だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

日本での『脱時間給』という考えが 不安しか無い件について

Twitterを観ていたところ、トレンドのところに『脱時間給』というワードが入っていました。
少しし食べてみたところ、働き方改革の一環のようで、従来の時間給という労働形態から、本当の意味での成果報酬にするという制度のようでした。

もう少し具体的に書くと『高度プロフェッショナル労働制』というもので、一日の成果によってお金が支払われるので、その成果を出すのに、何時間かけようが支給額は一緒という事。
つまり、2人の人間が同じ仕事をする際に、1人は12時間かかり、もう1人は2時間で終わったとしても、支払われるお金は一緒という事になり、拘束時間がないために、実質残業というものが存在しない。
早く帰りたい人は、効率的な仕事を行って早く帰れば良いという考え。
全産業に適応されるわけではなく、年収1000万を超えるようなホワイトカラー層にのみ適応されるという制度。

この話を聴いた率直な意見を言わせてもらうと、これを最初に観た時には、『日本もようやく、この様な考えに…』と、制度そのものには好感を持てたのですが、その直後に、嫌な予感がしてきたというのが素直な感想です。
では何故、短時間で正反対の印象を持ってしまったのかを、書いていこうと思います。

まず、最初に好印象を持ったのは、日本の働き方そのものが、生産性を低くしている原因だと、私は思っているからです。
時間給という働き方は、会社が個人から拘束時間を買い上げることで成立しているわけですが、これが結構、曲者だったりします。

残業をしなければ生活が困難な程に低い基本給の人は、就業時間に出来るだけ仕事をサボって仕事を遅らせて、毎日残業を一定時間こなすことで、一ヶ月の給料を確保するという事が起こってしまう。
基本が真面目でサボりをしない人も、仕事を運営する上では特にしなくて良い仕事を、残業のために作り出して仕事をするということをやっていたりする。
この様な行為は、会社側からすると『やってもやらなくても業績に関係のない仕事』なので、サボられていることと同じになる。

最近のテレビなどを見ると、『日本は真面目で、作り出すもののクオリティーも凄い!』なんてのが繰り返し放送されている為、そうなのかと思ってしまうが、実際の海外の反応としては『日本人は働いているフリをしているだけ』という意見も観られる。
news.mynavi.jp
そういう目線で見ると、日本の生産性は、日本のワイドショーが散々バカにしていたギリシャよりも低いわけで、その原因の一つになっているのが時間給なので、この考え方が根本的に変われば、少しは改善するのではないかと思ったわけです。


しかし、少し間を置いて考えると、おそらく日本ではうまくいかないのではないかという不安しか残らない。
というのも、これと似たような事が以前に提案され、それが巡り巡って、貧困層をより増やすことになったからです。
その似たようなことというのが、派遣労働です。

この派遣労働は、当初は、通訳などの高度な技能を持つ人間だけに適応される制度のはずでした。
高度な技能を持つ人というのは希少価値がある為、そこら中から引く手数多の状態。そんな状態の人の働く幅を増やす目的で作られたのが、派遣労働だったと記憶しています。
この考え方も、普通に考えれば悪い制度ではありません。
希少価値の有る人間は、需給関係からみれば強い位置にいるため、値段交渉なども優位に進めることが可能です。
また、一つの企業に拘束されるわけではないので、自由な働き方を選択することが出来る。
雇う企業側も、常時必要というわけではなければ、必要なときだけ覇権を頼めば良いため、win winの状態となります。

しかし、この制度。何故か、単純労働・低賃金の職場にまで適応されることになります。
その結果として行われたのが、正社員を派遣社員に入れ替える行為。
多くの企業には、閑散期と繁忙期が存在します。閑散期は人が必要ないし、繁忙期には人手が足りない。
従来までの経営であれば、繁忙期であれ閑散期であれ、正社員で対応し、繁忙期の忙しい時にはバイトで補充としていたわけですが、派遣の導入によって、閑散期に人員カットが可能となりました。
こうなると、今までは『暇な時期に有給取っておけ』となっていたのが、絶えず人数ギリギリで仕事を行う為、有給もとれずに働き続けることになる。
誰かが休むだけで、その埋め合わせをする為に残業しなくてはならないようになる。

ここまで読んで、最初に書いていた『日本人は仕事をするフリをしている』という話と、今書いた『派遣労働によって、現場は常に人がギリギリ』という話は、矛盾するのではないかと思われる方も、いらっしゃるのかもしれません。
確かに、私の表現力不足も合って、この文章だけを読むと、そう読み取ってしまってもおかしくはないのですが、そうなってしまうのには理由が有って、日本は現場にお金を払わないという独自の風習が有るからです。

例えば、震災で原発が事故を起こした後、東電が被災処理をする人を確保するために、募集をかけたという話は記憶に新しいですが、その際、何故か派遣会社が間に8個ぐらい挟まっていたという事が起こりました。
つまり、東電が人員募集し、それを派遣会社が派遣会社に発注し、それを受けた派遣会社が派遣会社に発注して…という無意味なことを8回繰り返し、その全てで中抜きが行われ、現場で支払われたお金は、危険な仕事にも関わらず最低時給並ということが起こったのです。
これは極端な例ですが、これと同じようなことはどの業種でも起こっていますし、会社内でも起こっています。
少し大きな企業に勤めている方なら、『この上役の人は、何のために存在しているんだろう』という人が一人や二人はいるのではないでしょうか。
また、現場で働いている人は、『この間に挟まっている会社は、何のために存在しているんだろう。』と思うことはないでしょうか。

この様な、特にどこからも必要とされておらず、むしろ、間に挟まることで伝言ゲームに失敗し、足しか引っ張らないような中間搾取企業が日本には大量に存在し、その人達が、仕事をしているフリをしている。
仕事をしているフリをしているだけなので、当然のことながら、生産性が上昇するわけもない。
一方で、現場に一番近いところで働く人たちは、中間搾取者がピンはねし切った微々たるお金で、身を粉にして働いている。
本来なら不可能なはずの高品質で、大量の数の製品を安価で生産させられるため、ここもまた、生産性という観点からは低くならざるを得ない。

この様な、ちょっと変わった風習を持っている日本ですから、『脱時間給』の旗のもとに改革が行われると、当然のように、第二の小泉・竹中の様な人間、もしくは当人が現れて、単純労働や低所得の仕事にも『脱時間給』を強いるようになる。
そうなると現場の人間は、一日では到底生産できないような量を『一日分の仕事』と押し付けられ、労働を強いられることになる。
当然のことながら、『脱時間給』なので、支払われる金額は一日20時間働こうが、貰える金は一定となる。
その一方で、『何のために存在しているのかわからないような上役』や『何のために存在しているのかわからない中間搾取企業』の人達は、上から来た情報を伝言ゲームのように下に伝えるだけなので、一日10分ぐらいの勤務で、同じ様な給料をもらうことになるんでしょう。

日本のような環境では、この新制度により、より二極化が進む可能性が有ります。
では現政権は、これを解消するために何か取り組んでいるのかといえば、『金持ちが豊かになれば、お金を使ってくれるはず!トリクルダウン』と有りもしない理論を打ち立て、二極化をより促進しようとしている。

資本主義というのは、放って置いても二極化するものなのに、富裕層優遇政策をとれば、それが加速するだけで、豊かなものはより豊かになり、貧しいものはより貧しいものになるだけ。
でも、それをより促進させようとしている現政権が進めている『脱時間給制度』には、不信感しか無いということ。

『制度』というのは、単に枠組みに過ぎず、結局のところは、それを運用する人間によって、良くも悪くもなります。
日本では、『お客様は神様だろ!』という自称神様が、上から目線で制度を悪用して押し付けてくるので、結局のところ、他国で成功している制度を輸入したとしても、良くはならないような気がします。
大切なのは、『制度』では無く、労働と言ったものに市民がどのように向き合うかという国民性。

カネさえ払えばお前は奴隷で、俺は神様という考えでは、結局のところ、労働環境は改善しないのではないでしょうか。