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【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第31回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(7) ~ドロップアウトであるべきか 新左翼であるべきか

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この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回の簡単な振り返りから始めていきたいと思いますが、前回は、1967年を中心とした話をしていきました。
ハーバードで教員をしていたリアリーが、大学を追われてニューヨークへ行き、そこでも活動がしづらくなってカルフォルニアに移ってきたのがこの年です。
そしてこの年に、リアリーの研究に大いに興味をもっていた、ヒッピー達が集う地区のヘイト・アシュベリー地区で出されていた、サイケデリック文化を紹介する雑誌、サンフランシスコ・オラクル誌の企画で、ヒューマン・ビーインが行われます。

このヒューマン・ビーインは、メインテーマに人間性の回復を掲げ、その手段としての、幻覚剤による意識拡張や平和、フリーセックスを肯定するヒッピー達の集会です。
大規模な音楽フェスで、LSD無しでもトリップできる空間を作るのを目的として開催されたようですね。
メインテーマである人間性の回復とは、当時の中央集権的な管理社会に対する反発です。 生きる為にシステムを利用するのではなく、システムを効率よく回す為に人が機械のように利用されて消耗されていく。
全ての価値観がお金に置き換わり、社会に住む人達が人間らしさを忘れてしまっている状況の事で、それを前提とした社会からドロップ・アウトした人達による反抗ともいえるのかもしれません。

この音楽フェスは大成功を収め、この活動を指示する人達によって、同じ様なイベントが各地で開催される事となり、最終的に、ウッドストック音楽祭にまで発展します。
それと共に、この文化は国中に、そして国を超えて世界にまで広がっていき、若者を中心にこの文化は浸透していくことになります。この文化に影響を受けた人達を、『フラワー・チルドレン』や『フラワーチャイルド』と呼びます。
愛の象徴として花を身につけるこの人達は、戦争反対を訴え、最終的にはペンタゴンを取り囲んで抗議行動を行うわけですが、その鎮圧に駆けつけた兵士に銃を突きつけられた際、暴力ではなく、銃口に花を指す事で抗議した出来事でも有名ですよね。

この様に、ヒューマン・ビーインは社会に対して大きな影響を与え、その後、その動きは全国各地に広がっていくわけですが、今回は、ヒューマン・ビーイン直後から流れを追っていくことにします。
このヒューマン・ビーインですが、サイケデリックカルチャーの影響を受けて雨後の筍のように生まれた、考え方が微妙に、中には大きく違ったヒッピーコミューン達の意思統一を行うために開催されました。

当時のヒッピーコミューンというのは、平和主義者・非暴力主義者はもちろん、アーティストであったり、中央集権に反対する人達であったり、黒人たちに対する差別や偏見を止め、黒人に人権を求める公民権運動。
その他にも、ヘルズ・エンジェルスの様なバイカーや、ディガーズのように理想的な共産主義を目指すものや新左翼
といった感じで、サイケデリックカルチャーに影響を受けたという共通点は有るものの、スタンスは大きく違っていたんですね。

この統一を図ろうと企画されたイベントが、先程も言いましたが、ヒューマン・ビーインだったようです。
このビーイン後に、イベントを企画したサンフランシスコ・オラクル誌の呼びかけによって、討論会が開催されます。会議の題材は、『ドロップアウトであるべきか、新左翼であるべきか』と言うもの。、

この呼びかけに応えて集まったのが、一人は哲学者のアラン・ワッツさんです。この方は、前にも名前を出した事があると思いますが、アメリカに東洋思想を広めたことでも有名な方だそうです。
その他には、ゲーリー・スナイダー、この方は、アレン・ギンズバーグなどとも交流のある詩人であるとともに、自然保護活動家としても活動されている方で、
1956年~68年の期間の大半は日本の京都で過ごした方だそうです。 日本に滞在時には、宮沢賢治の作品である『春と修羅』の翻訳などもしていたようです。そして最後に、ティモシー・リアリーです。

この会議で、リアリーの意見は他の参加者の意見と全く噛み合わずに、終了してしまったようです。
というのも、ここでリアリーが主張した意見というのは、『重要なのはドロップ・アウトすることで、それさえ行えば、革命はなされる』というものだったんですね。
これは、私の解釈でしかないのですが、リアリーが言いたかったことというのは、ベトナム戦争に対する反戦運動や、システムに対する反発や、共産主義のような新たなシステムの創設といったものは、目指すものではないという事なんでしょう。

リアリーのこれまでの行動や主張を思い出して欲しいのですが、リアリーが一貫して主張していることは、悟りの境地を体験するという事のみなんですね。
幻覚剤による意識拡張によって、宇宙と個人とが完全に混ざり合う体験を得ることが重要なことで、主義や主張といったものは、今起こっている様々な問題の根本的なものではないという事なんでしょう。
このコンテンツの第15回~19回で、ブッダの思想を紹介していますが、ブッダも似たような事を言っていましたよね。

重要なのは、この世や自分という存在が、そもそも無いということを体験として知る事が重要で、それを体験してしまえば、他の事は然程重要ではないんですよ。
というのも、中央集権であったり、搾取であったり、国同士の殺し合いであったり、それらを実行しているシステムというのは、そこに携わる人が有ると思い込んでいるから有るものであって、本来は無いものだからです。
本来は無い存在であるものを有るように扱っていて、有るように扱っているものの不具合を見つけ出して修正するというのは、意味がわからないですよね。

例えば、これを聞いている皆さんの前に、何かを成し遂げる為の機械があると仮定します。実際には何もなくて、ただの空間だけが存在しているのですが、とにかく有ると妄想します。
その機械の不具合を更に妄想して、その不具合を改善する為に、更に改善方法を妄想するというのは、意味のない行動ですよね。
リアリーが主張していることはそういう事で、そもそもシステムなんて存在しないのに、皆がそのシステムをあると思い込んで盲信していて、そのシステムの改善策を考えるという行動その物が、滑稽だということなんでしょう。

アニメ作品で、ガンダムユニコーンという作品が有ります。その中で、似たようなことが主張されているので、それを例に説明してみます。
結構前の作品なので、いまさらネタバレもないとは思うのですが、まだ観ていなくて情報を入れたくない人は、ここで一旦止めて、観てから聞くようにお願いします。良いでしょうか。

ガンダム作品の世界観を簡単に説明しておくと、まず最初に、地球上の人口が爆発的に増えていって200億人を突破し、地球のキャパを完全に超えてしまった為に、地球自体の限界が来てしまったという状態になります。
そこで人類は、人間を宇宙に送ることで地球の人口を減らそうとするわけですが、大部分の人間は、地球という住み慣れた土地から離れたくないという思いが強く、思ったように地球人口は減らせませんでした。
そのままでは困るので、地球連邦の上層部の人間は不公平がないように、地球に住む人類全員が宇宙に旅立って、地球を休息させようと提案します。

その意見を聞き入れた多くの人は宇宙に旅立っていったのですが、地球の人口が40億人程度まで低下したところで、地球連邦は宇宙脱出計画を中止することになります。
こうなると、最初に地球連邦の主張を聞き入れた人達は詐欺にあったようなもので、地球側に言いくるめられて捨てられたようなものなんですが、それだけでは終わりません。
スペースコロニーに移り住んだ人達は、地区の代議士は自分達の投票によって決められますが、代表権を持った人は地球連邦から指名されたものが天下りのようにやってくる為、自分達の住む地域でありながら、地球側にコントロールされる状況になります。
中央集権のシステムですね。 これに反発を起こしたスペースコロニーの一つが、独立戦争を仕掛けたというのが、初代ガンダムの話です。

ガンダムユニコーンは、この戦争から数年たった後の話という設定の物語です。
この物語の中で、仮面を付けたフル・フロンタルという人物が登場します。 この人物は、地球連邦のやり方に反対する思想を持つ人物なのですが、この人物の思想というのが、リアリーの思想に近いんです。
このフル・フロンタルの主張というのが、武力によるシステムの変更と言ったものではなく、地球連邦を無視するという方法なんです。

地球連邦は、全てのスペースコロニーの代表を指名する権利を持っていますし、経済の中心に存在します。
しかし、実際の構造を観てみると、経済規模は全スペースコロニーと地球とで比べた場合、スペースコロニーの経済規模のほうが遥かに大きい。
技術力も製品の生産能力も地球を圧倒する存在なので、地球を無視した形での経済圏を構築してしまえば、つまり、地球という存在を無いものとして扱えば、わざわざ地球からの独立を力で奪い取る必要はないということです。

これを、現在の社会に照らし合わせて考えてみましょう。
現代社会は、確かに、政治家や資本家によってシステムが都合良く作られ、彼らの良いように運用されています。

しかし、実際の経済規模から見てみればどうでしょうか。 一人の資本家が使う消費額と、40億人の労働者。どちらの消費が大きいでしょうか。
ものを作る企業があって10%の管理職がいたとして、その10%の管理職がこなしている仕事量と、現場で働いている90%の労働者がこなしている仕事量、どちらが多いのでしょうか。
現代社会は中央集権的といいますが、政治家や資本家だけで、この世のシステムを回すことは出来るんでしょうか?

こう考えた時に、現在の中央集権的なシステムが駄目だから、それを改変してより良いものにすべきだとするのでは、根本的な解決にはなりません。
ではどうするのが良いのかというと、権力が集まってくるという中央その物を、無視してしまえばよいわけです。 つまり、システムなんて無い事に気が付き、その様に皆が振る舞うだけで、システムというのは簡単に崩壊します。

例えば、資本主義は、皆が考え方を変えるだけで、簡単に崩壊してしまいます。
資本主義が成り立つのは、皆がお金に価値があると思い込んでいるからです。 どんな嫌な奴の命令であったとしても、札束で頬を叩かれるを言うことを聴いてしまう。
そういう一人ひとりの行動が、資本主義という本来は存在しないシステムが、まるで存在するかのように錯覚させます。

しかし、嫌な奴が札束を積んで命令してきた時に、『お前の言うことは聞きたくない』と皆がいえば、その嫌われている資本家の財力という力は、跡形もなく消えてしまいます。
リアリーの言っていることというのは、そういうことなんですね。
中央集権であったり、国が起こした戦争であったり、資本主義システムであったり、そういったものが実在しているかのように振る舞っているのは、皆がそのシステムが有ると思いこんでいるからなんです。
この思い込みを取り払って、そんなものは存在しないと皆が思うだけで、これらのシステムは簡単に崩壊します。

例えば、北朝鮮将軍様アメリカのトランプが喧嘩をして、両国の間で宣戦布告がされ、開戦したとしましょう。
しかし、ここで実際に武器を手にとって、実際に現地に赴いて殺し合いをするのは、将軍様でもトランプでもなく、両国の市民達です。
この両国の軍人たちが、『2人の喧嘩のために、何故、自分達が命をかけて戦わないといけないのか?』と疑問を持ち、一斉に軍隊を辞めたとしたら、そもそも戦争が起こりません。

両国のトップは、振り上げた拳を下げられない状態になり、結果、二人で殴り合いの喧嘩をする事になるかもしれませんが、その喧嘩によって、数百万、数千万の人間が死ぬということはなくなります。
そして、その喧嘩によって何らかの決定が行われたとしても、その決定を皆が無視すれば、喧嘩の勝敗がどうなたとしても、その勝負に意味はなくなります。権力というのは、それを支える下の人達が存在して始めて成り立つもので、
下に付き従う人達が、権力というものが有ると思いこんでいるから存在し続けられるわけです。
下で働く人間が、権力の存在を無視してしまえば、その瞬間から、上に立つ人間の立場というものは無くなります。
リーダーというのは、下で働く人間からリーダーだと信任されてはじめてリーダーとして存在できるのであって、リーダーという肩書があったとしても、誰も言うことを聞かないのであれば、その人間に権力はありません。

つまりは、リアリーの言う通り、『ドロップ・アウトしさえすれば、全ては成される』ということです。
確かにリアリーの主張するとおり、現実世界に有るシステムやルールなんて、それが有ると信じている人間が存在するから存在できているわけで、言ってしまえば神のような形而上の物でしかありません。
ただ、何故、こんな形を持たないものが、まるで実態があるかのように存在しているのかというと、リアリーの主張するような世界にするよりも、ルールを作った方が早かったからなんでしょう。

例えばお金ですが、それぞれの人間の間で信用関係を構築するよりも、何故かわからないけれども信用が付加されている紙切れである紙幣を使った方が、効率は上がります。
全ての人間同士で、どの行動をやってよいのか、または駄目なのかといった事を信頼関係の元で共有するよりも、法律で決めた方が理解しやすいです。
それぞれの人間がそれぞれの考えを元に、自分勝手に動くだけでは成し得ない事も、組織を作って大人数で取り組めば実現可能だったりします。

ではリアリーは、こんな事も分からないような人物だったのでしょうか。
おそらくリアリーは、このような事をわかった上で、それでも主張していたんだと思います。では何故、この様な主張をしたのかというと、幻覚剤のトリップにその可能性を見出したからでしょう。
キリスト教的な視点でいえば神との邂逅、東洋思想的にいえば、宇宙と個人との一体感や悟りといった神秘体験を、人類皆が経験すれば、その共通の神秘体験を元に、分かり合えると思ったのかもしれません。

というのもリアリーは、これまでの自身の研究によって、その様な現場を目撃してきたからです。
例えば、再犯率が高い刑務所の囚人に対して幻覚剤を投与して、神秘体験をさせる事で行動を変化させて、その結果、再犯率の低下を実現させるとかですね。
その他にも、元バイカーで犯罪を繰り返していたグループが、神秘体験を通して考え方を改める事で『永遠の愛兄弟団』へと変化し、その団体にリアリーは助けてもらっています。

リアリーが主張するドロップアウトとは、東洋思想の考え方で言うところの仏陀になるという事で、有ると思いこんでいる現実の世界や、その中に存在するシステムが幻であるという事に気が付き、本当の意味で目覚めるということを指しているんでしょう。
自分を他人のように感じ、自分自身を本当の意味で客観視する。そして、それを観察している自分自身も、宇宙というこの世の全てと混ざり合う体験をする。
それを皆が体験する事によって、共通の価値観を共有する事で、今あるシステムの代わりになると考えたんでしょう。

先程例に出した、ガンダムの設定でもそうですよね。 宇宙に捨てられてスペースノイドと呼ばれた人達は、地球という限定された空間から解き放たれたことによって、今までにない期間が発達するというのが、反乱軍の思想でした。
ニュータイプと名付けられたその能力は、地球という重力に体を縛られ、人々が近いところで群れて暮らしているという環境から脱した状態で始めて発達する能力で、この能力によって、人々は誤解なく理解し合うことが出来るとされています。

そもそも、この世に法律や、それを破った際の罰則、組織やルールといったシステムが必要なのは、人々がそれぞれ考えていることが理解できないから必要なものです。
お金というものがあれば、人間関係において互いに信頼関係がなかったとしても、お金という信用を物質化したツールによって関係を補う事が出来ます。
同じルールに従っているという前提があれば、そのルール内においては価値観を共有することが出来ます。

でもそういったシステムは、人々が誤解なく理解し合うことができれば、必要のないものとなります。
人々が同じ価値観を共有して、誤解なく理解し合う。これによって、人類全体が現実からドロップアウトする事ができれば、それだけで改革はなされるということだったんでしょう。

ただこの主張は、そう簡単に受け入れられるものではありません。 というのも、誤解なく分かり合う為には、他人の主観を誰の目からも観察することが必要になってくるわけですが、仮に幻覚剤のトリップによって共通の価値観を共有できたとしても、
他人の主観を観察することも誤解なく理解することも不可能です。
結果として、リアリーの主張はこの場では完全に理解されることはないのですが、その事実が、リアリーの主張の難しさを物語っていますよね。
何故なら、この会議に集まったのは、このムーブメントに対して異議を唱えている人達ではなく、同じビーインというイベントに参加し、その活動を肯定的に捉えていた人達だったからです。
にも関わらず、リアリーの主張は誤解なく理解される事が無かったわけですから。

この物別れが象徴するように、ヒッピームーブメントに参加した人たちの意見は、ビーインをキッカケにして一丸となるという事は無かったのですが、関係は、更にややこしい状態になっていく事になるのですが、それはまた別の機会にしようと思います。