だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第30回【ヒッピー】ティモシー・リアリー(6) ~ヒューマン・ビーイン

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす ~思想と哲学史』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
goo.gl

youtubeでも音声を公開しています。興味の有る方は、チャンネル登録お願い致します。
www.youtube.com

最初に、この回から聴き始めた方の為に、一応、行っておきますと
第20回と21回で、ヒッピー・ムーブメントが、どの様にして起こったのかという簡単な説明をし、22回と23回で、その運動に大きな影響を与えた幻覚剤、LSDについての、開発の経緯や使われ方について説明しました。
第24回では、20回~23回までの4回分をまとめたモノを配信していますので、ヒッピー回をまだ1度も聞いていない方は、その回からでも聞いていただくと、大きな流れが理解しやすいと思います。
そして、25回からは、このムーブメントの中心的な人物であるティモシー・リアリーに焦点を当てて、より詳しく、この出来事を追っていっています。

毎度のことになりつつ有りますが、一応、注意として言っておくと、ヒッピーを取り扱う回では、LSDなどの幻覚剤を始めとした禁止薬物が、頻繁に登場することになります。
それも、ネガティブな取り扱い方だけではなく、人間の可能性を伸ばすといった感じの取り上げ方をしますが、あくまでも、当時、そのように捉えられて研究されていたという解説をしているだけで
現在、使用することを推奨しているわけではありません。 現在は禁止薬物になっているものが大半なので、使用は行わないようにしてください。
法律で禁止されているだけではなく、中毒になって抜け出せなくなったり、最悪の場合は死ぬケースも有りますのでね。

という事で本題に入っていきます、リアリーを中心とした回もこれで6回目ということで、ここで一旦、今までの流れを簡単に振り返ってから、続きに入っていきたいと思います。

このムーブメントの最初の段階というのは、完全管理社会に対して不満を持っていた人たちが、ポエムなどを使って文学面で抵抗をしようとします。
これを、ビート運動と言い、それを主導していた人達を総称して、ビート・ジェネレーションと呼びます。
そんな運動が巻き起こる時代に、一人の優秀な心理学者が、ハーバードに就職します。その人物の名が、ティモシー・リアリーです。

ティモシー・リアリーは、一部のキノコに含まれる幻覚成分のシロシビンと出会い、自らが試した際に経験した神秘体験に感動し、シロシビンの研究に打ち込むことになります。
その研究過程で、『知覚の扉』を執筆したビート・ジェネレーションの巨匠、オルダス・ハクスリーと知り合うことになります。
リアリーはその後、ハクスリーを通してビート運動の最前線で戦う詩人たちと知り合うことになり、そして意気投合して、その人達と一緒に幻覚剤が引き起こす神秘体験が人間に与える影響を研究し始めます。

そんなリアリーの元に、通常の量の100倍のLSDを自身に投与して、悟りを開いてしまった人物である、マイケル・ホリングズヘッドが現れます。
LSDに魅了されていたホリングズヘッドは、事ある毎にリアリーに対してLSDを薦めます。そして、最初は政府絡みの薬物だと煙たがっていたリアリーも、ついに負けてLSDを試す事となって、強烈な神秘体験を体験します。
そしてこれ以降、リアリーの研究対象は、LSDへと移っていきます。

しかし、この研究対象の変更を、周囲の人達は歓迎しません。というのもリアリーの研究方法は、欲しいという人たち全てに薬をバラ撒いて、その反応を観察するというものだったからです。
LSDは政府絡みの薬物なので、派手な行動を好まないCIAや、トラブルを嫌う大学、そして、政府から予算を貰って研究しているライバルの教授などから目の敵にされて、リアリーは大学を去ることになってしまいます。
大学からの研究費用が当てに出来なくなったリアリーは、メキシコに移って、IFIFという有料の会員制の団体を作り、会員限定で研究報告書を配る事で、研究費を捻出します。

ですが、この活動も政府の圧力がかかることになリます。しかし、捨てる神あれば拾う神ありと言いますか…圧力によって活動しづらくなっている中で、リアリーはヒッチコックという資産家に出会い、拠点をニューヨークのミルブルックに移します。

その後、ニューヨークの活動の中で、リアリーは、ケン・キージーなどのサイケデリックカルチャーにのめり込む人達と出会い、交流を深めていくことになります。
その中に、永遠の愛兄弟団という、もと暴走族だったにも関わらず、LSDによって神秘体験を経験したことで、カルト集団を結成することになった団体も有りました。

この永遠の愛兄弟団ですが、リアリーとの対談でこの人物を崇拝するようになり、リアリーがニューヨークにも居辛くなったタイミングで、リアリーをカルフォルニアに呼び寄せます。
ここまでが、前回までの大雑把なまとめです。 これ以降、舞台はヒッピーの聖地であるカルフォルニアに移っていきます。
これが、1967年の出来事です。

そして、この前後ぐらいなんでしょうかね。 正確な年数はわからないのですが、カルフォルニア州のサンフランシスコにあるヘイト・アシュベリー地区に、ドロップ・アウトした若者達が集まり始めます。
何故この地域だったのかというと、元々はビート・ジェネレーションの人たちが、サンフランシスコのノースビーチに多く移り住んでいたようなのですが、その地区が都市開発によって住めなくなってしまったようなんですね。
そこで、逃避先として選ばれたのが、ヘイト・アシュベリー地区だったようです。この地区は、空き家なども多く、少ない家賃で一軒家が借りられるという経済的な理由から大きかったようですね。
ただでさえ安い一軒家を、仲間やコミューンで借りて、一緒に共同生活を送るという、今で言うシェアハウスのような事を行っていたようです。

この集まってきた若者達は、今までの価値観にとらわれることのない生活を望んでいたようで、生活の為に働かなければならないときでも、スーツや作業着を着ないでも良いような職を選んでいたようです。
また前回も言いましたが、ヒッピーとアーティストというのは相性が良い為、芸術系の人達の多くも、ヘイト・アシュベリー地区に移り住んで来たようですね。
ヘイト・アシュベリーでは、ヒッピーに向けた情報誌として、サンフランシスコ・オラクルと呼ばれるタブロイド誌なども発行されていて、この地域一帯は、ヒッピータウンへと変貌していったそうです。 

これを日本に有った出来事で例えるなら、大阪に味園ビルというビルが有るんですが、その変化に近いかもしれないですね。
味園ビルというのは、元々は日本の高度経済成長期に建てられたレジャービルと言うんでしょうかね。 キャバレーや宴会場、スナックやダンスホールやサウナなどを施設内に収めた、大人の社交場の様な場所だったんですが…
バブル崩壊と共に訪れた不景気によって多くのテナントの採算が悪化して、ビルから退去することになってしまいました。

そこで、味園ビルは経営方針を方向転換して、2階部分の家賃を大幅に下げて、テナント募集を呼びかけた所、強い個性を持ったオーナーが集まり、それぞれの個性を全面に出した店作りをした結果、東のゴールデン街に匹敵するような、サブカルチャーアンダーグラウンド文化の発信地になったというビルですね。
このビルの2階部分は、四角形の中にもう一つ小さな四角形を入れたような構造になっていて、一筆書きで一周できる様な廊下が有るわけですが、初めて訪れた大抵の人は、店の様子を見ながらその廊下を3周回って、どこにも入らずに帰ってしまうというね…
一部では、大阪ミナミの魔窟、魔物が住む洞窟と書いて魔窟ですが、そんな呼ばれ方もしている建物だったりしますが、ヘイト・アシュベリー地区もそんな感じなんでしょうね。

話が脱線したので元に戻すと、この1967年という年ですが、結構、大きな出来事が複数起こっています。
リアリーがカルフォルニアに移ってきたのもその一つですが、その他にも、LSDの製造を手かげていたオーズリーが、逮捕されます。
そしてもう一つ、これが象徴的な出来事なのですが、1967年の1月に、ヒューマン・ビーインというイベントが開催されます。

このヒューマン・ビーインというイベントは、簡単にいえば、音楽フェスです。主催したのは、先程も少し紹介した、オラクルというサイケデリック文化を牽引するタブロイド誌です。
ヒッピー文化の中心地であるヘイト・アシュベリー地区で発刊された雑誌で、当然のように、LSDの第一人者であるティモシー・リアリーにも意見を仰いでいて、その意見を尊重していたようです。
このタブロイド誌オラクルが手動する形で開催されたと言われていますが、一部の資料では、ジョン・スター・クックと呼ばれる人物が、オラクルに持ちかけたとも書かれていますね。

この人物を簡単に紹介すると、CIAとも繋がりのあると言われている人物だったとされていますね。CIAとつながっていたとは言っても、諜報員の一人だったというわけでもなく、つながりがあって情報交換をしていたという程度だったんでしょうけれどもね。
CIAは、敵国に潜入して情報を奪うというだけでなく、国内にある反社会的な団体にも人を送って、その後、メンバーとして活躍させて、信用を勝ち取った上で、内部の人間関係を破壊して、組織を内側から破壊させるような事もしていたので、目鼻の聞く人なら、知り合うのは簡単だったんでしょうね。
で、このジョン・スター・クックという人物ですが、神秘主義精神分析に傾倒して、独自に研究なども行い、その後、サイエントロジー創始者ロン・ハバードの側近にもなったそうです。

タロットカードにも興味を示して研究を行い、現代のタロット文化に大きな影響を与えたとされています。
この辺りの詳しい情報が無いので、この人がどの様に関わったのかというのはアヤフヤですが、タロットカードの発明自体は、アレイスター・クロウリーという儀式魔術師が考案したそうなんです。タロット解説書に挿絵としてカードの原型も書いて、1944年に出版までは出来たそうなんですが、カードの制作までは叶わなかったそうなんですね。
そして47年には、この方は亡くなってしまうんですが、その後、22年経った1969年にタロットカードの発売されているので、この発売に関わったということなんでしょうかね。

こういう経歴の持ち主が、LSDと遭遇するのは運命のようなものなのか、ジョン・スター・クックはLSDで神秘体験を行い、権力との戦いと神話上の戦いをリンクさせて、別の形での抵抗をしようと、ビーインの企画を持ちかけたようです。
このようにして、ヒューマン・ビーインは企画され、オラクル誌によって開催されることになります。

名前の由来ですが、丁度この頃、ベトナム戦争に対する反戦運動が徐々に盛り上がり始めて、学生などによる座り込み集会「Sit-In」などが盛んになり始めるのですが、その運動にヒントを得て、人間の集会としてのHuman Being-In、略してHuman Be-Inが企画されたそうです。
テーマとしては、高度管理社会によって人間性を失って機械的になってしまった人々の、人間性の回復等ですね。 
中央集権的な社会ではなく、個々のちからや考えを尊重するような分散型社会の実現。そして、それを可能にする為の意識改革を手助けする意識拡張がメインテーマとして掲げられたのですが、このイベントが開催された一番大きな目的としては、政治的活動をする新左翼と文化革命を目指すサイケデリック・グループとの目的を一致させるという事でした。

これまでにも幾つかの団体を紹介してきましたが、ヒッピーコミューンは、それぞれの集まりによって考え方が違います。
リアリーのように、神秘体験が人の感情や正確にどのような好影響を与えるのかといったことを研究するグループも入れば、ディガーズのように、中央集権的な社会の原因となっている資本主義に疑問を持ち、共産主義を自らの行動によって主張するグループもいます。
永遠の愛兄弟団の様に、ヒッピーショップを通じて新たな芸術や文化を発信し、そのイマジネーションの源となるLSDやその他の麻薬を販売して信者を集めるカルト集団や、純粋に社会から爪弾き者となって、アウトローとなったバイカー集団のヘルズ・エンジェルスの様な団体も有ります。

これらの団体は、今の社会システムに対する不満を持っているという点に関しては共通しているのですが、その手法や考え方に関しては根本的に違います。
この考え方の違うそれぞれの集団をまとめ上げるのが、このイベントの大きな理由だったようですね。

このイベントでは、前にも名前を出したグレイトフル・デッドなどのアーティストや、ティモシー・リアリーのような研究者、アレン・ギンズバーグのような詩人も舞台に上がり、パフォーマンスを行ったようです。
そして、音響機材の警備などの裏方作業は、モーターサイクルギャングのヘルズエンジェルスが担当するなど、サイケデリックカルチャーの中核にいる団体の協力の下、開催されました。
そんな、ヒューマン・ビーインですが、ヒッピーはもちろん、アーティストや詩人、快楽主義者や政治家などからも注目を集め、結果として2~3万人の客を集め、大成功を収めたようです。

その後、ヒューマン・ビーインは一種の社会現象になり、語尾にinを付けたイベントなどが開催されることになります。
市民が、何らかの抗議活動として死んだように横たわって抗議する『ダイ・イン』とか、その他には、ビートルズジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんが結婚をした際に行った、『ベッド・イン』というパフォーマンスですね。
この『ベッド・イン』というパフォーマンスですが、当時のマスコミらは、ジョン・レノンオノ・ヨーコ両氏が、記者やカメラの前で公開セックスをするイベントだと思い込んでいたらしいですね。

しかし実際には、結婚式がマスコミ等によって大注目されると考えた夫妻が、その注目を利用して、平和活動の一環としてラブ・アンド・ピースを訴えようとしたイベントで、マスコミらをホテルに招き入れて、平和について話し合うというイベントだったそうです。
このイベントは、一部のマスコミは肩透かしをされた形になったようですが、では何故、この様な誤解をしたのかというと、この二人は、結構過激な行動を今まで行い続けていたかららしいですね。
アルバムジャケットでオールヌードを披露したり、グラビア写真で性行為をしている写真を公開したりですね。 これらの行動を観てきた人にとって『ベッド・イン』という名前のイベントは、そういう想像をしてしまうものだったんでしょう。

ちなみに日本では、結婚式の日に公開セックスをした有名人がいたりもします。その人物は、朝まで生テレビなどで有名な、田原総一朗さんですね。
フリーセックスを掲げる夫妻の結婚式に裸で出席して、行為を行ったというようなことを自身の口からおっしゃってたのをインタビュー番組で聞いた覚えが有ります。

話をヒューマンビーインに戻すと、この活動は一回では終わらず、その後、何度も行われるようになり、1969年のウッドストック・フェスティバルでピークを迎えるようになります。
そして、これらの動きに注目したマスコミは、この活動に参加している人達に、『ラブ・ジェネレーション』とか『フラワー・チルドレン』といった名称をつけ始めます。
また、最初のビーインから半年足らずで、『モントレー・ポップ・フェスティバル』が決定し、夏に開催が行われます。イベントの企画立案は違う人達のようですが、
ヒッピームーブメントに注目が集まる中で開催されたこのイベントも、当然のように注目されることになります。
このモントレー・フェスですが、結果として20万人の動員が行われた有名なイベントとして、世界中で行われるロックフェスの原型となります。

日本では、学生を中心として政府に対する不満を主張するSEALSという団体が、フジロックで、音楽に関係がない政治的な主張をしたということで、祭りに政治を持ち込むなと言う批判的な意見があったそうなんですが、元々、ロックフェスとはそういうものから始まったという歴史が有るんですね。
話をアメリカの1967年に戻すと、ドラッグによる意識拡張やフリーセックス、中央集権ではなく本当の意味で自由な社会というヒッピーの主張は、国中に伝播し、国という枠組みを飛び越えて世界に広がりはじめます。
この、ヒッピームーブメントが花開いた象徴的なこの年を、『サマー・オブ・ラブ』呼びます。
またこの1967年は、デトロイトなどの一部の地域では、アフリカ系の黒人に対する差別が激化していくといった出来事もあったようです。

有名な出来事でいうと、この年の夏に起こったデトロイト暴行事件と呼ばれるものですね。
簡単な事件の内容としては、お酒を提供するBARに対して警察ががさ入れに行ったというのが、事件の発端だったようです。
法律では、午前2時までしか影響をしてはいけないという決まりになっていたのにもかかわらず、それを超えて営業している店があるという事でガサ入れに入ると、中には複数の黒人がいて、2人のベトナム帰還兵の帰国の祝をしていたところでした。

警察は、オーナーと中にいた客ごと拘束し、店の外に出て護送車を待っていた所、野次馬がドンドン集まってきて、警官に対して瓶などを投げ始め、暴動に発展していったようです。
この暴動の火は、その後、物凄い勢いで燃え広がっていき、結果として、死者43人、負傷者1,189人、逮捕者7,200人を出す、歴史に残る大暴動になってしまったようです。

この事件も、闇が深いですよね。 根底に黒人差別というものがあって、黒人は白人から偏見の目に晒されて来たわけですが、そんな黒人が、アメリカ政府が勝手に始めたベトナム戦争で命をかけて黒人が戦う。
そして、無事に帰ってきたら、警官によって拘束されてしまう…
黒人の話とは事情が変わりますが、ベトナム帰還兵の扱いとしては、ランボーなどもそうですよね。

…と、最後で話がそれてしまいましたが、まとめると、この1967年という年はカルフォルニアを中心として、ヒッピー文化が世界に広がった象徴的な年だったんですね。
では、これを受けて社会はどうなったのかという話は、また次回にしようと思います。