だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

目先のことしか考えない日本

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最近の国の動きを観ていると、先のことを見据えて動くというよりも、場当たり的な動きが多いような気がしてならない。
取り敢えず問題が出たら対処療法的に行動し、問題を抑える。
対処療法でも行動してくれれば良いが、国民の視点を変えて、行動自体はしないというような【臭い物には蓋をする】という行動も少なくない。

例えば、最近(2015年6月)に規制強化された自転車なども、マナー違反は確かに存在するし問題だが、自己の全ての原因がマナー違反というわけではない。
自転車のルールを徹底する様な事も行われていないし、規制強化といっても規制の内容がアバウトだったりする。
自転車に乗ってのイヤホンも、周りの音が聞こえる程度の小さな音量だと大丈夫という自治体も有れば、音を出していなくても付けているだけでダメというところもある。
こうなってくると、冬場の耳あては大丈夫なのかアウトなのかという問題にもなってくるだろう。

そもそもこの様なグダグダな事になったのも、自転車事故が増えた=自転車が悪いという単純な相関関係だけに目を当てて、取り敢えず自転車を悪者にして規制を強化すればよいだろうという場当たり的な考えが透けて見える。

実際に事故を起こさないようにする為には、根本的な所から考えなければならないだろう。
まず考えるべきことは、何故自転車が増えたのかという事。
これが解らなければ、これから自転車が増えるのか、それとも増加は一時的なものなのかという事が解らない。

仮に自転車の増加傾向が一時的なものではなく、長期的に続くトレンドなのであれば、自転車が増えることを予測して、都市を整備し直す必要が出てくる。
車道・歩道の他に、自転車専用道路の整備も必要になってくるだろうし、ルールが複雑化するのであれば、講習を受けるという簡単な免許制にすることも必要なのかもしれない。

しかし実際に行われていることは、単なる規制の強化だけに留まっている。
これでは、警察が罰金を徴収する為に規制を強化したと思われても仕方がない。


他には、年金介護問題等。
一番最初にこの構造を作った時には、人口ピラミッドが三角形に近かったから採用したのでしょうが、人口ピラミッドをきれいな形で維持すると人口が増え続けることになる。
狭い日本で、尚且つ、大半が山脈で平地が少ない日本。
未来永劫、人口が右肩上がりで増え続けるなんて事は、常識的に考えてどこかで頭打ちになる事はわかりきっている。

にも関わらず採用したというのは、当時の責任者が単純に馬鹿だったのか。
それとも、そのシステムを導入する事で三角形が維持できている一定期間だけは、受給者よりも支払う人の方が多いという状況を作り出せるため、大量に集まる年金資金を運用するという利権を作りたかったのか。

どちらにしても、目先のことしか考えていないとしか思えない。


ここ最近の集団的自衛権も、目先のことだけを考えて、元々無理の有る憲法解釈を重ねた結果といえるのではないだろうか。
そもそも、日本の憲法を普通に読めば、自衛隊自体が違憲になる。

連合軍占領下の日本であれば、日本という組織が自分で軍隊を持つ事を禁止していたとしても、他の軍隊が駐在してくれていれば、力の空白は生れないし、矛盾もない。

しかし連合軍が去り、日本が独立した時点で、【武力を持たずに国を守らなければならない】という無理が出てくる。
この無理を根本的に是正しようと思えば、独立した時点で憲法を変えていなければならなかった。
自前で軍隊をもち、自分の国を自分で守れる状態にしておけば、アメリカとの同盟を結ぶかどうかという選択肢も生まれたでしょう。

しかし実際には憲法を変えず、武力を持たずに米国に守ってもらうという選択を選んだ。
そして自衛隊は軍隊ではないと言い張って、組織してしまった。

自衛隊が軍隊で、日米同盟が対等なものであるのなら、相互に助け合わなければならないのは当然で、集団・個別自衛権なんて議論にはならない。
しかし『軍隊ではない』と言って制限をかけた事で生まれたのが、集団的自衛権と個別的自衛権

日本は、他国に攻めこむ際の手伝いなどはせずに、自国が攻めこまれた時だけ応戦するといって、2つの権利を分けたのだが、これも冷静に考えればおかしい。
憲法九条はあらゆる交戦を禁止しているので、普通の日本語能力がある人が読めば、個別的自衛権のみに活動を絞った自衛隊すらも違憲ということになる。
これを、その時の政権が憲法解釈で無理を通してしまった。

これで、目先の問題はなくなったのかもしれないが、先を見据えた改革ではないので、当然の様に他の矛盾が出てくる。

それは、アメリカに基地提供をしている時点で既に、集団的自衛権を認めているのと同じような状態になってしまっているということ。
例えば、仮に東南アジアで有事が起こったとする。
地理的に考えれば、アメリカ本土から軍隊を送るよりも、日本に在留している軍隊を使った方が近い。
戦闘が長期化するのであれば、沖縄などを中継基地として使うという事も十分考えられることだろう。

この状態は、日本の自衛隊が1兵も参加していなくても、他国からみれば基地提供をしている時点で、後方支援に見えるだろう。
つまり今現在の日本の状態というのは、国会でどれだけ揉めようが、他国からみればアメリカの協力者という事になる。

日本が本気で、『他国に対して侵略戦争もしたくないし、その手伝いもしたくない』と思うのであれば、真っ先にすることは憲法を改正して自国の軍隊をもち、アメリカも含め全ての軍事同盟を破棄することだろう。
そのうえで、スイスの様に他国の戦争には一切関わらないと宣言するしか無い。

しかし現状は、集団的自衛権に反対する野党は、憲法改正にも反対。
日米同盟を見直すという過激な主張しない。
では全てを解決できる様な対案を出すのかといえば、それもしない。

その議論を横から観ている国民は、将来的にどのような国を作りたいのかといったビジョンも想像できない。
国民が読み取れるのは、与党の議員を挑発し、相手の暴言を誘っているだけにしか見えない。

日本の政治システムでは、野党は法案を通せないし、責任もない。
だからこそ、長期的な目線で観た話もしやすいし、大胆なことも言える。
にも関わらず、目先の暴言を誘うことしか出来ていない。


物事というのは、確かに小さなことの積み重ねです。
しかし、目先の小さな出来事全てに対して【正解】を選んでいけば、長期的に観ても正しい道に行けるとは限りません。
長期的な視点で先に目標を設定すれば、目先の問題では非効率な事を選ばなければならない事も有るでしょう。

大切なのは物事を俯瞰で見る目線で、広く遠い視野をもって、何処に着地するかということです。
その視点無しで政治を行うのは、危険だと思うのは私だけでしょうか。