だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

縮まる格差?

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最近の経済をみていると、格差はドンドン広がっているようにみえます。
少し前に話題になったトマ・ピケティ氏の『21世紀の資本』でも書かれていますが、資本主義社会では、時間経過と共に格差は拡大していくようです。
このまま何の対策も打たずに時間だけが過ぎて行くと、金銭的格差は更に拡大していくのでしょう。

しかし、少し違った目線から見てみると、格差は急速に縮小していっているようにも見えます。
どのような視点から見ると、そうなるのか。
それは、技術的な視点です。


今の世の中を冷静に見ると、大金持ちの人と一般の人とで、出来る事や知ることの差がほぼ無くなってきています。
少し前までは、大量の映画を見たり音楽を聴いたり本を読むといった事をする為には、それ相応のお金が必要でした。
日本で映画を観る場合は、一回毎に1800円必要ですし、レンタルで済ませようと思っても、地域差や会社によっても差がありますが、旧作でも200円程度のお金がかかります。
音楽も、シングル1枚で500~1000円しましたし、アルバムを買うと3000円程度のお金がかかりました。

単体では大したお金では有りませんが、それらを大量に消費しようと思うと、趣味には結構なお金がかかります。

しかし現在ではどうでしょうか。
先日発表されたLINEやAppleの定額音楽サービスでは、加入するだけで3000万曲の音楽を楽しむことが出来ます。
3000万曲とはどれだけの量の音楽なのでしょうか。
一曲が5分と仮定しても、1時間で12曲、24時間、睡眠時間を取らずに聴き続けたとしても一年間で105,120曲しか聴けません。
24時間の間に絶えず音楽を聴き続けるという生活を送ったとしても、285年以上も掛かる量です。
つまり、人一人の一生をかけた程度では聴く事が出来ない量の音楽を、定額で聴く事ができる。

動画なども同じで、ケーブルテレビに加入すれば、観ることが出来ないほどの量の番組が観れる環境になります。
ネットサービスのHuluに加入すれば、月額1000円で10000万本の動画が見放題。
その他にも、dアニメ等のジャンルに特化した動画サービスなども存在しますし、GYAOでは、定期的に無料配信などもしています。
プロが制作した動画でなければ、youtube等の動画配信サービスで無料でサービスを楽しむことが出来ます。

文章なども同様で、著作権が切れた昔の作品は青空文庫として出され、ネット環境が有れば無料で楽しむことが出来ます。
漫画も、既に絶版している漫画の一部は、絶版マンガ図書館で電子公告を挟む形で、無料で配信されています。
また、最近発売される雑誌に関しても電子書籍化され、最新話限定や単行本が発売されるまでの話は無料で観れる場合が多い。
個人ブログなども含めると、それこそ、何回人生を繰り返しても追い切れない程の量が生産されています。


一昔前であれば、この環境を整える為には膨大なお金が必要でした。
またそれらの品々を家に置いておく為には、膨大な敷地が必要ですし、例えそれらを揃えるだけの財力があったとしても、欲しい作品を保管場所から見つけることが一苦労です。
しかし現状どうなっているかというと、月々5000円程度支払えば、これらのコンテンツを好きなだけ楽しむことが出来る。
しかも、検索機能付きです。

100年前の世界有数の資産家ですら手に入れられなかった環境が、学生のバイト程度の金で手に入ってしまう。
しかも、手元のスマートフォンでアクセスが可能な為、それらを常時持ち運べる環境になっている。

本・動画・音楽などのコンテンツがクラウド上に有り、何時何処ででもアクセスすることが可能となる。
こうなると、これらのコンテンツを楽しむのに場所が関係なくなります。
コンテンツを保管するための大きな倉庫も要らず、ベット一つしか無い狭い部屋でも、然程困らない。

ネットは、余暇を過ごす為のコンテンツが自由観見れるだけでは有りません。
教育サービスなども存在します。
世界の有名大学が、ネット経由で講義を観れるようなサービスを提供しています。
また、学校に行けない子供たちに向けて、心ある方々が小・中・高向けに勉強を教える動画をアップロードしていたりもします。
新規のサービスに加入しなくても、youtube等で検索すれば、短時間の授業が大量に見つけることが出来ます。


発展途上で、これから先進国に追いつこうと思っている国は、取り敢えずネット環境を整備。
その後、ネットを閲覧できる端末を配るだけで、国民はこれらの情報にアクセスできる。
どの状態が文化レベルが上かという議論はありますが、先進国に近づこうと思えば、昔に比べれば遥かに安価な投資で可能になっています。

こうした視点から見ると、格差というのは実は、急速に縮まっているのではないでしょうか。
今現在の世の中では、知的好奇心を満たす為には、然程お金が重要では有りません。
むしろ、コンテンツを消費する為の時間のほうが重要。
その時間は、裕福であろうと貧乏であろうと、1日24時間と決まっています。
どれだけお金を積んでも時間が買えない事を考慮すると、今は昔に比べ、資金の無い人が暮らしやすい世界になっているように思えますが、どうでしょうか。