だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

『告白』という儀式によって縮小する人間関係

私は前々から、『告白』という儀式を経て『付き合う』という行為が、理解できませんでした。
しかし世間では、何の疑問もなく当然の様に行われているため、私が世の中についていけていないだけだと思い、世間の流れを理解するためにも必死に考えたのですが…

結果として、全くわからない。
むしろ、色んなデメリットが有るようにしか思えないので、今回は『告白』という儀式を経て『付き合う』事のデメリットについて書いていきます。

私が見聞きした範囲での『告白』から『付き合う』までの流れですが、大抵の場合は顔見知りや知り合い程度の人間に一方的に恋をして、思いを告げる『告白』という儀式を通過し、恋愛関係に発展しているケースが多い。
ネットで検索してみると、『何回目の食事で告白すべきか』なんて記事も出てくる程です。
世間一般では普通に行われていることですが、私の場合は、まず、この部分で引っかかってしまうわけです。

相手のことを殆ど知らない状態での告白は、何を根拠に好きだといっているのか。
これは簡単に想像できますが、大半の場合が相手の『外見』に惹かれている場合がほとんどです。
しかし、人間関係において外見なんてものは取っ掛かりにしか過ぎないわけで、長く付き合っていく為に重要なのは中身の方です。
本来であれば、中身を知った上で好意を持つべきだというのが私の主張なのですが、日本で広く浸透している告白の儀式の場合は、相手を深く知らない状態で行われ、恋愛関係中に相手の中身のことを知っていくという状態になっています。
この結果、告白して恋愛関係に発展したものの、3回ぐらい食事に行って性格が合わない事で別れるという現象が普通に起こってしまう。
『別れる』という儀式を経てしまうと、その後の人間関係がギクシャクしてしまうことも想定できますし、最悪、人間関係は終了してしまいます。

この状態、普通に考えて、酷く効率が悪いですよね。
3回ぐらいの食事であれば、わざわざ告白なんてことをしなくても、友達・知り合いとして行っておけば良い。
食事に行った相手は、恋人としては不適格だったかもしれませんが、知り合いとしては良い人かもしれない。

人間、普通に生きていれば何かしらの特技や趣味を身に着けているものですし、知り合った人間は自分にはない何かを持っていることも考えられます。
ネットが発達し、人と人がつながり易くなったとはいっても、人との接点はそんなに簡単には無い現代。
せっかく知り合った人と別れてしまうというのは、結構な損失です。
『告白』という儀式さえなければ、何らかの形で続いていた関係が、告白したせいで壊れてしまうリスクは無視できません。

次にネックとなるのが、告白制度によって相対比較が出来ない事です。

人というのは、何か一つだけでは比較が出来ません。
Aという対象を比べるためには、最低でももう一つ、Bという存在が必要不可欠です。
しかし、『告白』という儀式を経て『恋愛関係』を締結してしまうと、途端に相対比較が難しくなってしまいます。
何故かと言うと、制約が生まれるからです。

『異性と二人っきりで合わない』『週に◯日は会う』『毎日メールする』
恋愛関係に発展すると同時に、様々なルールが作られます。
何故この様なルールが作られるのかというと、相手のことを知らない状態で『告白』する事が日常化している日本では、異性を食事(遊び)に誘うという行為そのものがアピールと取られるからです。
(食事の様な軽い接触がアピールと取られる為、この時点で妙にハードルが高いのも、人間関係が拡大しない要因とも考えられる。
また、この考えの強化版で、恋愛関係に発展しない人間と食事(遊び)に行っても仕方が無い、3回食事に行って告白がないなら合わないという思想もあるようです。)
この様な空気のため、一度恋愛関係になった場合は、パートナー探しは関係が破綻した後にしなければなりません。関係が重複すると『浮気』になってしまうからです。

一度、恋愛関係が結ばれたら、破綻するまで他の人とは親密になれない。
こんな状態で相対比較をしようとすると、付き合っては別れて…というのを繰り返すしかありません。
その結果として、『一番最初の人が良かったね』なんて事になっても、もう後の祭りです。

こんな状態になるのであれば、告白なんて儀式はせずに、同時並行的に数多くの人と友達関係として付き合えば良い。
人間は、気の合う人間とは頻繁に会いたいと思いますが、そうでもない人間とは会う頻度も徐々に減っていきます。
最終的に『いつも、この人と一緒にいるな。気が合うんだろうな。』と思える人と結婚すれば良い。
この選び方の場合、少なくとも相対評価を生き残った人が側にいることになる為、よりベストの人と一緒になれる可能性も高まりますし、選べなかった人達とも友達のままでいることが可能です。
人間関係を広げるという観点から見た場合、この方が効率が良いのではないでしょうか。

その他の問題としては、外側に対しては制限がかかる恋愛関係が、関係が成立した途端にパートナーに対しては許容範囲が広くなること。
『付き合っている』『恋人関係』という言葉によって関係性が明確になっている為か、言葉自体に縛られているのかは分かりませんが、彼女(彼氏)だからと、普通の関係なら許せないことも有耶無耶になったりします。
告白という儀式を経て付き合うという行為は、最初のハードルが酷く高いが、それを乗り越えると後は楽という事を意味しています。
この構造、何かに似ているとは思いませんか?
そうです、日本の入試と同じなんです。
学校に入る為の入学試験は非常に難しくハードルは高いが、入ってしまえば、就活とバイトに大量の時間を費やしたとしても卒業は出来てしまう。
これと同じで、告白という儀式さえ乗り越えてしまえば、その後はそれ以上の努力を強いられること無く、ミスしなければ関係を続けることが出来てしまいます。

そして、何事もなく数年間が過ぎ去った所で、『そろそろ責任とってくれるよね?』となるわけです。

この様なシステムだと、最初の告白の段階で結婚を見据えて行動する必要が出てきます。
しかしその告白は、数回有った程度の何も知らない状態で行われるわけです。しかも一度告白が成功してしまうと、人間関係が制限されて相対評価できなくなるというオマケ付き。
自分と合う良い相手を見つけるためには、ニュータイプ並みの超感覚がなければ無理なんじゃないかとすら思ってしまいます。

更にいえば、この構造、悪用しようと思えばいくらでも出来てしまうのも大問題です。
というのも、最初の告白が一番ハードルが高いわけですが、この『告白』はお互いのことを特に知らない状態で行われるため、清潔感の有る格好をして広く浅くでも教養を持っていれば、高い確率で面接に通ることになります。
これを利用して、『そこそこ外見に気を使いながら』『好印象を植え付ける為に演技』をして告白しまくれば、簡単に自分に対して許容範囲が広がった人間を大量ゲットできてしまいます。
この手の人達は、自分の都合の良いように利用するために告白して近づいてくるわけですが、騙されている側は『告白』という儀式を経て『恋愛関係』に発展したという事実にしがみつくことで、自分が置かれている状況を客観視することが難しくなります。
その結果、利用されているだけの存在ということに気がつくのが遅れ、多くの損失(金や時間)を負ってしまう可能性も有ります。

この様に考えていくと、『告白』という儀式を経て『恋愛関係』を結ぶというシステム自体が、恋愛・結婚・人間関係の拡大の観点から見て、酷く非効率的に見えてきます。
ネットで調べると『告白するのは日本だけ』なんて記事も多数ヒットします。なんでも外国が進んでいるなんてことは申しませんが、意外と短い人生、人間関係はもっと効率的に広げる方向に向かったほうが、何かとプラスになるようなきがするのは私だけでしょうか。

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