だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

不幸になりたがる人達

少し前のもてらじで、パチンコ依存症の話が出た。

moteradi.com


結構面白かったのが、この依存症の人達は、パチンコで勝つ為に通っているのではなく、お金を捨てる為に通っているという所。
不幸を確定していないと安心できないという心理状態が働いているのだろうか。
私には無い感覚なので、結構興味深かった。

しかしよくよく考えてみると、不幸になりたがる人達の話は、結構あったことに気付かされる。

例えば、映画のマトリクス。



この作品は、人工知能を手に入れた機械と人間が争った後に、機械が世界を支配した話。
戦争の中で人間側が機械側のエネルギーを断つ為に、太陽光を遮る工作を行った為、争いに勝った機械は、人間を電池として使用する。
この際に、機械は人間の精神を安定的にする為に、幸せな楽園を人工的に作り出し、その中に人間の精神を閉じ込めようとしたのだが、全く上手く行かなかった。

そこで次に機械側は楽園の様な世界ではなく、絶望も含んだ世界に作り変えた所、人間の精神は落ち着いたそうだ。
つまり人間の精神を安定的にするのに必要なのは、幸せの継続ではないということなんだろう。

この様な例は他にもある。
映画、ブレイドランナーの原作である【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】という作品。




この作品の中には人間の感情を、ラジオのチューニングの様にダイアルで変えることが出来る機械が登場します。
麻薬などを使用せずとも、いつでも好きな感情になることが出来る。
どんなに落ち込んだ時でも、平穏な心でいる事が出来る。
そんな夢の様な機械が開発された時に、人はどのような使い方をするのか。

この小説の主人公の妻は、精神のダイアルを絶望に合わせて打ちひしがれるんです。
主人公自体も知らなかったダイアルですが、試しにやってみると、癖になりそうだったのでこのダイアルは控えるべきといった表現をされていました。
ここでも甘美な絶望への誘惑が描かれています。

その他にも、マーサー教という存在が出てきます。
教祖であるマーサーは、何処の星かもわからない過酷な環境で、何処からとも無く降り注ぐ石粒てに当たりながら、前へ前へと突き進んでいきます。
目的などもなく、前から降り注ぐ障害物に当たりながら、傷だらけになりながら、ただ前に進む。
その行為は、全ての人の罪を自信で背負う様な感じの存在です。

人類の殆どはマーサー教の信者で、信者は他人の感覚をそのまま自身でも体験出来る機械を通じて、マーサーが感じている痛みを自身も共有します。

精神を時代に操れる先の未来。
人工物よりも天然の動物が有難がれる様な時代に、人がお止めたのは絶望と苦痛だったんですね。
この様にSF作品では、人が求めているのは絶望という表現は結構有るんです。


これは結構興味深い。
よくよく考えれば、絶望や幸福は相対的なものでしか有りません。

西原理恵子さんの作品に、ちくろ幼稚園という漫画があります。
この漫画の登場人物に、しほちゃんという少女が登場します。
しほちゃんの家庭環境は複雑で、父親がヤクザでそれなりのポジションなのか、いつも抗争に巻き込まれて家庭はめちゃくちゃです。

この少女がある日、夢を観ます。
夕方に父親と、家の近くでキャッチボールをしている。
家からは母親が晩御飯の支度をしているのか、ほのかにカレーの匂いが。
時間も遅くなり、家に帰った父親と少女は、出来上がったカレーを食べます。
そして、しほちゃんが一言『幸せって、安いもんやなぁ』という。

日々が絶望状態であるのなら、普通の出来事も幸せの状態になりうる。
逆に幸福状態のみが続くと、それが普通の状態になる為、幸福状態に居続ける為には良くなり続けなければならない。

こう考えると、絶望状態は幸福感のレベルを適正レベルに引き下げてくれる状態とも言える。
更にいえば、これ以上捨てるものがないほどの絶望状態というのは、それ以上さがり用がないという点で、非常に安定している。
生物として最も回避したい【死】という状態ですが、絶望状態においては『死んだ方がマシ』という状態になりうる。
この状態で生きているというのは見方を変えれば、無敵状態にも見える。
何故なら、これ以上下におちることもないのだから。

その状態は誰から見ても同情できるものですし、自分は常に悲劇のヒロインを気取れる。
人は社会を作って生きていく生き物なので、最も恐るべきは完全に孤立すること。
ですが、絶望状態というのは、少なくとも自分に関心が向いている状態ではある。

そう考えると、普通の状態で人を引きつけておく事が出来ないのであれば、いっその事、絶望状態に堕ちよう。
こんな思想も、少しは理解できるのかもしれない。

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