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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

同一労働同一賃金は日本で実施できるのか

ここ最近、『同一労働同一賃金』という言葉をよく聞くようになりました。
安倍首相も、『同じ仕事をしていて、正社員と派遣との間に格差があるのはおかしい』として、格差解消の為に取り組んでいく事を宣言しました。

確かに、同じ業務をこなして給料が違うというのは、納得ができない。
同じ働きであるなら、同じ給料の方が平等なので、この格差は是非とも是正して欲しいところです。

しかし実際に一律で行うとなると、かなり難しいというのが現状でしょう。
ということで今回は、何故難しいのかについて考えていきます。

同一労働同一賃金とは、言い換えれば、同じ仕事には同じ給料を支払いましょうという考え方。
別の表現をするのであれば、能力給の様ものですね。

能力給として考えると、一番導入しやすいのは職人などのモノ作りの業界でしょう。
何故かというと、実際にモノを製造する場合は、品質や作業の素早さ等が目で見てわかりやすいからです。
その技術が他の会社に移っても通用する場合は、その職人がヘッドハンティング等や独立される事も考えられるので、職人の能力=給料といった構図になりやすい。
結果として、同じような能力の人は同じような給料になり、給料を上げたければ能力を上げろという話になる。

非常に、わかりやすい世界ですね。

全ての業界でこの様な構図になれば、同一労働同一賃金の問題は解決しそうな気がします。
しかし実際には、会社の規模や業種が変わってしまうと、この構図にするのが難しい。

何故難しいのかというと、殆どの業種の仕事は、仕事ごとに区別されてないからです。

日本では、学校の卒業や大学で進級したタイミングで、就職活動をしますよね。
就職活動とは、まさに職に就く仕事なわけですが、実際に行われるのは、就社というのが日本の現状です。

では、就職と就社で何が違うのでしょうか。
就職とは、最初の例で出した職人のように、特定の職に就くことです。
物を作る・会計をする・プログラムを組む等、職は何でもよいのですが、自分の持っているスキルを使って、一つの職を行うことが就職です。
言い換えれば、自分の技術を売る職業です。

しかし就社の場合は、少し事情が異なってきます。
就職が職に就くのに対し、就社は会社に属する事が目的。
これを言い換えると、自分の時間を会社に売っている状態ともいえます。

両社の違いを分かりやすくする為に、例え話をしましょう。
とある会社に、行わなければならない作業があるとします。
作業は、普通の能力を持つ人が8時間ぐらいかければ終了する、データ入力の作業だとします。
この作業を、3人の人間がそれぞれ行ったとしましょう。

Aさんは、この仕事を普通に8時間かけて、終了させました。
Bさんは、データ入力の数字が一定の法則のもとに並んでいるのに気づき、最初の1行を入力するだけで他の数字全ての入力が終わるようなプログラムを組み、1時間で終了させました。
Cさんは、能力が一般以下で劣っていて、入力作業が非常に遅い。プログラムも組む事が出来ず、3日間残業し、30時間かけて終了させました。

同一労働同一賃金であるならば、同じ仕事に8時間かけようが30時間かけようが、1時間で済ませようが、支払われる報酬は1万円であるべきです。
Bさんの様に1時間で終わらせて、就業時間がまだ残っているから他の仕事をする場合、さらに加算して給料が貰えるという状態が、当然です。
職人の場合などの、製品の仕上がりとスピードによって日給が変わるタイプの仕事は、同一労働同一賃金に近い状態といえるでしょう。

しかし、就社の場合はどうなのか。
就業時間いっぱいの8時間かけたAさんは、一つの仕事だけを行えばよい。
ですが、1時間で終わらせたBさんは、残りの時間を使って、仕事の遅いCさんを手伝えという話になる。
仕事量でいえばBさんは圧倒的に多いが、就社の場合は入社年数や地位によって給料が決まることが多い為、その分は考慮されない。
A,B.Cさんの上司が部下の様子をよく見ていて、Bさんの働きを考慮して評価してくれれば良いですが…
仕事のできないCさんが、いつも残業していて頑張っている!なんて誤解をしてCさんの評価を上げてしまうと、目も当てられない。

これが、同じ部署内で起こっていれば、まだマシでしょう。
しかし、小さな会社などで、部署をまたいで仕事を手伝う場合はどうでしょう
効率の良い社員が製造の仕事を早々に終わらせて、営業の仕事を手伝うなんて事もあるかもしれません。
こうなると、さらに紛らわしくなる。

この様に就社の場合は業務内容が同じにならない為、、同一労働同一賃金の前提である、同一労働が何なのかという事が判断しにくいわけです。
結果として、給料や待遇を立場によって分けなければならず、同一労働同一賃金にはならない。

この問題を根本的に改善しようとするのであれば、就社という概念そのものを捨て去る必要があります。
雇われる側は、どの会社に入るのかよりも、どの技術を身に着けて買い取ってもらうのかが重要になってくる。

会社のほうは、仕事をする上で必要な人材を、必要な部署ごとに雇わなければならない。
しかしそうなった場合、会社はアメリカの様にレイオフしやすくなり、雇用は今よりも流動的になるでしょう。
また、能力の低い人の給料は下がるかもしれませんし、失業率も上がるかもしれません。

会社も雇用される側も、この環境の変化を受け入れる事が出来なければなりません。
しかし、大部分の人が『安定』を求めるために大企業に就社活動をしている現状を見ると、この変化の受け入れはかなり難しいように思えます。

結果としては、日本での同一労働同一賃金は、かなり難しいと言わざるをえないのではないでしょうか。

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