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だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

マルクス青年期の草稿を読んでの考察 (前編

前回は、マルクスの経済についての主張について紹介しました。
今回は、マルクスの思想を下敷きにした共産主義国家が、何故、失敗したのかについて考えていきます。


      

マルクスを読んだことがない多くの方は、共産主義の失敗はマルクスの考え方が間違っていたからと考え、間違った思想など勉強する必要はないと決めつけているかもしれません。
しかし前回見てきた通り、マルクスの資本主義批判は的を射ていて、実際に主張通りに労働者の賃金と商品価格は下がり、デフレへと突き進んでいます。
kimniy8.hatenablog.com
こういうことを書くと、批判的意見を主張する方の中には、『だったら何故、共産主義は破綻したんだ!主張が間違ってないなら成功しているはずだろう!』と癇癪を起こす人も出てくるでしょう。

結論から書くと、現実社会での共産主義は、マルクスが目指していたものとは違ったものだったから破綻したんです。
では、主張通りに実践すれば成功していたのかというと、実践できれば成功するのでしょうが、実際には実現が不可能。

というのも、マルクスが想定する人間は精神的にかなり成熟していて、自分の外に客観的な目線を持ち、社会にとって良いと思えることを実践できる事が前提となっています。
しかし、いざ人間を観察してみると、これを書いている私も含めて人間は基本的に自分のことしか考えられません。
そういう人間たちでは、この主張を正確に実践する事は不可能なのでしょう。
ちなみに資本主義も、大前提として多額の利益を得る資本家層が、客観的な視点を持ち、社会に貢献することが前提となっています。
しかし現実に目を向けてみると、資本家は自分たちの私腹を肥やすことしかしない為、システムに不具合が出ていたりします。

少し話題がずれてしまったので軌道修正をし、マルクスの主張からみてみましょう。
前回も書いたことですが、私はマルクスが青年期に書いたものを訳した『経済学・哲学草稿 マルクス』しか読んでおらず、資本論は読んでおりません。
そのことを踏まえた上で、お読みください。

共産主義の失敗の原因といえば、全員が公務員で、一生懸命働いてもサボっても同じ給料しか貰えないため、皆がサボった為に生産性が下がり、経済的に破綻したといわれています。
では何故、全員、公務員なのかというと、資本下層を一掃したからです。そして所有を禁じ、全ての資産は国のものとしました。
当然、企業も国のものとなる為、そこで働く人たちは全員、公務員となるわけです。

ではマルクスは、全てのものを国のものとすべきと主張しているのかといえば、先程紹介した草稿では、そんなことは言っていなかったりします。
確かに所有が悪だという考えはありますが、だからといって全ての資本は国のものとは主張していない。
というか、全てを国のものとしてしまうと、結局は国が『所有』している状態になっている為、所有が悪という考えとは矛盾します。
国が土地や企業などを所有し、国が全員公務員として労働を強制するというのは、結局のところ資本家が行う搾取構造と何ら変わらない。

誰かが資本を所有をする事で、所有できない人間を奴隷のように扱っている状況に異を唱えたのがマルクスなので、国がすべての資産を所有するという状況は、共産主義国家の指導者が、自身に都合の良い様にマルクスの主張を曲解して作ったと言っても良いのでしょう。
労働者にとってみれば、資本家も国も労働を強制するもの。資本家は自身の利益を最優先し、他の資本家に負けない為に、労働市場を使って労働者の条件をより厳しくする事で稼ぎやすい状況を作るが、共産主義国家では国が唯一の資本を持つものである為、競争も起こらない。
当然、労働市場もない為、矯正される仕事を行っても行わなくても報酬が同じであれば、多くの人は働かなくなる。

では、マルクスは何を主張していたのかというと、人間が人間である為に必要なのは、『労働』としています。
しかし資本主義社会での『労働』は、本来の『労働』からは疎外されて別のものになっている。
そのため市民は、本当の意味での『労働』を取り戻さなくてはならないと主張しています。

労働が疎外されて別のものになっているとは、どういうことか。
資本主義社会では全ての問題をお金で解決する為、衣食住など最低限のものを揃えて生きていく為には、お金を稼がなければならなりません。
資本家は投資によって財産を得ることが可能ですが、資本を持たない人間は労働者にならざるをえず、他に選択肢はありません。
選択肢のない状態で労働する事を強制させられる為、当然のように、やりたくない仕事を嫌々せざるを得ない人達も出てくる。
生産性の上昇のためには、分業が必要になる為、嫌々やる仕事は増える傾向にあり、それを矯正させられるというのは本来の労働からはかけ離れているということ。

例えば、個人でパン屋を経営する場合は、自分で材料を仕入れてパンを作り、それを販売することで対価を得ることが出来ます。
自分の作った商品を喜んで買ってくれる方達をみる事で、精神的な喜びも感じることが出来るでしょう。
もし何らかの失敗をした場合も、社会から何らかの反応を受けることで、社会の一部であることが実感することが出来ます。

しかし、これが、パンを製造する大企業の場合はどうでしょう。
大量生産する為に業務は分業化され、倉庫から材料を運んでくるだけの人・材料を混ぜ合わせるだけの人・生地をこねるだけの人・形を整えるだけの人・焼くだけの人・パンを売り込む営業をするだけの人・不良品があった際にクレームを受けるだけ人…
この様に、それぞれの業務が細切れにされる事で効率は大幅に上がるのですが、分業化されて単純化されることにより、社会とのつながりは立たれることになります。
細切れにされて単純化された労働は自分ひとりがいなくても成り立ちますし、自分の替えはいくらでもいる状態になります。
製造チームは単純化された作業を強いられる為、製造機械の一部のように振る舞わなければなりませんし、営業は自分が作ったものでもないものを他人に売り込まなくてはならない。
クレームを受ける人は、自分が作っておらず売ってすらいないものの文句を、ただ、ひたすらに聞かされる。
この様な労働には、労働そのものが持つ喜びや楽しみが奪われている為、本来の労働からはかけ離れているということです。

マルクスは、人は社会を形成する生物とし、人が社会の一部と実感して受け入れられて生きていく為に欠かせないのは『労働』だとし、人々が客観的な目線から社会には何が足りていないのかを考え、自ら社会に対して貢献する為に労働すべきだとしています。
地域に食料が足りてない状態がわかっていて、土地を耕して作物を作りたい人がいれば、作れば良い。この場合、土地を誰かが所有しているとその行動がとれない為、所有せずに成り立つ社会を目指していたのでしょう。
また、この様に国民が客観的な目線から、社会が何を必要としているかを感じ取り、その需要を埋めるように自発的に動けるのであれば、そもそも貨幣という概念すら必要ないし、更にいえば国も必要ないかもしれない。
社会貢献の為に相互に助け合い、それによって社会とのつながりを感じて幸福感をえれるのであれば、そもそも財産を所有する意味がなくなります。

では、崩壊した共産圏では、このような事を考慮して国家運営が行われていたのでしょうか。
当然、されていません。すべての財産は国が所有し、国が職場を斡旋し、強制的に労働させていた。
この状態で、働いても働かなくても給料が同じとなれば、サボる人も出てくるでしょう。

つまり崩壊した共産主義国家は、二極化が進んで少数の資本家と大多数の貧民層に分かれた国で、共産党が支持を集める為に資本主義に反対しているマルクスの名を出し、『搾取してきた資本家から、自分たち労働者のもとに財産を取り戻そう!』と主張した結果、多くの人達に支持された。
支持を得た共産党は、資本家から取り上げた財産を自分達のものとして、唯一の大資本家として振る舞ったという事で、マルクスは直接は関係ない。

では、マルクスが主張する社会は実現可能なのか。
長くなってきたので、この話はまた次回。

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