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だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

『お金』と『やりがい』 ④

この投稿は、NHKで放送していた『白熱教室』の行動経済学の授業を観て思ったことや感じたことを書いています。
今回で4回目となる続き物なので、まだ前回までの投稿を読まれていない方は、そちらから読まれる事をお勧めします。
kimniy8.hatenablog.com

kimniy8.hatenablog.com

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今回は、前回の投稿の最後の部分の補足から書いていきます。
簡単に振り返ると、『貨幣の導入によって仕事の性質が変わってしまい、労働が義務になってしまった。
それによって、人は幸福ではなくなってしまった』という内容でした。

『社会を成り立たせる為には、労働の義務化は当然でしょ!』と思われる方もいらっしゃるでしょう。
確かにそうなのですが、問題はその内容なんです。

今までの投稿でも名前が出てきましたが、経済学の前提を作ったアダム・スミスは、分業制度の提案もしました。
分業とは、一人の人間が何でもやるのではなく、分業によってそれぞれの人が専門家になる事で、効率を上げて行こうという考え方です。

大きな枠組みでいえば、石油がとれる国は、石油の生産をしていけばよい。
豊かで広大な大地がある国は、農業を行えばよい。
器用な国民を持つ国は、一次産品を仕入れて加工をすればよい。

それぞれの地域が得意なものに専念すれば、生産効率は飛躍的に上昇します。
一見すると非常に効率が良く、素晴らしい考えのように思えます。
実際に世界はこのシステムを取り入れ、飛躍的に成長しました。

しかし、この考えをミクロの視点で見てみるとどうでしょう。
例えば、ケーキを作る工場があったとします。
一人一人の職人がケーキを作るのは効率が悪いので、生産性を上げる為にも、分業制度を取り入れる事にします。

材料を発注する人・トラックで運ばれてきた材料を定位置まで運ぶ人・卵を割る人・生地を混ぜる人・焼く人・クリームを塗る人・イチゴを乗せる人…

仕事を一つ一つに分解し、それぞれの専門家に任せる事にします。
卵を割る人は、一日中、卵をひたすら割り続けます。
イチゴを乗せる人は、ベルトコンベヤーで運ばれてくるケーキに、ただただイチゴを乗せ続けます。

様々な作業を分業化して単純労働化する事で、誰にでも簡単に仕事を覚える事が出来ます。
指導の手間も省けますし、仮に労働者が辞めたとしても変わりはいくらでも補充する事が出来ます。
同じ品質のものを絶えず大量に作り続ける事も出来ますし、事業としては非常に安定する事になります。

しかし、労働者から見てみればどうでしょうか。
一つのケーキを自分で一人で作る場合は、製品が完成していく喜びを感じながら仕事をする事が出来ます。
商品が完成すれば、それなりの達成感も得られます。

ですが、それらの作業を分業化されて、毎日8時間、ケーキの上にイチゴを乗せるだけの仕事を割り振られたとしたら、仕事から楽しさなんて得られませんよね。
システムの一部として組み込まれ、機械のように同じ作業を続ける事を強いられる。
仮に失敗したら、『単純な作業しか与えてないのに失敗するのか!』と怒られる。
『替えはいくらでもいるんだぞ』と脅される。

これで幸せを感じる人の方が、少ないのではないでしょうか。
大半の人は、ストレスをためる事になるでしょう。
そうすると次は、このストレスを発散するための職業が登場します。

仕事によってストレスを貯めて、お金を得る。
そのお金を使ってストレスを発散させる。
一見すると良く出来たシステムですが、労働によって得られるお金が少ないと最低限の生活をするので精一杯で、ストレスを発散する為のお金がなくなる。
結果として一部の人は、何とか食つなぐ為に仕事でストレスだけを貯め続ける生活になってしまいます。

これってよくよく考えると、かなり変なシステムですよね。

そして、ストレスを発散させる余裕のある人がどんな暇の潰し方をしているのか。
例えば、ご飯を食べに行って写真を撮って感想を言う。
映画を観て、レビューする。
プラモデルを買って、作る。絵を描く。素人ラジオを収録する。ブログを書く。。。。等々。

でも注意深く見ていくと、ご飯を食べに行って写真を撮ってレビューするのは、グルメ雑誌の記者がお金を貰って行う仕事です。
映画レビューも、それを生業としている人が存在します。
プラモデルを作るのは、製造業という職業ですし、絵をかくのはイラストレーター、ラジオは当然プロがいますし、ブログもコラムニストなんて方が存在します。

つまり、お金を使って趣味として行っているものの大半は、別の視点からしてみれば仕事なんですよね。

これらを合わせて考えると、分業化されて単純労働化した仕事を行う事で貯まるストレスを、別の仕事をお金を支払って発散させるわけです。
かなり変な構図ですよね。
地球に住んでいる人間だから、仕事と趣味を分けて考えられるだけ。
仮に地球の常識が通用しない別の宇宙から知的生命体が訪れて現状を観たとしたら、『この人たち、ずっと働いてるね。』と思うのではないでしょうか。

『じゃぁ、何でもかんでも、非効率に自分で行えば良いのか』といえば、そうではありません。
なんにでも『限度』があるという話です。
行き過ぎた分業と効率化は、人から労働する楽しみを奪います。
今の社会はモノ・サービスが足りない社会ではなく、むしろ余っているから、供給過多からデフレなんて現象が起こっている状態です。
それならば、人を機械の部品のように使い捨てるのではなく、『やりがい』が持てる程度に分業を抑える方が、全体的に幸せになる事が出来るのではないでしょうか。

先程も少し書きましたが、人は『やりがい』を感じ、好きな作業であれば、お金を払ってでもやりたいものなんです。
自分が好きでやっている事が他人から認められたり、必要とされたりするのであれば、更に『やりがい』は増し、達成したときに幸福度は増すでしょう。

そろそろ、経済発展=人の幸福なんて考えは捨て、『人にとって本当の幸福は何なのか』について考え、それに合わせた社会作りをしていく段階に入っていると思うのですが、どうでしょうか。

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