズの舎弟キャラの方が出演されることが多いのですが、そのコーナーの中で、『UNDERTALE』という作品が紹介されたんです。
このコーナーは、あくまでもゲーム紹介という位置づけで、興味を持った方には是非、実際にプレイしてもらいたいというコンセプトで作られている為(その割には、ps1.ps2といった古いタイトルの紹介も多い)、基本的に、ネタバレしない方向での作りになっているのですが…
ゲームの面白さを伝えるには、核心部分を伝えなきゃ駄目だと思ったのか、視聴者には伏せる形で、司会のアルピーさんにだけ、ネタバレ有りで教えるという感じでの紹介になっていました。

その演出?と、それを聞いたアルピーさんのリアクションに興味をもつことになりました。


      

PS Storeのサマーセールで購入

興味を持ってから数日。
定期的にチェックしているps storeを覗いてみると、最大90%OFFのサマーセールが開催されていたので、何気なく覗いてみると…
興味を持って気になっていた『UNDERTALE』がセール対象に!

先ほど紹介した番組のコーナーでも、ゲームのプレイ動画は流れていたのですが、それを見た私は、勝手にファミコンのゲームだと勘違いしていたのですが…
どうやら、Steamで最近発売された海外ゲームのようで、それが日本語にローカライズされて、PS4でもプレイできるようになった作品だったようです。
しかも、元々の値段が1500円程度と安い!

先ほど紹介したリンクの値段が高いのは、DL販売で人気が出まくった事で、パッケージ化されて再販売され、その際に、特典などが付けられたからのようです。
実物や特典が欲しいという方は、パッケージ版を買うほうが良いのかもしれませんが、ゲームだけ楽しみたいという方は、ダウンロード販売がお得となっています。

誰も死ななくて良い やさしいRPG

さて、このゲームの説明に入っていくわけですが、このゲームのジャンルは、RPGです。
RPGといえば、ドラゴンクエストを始めとしたゲームが有名で、敵を倒して自分の分身である主人公を強くしていって、最終的には世界を支配している強大な敵を倒して、世界を救うというのが定番ですよね。
ですがこのゲーム。 『誰も死ななくて良い、やさしいRPG』を謳っていたりするんですよね。

最初の方で、ゲームプレイの方法を教えてもらうチュートリアルがあるのですが、そこで教えてくれるのは、モンスターと出会った際の対処の方法。
普通のゲームの場合、敵を攻撃して倒す事で、EXPを得て、それを貯めることでLvが上昇し、自身の分身であるキャラクターのレベルを上げていって、強敵を倒すのがセオリーなのですが、このゲームでは、他の方法でもやり過ごし方も教えてくれます。
その方法は、『行動』を起こす事で相手の戦意を喪失させて、戦線離脱させる方法です。

女神転生でいうところのTALKみたいなものですかね。
敵とコミュニケーションを取って仲良くなったり、敵が主人公に対して行為を持ったりする事で、敵が戦意を喪失。その状態で『みのがす』を選ぶと、そのまま戦闘が終了するというわけです。
ただ、この方法で戦闘を終了させてしまうと、報酬としてお金は手に入るのですが、EXPは入らないので、当然、Lvも上がりません…

このゲーム、『誰も死ななくて良い』と銘打っているので、基本的には『行動』を起こすことによって戦闘を回避し続けることも可能なのですが、そうなると、レベルはずっと1のまま。
実際にプレイすると、『Lv1の状態で、避けられない強敵が出てきてしまうとアウトになってしまう』という不安もあったりと、結構、考えさせられるシステムだったりします。

ちょっと変わった戦闘システム

このゲームですが、RPGで有りがちな、普通のコマンド選択型の戦闘システムとは全く違った戦闘システムとなっています。
どの様な戦闘システムかというと、こちらが攻撃する際には、タイミングを合わせてボタンを押す事でダメージが変化するシステム。
他のゲームで例えると、ゴルフゲームでスイングの強さを決定する際に、パワーゲージの中をバーが動き、そのバーをタイミングよく押すことで、飛距離が決まるというのがあると思いますが、あれと同じ様な感じです。

では、敵の攻撃はどんな感じなのかというと、弾幕シューティングになります。
自身のキャラクターのLifeを具現化したような赤いハートマークが画面中央のスペースに表示され、そのハートマークに向けて、敵が様々な攻撃をしてきます。
その攻撃を、ハートマークを操作する事で避け続ける事で、敵の攻撃を避けていきます。
被弾すると自身の体力が削られますが、全て避ける事ができれば、そのターンは無傷でやり過ごすことが出来ます。

正直、この辺りは、好き嫌いが分かれると思います。
というのも、シューティングなどが苦手な方の場合は、被弾しまくりでクリアーが出来ないというケースも出てくるからです。
普通のRPGのターン型のコマンド選択式の戦闘の場合は、大抵は敵の攻撃をくらいますが、Lvを上げたり装備を見直したりして打たれ強くなれば、それだけ倒れにくくなります。
しかしこのシステムの場合は、1ターンで何回の攻撃を食らうかは、プレイヤーの腕次第ということになります。

シューティングに慣れている人間は、苦もなく敵の攻撃を避け続けられるため、そもそもダメージを受けることはありませんが、下手な方の場合、最悪、1ターンで体力の大半を持っていかれて倒れるというケースもあるかもしれません。
敵によって攻撃パターンが決まっているので、覚えてしまえば大抵の人は避けることが出来るとは思いますが、慣れずに先に進めない方は、敵を倒してLvを上げて最大HPを上げるのか、敵を倒さずに頑張るのかを悩むことになるでしょう。

プレイしての感想

プレイを始めた時の最初の印象は、『なつかしい!』
以前にこのゲームをプレイしたわけではないのですが、ファミコンゲームの様なグラフィックと音楽に、小学生時代にゲームで遊んでいた記憶がよみがえり、懐かしい感じに浸れました。

次に感じたのは、どことなく、『moon』っぽいなという感じです。
『moon』は初代PlayStation時代のゲームで、今までのRPGにアンチテーゼを投げかけるような作品で、当時の私はかなりの衝撃を受けたゲーム。
簡単な物語としては、RPGで勇者を演じて遊んでいた子供が、何故か、ゲームの中に入ってしまうというストーリー。

何も分からず、自身も透明になっていて周りから見えない状態になって混乱しているところを、目の見えないお婆さんに救ってもらうところから始まります。
お婆さんに衣服を貸してもらい、透明だけれども、服によって周りから認識される状態になって、訪れた世界に飛び出してみると、そこには勇者という殺戮者が街の住人であるモンスターを殺しまくっている…
しかし、そんな世界に迷い込んだ主人公は、殺されたモンスターの幽霊に触ることで生き返らせることが出来るという能力を身に着けており、勇者が世界を壊しながら進んでいくのを、直しながら追いかけていくと言った感じのストーリーなのですが…

雰囲気やキャラクターといった世界観が独特で、漂う雰囲気が可愛らしくも悲しい感じで非常に良く、ゲームに込められたメッセージ性も非常に強く、印象にかなり残った作品だったんですよね。
この『moon』という作品と、非常に近い香りを感じたのが、今回紹介している『UNDERTALE』でした。

あまり語るとネタバレになってしまうので、詳しくはかけませんが…
謳い文句どおり『誰も死ななくて良い』を実践することで、優しい気持ちになれる作品です。

また、作品内では積極的に細かい設定などは語られませんが、様々なところに散りばめられた情報を自分で収集する事で、設定の全体像がわかってくると、結構、怖いところなんかも出てきたり。
その怖い部分も含めた全体的な設定を知ると、さらに、色んな事を考えさせられたりも…

紹介しておいて何なんですが、この作品は、できるだけ事前に情報を入れずに自身で体験した方が面白さが増すと思いますので、もし、興味を持たれた方は、サマーセール中に買ってプレイしてみてはいかがでしょうか。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第34回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(10) ~ムーブメントの終わりの始まり(後編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前編はこちら
kimniy8.hatenablog.com

世界を変える為に問題を生み出すイッピー

そして、問題を創り出し、その問題に対して抗議するというスタイルは、様々な団体を生み出し、それらの活動そのものがエスカレートしていくことになるんです。
今現在もそうですが、昔は、今以上に問題が存在していました。 男女の【扱いの差】などのジェンダー問題や、黒人差別を始めとした人種差別などは、今でも完全に解消しているとは言い難い状態ですが、当時はもっと酷い状態でした。
こういった、今までの社会が当然としてきた前提を問題視し、それに対して異論を唱え、新たな価値観を押し付けるグループが続出する事になります。

例えば、政治的な思惑から差別されて虐げられ、本来なら、守ってくれるべき警察官からも敵視されてきた黒人達が、警察官から黒人を守るために結成されたブラックパンサー党とかですね。
この集団は、共産主義民族主義というのを掲げて、武力による革命も視野に入れて、革命による黒人解放を目指したグループと言われています。
この様に、政治的な主張をして世の中を変えようとする集団の他にも、永遠の愛兄弟団の様に、幻覚剤による神秘体験を利用して団結する、カルト集団なども生まれ始めます。
名前だけでいえば、チャールズ・マンソンが創立したカルト集団なんかが有名ですね。

反体制派をまとめ上げるベトナム戦争

このようにして誕生した、政治団体やデモ集団、そしてカルト集団は、創立理念などは異なっていましたし方向性もバラバラだったわけですけれども…
反体制という部分では共通していた為、体制が行っている行動の中で一番わかり易い出来事に焦点を当てて、それを批判する部分で共闘し始めます。 それが、ベトナム戦争です。
ベトナム戦争は、アメリカが直接関係の無い、北と南のベトナム内での内戦だったんですが、南北に分かれている理由が共産主義か資本主義かというものだった為、
資本主義側にアメリカが、そして共産主義側にソビエトが手を貸す事で、代理戦争の舞台となりました。
そしてこの頃に開発されて普及しだしたテレビ報道によって、毎日のように戦争映像が家庭に流れ、民衆は、人の死というのを目の当たりにする日々を過ごしていました。

資本主義や共産主義という、経済的な考え方が違うというだけで殺し合いに発展し、テレビでは毎日のように人が死ぬ映像が流される。
そして、貧民層や黒人は経済的徴兵によって戦場に駆り出されて、その何割かは死体になって返ってくる。 正義なき戦争と呼ばれた、この出来事は、反体制派から一斉に批判を受けます。

またこの頃には、アフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活躍した、キング牧師の暗殺なども行われたことで、反政府運動は更に熱を帯びていく事になります。

そして活動が盛り上がり、社会現象にまでなって反体制の動きが盛り上がると、運動はブーム化して、その全体的な動きに何となく流されて集まってくる人達も出始めます。
『にわか』といえば良いのでしょうかね。 ヒッピーの根本的な思想はもちろん、イッピーの活動で新たに生まれたグループの主張も理解していない人達が、祭りに参加する様な感覚で、各グループやヘイト・アシュベリー地区に足を運ぶようになります。
これは、反体制運動がファッション化したと言っても良いのかも知れませんね。 反体制でいることに、また、その様な活動をする事が格好の良いこととされて、主張や活動内容がわからないままに、意識高い系の若者たちが流入していくことになります。

そして、反体制運動がピークに達する頃には、アメリカ大統領戦に『ピガサス』と名付けられた豚を立候補させようという所にまで発展します。この豚というのは、人間の体型的なことではなく、養豚場で飼育されている生物的な豚の事です。
そして当選の暁には、その豚を殺して食べてやろうというと宣言します。 この行動の意味合いとしては、私達民衆は、政治家という支配層に良いように扱われている、つまり、不当な扱いを受けている。
これは、弱者が権力者に食い物にされているのと同じことを意味するので、その逆をしてやろうという目論見です。
つまり、政治的に最高の権力を持っている豚を殺して、文字通り、食い物にしてやろうというメッセージが込められていたようです。

ウンターカルチャーに対する政府の対応

ただ、これで面白くないのは、批判されている政府側ですよね。
政府は、この反体制運動に対してカウンターを打つ為に、カウンターカルチャー側に対してネガティブキャンペーンを始めます。
その方法は、カウンターカルチャー側と悪者というイメージを結びつけるという方法です。

軽く説明すると、政府は先ず下準備を行う為に、ヒッピーの代名詞とも言える幻覚剤である、LSDを規制します。この規制によって、オーズリーという人物が逮捕されてしまったという話は、以前しましたよね。
そして政府は、『危険性が有るから禁止薬物に指定した麻薬を、今だに使い続ける人達がいる』として避難し、大々的な摘発などを行っていきます。

これは政府の常套手段で、過去にも人種差別を固定化する為に行われました。この例を軽く説明すると、大恐慌時代に治安が悪くなった際に、黒人やヒスパニック系の人達が多く住む地域で大々的なマリファナ禁止キャンペーンを行って、一斉に摘発を行います。
そして、一部の地域の摘発数を嵩上げすることで、黒人やヒスパニック系の住む人達が住む地域の犯罪率を、統計的に操作して上げる事で、治安が悪くなった原因をこの人達に押し付けたという過去が有るそうなんです。

これと同じ様に、まずLSDの規制を行った上で、それを使用している人で犯罪者、又は犯罪を犯していそうな人間を片っ端から捕まえて、LSD使用者と犯罪者という2つの存在を同一視させていったんです。
そして、LSD=犯罪という計算式を一般に浸透させた上で、ベトナム戦争に対する反戦運動を行っている人達と、LSD使用者を結びつけるんです。
つまりは、ベトナム戦争に対する反戦運動に参加している人間は、LSDで現実逃避をし、犯罪を犯すような人間だという烙印を押して、そのイメージを浸透させていったんです。

赤狩りニクソン

この戦略は見事にヒットし、サイレントマジョリティーに受け入れられることになります。 サイレントマジョリティーとは、積極的に主張や意見は言わないけれども、多数はの人たちの事で、逆の言葉がノイジー・マイノリティです。
ノイジー・マイノリティとは、声は大きくて存在感は有るけれども、少数派の人たちの事ですね。 サイレントマジョリティーの人達は、政府のプロパガンダに乗る形で、運動をしている人たちを犯罪者と結びつけて、ネガティブな感情を持ち始めます。
そして、そんな人達が選んだ大統領が、ニクソン大統領です。 前にも少し話しましたが、後に、ウォーターゲート事件で辞任することになる大統領なんです。

このニクソン大統領は、下院議員時代には『赤狩りニクソン』というニックネームで呼ばれる程に共産主義に対して厳しい姿勢をとっていた人です。
ヒッピーといえば、前に紹介したディガーズの様に共産主義を目指す人達も少なく無いわけですが、このヒッピー達と解りやすく敵対している人物が、国民によって大統領に選ばれました。

当選したニクソン大統領は、反体制運動をしている人達を積極的に取り締まる為に、様々な規制を行っていきます。
赤狩りと呼ばれる反共産主義運動はもちろんですが、その他にも、麻薬取締りの徹底化や、漫画や雑誌といったメディアや、アーティストたちが行う表現を制限する表現規制も行っていきます。
この表現規制の一環として、ジョン・レノンオノ・ヨーコ夫妻や、ジミー・ヘンドリックスなどの、ヒッピーの中でもメジャーで影響力の有る人物たちが、政府の監視下に置かれる事になっていきます。

これ以降、ヒッピー達によって一部で熱狂的に盛り上がったムーブメントは収束していくことになるのですが、その話は、また次回にしようと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第34回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(10) ~ムーブメントの終わりの始まり(前編)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回までの振り返り  ~性質が変わるヒッピー

前回は、ヒッピーの性質そのものが徐々に変化してきたという話を中心にしてきました。
環境の変化は、ヒッピームーブメントの創始者的な存在であるリアリーを取り囲む環境にまで影響を与え始めます。
リアリーのパトロンであり投資家のヒッチコックは、自らの投資によってLSDの生産体制を確立しますし、リアリーを西海岸に誘致した永遠の愛兄弟団はドラッグの流通を担う事で、お金を稼ぐようになっていきます。

ヒッピーは、そもそもが 今まで前提とされていた価値観に疑問を持ち、そこからの脱却を第一の目標に置いていたわけです。
ヒッピーコミューンの一つ、ディガーズは、無料炊き出しやフリーストアー、無料の診療所の開設を行うことで、お金からの脱却を目指していたわけですが…
リアリーを取り囲む環境は、徐々に、資本主義という最も現実的なシステムに蝕まれていくことになります。

またその一方で、ヒューマンビーイン以降、イッピーと呼ばれる新たな層も誕生していきます。
この集団は、世の中に漠然とした不満を持つ層と、改革の為には、暴力をも 肯定する過激な反体制組織である新左翼が交わる事で生まれた集団です。
イッピーと呼ばれた集団は、反体制運動を拡大する為に、とにかく目立つ行動を取り始めます。
何故、この様な行動をとったのかというと、派手な行動を取り続けることによって、メディアの注目を集め、運動の参加者を増やす為です。

イッピー達の運動はドンドンと拡大していき、最終的には、ペンタゴンを包囲するところまで発展します。
そしてこの時、ペンタゴンを護衛する為に、銃を構えて威嚇していた兵士の銃に対して、デモの参加者の一人が、銃口に花を指すという行動で抵抗をします。
この行動は写真を通じて世間に大々的に発表され、フラワーパワーやフラワーチルドレンという名で有名になります。

お金でえられるものとは?

そして、この様な層が台頭してくる事によって、ヒッピーの性質は大きく形を変えられていきます。
この変化は表現がかなり難しいのですが、より現実的なものへの変化といえば良いのでしょうか…
ヒッピーというものが生み出された際の、【主張のコアの部分】というのは、常識と思っていたものからの逸脱というのものでした。

意識拡張によって、今まで当然と思っていたものが当然では無くなる。 その状態で、人間そのものや人生の本質的な部分を改めて見直すというのが、物事を考える上で中心にありました。
抽象的で分かりにくいと思うので、一つ、よく使われる例え話をします。

有るところに、朝から晩まで死に物狂いで働く、エリートビジネスマンがいました。
そのビジネスマンがプライベートを犠牲にして余りに働くので、不思議に思った人が、このビジネスマンに質問を投げつけました。
『貴方は何故、そこまで身を粉にして働くのですか?』と聴いたんですね。

そのビジネスマンは、質問に対して『この仕事を出来るだけ早く終えて、休暇を取って、旅行に出かけるんだよ。 ギリシャにでも行って、キレイな海を見ながら何日か釣りをしたいんだ。』って答えるんですね。
ビジネスマンにとってギリシャで釣りをする事は、多少の不自由と引き換えにしてでも体験したいことだったんでしょう。
一方その頃、ギリシャでは、無一文のホームレスが、する事がないので毎日、海に向かって釣り糸を垂らしていました… っと、こんな例え話が有るんです。

この例え話は、エリートビジネスマンが、自分の自由と引き換えにしてでも欲しいものを、ホームレスは一銭の金も支払わずに手に入れているという笑い話なんですが、この話には重要な事が結構含まれていますよね。
私達は、お金が絶対に必要だという価値観の中で生まれて育ってきていますが、何故、お金は必要なんでしょうか。
お金という価値だけを持つ存在が独り歩きしてしまったことで、人の行ってきた行動ではなく、お金の有無によって、社会によって人間の価値が決められてしまっているという状態になっているわけですが、これは、本当に正常な状態なんでしょうか。

こういったお金の話だけに限らず、先祖の代からやってはいけないと言われている行動や、そういうものだと決めつけられてきた価値観というものが存在します。
例えば、男のほうが女よりも、又は、黒人よりも白人のほうが偉いという価値観であったり、男は女が、又は女は男が好きと行った、異性同士の恋愛しか認めない価値観。
これらの考えは、昔から当然のように存在していますけれども…
その価値観は、本当に正しいのでしょうか。 

争いは何故起こるのか

この、昔からの常識的な価値観の決めつけに対して、疑うという行動。

そして、自分自身と宇宙とが一体化する、絶対的な存在を目視するといった、幻覚剤による意識拡張と呼ばれるものを体験することによって、そもそも前提や問題が無いという事に気がつくというのが、ヒッピー思想の本質だったと思います。
ビートルズがイマジンで歌っている事は、天国も地獄も、国と国との境界線も、自分のものや他人のものといった、所有という概念そのものも、そもそもが無いという事を主張しています。
あらゆる争いや問題は、そこに何かが有ると思い込むところから始まります。 所有という概念が有るから、奪ったり盗んだり、自慢したり羨ましがったりという概念が生まれます。
しかし、そんなものがそもそも無いのであれば、そこには何の争いも生まれません。 例えば土地なども、どこかの誰かが最初に、勝手に自分のものという主張をしたから、所有権を売る、買うという概念が生まれますが、元々は誰のものでもないんです。

ヒッピーの大本の主張は、自分の意識を変えることで世の中の見方その物を変えるというもので、リアリーが主張するように、意識拡張によって現実の前提となっているものからドロップ・アウトすれば、それだけで改革はなされるものでした。

ただ、この思想そのものが難解なのか、多くの人達には理解されず、ヒッピームーブメントの方向性は、自分の内面を変えることではなく、自分の外側を取り巻く世界を変える方向へと進んでいってしまいます。
自分を取り巻く外側の世界を変える為に、人々は反体制集会を開いてはデモを起こします。そして、より多くのメンバーを集めるために、とにかく目立つ行動を行い、メディアに取り上げられるように工夫するという方向に変わっていきます。

ヒッピーとイッピーの違い

ここで、両者の何が違うのかが分からなくて、混乱されるかたも結構多いと思います。というのも、両者ともに、主張を言葉に変換すると、同じ事を主張しているからです。
元々のヒッピーもイッピー達も、両者共、国の境界線であるとか善悪の基準、男女や人種といった差別や、資本主義特有の所有という考えははくだらないと考えていますし、それらの差を無くす方向で運動をしています。
ですが、この両者の主張が決定的に違うのは、ヒッピー達は問題が無いと主張しているのに対し、イッピー達は問題を創り出しているところです。

ヒッピー達が目指したのは、意識拡張からの悟りの境地で、その境地に達したのであれば、今までの前提となっている価値観は崩れ去る為、問題そのものが無い状態になります。
その状態に、出来るだけ多くの人類を連れていきたいという一心で、リアリーは【チベット死者の書】を復刻させましたし、LSD製造者のスカリーは無料提供を提案しました。

ですが、新左翼グループと交わることによって生まれたイッピー達は違います。
例えば、この世には【男女差別】という問題があるという事を先ず掲げて、この問題を出来るだけ多くの人達に知らしめる為に運動を行います。
そして社会問題化させることで、前提となっている価値観その物を、新たな価値観で塗り替える事を目的としています。

この手法の場合、価値観の差や問題というのは残り続ける為、価値観の変化に伴って、争いは残り続けます。つまり、塗り替えられた価値観は、別の新たな価値観によって塗り替え続けられるということです。
つまりは、犬を食べる習慣がある国に対して、犬をペットとして飼う習慣のある国が喧嘩を売る。
価値観の押しつけに成功したとしても、次は、首輪を付けて犬を飼う人達に対して、動物は人間の奴隷じゃないと主張している人達が、争いを仕掛けるという事になるわけです。
これは価値観の押し付け合いになる為、どこまで行っても争いがなくなる事はありません。

ただ、どちらが分かりやすいのかというと、イッピー達の行動の方が分かりやすいですよね。 
今現在、冷遇されている人達は、自分の置かれている状態を問題化して解消する為に運動してくれている人達を見ると、応援したくなりますし、活動に参加したくなりますよね。
宇宙との一体感とか言われても、イマイチ、ピン!と来ませんし、問題 自体を無いことにして、現実を新たな価値観で捉え直せと言われても、現状で差別されて冷遇されている状態の人たちにとっては、それも難しいでしょう。
結果として、ヒッピー・ムーブメントは、イッピー達の反体制運動に飲み込まれていくことになります。
(後編につづく)
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『みたらし祭』 と 『キューバサンド』

先週の話になりますが、京都の下鴨神社で行われた『御手洗祭(足付け神事)』(みたらし祭)に行ってきました。
『みたらし祭』という名前から、『団子的な何か?』と思われる方も多いかと思いますが、みたらし団子の語源がこの祭り。
みたらし祭と聞いて、団子の祭り?と聞いてしまうのは、映画『マッドマックス』を観て、『北斗の拳にインスパイアされて創ったん?』と聞いてしまうようなものなので、注意が必要です。
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『みたらし祭』というのは、糺の森(ただすのもり)というところで冷水の中を歩いていくという祭りなんですが、『みたらし団子』は、その糺の森にある御手洗池(みたらしのいけ)の水泡を模して作られたという説があるお菓子です。
みたらし団子 - Wikipedia

この祭り、元々は、地元の人しか来ないような超ローカルな祭りで、私が小学生の頃は屋台も『みたらし団子』の1軒しか出ていませんでした。
また開催日も、土用の丑の日とその後1日の2日ぐらいしか開催していかなった記憶がある祭りなのですが…
ここ最近は集客に力を入れまくっていて、普通に屋台も出まくりで、開催日も、7月20日~29日までの10日間も開催されてたりします。
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また、私が小学生のに行った際には、神社に行って水の中を歩いて帰るだけの祭りで、特に参加費なんかもなかったように記憶しているんですが、最近では、参加料をとってたりします。
まぁ、神社って木造で、建て替え費用なんかもかかるんでしょうし、頑張って営業しているんでしょうね。

この祭りですが、何故行くことになったのかというと、私が愛聴している『BS@もてもてラジ袋』というネットラジオを主催している、ぶたお氏が、祇園祭の後祭を観に京都に来るという連絡を受けたからです。
moteradi.com
その際に、私が以前から『一度は行っておくべき!』と進めていた飲食店に行きたいという連絡を受けたので、それなら、その飲食店の近くで開催されている、『みたらし祭』に参加してみませんかと誘ってみたところ、『行ってみたい』という返答を頂いたので、行くことにしました。

みたらし祭

私にとっては数年ぶりの『みたらし祭』だったのですが、結構、色んな所がグレードアップしている感じ!
昔は150円だったと記憶している祭りの参加料は300円になってるし、足つけが終わった後に貰う水の横には、今まではなかった賽銭を投げ込むザルが置かれている。
帰り道には、湧き水を容器に入れたものが500円で売られたりと、色んな所でお金が落とせる感じ…

まぁ、神社の建て替え費用なんかもかかるしね。 
それに下鴨神社は、京都市内でも結構北の方に位置していて、世界文化遺産とはいえ、普段から参拝客が多いというわけでもない。
みたらし祭や葵祭流鏑馬といった、『ここぞ!』というイベントで稼がないと、やっていけないのかもしれません。

それに、冷静になって感が得れば、祭りに参加できるという体験が300円というのは、別にボッタクリってほどでもないですしね。

という事で、入場料を払って参戦ですよ。
入り口のところで、竹串に刺さったロウソクを渡され、特に説明設けないままに、それを持って坂を下っていく…
入り口に入ってすぐに、赤い橋をくぐっていく辺りが、結構良い感じですよね。
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水に入るということで、ジーパンを余裕を持って、膝の直ぐ下ぐらいまでまくりあげて入ったのですが、意外に深くてジーパンが水に濡れそうに。
この祭りには何度か参加したことがあるのですが、数年おきの参加という感じなので、水位は毎回忘れてたりするんですよね。。 もっと記憶力が良くなりたいです。

僕はギリギリ濡れなかったのですが、一緒に参加した ぶたお氏は、水に入ってから再度、捲り上げる自体に追い込まれていました。僕が水位を記憶しておけば、注意も促せただろうに、申し訳ない。
水に入って歩いていくと、当然のことですが、足元がかなり涼しく、水によって空気も冷やされているのか、猛暑を一瞬忘れられて良い感じ。300円払ったかいがあるんじゃないかと一瞬思わせてくれる気持ちよさが心地よい。
しばらく進んでいくと、所々に火が燃えているところがあり、皆がそこで、入口で渡されたロウソクに火を付けているので、僕たちも真似して火をつける。
風がキツく、何度も火が消えそうになりながらも、ゴールを目指して歩く様は、ぶたお氏曰く、ジョジョ第五部のギャング入団試験のようでした。
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なんとかロウソクの火を守り抜き、無事にゴール。
祭りへの参加を終えた後は、本来の目的である、『一度は行っておくべき!』と進めた飲食店へ向かいました。

アンティシェンエ

店の名前はアンティシェンエ。場所は、下鴨神社の西側にある下鴨本通を挟んだ向かい側です。
この店は、繁華街にあるわけでも無いのに、どこからともなく人が集まってくる人気店で、店の広さ自体もそこまで広く無い為、タイミングが合わなければ入ることが出来ないお店。
ただ今回は、事前に ぶたお氏から『リスナーさんと共に行きたい』というメールを貰っていたので、昼ぐらいに店側にメッセージを送って、テーブルを一つ空けてもらって置いたので、安心して向かいました。

店に到着すると、私達の為に空けられたテーブル以外は全て埋まっている状態。
オープン間もない時間のはずなのに、かなりの盛況ぶりに改めて、『予約しておいて良かったぁ』と一安心。

暑い外を歩いてきたので、取り敢えず、みんなでビールを注文!と行きたいところですが、この店の凄いところは、ビールサーバーがかなりの数あって、メーカー違いの様々なビールを取り揃えているところ。
普通のbarやパブでも、2~3のビールサーバーを設けているところはありますが、大抵のところは、メーカーを揃えなければ嫌がられたりします。
つまり、サーバーが3つあっても、メーカーは揃えなきゃ駄目だから、選ぶメーカーによって銘柄も決まってくるという事

でもこの店は、メーカーが違う銘柄を取り揃えているんですよね。これも、営業努力の結果なのでしょうか。
置いてあるビールとしては、『よなよなエール』『ギネス』『オリオン』『バス・ペールエール』『ブラックアイル各種』と、シードルの『ストロングボウ』など。
ブラックアイルに関しては、自身で輸入に関わったりして導入したようで、日本では、ドラフトではあまり呑むことが出来ないものだったりします。

和達が注文したのは、1杯目がブラックアイルのIPAで、2杯目がブラックアイルのオートミールスタウト。
どちらも、かなり個性がある味わい深いものでした。
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そんなビールのアテとして頼んだのが、まずはフィッシュアンドチップス。
ぶたお氏にこの店を薦めた理由は、フィッシュアンドチップスが好きというのを知ったのがキッカケで、好物であるなら、是非、この店のフィッシュアンドチップスも食べてほしいと思って薦めたので、一品目は必然的にこれになりました。

そして二品目は、キューバサンド。
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映画の、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』で作られていたサンドイッチにインスパイアされて作ったというボリューム満点のサンドイッチ。
これでもか!というぐらいにチーズが入っていて、4分の1カットされていたものだけでも、ボリューム的にはマクドのチーズバーガー異常なんじゃないかと思わせるぐらいの食べごたえ!

そして最後は、ベーコンステーキを注文して、この日は終了。
この店は、一皿あたりの量が多いので、一人一品ぐらいを頼んでシェアするぐらいが丁度よいんですよね。
気になるお会計は、一人あたり3500円。
ビールが2杯と入っても、一杯がパイントなので600ほど入っている為、2杯で1L超え。それに料理まで食べてこの値段は、結構、クオリティーも含めた本来の意味でのコスパとしては、かなり良い方だと思いますよ。

これを読まれている方で近くに訪れた際は、行ってみてはいかがでしょうか?

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第33回 【ヒッピー】ティモシー・リアリー(9) ~オレンジ・サンシャイン

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
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前回の放送では、ヘイト・アシュベリー地区で活動するサンフランシスコ・オラクル誌が開催した音楽フェス、ヒューマン・ビーイン後に、ヒッピームーブメントに関わる人達の関係がどの様になっていったかについて、簡単に説明していきました。
ヒッピーというのは、もともと様々な思想を持った人達がLSDという幻覚剤によって、つながりを持っていただけだったのですが、そのバラバラの思想を一つにまとめあげようとして、音楽フェスが行われたわけですが…
結果としては、自分達に確固たる主張がある人達の間では、意思の疎通が行われることはなく、
その一方で、社会に対して漠然と不満を持ってはいるけれども、自分の主張がない人たちは新左翼の思想に触れ、何となく漠然とした思想の元にまとまることになります。

そしてこの流れがキッカケとなって、反政府的な政治活動がブームになったんですね。これは、アメリカに限ったことではなく、日本でもそうですよね。
日本でも、反政府的な学生運動がブーム化しましたし、政治的な主張を持たない人達は、主張を持つ人達からノンポリなんて呼ばれてましたよね。
自分達の置かれている立場に対して、漠然とした不満を持っている、そして、その原因を作っているのは政府側に原因が有るという考え方によって、反政府的な考え方が一部で流行し始めたんです。

このあたりから、ヒッピームーブメントが、徐々におかしな方向に動き出してしまいます。
ヒッピームーブメントは、元々の出発点としては、皆が当然と思い込まされていた前提をぶち壊そうという活動を、文化面から行う事がメインの活動でしたよね。
前進となったビート・ジェネレーションは、ポエムを通して高度管理社会に対して抵抗していましたし、ヒッピー達は、LSDが見せる幻覚によって、現実を前提とした価値観に異議を唱えてきました。

そして、その活動から、サイケデリック文化が生まれました。 芸術が生まれ、音楽が生まれ、ファッションが生まれ、新たなライフスタイルが提唱されました。
過去から継続している価値観に縛られて、頭を押さえつけられてきた若者たちは、そのサイケデリックカルチャーに可能性を見出して、一部の意識が高い若者たちがヒッピーコミューンに流れていったわけです。
繰り返すようですが、元々の活動としては、今までにない考え方や新たな文化を提唱する、または実践する事で、人々の考え方やライフスタイルそのものに変化を与えようという趣旨で始まった事なのですが、
ヒューマン・ビーイン以降、ヒッピー達の質が変わってくるんです。

これは、流入してくる人達の質が変わってきたからというのが、大きな理由なんだと思います。
ヒューマン・ビーインそのものが、マスコミを利用して多くの人に存在を知らしめて、メンバーを増やすという目的が有った為、幅広い層に訴えた結果、志を持たないような人まで呼び寄せてしまう事になったんです。
これは、私の偏見も入っていますけれども、主張を持たずに、何となく集まる人達というのは、自分自身で考えたり調べたりといった事はあまりせずに、都合の良い意見を鵜呑みにしたりしがちです。

そんな人達の前に、『今、自分達が社会的弱者に追い込まれて打ちひしがれているのは、自分達が悪いのではなく、システムを牛耳っている奴らが悪いからだ!』って感じの意見いう人が現れると、つい、その流れに乗ってしまったりしがちじゃないですか。
その他には、単純にヒッピー思想を誤解する人達ですよね。 ヒッピーの生活が、単純に働かなくて良いとか、ドラッグをやって自由に行動すれば良いといった感じで、働かずに楽が出来ると思い込んで集まってきた人達も、一定数いました。
そういう人達がコミュニティーの中に大量に流入してくる事によって、コミュニティーの質そのものが下がっていって、それに引きずれる様な形で、今まであったコミューンの方向性も、変わってきます。

この影響は大きく、ティモシー・リアリーの周辺にも影響を及ぼし始めます。例えば、永遠の愛・兄弟団と、リアリーのパトロンであるヒッチコックもそうです。
では、どの様に変化していったのかというのを、当時の流れを少し詳しく追ってみていきましょう。

この永遠の愛・兄弟団は、ティモシー・リアリーの主張に共感し、西海岸で活動をしていたカルト集団で、東海岸を追われたティモシー・リアリーに対して、西海岸で生活が出来るように援助したという話を以前にしたと思います。
このカルト集団は、教祖がLSDによって人生を大きく変えられたということで、LSDを信仰して、オーズリーという人物からLSDを仕入れて市場に流すという活動を行って、団体の維持活動費を捻出したいたのですが…
前にも話した通り、オーズリーは67年に逮捕されてしまいます。

この後を継ぐ形で、ティム・スカリーという人物が手を上げて、LSDの研究と製造を引き受けようとするのですが… スカリーはまだ若いため、研究設備も費用もないんですよ。
そこで、資産家であるヒッチコックに出資を求めるのですが、その際に、スカリーは一人の人物と引き合わされることになります。その人物が、ニコラス・サンドです。
2人は協力する形で、純度の高いLSDである『オレンジサンシャイン』を生み出すのですが、ここで、意見が別れます。

というのも、ティム・スカリーは、LSDによる神秘体験によって獲得できる悟りの境地と言うものを心の底から信じていて、世界中の人間がLSDを服用して悟りを開く事で、本当の平和というものが訪れると信じている様な、純粋な人間だったんです。
スタンスとしてはリアリーと同じで、純粋に世の中を良い方向に改革したいと思っていましたし、LSDがその有効な手段であるなら、それを積極的に使っていこうという考えの持ち主ですね。
その為、スカリーは、自分たちが製造したLSDは、欲しいと思う人であれば無料で配布すべきだし、それだけではなく、積極的に広めていくべきだと考えていました。

その一方でニコラス・サンドは、自身が研究して製造したLSDをモーターサイクルギャングと呼ばれているヘルズ・エンジェルズに販売委託する様な人物でした。
サンドにとってはLSDはもっと現実的なもので、簡単に言えば金儲けの道具だったんでしょうね。

とはいってもサンドは、心理学や東洋思想と言うものに理解を示し、自身もそれに没頭した経験があり、LSDの神秘体験が起こす奇跡を全く信じていなかったわけではありませんでした。
というのもサンドは、リアリーがまだ東海岸のミルブルックで研究をしている時代に、ヒッチコックに誘われて、リアリーに会い、共に研究を行っていた人物だったからです。
その為、LSDによって得られる神秘体験は理解していましたし、それが人間にとって重要な事だという理解はしていたんでしょう。

ただ、スカリーのように少年のような気持ちを持つ純粋な人間ではなく、もう少し大人だったという事なんでしょう。
その為、LSDを無料配布するというスカリーの提案に対しては、『人間は、無料で貰ったものに対しては敬意を払わない』というもっともらしい理由をつけてあっさり却下しました。
これは、サンドだけの意見ではなく、投資家であるであるヒッチコックも同じだったようです。 スカリーに研究費という名目で資金提供をしましたが、その目的は世界の改革ではなく、LSDの売却益というリターンを求めてだったからでしょう。

この辺りの出来事なんですが、サンシャイン・メイカーズというタイトルで映画化されています。
実際のスカリーとサンド本人が出演し、当時の古い映像なども交えながらインタビューに答えるという映画で、当時、何を考えて行動をしていたのかといった事を話していたりもするので、興味の有る方は見てみてください。
Netflixも見れたと思います。

ここで、スカリーと後の二人の意見は割れるわけですが、研究費がなくて独立することが出来ないスカリーには選択の余地はなかったのか、スカリーとサンドは共同で生産体制を確立し、オレンジサンシャインの大量生産と安定供給を行います。
安定供給されたLSDは兄弟団が流通させ、この薬物は瞬く間に世界へ広がります。 そして、この薬物は、ヒッピー思想に没頭している若者たちだけでなく、単純に現実逃避したい層にまで広まっていくことになります。
その現実逃避したい層というのが、ベトナム戦争に駆り出された軍人たちです。 彼らは、直接恨みもない現地の人間を殺しに行かなければなりません。そしてその内、自分の仲間が相手に殺される。
そして、自分も殺されるかもしれないという恐怖と、仲間を殺されたという恨みから、殺し合いにのめり込んでいく。 これも、一時的な衝動で殺し合うのではなく、その状態で長期間過ごさないといけない。

こんな状態では、正気を保つ事そのものが難しいですし、正気を維持し続ける事で壊れてしまうという事もあるでしょう。 文字通り、現実逃避する事で、兵士たちは地獄のような毎日をやり過ごしていたようです。
これは、漫画のバナナフィッシュの冒頭を読むと分かりやすいかもしれませんね。
ただ、兵士というのは戦場に行ったっきりではなく、戻ってきます。 映画、ランボーの主人公もそうですよね。 ベトナムからの帰還兵は、戦場で覚えてしまったドラッグを、帰国したからといって忘れられるのかといえば、そうではありません。

アメリカに帰還してからも、ドラッグを使った時の高揚感などが忘れられない人間は少なくなく、帰還兵の何割かはその後もドラッグを買い続けます。
スカリーやサンド達によってドラッグの生産体制が完成し、永遠の愛兄弟団によって流通網が確立する。そこに、ビーインで膨れ上がったヒッピーやベトナム帰還兵といった大量の顧客が流れ込むことで、
ドラッグは一つの産業になり、巨大なビジネスへと変わっていきます。
これらの流れを簡単に言うなら、目指すべき理想として始まった運動を、徐々に資本主義が蝕み始めたと言った感じなんでしょうかね。 
精神の開示であったり、今までの認識を根本的に変えることで、世界の感じ方を変えるという理想を現実が侵食し始めていったんでしょう。
政府や警察は、これらの動きに対して兄弟団を、構成員750人からなるドラッグで稼ぐヒッピーマフィアとして、警戒しだす事になります。

ちなみにですが、この、警察や政府の動きなんですけれども、単純にドラッグが蔓延するのを防ぐ為とか、そういった純粋な正義から行動したのではないようにも思えます。
というのも、この1967年という年は、反政府運動がかなり活発になってきている時代なんですね。 この様な動きが、より活発化しないためにも規制したかったというのが、一番大きな理由だったんでしょう。

活発化する反政府運動について、もう少し詳しく説明していきますと、この当時は、ビーインによって集まった不満を持つ若者たちが新左翼達と結びついて、その中間的な存在が生まれています。

つまり、新左翼のように、改革を早めるためであれば暴力も辞さないと言った過激思想と、ヒッピー達が唱えているラブ・アンド・ピースという平和思想を合わせたような人達で、デモ活動のような運動を積極的に行う人達ですね。
イッピーとも呼ばれる人達なんですが、政治的で反体制的な活動をするけれども、暴力沙汰は起こしたくないという人達が台頭してくるんです。
ヒッピーとの大きな違いというのは、ヒッピーが意識拡張によって、人間の内面的な改革を行うことで、自分自身の世界に対する味方を変えようとしたのに対して、イッピーは、自分たちの内面ではなく、
外側を取り囲む世界を、意識改革によって改革しようと考える人達です。
そして、その手段として、政治的で反体制的な活動というのを、目立つ形で行うことで、民衆の注目を浴びるというというのを目的として活動していました。

ヒューマンビーインの活動がそうであったように、目立つ行動を行って、民衆の目を引く事によって、政治的なメッセージをより多くの人間に伝えたり、自分たちを支持するサポーターであったり、
一緒に活動してくれる同士を増やしていくという戦略を積極的に取っていく団体ということです。
真面目に主張を行うだけではなく、時には羽目を外して突拍子もない事を行ったり、馬鹿馬鹿しいことや悪ふざけを行うことで、メディアの注目を得ようとする。
そして、メディアが半ばおちょくる形でテレビなどを通して紹介する事によって、存在を知らしめて、活動に参加する人達を増やして、活動を大きくしていくという事を狙っていくって感じですね。

ここで、バカげたことや悪ふざけをして、支持者や同士が集まるのかと疑問を持つ人もいらっしゃると思いますが、この件に関しては、今の私達の生活を注意深く観てもらえば理解できると思いますが…集まるんです。
今の状態の例を上げてみると、例えば、馬鹿な行動を取るyoutuberは、バカにされているだけなのかというと、そうでもないですよね。 馬鹿な行動を取って一時的にでも有名になれば、フォロワーを増やすことが出来ます。
そしてフォロワーの一部はファンになり、SNSなどを通して積極的に拡散していきます。この構造では、フォロワーが増えれば増えるほど、影響力も増せることになります。

炎上芸と呼ばれているものも、これに当たりますよね。 一見すると暴論のようにしか見えないタイトルを付けた本を出版したりだとか、Twitterでつぶやくなどの行動をを行って、人の注目を集めて、表面的にしか理解していない人達から、あえて批判を受ける。
これによって有名になって拡散していくと、物事を表面的にしか読み取れない人達に対して、読解力が人並みにある人達や、信者と呼ばれる発信者に強く共感している人達が、発信者の気持ちを代弁する形で、文章の本質部分に焦点を当てて反論をしだします。
こうなることで、信者とアンチと呼ばれる批判しかしない人達の間で論争が起こり、問題が大きくなっていき、今までは、その問題や発信者に興味がなく、知らなかった人達まで、問題や発信した人に対して興味をもつようになる。

これが本の場合であれば、直接、売上につながるでしょうし、Twitterの場合だと、フォロワー数を稼ぐことが出来、次に問題発言をした際に炎上させやすくなります。
そして、一定数のフォロワーを稼ぐことに成功すれば、インフルエンサーとして有名になり、仕事にも直結するようになっていきます。
ただ、これはネット環境が有る現在の話であって、ヒッピーが活躍した時代というのは、主なメディアが新聞や雑誌、テレビぐらいしかありません。
その中でも、テレビというのは一番観られることが多く、影響力も高いと考えられるので、行動を取る際に一番優先する事は、テレビ受けする事になったのでしょう。

テレビが発達しだした時期に目立つことを行って、テレビに取材させる事で、自分たちの活動をデフォルメして世間に幅広く伝える事で、世の中に対して漠然と不満を持つ層を集める。
そして、膨れ上がった人員を導入して、更に目立つことを行う事で、ニュースに飢えたマスコミは食いつく。この連鎖によって、反政府運動というのが社会現象化していくんですね。

そして、この67年の10月には、イッピーにとって象徴的な出来事である、ペンタゴンの包囲作戦というのが行われます。
このペンタゴンの包囲作戦というのは、ベトナム戦争に対する反対運動・反戦運動の一つで、アメリカが起こす戦争の象徴的な場所である国防総省ペンタゴンを、反対派の人達が結集し、大人数でペンタゴンその物を手を繋いで取り囲むという作戦です。
取り囲んだ後に、ペンタゴンに向かって1万本の花を上空からばら撒くといった儀式的なもので、主催者のアビー・ホフマンは、この儀式によってペンタゴンを浮上させ、悪い魂を浄化させようとしたそうです

イッピーらしい言い回しですが、暴力の象徴であるペンタゴンを平和の象徴である花に塗り替えようというメッセージを込めた計画だったんでしょうね。

ただ実際には、その動きを事前に察知していた軍関係者によって、花を上空からばら撒く為の飛行機のパイロットを抑えられてしまった為に、この試みは失敗し、その現場に大量の花だけが届けられるという状態になってしまいました。
まぁ、当然といえば当然ですよね。 飛行機でバラ撒かれるのが花ではなく、爆薬などの危険物であれば、ペンタゴンが破壊されてしまう可能性が有ります。 あらゆる危険を排除する為にも阻止するというのは、当然の行動といえます。
ただその結果として、反戦運動としては歴史的に見ても象徴的な出来事が起こってしまう事になります。 有名な、フラワーパワーだとかフラワーチルドレンといった言葉を生み出した、あの出来事です。

ペンタゴン包囲作戦は、ペンタゴンを取り囲むデモ隊に対し、ペンタゴンを護衛する軍人が銃を向けて威嚇し続けるという状態に陥るわけですが、一人のヒッピーが、計画通りバラ撒かれることなく現地に届けられた花束の花を拾い上げ、軍人が構える銃口に差し込みます。
このシーンは、ウォッチメンという映画の冒頭部分でも、象徴的に描かれていますよね。 この瞬間をとらえた写真は、新聞や印刷報道、文学や作曲に与えられる権威としての賞であるピューリッツァー賞に『フラワー・パワー』と名付けられてノミネートされるまでになります。
そして参加者はフラワーチルドレンと呼ばれ、花のイメージと平和が強く結び付けられることになります。

日本のロックでも、やたらと『花』という単語が登場したり、CDジャケットやPVに花を登場させたりもしますよね。 世界の果てに花束をとかね。
ロックといえば、反抗であったりアウトロー的な格好良さなんかを全面に押し出しているイメージがありますが、そのロックミュージックが何故、花というアイテムを使いたがるのかというのが、このエピソードを知ると、理解しやすいと思います。

この出来事が各メディアで取り上げられる事で、イッピー達の思惑通り、反体制運動は多くの人を吸収して加熱していくことになります。
これによって、ヒッピーを取り囲む環境は更に変化していくわけですが、その話はまた、次回にしようと思います。

銀行って必要なんだろうか

ここ最近、こんな事を思う事が多くなってきた。
『銀行って、本当に必要なんだろうか?』と

私は、得意先への振込や給料の引き出しなどで、月に2回ほど銀行に行く機会があるのですが、銀行に赴くたびに、そう思ってしまうんです。
例えば銀行での振込ですが、何故か、30分ほど待たされる。
支払先が大量だからとかそういった理由ではなく、2件で合計40万程度の支払いなのにも関わらず、待ち時間を含めずに30分ほど待たされるんです。

今の様にITが進んだ時代で、先客も無く順番待ちも無い状態で、何で、たった2件の振込に30分もかかるのか。
ミスがないように何度も見直したとしても、そこまでかかる意味がわからない上に、年に2回ほどは銀行側の手違いでミスが起こったりするので、本当に意味が分からない。

こういう事を書くと、『ネット経由で自分で手続きすればいいだろう!』とお叱りを受けるかもしれないんですが…
私の取引している銀行は、ネット経由で操作できるようにする為には月々600円。 年間で7200円程の手数料を別途、徴収してきたりするんです。
この仕組も意味が分からない。

銀行側からしてみれば、当座を持っている人間、全員にネット口座をもたせて、支払い・振込などの手続きを自分たちでやってもらえば、銀行の窓口業務も減らせるんだから、人件費的にも助かるはず。
こちらとしても、いつでも当座の動向を確認できるので、便利ということになります。
しかし、銀行側の戦略としては、窓口業務を絶対に死守したいのか、そういう業務が残るように動いているとしか思えない行動をとっています。

また、社会全体としてみても、銀行の存在価値がドンドンと失われていっているように思えます。
そもそも、銀行業務というものは、預金者からお金を預かって、資金を必要としている企業に又貸しすることで、利ざやを得るというのが本文のはずです。
その為に必要なのは、当然、企業の把握のはずなんですよね。

その為に、昔は、取引先への支払いや、従業員給与支払いの為の引き出しといった用事があると、銀行の営業マンが訪れて、その業務を引き受けるついでに世間話などをして、様々な業種の情報を仕入れていたりしていました。
しかしその習慣も、私の取引している地銀は『業務の効率化』を名目にして廃止。『用事があるなら、そっちが銀行まで足を運べ』と通達してきて、月に2回ほど銀行に通わなければならない様になりました。
こちらとしては、劇的に手間が増えたわけでもないので、それはそれで良いのですが、結果として銀行は、自分が取引している企業の実態を、決算書などの数字でしか判断できなくなったように思えます。

先程も、銀行の本来の仕事というのは金貸しだと書きましたが、適切に金を貸すために必要なのは、企業の実態の把握ですよね。
例えば、銀行の顧客のAという会社が、ある製品や加工をしてもらいたいと業者を探していた場合、銀行は、自分の顧客でその要望に答えられるB社を紹介する事で、企業同士を結びつけることが出来ます。
そして、B社の仕事量が増えて、追加で設備投資が必要になって資金が必要になった場合は、当然、B社は仕事を紹介してもらったメインバンクに資金調達をお願いする。

銀行側は、A社とB社の企業の実態も決算書も把握しているわけですから、その設備投資が成功するかどうかの見極めもやりやすい。
結果として、三社全てが得をするという状況が生まれるわけで、こうした繋がりが連鎖していけば、経済も発展しやすい状態になります。

しかし、実際の銀行が行っている行動は、外回りの営業の廃止。
何故、このような事が行われているのでしょうか。 私の知り合いが、私のメインバンクとは別の地銀で働いているので、機会を見つけて聴いてみると、驚きの理由がありました。

その理由とは、企業の銀行に対する信用力が高すぎるからだそうです。
銀行というのは、わずかでも金を貸している企業には決算書の提出を求めて、財務状況などを把握しています。それだけでなく、社会的な地位も高いようで、それに伴って信用が高い状態に有るようなんです。
そんな銀行が、仮に、企業同士を結びつけてトラブルが発生したとしたら、その苦情が銀行にまで来てしまう可能性が有る。
それは面倒くさ過ぎるので、企業同士の仲介はやらないんだそうです。

つまり、A社がネット等を使って、自分で取引先を探した場合は、何かトラブルが起こっても自己責任。仮に相手が不渡りを起こしたとしても、それは銀行の責任ではなく、A社の責任だから、銀行の誰かが責任を取るなんてことはない。
しかし、A社とB社の仲介を銀行がしてしまうと『あの業者を紹介したのは銀行だろ! あなた方にも責任があるのでは?』といわれかねないし、銀行内でも誰かが責任を取らされる。
それが嫌なので、そういったリスクを回避する為にも、紹介はしないし、紹介しないのであれば、企業の実態把握は無駄になるので、外回りの営業もリストラするという事。

すべての銀行が、この様な後ろ向きの営業をしているわけではないでしょうけれども、こう考えている銀行も結構多いようです。
ここで疑問が起こるのが、では、銀行は何で稼いでいるのかというところです。

先程も書いた通り、銀行は積極的な融資は行わずに、数字だけで判断するわけですが、数字が健全な企業は、そもそも現金を必要としていません。
今の大手企業の動きを見てみてもわかりますが、どこの企業も、積極的な投資は避けて、利益は内部留保という形で溜め込んでいます。
行く宛の無い優良企業の資金は、有利子負債などの利払い負担がかかる債務を圧縮する為に使わますから、貸出需要は激減し、銀行業務のメインである、利ざや抜きが行なえません。

一時期は、預金者の利息を限りなくゼロに近づけて、国の借金である国債を買い漁ることで、何とか利ざや抜きを行っていましたが…
それも、黒田日銀総裁に変わってからは、通用しません。 黒田氏は、市場に流れている国債を、日銀がお金を刷って買い取るという金融政策を積極的に行った為、市場からは買える国債量が激減し、国債を買って利ざやを稼ぐという行為が封じられてしまいました。

更にその上、マイナス金利政策まで導入されてしまうしまつ。
マイナス金利を簡単に説明すると、日銀の仕事は紙幣を刷るだけではなく、銀行の銀行という仕事もあります。
つまり、銀行から当座の預金を預かったり、といった感じの業務も行っているのですが、その預り金に対してマイナス金利が適応されるということ。
これは、日銀に対して銀行がお金を預けると、今までは銀行が利息がもらえていたのに、マイナス金利下では逆に利息を支払わなければならないということ。

預金者からお金を預かって、それに対して利息を払う。でも、そのお金の使いみちが無いので日銀に預けておくと、日銀にも利息を取られる…
銀行からすると手足を縛られているような、地獄のような環境なわけですが、そんな銀行が、なんとか打ち立てた収益の柱というのが『手数料』

保険であったり、投資信託であったり、ATM手数料であったり、振込手数料であったり…
お金に関するありとあらゆる所から、手数料を取ることを主軸にし始めたんです。

で、ここで思うわけですよ。
『銀行の役目って、もう終了したんじゃない?』って

今の中国や北欧を見てみてもわかりますが、今どき決済や現金引き落としに対して、人が手間暇かけた上に高い手数料を取るなんて、ナンセンスですよね。
これからの決済は間違いなく、キャッシュレスの方向に向かうでしょう。
キャッシュレスの方向に向かうということは、ATMもいらないし、支払いもスマホを通じてアプリ上で終わらせるなんてのが当たり前になるわけで…

こんな状態で『手数料を主軸にして!!』とかいわれても、こちらとしては、『あなた達がいるから、キャッシュレス化が始まらないんじゃないの?』と思ってしまう。
むしろ一刻も早く潰れてくれたほうが、手数料地獄から開放されて可処分所得が増える上に便利な世の中になるんじゃないかとすら思ってしまう。

また、キャッシュレス化の恩恵というのも見逃せない。
現金が必要ないという事は、単にお金を刷る手間と輸送の手間が省けるだけではない。小売店はお釣りの心配をして両替に行かなくても良いし、客としても、タクシーに乗る際に小銭を作るなんて事をしなくても良い。
決済に現金を使わないということは、各店に現金が無いということなので、当然、現金目当ての強盗もなくなる。

色んな人達の『しなくて良い仕事』が減る上に、犯罪まで減る可能性があるんだけれども、『銀行の収益の柱が手数料収入だから』キャッシュレス化が実現しない様にも思えてしまう…
ということで、タイトルに戻るわけですが、銀行って、必要なんでしょうかね。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第32回 【ヒッピー】ティモシー・リアリー(8) ~ビーイン後に新たに生まれた価値観

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回の放送では、サンフランシスコ・オラクルという雑誌が企画・開催し、1967年に行われたヒューマン・ビーインというイベント。
そして同じくオラクルが、サイケデリック文化に造詣の深い人物たちを集めて、ビーイン後に企画した、会議について話していきました。

簡単に説明をすると、ビーインという企画その物が、それぞれ考え方の違うヒッピーコミューンの考え方の統一を狙ったイベントでした。
このイベント後に改めて、ヒッピー文化に深い理解を示している知識人を集め、現状を把握しようとしたのが、その後の『ドロップアウトであるべきか 新左翼であるべきか』という会合でした。

ヒッピー文化の主張の大本は、中央集権から分散型社会へ、そして、平和主義、非暴力、フリーセックスといったものが基本的な考え方となり、発展していったのですが…
その後、この運動は様々な考え方をする団体を取り込んでいき、大きな社会現象へと発展していくことになります。
その中でも目立ち始めたのが、新左翼集団だった為、この様なタイトルが付けられた会合が、ビーインの主催者によって企画されたのでしょう。

ドロップアウトとは、今まで常識とされていた社会から抜け出すという様な意味合いがあります。
中央集権的であったり資本主義であったり、それを前提とした大量生産・大量消費社会や、経済拡大の為の侵略戦争など、これまで前提となっていた社会からの離脱ですね。
この離脱の手段として、今までにない価値観の提示であったり、今まで否定してきた文化の再評価、これは、帝国主義の名のもとに滅ぼされた民族の文化の見直しなどですね。
シャーマニズムであったりヨーガやアロマテラピー等の、他の文化の見直しなどと捉えて良いでしょう。
今まで前提とされていた価値観が間違っていて、それを改革する必要は有るけれども、それをテロなどの暴力ではなく、対抗する文化をぶつけることによって変えていこうという考え方で良いと思います。

その一方で新左翼は、より早い改革を望んだ一派と捉えて良いと思います。
そもそも左翼というのは右翼の逆で、その右翼というのは保守という意味合いが有るので、今までの流れを継続していく右翼に対して、時代の変化と共に考え方を変えていくべきというのが左翼と呼べれています。
こういった意味合いなので、今までのシステムに対して不満を持ち、その社会のシステムから自らドロップ・アウトしようと活動しているヒッピーその物も、考え方としては左翼です。

では、左翼と新左翼とは何が違うのかというと、その違いは、理想を実現する為のスピードと、その行動に有ります。
現在の世界の政治を見てもわかりますが、どの時代にも、左翼勢力というのは存在します。日本でも、基本的には自民党が政権を握り続けていますが、共産党といった今までの流れに反発するような政党は存在します。
アメリカでも同じで、システムを運営している側だから、全ての政治家が保守的なのかというと、そうでもなく、当時のアメリカにも左翼的な主張をしている政治家や団体は存在しました。

正攻法で改革を望むのであれば、この様な人達を皆で応援して、与党にしてしまうというのも、一つの方法です。
しかし新左翼の考え方は、これら従来の左翼は権力にしがみつき、戦わない左翼であるとして批判し、認めなかったんですね。
穿った見方をすれば、政治家として申し訳程度の比率で存在している共産党議員は、右翼政党からすると、絶対に政権は取れないけれどもガス抜きとしては利用価値があるという位置づけの人間で、捉え方によっては、権力側で役割を担っている人間とも見れます。

ガス抜きとして権力側に飼われているだけの存在なので、同士ではないという事なんでしょう。
そういう今までの左翼に対して新左翼というのは、自らは戦闘的左翼または革命的左翼であるして、スピードを重視した革命を目指す為、過激な直接行動をもじさないような考え方です。
簡単にいえば、実際に武器を持って立ち上がり、システムに対して革命を起こそうという集団です。 

この様な、理想を実現するためには暴力行為を辞さない人達と、暴力行為そのものを否定して、新たな文化や価値観を定着させることで、民衆の意識そのものを根本的に変えていく事を目指したリアリー達とは、意見が一致することも無かったんですね。
簡単にいえば、新左翼から見れば、ヒッピー達は、大層な理想だけを掲げるけれども、行動を起こさない口だけの腰抜けに見えますし、ヒッピーから見れば、暴力行為を辞さない新左翼達は、問題の本質が見えてないという事になるんでしょう。
物事を考える前提の時点で意見が別れている為、いくら議論を重ねても平行線をたどるだけで、分かり合えることはなかったんでしょう。

またビーインその物の存在を、疑問視する人達も出てきます。 その一派は、第28回でも紹介した、ディガーズです。

ディガーズの根本的な考え方というのは、そもそもが、ヒューマン・ビーインを企画したサンフランシスコ・オラクル誌と違います。
ラクルがビーインを開催した目的は、それぞれバラバラの思想を持ったヒッピーコミューンの意思を統一するためと言いましたが、それだけではなく、ヒッピームーブメントという活動が有るということを、
大規模なイベントを開くことで、世間に広める目的もあったんです。
数万人が集まる大規模なイベントを行えば、ニュースに飢えたマスコミは放って置いても取材に来ますし、新聞やTVを通して、ヒッピーという人達の存在をより多くの人達に知らしめることが可能です。

新聞やテレビなどの各種メディアを通して、ヒッピーという存在を知った人々が運動に流れ込み、流れ込んだ人々が更に身近な人達に思想を伝えていけば、その人数は指数関数的に増えていく可能性も有ります。
規模が大きくなればなるほど、各種メディアでの取扱も大きくなります。 世の中に対する影響力を大きくする事で、それを後ろ盾とした発言力も大きくなると思ったんでしょう。

それに対してディガーズの根本的な考え方というのは、マネーゲームからの脱却です。その為に、自らが行動して、食料の無料配布や物資の開放といった事を、率先して行ってきたわけですが…
そんなディガーズの考え方の対極に位置するのが、マスコミですよね。 マスコミは、商品・サービスを販売したい企業をスポンサーにする事で番組作りを行って、視聴率を稼ぐことで、広告枠をより高く販売する仕事です。
いってみれば、マスコミとは大量生産大量消費社会をより促進させる為の装置で、そんなマスコミの玩具にされてコンテンツを提供するという事は、マネーゲームに加担する事を意味するので、許せないことだったんでしょう。

また、グレイトフル・デッドのような象徴となるスターを担ぎ出して宣伝をするという行為にも、異論があったようです。
メディアの露出や、有名人の起用というのは、消費社会の象徴となっているテレビなどで使い古された手法ですが、単純にそのテレビ的な手法が気に入らないというだけではなく、問題はそれによって集まってくる人達の質ですね。
思想やそれに伴う活動というのは、本当に理解して集まってくれる人間というのは、どれだけ集まってきたとしても、邪魔にはなりません。むしろ、同じ考えの同志が増えるのは、喜ばしいことでしょう。

ただその一方で、テレビなどのメディアで知って集まってくる様な人たちというのは、どうなんでしょうか。
その様な人たちすべてがそうだと言うつもりはありませんが、そうして集まった人達の多くが、活動に参加することが格好いいからという、ファッションとしての動機で集まって来る為、元からいた人達にとっては邪魔でしかありません。
こうした、思想の根本的な部分を理解していない人を大量に集めたとしても、現場が混乱するだけですし、ファッションとして集まった人達は、ブームが去ると同時に去っていくので、意味が無いと考えたんでしょうね。

この様に、自分達で考えて行動する人達のそれぞれの主張は食い違うという状況で、ビーイン後にそれらが統一されることもありませんでした。
結果としてビーイン後は、それぞれのコミューンはそれぞれの道を進んでいくこととなるんですけれども、このあたりややこしいのが、その一方で、自分達の確固たる意志や主張を持たない人達は別で、
この人達は打ち解け合って融合し、新たな価値観を作っていくことになるんですよね。
その新たな価値観とはどういったものなのかというと、難しい言葉を使って格好良くいうと、これまで常識となって世界を引っ張って来たブルジョワ的価値観と、プロテスタント的労働倫理観からの開放ですね。

ブルジョワ的価値観とは何なのかというところから説明していくと、ブルジョワジーという言葉は生まれた時代が古く、その後、時代が移り変わる毎に意味合いも変わってきていますので、一概にはいえないんですが…
ここでいうブルジョワ的価値観とは、資産階級のことですね。 昔は、王様と一部の貴族が領地を支配するという封建制度によって収められていた国が多いのですが、市民革命によってその構造は変わり、身分制度による階級というのは無くなります。
ですが産業革命以降、土地を支配する貴族という領主に変わって、金によって土地や工場を所有し、そこで働く労働者を支配する、資本家という新たな階級が登場することになるのですが、ブルジョワ層とはこの産業資本家という資産階級の事を指します。
ブルジョワ的価値観とは、資本家がお金という資金を投下し、その投下された資金で労働者を雇う事によって、投資資金をより増殖させていくという価値観の事と考えて良いと思います。

プロテスタント的労働倫理とは、キリスト教の一部であるカルヴァン主義をベースにした考え方です。 ここでは詳しい説明はせずに、ざっくりとした説明だけをします。
まず、プロテスタントですが、宗教改革によってカトリックから分派した宗教で、分裂した後、多くの人達が新大陸であるアメリカに移り住んだので、アメリカの考えのベースとなっていると考えても良いかもしれません。
その肝心な考え方なのですが、従来の考え方と大きく違う部分は、お金の捉え方です。

そもそも、プロテスタントというのは、カトリック教会のお金に対する姿勢が気に入らないということで、革命が起こって生まれた宗派です。
それまでのキリスト教というのは、魂を救済してほしければ、教会に多額の寄付をしなさいという感じでお金を集めまくって、豪勢な教会を建てて、有名な画家の宗教画を飾るという感じで、浮世離れした空間を演出することで、信者を集めてきました。
その行動が行き過ぎて、最終的には、仮に罪を犯したとしても、教会が発行する免罪符という御札を買えば救われるというところまで落ちてしまうんですね。

その様な教会の行動に異論を唱えたのがルターという人物で、教会の無駄遣いを否定して、本来、有るべきキリスト教に戻そうとして生まれてのがプロテスタントです。
カトリック教会では貼り付けにされたキリスト像を掲げていますが、キリスト教は本来、偶像崇拝は禁止です。この教義を厳密に解釈すると、キリスト像を崇拝す事は教義に反することになりますので、像は置かないし崇拝もしません。
当然、豪華な内装や高価な宗教画なども置かないという感じで、本来の教えを忠実に行おうとして始まりましたので、お金のに対する考え方についても、一部で考え方を改めることになります。

キリスト教の従来の考え方としては、お金を貯め込む事はそれ自体が罪悪とされていたので、お金を多く得た人というのは恵まれない人に施す事で、その罪から逃れられるという考え方でした。
お金というのは、その性質上、一箇所に集まる傾向があり、多くのお金を持つ人には、更に多くのお金が集まってくるようになります。
キリスト教は、神の前では人は平等だと謳っているわけですが、貧富の差が決定的となると平等とはいえず、お金によって上下関係が生まれてしまうことになります。
それを防ぐ為にも、教義によって再分配を促そうという工夫をしていたのでしょう。

その一方でカルヴァン主義は、神は全能であるのだから、当然、未来のことも見通せると考えます。
神が未来のことも見通せるのであれば、神に愛されるべき善人は、死んだ後ではなく、自分達が生きている人生の中で祝福を与えてくれるはずだと考えます。
では、どのような祝福を与えてくれるのかというと、どんなものでも手に入れる事が出来るお金をたくさん与えてくれる。つまり荒っぽい言い方をすると、金持ちというのは善人で、神から祝福された存在であるという事ですね。

では、貧乏人は悪人で、神から見放されているのかというと、そうではなく、善行。つまり、一生懸命働いてお金を貯める事で、神に救済されることになる。
つまり信者の全てが、個人と社会全体に対して役に立つことを行うことで、その活動を行ったものには自然とお金が集まってくる。逆に、働かない怠惰なものは社会に貢献しないので、神からも見放されるという事です。
人は自分が望まないサービスは使わないし、お金も払いたくないと思うので、お金を得るという事は、それだけ多くの人から必要とされている行動を行ったという事になるので、社会に貢献している善人だという考え方なんでしょう。

新たに生まれた階層のブルジョワ層と呼ばれる資本家は、自己資金を投資することによって新規事業を立ち上げて、労働者を雇う。
雇われた労働者は、働いた時点で日当や時給がもらえる為、安定した収入を得ることが出来る一方で、資本家は事業が失敗するリスクを取るので、成功した際は、相当な利益も得ることが出来る。
その新規事業が、本当に社会が欲しているサービスを提供しているのであれば、皆がお金を出してサービスを利用してくれるので、事業は成功しますし、投資家はお金を得ることで神から救済される。

ブルジョワ的価値観とプロテスタント的労働倫理、この2つを踏まえた上で生まれる社会がどういうものかというのをイメージすると、それは現状の資本主義社会ということになりますよね。

この2つでワンセットになっている価値観に乗っかる形で、アメリカというのは成長してきたわけですが、よくよく考えてみると、この前提にはおかしなところが有りますよね。
例えば、現状の日本を想像してもらうと分かりやすいと思いますが、親会社・元請け、言い方はなんでも良いのですが、上流に有る会社が、下請け、孫請け等に事業を丸投げして、利益だけピンはねするという状況が、現在の労働環境の問題としてあります。
では、ピンはねしている中間業者は、神によって祝福されているからお金が得られるのでしょうか?搾取している側が善人で、搾取されている人間は自業自得の悪人なんでしょうか。

この価値観を受け入れられない、資本主義によって追い詰められた人達、つまり貧民層は、再分配を行わない巨大資本や富裕層が悪いんじゃないかということで、団結し始めるんですね。
簡単に言ってしまうと、社会的地位もなく、金銭的な余裕もない。でも、自分自身の主張を持っているわけでも目指している方向が有るわけでもない。
ただ、漠然と世の中に対して不満は持っているけれども、何をどうして良いのかわからない若者たちというのが、ビーインなどを通して、新左翼という存在を知り、彼らが掲げる共産主義的な思想に傾倒していったということなんでしょうね。

という事で、ビーイン関連の話をまとめると、オラクル誌はライブ活動などのイベントを通してヒッピーコミューン達の意思の疎通をはかりたかったんですが、確固たる意思を持つ人達が分かり合う事は無かったんですね。
ただ、その楽しそうなイベントと、そのイベントが掲げる新たな価値観や新時代の到来といったものに引き寄せられた、資本主義に疑問を持っていた若者たちの一部は、新左翼達と知り合うことで、価値観を融合させていくことになります。
注意としては、価値観が融合しただけで、多くの若者達が新左翼の一員となって過激な行動に走ったというわけではないということなんですけどね。

これまでの前提となっている社会からのドロップアウト、このドロップアウトも、リアリーが主張しているような高いレベルのものではなく、特に思想も持たず、社会に対して反発してみて、時にはデモに参加してみるといった人達といえば良いんでしょうかね。
悪い言い方をすれば、反社会的な思想がブームになるといいますか・・・ 真面目に働くよりも、そんな社会からドロップ・アウトして、ドラッグをやりながらフラフラして過ごす。
そんな生活を肯定するために、ヒッピーや新左翼達の主張で理論武装をして、言い訳にする。 そんな人達が各地で行われたイベントによって急増しだしたと捉えても良いのかもしれません。

この様な感じでヒッピームーブメントは、その上流にいる人達の意思疎通は行われなかったのですが、下流に位置する人達は似たような思想を共有して、団結し始めるという状態になっていったようです。
そして、この流れが、このムーブメントの終わりの始まりとなるわけですが、その話はまた、次の機会に話したいと思います。

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第31回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(7) ~ドロップアウトであるべきか 新左翼であるべきか

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前回の簡単な振り返りから始めていきたいと思いますが、前回は、1967年を中心とした話をしていきました。
ハーバードで教員をしていたリアリーが、大学を追われてニューヨークへ行き、そこでも活動がしづらくなってカルフォルニアに移ってきたのがこの年です。
そしてこの年に、リアリーの研究に大いに興味をもっていた、ヒッピー達が集う地区のヘイト・アシュベリー地区で出されていた、サイケデリック文化を紹介する雑誌、サンフランシスコ・オラクル誌の企画で、ヒューマン・ビーインが行われます。

このヒューマン・ビーインは、メインテーマに人間性の回復を掲げ、その手段としての、幻覚剤による意識拡張や平和、フリーセックスを肯定するヒッピー達の集会です。
大規模な音楽フェスで、LSD無しでもトリップできる空間を作るのを目的として開催されたようですね。
メインテーマである人間性の回復とは、当時の中央集権的な管理社会に対する反発です。 生きる為にシステムを利用するのではなく、システムを効率よく回す為に人が機械のように利用されて消耗されていく。
全ての価値観がお金に置き換わり、社会に住む人達が人間らしさを忘れてしまっている状況の事で、それを前提とした社会からドロップ・アウトした人達による反抗ともいえるのかもしれません。

この音楽フェスは大成功を収め、この活動を指示する人達によって、同じ様なイベントが各地で開催される事となり、最終的に、ウッドストック音楽祭にまで発展します。
それと共に、この文化は国中に、そして国を超えて世界にまで広がっていき、若者を中心にこの文化は浸透していくことになります。この文化に影響を受けた人達を、『フラワー・チルドレン』や『フラワーチャイルド』と呼びます。
愛の象徴として花を身につけるこの人達は、戦争反対を訴え、最終的にはペンタゴンを取り囲んで抗議行動を行うわけですが、その鎮圧に駆けつけた兵士に銃を突きつけられた際、暴力ではなく、銃口に花を指す事で抗議した出来事でも有名ですよね。

この様に、ヒューマン・ビーインは社会に対して大きな影響を与え、その後、その動きは全国各地に広がっていくわけですが、今回は、ヒューマン・ビーイン直後から流れを追っていくことにします。
このヒューマン・ビーインですが、サイケデリックカルチャーの影響を受けて雨後の筍のように生まれた、考え方が微妙に、中には大きく違ったヒッピーコミューン達の意思統一を行うために開催されました。

当時のヒッピーコミューンというのは、平和主義者・非暴力主義者はもちろん、アーティストであったり、中央集権に反対する人達であったり、黒人たちに対する差別や偏見を止め、黒人に人権を求める公民権運動。
その他にも、ヘルズ・エンジェルスの様なバイカーや、ディガーズのように理想的な共産主義を目指すものや新左翼
といった感じで、サイケデリックカルチャーに影響を受けたという共通点は有るものの、スタンスは大きく違っていたんですね。

この統一を図ろうと企画されたイベントが、先程も言いましたが、ヒューマン・ビーインだったようです。
このビーイン後に、イベントを企画したサンフランシスコ・オラクル誌の呼びかけによって、討論会が開催されます。会議の題材は、『ドロップアウトであるべきか、新左翼であるべきか』と言うもの。、

この呼びかけに応えて集まったのが、一人は哲学者のアラン・ワッツさんです。この方は、前にも名前を出した事があると思いますが、アメリカに東洋思想を広めたことでも有名な方だそうです。
その他には、ゲーリー・スナイダー、この方は、アレン・ギンズバーグなどとも交流のある詩人であるとともに、自然保護活動家としても活動されている方で、
1956年~68年の期間の大半は日本の京都で過ごした方だそうです。 日本に滞在時には、宮沢賢治の作品である『春と修羅』の翻訳などもしていたようです。そして最後に、ティモシー・リアリーです。

この会議で、リアリーの意見は他の参加者の意見と全く噛み合わずに、終了してしまったようです。
というのも、ここでリアリーが主張した意見というのは、『重要なのはドロップ・アウトすることで、それさえ行えば、革命はなされる』というものだったんですね。
これは、私の解釈でしかないのですが、リアリーが言いたかったことというのは、ベトナム戦争に対する反戦運動や、システムに対する反発や、共産主義のような新たなシステムの創設といったものは、目指すものではないという事なんでしょう。

リアリーのこれまでの行動や主張を思い出して欲しいのですが、リアリーが一貫して主張していることは、悟りの境地を体験するという事のみなんですね。
幻覚剤による意識拡張によって、宇宙と個人とが完全に混ざり合う体験を得ることが重要なことで、主義や主張といったものは、今起こっている様々な問題の根本的なものではないという事なんでしょう。
このコンテンツの第15回~19回で、ブッダの思想を紹介していますが、ブッダも似たような事を言っていましたよね。

重要なのは、この世や自分という存在が、そもそも無いということを体験として知る事が重要で、それを体験してしまえば、他の事は然程重要ではないんですよ。
というのも、中央集権であったり、搾取であったり、国同士の殺し合いであったり、それらを実行しているシステムというのは、そこに携わる人が有ると思い込んでいるから有るものであって、本来は無いものだからです。
本来は無い存在であるものを有るように扱っていて、有るように扱っているものの不具合を見つけ出して修正するというのは、意味がわからないですよね。

例えば、これを聞いている皆さんの前に、何かを成し遂げる為の機械があると仮定します。実際には何もなくて、ただの空間だけが存在しているのですが、とにかく有ると妄想します。
その機械の不具合を更に妄想して、その不具合を改善する為に、更に改善方法を妄想するというのは、意味のない行動ですよね。
リアリーが主張していることはそういう事で、そもそもシステムなんて存在しないのに、皆がそのシステムをあると思い込んで盲信していて、そのシステムの改善策を考えるという行動その物が、滑稽だということなんでしょう。

アニメ作品で、ガンダムユニコーンという作品が有ります。その中で、似たようなことが主張されているので、それを例に説明してみます。
結構前の作品なので、いまさらネタバレもないとは思うのですが、まだ観ていなくて情報を入れたくない人は、ここで一旦止めて、観てから聞くようにお願いします。良いでしょうか。

ガンダム作品の世界観を簡単に説明しておくと、まず最初に、地球上の人口が爆発的に増えていって200億人を突破し、地球のキャパを完全に超えてしまった為に、地球自体の限界が来てしまったという状態になります。
そこで人類は、人間を宇宙に送ることで地球の人口を減らそうとするわけですが、大部分の人間は、地球という住み慣れた土地から離れたくないという思いが強く、思ったように地球人口は減らせませんでした。
そのままでは困るので、地球連邦の上層部の人間は不公平がないように、地球に住む人類全員が宇宙に旅立って、地球を休息させようと提案します。

その意見を聞き入れた多くの人は宇宙に旅立っていったのですが、地球の人口が40億人程度まで低下したところで、地球連邦は宇宙脱出計画を中止することになります。
こうなると、最初に地球連邦の主張を聞き入れた人達は詐欺にあったようなもので、地球側に言いくるめられて捨てられたようなものなんですが、それだけでは終わりません。
スペースコロニーに移り住んだ人達は、地区の代議士は自分達の投票によって決められますが、代表権を持った人は地球連邦から指名されたものが天下りのようにやってくる為、自分達の住む地域でありながら、地球側にコントロールされる状況になります。
中央集権のシステムですね。 これに反発を起こしたスペースコロニーの一つが、独立戦争を仕掛けたというのが、初代ガンダムの話です。

ガンダムユニコーンは、この戦争から数年たった後の話という設定の物語です。
この物語の中で、仮面を付けたフル・フロンタルという人物が登場します。 この人物は、地球連邦のやり方に反対する思想を持つ人物なのですが、この人物の思想というのが、リアリーの思想に近いんです。
このフル・フロンタルの主張というのが、武力によるシステムの変更と言ったものではなく、地球連邦を無視するという方法なんです。

地球連邦は、全てのスペースコロニーの代表を指名する権利を持っていますし、経済の中心に存在します。
しかし、実際の構造を観てみると、経済規模は全スペースコロニーと地球とで比べた場合、スペースコロニーの経済規模のほうが遥かに大きい。
技術力も製品の生産能力も地球を圧倒する存在なので、地球を無視した形での経済圏を構築してしまえば、つまり、地球という存在を無いものとして扱えば、わざわざ地球からの独立を力で奪い取る必要はないということです。

これを、現在の社会に照らし合わせて考えてみましょう。
現代社会は、確かに、政治家や資本家によってシステムが都合良く作られ、彼らの良いように運用されています。

しかし、実際の経済規模から見てみればどうでしょうか。 一人の資本家が使う消費額と、40億人の労働者。どちらの消費が大きいでしょうか。
ものを作る企業があって10%の管理職がいたとして、その10%の管理職がこなしている仕事量と、現場で働いている90%の労働者がこなしている仕事量、どちらが多いのでしょうか。
現代社会は中央集権的といいますが、政治家や資本家だけで、この世のシステムを回すことは出来るんでしょうか?

こう考えた時に、現在の中央集権的なシステムが駄目だから、それを改変してより良いものにすべきだとするのでは、根本的な解決にはなりません。
ではどうするのが良いのかというと、権力が集まってくるという中央その物を、無視してしまえばよいわけです。 つまり、システムなんて無い事に気が付き、その様に皆が振る舞うだけで、システムというのは簡単に崩壊します。

例えば、資本主義は、皆が考え方を変えるだけで、簡単に崩壊してしまいます。
資本主義が成り立つのは、皆がお金に価値があると思い込んでいるからです。 どんな嫌な奴の命令であったとしても、札束で頬を叩かれるを言うことを聴いてしまう。
そういう一人ひとりの行動が、資本主義という本来は存在しないシステムが、まるで存在するかのように錯覚させます。

しかし、嫌な奴が札束を積んで命令してきた時に、『お前の言うことは聞きたくない』と皆がいえば、その嫌われている資本家の財力という力は、跡形もなく消えてしまいます。
リアリーの言っていることというのは、そういうことなんですね。
中央集権であったり、国が起こした戦争であったり、資本主義システムであったり、そういったものが実在しているかのように振る舞っているのは、皆がそのシステムが有ると思いこんでいるからなんです。
この思い込みを取り払って、そんなものは存在しないと皆が思うだけで、これらのシステムは簡単に崩壊します。

例えば、北朝鮮将軍様アメリカのトランプが喧嘩をして、両国の間で宣戦布告がされ、開戦したとしましょう。
しかし、ここで実際に武器を手にとって、実際に現地に赴いて殺し合いをするのは、将軍様でもトランプでもなく、両国の市民達です。
この両国の軍人たちが、『2人の喧嘩のために、何故、自分達が命をかけて戦わないといけないのか?』と疑問を持ち、一斉に軍隊を辞めたとしたら、そもそも戦争が起こりません。

両国のトップは、振り上げた拳を下げられない状態になり、結果、二人で殴り合いの喧嘩をする事になるかもしれませんが、その喧嘩によって、数百万、数千万の人間が死ぬということはなくなります。
そして、その喧嘩によって何らかの決定が行われたとしても、その決定を皆が無視すれば、喧嘩の勝敗がどうなたとしても、その勝負に意味はなくなります。権力というのは、それを支える下の人達が存在して始めて成り立つもので、
下に付き従う人達が、権力というものが有ると思いこんでいるから存在し続けられるわけです。
下で働く人間が、権力の存在を無視してしまえば、その瞬間から、上に立つ人間の立場というものは無くなります。
リーダーというのは、下で働く人間からリーダーだと信任されてはじめてリーダーとして存在できるのであって、リーダーという肩書があったとしても、誰も言うことを聞かないのであれば、その人間に権力はありません。

つまりは、リアリーの言う通り、『ドロップ・アウトしさえすれば、全ては成される』ということです。
確かにリアリーの主張するとおり、現実世界に有るシステムやルールなんて、それが有ると信じている人間が存在するから存在できているわけで、言ってしまえば神のような形而上の物でしかありません。
ただ、何故、こんな形を持たないものが、まるで実態があるかのように存在しているのかというと、リアリーの主張するような世界にするよりも、ルールを作った方が早かったからなんでしょう。

例えばお金ですが、それぞれの人間の間で信用関係を構築するよりも、何故かわからないけれども信用が付加されている紙切れである紙幣を使った方が、効率は上がります。
全ての人間同士で、どの行動をやってよいのか、または駄目なのかといった事を信頼関係の元で共有するよりも、法律で決めた方が理解しやすいです。
それぞれの人間がそれぞれの考えを元に、自分勝手に動くだけでは成し得ない事も、組織を作って大人数で取り組めば実現可能だったりします。

ではリアリーは、こんな事も分からないような人物だったのでしょうか。
おそらくリアリーは、このような事をわかった上で、それでも主張していたんだと思います。では何故、この様な主張をしたのかというと、幻覚剤のトリップにその可能性を見出したからでしょう。
キリスト教的な視点でいえば神との邂逅、東洋思想的にいえば、宇宙と個人との一体感や悟りといった神秘体験を、人類皆が経験すれば、その共通の神秘体験を元に、分かり合えると思ったのかもしれません。

というのもリアリーは、これまでの自身の研究によって、その様な現場を目撃してきたからです。
例えば、再犯率が高い刑務所の囚人に対して幻覚剤を投与して、神秘体験をさせる事で行動を変化させて、その結果、再犯率の低下を実現させるとかですね。
その他にも、元バイカーで犯罪を繰り返していたグループが、神秘体験を通して考え方を改める事で『永遠の愛兄弟団』へと変化し、その団体にリアリーは助けてもらっています。

リアリーが主張するドロップアウトとは、東洋思想の考え方で言うところの仏陀になるという事で、有ると思いこんでいる現実の世界や、その中に存在するシステムが幻であるという事に気が付き、本当の意味で目覚めるということを指しているんでしょう。
自分を他人のように感じ、自分自身を本当の意味で客観視する。そして、それを観察している自分自身も、宇宙というこの世の全てと混ざり合う体験をする。
それを皆が体験する事によって、共通の価値観を共有する事で、今あるシステムの代わりになると考えたんでしょう。

先程例に出した、ガンダムの設定でもそうですよね。 宇宙に捨てられてスペースノイドと呼ばれた人達は、地球という限定された空間から解き放たれたことによって、今までにない期間が発達するというのが、反乱軍の思想でした。
ニュータイプと名付けられたその能力は、地球という重力に体を縛られ、人々が近いところで群れて暮らしているという環境から脱した状態で始めて発達する能力で、この能力によって、人々は誤解なく理解し合うことが出来るとされています。

そもそも、この世に法律や、それを破った際の罰則、組織やルールといったシステムが必要なのは、人々がそれぞれ考えていることが理解できないから必要なものです。
お金というものがあれば、人間関係において互いに信頼関係がなかったとしても、お金という信用を物質化したツールによって関係を補う事が出来ます。
同じルールに従っているという前提があれば、そのルール内においては価値観を共有することが出来ます。

でもそういったシステムは、人々が誤解なく理解し合うことができれば、必要のないものとなります。
人々が同じ価値観を共有して、誤解なく理解し合う。これによって、人類全体が現実からドロップアウトする事ができれば、それだけで改革はなされるということだったんでしょう。

ただこの主張は、そう簡単に受け入れられるものではありません。 というのも、誤解なく分かり合う為には、他人の主観を誰の目からも観察することが必要になってくるわけですが、仮に幻覚剤のトリップによって共通の価値観を共有できたとしても、
他人の主観を観察することも誤解なく理解することも不可能です。
結果として、リアリーの主張はこの場では完全に理解されることはないのですが、その事実が、リアリーの主張の難しさを物語っていますよね。
何故なら、この会議に集まったのは、このムーブメントに対して異議を唱えている人達ではなく、同じビーインというイベントに参加し、その活動を肯定的に捉えていた人達だったからです。
にも関わらず、リアリーの主張は誤解なく理解される事が無かったわけですから。

この物別れが象徴するように、ヒッピームーブメントに参加した人たちの意見は、ビーインをキッカケにして一丸となるという事は無かったのですが、関係は、更にややこしい状態になっていく事になるのですが、それはまた別の機会にしようと思います。

【プログラミング】 python奮闘記 その17 ~一応の完成?

この記事は、現在進行系でゼロからプログラミングを勉強している私が、勉強の一環として進展状況をアウトプットする目的で投稿しています。
その為、間違った記述や無駄な作業が結構多めとなっていますが、『それでも良いから一緒に勉強している気になりたい』という方に向けて書いていますので、予め御了承ください。

前回は、リストという一つの変数に複数の値を代入する方法を勉強しました。
という事で早速、今作っているものにリストを組み込んでいこうと思います。
kimniy8.hatenablog.com

まず、今作っている自動見積りツールですが、数値が固定されているものは材料単価だけです。
この材料単価をリストに入れて、必要なものだけ取り出すという方法を使えば、結構便利そうです。
今現在、単価を打ち込んでいる部分はこんな感じの記述になっています

    if cardboard_a:
        cardboard_price["text"] = "ボール紙の価格" + str(40) + "円"
    elif cardboard_b:
        cardboard_price["text"] = "ボール紙の価格" + str(50) + "円"

(40)や(50)という数字の記述がありますが、仮に、材料単価の見直しが有った際には、これらを手書きで直していかなければなりません。
その際に、見落としなどがあると計算に誤差が出たりもするので、管理が結構面倒。
という事で、単価の元データを作り、そこにアクセスして数値を引っ張ってくるようにします。

    # ボール紙の価格 cardboard plice
    cp=[40, 50, 70, 100]

ボール紙の単価、略称でcpという変数を作り、リストとして単価を打ち込みます。
そして、先程の記述の部分はこんな感じで修正

    if cardboard_a:
        cardboard_price["text"] = "ボール紙の価格" + str(cp[0]) + "円"
    elif cardboard_b:
        cardboard_price["text"] = "ボール紙の価格" + str(cp[1]) + "円"

こうする事で、価格を変更する際には、先程のリストの数値を変更するだけで数字が変更されるはずです。
ついでに、紙の価格もリスト化して変数に入れてしまいましょう。

    # 紙の価格 paper plice
    pp=[[50, 65, 60, 70],[70, 100, 90, 110],[100, 135, 120, 160],[160, 235, 220, 280]]
    pp_f=[[50, 65, 75, 90],[70, 100, 115, 140],[100, 135, 160, 200],[160, 235, 285, 360]]

紙の価格の場合は、蓋と身で価格が微妙に違うので、2つのリストを用意します。
2つのリスト共に、リストの中にリストを入れる感じで管理します。
呼び出し方は、はじめに外枠の方のリスト番号を指定し、次に、内側のリスト番号を指定します。
例えば、ppのリストの中の2つ目のリストの3番目の数字である90を呼び出すためには

pp[1][2]

といった感じで、指定すれば大丈夫です。
リストの番号は0から始めるため、2つ目の要素にアクセスしようと思うと、[1]と打たなければならないので注意が必要です。

紙の単価のリストも用意が出来たので、後は、単価を振り分ける際のif文に、追加で紙の項目を書き足すだけです。
ただ、よくよく見ると、一つ一つのif文で、表示される文字全てを書くのは、面倒。。
というか、何度も書きますが、プログラムって面倒くさいことを機械に自動で行わせるはずのものなのに、プログラムので同じ事を何度も書くというのがナンセンスな気もする…

という事で、if文の文字を書き換えると同時に、ツールのレイアウトも少しイジろうと思います。
今までは、内訳表示の部分を、関数が実行されたらまるまる書き買える状態にしていましたが、単価表示部分は固定表示にして、〇〇円という表記が追加されるだけにします。

cardboard = tkinter.Label(frame4, text="【身】ボール紙の価格")
cardboard.grid(column=0,row=2, padx=5)
cardboard_price = tkinter.Label(frame4)
cardboard_price.grid(column=1,row=2, padx=5)

こんな感じで、価格の説明は固定表示にして、新たに『cardboard_price』という変数を作って、関数実行時にはこの変数に金額を代入します。
準備が出来たので、次は、価格表示をさせる部分を書いていきます。

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p = cp[0]
            if radio1 == 0:
               p_p = pp[0][0]
            elif radio1 == 1:
               p_p = pp[0][1]
            elif radio1 == 2:               
               p_p = pp[0][2]
            elif radio1 == 3:
               p_p = pp[0][3]

        elif cardboard_b:
            c_p = cp[1]
            if radio1 == 0:
                p_p = pp[1][0]
            elif radio1 == 1:
                p_p = pp[1][1]

冒頭で書いていた部分を、こんな感じで書き直します。
『c_p』と『p_p』という新たな変数を作り、if文によって、各条件に合った単価のリストを呼び出して代入していきます。
『cardboard_a』という条件に当てはまる場合は、ボール紙の単価はcpリストの0番目になります。
そして、ラジオボタンの選択によって、『p_p』に紙の価格リストから数値が呼び出されます。

if文の条件分枝によって選ばれた価格は、最終的にこんな感じで、先程作った『cardboard_price』等の表示スペースに代入します。

        cardboard_price["text"] = str(c_p) + "円"
        cardboard_price_f["text"] = str(c_p_f) + "円"
        paperprice["text"] = str(p_p) + "円"
        paperprice_f["text"] = str(p_p_f) + "円"
        answer["text"] =str(c_p + c_p_f + p_p + p_p_f) + "円"

そして、全ての価格が出揃ったところで、それらを全て足して、『answer』という場所に代入することで、合計金額が表示されます。
これで、やっと完成です!
f:id:kimniy8:20180710221911j:plain
ただ、このコード、結構、同じことの繰り返しを書いていたりしてるんですよね…
という事で次回は、もう少し簡素な感じに加工しようと思います。
kimniy8.hatenablog.com

今回作ったコード

import tkinter

# ウィンドウ作成
root = tkinter.Tk()
root.title("見積もり")

# テキスト表示
frame1 = tkinter.Frame(root)
heading = tkinter.Label(frame1, text="お見積り")
heading.pack()

# テキストボックス表示
frame2 = tkinter.Frame(root)
box_width = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_width.grid(column=0,row=0, padx=5)

box_length = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_length.grid(column=1,row=0, padx=5)

box_height = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_height.grid(column=2,row=0, padx=5)

box_height_f = tkinter.Entry(frame2, width=10, bd=4)
box_height_f.grid(column=2,row=1, padx=5)
# ボタン表示
askbutton = tkinter.Button(frame2, text="見積開始")
askbutton.grid(column=3,row=0, padx=5)

# ラジオボタン 紙の選択
frame5 = tkinter.Frame(root)

radio1_val = tkinter.IntVar()
radio1_val.set(0)
paper_a = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【a】", variable = radio1_val, value = 0)
paper_a.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_b = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【b】", variable = radio1_val, value = 1)
paper_b.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_c = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【c】", variable = radio1_val, value = 2)
paper_c.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_d = tkinter.Radiobutton(frame5, text = "紙【d】", variable = radio1_val, value = 3)
paper_d.pack(side = tkinter.LEFT)

frame6 = tkinter.Frame(root)
radio2_val = tkinter.IntVar()
radio2_val.set(0)
paper_a_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【a】", variable = radio2_val, value = 0)
paper_a_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_b_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【b】", variable = radio2_val, value = 1)
paper_b_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_c_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【c】", variable = radio2_val, value = 2)
paper_c_f.pack(side = tkinter.LEFT)
paper_d_f = tkinter.Radiobutton(frame6, text = "紙【d】", variable = radio2_val, value = 3)
paper_d_f.pack(side = tkinter.LEFT)


# 答え表示
frame3 = tkinter.Frame(root)
ans_titl = tkinter.Label(frame3, text="一箱あたりの価格(税抜き)")
ans_titl.pack(side = tkinter.LEFT)
answer = tkinter.Label(frame3, text="円")
answer.pack(side = tkinter.LEFT)

# 内訳表示
frame4 = tkinter.Frame(root)
b_areax = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の身の横幅")
b_areax.grid(column=0,row=0, padx=5)
b_areay = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の身の縦幅")
b_areay.grid(column=1,row=0, padx=5)

b_areax_f = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の蓋の横幅")
b_areax_f.grid(column=0,row=1, padx=5)
b_areay_f = tkinter.Label(frame4, text="ボール紙の蓋の縦幅")
b_areay_f.grid(column=1,row=1, padx=5)

cardboard = tkinter.Label(frame4, text="【身】ボール紙の価格")
cardboard.grid(column=0,row=2, padx=5)
cardboard_price = tkinter.Label(frame4)
cardboard_price.grid(column=1,row=2, padx=5)

cardboard_f = tkinter.Label(frame4, text="【蓋】ボール紙の価格")
cardboard_f.grid(column=0,row=3, padx=5)
cardboard_price_f = tkinter.Label(frame4)
cardboard_price_f.grid(column=1,row=3, padx=5)

paper = tkinter.Label(frame4, text="【身】の紙の価格")
paper.grid(column=0,row=4, padx=5)
paperprice = tkinter.Label(frame4)
paperprice.grid(column=1,row=4, padx=5)

paper_f = tkinter.Label(frame4, text="【蓋】の紙の価格")
paper_f.grid(column=0,row=5, padx=5)
paperprice_f = tkinter.Label(frame4)
paperprice_f.grid(column=1,row=5, padx=5)

# Frame配置
frame1.pack()
frame3.pack()
frame2.pack()
frame5.pack()
frame6.pack()
frame4.pack()
# ボール紙の大きさ
def ask_click():
    b_hi = int(box_height.get()) # 箱の高さ
    b_hi_f = int(box_height_f.get()) # 箱の高さ
    b_wid = int(box_width.get()) # 箱の幅
    b_long = int(box_length.get()) # 箱の長さ
    b_tate = b_long + b_hi*2 # ボール紙の長さ
    b_yoko = b_wid + b_hi*2 # ボール紙の幅
    b_tate_f = b_long + 5 + b_hi_f*2 # ボール紙の蓋の縦
    b_yoko_f = b_wid + 5 + b_hi_f*2 # ボール紙の蓋の横
    
    # ラジオボタンの値取得
    radio1 = radio1_val.get()
    radio2 = radio2_val.get()

    # 紙の価格 paper plice
    pp=[[50, 65, 60, 70],[70, 100, 90, 110],[100, 135, 120, 160],[160, 235, 220, 280]]
    pp_f=[[50, 65, 75, 90],[70, 100, 115, 140],[100, 135, 160, 200],[160, 235, 285, 360]]
    
    # ボール紙の価格 cardboard plice
    cp=[40, 50, 70, 100]

    # 身のボール紙の種類
    cardboard_a = max(b_tate, b_yoko) <= 232 and min(b_tate, b_yoko) <= 222
    cardboard_b = max(b_tate, b_yoko) <= 354 and min(b_tate, b_yoko) <= 323
    cardboard_c = max(b_tate, b_yoko) <= 505 and min(b_tate, b_yoko) <= 354
    cardboard_d = max(b_tate, b_yoko) <= 748 and min(b_tate, b_yoko) <= 505

    # 蓋のボール紙の種類
    cardboard_a_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 232 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 222
    cardboard_b_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 354 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 323
    cardboard_c_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 505 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 354
    cardboard_d_f = max(b_tate_f, b_yoko_f) <= 748 and min(b_tate_f, b_yoko_f) <= 505
    
    # NG要項
    if b_hi > 100 or b_hi < 20 or b_wid < 70 or b_long < 70 \
       or not(max(b_tate, b_yoko) <= 600 or min(b_tate, b_yoko) <= 450):
        answer["text"] = "申し訳ございませんが、弊社の設備では製造できません"
        
    else:                
        b_areay["text"] = "身のボール紙の身の縦" + str(b_tate) + "mm"
        b_areax["text"] = "身のボール紙の身の横" + str(b_yoko) + "mm"
        b_areax_f["text"] = "身のボール紙の蓋の縦" + str(b_tate_f) + "mm"
        b_areay_f["text"] = "身のボール紙の蓋の横" + str(b_yoko_f) + "mm"

        # 身のボール紙の価格
        if cardboard_a:
            c_p = cp[0]
            if radio1 == 0:
               p_p = pp[0][0]
            elif radio1 == 1:
               p_p = pp[0][1]
            elif radio1 == 2:               
               p_p = pp[0][2]
            elif radio1 == 3:
               p_p = pp[0][3]

        elif cardboard_b:
            c_p = cp[1]
            if radio1 == 0:
                p_p = pp[1][0]
            elif radio1 == 1:
                p_p = pp[1][1]
            elif radio1 == 2:
                p_p = pp[1][2]
            elif radio1 == 3:
                p_p = pp[1][3]
                
        elif cardboard_c:
            c_p = cp[2]
            if radio1 == 0:
                p_p = pp[2][0]
            elif radio1 == 1:
                p_p = pp[2][1]
            elif radio1 == 2:
                p_p = pp[2][2]
            elif radio1 == 3:
                p_p = pp[2][3]

        elif cardboard_d:
            c_p = cp[3]
            if radio1 == 0:
                p_p = pp[3][0]
            elif radio1 == 1:
                p_p = pp[3][1]
            elif radio1 == 2:
                p_p = pp[3][2]
            elif radio1 == 3:
                p_p = pp[3][3]

            
        # 蓋のボール紙の価格
        if cardboard_a_f:
            c_p_f = cp[0]
            if radio2 ==0:
                p_p_f = pp_f[0][0]
            elif radio2 ==1:
                p_p_f = pp_f[0][1]
            elif radio2 ==2:
                p_p_f = pp_f[0][2]
            elif radio2 ==3:
                p_p_f = pp_f[0][3]
        elif cardboard_b_f:
            c_p_f = cp[1]
            if radio2 ==0:
                p_p_f = pp_f[1][0]
            elif radio2 ==1:
                p_p_f = pp_f[1][1]
            elif radio2 ==2:
                p_p_f = pp_f[1][2]
            elif radio2 ==3:
                p_p_f = pp_f[1][3]

        elif cardboard_c_f:
            c_p_f = cp[2]
            if radio2 ==0:
                p_p_f = pp_f[2][0]
            elif radio2 ==1:
                p_p_f = pp_f[2][1]
            elif radio2 ==2:
                p_p_f = pp_f[2][2]
            elif radio2 ==3:
                p_p_f = pp_f[2][3]

        elif cardboard_d_f:
            c_p_f = cp[3]
            if radio2 ==0:
                p_p_f = pp_f[3][0]
            elif radio2 ==1:
                p_p_f = pp_f[3][1]
            elif radio2 ==2:
                p_p_f = pp_f[3][2]
            elif radio2 ==3:
                p_p_f = pp_f[3][3]
        
        cardboard_price["text"] = str(c_p) + "円"
        cardboard_price_f["text"] = str(c_p_f) + "円"
        paperprice["text"] = str(p_p) + "円"
        paperprice_f["text"] = str(p_p_f) + "円"
        answer["text"] =str(c_p + c_p_f + p_p + p_p_f) + "円"
askbutton["command"] = ask_click            
# メインループ
root.mainloop()

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第30回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(6) ~ヒューマン・ビーイン

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

最初に、この回から聴き始めた方の為に、一応、行っておきますと
第20回と21回で、ヒッピー・ムーブメントが、どの様にして起こったのかという簡単な説明をし、22回と23回で、その運動に大きな影響を与えた幻覚剤、LSDについての、開発の経緯や使われ方について説明しました。
第24回では、20回~23回までの4回分をまとめたモノを配信していますので、ヒッピー回をまだ1度も聞いていない方は、その回からでも聞いていただくと、大きな流れが理解しやすいと思います。
そして、25回からは、このムーブメントの中心的な人物であるティモシー・リアリーに焦点を当てて、より詳しく、この出来事を追っていっています。

毎度のことになりつつ有りますが、一応、注意として言っておくと、ヒッピーを取り扱う回では、LSDなどの幻覚剤を始めとした禁止薬物が、頻繁に登場することになります。
それも、ネガティブな取り扱い方だけではなく、人間の可能性を伸ばすといった感じの取り上げ方をしますが、あくまでも、当時、そのように捉えられて研究されていたという解説をしているだけで
現在、使用することを推奨しているわけではありません。 現在は禁止薬物になっているものが大半なので、使用は行わないようにしてください。
法律で禁止されているだけではなく、中毒になって抜け出せなくなったり、最悪の場合は死ぬケースも有りますのでね。

という事で本題に入っていきます、リアリーを中心とした回もこれで6回目ということで、ここで一旦、今までの流れを簡単に振り返ってから、続きに入っていきたいと思います。

このムーブメントの最初の段階というのは、完全管理社会に対して不満を持っていた人たちが、ポエムなどを使って文学面で抵抗をしようとします。
これを、ビート運動と言い、それを主導していた人達を総称して、ビート・ジェネレーションと呼びます。
そんな運動が巻き起こる時代に、一人の優秀な心理学者が、ハーバードに就職します。その人物の名が、ティモシー・リアリーです。

ティモシー・リアリーは、一部のキノコに含まれる幻覚成分のシロシビンと出会い、自らが試した際に経験した神秘体験に感動し、シロシビンの研究に打ち込むことになります。
その研究過程で、『知覚の扉』を執筆したビート・ジェネレーションの巨匠、オルダス・ハクスリーと知り合うことになります。
リアリーはその後、ハクスリーを通してビート運動の最前線で戦う詩人たちと知り合うことになり、そして意気投合して、その人達と一緒に幻覚剤が引き起こす神秘体験が人間に与える影響を研究し始めます。

そんなリアリーの元に、通常の量の100倍のLSDを自身に投与して、悟りを開いてしまった人物である、マイケル・ホリングズヘッドが現れます。
LSDに魅了されていたホリングズヘッドは、事ある毎にリアリーに対してLSDを薦めます。そして、最初は政府絡みの薬物だと煙たがっていたリアリーも、ついに負けてLSDを試す事となって、強烈な神秘体験を体験します。
そしてこれ以降、リアリーの研究対象は、LSDへと移っていきます。

しかし、この研究対象の変更を、周囲の人達は歓迎しません。というのもリアリーの研究方法は、欲しいという人たち全てに薬をバラ撒いて、その反応を観察するというものだったからです。
LSDは政府絡みの薬物なので、派手な行動を好まないCIAや、トラブルを嫌う大学、そして、政府から予算を貰って研究しているライバルの教授などから目の敵にされて、リアリーは大学を去ることになってしまいます。
大学からの研究費用が当てに出来なくなったリアリーは、メキシコに移って、IFIFという有料の会員制の団体を作り、会員限定で研究報告書を配る事で、研究費を捻出します。

ですが、この活動も政府の圧力がかかることになリます。しかし、捨てる神あれば拾う神ありと言いますか…圧力によって活動しづらくなっている中で、リアリーはヒッチコックという資産家に出会い、拠点をニューヨークのミルブルックに移します。

その後、ニューヨークの活動の中で、リアリーは、ケン・キージーなどのサイケデリックカルチャーにのめり込む人達と出会い、交流を深めていくことになります。
その中に、永遠の愛兄弟団という、もと暴走族だったにも関わらず、LSDによって神秘体験を経験したことで、カルト集団を結成することになった団体も有りました。

この永遠の愛兄弟団ですが、リアリーとの対談でこの人物を崇拝するようになり、リアリーがニューヨークにも居辛くなったタイミングで、リアリーをカルフォルニアに呼び寄せます。
ここまでが、前回までの大雑把なまとめです。 これ以降、舞台はヒッピーの聖地であるカルフォルニアに移っていきます。
これが、1967年の出来事です。

そして、この前後ぐらいなんでしょうかね。 正確な年数はわからないのですが、カルフォルニア州のサンフランシスコにあるヘイト・アシュベリー地区に、ドロップ・アウトした若者達が集まり始めます。
何故この地域だったのかというと、元々はビート・ジェネレーションの人たちが、サンフランシスコのノースビーチに多く移り住んでいたようなのですが、その地区が都市開発によって住めなくなってしまったようなんですね。
そこで、逃避先として選ばれたのが、ヘイト・アシュベリー地区だったようです。この地区は、空き家なども多く、少ない家賃で一軒家が借りられるという経済的な理由から大きかったようですね。
ただでさえ安い一軒家を、仲間やコミューンで借りて、一緒に共同生活を送るという、今で言うシェアハウスのような事を行っていたようです。

この集まってきた若者達は、今までの価値観にとらわれることのない生活を望んでいたようで、生活の為に働かなければならないときでも、スーツや作業着を着ないでも良いような職を選んでいたようです。
また前回も言いましたが、ヒッピーとアーティストというのは相性が良い為、芸術系の人達の多くも、ヘイト・アシュベリー地区に移り住んで来たようですね。
ヘイト・アシュベリーでは、ヒッピーに向けた情報誌として、サンフランシスコ・オラクルと呼ばれるタブロイド誌なども発行されていて、この地域一帯は、ヒッピータウンへと変貌していったそうです。 

これを日本に有った出来事で例えるなら、大阪に味園ビルというビルが有るんですが、その変化に近いかもしれないですね。
味園ビルというのは、元々は日本の高度経済成長期に建てられたレジャービルと言うんでしょうかね。 キャバレーや宴会場、スナックやダンスホールやサウナなどを施設内に収めた、大人の社交場の様な場所だったんですが…
バブル崩壊と共に訪れた不景気によって多くのテナントの採算が悪化して、ビルから退去することになってしまいました。

そこで、味園ビルは経営方針を方向転換して、2階部分の家賃を大幅に下げて、テナント募集を呼びかけた所、強い個性を持ったオーナーが集まり、それぞれの個性を全面に出した店作りをした結果、東のゴールデン街に匹敵するような、サブカルチャーアンダーグラウンド文化の発信地になったというビルですね。
このビルの2階部分は、四角形の中にもう一つ小さな四角形を入れたような構造になっていて、一筆書きで一周できる様な廊下が有るわけですが、初めて訪れた大抵の人は、店の様子を見ながらその廊下を3周回って、どこにも入らずに帰ってしまうというね…
一部では、大阪ミナミの魔窟、魔物が住む洞窟と書いて魔窟ですが、そんな呼ばれ方もしている建物だったりしますが、ヘイト・アシュベリー地区もそんな感じなんでしょうね。

話が脱線したので元に戻すと、この1967年という年ですが、結構、大きな出来事が複数起こっています。
リアリーがカルフォルニアに移ってきたのもその一つですが、その他にも、LSDの製造を手かげていたオーズリーが、逮捕されます。
そしてもう一つ、これが象徴的な出来事なのですが、1967年の1月に、ヒューマン・ビーインというイベントが開催されます。

このヒューマン・ビーインというイベントは、簡単にいえば、音楽フェスです。主催したのは、先程も少し紹介した、オラクルというサイケデリック文化を牽引するタブロイド誌です。
ヒッピー文化の中心地であるヘイト・アシュベリー地区で発刊された雑誌で、当然のように、LSDの第一人者であるティモシー・リアリーにも意見を仰いでいて、その意見を尊重していたようです。
このタブロイド誌オラクルが手動する形で開催されたと言われていますが、一部の資料では、ジョン・スター・クックと呼ばれる人物が、オラクルに持ちかけたとも書かれていますね。

この人物を簡単に紹介すると、CIAとも繋がりのあると言われている人物だったとされていますね。CIAとつながっていたとは言っても、諜報員の一人だったというわけでもなく、つながりがあって情報交換をしていたという程度だったんでしょうけれどもね。
CIAは、敵国に潜入して情報を奪うというだけでなく、国内にある反社会的な団体にも人を送って、その後、メンバーとして活躍させて、信用を勝ち取った上で、内部の人間関係を破壊して、組織を内側から破壊させるような事もしていたので、目鼻の聞く人なら、知り合うのは簡単だったんでしょうね。
で、このジョン・スター・クックという人物ですが、神秘主義精神分析に傾倒して、独自に研究なども行い、その後、サイエントロジー創始者ロン・ハバードの側近にもなったそうです。

タロットカードにも興味を示して研究を行い、現代のタロット文化に大きな影響を与えたとされています。
この辺りの詳しい情報が無いので、この人がどの様に関わったのかというのはアヤフヤですが、タロットカードの発明自体は、アレイスター・クロウリーという儀式魔術師が考案したそうなんです。タロット解説書に挿絵としてカードの原型も書いて、1944年に出版までは出来たそうなんですが、カードの制作までは叶わなかったそうなんですね。
そして47年には、この方は亡くなってしまうんですが、その後、22年経った1969年にタロットカードの発売されているので、この発売に関わったということなんでしょうかね。

こういう経歴の持ち主が、LSDと遭遇するのは運命のようなものなのか、ジョン・スター・クックはLSDで神秘体験を行い、権力との戦いと神話上の戦いをリンクさせて、別の形での抵抗をしようと、ビーインの企画を持ちかけたようです。
このようにして、ヒューマン・ビーインは企画され、オラクル誌によって開催されることになります。

名前の由来ですが、丁度この頃、ベトナム戦争に対する反戦運動が徐々に盛り上がり始めて、学生などによる座り込み集会「Sit-In」などが盛んになり始めるのですが、その運動にヒントを得て、人間の集会としてのHuman Being-In、略してHuman Be-Inが企画されたそうです。
テーマとしては、高度管理社会によって人間性を失って機械的になってしまった人々の、人間性の回復等ですね。 
中央集権的な社会ではなく、個々のちからや考えを尊重するような分散型社会の実現。そして、それを可能にする為の意識改革を手助けする意識拡張がメインテーマとして掲げられたのですが、このイベントが開催された一番大きな目的としては、政治的活動をする新左翼と文化革命を目指すサイケデリック・グループとの目的を一致させるという事でした。

これまでにも幾つかの団体を紹介してきましたが、ヒッピーコミューンは、それぞれの集まりによって考え方が違います。
リアリーのように、神秘体験が人の感情や正確にどのような好影響を与えるのかといったことを研究するグループも入れば、ディガーズのように、中央集権的な社会の原因となっている資本主義に疑問を持ち、共産主義を自らの行動によって主張するグループもいます。
永遠の愛兄弟団の様に、ヒッピーショップを通じて新たな芸術や文化を発信し、そのイマジネーションの源となるLSDやその他の麻薬を販売して信者を集めるカルト集団や、純粋に社会から爪弾き者となって、アウトローとなったバイカー集団のヘルズ・エンジェルスの様な団体も有ります。

これらの団体は、今の社会システムに対する不満を持っているという点に関しては共通しているのですが、その手法や考え方に関しては根本的に違います。
この考え方の違うそれぞれの集団をまとめ上げるのが、このイベントの大きな理由だったようですね。

このイベントでは、前にも名前を出したグレイトフル・デッドなどのアーティストや、ティモシー・リアリーのような研究者、アレン・ギンズバーグのような詩人も舞台に上がり、パフォーマンスを行ったようです。
そして、音響機材の警備などの裏方作業は、モーターサイクルギャングのヘルズエンジェルスが担当するなど、サイケデリックカルチャーの中核にいる団体の協力の下、開催されました。
そんな、ヒューマン・ビーインですが、ヒッピーはもちろん、アーティストや詩人、快楽主義者や政治家などからも注目を集め、結果として2~3万人の客を集め、大成功を収めたようです。

その後、ヒューマン・ビーインは一種の社会現象になり、語尾にinを付けたイベントなどが開催されることになります。
市民が、何らかの抗議活動として死んだように横たわって抗議する『ダイ・イン』とか、その他には、ビートルズジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんが結婚をした際に行った、『ベッド・イン』というパフォーマンスですね。
この『ベッド・イン』というパフォーマンスですが、当時のマスコミらは、ジョン・レノンオノ・ヨーコ両氏が、記者やカメラの前で公開セックスをするイベントだと思い込んでいたらしいですね。

しかし実際には、結婚式がマスコミ等によって大注目されると考えた夫妻が、その注目を利用して、平和活動の一環としてラブ・アンド・ピースを訴えようとしたイベントで、マスコミらをホテルに招き入れて、平和について話し合うというイベントだったそうです。
このイベントは、一部のマスコミは肩透かしをされた形になったようですが、では何故、この様な誤解をしたのかというと、この二人は、結構過激な行動を今まで行い続けていたかららしいですね。
アルバムジャケットでオールヌードを披露したり、グラビア写真で性行為をしている写真を公開したりですね。 これらの行動を観てきた人にとって『ベッド・イン』という名前のイベントは、そういう想像をしてしまうものだったんでしょう。

ちなみに日本では、結婚式の日に公開セックスをした有名人がいたりもします。その人物は、朝まで生テレビなどで有名な、田原総一朗さんですね。
フリーセックスを掲げる夫妻の結婚式に裸で出席して、行為を行ったというようなことを自身の口からおっしゃってたのをインタビュー番組で聞いた覚えが有ります。

話をヒューマンビーインに戻すと、この活動は一回では終わらず、その後、何度も行われるようになり、1969年のウッドストック・フェスティバルでピークを迎えるようになります。
そして、これらの動きに注目したマスコミは、この活動に参加している人達に、『ラブ・ジェネレーション』とか『フラワー・チルドレン』といった名称をつけ始めます。
また、最初のビーインから半年足らずで、『モントレー・ポップ・フェスティバル』が決定し、夏に開催が行われます。イベントの企画立案は違う人達のようですが、
ヒッピームーブメントに注目が集まる中で開催されたこのイベントも、当然のように注目されることになります。
このモントレー・フェスですが、結果として20万人の動員が行われた有名なイベントとして、世界中で行われるロックフェスの原型となります。

日本では、学生を中心として政府に対する不満を主張するSEALSという団体が、フジロックで、音楽に関係がない政治的な主張をしたということで、祭りに政治を持ち込むなと言う批判的な意見があったそうなんですが、元々、ロックフェスとはそういうものから始まったという歴史が有るんですね。
話をアメリカの1967年に戻すと、ドラッグによる意識拡張やフリーセックス、中央集権ではなく本当の意味で自由な社会というヒッピーの主張は、国中に伝播し、国という枠組みを飛び越えて世界に広がりはじめます。
この、ヒッピームーブメントが花開いた象徴的なこの年を、『サマー・オブ・ラブ』呼びます。
またこの1967年は、デトロイトなどの一部の地域では、アフリカ系の黒人に対する差別が激化していくといった出来事もあったようです。

有名な出来事でいうと、この年の夏に起こったデトロイト暴行事件と呼ばれるものですね。
簡単な事件の内容としては、お酒を提供するBARに対して警察ががさ入れに行ったというのが、事件の発端だったようです。
法律では、午前2時までしか影響をしてはいけないという決まりになっていたのにもかかわらず、それを超えて営業している店があるという事でガサ入れに入ると、中には複数の黒人がいて、2人のベトナム帰還兵の帰国の祝をしていたところでした。

警察は、オーナーと中にいた客ごと拘束し、店の外に出て護送車を待っていた所、野次馬がドンドン集まってきて、警官に対して瓶などを投げ始め、暴動に発展していったようです。
この暴動の火は、その後、物凄い勢いで燃え広がっていき、結果として、死者43人、負傷者1,189人、逮捕者7,200人を出す、歴史に残る大暴動になってしまったようです。

この事件も、闇が深いですよね。 根底に黒人差別というものがあって、黒人は白人から偏見の目に晒されて来たわけですが、そんな黒人が、アメリカ政府が勝手に始めたベトナム戦争で命をかけて黒人が戦う。
そして、無事に帰ってきたら、警官によって拘束されてしまう…
黒人の話とは事情が変わりますが、ベトナム帰還兵の扱いとしては、ランボーなどもそうですよね。

…と、最後で話がそれてしまいましたが、まとめると、この1967年という年はカルフォルニアを中心として、ヒッピー文化が世界に広がった象徴的な年だったんですね。
では、これを受けて社会はどうなったのかという話は、また次回にしようと思います。

【プログラミング】 python奮闘記 その16 ~リスト

この記事は、現在進行系でゼロからプログラミングを勉強している私が、勉強の一環として進展状況をアウトプットする目的で投稿しています。
その為、間違った記述や無駄な作業が結構多めとなっていますが、『それでも良いから一緒に勉強している気になりたい』という方に向けて書いていますので、予め御了承ください。

前回は、ラジオボタンを作ることで、ユーザーに4つの選択肢を選んでもらって、それを計算に反映させるというところまで書きました。
これによって、今まで書いたif文に更に条件を付け加えることによって、ユーザーの指定した回答にたどり着けるように出来たのですが…
この方法だと、書く量も多い、まぁこれは、同じ様な文なのでコピペでも良いわけですが、そもそも同じ様な文章を書かなければならないってだけで、プログラムとして変。
また、訂正するときにかなりの箇所を訂正しなければならない為、大変。 どちらにしても、もっと良い方法があるだろうというところで終わりました。
kimniy8.hatenablog.com

という事で今回は、この事を解決するために、新たな技術を導入したいと思います。
それが、『リスト』です。

入門書などを読むと、かなり最初の方に書いてあるリストなのですが、そこで紹介されている例を見ても、私のような素人にはイマイチ、便利機能に思えなかったんですよね。
ただ、実際にプログラムを書いてみると、『この機能を利用すれば、もっとコンパクトに書けるんじゃ?』と思い、今回、導入してみることにしました。

その前に、私と同じように、pythonを勉強中の方に向けて、簡単なリストの説明を書いていきます。

リストとは、簡単にいうと、一つの変数に複数の値を覚えさせることが出来る機能です。
例えば、『a=3』とした場合に、aに3が代入されるというのは、簡単に理解できますよね。
一つの変数に対して一つの数字を当てはめるというのは、理解も簡単だし使い方も容易に想像できると思います。

でも、プログラムでは、一つの変数に複数の値をもたせることが出来て、それを可能にするのがリストなんです。
例えば

a=[3, 5, 6, 7, 1]

といった感じで代入する事で、この例の場合は5つの数字を変数『a』に覚えさせることが出来ます。
では、『値を呼び出すときはどうするの?』と疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。
複数の値を覚えさせることが出来たとして、呼び出すときに5つ全部を一度に呼び出すことしか出来ないのであれば、リストの使い勝手は激減します。

でも安心してください、リストは、覚えさせた数字を1つ1つ呼び出すことが可能なんです。
その方法とは、こんな感じ

>>>a=[3, 5, 6, 7, 1]
>>>a
[3, 5, 6, 7, 1]
>>>a[2]
6

変数『a』に5つの数字を覚えさせて、そのまま『a』の値を聞くと、リスト内の全ての数字を返してくるのですが、『a[2]』といった感じで、指定することで、3番目の数字の6が返ってきます。
『え? 2番を指定したのに3番目が返ってくるの?』と思われる方もいらっしゃるでしょうが、リストの一番最初の番号は『0』なので、『2』は3番めに当たるんです。。
『0.1.2.3.4.』
その為、5つ目の数字を呼び出すためには『a[4]』としなければなりません。この辺りは慣れですね。

このリストには、3つの種類があります。

>>> b=[0,1,2,3,4,5]
>>> b[3]
3
>>> c=(6, 7, 8, 9, 0)
>>> c[2]
8
>>> d={"a":4,"b":2,"c":9}
>>> d["c"]
9

一番上がリストで、次がタプル()、最後が辞書{}です。
それぞれの違いを書いていくと、リストは後から書き換えが可能(ミュータブル)なもので、リストへの追加なども簡単にできて使い勝手が良いものです。
2つ目のタプル()は、中の要素の書き換えが出来ない(イミュータブル)ので、使い方が限定されます。 絶対に変えたくない値などを入れる時に使います。
この2つの呼び出し方は同じで、複数の値を代入した変数の横に
を書いて、中に呼び出したい数字を書くだけです。
注意点としては、タプルの呼び出しはc(2)ではなく、c[2]と[]で書くことです。

3つ目の辞書だけが少し違って、この辞書には順番という概念がありません。
そのかわり、2つの要素を結びつけて覚えさせることが可能となっています。
2つの値が『:』で分けられて、『,』で区切られていますが、『:』で区切られたほうがベアーで、左側の値がキーとなる値で、これを指定することでペアになっている左側の値を呼び出せます。

このリストですが、単純に複数の値を入れるだけではなく、リストの中にリストを入れることもできちゃったりします。

>>> h=[({"a":1,"b":3},{"c":4,"d":5}),(3,5),[4,6,7]]
>>> h[2][1]
6

一つのリストの中に、辞書やタプルといった異なるタイプのリストを保管することが出来るので、使い方によっては大幅に労力を短縮できそうです。
という事で次回は、早速、実装していこうと思います。