だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

日本での徴兵制について考えてみた

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最近通った安保法案関連で、徴兵制の話が色んな所から出ている。
子供を持つ母親の活動家が、『貴方の子供を戦地に行かせるのですか!』と声高に演説し、感情に訴えかけている。
市民活動家だけならまだしも、野党の国会議員も、同じ様な事を主張していたりする。

しかし、この様なデモや街頭演説などで発言されている徴兵制の話は、現実離れし過ぎている感がある。
活動家をしている人達がアレなのか、それとも、ワイドショーを主な情報源としている層をターゲットにしているからなのか…
安保法案=赤紙復活という強引な関連付けは、発想が貧困だという印象しか受けない。

私の様な捻くれた人間がこの騒動を見ると、本質を隠す為に、敢えてありえない話をでっち上げて、視線をずらそうとしているようにしか見えなかったりする。
では、本当の問題は何なのかというと、経済的な実質徴兵制でないでしょうか。


まず、昔の様な赤紙による徴兵制は、今現在の世界ではほぼ確実に起こりません。
何故なら、一般人を徴兵したところで、役に立たないからです。
昔のように、銃剣を持って敵に突撃するような人間を大量募集する場合は、強制的な徴兵制は効果があったのでしょう。
第2次世界大戦時でも、軍人の数というのは重要だったでしょうし、本土に上陸する歩兵も、戦略的には重要だったでしょう。

しかし今現在はどうでしょうか。
結構昔の湾岸戦争でさえ、ニンテンドーウォーと表現され、実際に敵地に上陸して歩兵で進んでいくというより、ミサイルと空爆がメインの戦争になっています。
当然、兵士一人一人の専門性も高くなりますし、高い能力も求められます。
その技能を修得する為には、日頃の鍛錬と長いトレーニングが必要になるでしょう。
そんな現場に、素人が無理やり呼び出されされて、求められた仕事が出来るはずがないんですよね。

その為、徴兵制は世界的に見ると減少傾向にあったりします。
安保関連法案は、日米同盟を強固にする為に整備されましたが、相手国のアメリカ自身が、徴兵制ではありません。
その徴兵制を、アメリカほど戦線を拡大しないと、今のところは断言している日本が導入するわけがないんです。

こんな状況なのにも関わらず、街頭演説や反対集会で『徴兵制が復活する!』と言われても、理解しろという方が難しかったりします。
この意見に対し、政府側は理路整然と『徴兵制にはならない』というわけですから、相対的に政府がまともに見えてしまう。

その結果として、本質的な部分が見えなくなってしまうという危険性も出てくるんですよね。


本質的な部分は何かというと、強制的な徴兵制が減る一方、逆に増えている実質的な徴兵制のことです。
その徴兵制とは、経済徴兵制と呼ばれるものです。

経済徴兵制は、資本主義と密接に絡み合っている徴兵制のこと。
物凄く簡単にいえば、お金に困った人が兵士として志願するという事です。

資本主義というのは欠陥システムで、時間と共に格差が拡大するようにできています。
このシステムは、資本家が資本を投下して組織をつくり、他の組織とシェア争いをする事で競争が起こり、弱い組織は淘汰される仕組みです。
生き残った企業は強くなり、より巨大な組織になります。
組織が巨大になると、その組織に属している人達の暮らしは楽になるのかというと、そうでもない。
巨大化した組織では、その内部で格差が生れ、社会全体で見ると二極化していく。

二極化し、底辺層に堕ちてしまった人間も、生きる為には働かなければなりません。
当然、生活コストや年齢を考えると選択肢も限定され、自由に選ぶことも出来ない。
そんな時に、目の前にぶら下がった仕事が、兵士だったとしたらどうでしょう。

その人は、兵士として戦地に行きたい!と思っていなくても、選択肢がなければ行く以外の道がない。
結果として、ほぼ強制で軍人になってしまう。

この経済的徴兵制のもっとも怖いところは、傍から見れば『あの人達は志願して兵隊になっている』としか思えない所。
日本には職業選択の自由があり、どんな職業を選んでも良いことになっている。
その中から選んでいる様に思ってしまうのだが、実際には選択肢がない場合も多い。

徴兵制という言葉を出す事で理解しづらい方は、風俗産業やブラック企業を想像して欲し。
ブラック企業や風俗産業で自らの意志で働きたい!と思っている人間は、実際にはかなり少ないと思う。
残業が100時間を超え、通勤時間を含めた拘束時間が毎日14時間。
しかも手取りは月に20万円も届かないなんて職場は、日本国内を探せば結構出てくる。
その職場で働いている方々は、そこで働きたいから働くのでしょうか。
それとも、年齢や経歴によって選択肢が限られているから、仕方なく働いているのだろうか。
また風俗産業は、その行為が好きで好きでたまらない人だけが働いているのだろうか。

考え方は人それぞれなので、好きでその職場で働いている人も存在はするでしょう。
しかし、仕方なく働いている人も相当数居ることが想像できます。

ですが、この経済的奴隷といっても良い人達は、他の恵まれた人から見ると、『その境遇になったのは自業自得』と思われてしまう。
強制徴兵なら、まだ道場もされるかもしれない人達が、資本主義の下では自己責任で済まされてしまう。

個人的には、こちらの方が問題だと思うのですが、どうでしょうか。