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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

【Podcast #だぶるばいせっぷす 】 第5回原稿 西洋哲学 (4) 人はポリス的動物

この投稿は、私が配信している Podcast番組『だぶるばいせっぷす』で使用した原稿です。
放送内容は、私が理解した事を元に行っています。ご了承ください。

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  • 木村 ゆう
  • 社会/文化
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前回は、アリストテレスが政治についてどのように考えていたのかを簡単に説明しました。
簡単に振り返ると、政治状態を、支配者層の人数別に、3つのカテゴリー、一人、少数、大勢に分けて、それを、公共のためと私事の為
もっと簡単に言うと、正しい状態と腐敗した状態の、それぞれ2つに分割して、計6個の状態に分割するんです。

政治の状態というのは、公共のために動いているうちは、1人が治めても少数が治めても、大勢で治めても問題はないんですが、政治体制というのは、いずれ腐敗してしまいます。
腐敗した場合、政治体制が3つの状態の、どの状態であっても、結果的に不満が溜まって、革命が起きて、また、別の新たな政治体制が生まれる。
そして、また腐敗して、新たに作って… という繰り返しになっていく。

こういった、同じ失敗を繰り返すサイクルに陥らないために必要なのが、中庸という価値観なんですね。
中庸という価値観は、両極端を知ることで、初めて生まれる価値観の事ですね。
少人数で治めていた場合、その、治めている一握りの人達が自分たちの利益のことだけを考えて行動すると、腐敗して、革命が起こって国は崩壊してしまう。
大人数で納めたとしても、国民自身が考えることを放棄してしまえば、国は方向性が決められなくなって、崩壊してしまう。

この両極端を知った上で、改めて生まれる価値観によって、国を治めるべきだと言っているんですね。
つまり、支配者層は支配する側の立場だけで ものを考えるのではなく、支配される側の事も知った上で、政治運営をしていきなさいって 事ですね。

これが、前回までの流れだったんですけれども、今回は、より具体的に、どのように考えていたかについてみていきます。

アリストテレスは、真理を追い求める為に 自然を観察して、そこに有る全てのものをカテゴリー別に分けていって、結果として、哲学が様々な学問に分かれていくキッカケを作ることになったんですが
この考え方は、国家というものに対しても例外ではなく、アリストテレスは、国家も観察し、分解できる最小のところまで分解して、カテゴリー別に分けていきます。

その前に、先ず、何故、国が必要なのかということですよね。
国家というのは、気を抜くと、直ぐに崩壊してしまう脆いものですよね。
それを何故、作らなければならないのかというと、アリストテレスは、それには人間の本性が関わっていると言ってます。

まず前提として、人間というのはその本性において『ポリス的動物』と言っています。ポリスとは、国・国家・共同体のこと。
これは簡単に言うと、全ての人間は共同体を作る目的で生まれてきているってことです。
アリストテレスが生きた時代に限らず、現代の社会を観ても、人間は個々にバラバラで生きているわけではなく、共同体をつくって生きているので、その結果を観察すれば、人間は共同体を作るというのは理解しやすいですよね。

では、その国家というのは、何の目的で作られているのかというと、何らかの善を目指して作られるわけです。
というのも、人間というのは、善と思える行動しか取ることが出来ないので、その集団である国家は、善を目指して作られます。
ここで注意が必要なのは、この善というのは、絶対的な善の事ではないということです。
人間、それぞれが持つ、それぞれの善ということです。

例を出すと、戦争というのは、結果を見れば善悪に別れるわけですが、自分が悪い行動をとっていると認識しながら戦う国家はなくて、闘っている時は、自分達こそが善だと思っています。
というのも、仮に、自分達が悪だと思って戦争を仕掛ける国家があるとして、その指導者の意見を聞き入れて、自分の命を捧げる兵士が何人いるかという事になっていきますよね。
人を動かすためには、大義が必要になってくるわけです。

実際に命をかけて戦場に向かう兵士は、自分達が行っている行動が正しい行為だと思わなければ、戦場に向かうことは出来ないですよね。大義名分もなくて、他人に言われるがまま人を殺せる人間は、ほぼ、いないですからね。
つまり、何らかの行動を起こせるということは、少なくとも、行動を起こしている本人は、良いことだと思っているわけです。他にもっと良い、実行可能な選択肢が有るのなら、その人はその選択を選んでますからね。
つまり、戦争は、善と悪の戦いなのではなくて、善と善との戦いなんです。善と悪なら、まだ、説得すればいいから楽だけど、善と善だからややこしい。

別の例で、ここ最近は、テロが頻発していますけれども、少なくともテロリストにとっては、自分達の行っている行動は善なんですよ。
日本なんかに住んでると、欧米側のスタンスのニュースが頻繁に入ってくるので、イスラム側のテロの事件が頻繁に取り上げられて、犯罪者って扱いで報道されるので、単純に悪って決めつけてしまいがちだと思います
でも、向こうの立場に立って考えれば、イスラム側はアメリカから物凄い数の空爆を受けているんです。
アメリカ側のの口実としては、テロ組織を潰すためという大義名分で行っているわけですけれども、その空爆で、テロリストだけをピンポイントで殺せるかと言ったら、そんなことはありえないですよね。

といか、ピンポイントで狙えるなら、捕まえに行けよって話ですからね。
空爆は、特定の範囲に対して行うわけで、当然、物凄い数の民間人が殺されてるわけですよ。
仮に、その空爆で、自分以外の家族や愛する人をすべて殺されて、自分だけが生き残った人がいたとする。その人に、テロリストが近づいて『復讐の機会を与えてやるぞ』といったとしたら、どうでしょう。
そして、時限爆弾を渡されて、自爆してこいって言われたとしたら? 守りたいものを全て失った人間にとっては、この世は生きている意味なんて無い状態ですから、引受ける可能性はありますよね。
テロを起こされる側から見れば、ただの残虐な犯罪者ですけども、少なくとも、自爆を実行する人間にとっては、正当な仇討と思っているわけで、善の行為だと、思っているわけですよ。

もっと極端な例でいうと、快楽殺人者というのは、一般から見ればただの犯罪者ですし、行ってる行動は良い行いとは言えないですよね。
ただ、本人は、人を殺したい衝動を抑えて生活するよりも、他人を殺害することで得られる快楽を天秤にかけて、快楽を得る方が、今の自分にとっては良いと考えるから、反抗を犯すんです。

ここで言う善は、それぞれが持つ善の価値観であって、絶対的な価値観ではないと考えたほうが、理解しやすいと思います。

話を戻しますと。
国家というのは、善を行うために作られるんです。

で 続けてアリストテレスは、全てのなかで最も優れ、他のあらゆるものを包含(ほうがん)している共同体こそ
あらゆる善のうちで最もすぐれた善を、最高の仕方で目指すという事。 この優れた共同体が、国家(ポリス) と言っています。

引用文なのでわかりづらいと思うので、もっと簡単に言うと
国を構成している それぞれの人は、それぞれの善を持っていて、その善を基準に行動しようとするんですが、共同体を作ると、他人との摺り合わせを行う必要性が出てきます。
というのも、自分が持つ善と、他人の持つ善は違います。 だから、他人と意見交換をしたり、意見が対立した時には多数決をとったりするわけですね。

その過程で、全ての人がもつ善のエッセンスを含んだ、強化された善、ブラッシュアップ、切磋琢磨、色んな方法が有りますが、最高の善を、最高の方法で、皆で目指していくという事。
この優れた共同体のことを、国家といっているわけです。

これは裏を返せば、共同体を構成している人間 一人ひとりが、自分なりの善という価値観を持ち、それを他人と共有し合うことで、より良い善を生み出していかなければ、国家は成立しないってことです。
つまり、これは前回に話したことに繋がるのですが、人間一人一人が、自分にとっての善、つまり、やりたいこと、どの様に生活したいのかという意見を持たずに、他人に丸投げしてしまう場合、国家は成り立たないという事です。
これは当然ですよね。意見を他人に丸投げする人が 増えれば増えるほど、少数の人間に権限が集中していくわけで、その人達が自分達にとって有利な善を追求していくと、腐敗につながりますよね。
これが、大枠での国家の考え方です。

ただ、アリストテレスは、これだけではとどまらずに、国家と構成員という大きな枠組みだけでなく、その仕組み、システムといえばよいのか、それも細分化していきます。
前回の最後の部分で、アリストテレスは、国民に主権をもたせる民主制ではなくて、少数の支配者層に任せるべきだと言った部分についてですね。

共同体としての国家を分割していくと、国家は複数の村によって成り立っていて、村は複数の家族によって成りてっていて、家族は、主人と妻、子供、そして奴隷によって成り立っていると考えます。
つまり、国、人という2分割ではなく、国を、先ず大きな枠組みで分割し、それをさらに分割するという方式で成り立つって考え方ですね。
日本でいうと、国を県で分割し、剣を市町村で分割し、市を区に分けていきますよね。それを、家族まで分割して考えるんです。

ここで、家族の構成員に、奴隷という言葉が出てきたわけですが、この時代のギリシャは、奴隷を使って、普段の生活に必要な 衣食住に関する物の生産 などを行っている社会です。
奴隷制と言うものがあったからこそ、ギリシャ市民は労働から開放されていて、『真理とは何なのか』とか、『人間はなんのために生きているのか』なんて事を考える暇があったわけです。
これが、日々の生活に追われていて、今、働かなければ、今日 食べる食べ物がないって状態では、こんなことを悠長に考えていられないですよね。
そんな事を考えているよりも、食料を探してこいって話になりますから。
こういう目線で考えると、ギリシャ哲学が発達したのは、奴隷が身の回りの世話を全部やってくれていたからって考えることも出来ます。

ここで、前回の最後に言っていた、アリストテレスが、政治は民主制ではなく、少数のもので行うべきと考えていたのか ということにつながってくるわけですが、アリストテレスは、奴隷には政治に参加する権利を認めてないんです。
というのも、奴隷には考える頭がないので、基本的には、労働だけやっていれば良い。
そして、労働から開放された主人が、善について考えて、政治に反映させれば良いと考るわけです。

この流れていくと当然なんですが、アリストテレス奴隷制度擁護派の立場をとっているんですね。そして、奴隷を正当化するために、独自の理論も展開しています。
どのような主張だったのかというと、一言で言うと『奴隷は支配されるように生まれついた不完全な人間』として、肯定したんですね。
もっと具体的にいうと、奴隷として生まれついた者は、自分で考える理性を持ってはいないけれども、他人から命令された事を 理解して行動する 程度の頭は持っている。
なら、奴隷に対して主人が指示をだすことで、効率よく生活が出来るわけですから、それで良いという考えですね。

これは、人種差別的な考えで、この考えが後に、更に発展していくことになるんですが、この説明は長くなるので、また次回にということにしようと思います。