だぶるばいせっぷす 新館

ホワイトカラーではないブルーカラーからの視点

ナカヌキ業者が間引きされる時代

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先日投稿した記事は、普段コメントしてもらってない方にもコメントを頂き、それなりに反響がありました。

kimniy8.hatenablog.com


内容を要約すると、IT技術が発達すると一人あたりの生産性が上昇する為、必要人数が減るというもの。
単純に考えて、同じようなスピードで技術が進化するのであれば、その流れは今以上に加速することになる。
当然、業態も大きく変わりますし、その流れについて行けない機動力のない大所帯の大企業は厳しい局面にたたされる。
というもの。

この投稿に対し、【クズ】と書かれたブックマークコメントも頂きました。
20年前にも同じことが書いてあったという理由らしいですが…

現状は20年前から考えると、一人あたりの生産性が上昇している為、確実に必要人数は減っていますよね。
ここ10年内に大企業は数千人単位でリストラをしていますが、あれは単純に不景気だけが原因では無い。
一人あたりの生産性の向上や効率化によって、余った人材を切っている。

業態も、Amazon等のネット通販の勢力が増してますし、営業の人材を最小に抑えたネット生保なんかも登場しています。
少人数で市場のシェアを取れる企業が勢力を増してくると、その業界自体の市場が拡大しない限り、既存の事業者は事業を縮小する事になりますよね。

現状は、皆さんから見てどうなっていますか?
書かれた方は、ご存じない方なんでしょうね。


また、『ではどうすれば良いのだろう』という意見もいただきました。
先程の投稿では問題提起しただけで、それに対する私の考えを書いていなかったので、当然の意見でしょう。
という事で今回は、前回の問題提起に対する私の考えを書いていきます。


仕事の世界だけでなく、全てのものが繰り替える現象として、拡散と集中が有ります。
拡散→集中という一方方向ではなく、拡散→集中→拡散と繰り返します。

例として、音楽業界で考えてみましょう。
昔、記録媒体・通信手段が無い時代は、どんな素晴らしい音楽も、演奏者・観客が動ける範囲でしか届けることが出来ませんでした。
素晴らしい音楽家を知る手段も人伝しかなく、聴く為には自分の街に巡業に来てもらうか、自分が足を運ばなければならない。

しかし記録媒体が生まれ、通信手段・配送手段が確立してくると、事態は一変します。
良い演奏者と歌手を、容易に結びつける事が可能になり、記録して販売・配送する事で、全国に音楽を届けることが可能になります。

更に技術が進化し、音楽をデータ化してネット配信すると、配送などの時間も必要なく、物質的な記録メディア自体もない状態で楽しめるようになる。
しかしこうなると、データをコピーして知っている人に配るという事も用意になる為、商売としては厳しい状態になってくる。

ではこの後、どうなるのか。
全てのアーティストが行っているわけでは有りませんが、一部の方々は、音楽データ自体は宣伝広告として無料で配り、生ライヴで稼ぐという事を始めています。
椎名林檎さんなども『これからはライヴの時代』と仰ってますよね。
無腸に近い値段で聴ける配信データによる音声ではなく、演奏者と観客が一緒の空間を共有する事に価値を置く。

つまり、一周回って元に戻ったわけです。
しかし、ただ単に元に戻ったわけでは有りません。
今までに開発された通信技術や手段を活かし、原点よりも進んだ形で事業が行われています。


これと同じような事が、全ての業界で起こると思われます。
例えば農業も、今までは商品の性質上、地産地消だったものが、輸送手段の向上によって全国に輸送できるようになりました。
それと同じように、農協をはじめとした流通システムが出来たわけですが、これらの流通業者は商品を取り次いでいるだけの中ヌキ業者に過ぎません。

今までは商品を集めて流す人達が、生産者から搾取する構造になっていたわけです。
しかし通信技術の向上によって、それらの中ヌキ業者を飛ばした営業が可能になりました。
ネットによる直接販売です。
当然、商売である以上、他の農家と比べてどれほど優れているかといった販促活動も必要になってきますが、技術としては出来る状態になっています。


先ほど挙げた音楽・農業の例に共通している点は、実際に音楽や農作物といった製品を生み出している人は、時代が変わっても職を失っていない点です。
それどころか、ナカヌキ業者を排除できる為、手取り自体は多くなる可能性もある。
その一方で、人に製品を作らせて、それを右から左に受け流す人の仕事は無くなります。

つまり、これから先を生き抜くためには、自分自身で何かを創りださなければならないということです。
別に全く新しいものを新たに作り出す必要は有りません。
伝統的に伝わっていて素晴らしいもので、自身が好きなモノを受け継いで行きたいと思うなら、それでも良いと思います。
今は一般人でも情報を発信できるインフラが整っている為、本当に素晴らしいものであれば、発信し続ければ、その技術を必要としている人が現れる事もあるでしょう。

仮に失敗したとしても、自分の好きなものに打ち込んで駄目なら、納得出来る部分もあると思います。
しかし、何となく大企業というだけで会社を選び、右から左に仕事を流すだけのナカヌキを続けた場合、自分自身が間引きされてしまいます。
その時は、何の技術も知識も身についていない為、その先生きていくのは辛い状態になるのではないでしょうか。