だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第21回 ヒッピー革命(2)

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回は、進化論の発表によって、キリスト教圏が主張してきた世界の前提が崩れ、東洋哲学の思想が入りこんだことについて話しました。
誤解の無いように一応言っておきますが、進化論の発表によって、一夜にしてキリスト教圏の世界の常識が変わったというわけではありません。
進化論は大きなショックとして受け入れられたとは思いますが、そもそも、キリスト教の教義に反する理論が一部に受け入れられたということは、、元々、キリスト教の教義に疑問を持つという空気があったからです。
科学者が主張する、数多くの事実にさらされることで、また、自分達の生活を振り返ることで、キリスト教の教義は作り話何じゃないかと疑問を持っていたところに、それを補強するような、確からしい理論が出てきたというのが、本当のところなのでしょう。

これは、今回の出来事だけでなく、戦争でも、人間関係で起こるケンカなどでもそうなのですが、小さな積み重ねによって、少しずつ不満が蓄積していって、それが閾値を超えて臨界点を迎えた時に、
何らかのショックが与えられると、それをキッカケとして事が起こるのと同じ事で、進化論もそのキッカケとなっただけで、今までの不満の蓄積が、これによって爆発しただけだとは思いますけどね。

という事で、前回の続きの進化論の他の解釈などについて、考えていきます。
宗教の教義の解釈が、それを読む人によって変わるのと同じように、進化論も、読む人によってその内容を変えることになります。

進化論は、簡単にいえば、突然変異などで姿形が変わった個体が登場するということが一定確率で起こり、それらの多様な生物が自然環境の下で揉まれることで、環境に適応した生き残ったという説です。
大昔の哺乳類はネズミのようなものしかいなかったのが、徐々に変化をして、犬のような形になったり、ネコのようになったり、猿のようになった。
その猿が更に姿形を変え、人間に変わったという考え方で、これを素直に受け取れば、人間は神が作った特別なものでもないし、肌の色の違いで人の価値観なんて変わらないという事になります。

しかし、変な捉え方をしてしまうと、白人は文明的で進んだ生活を送っているが、黒人たちは原始的な生活を送っているので、白人の方が進化しているとも捉えることが出来てしまいます。
このように考える人は、日本人にも散見されますよね。例えば、東南アジアは日本に比べて遅れているので、彼らは劣っているという考え方です。
ただ、文明的に進んでいる、経済規模が大きいという事が、そのまま、人種として優れているというのは、一方的な物の見方でしかありませんし、どちらが精神的に進んでいるかというのは別の話ですよね。
原始的な生活を送っているのは、新しいものを生み出せないからではなく、新しいものがなくても、それらに頼らなくても生きていける価値観や精神を持っているからかもしれませんからね。

この様な見地に立てば、言葉や知性を持たないと思っていた動物も、それらが必要がない様に進化しているだけとも考えられるので、人間が地球で最高位の存在という事にはならなくなりますよね。
逆の味方を刷れば、人間は、言葉によってコミュニケーションを取らなければ意思疎通が出来ないし、文明化することで環境を変えなければ生きていけない、貧弱な生物とも考えられます。

進化論についての、その他の解釈としては、オカルト的な受け取り方というものも出てきます。
先程も言いましたが、進化論は、生物が一定確率で突然変異してしまうことで、徐々に形状を変えていき、その中で、自然環境に適応できたものだけが、生き残って今に至るという考え方です。
その流れの中で人間が生まれ、文明を持ったという考え方なのですが、では仮に、トカゲの頭脳が進化して、文明を持つという可能性がなかったのか?と言った疑問が出てきますよね。
これは別に、トカゲに限定するものではなく、元となる生物はどんな物でもよいのですが、猿の進化系以外が文明を持つ可能性というのもあったわけですよ。

この様な解釈によって、地球の古代、もしくは遠い星に、猿以外の種類の生物が進化して文明を作ったと言った考えが出てくるようになります。
かなりオカルトチックな考えだと思われるかもしれませんが、正にそのとおりで、この様な考えは、その後更に、今までのキリスト教の価値観の魅力ある部分と、東洋哲学の思想を組み込むことによって、神智学と呼ばれるものになります。
この神智学については、範囲も広く、提唱者や研究者の知識の偏りなどもあったりする為、特定の何かを指して神智学といえないんですが、1800年後半に発達した神智学の考えをベースとして、現代オカルトが生まれたという意見もあります。
具体的な例でいうと、トカゲが進化した宇宙人であるレプタリアンといった存在や、宇宙人がいるなら宇宙船があるだろうという発想からUFOという発想が生まれたりなどですね。
また、東洋哲学や西洋哲学、それに、科学や、それと相反するような発想のキリスト教の世界観や東洋の宗教の発想を取り込んで発達する事によって、新興宗教のベースにもなっていたりします。

この様な話を聞くと、バカバカしく思われる方も多くいらっしゃるとは思うのですが、単純に馬鹿に出来なかったりもするんです。
というのも、この神智学の流れからニューエイジという発想が生まれます。
このニューエイジによって生み出された文化は、現代の私達の生活に入り込んでいたりもするんですね。

例を挙げると、インドのヨーガ。その他には、アロマテラピーといったものです。
この2つに共通している点は、インド発祥で欧米で流行しているというところですね。
ヨーガは、柔軟体操をしながら瞑想する事ですし、アロマテラピーは、香りと人間の感情をリンクさせる考え方ですよね。
香りによって精神を落ち着かせ、深い瞑想に入る。 では何故、瞑想を行うのかというと、高次元にある対象とチャンネルを合わせることで交信するチャネリングを行うためのようです。

これは、日本のアニメにも似たような言葉が出てきますよね。そう。ガンダムの、ニュータイプですね。
私は作者のインタビューを聞いたわけでも、制作秘話が書かれた本を読んだわけでもないので、ここから着想を得ているかどうかは分かりませんが、ニューエイジ思想とニュータイプというのは、結構共通点があるんですよ。
というのも、ガンダムニュータイプとは、人類が地球という住み慣れた星から遠く離れた宇宙に身をおくことで、つまりは、全く新しい環境に身をおくことで、人類が進化するという発想ですよね。
地球とは全く違った環境で、今までとは桁違い遠く離れた人々の事を思いながら過ごすことで、人類の革新が起こって、言葉を通さずに誤解なく分かり合えることができるようになる。それがニュータイプですよね。

では、ニューエイジの発想はというと、今まで前提としたキリスト教的価値観から離れて、全く違った価値観に身をおいて瞑想することで、高次元の霊的存在・神・宇宙人・死者といった常識を超えた存在と交信できるという発想です。
どことなく、似てますよね。

神智学やニューエイジについては、私自身が本を1冊呼んだ程度なので、まだまだ深く理解していないので、触れるのはこれぐらいにしようと思いますが、この様な感じで、進化論と英訳された東洋哲学思想の登場によって今までの常識というものが崩れ、
その一方で、全く新しい考え方というのが雨後の竹の子のように生まれていったんです。

この様な空気感が漂う中でで起こったのが、ベトナム戦争です。ベトナム戦争は、ベトナムを舞台とした資本主義と共産主義による大国同士の代理戦争で、市民の立場からしてみれば、正義なんてありません。
というのも、アメリカ本土が攻撃を受けたわけではないですし、アメリカが挑発されたわけでもない。単純に、資本主義陣営と共産主義陣営の争いなんですが、その戦争に250万人の軍人を送り出して、
そのうち約30万人の人的損失を出すことになってしまいます。

その30万人うち、死者は6万人程度なのですが、他の国の内戦に出向いていって、大切な人を失ってしまった家族達は、堪ったものではないですよね。
また、亡くなった人達だけではなく、この戦争によって怪我をした人間は20万人以上いるわけで、政府に対する不満も徐々に高まっていきます。
その上、ベトナム戦争時というのは、テレビカメラなども発達していた時期のようなので、戦場が度々映し出されます。

一昔前の場合は、これは、日本の戦時中でもそうなのですが、ラジオや新聞と言った、音声や文字のみの媒体でニュースを聞かされる場合は、ニュースを発信する人が放送したいように放送しても、問題はありません。
問題がないという言い方は、かなり誤解を招いてしまいそうですが、これは長期目線で見て問題がないとか、国民目線で問題がないということではなく、情報発信者の都合によって、情報を受け取る側の印象をコントロールしやすいということです。
ですから、メディアに圧力をかけるなどして、『政府は正義の戦いを行っているんだ』という情報を一方的に流せば、政府を疑っている様な人たちや、自分で情報を集めて真実を知ろうとしている人以外は、その情報を鵜呑みにしてしまいがちです。

ですが、テレビという存在が、その状況を一変させてしまいました。
テレビカメラからライブ映像で流される映像は、基本的に取り繕うことが出来ません。 今でこそ、テレビは編集が自由に行えるから信用出来ないという不調になってきていますが、この当時の戦争中継は垂れ流しだったようで、
国民は現地の風景を、ありのまま目にし、その映像を、テレビ局や政府の意見と言ったバイアスを受けること無く、自分自身で解釈する事が可能な環境になります。

最新の装備で戦争に挑むアメリカ人に対して、ベトナム人はそれよりも遥かに劣る装備で、ゲリラ戦で迎え撃つという状態が、現地入りしているテレビマンによって、カメラ映像としてアメリカに流されます。
ゲリラ戦に対抗する為にアメリカが行ったことは、人体にも影響がある枯葉剤を撒くことで、ゲリラが隠れている山を丸裸にしようという、なりふり構わない作戦。
この枯葉剤の影響として日本でも有名になったのが、ベトちゃん・ドクちゃんですね。 

アメリカの人達からすると、自分の国を攻撃してきたわけでもない、敵でも無い人達が、アメリカ人によって殺されていくわけで、それをテレビを通してリアルに伝えられると、自分達が行っているのが正義なのかと疑問を持つ人達も出てきます。
そういう人達は徐々に増加し、反戦運動、政府批判につながリ、そのエネルギーは、今までの前提とは違った文化を推し進める、カウンターカルチャーへとつながっていきます。

ここで、ベトナム戦争がキッカケでという風に言いましたが、この戦争がシンボル的なものというだけで、この出来事単体で、全ての物事が動き出したというわけでは無いと思います。

というのも、冒頭でも言いましたが、今まで前提とした世界観での生活が、物凄く快適で、何の不満も不自由もないのであれば、そこに新たな価値観が加わったとしても、今までの価値観から脱する必要性はありませんよね。
にも関わらず、新たな価値観が支持され始めたというのは、人々が漠然とした疑問や不満を、既に共有していたからです。
例えば、黒人よりも白人の方が優れているという価値観が当たり前のはずだったのに、黒人たちは、音楽ならブルースといった今までにないものを生み出してきましたし、勉強にしても、全員がそうではないにせよ、白人よりも優秀な人は当然出てきます。
では、黒人が道徳的に劣っていて、動物的なのかといえばそうではない。 白人を普通とするなら、黒人も普通の存在で、人としては変わらない。
逆に、白人だからと言って優れていて道徳的だというわけではないですし、白人だから犯罪を侵さないわけでもありません。

こういう事をいうと、犯罪率などを挙げて、黒人が多く住む地域や、黒人その物が犯罪を犯す率のほうが高いと勝ち誇って唱える人もいらっしゃるかもしれませんが、環境を考慮に入れれば、それは誤差の範囲だと思いますね。
これは、そもそも前提が違うという事です。 黒人は、差別されて生きてきましたし、当然、割り当てられる職業も、労力の割に低賃金のものが多かったでしょう。
この様な環境下では、当然、貧困に追いやられる場合も多いわけで、生きる為に盗みを働くといった人も、割合で考えると多いのでしょう。しかし、これと同じような状況に追い込まれれば、人種に関係なく、犯罪率は上がるでしょう。
仮に日本が、社会保障などが全て打ち切られて、貧民層が生きていけないような環境に変化してしまったとしたら、日本でも犯罪率は上がるでしょう。
市民たちは、これらのことを日々の生活の中で感じ取るわけで、これは、常識とされていたものと矛盾した考えになります。

では、経済的に窮地に立たされていたのは、黒人だけなのかというと、そんなこともなかったりします。
アメリカ陣営が推していた資本主義は、金持ちをより金持ちにし、貧民層からは全てを奪っていきます。 では、身分制度があるのかといえばそうではなく、アイデアや運を掴み取ったものは、富裕層にのし上がれるシステムだったりします。
この絶妙なシステムによって、貧困層に甘んじているのは努力が足りないからだと決めつけることが出来ますし、貧民層も、それを受け入れてしまうのが、資本主義の凄いところです。

当時のアメリカというのは、この資本主義を採用し、周りの国にもそれを採用するように促し、どちらを採用するか迷った挙句、内紛が起こる国に対しては、資本主義陣営を応援するために派兵するなんてことまで行っていました。
他国の政治にも干渉する程に推し進めてきた資本主義なんですが、先程も言った通り、これによって全ての人々が救われ、豊かな暮らしを送ることが出来たわけではありません。
先程言ったことに付け加えていうなら、資本主義とは、需要が多い時には上手く循環するシステムですが、需要が落ち着く、もしくは供給過多になることによって、勝ち組と負け組がハッキリするシステムです。
一度負け組に属してしまうと、搾取の対象となってしまう事で、貧困に追いやられる。その一方で、搾取する側は、安い賃金で大量の人を雇うことが出来る為、ドンドンお金を稼ぐことが可能となります。

働いても働いても貧しい生活から抜け出せない一方で、特に働くこと無く、贅沢な暮らしをしている資本家たちがいる。この様な社会では当然、貧民層は社会に対して、漠然とした不満を持つことになります。
では、自分達が属している国家・政府というものは、それを改善するように動いてくれているのかといえば、そうではなく、共産主義的な思想を持つ人間を追い込むような空気感を作っている。
資本主義の社会では、貧困層に陥るのは自己責任とされます。キリスト教の世界観では、自身が苦しい立場に置かれるのは、神の試練という様な解釈もするんでしょう。
そうなると、国も神も救ってくれない状態になる為、本当に自分達が悪いのか、それとも、世界が間違っているのか?と言った疑問を持ってしまうのは、むしろ自然な事なのかもしれません。

そういった空気感の中で、今までの常識をくつがえす様な考えが次々と出てきて、そこで起こったのがベトナム戦争です。
特にアメリカが責められたわけでもない国に、アメリカ政府の勝手な判断で兵士が送られ、死んでいくわけです。
アメリカが当事者の戦争で、米を守る為に闘って死んだというのであれば、その亡くなった軍人の親族も、辛いですが、納得できるのかもしれません。
しかし、他国の内戦に首を突っ込み、その理由が資本主義を守るため。 それで家族が死んだとすれば、納得がいくでしょうか。

この亡くなった方が、資本主義社会で負け組になってしまったから、食べる為のお金を稼ぐ為に仕方なく軍隊に志願したような、経済的徴兵の犠牲者だったとしたら、まずアメリカ国内で経済的に殺され、異国で生命を絶たれることで2度殺されるわけですから、
残された家族としては、到底、納得できませんよね。

こうした事を燃料として、既に種火としては存在していたカウンターカルチャーの火が、より大きくなっていくことになります。
前回と今回で、ヒッピー・ムーブメントが起こったキッカケを簡単に説明してきたわけですが、この運動は、前にも話したんですが、一つの思想の元に誕生したわけでは無く、それぞれの人のそれぞれの思惑によって、様々なカルチャーが誕生し、
一つの大きなムーブメントを起こしていくことになります。
この様々なカルチャーが一つにつながる為に重要になってくる物が、LSDと呼ばれる幻覚剤です。次回からは、このLSDについて、話していきます。