だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

テレビの討論番組は、画面が有るからツマラナイ

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私は、自分とは違った視点を持つ人の意見を聴くのが、結構好きです。
中には、とても受け入れられないようなトンデモな話も有ります。
その様な意見は、当然、そのまま受け入れることはないのですが…
何故その様な考えになったのかという事を考える切っ掛けにもなるので、基本的には、どんな内容のものでも好きな方です。

そんな性格だからか、昔から討論番組が結構好きだったんですよね。
意見と意見がぶつかり合い、白熱する議論。
番組を見終わった後には、なんとなく自分が階段を一歩上がったような感覚に浸れる。
そんな状態が好きで、結構観ていまいした。

しかし、そんな討論番組が、最近は酷くつまらないものに感じるようになってしまいました。
特にテレビの。
という事で今回は、何故、テレビの討論番組は、つまらなく感じてしまうのかということについて、考えていきます。


一つは、自分自身の成長でしょう。
話されている人と聞いている側に圧倒的な知識差があると、聴く話すべてが新鮮に感じるものです。
聴いたこともない様な情報に接すると、どんどん話しに引き込まれていく為、話の内容が面白く感じる。

しかし、ある程度の月日が経って、聴き手の知識が上昇してくると話が変わってきます。
話の内容の大部分が知っている情報になり、聴き手は話の展開で、次にどんな話をされるかが理解できてしまう。
聴き手に心の余裕が出てくるため、理論の矛盾などが出てくると、直ぐに気がついてしまいます。

話に矛盾が有った場合、聴き手はその部分をどう処理するのかが気になってしまいます。
その矛盾点を話し手が上手い具合に拾い上げてフォローを入れる場合は良いのですが、大抵の場合は『無かったこと』として処理されて、強引な持論を展開しがちです。
そういう話を聞かされると、聴き手としては冷めてしまいます。
急速に興味は薄れていき、つまらないと感じてしまいます。

これはどちらかと言うと利き手側の問題で、別に話し手が悪いわけでない場合が多いです。
番組が設定しているターゲットが、その分野に関わりがない人であったり、これから勉強してみたいと思っている人で、詳しい人はターゲットにしていない。
初心者向けのコンテンツと行って良いのですかね。
ターゲット層が初心者なので、その分野について知識がある人が見ても、知っている情報ばかりで物足りないと思うのは当然といえます。
仮に知識がある人が満足する番組に仕上げた場合、今度は初心者が置いてけぼりになるだけで、『つまらない』と思っているそうが移動するだけになってしまいます。

こういった場合、『つまらない』と感じてしまった人は単にターゲットから外れているだけなので、自分がターゲットに入っているコンテンツを消費した方が良いでしょう。


では討論番組が面白く無いのは、聴き手側だけの問題で、提供側は問題がないのかといえば、そうでは有りません。
個人的には、こちらの原因の方が問題だと思います。

その原因とは、『討論番組なのに、討論する気がない人が多く出演している』という点です。
討論番組なのに討論する気がないのは、餃子定食を頼んだのに餃子が売り切れてて、ご飯だけ出されるようなものなの。
苦情が出ても、当然です。

討論番組に出演しているにも関わらず、討論する気がないというのはどういうことなのか。
具体的に書いていきましょう。

良くあるケースは、相手の存在を無視するケースです。
例えば、自分が主張したいことだけを発言し、自分にとって都合の悪い質問が来たら、大声を出して威嚇し、相手の質問を遮るなど。
喋っている人がわからすれば、持論を思うように展開できて気持ちが良いのでしょうが、聴き手からしてみれば、『独演会を開けよ』と思ってしまいます。

似たようなケースとしては、相手の質問を曲解し、見当違いな話に持っていくケース。
質問者が、誰が効いても分かりやすい様に、単純な質問を投げかけたとしても、その質問が自分にとって都合が良くない場合は、意図的に質問の解釈を曲げて、見当違いな回答をするケース。
大抵の場合は、その見当違いの回答を答えた後に、『貴方は、そんなことも分からないんですか?』と、質問者を小馬鹿にした様な態度をとって、自分が有利な状態を演出するわけですが…
聴いてからすれば、『その質問の意味すら理解出来ない読解力の人間の意見なんて、聞きたくない』と思ってしまう。

この、相手の発言を曲解するケースは、質問者が行う場合もあります。
自分の意見と違い、受け入れられない意見を主張する人に質問を投げかけ、帰ってきた答えに対して見当違いの解釈をし、バッシングする。
そして満面のドヤ顔で『はい論破』とかいわれても、『頭、大丈夫?』と思ってしまいます。

その一方で、自分と同じ意見の人は持ち上げまくる。。
行っているのは、他人の意見を潰して自分の意見を持ち上げる行動なので、こんなものを見て面白いと思えるはずもないんですよね。

討論は、違う視点を持つ物同士が、考え方の違いをぶつけあうものだと思います。
視点によっては、当然受け入れられないものも存在するでしょう。
しかし重要なのは、視点の違う物同士が意見を言い合うことが重要で、『その視点は間違っている』なんてのは必要ないと思うんです。
それを言い出してしまうと、視点の違う人を呼ぶ意味がなくなります。

視点が違う人達の、どの意見に感情移入できるのかは、観ている観客が勝手に決めれば良いことで、番組や出演者が決めることではないと思います。
しかし実際には、目立ちたいからか、賢いと思われたいからか、自分の観ている視点こそ最善で、異論を言う人は馬鹿。
自分の意見が一番優れているので、他の人間は意見を受け入れれば良いという人が多く出ているんですよね。
出演している人間が『はい論破』って言いたいだけなので、出演者の注意は揚げ足を取ることだけに集中する。

その応酬を見せられて、『面白い!』と思え無いのが、正直な感想だったりします。

この様な構造になってしまう要因としては、先程挙げた要因の他に、番組側が、『喧嘩になれば盛り上がる』と勘違しているのも、大きな要因だと思います。
喧嘩になるのと議論が盛り上がるのは全く違うことで、議論を聞きに行ったのに喧嘩を見せられたら、面白いとは思えないですよね。
こんなのは、知り合いから『物凄く人間味あふれる群像劇風の映画だから』と誘われて映画館に行ったら、上映していたのが『メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス』だった様なもんです。
最初から喧嘩を見に行っているならまだしも、別のものを提供されて、満足は出来ないですよね。

しかし悲しいかなテレビの討論番組の場合、怒っている人を画面に映しておけば、討論が白熱しているように見えてしまう。
そういった意味では、画面がないラジオ番組の方が、理性的な番組が多いような感じもしてきます。
こう考えると、テレビの討論番組が面白くない最大の原因は、テレビ画面が有ることなのかもしれませんね。