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だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

GDP至上主義と幸福

社会 考え方 政治・経済

経済系のニュースを観ていると、国や中央銀行の代表などが、『GDPを伸ばすために…』と等と言っているのをよく耳にします。
ニュースの全体的な主張も、GDPが伸びることには何の異論もないような感じで、異論が出たとしても、GDPを伸ばすための方法に疑問が呈されるぐらい。
政治家の討論を聴いても、GDPを伸ばすというのは経済政策において当然のゴールで、議論の余地も無いといった印象を受けます。

しかし冷静に考えてみると、一つの疑問が頭に浮かびます。
『何故、GDPを伸ばさなければならないのか。』

私達人間は、GDPという眼に見えないものを巨大化させる為に生まれてきたわけではないんですよね。
私自身は、人間は自身が幸福な人生を謳歌する為に生きていると思っています。

GDPの成長と自身の幸福が比例しているのであれば、何の問題も有りません。
しかしGDPの性質を考えると、必ずしもそうとも言えない。

という事で今回は、GDP至上主義と幸福について考えていきます。


そもそもGDPとは何なのかというと、日本語で書くと国内総生産
付加価値の合計金額です。
付加価値とは何なのかというと、50円分の材料を買い揃え、それを加工して500円のものを作って販売した場合、加工技術や作業によって450円分の価値が生まれたことになります。
50円の材料に加工や作業によって450円分の価値が付加されたことになるので、この場合は450円が付加価値になります。

この合計金額が上昇するということは、どういうことなのか。
これは単純に、日本国内で生み出された価値が増大した事になり、その価値は給料や設備投資・他国の企業の買収等の源泉になるので、国力や国民生活が連動して上昇し易い状態になります。
国や市民が豊かになることは、国民の幸福にも繋がりそうですし、歓迎すべきこと。
政治家や中央銀行、マスコミに出演している識者の方々が疑問を持たずに、GDPの上昇を最優先で目指す【GDP至上主義】になるのも頷けます。

しかし、見逃せない重要な点が一つあります。
それは、GDPの成長と国民の幸福は、相関関係はあるけれど、完全な因果関係はないという点です。
厳密にいえば、ある一定レベルまで因果関係もあるが、それを超えれば関係がなくなってしまいます。

例えば、今日食べるだけで精一杯で、明日のことなど考えられない。
何もない、貧しい国があったとします。
こういう国が経済成長して国民に食べ物が行き渡り、生活インフラが整備されていくと、国民は幸せになるでしょう。
この状況下では、当然の事ながらGDPは成長します。
国内で産業が興って市場経済が活発化する事と、人々の生活の向上がリンクしている為、GDP成長=国民の生活といえなくも有りません。

しかしこの様な状態というのは、長くは続きません。
生活インフラが整い、贅沢さえしなければ、生まれてきた子供が普通に人生を全う出来るような国力が備わった状態では、GDP成長と国民の生活がリンクしなくなるんですね。

というのも、生きるのに最低限のインフラが整い、生きる事がそれほど難しくなくなった場合。
人間は、生き方を考えだすからです。
人が自分の幸福を追求して生きる場合、必ずしも、その行動が経済成長とリンクするわけではなく、逆に経済の足を引っ張る場合もあるんです。

どういうことなのかを理解するために、まず、GDPを効率的に上昇させる方法を考えてみましょう。
GDPは付加価値を金額に直した際の合計なので、この数値を上昇させる為には、人が行動した際には、一度お金に換算することが重要になってきます。

結婚して子供がいる家庭をベースに、分かりやすいように極端な例で考えてみましょう。
夫婦共働きの場合、両親は家事を一切せずに、仕事に打ち込み、家庭の収入を最大限に引き上げる努力が必要です。
子供の面倒は、保育園や幼稚園、ベビーシッターを雇って対処します。
家事をしない場合は、家の事はどうするのかというと、家事代行サービスを頼みます。

たまの休日に友だちと遊ぶ場合も、レンタルフレンド等の友達代行サービスを利用します。
運動したい場合はスポーツジムに行き、体が固くなったなと思ったら、お金を払ってマッサージやストレッチに行きます。
自分の親が歳をとったら、さっさと養護施設に入れてしまう。
これらの行動を取ることで、人の行動が全てお金に換算されて数字で計上されるので、GDPは上昇します。

その一方で、家事は仕事が早く終わって時間に余裕がある方が行う。
子供は自分達が成長を見守りながら育てて、どうしても無理な時は親に頼む。
運動したい時は近所をウォーキングなどをして、体が固くなったと思ったら、家でストレッチや、子供に肩をたたいてもらう。
親が歳をとったら、出来るだけ自分達で介護をし、たまには子供たちにも手伝ってもらう。
これらの行動を取る人は、行動がお金に換算されない為、GDPの寄与度的に観れば、価値はかなり低くなります。

人の価値観はそれぞれなので、どちらの価値観が正しいなんてことは言いませんが、誰もが前者の道を歩みたいと思うわけではないでしょう。

市場価値自体はゼロでも、その人にとっては値段のつけられないよう体験や物は多く存在します。
これらの体験は、人の幸福とリンクしている場合が多いのですが…
GDP至上主義は、金額に変換出来ないものの消費や所有を否定し、金額の高い物への執着を推奨するんですね。

ここら辺の意識の持ち方が、ある一定以上経済が成長した場合に、人の幸福と経済成長が乖離し始める原因に成るのではないでしょうか。

金額が高い物を所有することが最高の幸福の人にとっては、今の社会は非常に生きやすい社会だと思います。
頑張る・他人を出し抜く等、様々な方法でお金さえ手に入れれば、幸福が手に入るのですから。
しかし、高額な金品に特に興味が無い人の場合は、経済成長以外の方向を模索するほうが、幸福に近づけるのではないでしょうか。

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