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だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

資本主義・消費社会は盤石なのだろうか

社会 考え方 政治・経済

ここ最近、読み進めている本反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったかを読んでいて、ちょっとモヤッとしたことが有ったので、今回はこの事について書いていきます。

この本は、いろんなカウンターカルチャーについて書かれている本で、基本的にはカウンターカルチャーの矛盾や間違いなどを指摘する本です。
別の表現をすると、ネットなどで議論が巻き起こっているところに持論を展開して、『はい。論破』とうような本でしょうかね。

様々な話題を取り扱っていて、その中には納得できるものも数多く存在するのですが、中には納得出来ないもの、説得力に欠けるもの等も含まれています。
その中の一つが、経済についての考え方です。

消費経済や資本主義についてのカウンターカルチャーというか…
反論で有名なもので、マルクス主義が有ります。
別の言い方をすると、共産主義ですね。

TVやラジオの討論番組を聴いても、共産主義思想は目の敵にされ、少しでもそんな気配を見せると、ボロカスに叩かれます。
この本では、それらのメディアに比べ物にならない程、冷静に取り扱われています。
しかし、否定されていることには変わりがないんですよね。
ただ、私の理解力が低いせいか、この否定がどうも納得出来ないんです。

最初に書いておきますが、私はマルクスケインズの理論というのを専門的に勉強したわけでは有りません。
ただ、経済ニュースや関連本等は見聞きする機会が多いですし、実社会での経験も有るので、それで少し知っています。

この本によると、マルクスが資本主義・消費社会を批判するのは、単純にシステムが長期的に保たないからという理由らしいです。
何故保たないのかというと、資本主義で起こる効率化により、システムそのものが崩壊してしまうから。

例えば、特定の商品の需要が一定以上ある場合、生産を自動化して大量生産して効率化すると、生産コストを抑えて機会損失を回避することが出来ます。
また、機械による自動化によって、人件費を大幅に削減することも可能となります。
経営者のこの動きは、資本主義の社会で生きる上では当然の選択で、生き残る為には効率化は必須となります。

ですが、この効率化そのものが、システムに寿命を与えている状態になってしまう。
資本主義・市場主義は、生産したものは誰かに販売しなくてはなりません。
しかし、資本主義の下で機械が人々の職を奪い続けると、労働市場での人の価値が下がってしまう為、大部分の労働者の可処分所得が下がってしまう。
可処分所得は消費の源泉となる為、これが減少すると消費そのものが低迷してしまう。

また、人から機械へ生産手段が移行すると、創れるモノの量も大幅に変わります。
安定した品質で大量に生産できるため、市場にものが大量供給されることになり、需給関係が狂ってしまう。
物と労働力の2つの市場で需給関係が狂うため、システムが行き詰まってしまう。

これが、この本に書かれていたマルクスの主張。
私の目から見れば、今現在の先進国は、正にこの状況に陥っているように見えます。


しかし、この本では、この主張は間違っていると断定。
というのも、労働者を機械に置き換える事によって効率化をした場合、その利益はどこかに消えてしまうわけではなく、資本家の手元に残る。

仮に今まで人件費として毎月1億を払っていた会社が、5億の機械を導入することによって、人件費を1000万円まで削減できたとします。
最初に5億円の費用が発生しますが、人件費は年間12億円から1億2千万円に削減できる為、初年度だけでも5億8千万円のプラスになり、翌年以降は10億以上のプラスになります。
このお金は、今までは従業員に給料として配られていたものですが、効率化によってどこかに消えてしまうわけではなく、資本家の利益として手元に残る。

資本家は、そのお金を別の分野で消費する為、この効率化によって別の市場に毎年10億円以上の需要が生まれる。
仮に資本家がカネを使わずに銀行に預けたとしても、銀行は預かったお金を他の人間に貸し出し、借りた人間が市場で消費する為、やはり10億円分の需要が生まれる。

つまり効率化されても、お金の行き先と消費される分野がシフトされるだけで、世界全体としてみた場合に需給関係は釣り合うという事らしいのです。
消費される分野がシフトするため、局所的な需要不足や供給過多は起こるかもしれないが、それは同時に別の分野での供給不足を作り出す要因になるので、全体としては変わらない。

ただ、貨幣は単なるモノやサービスの交換手段ではなく、貨幣自体に価値が生じてしまう。
その為、一時的に貨幣の価値が急上昇してしまい、相対的にモノやサービスの価格が急激に下がってしまう様に見える場合がある。
この場合は、モノやサービスと貨幣との需給関係が狂っているだけなので、貨幣を大量供給することで、受給のバランスは取れる。

ということらしいです。
この本の主張によると、デフレという現象は【気のせい】で、実際に起こっているのは、お金の需要が異常な程に高まってしまったから、相対的に物価が安く見えるだけで、実際に需要不足が起こっているわけではない様です。

この主張が、どうもモヤモヤするんです。
確かに、効率化によって生まれた利益は、本来渡るはずだった労働者から資本家にシフトしただけです。
仮にその資本家がケチで、消費活動を行わずに銀行に預けた場合でも、銀行貸し出しや債権購入によって、お金を使いたい人に向かうのでしょう。

ですが実際には、民間部門でお金を借りたい人は少数で、銀行貸し出しにどれ位の引き合いが有るかの目安になる金利を見ても、ほぼ0%近くで張り付いています。
日本では預金に対して貸出が低すぎるので、国が国債を発行して使って需要を作り出している状態です。

また、金融資産が貨幣だけに限定して考えられている点も気になります。
今の世の中には、価値を持っていて即座に換金可能な金融資産が、数多く存在します。
金などの商品や株式などがそうです。
株などに資金が流入した場合、まわりまわって最終的に実物経済に反映される可能性もないとはいえませんが、単純に資産バブルになるだけの可能性もあります。
資産バブルで上昇している間は良いですが、バブルが弾けた場合、流入していた金が一瞬のうちに消失するというケースもあるわけで、これで資本主義が盤石だと主張されても、納得しづらいと思うのは、私だけでしょうか。

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