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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 】第6回 西洋哲学 (5) 市民と奴隷 そして差別

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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  • 木村 ゆう
  • 社会/文化
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前回は、アリストテレスの考える国という概念について考えていきました。
簡単に振り返ると、人間は、共同体を作らなければならない、というか、つくってしまう動物で、生活する上で、何かしらの共同体を作って生活しています。
そして、共同体を構成する人は、善を行う目的で生まれているので、その人達の集合体である共同体も、善を目指すために作られます。

ただ、人間がそれぞれ持っている善は、それぞれの価値観によってバラつきが有るので、それぞれの善の価値観を持って、話し合い、摺り合わせを行わなければなりません。
そうして生まれた善は、その団体のあらゆる善を含んでいるいます。
家族の善よりも、村の善の方が、より良いものですし、村の善よりも、国の善の方がより良い善ということですね。
つまり、共同体の最高段階である国家の善は、その中でも最も良い善となります。
その善を実行していくのが、国家の運営という事になります。

ただ、これだけを見ると、アリストテレスは、国家は皆で善を主張しあって決めていくという、国民主権で運営いくというイメージのように思えますが、実際には若干違います。
というのも、アリストテレスは奴隷と主人を明確に分けていて、奴隷に対しては政治の参加を認めていなかったからです。
つまり、知的階層と労働だけを行う、労働階層に分けていたということですね。

労働者と市民をきっちりと分けて、政治や裁判に関係することが出来るのは市民だけと主張しているので、結果的に、国のシステムに関われるのは、国全体の構成員のごく一部ということになります。

では、奴隷と市民をどの様に分けていたのかというと、理屈としては頭の良さで、実際には生まれによって決めていました。
もう少し説明すると、奴隷というのは、生まれの卑しさによって、奴隷となる。そして、逆に、生まれの良いものは、奴隷を支配する権利があると言っています。
この意味はそのままで、生まれた時点で、奴隷と市民は決定しているということなんですが、では何故、生まれによって決まっているのかというと、アリストテレスは、この世のあらゆるものは全て、目的を持って生まれてきているからとしています。

奴隷には、主人からの命令を理解して行動する程度の知能は有るけれども、自分で考える能力はない。
また、体も労働するように頑丈に出来ているので、奴隷は奴隷として主人に仕える目的で生まれてきている とするんですね。

これは簡単に言うと、頭の良さでカテゴリー分けをしていくという事なんですね。
アリストテレスは、あらゆるものは、目的があって生まれてきていると信じてました。
これは、人間だけでなく動物も同様で、理性を持たないとした動物は、当然、人間よりも下等な動物という位置づけをしていましたし、動物の中でも、躾をして人間の命令を聴く能力のある動物は 家畜として、獣よりマシと考えるんです。
なので、農耕の手伝いをする牛も、その他の雑用をする奴隷も、共に『生命のある道具』として、知識をもっている者が、所有することが当然と考えるんです。

結構レイシスト的で、現代では考え自体を受け付けない人も増えてきているとは思うんですが
この考えというのは、時代を超えて、最近まで影響を与えていましたし、現在も一部の人が影響を受けていたりするんです。

例えば、数年前に、日本で行われているイルカ漁が、活動家の人達に目をつけられて、反対のメッセージを込めた映画が作られましたよね。
あの映画の主演女優が来日した際に、インタビュアーが『牛や豚は殺して食べてもいいのに、何故、イルカは駄目なんですか?』という質問を投げかけたんですね。 
その時に、その女優は『牛や豚は、神様が家畜としてこの世にもたらしたものなので、イルカと同列に並べる事がおかしい。』と反論をしているんですね。

イルカと同じように反対運動が起こっている、クジラも同じですよね。
つい最近までは、クジラは知能が高いから、獲っては駄目で、魚類は頭が悪いから食べても良いって感じでしたよね。

これを言い換えると、豚や牛は、人間に食べられる目的で、家畜として生まれてきたんだから、食べても大丈夫。でも、クジラやイルカが生まれてきた目的は別だし、頭も良いから守るべきって事ですよね。
これは、アリストテレスが主張した、生まれながらにして家畜と奴隷が決まっている。 頭が良いものが、上に立つべきという主張と同じ構造ですよ。

これは、私の偏見も入っているとは思いますが、こういうことを言い出す人達って、キリスト教圏の人が多いイメージなんですけれども、では何故、こんな主張になるのかというと
アリストテレスの主張というのは、アリストテレスの死後、1000年ぐらい経ってから、キリスト教に形を変えた形で取り込まれて、教義であったり、キリスト教の世界観を強化するために利用されるんです。
このことに関しては、別の機会に、もっと詳しくする予定なんで、今回は省略するんですが、こうした観点からみると、当時、隣人愛を訴えているキリスト教が、何故、黒人奴隷を肯定していたかがわかりますよね。

奴隷は人間じゃなくて、生きている道具として認識されていたからです。 人類としては、カウントして無かったんですね。道具であり、商品であり、所有物だったんです。

また、奴隷狩りなどを行って、積極的に黒人奴隷を集めていた時代というのは、時代的にも科学なども発達してきていたので、科学的なアプローチによって、奴隷を肯定しようという動きもあったようです。
その他には、言語・言葉ですよね。これらを使った刷り込みや、イメージの誘導等による印象操作ですね。

何故、この様な印象操作が必要だったかというと、先程も言いましたが、キリスト教は隣人愛を訴えている宗教です。
その為、キリスト教を信仰している人の中には、人間が人間を支配するのは、おかしいと考える人も当然いるわけですよ。
天国に行くために、欲望に負けずに、清く正しく生きていこうと思っている人も、たくさんいるわけですね。

そういう人達は、人間同士で上下関係を作って、辛い労働を強いるという事に、当然のように抵抗を持つわけで、奴隷制にも疑問を持つわけですよ。
また、その様な人達は少数ではなくて、結構な数はいるわけですよ。
この様な疑問を持つ人達を、半ば強引に納得させるためには、根拠が必要だったんでしょうね。
その根拠づくりのために、科学や言語、イメージを使った、一種の洗脳のようなことを行うんですね。

現在でもそうですけども、人間は、信用できなさそうなことであったとしても、科学的根拠なんてものを出されて説明されると、納得してしまいがちですよね。
それが例え、トンデモ科学だったとしても、それっぽい事を匂わせるだけで、信じてしまったりすることも有ります。
例えば、水にたいしてポジティブな事を話しかけると美味しくなって、『バカ』といったネガティブな言葉を話しかけると、まずくなったり汚れるなんて話を、信じてしまう人って一定数いますよね。

冷静に考えると、人間が発する言葉は人間が考えて生み出した言葉なので、水に理解できるはずもないですよね。
人間に犬やネコの鳴き声が理解できないのと同じ様に、水という生物ですら無いものに、理解は出来ないでしょう。
また、水に意識があるのかどうかも怪しいですし、仮に、意識があって人間の言葉が理解できたとして、水自体に言葉を聴いて変化する能力があるのかどうかも怪しいですよね。

で、この話を肯定するために、『言葉ではなくてイメージが伝わっている』という言い訳をすると、科学ではなくて一気にオカルト臭くなりますし
言葉そのものではなく、言葉は振動なので、一定の振動数を与えれば良いという科学よりの話にすると、水を良い方向に変化させる振動数は罵声を投げかける事なのかもしれないので、この理論の前提が崩れてしまいますよね。
この様に、冷静になって考えれば、とんでもない事だと分かることでも、科学っぽいことを出されると、思考停止して信じてしまう人達って、意外と多いんですね。
この心理を、利用するんですね。

具体的な例を何個か挙げると、例えば、IQテストという、知能を計るテストがありますけれども、テスト内容自体を人間が作る以上、結果を操作する事が可能なんですね。
具体的にいうと、白人の作った文化と社会に囲まれた環境で暮らしていると、高得点が取りやすく、黒人の文化の中で暮らしていると、点数が取りにくいテスト内容にするんです。

人間の認識というのは、育った環境などによって、変わってきますよね。
例えば、牛のフンで家を作る人達にとっては、牛の糞は大切な資源ですけれども、これを利用しない人間にとっては、ただの汚物でしか無いですよね。
これは、どちらかが優れていて、もう片方が劣っているということではなく、育った環境や文化の違いによって起こる、単なる認識の違いなんですけれども
こういった認識の差を利用して テストの問題を作ることで、点数を操作する事が出来るんです。

つまり、白人文化に慣れ親しんでいて、それが常識となっている人には正解を出しやすいけれども、白人文化と距離が離れている人には点数が取りにくい問題を出すことで、点数に偏りを付けるんです。
そして、白人の方がIQが高いことを証明できれば、科学的に黒人は劣っているという烙印を押せるわけで、堂々と道具扱い出来てしまうんです。

他には、人種ごとの骨格の違いなどを利用するとかですね。
黒人と白人と黄色人種とでは、頭蓋骨の形など、特徴が違いますよね。その特徴を利用して、頭のサイズの測り方を考案するんです。
白人の方が頭が大きくて、黒人の頭が小さい様な結果が出るような測り方ですね。
そして、そのデータを取って、統計的に白人の頭のほうが大きいことを提示して、『白人の方が頭が大きいので、当然、脳みそも大きい。 だから、白人の方が賢い。』という結論を出すんです。
後は、先ほどと同じですよね。 その疑似科学の結果を利用して、黒人を生きている道具として使うんです。
だから、よく、日本人は褒め言葉として『顔が小さいね』というけれども、外国の人の中には『顔が小さい』というと気分を悪くする人もいるから、言わない方が良い。って話がありますよね。

他に、もっと強力なのは、イメージや言語などを使った刷り込みですよね。
例えば、天使を思い浮かべてみてください。 イメージとして、白じゃないでしょうか。 逆に悪魔は、黒っぽいイメージが呼び起こされないですか?
もっと単純に、白と黒のイメージを比べてみてください。 白には、清潔感とか純真無垢といったプラスのイメージが呼び起こされる一方で、黒は、暗いとか、負のイメージを抱きがちですよね。
最近になって、黒人の人達が頑張って、ブラック・イズ・ビューティフルと掲げて、そのイメージを良い方向にしようと運動されたお陰で、黒にも格好が良いというイメージが定着してきましたけどね。

これは言葉もそうで、例えば、企業という言葉にブラックを付けてブラック企業にすると、つらそうなイメージが連想される一方で、ホワイト企業は、福利厚生がしっかりしていそうなイメージを受けますよね。
もっと、わかり易い例でいえば、有罪か無罪かを白か黒で表現しますよね。

言葉は、自分のイメージを他人に伝えるもので、イメージは感覚と直結しているんですけれども、そのレベルで差別的な感覚を刷り込むことで、自然と差別が行われるような状態に持っていってるんです。

ちょと、アリストテレスキリスト教批判が過ぎたようなので、一応、擁護もしておくと、別に、古代ギリシャ人やキリスト教徒だけが、差別をしていたというわけでもないです。
日本も、士農工商 エタ・非人 という身分制度がありましたし、今でも、収入や学歴など、形を変えた形で有ります。インドは今でもカースト制が有ります。 
欧米だけでなく、日本でもつい最近まで女性の選挙権はなかったですし、システムとしての差別は、どこの国でも有りましたし、今でもあります。

ただ、人種差別、その中でも黒人差別が今でもなくならない原因となったのは、アリストテレスという偉人が、それなりの理論で奴隷制度を強化してしまって
その後、その理論を更に歪曲させる形で、数百年もかけて宗教の教義にして、人々の間に常識として刷り込み
最終的には、科学 といっても根拠のない疑似科学なんですけれども、それで、これらのことを補強してしまったってことが、現在でも人種差別が長引いている原因なのかもしれないですね。

かなり長くなってしまったんですけれども、では何故、アリストテレスは、生まれながらにして奴隷となる人間がいると考えに至ったのかという事について話していこうと思うんですが
時間が長くなってきてしまったので、それは、また次回にしようと思います。