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ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

国会議員の不倫を期に『育児休暇(育休)』について考える

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去年(2015年)のことですが、国会議員が育休を取ると発言して、話題になりました。
その後、年を明けて(2016年)2月のことですが、その国会議員(宮崎謙介衆院議員)が、妻の妊娠中に不倫をしていたという事で、話題になっています。

このニュースを受けて世のワイドショーでは、『育休普及の為に応援していたのに、裏切られた!』と、盛大に叩いています。
一旦、持ち上げてから落とすという、マスコミの典型的な手法ですね。
その手法については別にどうでも良いのですが、個人的に引っかかっているのが、国会議員の育休を『育休普及のために応援していた』という点です。

休みを取るのが困難な状況を改善するというのは、理解が出来ます。
しかし、育休を取る人物の立場や責任等を無視して、全て一緒くたにして考えるのは、どうなんでしょうか。
根本原因を考えずに目先のところだけを観ていても、解決はしないと思うんですよね。


個人的な意見を言わせてもらえれば、国会議員という立場の人間が育休を取る事は反対です。
これは単純に、国家公務員だからという理由ではなく、国会議員は替えのきかない職だからです。

例えば、同じ国家公務員であっても、役所勤め等で、その人物が休んだとしても替えの人材が豊富にいる様な部署の人間であれば、育休や有給を取るのは良いことでしょう。
しかし、国会議員という立場は違います。
自分の選挙区の人たちの意見を吸い上げて、国会で代わりに議論する事が代議士の仕事です。
そんな人が個人的理由で長期間休んだ場合、その地域の人達の意見は政治に反映されないことになります。

選挙区の人数差によって発生する【一票の格差】が憲法違反になるという議論があるのに、個人的な理由で地域の意見が全く反映されない状況を生み出すのを歓迎するという意見には違和感しか感じません。

ちょっと、別の立場に置き換えて考えてみましょう。
宮崎謙介衆院議員は、地域の代表です。
その地域を拡大して、日本という地域で満た場合の代表は、安倍総理です。

この安倍総理に、仮に子供が生まれたとしましょう。
その時に総理が、『子供が生まれたので、総理大臣という立場は維持したまま、育休を取ることにします。』と発言したとすると?
世間はどう受け止めるでしょうか。

【安倍政治を許さない】人達は、ここぞとばかりに叩くでしょう。
そして当然のように、『休みを取るなら、総理を辞職してからしろ!』というでしょう。
当然の様に、こんな事を実行されれば、日本は大混乱します。
これの縮小版が、国会議員の『育休』なんです。

国会議員という職は責任が重く、その為に高い給与が税金から支払われています。
そんな人が、給与カットもない状態で長期間の休みを取るというのを応援するという姿勢に、かなり疑問を持ってしまいます。


『責任が重いから、自由に休みが取りづらい』という状態は、民間にも存在します。
そして本当に解決しなければならないのは、これらの民間会社の構造だと思います。

例えば、ある会社で巨大プロジェクトが舞い込んできたとします。。
期間は2年で、成功すれば会社は安定しますが、失敗した場合、会社が傾いてしまうかもしれないプロジェクト。

そのプロジェクトに、実力・人望が揃った適正な人物が選ばれました。
選出されたプロジェクトリーダーは、会社の期待に応える形で、順調にプロジェクトを進めていきました。
相手方との人間関係も構築し、取引先から、『貴方は信用できる人間だから、貴方の所属する会社と取引したい』とまで言ってくれるようになりました。
そんなプロジェクトリーダーが、プロジェクト開始から1年経過した所で、『妻が妊娠したので、明日から育休を取ります。』といったとします。

相手方は、そのプロジェクトリーダーの人格に惚れて、共にプロジェクトを進めようと思っていた。
その矢先に、突如、全く知らない後任の人間を紹介されて、『明日から、この人と進めてください。』と言われるわけです。
相手は、後任の人とは人間関係を構築していたわけではなく、また、プロジェクトを途中で放り投げたリーダーを信用することができなくなってしまった。

信頼関係が保てなくなった両者は、プロジェクトが白紙に戻すことに。
計画が頓挫して巨額の損失を被った会社は、当然のように経営不振状態。
結果として、その会社の大量の社員が、路頭に迷う事になってしまいました。

このケースでいうと結果的に、プロジェクトリーダーは組織を守るためにも、そのプロジェクト中には妊娠しない様にするか、育休を取らなければよかったということになるでしょう。
休みを優先した結果として、大勢の家族が路頭に迷うことになってしまったわけですから。

日本の様なプラミッド型の組織の場合、権限が上層部に集中しがちな為、ここまで極端なケースは稀でも、似たようなケースは結構あると思います。
この場合、会社は一人の育休の為に、多大な損失を被る事になってしまいます。
それを避ける為に会社は保険として、権限を持つ人間は私的なことよりも会社のことを優先する人物を、選ぶ条件にしようとします。
会社のそういう姿勢が見えれば、出世欲がある人は、会社から直接的に言われること無く、自発的に育休は取らないでしょう。

会社側は特に発言すること無く、空気感や暗黙の了解を演出するだけで、プレッシャーを掛けることが出来るようになります。


では、権限を持たない底辺層は、いつでも休みを取っても大丈夫なのかといえば、そうでもない。
というのも、この問題の根本原因は、市場主義・競争社会に有るからです。

例えば、同じクオリティーの製品が作れて同額の給料を渡すという前提で、2つの企業があるとします。
1つは、有給休暇を完全に消化し、サービス残業はせず、育休を自由に取れる環境の職場。
もう一つは、有給休暇は極力使わず、サービス残業は常態化、軽い病気なら当然のように出社、育休なんてとんでもないという職場。

この2つの会社を比べた場合、競争力が高いのは、後者のブラック企業です。
競争社会の世の中では、社員に優しい会社は競争に負け、市場にはブラック企業が残ります。

つまり、競争社会と社員の人間らしい生活は、矛盾した関係なんですよね。
確かに、大企業の中には、福利厚生に力を入れている会社も多くみられます。
しかし、それらの会社の殆どは、下請けや子会社などの下部組織にブラック要素を押し付けているだけ。
そして人口比で考えると、下部組織に所属する人数のほうが多いわけですから、一部の余裕のある会社が、ゆとりある仕事環境を取り入れると、下の組織にしわ寄せが行ってしまうという問題があるんです。

こうしてみると、行き過ぎた市場主義や競争社会の弊害が、国民を労働に縛り付けている状態に思えます。
これを改善するためには、単純に『育休』を取るようにするという表面的な行動ではなく、社会構造を根本的に変えなければなりません。
どの様に変えるのかというと、更なる効率化と、より公平な再分配の仕組み作りなのでしょう。

一部の人間が、その他大勢から搾取するという構造が残り続けている限り、この問題は解決しないと思われます。