だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 原稿 】第11回 東洋哲学(3) 梵我一如の個人的な解釈

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。
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前回の放送では、『私』とは何なのかについて、疑問を持ってもらうために、様々な問題を挙げていきました。
そして、『私』とは、ものを観たり感じたりしている主体となっている、『意識』ではないのかという流れになっていきましたね。
では今回は、その『意識』について、もう少し掘り下げて、考えていこうと思います。

そもそも、私達が自分と感じる意識というのは、どこかに有るものなんでしょうか。
意識が、どこかに有ると思っている人の多くは、頭とか、脳に有ると思っておられる方が多いかもしれませんね。
脳というのは、体が感じ取った感覚を最終的に受け取るところですし、脳から電気信号を出して、体その物を動かすことが出来る器官でも有ります。
そして何よりも、情報の大半を占めると言われている、視覚から入ってくるイメージを受け止める目は、脳の前についています。
この為、目や脳の付近に自分の主体である意識が有ると思っている方も、多いと思います。

しかし、意識は本当に、そこにあるのでしょうか。

以前も紹介した本、『史上最強の哲学入門』の東洋哲学編には、脳という機械が行っていることは、脳細胞、ニューロンが、体に何らかの刺激を受けた際に、化学物質をだし、隣のニューロンに渡しているだけだ。
と言った感じのことが書かれています。
この、ニューロンが物質を隣のニューロンに渡し、それを受け取ったニューロンは、また別のニューロンに情報を渡し…といったことが繰り返されているだけの機能で、何故、意識が生まれるのかというのが疑問とされています。

これを聴いた方の中には、脳というのはそういうもんで、それで意識が生まれるんじゃないの?と納得されている方もいらっしゃるかもしれませんが、これは結構、不思議な事なんです。
この本では、これを別の形で例える事で、その不思議さを伝えようとしています。
その例を一つ、紹介してみますね。先ず、大量のミミズを辺り一面に、それぞれの個体が接し合える程度の近距離でばら撒いた環境を作って、脳と見立てます。
この状態で、その内の一匹を手で触れると、触れられたミミズは『大きなものに触られた』という反応をして、身をよじったりして暴れたりして、反応をします。

ミミズは、接することが出来る程の近距離で配置されているわけですから、一匹のミミズが大きな反応をすると、隣のミミズにも触れることになり、触れられたミミズはこれに反応し、また隣り合ったミミズに触れることで、反応は伝播していきます。
このミミズの動きによる伝播は、脳が行っている脳内物質や電流の伝播と同じわけで
脳が行う物質の受け渡しによって意識が生まれるのであれば、このミミズの動きによる反応の連鎖でも、そこに意識のようなものが生まれないとおかしいと主張しているんですね。

この本の中での書き方としては、文章としてハッキリと否定が行われているわけではないのですが、否定しているのではないかという読み解き方しか出来ないような書き方がされています。
本では、このミミズの例の後に、もう一つ同じような例を出した後で、否定的とも読み取れる内容がかかれているので、その部分を修正しつつ引用すると

たまたまミミズの動きのパターンが、『意識が赤いものを観ている状態』と同じパターンになったとしよう(ここでの動きのパターンとは、脳内物質をニューロンが受け渡しをするパターンとミミズの動きが同じ動きをした場合ということですね。)
これで説明がつくと思う人は(ここでいう説明とは、脳内物質をニューロンが受け渡すだけで、意識が生まれて当然だと主張する人のことです。)その時、『あの独特の赤を見ている意識』が、ミミズが散らばった空間に発生していると主張しなければならない。
何故なら、物質的には全く同値なのだから。
だが、少なくともそれは、既存の科学や理屈を超えており、今までにない新しい考え方やものの見方を提示する必要性があるだろう。と書かれています。

つまり、ミミズの動きによって意識が発生することを、明確に否定はしないですが、少なくともその主張は、既存の科学の理屈を超えているという事ですね。
まぁ、意識というのは実態が有るものでもなく、主観的なものですし、観測することも不可能なので、証明することは出来ないですよね。

ただ、私個人の意見を言わせてもらえれば、このミミズの例でいうと、ミミズのそれぞれの動きによって、その場に意識は生まれると思うんですよ。
というのも、世の中には、そう考えたほうが辻褄が合うことが結構有るからなんです。

例えば、私は以前、株式投資を行っていたんですね。今現在も、頻繁に売り買いはしていないですが、買ったまま放置しているという点では、今も行っているといえるんでしょうけれども。
その株式なんですが、株式市場で行われていることは、先程のミミズの例や、脳細胞内で起こっていることと同じことなんですよ。

株式投資は、難しいと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、簡単にいえば、株という商品を扱った、複数同士のオークションです。
株を売りたい人がいて、その人が売り値を提示して、その値段で購入しても良いと思う人がいれば、売買が成立します。
売る人が多いか、買う人が多いかによって、売買のされ方や価格の付き方がかわるというだけで、実際に市場の中で行われていることは、株券と現金との交換なんですよ。
その現金と株との交換が、もの凄い人数で複雑に行われているのが、株式市場です。

先程も言いましたが、脳の構造も同じですよね。脳も、脳内物質をニューロン同士で受け取ったり渡したりしているだけで、株式市場も、現金と株を受け取ったり渡したりしているだけですよね。
で、これらの取引が行われることで、株式市場では何が起こるのかというと、株価というものが、まるで意思を持っているかのように、上に下にと動き回るんですよ。
そしてこの動きの予測は、誰も行うことが出来ないんですね。

株式市場というのは、人それぞれが、自分の意志で持って売り買いを行っているわけで、株式相場とは、その意思を反映させた動きをしているに過ぎないんです。
ですから、主体となるのは取引に関わっている人間のはずなんですけれども、そこに関わる人には誰も、動きを予測することが出来ないんです。
これは、観ようによっては、自由意志を持った一つの生物のようにも見えますよね。

その他の例でいうと、キノコなんてものも有りますよね。
キノコというのは、突き詰めていけば菌ですよね。それぞれの菌は、それぞれの意志でもって動くわけですけれども、でも、その独立した菌が集まると、キノコという一つの物体が生まれるわけです。
不思議ですよね。一つの生物でもなく、全くバラバラのものが、一箇所に集まると、有るものは軸になり、有るものは傘になって、傍から見ると一つの生物のようにみえるわけですから。
これは、一定数の意志のあるものが集まると、その場には、それを統合するような意識が生まれると考えると、説明が付きやすいですよね。

これと似たような例で、昆虫の蟻とか蜂といった物も有ります。
アリやハチは、それぞれが交尾して子を生むわけではなく、女王とされるものが卵を生む役目を負っていますよね。
この女王蟻などは、人間の器官でいうと子宮という役目を負っているようにも見えますよね。
こうして考えていくと、人間でいうところの手の役割をするハチと言った具合に、それぞれの役割を持った個体が集合し、一つの群れで一つの生物という見方も出来ます。
話題になっているヒアリなんかも、群れで団子のようになったり、その状態で水に浸かるとイカダを形成したり…なんて言われていますが、それも、一匹一匹が独立した動物で
コミュニケーションを取って、結果として行動しているのではなく、群れで1体と考えると、素直に納得できそうですよね。

この様な視点で、もう一度、人間の方に焦点を当てて考えて見ましょう。人間は、脳で意識的に考えた通りの行動を確実に行うことって、出来ないですよね。
もし出来るのであれば、英単語なんて覚えるのは簡単ですし、スポーツなんていうのも、目で見たイメージ通りに動かせばよいだけですから、上達も早いはずですよね。
では、全く意識もせずに、完全に体だけが勝手に動いているのかといえば、それも、現実感があまり無いですよね。出来る事と出来ない事が混在している状態ですよね。

で、出来ること、出来ないことは性格などにもよるのではないかという意見もあると思います。意識的にも無意識的にも、その人の性格として、やりたくないことは出来ないという考え方ですね。
でもその性格も、腸内細菌の種類によって、人間の性格が変わるなんて話も有りますよね。その他には、事故や手術なので、大量に輸血をする事で、性格が変わったなんて話も有ります。
この話も、性格というものが、『私』個人を私足らしめてい意識の一部であるなら、血液は別としても、腸内細菌のような外部の者によって影響を受けるというのは、不思議ですよね。

また、外部のものという目線でいえば、人間の細胞の中にあるミトコンドリアは、元々は寄生虫なんて話も有りますよね。
こうして考えると、人間というのは、小宇宙なんて例えをされることも有りますが、腸内細菌であったり、細胞内のミトコンドリアであったり、脳の伝達物質の受け渡しであったりと、物凄い数の生物が集まって
一つの個体として成立しているという考え方も出来ますよね。
そして、それぞれの部位がそれぞれの意識から発する意思のもとで、勝手に動き回ったり、与えられた役目をこなし続ける事で、人という意識が発生しているだけという考え方も出来ますよね。
つまり、意思を持って動き回るものが、限定された空間内に多数ある状態になると、一つ上のレイヤーに、その動きを総合したような意識が生まれるという考えです。

この話は、イメージの話で、かなりフワッとしている為に、聴いている方にどれだけ伝わっているかというのが分からないんですけれども…
人間と腸内細菌の話を、先程の株式相場の話に当てはめると、腸内細菌というのは、株式相場で売り買いをしているプレイヤーの事で、株価の動きというのが、一つ上のレイヤーに生まれる意識としての人間に当てはまります。
ではこの時、主体はどちらにあるのかというと、両方に有るんです。
株価が上に上昇したいと考える時、株価はプレイヤーに命令して、株を買えという指示を出す事はありません。プレイヤーは、それぞれの自由意志に則って、売り買いをするだけの存在です。
では、株価の方は、プレイヤーに踊らされているだけなのかというと、そうではなく、株価は株価で自由意志が有ると思いこんでいて、自分の好きな方向に進んでいるんです。
そして実際に、上に上昇したい時には上昇してみると、プレイヤーはその上昇した動きを観て、行動を変えますよね。
つまり、株価とプレイヤーは、どちらかが主体になって一方を動かしているのではなく、相互に影響を与え合って、一連の動きを形成しているんですよ。

これを人間の行動でいうなら、『将来のことを考えると、今勉強した方が良いのは頭ではわかっているけれども、漫画を読みたいから漫画を読む』みたいな感じですかね。
人間は、これをやっておいたほうが良い。覚えておくべき。といったことは無数にありますけれども、実際には出来ることと出来ないことがありますよね。
興味があると思って読み出した本なのに、全く進まずに頭にも入らないのに、隣で鳴ってただけのラジオのセリフが一発で頭に入ることって有るじゃないですか。
人間が下していく決断というのは、そういう、制限がかかっている中で行う選択じゃないですか。そして、その限定された選択肢を選んで実際に行動を起こすことで、脳に流れる電流の量とか体内の環境は実際に変化するわけで…
その変化を元に、体内の微生物や細胞は行動を変える可能性が有るわけで、これも、相互に影響を与え合っていると考えられますよね。

結構、伝わりにくいことだと思うので、別の例で考えてみましょう。意思を持つものが限定された空間に集まることで意識が生まれるとするなら、人が集まることで、その人達を統合した意識というものが生まれる可能性も考えられますよね。
例えば、人間が10人程で集まって、何か行動しようとした際に、例えリーダーを決めていたとしても、完全にリーダーの思い通りに事が運ぶことって少なかったりしますよね。
また、リーダーという役割を負うことで、その人の性格が急変して、最初思っていたとおりの組織が生まれない場合もありますよね。
これは、その10人が集まって、それぞれが行動したことによって、その限定された空間の10人の行動を前提とした意識が、一つ上のレイヤーに生まれて、それが自由意志を持つかのように振る舞っているだけかもしれないですよね。
この10人の意思を統合したような意識は、元を辿ると、10人の人間に帰結するわけで、当然、一つ上のレイヤーに生まれた意識に影響をあたえるわけですけれども、そこで生まれた意識が元の10人に影響をあたえることで、行動を限定させてしまうという事です。
影響は相互に与えあっていて、双方の意識は、無意識の内に限定された範囲内での行動しか取れない状態といえば良いんでしょうかね。

この考えを、もっと大きな目線で当てはめれば、地球というのは、70億人の人間がいて、その他にも様々な動植物がいるわけで、それらのものがそれぞれに動いているわけですから、地球そのモノに意識があったとしても、不思議ではないですよね。
ここで、地球の意識というのが出てきたわけですが、誤解してほしくないのは、環境破壊は地球が悲しむだとか、地震や火山噴火や温暖化は、地球が人間に対して怒っているという、スピリチュアル的な事を言っているわけではないんです。
例えば、人間の性格に腸内細菌の活動が本当に関係していたとして、人間は、腸内細菌の一匹の行動について、いちいち不満を持ったりしないですよね。
その関係と同じように、仮に地球に意識があったとして、地球は人間の存在なんて感知していないですし、その人間の行動も含めて、地球の意識という感じです。
先程も言いましたけれども、地球という意識は、それを構成しているすべての動植物の意識によって限定されていますし、地球に住む私達の意識は、地球によって限定されているという考え方ですね。

これをさらに発展させると、宇宙の意識となり、その意識を構成しているものを再商談会まで深掘りしていくと、最小単位の意識というものに帰結していくという考えが出来ますよね。
こう考えると、一つのものが全てのものであって、全てのものは一つのものであるという梵我一如的な考え方も、理解できたりしますよね。

ただ、一つ言っておくと、これは私が勝手に考えた事なので、『宇宙はこうなっている』と断定するものではなく、こういう考えも出来ますよというものなので、その点だけは、注意してくださいね。

今回は、私の持論が中心になってしまったので、次回は軌道修正して、インド哲学に戻りたいと思います。