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だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

日本に馴染まない資本主義 3

この投稿は前回・前々回からの続きとなっています。
まだお読みでない方は、まず、そちらからお読みください。
kimniy8.hatenablog.com
kimniy8.hatenablog.com

前回までの話を簡単に振り返ると、日本が世界に誇る『もったいない精神』と『おもてなし文化』が、資本主義の観点から見ると成長を引っ張っていますよという話でした。
これらの文化がどの様に発生したかは分かりませんが、日本人は良くも悪くも、行動に関しては無料だと考えている人が多いからでしょう。
行動というのは自分で行えば無料ですからね。それを他人が行ったとしても、無料で当然と考えてしまうのでしょう。
しかし、この考え方自体が経済学の考え方からズレています。

経済学の世界では、自分で行った場合でもコストがかかると考えます。
例えば、ある用事を3時間かけて自分で行ったとします。この場合、必要となる道具などが必要なく経費が無い場合でも、人件費が発生すると考えるのが普通なんです。
『自分で行っているのに、何故、人件費がかかるの?』と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、経済学の考え方では、その3時間の間、自分がバイトや仕事に充てた場合、どれほど稼げるかを考えるわけです。
その人が本業で稼ぎ出す金が時給換算で2000円の場合、3時間で6千円かかってしまう。それをプロに委託した場合の値段が3000円なら、プロに委託して空いた時間で本業を行った方が良いという考え方ですね。
それぞれの人間が本業での技術や知識を高め、能力を特化させて仕事を行うことで、より効率的に共同体を運営することが出来るというわけです。

経済学は、人々の行動を金銭という数値に置き換えて、その数字をみて判断する。
数字に歪みが出れば、その歪みを修正するような理論を作り、それを政治などで実践していく。
サービスに対してお金を払うという海外の思考は、経済学のこの考え方に近い考え方と考えられるのかもしれません。

しかし日本の場合は、人が行う行動を金銭に変換するということを余り行わない。
というか、日本人の場合は行動は行動で返すものであって、金銭に変換するようなものではない。
金銭に換算しない為、行動の価格は0円となり、人に頼むなら自分がやればタダで出来るという考えになりがちです。

このことがよく分かるような例え話を株式関連の番組で聴いたので、紹介します。

ディーラーを生業としている高給取りのアメリカ人と日本人の男が、話をしながら歩いていました。
その男達の進行方向に目をやると、靴磨きの少年が客待ちの為に道端に座っていました。
少年を発見したアメリカ人は、早速、少年に靴磨きを頼み、その仕上がりに満足をしたのか、たっぷりとチップを渡しました。
そして日本人の男に向かって『お前も磨いてもらったら?』と声をかけてきました。
しかし日本人の男は『靴磨きぐらい自分でやるよ。勿体無いし。』と返答。

それを聴いたアメリカ人は『俺達のような高給取りは、人に仕事を頼んで報酬を渡す義務が有るんだ。金持ちがお金を溜め込んだら、一体誰が使うんだ?』

この例え話は、資本主義の構造を上手く表していますよね。
日本人からしてみれば、靴磨きなんて自分でやればタダなんだから、そんなことにお金を使うのは勿体無い。または、自分でできるような事を金を払って他人に任すのは、世間の目が気になると思ったのでしょう。
日本の場合は行動に対して金を渡すのも要求するのも、余り良しとされない。
なんなら、お金のことを口にだすのも毛嫌いされる。極端な表現でいえば、お金に汚れのようなイメージすら持っていたりする。
そんな共通認識が有ると、お金を渡すのも要求するのも後ろめたい感じになってしまう。
金持ちは、お金を持っていると変な目で観られる為、極力資産を隠して保管し、表面上は慎ましい生活を送っているように見せかける。

しかし西洋の考え方は、基本的にはお金は行動に対する評価なので、多くのお金を稼ぎ出す事は尊敬される。
一部のキリスト教の考え方では、天国に行けるものは生前から神に愛されているはずだから、この世でも恩恵を受けられるはず。
その物差しとなるのが、数値として分かりやすい金銭なので、お金持ちは徳が高く良い人で天国に行けるという信仰すら有るようです。
金持ちが良い人という認識が広がると、金持ちは良い人として振る舞おうとするので、慈善事業や寄付なども積極的に行う。
結果として金持ちの持つお金は再分配されることになる。

まとめると、日本人の行動は金銭へ換算されない。人から受けた恩や借りは行動で返そうとするので、経済の数字としては出てこない。
また、お金を持っていると色眼鏡で見られるため、資産は極力隠すために、再分配もされずに一箇所に集中しがち。

その一方でアメリカなどは、お金を持っていることは悪いことでも恥ずべき事でも無く誇らしいことなので、隠すことはない。
しかし、自分だけ大量に溜め込むことは良しとされない社会なので、圧力から寄付や慈善事業にお金が使われることになり、一定の再分配が行われる。

ここ最近の経済を見ていると、日本はバブル期以降、一貫して不況なのに対し、アメリカを始めとした欧州では景気が良くなる場面も有るのは、この文化の違いが有るのではないでしょうか。

勘違いしないで欲しいのは、私はこの投稿を通して『日本もアメリカのような文化に変わるべき!』と主張しているわけではありません。
日本は日本で良いところも有るし、そもそも、このような考えや行動が日本文化といっても良いので、これをすべて捨て去ってアメリカ文化になる必要もないと思います。
しかし、欧米の文化にカスタマイズされたような資本主義をそのまま受け入れようとすると、これはこれで無理が出てくると思うんですよね。

そもそも、お金に対する考え方が根本的に違うんだから、そのままの経済理論を輸入するのではなく、日本文化に合うようにローカライズしていく必要があると思います。
しかし日本の場合、何かというと、アメリカの経済学者の理論を持ち出したりするんですよね。
そろそろ日本は周りの目を気にせずに、自分なりの理論を考えて実践していくべきだと思うんですけどね。

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