だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

今の最先端はオカルトかもしれない

最近思うのが、時代の最先端はオカルトなのかもしれないという事。

こう書いてしまうと、何処と無く胡散臭いイメージになってしまいますし、誤解する人も多いと思います。
その為、最初に私の考えるオカルトの定義やイメージを最初に書きます。

私の考えるオカルトですが、その反対側にある科学をについて考えると分かりやすいと思います。
真理の探求を自身の外側に向けるのが科学。
オカルトはその逆で、真理を自身の内側に向けるもの。

考えの方向性や答えを何処に求めるのかという差こそあれ、スタンスとしては同じなんだと思っています。


この、『自身の内側』に目を向けるという考えが、ここ最近注目されているように思えます。

例えば経済学は、今までは本当に机上の空論でした。
というのも、経済という複雑なテーマを、単純な公式に当てはめることそのものに無理があります。
その為、経済学は最初に前提条件を置いて思考を始めます。

その前提条件を簡単に書くと2つ

  1. この世の全ての人は、世の中の情報を完全に把握している
  2. 人間は合理的に動く

この前提を置いて考えを始め、発展させていきます。
しかし常識的に考えて、この前提条件を人間は満たしていませんよね。

この世の全ての情報を把握している訳では有りませんし、人間は時として非合理的な動きをします。
最初の前提条件を満たしていないんだから、その後に生まれた考えや発展させた理論が当てはまらないのも、当然といえます。

この経済学ですが、ここ数年で『行動経済学』という別の思想が注目され始めました。
行動経済学は、一言で言うと経済学に心理学をミックスした様な考え方です。

人間は、直前に行った行動に引きずられて合理的な判断が出来ない事は多々あります。
そういった人の心理も組み合わせないと、経済学自体が学者の玩具から抜け出せない。
机上の空論ではなく、より実践的な理論を追い求めた行動ですが、結果として人間の内側に焦点を当てる事になりました。


学問の世界だけでなく、アニメなどもそのような感じがします。
私はアニメ全般を研究したわけでは無いので、ちゃんとした統計はとっておらず、印象に頼る部分が多いですが、昔のアニメは科学よりだったように思えます。

単純にいえば、科学が進歩すれば、どのような世界になるのか。
根底にあるものが科学技術の進歩で、その技術が発展した時にどのような問題が起こって行動を取るのか。
単純なSFという話ではなく、物語に登場する人物の意識が外側に向いていると表現すればよいのでしょうか。

物語自体が、人との対話や衝突等で進んだりする。

しかし、セカイ系という言葉が出てきた辺りから、物語の登場人物たちの意識は、自身の内面に向かっていきます。
セカイ系という言葉はエヴァンゲリオンの登場で生まれたそうです。
定義自体があやふやなので、性格な説明は出来ませんが、簡単に説明すると『自分自身の考え方が変化すると、世の中の見え方が変わる』『自身の問題がセカイの問題に直結している』
自分自身=セカイと考えると、分かりやすいのかもしれません。
他人との対話、敵との衝突といった【自身の外側】から、【自信との対話】という内面に意識が変化しているように感じます。


この様な傾向はアート等の直感に訴えるような分野では、もっと進んでいるように思えます。
資料として、または一瞬の思い出を切り取る為に書かれていた絵は、人の心を動かすための絵画へと移行していきます。
そして写真の登場によって、風景を切り取るだけの写真では出来ない様な、心理を書き写すものへと変化していきます。

単純な自己との対話だけではなく、無意識化のイメージを掘り起こす為に、非合法な手段を使ってトランス状態になる人まで出てきたり。
サイケデリック
これは絵画だけでなく、より直感的で感情に訴える音楽の分野にも存在します。

音楽や絵画はより強く感覚や心理と結びついている用に思えます。


こうしてみると様々な分野で、元々は外に対してアプローチする事が主流だったのものが、人の内面を映し出す方向へと移行していっています。
そして人の内面と向い合い、様々な実験や表現を行ってきたのがオカルトだとすると、これからの最先端はオカルトなのかもしれません。

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