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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【映画紹介】 アレクサンドリア #Netflix

今回紹介する映画は、『アレクサンドリア
私事ですが、ここ最近、『アサシンクリード オリジン』というゲームをはじめました。
このゲームは、紀元前49年のエジプトを舞台にしている歴史をテーマにしたゲームなのですが、その影響でエジプト関連の情報を漁ることが多くなってきたんですよ。

その流れの中でNetflixで検索して調べて見つけた作品が、この映画です。

      

舞台となるのは、西暦4世紀頃のエジプトです。
映画の概要を書く前に、この映画よりも前のエジプトの話をしたいと思います。

エジプトは、初めて文明が誕生したメソポタミアからも近く、紀元前4000年頃にはピラミッドを建設できるほどの文明を誇っていたのですが、同じく文明の進んだペルシャに征服されてしまいました。
そのペルシャから領土を奪い取ったのが、ギリシャアレクサンダー大王です。
元々、ペルシャの侵略に不満を持っていたエジプト人は、アレクサンダー大王を解放者として讃え、ファラオにまでしてしまいました。

この様な感じで、最初は歓迎される形で始まったギリシャによるエジプトの支配ですが、ギリシャ人はそもそも奴隷を使役して生活をする習慣が有り、エジプト人の多くは、奴隷として働かされるという生活を送っていました。
そうなると、当然のことですが、奴隷階層から不満が出るようになってきます。まぁ、エジプト人も奴隷を使ってピラミッドを建てたと言われていますけども、奴隷を使役するのは良いけど自分達がなるのは嫌だってことなんでしょうね。
また、同じ奴隷でも、待遇に差があったりもするでしょうし…
ここら辺りの軋轢は、時間の有る方は冒頭でも紹介した『アサシンクリード オリジン』をプレイしてみて欲しいのですが、ギリシャ勢とエジプト勢は、不満を抱えながらも共存することになります。

そんな中で作られたのが、エジプトの首都である『アレクサンドリア
エジプト人に解放者として受け入れられ、その後、ファラオにまで上り詰めたアレクサンダー大王の名がつけられた港町には、アレクサンドリア図書館と呼ばれる、知の宝庫が建設されました。
この図書館は、日本で言うところの国会図書館のようなもので、価値があり、後世に伝えるべき理論などは、様々な手をつくして全て集められた場所でした。

今回紹介する映画は、そのエジプトを治める国がローマへと名を変え、国が定める宗教がギリシャ神話からキリスト教になった時代の話です。

古代ギリシャでは、奴隷の使役によって暇になったギリシャ人によって哲学が発達し、科学理論はかなり進んでいました。
地球が球体である事は既に理解されていて、その円周が4万キロ程ではないかということも解明されていました。
この映画の中の常識では、地球を中心として惑星が公転軌道で回転しているという理論が一般化していましたが、この映画の舞台よりもはるか前の時代に、地球自体も太陽の周りを公転する惑星の一つで、太陽を中心とする太陽系が存在するという説まで登場していたほどです。

しかし歴史を振り返ると、ギリシャ人の哲学者が解明してきた理論などは、その後700年程にわたって、キリスト教の下で封印されることになります。
何故、これ程までに進んだ技術や知識が忘れ去られて、その後のヨーロッパでは、暗黒時代と呼ばれるような文化後退期に突入してしまったのか。

この映画では、その部分の理由が映像を通して詳しく描かれています。
詳しい内容は映画を観て欲しいのですが、私個人の感想としては、消失しても仕方がないなという感じでしょうね。

私はここ最近、個人的にカウンターカルチャーを調べているのですが、キリスト教も、当時の感覚で言えばカウンターカルチャーで、その思想を元に革命を起こしたということなんでしょう。

宗教に限らず、全てのシステムは、それが効率的だと思って構築されます。
しかし、システムにも寿命が有り、長い年月をかけてシステムは腐敗していきます。
支配階級に居るものは、より高待遇を求めますが、技術や経済が一定水準まで到達して成長が止まってしまうと、より高待遇を実現するためには、下のものに対する締め付けを強めるしかありません。
これは、私達の国を含め、多くの国が採用している資本主義も同じです。

資本主義は、全ての人間が持つ欲望を原動力とし、自主的に競争を促進することで成長するシステムです。
資本家は、より多くのリターンを求めて経営者にプレッシャーをかけますが、ある程度、欲望が満たされきって需要不足に陥ってしまうと、社会全体としての成長は止まってしまうため、資本家の要望を叶えるためには従業員や取引先に対する待遇を削るしか方法がなくなってきます。
そうなると、持つもとと持たざるものとの差が決定的となってしまいます。

では、資本主義は駄目なのかというと、実はそうではありません。
二極化がいずれ起こることを想定し、それを見越して再分配システムを構築すれば、二極化したとしても差は縮まります。
資本主義の大きな問題は、二極化による差が、努力ではどうにもならない程に開いてしまうことで、一旦、大きな差が広がってしまえば、システムの最下層の人達は努力を放棄しますし、システム全体としての成長も止まってしまいます。
つまり、資本主義を効率良く回す為には、どんな人間でも、頑張れば上に行ける可能性を残すことにほかなりません。

しかし、欲望を原動力としている資本主義において、資本家の欲望は尽きることはありません。
資本家はより多くを求め、すべてを奪い尽くしたとしても欲望の日が消えることはありません。
搾取される人間は底辺の人間だけでなく中間層や一部の富裕層にまで拡大し、富裕層がシステム全体で占める富の量は増える一方で、その人数は減っていきます。
当然のことですが、その一方で貧困層の人数は加速度的に増えていきます。

そして、貧困層が圧倒的多数になれば、自分達を苦しめているシステムその物を敵視するようになり、反抗するのに十分な力が蓄えられれば、システムその物を攻撃するでしょう。

今回の作品の話の戻ると、その対象が、富裕層が信仰しているギリシャ神話であり、その文化の元で育まれた哲学者による数々の知識・理論だったのでしょう。
どれほど理論が優れていようと、知識が素晴らしいものであろうと、自分達を幸福にしてくれないのであれば、意味はない。
しかし、キリスト教で洗礼を受け、神を進行することによって、その日の飢えを凌げることが出来るのであれば、その方が何倍もマシと言う事になります。

キリスト教は、その当時のカウンターカルチャーであり、新人類を熱狂させるのに足る『何か』を持っていたのでしょう。
これらの事を、教科書のような文面で説明されたとしても、イマイチ理解がしづらいと思いますが、映像で見せつけられることによって、当時の雰囲気も含めて理解がしやすく作られていますね。

前知識が必要な映画なので、そもそも歴史が好きだとか、古代のエジプトやギリシャに興味があるという人以外は楽しみにくい作品かもしれませんが、教養の為にも、是非、観てみてはいかがでしょうか。