だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

『空気を読む』という文化は必要なのだろうか

日本には、『空気を読む』なんて言葉がありますね。
何年か前には、空気が読めない事を略して『KY』なんて言葉も流行りました。

しかし、そもそも空気を読むって何なんでしょう。
wikiなどを調べてみると、結構詳しく書いてあるのですが…
場の空気 - Wikipedia

私の頭が悪すぎるのか、読んでも分かったような分からないような…
そもそも、主観でしか物事を理解できない人間に、空気を読むなんてことは出来るのでしょうか。
という事で今回は、『空気を読む』について考えていきます。

普通に暮らしていると、『空気を読む』って言葉を結構な割合で聴きます。結構耳にするということは、幅広い人達に認知されている行動のはずです。
他の人がどの様な意味合いでこの言葉を認識して使っているのかは分かりませんが、私個人の考えとしては、他人の迷惑にならない様に、または、他の人が過ごしやすいように気を使うことだと思います。
皆が他人のことを思って、空気を読んで行動しているのであれば、世の中は非常に暮らしやすい状態になっているはずだと思います。
しかし実際には、そんな状態にはなっていない。
なんなら、この『空気を読まなければならない空気』のせいで、世の中が暮らしにくくなっているような気がします。

例えば、呑み会の席などにいった場合のケースで考えてみましょう。
私はビールを注文する場合が多いのですが、これが瓶で出てきた場合は、量を呑むことを強要されるケースが結構多い。
正直な話、お酒は自分の好きなペースで好きな量を呑みたいのですが、大抵の場合はコッブのビールがわずかでも減っていると酌をするという名目で注いでくる。
酷い時には、こちらのお酒が全く減っていないのに、別の人の酌をする為にビール瓶を持ったからという理由で、『あんたも呑んで注ぐスペースを開けろ』と言わんばかりに圧力をかけてくる。

向こうは気を使っての行動なんだろうけれども、こちらからすれば迷惑行為以外の何物でもない。
そんな迷惑行為をされたのにもかかわらず、こちらは空気を読んで、『注いで貰ってありがとう』と、笑顔で伝えなければならない。

この様なことは、カラオケなどでも存在する。
私は個人的に、歌うという行為がそこまで好きではありません。
その為、積極的にはカラオケには行きたくないわけですが、空気的に行った方が良い場合などもあり、行くときも有ります。
私は歌うのは好きではないのですが、人が楽しそうに歌っているのを見聞きするのは嫌いではない為、カラオケに行ったからと言って不機嫌な顔をするわけでもなく、一応、楽しそうな雰囲気を出すようにはしています。
しかし、ここでも登場するのが『空気読んでますよアピール』の人。

このタイプの人は、『自分は楽しい雰囲気作りをする為に、絶えず、周りの人のことを観察してますよ』と言わんばかりに、『貴方、さっきから聴いてるばっかりで歌ってないじゃない。歌って!』等と言ってきます。
ただ私は気を使って歌いたい気持ちを我慢して歌ってないのではなく、本当に歌いたくないから歌ってないだけなので、この手の行動は迷惑でしかありません。
ですが、『空気を読む』という行動の存在の所為で、私は本気で嫌がっているにも関わらず、この人の目には『遠慮して歌ってないだけ』としか映らない。
その後、散々『歌って!貴方の歌を聞いてみた!』なんて事をいわれ、こちらも空気を読んで渋しぶ選曲して歌い出すと、『歌って!』とせがんでいた当の本人は、『仕事が終わりました』とばかりに選曲すべく端末を見て、こちらの方を見もしない…
別に良いんですよ。 私は歌が上手い方ではないですし、人が集中して聞く程のものではない事は熟知してますから。
でもね、こっちは歌いたくないのに空気を読んで、そちらの都合に合わせて行動を起こしたんですよ。それでその仕打ちですか。
おそらく歌うように促した人の中では、『この人は歌いたいのを我慢してたけど、私が頑張って歌わせてあげた。 私って偉い!』ぐらいに思っているのでしょう。

もう一度言いますが、この行動は一定割合の人たちにとっては、迷惑以外の何者でもありません。

では何故、こんな迷惑な余計なお世話が一般に浸透してしまったのでしょうか。
私が思うに発祥したルーツとしては、クレーマー対応なのでしょう。
クラブやキャバクラといった所は私は行ったことが有りませんが、テレビ等で、酒が減れば注ぎ足し、タバコを取る仕草をすればライターをつけて待機するなんてシーンを観ます。
世の中に一定数存在すると思われるそんな風に偉ぶりたい人たちは、会社の呑み会などで部下に対してその様な『気の使った行動』を暗黙の内に強要する。
暗黙のプレッシャーが分からない鈍感な人に対しては、『教育』という名の罵声が飛んで来る。
部下からすれば、会社の上司の誰がそんな行為を必要としているかが分からない為、全員に対して『気の使った行動』を行わなければならない。
こんな行動を望んでいない心優しい上司は、『部下が気を使って取ってくれた行動』に対して気を使って応えてしまう。

結局のところ、声のでかい他人の事を考えない人間の要求が通り、その状態に普通の人が合わせなければならない状態になってしまっている。

これは、コンビニで不良ぶった未成年が煙草や酒を買い、それが見つかると、法律を犯した本人ではなく売ったコンビニ側が叩かれてしまう。
コンビニ側はクレーマー対策として、レジ前に『年齢確認ボタン』を表示させて押させ、全く関係ない法律を守っている人たちが割を食う。
迷惑な客やクレーマー対策をした事によって、一般客が被害を受ける状態に似ているのかもしれない。

他人の事を考えない声のでかい、サイコパス気質の人間は企業トップに多いようで、この人達が『デキる人間』と認識する人の多くは『空気を読める』とされる行動を多用するため、サラリーマンの間でこれが一般常識化してしまった。
president.jp
toyokeizai.net

これが一般人が行う普通の呑み会でも導入され、結果として、空気を読める行動を押し付け合うという状況になってしまったのでしょう。

こうして冷静に見てみると、日本人が大切にしている『空気を読む』って行動は、『空気を読んだ行動をとっている私って凄いでしょ!』という間接的な自己承認欲求を押し付けているようにもみえる。
そしてそれに付き合わされる方は、相手が気を悪くしないように行動を心がけないといけない為、結構精神を消耗してしまう。
考えれば考える程、要らない文化なんじゃないかと思ってしまう。

こんな文化は、いっそ捨ててしまった方が、世の中生き易くなるのではないでしょうか。

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