だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

Rez infinite をプレイして感じるヒッピーっぽさ (3)

この投稿は、前回・前々回の続きとなっています。
まだ読まれていない方は、先ず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com
前回までで、ヒッピーについて私が理解している範囲のことを書いていきました。
今回はタイトル回収という事で、Rez infiniteをプレイして感じたヒッピー感について書いていきます。
最初に断っておきますが、私はこのゲームの開発の裏側などは一切知りません。ここで書く感想は、あくまでも、私がそう感じたという感想である事。
また、文中には、幻覚剤を投与したようなイメージといった表現が度々出てきますが、私自身は服用経験は一切なく、旅行記や体験記などを読んで、トリップ体験を知識として知っているだけなので、予めご了承ください。

Rez infiniteというゲームですが、私は公式サイトでストーリーなどを調べずに、まっさらの状態でプレイしたわけですが、プレイと同時に、サーバー空間に放り込まれたような感覚になりました。
このゲームのジャンルとしてはシューティングゲームなのですが、自機を動かす事は出来ずに、標準の方を動かして、敵をロックオンして撃っていくというスタイルのゲームです。
この、サイバー空間を舞台にしているという状態が、既にヒッピーっぽいですね。

前回の投稿でも書きましたが、ヒッピー文化で最も大きな影響を与えたと思われる、幻覚剤LSDの伝道師、ティモシー・リアリーは、晩年はコンピューターに可能性を見出し、没頭することになります。
ティモシー・リアリー - Wikipedia

コンピューターは、情報収集や分析といったものにも使えますが、LSDでトリップした際に観たビジョンというのを再現するためにも使えます。
言葉では到底伝えることが出来ない様な神秘的体験を伝えるためには、今までは、音楽や絵画といったものでしか表現できなかったものが、コンピューターの登場によって、より具体的にイメージの共有ができるようになりました。
また、動画と音楽とを合わせた表現なども出来る為、常識からの逸脱を目指すヒッピーが夢中になるのも頷けます。

また、先程紹介したティモシー・リアリーwikiを観て頂くと、サイバーパンクとの繋がりもみられます。
日本でサイバーパンクといえば、最近になって、また人気が出てきた『攻殻機動隊』がありますね。
この物語は、人間が脳を機械化し、電脳を装着することで、いつでもどこでもネットに接続できるようになった世界を舞台にしています。
原作の方では、ネット回線から他人の脳にダイブし、様々なアクションを起こそうとするハッカーに対し、攻撃を受ける側は、攻性防壁を展開し、侵入者を攻撃することで防御をするというシーンが頻繁に出てきます。
それでも防御ができない場合、幻覚剤などを使用して脳のイメージその物を変化させてしまうといった方法で防御したりするのですが、人のイメージに侵入し、それを阻止する為に幻覚剤で惑わせるという発想。
そして、自身の体をドンドン機械に置き換えていく事で沸き起こる哲学的な疑問をテーマにしている点は、幻覚剤による意識拡張によって、精神世界をどんどん掘り進めていったヒッピーたちと重なる部分がありますよね。

この世界観と、Rez infiniteのゲームの舞台も、結構、シンクロしているような気がします。
プレイヤーは、サイバー空間っぽいところに侵入し、ウイルスだったり攻性防壁っぽい何かと戦います。
基本的に自機を動かすことは出来ず、プレイヤーは流れに身を委ねる感じで漂いながら戦うことになるわけですが、単調な一本道のシューティングと思いきや、1つのステージが幾つかのステージで構成され、四角いキューブを取る度に、別のステージへと飛ばされる感覚を得ることが出来ます。
飛ばされた瞬間は、感覚そのものが揺さぶられるような感覚に襲われ、その感覚を重ねる度に、ゲーム内の空間との一体感が得られるような作りになっています。
空間が変わるごとにトリップが加速していくような感覚で、世界と自分との境界線が曖昧になっていき、最終的には世界と自分との一体感が得られるといった感じでしょうか。

もう少し具体的に書くと、このゲームは、スタート間もない時は、ほぼ無音状態から始まります。
そして、敵をロックんしたり、弾を打ったり、それによって敵が倒されたりすると、そのアクション毎に音が響き渡ります。
最初は、無音の中に寂しく響き渡る音なのですが、短く区切られたステージをつなぐ白いキューブを取る度に音は追加され、最終的にはコントローラーまで一定の間隔でビートを刻みだし、ボスに到達する頃には、自分自身もゲームの世界と完全に一体になって、体が揺れていることに気が付きます。

プレイヤーが起こす動作と音をリンクさせ、ステージが進む度にBGMが追加され、自分自身とゲームの世界とをシンクロさせる。
そして、細切れにされたステージ同士を結ぶ白いキューブを取る度に、激流に飲み込まれたように体が前後左右に押し流される感覚が、視覚として入ってくる。
これは、シラフで出来るトリップ体験なんだと思います。

次に、プレイヤーキャラクターである自機。
これは、パワーアップアイテムを一定数取る度にレベルアップし、敵が撃ち出す弾に当たるとレベルダウンするという設定になっています。
つまり、レベルアップすればする程耐久値が増え、余裕が生まれるというシステムですね。
このレベルアップの仕方が、ヒッピーを虜にした『禅』の思想っぽいんですよね。

自機は、あと1発当たれば死ぬという最低レベルの状態では、球状で表現されています。
そこからパワーアップする度に、徐々に人間ぽくなっていき、最終レベル1個手前では、自分の目の前にディスプレイを置き、座禅をして瞑想する菩薩の様な姿へと変化します。
そして最終進化を迎えると、また、最初の頃のような球状に戻ります。しかし完全に同じ姿ではなく、何かただならぬ雰囲気をまとった状態に。

これは、仏教でいう悟りを表現しているんだと思います。
仏教で言うところの悟りは、ものすごく簡単に言うと、『赤子の目で世の中を見る』というもの。
人は、生まれた当初は、何の知識もなく、故に、世界に何の境界線も引いていない。
これは、自分と世界、、そして宇宙に何一つ境界線を引いていないことを意味し、『一は全、全は一』『宇宙と自身とが一体となっている状態』で世界を観ているともいえます。

しかし人間は、成長する度に知識を得て、世界に対して境界線を引いていきます。
まず、自分と世界の境界線を引くことで自分を認識し、世界の中に親という存在がいることを認識することで、世界と親とを境界線で区切ります。
その親には、父と母がいてと、成長する度にドンドン境界線を引いていき、その度に、『言葉』を覚えます。
知識とは、特定の物を区別する為の言葉を覚えることで、境界線を引き続けること。

しかし『真理』『悟り』とは、その様な境界線は無いことを体験によって知ることです。
宇宙と自分とが完全に混ざりあうという神秘体験、『悟り』を得たものは、再び、何の境界線も引かれていない、『何も無い』『無』の状態で世の中を見ることが出来る。
つまりは、『赤子の目で世の中を見る』事と同じになり、最初に戻る。
ただ、赤子と違うのは、知識を得た上で悟りを得ているので、その視点は尊いものであるということ。

この一連の流れは、先程紹介した、自機のパワーアップとシンクロしますよね。

そして、PSVR版で追加されたという、『Area X』

このステージは、背景、敵、自機を含めて全てのものが粒子で構成されています。
ステージ全体の背景は黒で、そこに無数の粒子が浮かんでいる様は、どう見ても宇宙。

そして、その宇宙を構成している自分も、粒子が人のように集まって振る舞っているようにみえるだけで、大きな目線から見ると、自分も背景を構成している一つの粒子と変わらない。
これは、先程も書いた、全宇宙との一体感を表現しているかのような表現にも見えます。

そして、ステージが進んでいくと、遠くの方におぼろげに、粒子でできた女性っぽいシルエットが浮かびます。
プレイヤーは、この女性っぽいシルエットのハートの部分に向かって、アクションを起こし続けます。
すると、最初は表情すら全く見えなかった『カノジョ』の姿が徐々にはっきりとしていき、最終的には、微笑んでいるかのような表情まで読み取れるようになります。

これはまるで、ヒッピーが散々訴えかけてきた、『Love&Peace』を表現しているかのようですね。

このゲームは、合法的にトリップできるように計算されて作られているんじゃないかと思える程の、非日常体験を得ることが出来ます。
特に、VRとの親和性は凄まじいの一言。
私は昔に発売された当初はゲームの存在すら知らかなったような人間ですが、このゲームは、VR技術によって、完成したんじゃないかとすら思います。
とにかく、VRヴァージョンでのトリップ感が凄すぎます。

ゲームというのは、非日常的感覚を味わう為に行う行為だと思いますが、VRでプレイしたこのゲームは、本当に別の空間、とうか世界にトリップできたようで、非常に楽しめました。
値段も安いので、VRを持っている方は是非、トリップしてみてはいかがでしょうか。