だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

利益独占ではなく共存共栄社会へ

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ここ最近思うことは、世の中で結構、無駄な事が多いなと。
無駄というか、協力して行えば良いのに個々が利益を独占しようと動くので、重複したサービスや施設、手間が多過ぎる気がする。
もう少し効率的に行えば、世界全体として仕事も減らせるのではないか。
という事で今回は、この事をもう少し具体的に考えていきます。

先日、私が書いた投稿がバズって、個人ブログでは結構な数の購読者とリアクションを頂きました。
kimniy8.hatenablog.com
ここでは、ヤマトの経営について苦言を呈す形で書いたわけですが、社会全体で観ると、非効率的な事が行われた結果、皆が困る事になっているのではないでしょうか。

例えば、Amazonによる通信販売の発達によって、本屋を始めとする小売業の業績が圧迫されているという話をよく聴きます。
こんな現象が起こるのは、Amazonが利益を独占する形で事業展開しているからで、暴れまわる象の下で右往左往する有りのように、小さい企業は淘汰されていっています。
誤解の無いように書いておくと、Amazonが行っていることは資本主義で競争社会の社会では当然の行動で、悪い事ではありません。むしろ、潰れないように創意工夫をしていない方が攻められる立場に成るでしょう。

しかし、この構図って、かなり効率が悪いんですよね。

Amazonというのは、広い目で見れば小売店というよりも倉庫業
全国各地の安い土地に倉庫を構え、そのスペースにメーカー品を大量に溜め込み、それをネット経由で消費者に販売する。
その倉庫の賃料として、売上から数%抜いたり、実際に1平方メートル辺り幾らという感じで貸し出している。

一見効率的に見えるシステムですが、社会全体で観ると、どうなんでしょう。果たして効率的なのでしょうか。
Amazonの様な小売店倉庫業としてみるのであれば、街に溢れる小売店や量販店も、倉庫を兼務しているとみることが出来ます。
これらの小売店を倉庫として見立てた場合、わざわざ遠い場所に新たに倉庫を建てる必要があるのかという疑問が浮かんで来ないでしょうか。

そう、郊外の安い土地にわざわざ倉庫を建てるのではなく、街に溢れる小売店を倉庫として使えば良い。
Amazonというのは、商品ページの閲覧回数やページ毎の滞在時間を計っていて、頻繁に見たり長時間ページを観ている商品は買う可能性が高いとして、予め近くの倉庫まで運んでおくという事までしているという話を聴いたことが有ります。
そのシステムをそのまま活かし、例えば特定の本を買いそうな人の住んでいる地域の提携している本屋に商品を送り、そこから購入してもらうというシステムを導入する。
こうする事で、町の便利な場所にある小売店を倉庫として使える。必要に応じて、本屋や電気屋と行った小売店の営業が近所の人達に配達をすれば、運送業者の過度な仕事増加と行ったことも防げる。
また、近所の小売店に商品が届くということであれば、仕事帰りに取りに行くという人も増えるでしょう。

このシステムを採用する事で、街の小売店はネット産業に潰されることが無くなりますし、荷物の受取の選択肢も増えて客も楽。
運送業者も、個別で個人宅に配達するケースが減る為、これらの産業に携わっている従業員の方にとっては良い環境になる。

不可能に思える方式ですが、実は既に導入している企業があったりします。
それは、文具の通信販売を手がけるASKUL
アスクル - Wikipedia
ASKULは、文具メーカーでありながら通販も手がけている為、本来であれば町の文房具屋とは競合してしまうことが予測されます。
しかし実際には、ASKULは提携する町の文具屋に料金の徴収などの一部業務を委託しており、共存共栄が図られています。

他には、少し前のことになりますが、確かWBSで報じられていた中国の例なども有ります。
中国では、一部の地域に限定されているのかもしれませんが、ネットで購入をすると数時間以内に家に届くというサービスがあるようです。
最近になって日本でも行われはじめたサービスですが、日本の場合は特定の商品を乗せた車を常時は知らせていて、注文があったらその家に行くという方式。しかし中国の場合は、システムが根本的に違います。ネットで注文すると、注文した商品が最寄りの商店街から配達されるんです。
日本でも、ネット注文に対応したスーパーが配達するというサービスは有りますが、商店街の様に様々な店舗の集合体が、一つのページでネットで売られているというのは無いのではないでしょうか。
楽天の様な仮想商店街はあるが、実際の店舗が隣接している地域の商店街が一つのページにまとめられているサイトは少ない)

既に多く存在する小売店を倉庫として再利用することで、より効率的で便利な様の中を実現できるように思えます。
もちろん、乗り越えるべき壁は多いでしょう。本のように定価が決まっていて、安売りできないような商品であれば、商品の融通などは比較的簡単に出来ますが、その他の商品は同じものであったとしての店ごとに提示している価格が違う場合が大半なので、この部分をどのように調整するのかというのは難しい問題だと思います。

しかし、現状のままで良いのかというと、そんなことはないでしょう。人的資源は限られているわけですが、その資源を重複したモノ・サービスに使うよりも、他のものに使用したほうが効率が良い。
『他に割り当てる仕事がないから、重複した仕事を作って仕事を創造している』と主張する方もいらっしゃるでしょうが、そんな無駄なことをするぐらいなら、一人当たりの労働時間を短縮して休みの時間を増やすほうが良い。

人の時間は24時間と決まっているわけで、労働時間が増えれば増える程、消費に回すための時間は削られることになります。
日本の産業構造は75%が第三次産業のようですが、この部分の産業の多くは人の余暇を消費させる仕事です。残業に追われて自由な時間がない状態では、これらの産業にお金が使われることもありません。
結局は、重複した産業を大量に作って競争すればする程に労働者は疲弊し、消費に回される時間も無くなり、結果的に国が疲弊する。

これを回避するためには、共存共栄の方向に舵をきる必要があるのではないでしょうか。
今までのように利益の独占を狙う競争社会では、もう先は見えています。ただこの方向転換は、従来の資本主義を見直すことになるので、それこそ簡単なことではないのでしょうね。